埼玉西武ライオンズとは、埼玉県所沢市にあるベルーナドーム(西武ドーム)を本拠地とするプロ野球チームである。単に西武、西武ライオンズ、ライオンズとも。二軍もチーム名は同じ。二軍本拠地は西武ドームと同じ敷地内にあるCAR3219フィールド(西武第二球場)。
パシフィック・リーグ | |
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埼玉西武ライオンズ | |
基本情報 | |
創設 | 1950年 |
本拠地 | ベルーナドーム |
一般略称 | 西武 |
アルファベット | L |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 23回 |
日本一 | 13回 |
セ・パ交流戦 | 0回 |
アジアチャンピオン | 1回 |
永久欠番 | |
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経歴 | |
球団組織 | |
運営母体 | 西武鉄道 |
オーナー | 後藤高志 |
GM | 渡辺久信 |
プロ野球球団テンプレート |
1950年の2リーグ制発足時に誕生した西鉄クリッパースがルーツである。シーズン終了後に同じく福岡県を本拠地とする西日本パイレーツと合併し、翌1951年のシーズンより西鉄ライオンズとなった(親会社の西日本鉄道は戦前に西鉄軍を経営していたが、解散・消滅扱いとなっているためルーツには含まれない)。
三原脩監督の指揮の下、1954年~1958年の5シーズンで4度の優勝(2位1回)を果たす「西鉄黄金期」を築き、「野武士軍団」は人気を博した。しかし、1969年の「黒い霧事件」発覚でチームが完全にボロボロになり、1972年のシーズンをもって西鉄ライオンズは終焉を迎えた。
(太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズについては別記したためここでは省略)
1978年シーズン終了後に、国土計画との間で球団譲渡の契約がまとまった。条件に「埼玉県所沢市への移転」が含まれており、これを了承したためライオンズの福岡撤退が決定した(西武ライオンズ誕生)。こうして、福岡を本拠地とするライオンズの歴史に終止符が打たれた。
1982年に初優勝を決めて以降は黄金期を築き、パ・リーグで圧倒的な集客力を誇った西武ライオンズだったが、1985年に6球団との競合の末に獲得に成功した清原和博による好影響はパ・リーグ全体に波及した。1988年には190万人の集客に成功し、他球団も休日に満員になる試合が出るなどまさにパ・リーグブームと言っていい時代だった。
西武ライオンズの選手の年俸は他球団に比べて圧倒的に高かった。ただ、その代わりに選手に対してCM等への出演を禁止していた(1993年に解除)。
1994年の森祇晶監督退任までの13年間で11回の優勝(8回の日本一)を果たして黄金時代を築き、2006年まで25年連続でAクラス入りするなど強豪球団として名を馳せた。しかし、2007年に5位に沈んでついに1981年以来のBクラスに転落した。
翌2008年のシーズンより、チーム名を埼玉西武ライオンズに変更した。ただ「埼玉」とつけただけでなく、県営大宮球場での試合開催、ファンや市民が選手と一緒に参加できるイベントを開くなど、これまで以上に地域密着を図るようになった。ちなみに2軍の名称も基本的には1軍と同じだが、命名権売却により2005年~2006年はインボイス、2007年はグッドウィルと二軍とは異なる名称が付いていた(ともに「ライオンズ」は付かない)。
主催試合での観客動員数1万人割れのイメージが強かったが、2008年には上記の通り地域密着を活性化させた。これによって2009年は1試合のみ、2010年は2試合と1万人を割ることは少なくなった。
福岡時代の西鉄クリッパーズ、西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ時代は平和台球場が本拠地。平和台球場は現在は解体されて存在しない。
