考えない練習
Don't think, Feel! 考えるな、感じろ!
本書の肝は、ブルース・リーが断定している。しかし、これは格闘の書ではない。イライラや不安から逃れ、いかにラクに生きるか、「脳より五感」を高めることで提案する実践書だ。
そのポイントは、「考えること」より「感じること」、しかも能動的に感じとるよう意識を集中させる。目・耳・鼻・舌・身の五感に集中しながら暮らすことで、無駄な不安や空回りする思考を排除し、さらには思考そのもののコントロールを目的とする。なにやら難しげに聞こえるが、心配ない。例は今風だし、方法は今日からできる。
たとえば、煩悩の話はMatrixみたいで面白い。人は常に現在に集中できるワケではなく、過去の後悔や、未来の心配事を、行ったり来たりしている。過去や未来のノイズに囚われていくうち、心のメモリが食い尽くされ、今を生きる実感を処理する余地がなくなってしまう。ノイズのほうが現実感覚に完全に勝利したとき、人は呆けるという。つまり、過去のデータにのみ支配され、新しい現実がまったく認識できなくなるというのだ。
tumblr 経由のブッダの言葉とシンクロする。
過去にとらわれるな
未来を夢見るな
現在の、この瞬間に集中しろ
Do not dwell in the past,
Do not dream of the future,
Concentrate the mind on the present moment.
ではどうしろと?「考える葦」たる人間が考えないようにするのは、困難というより不可能ではないか―――そんな問いに、シンプルに応える、「ひとつひとつの動作に鋭敏に意識を置きなさい」と。つまり、それぞれの動作に対し、触覚・視覚・聴覚・嗅覚・味覚をそば立てるのだ。
さらに、いま自分の心が何をしているのか普段から見張れという。防犯チェックのように、常にセンサーを張り巡らせておき、思い出してチェックするのだ。勝手なことを考え始めていると気づいたら、「考えている」ことより「感じる」ほうに意識を集中させよという。
たとえば、「食べる」ひとつを取ってみてもこんな感じ。まず、食器を持つ際、触った感覚を意識する。食物を口に入れたら、いったん箸をおき、目を閉じて、味覚に集中する。さらに舌の動きに留意する。いま舌がどのような姿勢でいるのか、触覚を感じながら「食べる」というのだ。これが、「考えない食べ方」のレッスンになる。
他にも、「聞く」「見る」「話す」など、一言で示せる動作ほど、多くの感覚の束で成り立っている。それを、一つ一つ感覚をスライドさせながら集中するのだ。その場合、「感覚に能動的になれ」とアドバイスする。つまり、「見えている」ではなく「見る」、「聞こえている」ではなく「聞く」といったように、自分から感覚を対象に向けるよう心がける。
お坊さんだから「食」の例えがせいぜいだが、わたしは「色」で拡張しよう。感覚が鋭敏になり、意識的な動作を心がけるのは、セックスだ。パートナーの高ぶりや興奮状態にあわせて、カラダの動きに自覚的になるから。スローセックス入門で知った、触るか触らないか寸前のパームタッチで、ゆっくり期待させ、じっくりじらして、たっぷり満足させる。キスひとつとってもそう。互いの唾液を味わいながら、蠢く舌や息の通る音、むむむといった蠕動が直に頭ン中に響く。顔の火照りと吸われる痛み、ナッツ系に脂の混ざった香りが直接、脳にクる。
こんなとき、「考える」のは不可能だね。
わたしの煩悩はさておき、「怒りの扱い方」については良い復習になった。怒りがわきあがったとき、それをカッコにくくって見つめろというのだ。つまり、「今わたしは怒っている」ことに自覚的になり、肯定も否定もせずにただ認識しろという。これは、「怒らないこと」で知った怒りのコントロール手法。完全にモノにしていないが、役にたっているぞ。
また、「ありがとう」を強要する宗教本、自己啓発本に釘を刺す。現代日本に蔓延する、「ありがとう病」は心を歪ませるというのだ。思ってもいないのに「ありがとう」を無理に言う
とか、「ありがとう」を唱えていれば幸せになれるとか、やめてしまえと。代わりに、「ありがとう」という言葉を使わずに感謝の意を伝える工夫をせよという。ともすると「ありがとう」を連発しがちなわたしの耳に痛いけど、やってみよう。
仏道はライフハック、良く生きるための原則と事例が詰まっている。苦悩から脱し、(肉霊含めた)自分自身から自由になるために―――考えない練習をしよう。
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コメント
この本、以前本屋で表紙を見て「ジャケ買い」しました。読んだ時はなるほど~、と思い、影響を受けたつもりだったのに、すっかり忘れている今の自分って。この記事で思い出しました。ありがとうございます。また読み返して「考えてしまう自分」を少しでも遠ざけたいのですが、長続きしないのが俗物の悲しいところ。ちなみに勝手ながらTBさせていただきました。
投稿: hachiro86 | 2011.08.28 22:47
>>hachiro86さん
TBあざーっす!
「考えない練習」は、やはり濃密な性交と旨いメシですね。しかも自分でプロデュースするほうが何倍も「考えない」ことになりますね。
味覚や触覚に集中する訓練は、そのまま考えない練習になりますから。
投稿: Dain | 2011.08.28 23:14
初めまして。いつも幅広い本の紹介をありがとうございます。このエントリーをきっかけに『考えない練習』を読みました。自分の心が何をしているのか普段から見張れと言うのが、とても面白かったです。
本書のベースとなる仏教のことを知りたいと、『仏教的生き方入門 チベット人に学ぶ「がんばらずに暮らす知恵」』(長田幸康、ソフトバンク新書、2007年)を読みました。「チベット人は、自ら心をウォッチし心理分析を普段からするよう習慣づけられているようなのだ。」そうです。「そのように習慣付けられて生きると人生がどんな風になるのかが、色々なエピソードを通じて描かれていて面白い本でした。今この瞬間にエネルギーを集中するシンプル&ポジティブ思考」と裏表紙にありました。
投稿: YTR3320 | 2011.10.22 10:08
>>YTR3320さん
コメントありがとうございます。仏教関連の書籍を読むと、いかに自分が仏教的な考えに因っているかと言うことに気づかされます。
「生きてる時間が限られているから、今、ここに集中しなさい」というのが原則でしょう。あとは意識してするかしないかだけの、実践的なテクニックの余地だけしか残されていないような気がしています。
投稿: Dain | 2011.10.22 15:24