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飛鳥時代とか平安時代に「都を移した」ってありますよね? あれってどうやってるんですか?移す先の土地に建物を建てて都を作るのか、もともと都として機能しそうな街があったところに天皇が移住するだけなのか。 もともと都的なのがあったのなら、それはどういうものだったのか

日本史58閲覧

回答(4件)

日本の場合、後者の「もともと都として機能しそうな街」というのはそう無いんじゃあないですかね? 例えば「平家による福原遷都」がちょっとイメージあるかもしれませんが、それくらい?で、もしかしたら「東京奠都」がそうかもしれませんね。 「都を手ごろな都市に移す」のって、大陸なんかの、いろんな民族や国家がひしめき合っている環境なら、それこそ「外圧に耐えきれず都を移す」とか、もっと極端には「首都を占領され、他に移る」なんてのまである訳です。 でも、日本ではそういうの無いですよね。 各種の理由で遷都するにしても、一応計画的に移る、みたいなことが普通な訳です。

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新たな都市を構築して移す場合と天皇がただ居場所(御座所)を移す場合と様々です。 都というと平安京みたいな都市と思いがちですが、 古代は天皇の宮殿です。 平安京で言えば大内裏または内裏のみ。

藤原京から平城京への日本最初の遷都はなんと建物まで一緒に引っ越しました。 そのために日本最古の寺である法興寺(飛鳥寺)の建物の一部(瓦や柱など)は現在奈良市の元興寺に残っています。

天皇が転々と岐阜あたりまで彷徨ったこともあります。 乱が起こった後都へ戻らず天皇がその時頼ってる豪族の拠点に移したりしてます。 政府の機関や関係する民間人も一緒に行きます。 建物は前の都の建物を解体して持ってきくるみたいです。 あんまりウロウロするのでみんな呆れてついていかなくなったこともあります。