所沢に移転した後の(埼玉)西武ライオンズ時代は西武ライオンズ球場。1998年からはドーム化に伴い名称が西武ドームに変更(実際に屋根がかけられて本来の意味でのドームになったのは1999年から)。
命名権売却により、2005年~2006年はインボイスSEIBUドーム、2007年はグッドウィルドーム、一旦西武ドームに戻った後2015年~2016年は西武プリンスドームに、2017年〜2021年はメットライフドームに、2022年からはベルーナドームとなっている。
2018年から球団40周年記念事業として改修工事が始まる。
西鉄ライオンズは当時まだ20代の中西太を兼任監督に抜擢(監督の給料をケチるため)したり、給料の高くなった主力選手を毎年のように放出していた。そのような経緯でチームは年々弱体化を続け、黒い霧事件発覚による池永正明投手ら主力選手の永久追放もあり、西日本鉄道は球団経営の意欲を完全に失った。
一時はペプシコーラへの身売りが内定するも、同時期に東映フライヤーズの日拓ホームへの身売りが発覚し、ペプシはこの話を破談にする。事態に窮した当時ロッテオリオンズのオーナーであった中村長芳は「個人」でライオンズを引き受けることを決意し、オーナーを辞してライオンズを買収した(福岡野球設立)。
しかし、球場からの収入だけで経営を成り立たせる必要があるにも関わらず
といった経緯もあって経営は火の車であった。そこで太平洋クラブ(1973~76年)、クラウンガスライター(1977~78年)とネーミングライツ契約を結んだものの焼け石に水で、負債は雪だるま式に膨らむ一方であった。中村は伝手を頼って国土計画の堤義明に接触し、ライオンズの埼玉県所沢市への移転を条件に譲渡に成功した。こうして1978年のシーズンをもって、福岡市を本拠地とするライオンズの歴史は終わった。
たまにあるのが、西武が福岡からライオンズを奪ったという意見である。それどころか、当時は「中村のライオンズを倒産させて俺たちのライオンズを作ろう」と主張する者も居るなど、実質的には福岡が追い出したようなものであった。
余談ではあるが、福岡市民が元々大阪の球団であったホークスを受け入れたのは、ライオンズを失ったことへの後悔と反省があってのことだと言われている。
どういうわけか他球団の優勝決定を目の前で見届けされられるという運命にある。また見届けない年も優勝をアシストさせられてたりする。2008年に優勝して以降、
2009年 | 日本ハムにサヨナラ負けし、胴上げ見届け |
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2010年 | 日本ハムにサヨナラ負けで、ソフトバンクの優勝決定 |
2011年 | ソフトバンクに敗れ、西武ドームで胴上げ見届け |
2012年 | ロッテに敗れ、日本ハムの優勝決定 |
2013年 | 楽天に敗れ西武ドームで優勝見届け。田中の8球も参照 |
2015年 | ソフトバンクに敗れ、胴上げ見届け |
2016年 | 日本ハムに敗れ、西武プリンスドームで胴上げ見届け |
2017年 | ソフトバンクに敗れ、メットライフドームで胴上げ見届け |
※赤字年は本拠地での見届け
と、2018年に再び優勝するまでの9年間でなんと6回。2015年から2017年まで3年連続で相手チームの優勝による胴上げを見届けている。うち本拠地西武ドームでは4度見届けている。
2010年を皮切りに、西武が主に地元埼玉が舞台のTVアニメとのコラボレーションを年1回をベースに開催している。オリックス・バファローズ戦で組まれることが多い。
1 | 2010年6月30日 | 北海道日本ハムファイターズ戦 | おおきく振りかぶって(おおきく振りかぶってDAY) |
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2 | 2011年7月30日 | オリックス・バファローズ戦 | クレヨンしんちゃん(クレヨンしんちゃんデー) |
3 | 2012年6月24日 | オリックス・バファローズ戦 | らき☆すた(らき☆すたデー) |
