東京都知事選の真っ最中に大阪都構想の区割り案が大阪府市法定協議会で葬られた、最初のハードルで躓いた橋下市長が“出直し市長戦”に打って出る「悪あがき」の背景、東京都知事選を考える(その7)

 東京都知事選に焦点を当ててブログを書いている真っ最中に、大阪都構想の制度設計案を協議する府市法定協議会で維新提案の「特別区区割り案」が認められず(維新以外の公明、自民、民主、共産が反対)、大阪都構想が“頓挫”したとのビッグニュースが飛び込んできた。2014年1月31日のことだ。法定協議会が開かれる前夜の30日、たまたま大阪市内で会合があって市関係者から「公明は条件付きの○印をつけるのではないか」との情勢分析を聞いたばかりだったので、驚くことには驚いた。

 東京ではもはや橋下維新にはほとんど関心がないといわれるが、大阪ではまだまだ府民・市民の関心が高く、維新の消長は大阪の政治地図を大きく塗り替えるだけの影響力を残している。その所為か2月1日の各紙は1面(トップ)でこのニュースを大きく扱い、維新と公明が完全に決裂してもはや修復不可能になったこと、橋下維新が大阪都構想の挫折で進退きわまったこと、橋下市長がこの危機を打開するため“出直し市長選”を検討していることなどをこもごも伝えた。

 でも冷静に考えてみれば、以前から予想されていた通り、橋下維新の表看板である大阪都構想はもう疾うの昔から“死に体”だった。堺市長選の敗北、続く岸和田市長選での連敗、そして大阪府都市開発株式売却議案の否決に伴う府議会少数与党への転落とこのところワン・ツー・スリーのパンチを浴びせられ、維新はすでにカウントダウン寸前の状態になっていたのである。そこへ最後の最後まで期待をつないでいた公明の離反で引導を渡され、大詰めで止めを刺されたというわけだ(衆院選での公明への選挙協力と引き換えに、大阪都構想の実現に協力するとの“密約”があったというが)。

 目下の関心は、橋下市長が「起死回生」の一打として出直し市長選に打って出るかどうかということに集まっている。橋下氏本人は結構本気だと言うが、それを見守る各党の反応が面白い。「自分の意のままにならないからといって辞めるのなら勝手にどうぞ」(公明)、「何を争点にして出直し選をするつもりか。対抗馬を立てない方が維新の独り相撲の様子が浮き彫りになる」(自民)、「橋下氏と松井氏が再選しても議会の構成は変わらず、議論の状況は同じだ。大義のない選挙はすべきではない」(共産)と、各党とも一様に冷ややかな反応だ(毎日新聞、2014年2月1日)。

 2月1日に東京で開かれた維新の党大会では、橋下氏は「僕がこうやってしゃべるのも最後になるかも分からない。今後、維新を皆さんに託す」と意味深長な挨拶をし、その後の松井幹事長(大阪府知事)らとの協議で出直し市長選に打って出ることを決断したといわれる。だがしかし、太陽系の平沼代表代行は党大会後の記者会見で出直し選について問われ、「推移を見守っていきたい」と冷淡そのもの。党大会には「東西対立」が指摘される党の結束を演出する狙いもあったが、議員団からは「橋下氏は支離滅裂」との声も漏れ、ほど遠い結果で終わったという(時事ドットコム、2014年2月1日)。

 各紙とも出直し市長選には厳しい疑問符をつける。2月1日の読売新聞は、「ダブル選の実施、理解得られるか」との解説を載せ、「橋下、松井両氏が法定協での協議決裂を宣言し、他会派との対決姿勢を鮮明にしたのは、このままでは維新結成の原点である都構想が頓挫しかねないと判断したためだ。事態を打開する「出直しダブル選」も現実味を帯びるが、思い描くスケジュールが進まないからといって、選挙に持ち込めばさらに反発を招く可能性がある」と指摘する。

 私が思うに橋下氏の出直し市長選発言は、橋下氏や維新の置かれた苦境の裏返しにすぎず、最後の「悪あがき」以外の何物でもないということだ。各紙とも指摘するように、出直し市長選をやっても議会構成は何ら変わらないし、たとえ出直し市長選で再任されたとしても、市長任期が伸びるわけでもない。残任期間はあくまでも2015年11月までなのである。だから、出直し市長選で大阪都構想が生き返るわけでもなければ、事態が劇的に好転するわけでもない。つまり出直し市長選は、橋下維新にとって「起死回生」の一打にはならないのである。

 それどころか、選挙には多額の費用がかかる。また来年度の予算編成作業が大詰めを迎えているこの時期、突然の市長選は予算編成を遅らせて市民生活に多大の支障を生じさせるなど、どれ一つとってもいいことがない。大阪都構想が葬られた「腹いせ」に成算のない出直し市長選に打って出るなど、こんな馬鹿げた仕打ちは税金の無駄遣いそのものであって、「民意」を問うこととは何の関係もないのである。

 橋下氏は、どうやら地方自治の構造や精神を誤解(曲解)しているらしい。地方自治体は首長と議会の二元制であって、首長に全ての権限が委ねられているわけではない(そうであれば、橋下氏の好きな独裁体制になる)。首長の提案に対して市議会や法定協議会が「ノー」を示すのも“民意”であって、そのことで首長の意思が制限されるのは当然のことなのだ。これが健全な地方自治の構造であり、議会制民主主義の機能であって、これを理解できない首長は早々に退場しなければならない。

 そういえば、橋下市政が折り返しの時点を迎えた昨年12月に、毎日新聞のオピニオン欄で片山善博氏(元鳥取県知事)と上山信一氏(橋下市政のアドバイザー)の大型対談があった。この時の上山氏の言葉がいまの橋下氏の言動を余すところなく説明しているので、その一節を紹介しよう(毎日新聞、2013年12月20日)。

 「都構想とは突き詰めれば大阪市を解体し、市議会の選挙区を変える政治、権力闘争だ。一気にやる必要がある。2015年4月に期限を切ったチキンレースで、圧勝か玉砕しかない」

 チキンレースとは、別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲームのことだ。激突を避けるために先にハンドルを切ったプレイヤーはチキン(臆病者)と呼ばれて蔑まれる。どちらか(あるいは両方)がハンドルを切らなければ正面衝突して死ぬかもわからない危険極まりないゲームだ。それをこともあろうに大阪都構想をめぐる権力闘争にたとえ、結果は「圧勝か玉砕か」の二者択一しかないというのだから、橋下氏は出直し市長選という“暴走車”で突っ走り、市議会各派がハンドルを切って暴走車を避けることを期待しているのだろう。

 だが、こんな“暴走車”に大阪市政を任せることはできない。今日2月2日の各紙は1面トップで一斉に「橋下市長辞職、出直し選へ」の見出しを掲げ、出直し市長選が3月に行われると伝えた。だが各党はまともに相手にせず、“独りレース”をやらせることも検討しているといわれる。それも一つの妙案だろう。競争相手が出場せず、観客が集まらなければ、暴走しても意味がない。各党が対立候補を立てずに無投票選挙に持ち込めば、出直し市長選の政治的意義は消滅する。橋下候補は得意の街頭演説に出る必要もなく、市民の税金を無駄遣いした揚句、選挙事務所で独り「当選バンザイ!」を叫べばよいのである。

 それにしても、松井知事は辞職しないが、もし橋下氏が敗れれば「2人とも政界を去る」との橋下市長の言明は限りなく重い。いよいよ大阪を府民・市民の手に取り戻す時がやってきたのである。(つづく)