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次回アップ予定:Scene-477 中川『本奥戸橋~奥戸橋』 (2019/01/25 12:00)
[Vol-05] 今回は平井大橋から遡上して、上平井橋、平和橋水管橋、平和橋までの紹介です。前回帰宅した、JR新小岩駅からのスタートですね。
では、駅前から平井大橋左岸側まで550m程を移動し、堤防遊歩道に上がり遡上開始です。120m程進むと新小岩ポンプ所排水樋管、更に660m程進むと、右岸側に中川水門が見えますので話の都合上、右岸側にワープします。中川の方が水位が高く、荒川へ勢いよく排水されていますね、荒川が高潮などで水位が逆転する場合には中川への逆流氾濫防止の為に閉められます。形式:鋼製ローラーゲート、径間:12m×1連、門扉高さ:11m、竣工:1982年(S57)。所在:葛飾区西新小岩3丁目。旧中川遡上時に撮った、荒川側からの画も載せますね。
中川水門から上流150m先に上平井水門が見えます。荒川からの高潮や津波が中川、綾瀬川へ波及しない様にする為の水門で、震度5以上の地震が発生した時にも閉鎖されます。形式:鋼製ローラーゲート、径間:30m×4連、門扉高さ:9.5m、竣工:1969年(S44)。所在:葛飾区西新小岩3丁目。現在耐震工事中で、来年3月下旬に完了予定です。
上平井水門の上流160mに綾瀬川(流路延長49km)が右岸側から合流しています。合流部から50m程上流に架かるのが『#12上平井橋』です。中川左岸の葛飾区西新小岩3丁目・5丁目と右岸の葛飾区東四つ木1丁目とを結び、都道450号新荒川葛西堤防線が通ります。上平井橋よりやや下流側に「上平井の渡し」と呼ばれる中川の渡船場が在った場所で、創架は1931年(S6)の木造仮設橋、現在の橋は4代目です。上流側の銘板は1975年(S50)完成であり、側道橋部分が追加された模様です。
名称:上平井橋
構造種別:2径間下路ワーレントラス
河口からの距離:7.7km
橋の長さ:127.7m
有効幅員:10m
竣工:1965年(S40)
上平井橋の右岸側、首都高中央環状線が綾瀬川を渡る場所に架かるのが、かつしかハープ橋です。此のハープ橋は世界初の曲線斜張橋で、2本の塔から左右に48本のケーブルが張られ、其の姿がハープに似ている事からの命名です。構造:4径間連続S字形曲線斜張橋、長さ:455m、幅員:18.5m、竣工:1986年(S61)。
中川水門、上平井水門、かつしかハープ橋などの背割堤からの画は紹介済みですが、背割堤へ渡るのに苦労しましたので紹介しておきますね。先ずは、上平井橋を右岸側に渡り右折、首都高速中央環状線下を600m進むと前方に黄色い橋が見え、其れに続く陸橋を上がります。黄色の橋は、綾瀬川に架かる東四つ木避難橋です。構造:1径間ランガー、完成:1987年(S62)。対岸方向正面にTSTが見えますよ。下流方向では浚渫作業中です、水面は見た目綺麗ですが、河底から掬った土は真っ黒クロスケのヘドロです、都会を流れる河川は皆こんな感じです。土手にアキアカネがタンデム中です、蜻蛉の交尾方法は複雑なのでググって下さい。写真は移精後に♀が産卵するまで他の♂に渡さないぞ!状態で、尻尾先端で♀の首を挟んで独占しています。
背割堤を約1km下って、ハープ橋などの右岸側の画をバシャッバシャッと撮って、中川水門でUターンして東四つ木避難橋まで戻ります。避難橋を降りて、南東200m程に天台宗寺院の浄光寺が在ります。下野国大慈寺の僧広智が849年(嘉祥2)に、当地に在った草庵を借り受けて薬師如来像を安置したのが始まりで、其の後860年(貞観2)に僧慶寛が草庵を浄光寺と号したと云われています。古くから木下川(きねがわ)薬師として知られている他、徳川家の祈祷所・御膳所として庇護されていました。山号:青龍山、院号:薬王院、本尊:薬師如来像、所在:葛飾区東四つ木1-5-9。1919年(T8)に荒川放水路開削により現在地に移転、南葛八十八ケ所霊場の38番札所です。「登美の松」は三代将軍家光公による手植えで、現在の松は1969年(S44)に移植された二代目です。
上平井橋東詰めへ戻り、東550m程に在る日蓮宗寺院の圓成寺へ行きます。市川市中山の法華経寺末で、1573年(天正1)日和大徳が開山となり創建、1653年(承応2)に焼失し、翌年に日周により再興したと云われています。山号:黄金山、本尊:三宝祖師、所在:葛飾区西新小岩5-28-18。
圓成寺から北西180m程に真言宗豊山派寺院の東光寺が在ります。1596年(慶長1)に海秀法印による創建と云われています。山号:医王山、院号:瑠璃院、本尊:薬師如来像、所在:葛飾区西新小岩5-21-20。南葛八十八ケ所霊場の28番札所、新四国四箇領八十八ケ所霊場の19番札所です。
東光寺から東250mに新義真言宗の上品寺が在ります。1716年(享保1)伝祐が正福寺末として創建されたと云われています。山号:八幡山、院号:来迎院、本尊:阿弥陀如来像、所在:葛飾区東新小岩7-8-2。境内に八幡神社が在ります。江戸十六閻魔の一つとして信仰され、南四国南葛八十八ケ所霊場の29番札所、新四国四箇領八十八ケ所霊場の20番札所です。
上品寺前の平和橋通りを100m進むと右手に大鳥居が見えて来ます、新小岩の天祖神社です。正福寺法印権大僧都永盛により1666年(寛文6)に創建され、旧上小松村の鎮守社とされています。祭神:天照皇大神、所在:葛飾区東新小岩4-23-8。鳥居は1959年(S34)の建立です。
更に平和橋通りを200m程進むと今回終着地点の橋、平和橋です。手前下流側に水管橋が見えます。無銘板なので『#13平和橋水管橋』としておきます。送水系統は不明です。
名称:平和橋水管橋
構造種別:4径間パイプビーム
河口からの距離:8.5km
橋の長さ:約145m
水管径:約φ1000
完成:不明
水管橋の上流隣りに架かるのが『#14平和橋』で、左岸の東新小岩8丁目・西新小岩5丁目と右岸の葛飾区東立石1丁目・東四つ木2丁目とを結び、東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)が通ります。創架は1947年(S22)の仮設木製で、現在の橋は2代目になります。
名称:平和橋
構造種別:4径間PC桁
河口からの距離:8.5km
橋の長さ:134.4m
有効幅員:15m
竣工:1960年(S35)
>>>後書き<<<
次回は平和橋から継続遡上して、本奥戸橋、奥戸橋までの紹介です。
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Author:mark60
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