4 | 2013年6月22日 | オリックス・バファローズ戦 | Saitamaユニフォーム始動だゾ。 (クレヨンしんちゃんデー) |
2013年6月23日 | らき☆すた 2nd SEASON | ||
5 | 2013年8月17日 | 東北楽天ゴールデンイーグルス戦 | 劇場版 あの日三田花の名前を僕たちはまだ知らない。 (劇場版あの花~超平和ライオンズデー~) |
6 | 2014年7月12日 | オリックス・バファローズ戦 | ヤマノススメ(ヤマノススメデー) |
7 | 2015年3月29日 | オリックス・バファローズ戦 | ダイヤのA(ダイヤのAデー) |
8 | 2016年7月9日 | オリックス・バファローズ戦 | ドラゴンボール超 |
2016年7月10日 | |||
9 | 2017年9月9日 | 北海道日本ハムファイターズ戦 | ダイヤのA(ダイヤのAデー) |
10 | 2018年4月29日 | 東北楽天ゴールデンイーグルス戦 | MAJOR 2nd |
チーム内ではハドソンのアクションゲーム「ボンバーマン」が流行している。選手ロッカーから移動中のバスまで、所構わず爆撃音が鳴り響いている。チーム内のランクでは横綱に位置するのが涌井秀章と小野寺力、大関には石井一久と岸孝之。2009年には石井一久によって、WBC(ワールド・ボンバーマン・クラシック)が開催される。ゲームをほとんどしなかった菊池雄星をも巻き込み、「ライオンズの選手がボンバーマンで遊ぶ」ニュースが扱われるようになった。
ハドソンの関係者も喜んでいるようで、コラボレーション企画にはノリノリらしい。
シーズンオフになると、毎年のように所属選手のFA流出が話題に上る球団として知られる。
1993年にNPBにFA制度が導入されて以来、所属選手がFA宣言で流出した数は、12球団の中で西武ライオンズがダントツである。
2024年シーズン開幕時点で21人。多すぎである(ちなみに、2番目に多いチームは日本ハムで15人)。
これだけの選手がなぜFA宣言して出ていってしまうのか、選手本人の口から語られることがほとんどないので、実際のところは不明のままであるが、よく理由として挙げられるのは以下の点である。
今年はどの選手がいなくなってしまうのか、シーズンも終盤に近付くとファンは恐怖に怯えるという。中には、「FA権を得た選手は来年はいないものと考える」と達観するファンもいるとかいないとか。
毎年主力がいなくなるのにAクラス常連であり続けているのはすごい、と他のチームから言われたりするが、西武ファンとしては複雑な思いであろう。
一方で近年はFA権宣言残留も増えている。
栗山巧と中村剛也は共に2001年入団。周りが移籍していく中長年に渡り打線を支え、共にFA権を宣言して残留。栗山は2000安打、中村は450本塁打を記録するベテランとなった。この二人のコンビは「骨と牙」と呼ばれている。
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
一軍 | 二軍・三軍 |
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※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
支配下選手 | |||
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投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
育成選手 | |||
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
リーグ優勝21回、日本一13回(西鉄時代含む。どちらもパ・リーグ最多)。最後に日本一になったのは2008年で、この年はアジアチャンピオンにもなった。
