そういえば、なんかそっくりさんがワシントン・ナショナルズとマイナー契約結んだみたいだけど、やっぱりまだそれほど活躍してないみたいね。
で、何か最近話を聞かないな〜と思ったらセントルイス・カージナルスに移籍してた。
最近、独立リーグに入ったらしい。
PL学園高等学校を経て、1996年度ドラフト会議で近鉄バファローズから1位指名を受けてNPB入り。
順調に成長を続け、2000年には、先発ローテ入りし、規定投球回数にも到達して、8勝13敗、防御率4.16ながら、リーグ投手成績5位に入る活躍を見せる。
ちなみに、この2000年という年は、パの投手にとって受難の年であり、規定投球回数に到達したリーグ投手10傑のうち、過半数の6人が防御率4点台以下(投手成績10位の山村宏樹に至っては、なんと防御率5.01)、最優秀防御率を獲得したオリックスの戎信行の防御率が3.27であった。
翌2001年も規定投球回数に達して12勝9敗(ただし、防御率は驚異の5.89)の活躍を見せて、近鉄のリーグ優勝に貢献、2002年は、規定にはわずかに足りなかったものの、年間を通してローテ投手として働く等、ここまでは、とりあえずプロ野球選手らしい仕事ぶりを見せていた。
しかし、その後は成績を落とし、2004年に阪神へトレード、2006年にオリックスへまたもトレードと、球団を渡り歩く。オリックスでは、防御率4.37ながら、24試合で59.2回を投げ、翌年以降の活躍も期待されていたのだが…
2007年1月6日に、大阪市内で自動車を運転中に、自転車の女性と接触事故を起こし、全治1週間の怪我を負わせる。それだけならまだしも、被害女性と口論となり、駆け付けた警察官に免許証の提示を求められたところ、逃走したため、道路交通法違反及び業務上過失傷害の疑いで、大阪府警に逮捕された。その際、スピード違反などを繰り返した結果、2002年に運転免許を取り消されていたが、そのまま無免許で車を運転していたという事実が明らかになったため、オリックス球団から無期限謹慎処分を受け、1月17日に選手契約を解除、19日に自由契約選手公示された。
ちなみに、女性と事故を起こした際逃亡したことについて、前川は「無免許がばれたら選手生命が絶たれると思い、怖くなって逃げた」と述べているが、大阪府警はこれに対し「逃げなければ逮捕はなかったと思う」とのことであり、まあ、なんと言ったらいいか…
その後は、アメリカに渡って、マイナーリーガーとして活動したり、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズに所属して、ノーヒットノーランを記録、最優秀防御率のタイトルを獲得したりしたが、2011年に引退した。
前川は大阪近鉄バファローズ時代の1998年12月1日に予定されていた球団との契約交渉をすっぽかしている。その時の言い訳に「今日は11月31日だと思っていました」というのがあり、Google先生も「11月31日」と検索すると「前川勝彦」というワードを勧めてきたり、逆に「前川勝彦」と検索すると「11月31日」というワードを勧めてきたりする。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 15:00
最終更新:2024/12/23(月) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。