年賀状ギブアップの記、欠礼して見えたもの、考えたこと、新春雑感(その2)

 昨年の年賀状で「長年の御厚誼に感謝して」という一方的なギブアップ宣言をして以降、今年の賀状は何の断りもなく欠礼してしまった。失礼極まりないというべきか、申し訳ないと言うべきか、半世紀を超えて交友関係にあった先輩・後輩や同級生、長年の知人・友人はもとより、数多くの教え子に至るまでの一切合切の賀状を思い切って断念したのである。それでも元旦から数多くの賀状が日々届けられる有様を目前にして、「これでよかったのか」と悩む毎日が続いている。

 お年玉つき年賀はがきが初めて売りだされたのは1949年(昭和24年)のこと、確か小学校5年生の年だった。クラスの受け持ちの先生から教えられて、1枚2円、3枚だけ買ったことを覚えている。セコイといえばセコイ話だが、他人に出すのがもったいなくて自分の家族を宛名にしたのだから(当たれば自分が景品をもらえると思った)、ケチもいいところで恥ずかしい限りだ。でも小学生が年賀状を出すこと自体が珍しかった時代のことだから、こんなことをしても他人に知られることがなかったのである。

 それから60有余年、最近まで営々と年賀状を書き続けて郵便局に(多大の)貢献をしてきた。往時は毎年数百枚を超えることも珍しくはなく、右手が腱鞘炎になって動かなくなったこともしばしばだった。ワープロもパソコンもなく論文も手紙もすべてペンで書いていた時代だから、それに「期間限定」の年賀状が加わることになると、首も回らないし手も動かなくなるのである。

 年賀状にもいろんなタイプがある。版画だけのもの、写真付きのもの、郵便局で売っている定番のもの、墨書きのもの、その他諸々だ。いろんな賀状があるからこそ差出人の人柄が感じられて嬉しいし、それがまた年賀状の楽しみでもある。だから私はできるだけ形式的な賀状にならないように、文面も宛名書きも工夫してきたつもりだ。裏も表もすべてがパソコンで決まり文句が印刷されているだけの年賀状など、決して出したくないと思っていたからである。

 だが、こんな時代遅れの考え方が命取りになった。もう手作りの賀状が限界を超え、年末になると賀状が負担となりときには苦痛になってきたのである。日頃から仕事を溜めている上に忙しい年末に賀状までが加わることになると、時間が足りなくなって年が越せなくなった。遂には正月早々から賀状の返事を書く破目になり、初詣もままならぬままに書斎に籠りきりになって周囲に迷惑をかける始末。元旦から険悪な空気に包まれるようでは正月を迎える意味もない。これでは「本末転倒」だとしてギブアップを真剣に考え始めたのが数年前からのことだった。

 そして、昨年暮れには「年賀状ギブアップ宣言」からの初めての年末を迎えて、率直に言って精神状態はすこぶる改善された。気持ちが驚くほど伸びやかになり、時間の余裕も生まれた。長年の友人・知人には申し訳ないと心の底では思いながら、その一方で無理な努力を続けてきた今までの状態から解放される安堵感の方が大きかったのである。

 こうして少しずつ社会からリタイアしていくのであろうが、それを自然体ということで許していただけるのか、それとも失礼だと叱られるのか、今のところはよくわからない。教え子のなかには、「年賀状はこれからも送ります。ただし倍返しは不要です」と事情を察してくれた者もいて少しは救われたような気もするが、時々は「オフの会」でも持って語り合う機会が必要かもしれない。

 ただ、こんな悩みが私だけではないことも確かだ。昨年末は郵便局から年賀はがきの訪問販売も幾度かあって、郵便局員が年賀はがきのノルマ販売に苦労していることを知った。彼らも大変だろうと思いながら、私のような存在が年々増え続けていくことは避けられないし、高齢化に加えて急速なインターネットの普及も年賀状の役割を急速に減じているように思う。メールで用が足りるようになるとはがきや手紙を出すことがついつい億劫になり、それだけ郵便の機能が低下することが避けられないからだ。

 といって、今流行のツイッターやフェイスブックを始めることにもいささか躊躇を感じる。年に一度の賀状に負担を感じているぐらいだから、それがのべつ幕無しのコミュニケーションになると、今度は神経が持たなくなって燃え尽きてしまう。適度の間合いと距離感を保ちながら自分の気持ちに沿ったブログを書く、読者の方々からときどきコメントをいただく(少なくてもよい)、コメントの意味をじっくり考えて次のブログに反映させるーーー。こんなスローペースの対話の方が私には合っていると思うのである。

 ここ数年間ブログを書き続けて来て感じるのは、激動する情報化社会のなかで自分の「立ち位置」を定めることがいかに難しいかということだ。時代の流れには押し流されず、さりとて岸辺に立ったままで傍観はせず、流れに沿って歩きながらその行方を考えるーーー。こんな風にありたいと思って努力してきたのだが、それが確かな足場の確保につながっているとの実感がいまだ持てない。常に揺らいでいる自分の足元を見つめて歩きながら考える。どうやら今年も例年と変わらない道行になりそうだ。(つづく)