1979年は、阪神タイガースから田淵幸一、ロッテオリオンズから山崎裕之と野村克也というビッグネームを獲得して大きな話題を集めた。ドラフト会議では森繁和を指名し、ドラフト外で松沼博久・松沼雅之兄弟を獲得したが、田淵獲得での大流血(レギュラーの竹之内雅史、真弓明信、若菜嘉晴を放出)が尾を引き、開幕から12連敗(2引き分けを挟む)を喫するという最悪の船出となった。前期(この時期は前期後期制)は最下位を独走、後期はやや持ち直して5位に上げたが、前期の低迷が響いて総合順位では南海ホークスに僅差(1勝差)の最下位で終わった。
1980年も前期6位に低迷するが、スティーブ・オンティベロスを獲得した後期は貯金5を作り4位(3位のロッテと貯金は変わらず)に躍進、通年でも5割近くまで勝率を上げ4位となった。
1981年はテリー・ウィットフィールドを獲得、さらにドラフト会議で石毛宏典と杉本正を獲得し、選手層は厚みを増した(ドラフト外でも秋山幸二を獲得)。前期は貯金5を作り台風の目となるが(2位)、後期は最後に力尽き、5位に終わった。総合順位はBクラスの4位ではあったが、西鉄時代の1967年以来14年ぶりとなる勝率5割でシーズンを終えた。クラウンライター時代から4年間指揮をとってきた根本陸夫は「育成の時代は終わった。あとは勝つ野球をやるだけだ」という名文句を残し、広岡達朗にチームを託して監督を辞した(この後、フロント入りして辣腕を振るうこととなる)。
西武黄金時代を参照
東尾修監督1年目のシーズン。元々新監督に予定されていたのは石毛宏典であったが、現役へのこだわりから福岡ダイエーホークスにFA移籍してしまう。他にも、工藤公康、辻発彦と黄金時代を支えた選手が移籍し戦力が低下したが、この年から鈴木健が台頭。また投手陣が頑張り、3位に留まった。カリブの怪人ことオレステス・デストラーデも復帰したが、結果を残せず途中退団した。また、清原和博がFA権を取得したが、行使せずに残留した。
この年も3位に終わり、勝率も5割を切った。オフに清原和博がFA宣言して退団(巨人に移籍)するが、その一方で若手の台頭という明るい話題もあった。松井稼頭央が遊撃手のレギュラーに定着して50盗塁を記録し、垣内哲也が28本塁打を記録した。ルーキーの高木大成が伊東勤と正捕手の座を争い、大友進が後半戦からレギュラーに定着するなど新旧交代は確実に進んでいた。
清原の移籍で得点力低下が懸念されたシーズンであったが、それは杞憂に終わった。打力を活かすために高木大成を一塁手に転向させ、松井稼頭央・大友進・高木大という「脚でかき回す」1・2・3番を構成した。松井は62盗塁を記録(盗塁王)し、チーム盗塁数200も達成した。新4番打者の鈴木健は打率4割と最高出塁率を記録し、新外国人のドミンゴ・マルティネスが長打力を発揮した。前年不調だった佐々木誠も打順こそ6番に下がったものの三割を記録しており、最終的にこの3人と松井が打撃十傑にランクインするという快挙となった。
投手陣は長年西武のリリーフ陣を支え続けた鹿取義隆が衰え(オフに引退)、潮崎哲也の先発転向でサンフレッチェ(鹿取・潮崎・杉山賢人)が崩壊するが、前年台頭した石井貴や新人の森慎二がその穴を埋めた。先発陣では、西口文也が大車輪の活躍で沢村賞を獲得した(MVPにも選出)。
3年ぶりにリーグ優勝を果たしたが、ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは1勝4敗で敗れた。
高卒4年目の小関竜也がレギュラーに定着して新人王に輝くが、それを除くとスタメンの顔ぶれは昨年とあまり変わらなかった。投手陣は森慎二が「2年目のジンクス」で不振に陥り、一時は西口文也をリリーフに回すような状態であったが、前年移籍して才能の開花したデニー友利らで何とかその穴を埋めた。
一時は独走状態であった日本ハムファイターズの急失速により、わずか貯金9での逆転優勝を果たしたが、横浜ベイスターズとの日本シリーズでは2勝4敗で敗れ、2年連続で日本一になれなかった。この年のオフ、ドミンゴ・マルティネスが「守れない」ことを理由に解雇された。
ドラフト会議では、松坂大輔を競合の上、1位で指名・獲得した(他には赤田将吾ら)。
