朝倉貞景は40年の生涯で歴代の朝倉氏当主の中では 一、二位を争うほどの短命だったけど 当主を四半世紀ほどに渡り務めていたので 如何に若年時からの当主だったかがうかがえて来るものですか。 貞景は自分の代で 戦国期における朝倉氏に依る名実ともなる越前統一を完遂させたもので それを成しえたのは30歳代半ばころゆえか 若くして亡くなった傑物ともいわれてるけど、 前述のように短命で若年時から当主を務めていたことを思えば 全くもってその通りというものですか。 若くして亡くなった当主といえば そこそこ時代が下った際の当主に相当する人物では 戸沢盛安、伊達輝宗、今川義元、斎藤義龍、織田信秀、三好長慶辺りが挙げられるもので、当主としての実績、力量は短命ながらも何れ劣らずと思えるけど、 朝倉貞景も引けを取らないもの、というところですか。 12閲覧・0