回答(5件)

>魏志倭人伝以外で日本に卑弥呼なる者がいたという確たる証拠はあるのでしょうか。 ほぼ同時代に編纂された、まさに魏志倭人伝と並ぶ、 当時のリアルタイムでの第一級史書である、 魏略(逸文)において、女王という呼称ですが、 明らかに卑弥呼の事を記している史書が存在します。 つまり、邪馬壱国同時代において、 魏志倭人伝のみならず他の史書においても記されているものという事ですね。 尚、 邪馬壱国を邪馬台国などと記する、誤字誤刻印(約5000字)が非常に多く、 信用信ぴょう性が著しく欠ける約100数十年後に編纂され、 明らかに魏志倭人伝を模した(記述内容が、ほぼ同文)、 後漢書などにても卑弥呼が記されているものです。 従って、 かつて、北部九州地域の邪馬壱国の女王である、 卑弥呼は歴史学において、 学術的論証のみにても明らかに確実に実在した人物であるという事ですね。

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現存では魏志倭人伝の複写のみです。 「新羅本紀」にも一応は記録されていますが、10世紀か13世紀に書かれており、魏志倭人伝または消失した魏略の引用と思われ信憑性は低いです。 日本書紀神功皇后39年以降に魏志引用で挿入されていますが女王です。年代は卑弥呼の朝貢と同じか1年違いです。

三国史記新羅本記にも「173年に倭の女王卑弥乎が、使者を遣わして来訪させた」という記載がある。

確たる証拠には、遠いかもしれませんが! 「日本書紀神功皇后紀」の「46年条、47年条、49年条、50年条、51年条、52年条」は「二周甲(60×2=120年)」を繰り上げなくて、「卑弥呼の事が書いてありますね!」。 「新羅本紀」の「173年条の倭女王、新羅に使節を送る」。これは少し危ないかもですね!

ありません 九州や畿内での議論の段階が続いてますからね