典型的な投高打低のシーズンとなった。マルティネスが抜けた穴を埋めるべき新外国人選手が外れに外れ、日本人選手も松井稼頭央を除いて軒並み成績を落としてしまった。打線は左打者に偏重し、翌年天敵となる前川勝彦(近鉄)に初勝利を献上してしまう有様だった。投手陣は高卒ルーキーの松坂大輔が先発ローテーションの一角となり、16勝5敗、防御率2.60と活躍して新人王を受賞。松坂に引っ張られるように西口文也、石井貴、豊田清も奮闘し、揃って二桁勝利を記録した。抑え不在は相変わらずではあったが、前年日本ハムファイターズから移籍したものの結果を残せなかった西崎幸広を配置転換して何とかしのいだ。
しかし猛追も及ばず、福岡ダイエーホークスに福岡移転後初のリーグ優勝を奪われた。
弱体化した打線を強化するため、メジャーリーガーのトニー・フェルナンデスとレジー・ジェファーソンを獲得。フェルナンデスは高打率は残したものの長打力がなく、ジェファーソンはベンチと対立して途中退団した。結局4番打者は最後まで固定出来ず、チーム打率と本塁打数はリーグ最低に低迷し、松井稼頭央までが4番を打つ有様であった。投手陣では、2年間低迷した森慎二がようやく復活したのが光明であった。
福岡ダイエーホークスと首位を争ったが、この年もダイエーが優勝する。
ドラフト会議では、大沼幸二、佐藤友亮、帆足和幸、中島裕之らを指名・獲得した。
新外国人選手としてアレックス・カブレラとスコット・マクレーンを獲得し、ついに長打力不足が解消する。ツイン・バズーカと名付けられたこのコンビはそれぞれ49本と39本の本塁打を記録するという大爆発を見せた。投手陣では二年目の許銘傑が終盤まで防御率1位をキープ(最終的に2位)する活躍を見せた。リリーフ陣では森が再び不振に陥るが、東尾監督の説得でストッパーに転向した豊田清が脆さも見せたものの、単なる代役に留まらない活躍を見せた。
大阪近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークスと最後まで優勝を争ったが、9月24日の近鉄戦(大阪ドーム)で松坂大輔が中村紀洋にサヨナラホームランを被弾する。そこから糸が切れたようになり、最終的に3位にまで落ちてしまった。オフに東尾監督は勇退。
ドラフト会議では、細川亨、中村剛也、栗山巧を指名・獲得した。
伊原春樹監督一年目のシーズン。元々伊東勤が監督就任を要請されていたが、固辞したためヘッドコーチの伊原が昇格することとなった。
カブレラが55本塁打を放ち、シーズン最多本塁打のタイ記録に並び、ホームラン王とMVPを獲得。また松井稼頭央もスイッチヒッター史上初のトリプルスリーを達成する。そして、強打の捕手として期待されながらレギュラーに定着出来なかった和田一浩が5番左翼手としてついにブレイクした。それ以外にも、犬伏稔昌、貝塚政秀、宮地克彦の「日替わり3番打者」が結果を残したり、前年途中に谷中真二とのトレードで加入した平尾博嗣がブレイクの兆しを見せた。投手陣では豊田清が防御率0点台の圧倒的なピッチングで初の最優秀救援投手に輝き、復調した森慎二もセットアッパーとして活躍した。
投打の充実で4年ぶり14度目のリーグ優勝を果たしたものの、日本シリーズでは巨人に4タテを食らい、1990年の意趣返しをされてしまった。
この年のオフ、鈴木健がヤクルトへ、垣内哲也がロッテへ、デニーと富岡大記と中嶋聡が横浜へそれぞれ移籍。横浜から前田和之と細見和史と石井義人、ロッテから椎木匠を獲得した。
ドラフト会議では、後藤武敏、長田秀一郎、小野寺力、上本達之らを指名・獲得した。
豊田清が二年連続の最優秀救援投手に輝き、森慎二も好調を維持したものの徐々に俺達が頭角を現し始め、結局二位に終わる。伊東勤が現役を引退し、翌年監督就任。オフに松井稼頭央がFA宣言し、ニューヨーク・メッツに移籍する。
この年からプレーオフ(後のクライマックスシリーズ)導入。レギュラーシーズン2位通過。第1ステージ最終戦北海道日本ハムファイターズ戦では豊田が被弾するが、高木浩之が「下を向くな!」と一喝。その後和田一浩がサヨナラ弾。第2ステージ、ダイエー戦では石井貴を奇襲的に起用するなど驚くような采配で接戦を制し、2年ぶりの優勝。日本シリーズ行きを決める。
中日との日本シリーズでも最終戦までもつれ込み、西武が12年ぶりの日本一に輝く。第1戦・第7戦に先発を務めた石井貴がMVPに選ばれた。
