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京都市市内で、応仁の乱で焼け残った建造物はどれくらいあるのですか? 前回のブラタモリで三十三間堂の人が、確か、四つだけと言ってましたが、そうなんですか??

補足

現存するものです

日本史 | 歴史3,763閲覧

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回答(3件)

たしかに、京都市内で応仁の乱で焼失せず、現存する建物は、三十三間堂、大報恩寺(千本釈迦堂)本堂、法観寺五重塔、醍醐寺五重塔の4棟しかありません。 そのように言われれば、応仁の乱がさも京都を完全に焼け野原にしたかのような印象を受けるでしょうが、ここにはすこし欺瞞があります。京都を襲った災禍は応仁の乱だけではないからです。 たとえば東寺は応仁の乱ではほぼ無傷でした。しかし1486年に発生した土一揆で主要堂舎が焼失しました。八坂神社本殿も応仁の乱では無事でしたが、その後の火災で失われました。 鹿苑寺舎利殿(金閣)なんか1950年に放火で焼けるまでは残っていたわけです。

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法観寺五重塔いわゆる八坂の塔は、1440年(永享12年)に再建されて以来のものです。これも応仁の乱を生き残った建造物です。

画像

大報恩寺(千本釈迦堂)の 本堂 が焼けずに残っています。 国宝です