玉造陽二(たまつくり ようじ)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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玉造陽二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県水戸市 |
生年月日 | 1936年8月17日 |
身長 体重 |
178cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1955年 |
引退 | 1967年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
水戸第一高等学校へ進学。外野手としてプレーし、3年時には夏の甲子園大会に出場したが、初戦で同大会で優勝する中京商業高校相手に敗退している。
卒業後の進路としては慶応大学への進学を希望していたが、1955年、西鉄ライオンズに入団。
初年度の1955年、ルーキーながら一軍に定着すると71試合に出場。
1956年、外野のレギュラーに定着すると、主に1番打者として起用され、打率.297、1本塁打、33打点、18盗塁を記録し、パ・リーグ制覇・日本一に貢献。
以降も俊足巧打の外野手として、西鉄黄金時代の名脇役として活躍。
1960年には初めて規定打席に到達し、1963年にはキャリアハイとなる23盗塁を記録。1964年にはオールスターゲームにも出場している。また、入団1年目から1957年のシーズン終盤まで無併殺打記録を786打席まで維持していたが、これは当時のパ・リーグ記録であった。
1966年頃から打撃面で陰りが見られるようになり、1967年、117試合に出場したが、経費削減を図るフロントと対立するような形で同年限りで現役引退。
体を開きながら逆方向へ打ち返す独特の『拝み打ち』が特徴で、内野安打が多いタイプの選手であった。
通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1645 | 5434 | 4873 | 574 | 1282 | 39 | 367 | 158 | 77 | 24 | 442 | 18 | 664 | 44 | .263 | .327 |
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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