交流戦でおかわり君こと中村剛也がブレイクし、サードのレギュラーを掴む。石井義人も高打率を維持してセカンドでレギュラー出場するが、遊撃手の中島裕之も含めて内野陣の守備力の低さは、松坂大輔から「球際に弱い」と苦言を呈せられるほどであった(→ファイヤーフォーメーション)。投手陣では、絶対的守護神の豊田清が勤続疲労により防御率4点台目前という最悪の結果に終わってしまう。森慎二や大沼幸二も不調で、ついに勝率5割を切ってしまった。
順位こそかろうじて3位を死守したが、プレーオフでは千葉ロッテマリーンズに敗れた。
オフに森慎二と小関竜也がMLB挑戦を表明し、森はタンパベイ・デビルレイズに移籍、小関はミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結ぶ。豊田清がFA宣言し読売ジャイアンツに移籍し、その人的補償として江藤智を獲得した。髙木大成が引退。
片岡や中島ら若手が頑張ったものの、最終戦で敗れ、1ゲーム差の2位で終わる。2年目の涌井が12勝を挙げ、新守護神の小野寺力も29セーブを挙げた。この年のオフ、松坂大輔がポスティングシステムを使用し、ボストン・レッドソックスに入団。
交流戦10連敗。和田一浩がここぞという場面で併殺打を量産。高級アイスという「愛称」が生まれる(ハゲゲッツー→ハーゲンダッツ→高級アイス)。前年新守護神となったはずの小野寺力の乱調で抑え不在になりかけるが、前年加入するも期待を裏切ったアレックス・グラマンを苦肉の策でリリーフ転向させると予想外の適性を見せ、チームの窮地を救った。涌井が17勝を挙げ最多勝を獲得。新人岸も11勝を挙げたが、MLBに移籍した松坂の穴を埋められず、26年ぶりのBクラスに転落。伊東監督が辞任し、和田が中日に、カブレラがオリックス・バファローズに移籍した。
オフにはFA宣言した石井一久を獲得(人的補償で福地寿樹を失う)。カブレラに代わる大砲候補として、クレイグ・ブラゼルとヒラム・ボカチカを獲得。しかしシーズン前に不正スカウト問題が発覚したため、高校生をドラフト会議で獲得することはできなかった。
この年から球団名を『埼玉西武ライオンズ』となる。
これまで二軍で監督を務めていた渡辺久信が一軍監督に昇格。大久保博元打撃コーチの指導により打線が活性化し、過去二年間一桁本塁打に終わっていた中村剛也が46本塁打を記録して本塁打王に輝くなど攻撃力が爆発した(チーム本塁打数198本)。長打力だけでなく、片岡易之の50盗塁を筆頭にチーム全体で107盗塁を決めるなど機動力も発揮した。オナカスイタネやボッカチカにしてやんよが一時流行。リリーフ陣ではアレックス・グラマンが好調を維持し、チームとしては2003年の豊田清以来の30セーブを記録した。8月14日には通算4000勝を達成。
マジック1で迎えた9月26日の北海道日本ハムファイターズ戦では惜敗したものの、マジック対象チームのオリックス・バファローズが敗れたため、4年ぶり21回目の優勝を果たした。
日本シリーズでは巨人と対戦。2勝3敗で迎えた第6戦では第4戦に先発した岸孝之を中2日でリリーフ登板させ勝利をもぎ取り、第7戦までもつれ込んだ。最終戦では片岡、平尾博嗣の奮闘や、グラマンの好投で4年ぶりの日本一に輝いた。
二遊間の守備が頼もしくなり、日本シリーズではチーム最小失策を記録。
アジアシリーズでも決勝戦で石井義人と佐藤友亮が活躍し、サヨナラ勝ちで優勝した。※この年のアジアシリーズは韓国のSKワイバーン以外のチーム名がライオンズだった。
中村がホームラン王、片岡が盗塁王と、栗山と共に最多安打のタイトルを獲得。ゴールデングラブ賞を中島が受賞し、ベストナインは細川、片岡、中島、中村、栗山が選ばれた。しかし、崩壊するととことんまで落ち込む投手陣(いいときは抑えるので防御率自体は悪くない)の懸念が払拭されないまま、2009年を迎えてしまった。
清水隆行、土肥義弘、ジョン・ワズディンを獲得したが、期待通りの数字を残さず一軍二軍を行ったり来たり。昨季の守護神を務めたアレックス・グラマンが離脱したことで中継ぎ陣の層の薄さが露呈し、サヨナラ負けのリーグワーストを作るなど終盤に試合をひっくり返されることが多くなった。阪神からトレード移籍してきた藤田太陽が頑張り、シーズン中盤までは3位をキープしていたが、夏場以降の楽天の追い上げを振り切ることができず最終的に勝率5割の4位に終わった。
ちなみにこの年は涌井が最多勝、沢村賞。片岡が盗塁王、中島が最多安打、中村がホームラン王(2年連続)と打点王を獲得している。
前年ドラフト会議で獲得した雄星(菊池雄星)は左肩痛により一年間二軍暮らしとなる。
中継ぎ、抑えが安定し、中村など故障者が多く出たにも関わらず、前半戦を首位で折り返した。しかしシーズン終盤に失速し、最後の最後にソフトバンクに抜かれてしまい、優勝を逃し、ゲーム差なし・勝率わずか1厘差の2位に終わった。クライマックスシリーズ第一ステージも中継ぎ、抑えが崩壊し、ロッテに敗れた。10試合延長戦があったが、1勝8敗1分。延長戦の防御率は9.49、勝率はセ・リーグ最下位の横浜を下回る.143で、パ・リーグワースト。延長戦での弱さが目立った。
オフには細川がFA宣言し、ソフトバンクに移籍。16年ぶりに西武に復帰していた工藤公康が戦力外となった。
ドラフト会議では大石達也を競合の末、ドラフト1位で獲得。牧田和久を2位、秋山翔吾を3位、熊代聖人を6位で獲得する。
開幕後に昨季のセーブ王、シコースキーが故障離脱して抑えがいなくなり、中継ぎも安定せず交流戦後、新人牧田和久が抑えにまわる。しかし7月3日に7月以降だと1996年以来15年ぶりの最下位に転落。前半戦を借金15で折り返した。後半戦に入り、9月を19勝5敗2分で乗り切り、最大15もあった借金を大幅に減らし、オリックスとクライマックスシリーズ出場を競うところにまで立て直し、最終戦で西武が勝ち、オリックスが負けたことで3位に上がり、クライマックスシリーズに進出。そのゲーム差はわずか1毛差(0.001差)であった。クライマックスシリーズ1stステージで日本ハムを2勝0敗で下したが、ファイナルステージではソフトバンクに全敗した。
統一球でホームランが激減する中、中村が自己最多タイの48本塁打でホームラン王と打点王を獲得。牧田が22セーブをあげ、松坂以来の新人王を受賞。秋山翔吾と熊代聖人が台頭し、外野守備が頼もしくなった。
オフにはミンチェと帆足和幸がFA宣言し、ミンチェはオリックス、帆足はソフトバンクに移籍した。後藤がDeNAにトレード移籍、ホセ・フェルナンデスが自由契約で楽天に移籍した。G.G.佐藤、石井義人が戦力外となり、石井義人は巨人に移籍。中島もポスティングでMLBを目指したが、契約がまとまらず残留した。
しかし最初から出しきったのは俺達の炎上で、春先は先発が完投、完封しないと勝てないという悲惨な状況だった。開幕から抑えを任されたエンリケ・ゴンザレスも安定せず、涌井秀章も開幕から3連敗で二軍調整。江草仁貴とのトレードで広島から移籍してきた嶋重宣も不振に陥り、ホームラン55本を期待された中村剛也も交流戦に入るまで1本しか打てず、接戦を尽く落とした。
セ・パ交流戦の頃から少しずつ安定し、13勝11敗2分と持ち直した。中村は遅れを取り戻すかの如くホームランを12本放ったが、終盤の阪神戦で故障離脱してしまう。
リーグ戦が再開し、外野争いが熾烈化する。6月の月間MVP候補にもなった大崎雄太朗、星秀和が台頭し、離脱した秋山の穴を埋める活躍を見せた。中継ぎも長田秀一郎、ランディ・ウィリアムス、ストッパー涌井で安定するようになり、前半戦を借金1で折り返した。
後半戦は引き分けを挟み5連勝と好スタートを切り、8月には首位に浮上したが、この時期から主力に故障者が相次ぐ。フルイニング出場を続けていた栗山巧に至っては左手に死球を受け、レギュラーシーズン絶望に追い込まれてしまう。中島裕之も腰と右足、中村もスランプと左ひざの怪我でスタメンに名を連ねない試合が増えていく。西口文也も故障が長引き、日曜日はお試し先発枠となってしまう。
そんな状況が長引いた末に日本ハムの追撃を振り切れず、4年ぶりのリーグ優勝を逃した。クライマックスシリーズ1stステージでは1勝1敗で迎えた第3戦でソフトバンクに敗れた。
平尾と佐藤友亮、大島裕行と阿部真宏が引退。藤田太陽と星野智樹が戦力外となり、それぞれヤクルトと楽天に移籍。トレードでは原拓也を放出し、山崎浩司を獲得。外国人では前広島のデニス・サファテ、復帰のシコースキーとNPBで実績のある選手を補強した。FA宣言した中島は、オークランド・アスレチックスに移籍。
ドラフト会議では増田達至を1位、金子侑司を3位、高橋朋己を4位で獲得。
4月は首位を独走していたが、5月から徐々に低迷し、セ・パ交流戦で負け越し。この間西日本では1勝しか挙げられず、オールスターのファン投票では誰も選出されなかった。
後半戦に入っても流れは変わらず、夏場は俺達が炎上。9月26日の楽天戦(西武ドーム)で、楽天に初優勝と胴上げを献上した。
最後の8試合で猛スパートをかけ、福岡ソフトバンクホークスに2連勝し3位に浮上すると、最後の千葉ロッテマリーンズ戦で勝利し、二年連続の2位をもぎ取った。しかしクライマックスシリーズでは1勝2敗でロッテに敗れ、4年連続の敗退となった。
4番に定着した浅村栄斗が110打点で打点王を獲得。中盤から1番に定着したエステバン・ヘルマンが最高出塁率のタイトルを獲得。
渡辺久信は就任後一度しか優勝できなかったことを理由にこの年をもって監督を辞任し、石井一久と嶋重宣が現役を引退。星秀和と坂元弥太郎が戦力外となり、成績を残せなかったホセ・オーティズ、ライアン・スピルボーグス、クリス・カーターも自由契約となった。
さらに中継ぎで9勝を挙げたデニス・サファテとヘルマンも契約がまとまらず退団しそれぞれソフトバンクとオリックスへ移籍。また片岡治大と涌井秀章がFA宣言し、片岡は巨人、涌井はロッテに移籍する、激動のストーブリーグとなった。
詳細はプロ野球2014を参照
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順位シーズン最高成績(チーム)シーズン最低成績(チーム)シーズン個人最高成績(野手)
シーズン個人最高成績(投手) |
投手のテーマ | 84778 | |
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新投手テーマ | 17682 | |
代打のテーマ(旧) | 9510 | |
代打のテーマ | 12128 | |
汎用A | 17680 | |
汎用B | 17681 | |
外国人汎用 | 21347 | |
サンバソーリャセ | 9567 | |
Flag to Victory | 14701 | |
チャンステーマ1 | 9816 | |
チャンステーマ2 | 8480 | |
チャンステーマ3 | 9817 | |
チャンステーマ4 | 11059 | |
得点テーマ | 11017 | |
Vのシナリオ | 14157 |
掲示板
884 ななしのよっしん
2024/12/16(月) 11:32:59 ID: gWX0DU33x8
>>880
先発を中心に投手は良かったよな今年
故になんでこんな好投してるのに負けてんだよってイラつきがパなかった
885 ななしのよっしん
2024/12/16(月) 22:39:32 ID: RnMoVAU8B8
大山原口狙わずに大丈夫なのか?って思って、村田を育てる方針にしたのかもって思ってたら、セデーニョが入団してきたな。
まだ30行ってない若手であり、日本球界も2年経験したからブレイクの可能性あるかも。
886 ななしのよっしん
2024/12/22(日) 12:40:14 ID: RnMoVAU8B8
本来当たり前なんだけど、2月1日からキャンプが始まるのにホッとする。
2年連続でキャンプが遅れるってのに嫌な予感すると思ったら案の定だったからな…。
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最終更新:2024/12/23(月) 11:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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