沖縄基地問題の解決の道はどこにあるか
沖縄・基地シンポ 志位委員長の発言
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日本共産党の志位和夫委員長が5日、沖縄で開かれた基地問題シンポジウム「いま沖縄の米軍基地問題を考える」でおこなった発言のうち、冒頭部分とまとめの発言の内容を紹介します。
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お集まりのみなさん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。沖縄県内、そして全国各地から集まられたみなさんに、心からのお礼を申し上げます。それから伊波(宜野湾)市長、仲山弁護士、パネリストを引き受けてくださったお二人にも、心からの拍手を送りたいと思います。(大きな拍手)
私は、今日は、「沖縄基地問題の解決の道はどこにあるか」をテーマに、話をさせていただきます。
普天間基地の即時閉鎖・撤去――“政治以前”の“人道問題”
まず、私は、2万1000人が参加して開かれた11・8県民大会で沖縄県民の総意として確認された「世界で最も危険な普天間基地の即時閉鎖・撤去」、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する」という要求を、全面的に支持し、強く連帯してたたかいぬく決意を申し上げるものです。(大きな拍手)
普天間基地の実態は、文字通り「世界で最も危険」というほかないものです。伊波市長が先ほど詳しく説明されましたが、米国の安全基準では、「クリアゾーン」利用禁止区域とされているところに、公共施設・保育所・病院が18カ所、住宅が800戸、約3600人が暮らしているという現状がつづいています。米軍ヘリは、住宅地上空を低空で旋回、タッチ・アンド・ゴーの訓練を連日のように繰り返しています。
2004年8月には、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する大事故が起こりました。ところがそれ以降も、米軍は反省・自粛するどころか、いよいよわが物顔です。沖縄県の統計を調べてみましたら、米軍航空機の事故は、この5年間に212件に達し、それ以前の5年間の144件と比較しても4割以上増えています。このままではいつ何時、市民の尊い命が奪われるかわからない。それを防ぐ方法はただ一つしかありません。普天間基地を即時閉鎖・撤去することであります。(拍手)
これは、人の命を守るかどうかという、いわば“政治以前”の問題であります。私は、まず何をさておいても緊急に解決すべき人命問題であり、“人道問題”だということを強調したいのであります。(拍手)
「県内たらい回し」は破たん――この13年間の事実が証明している
同時に、辺野古への新基地建設と県内「移設」はすでに破たんした路線です。
辺野古につくろうという新基地は、普天間基地の「代替施設」などという、なまやさしいものではありません。
防衛省が明らかにした計画によると、V字型の2本の1800メートルの滑走路をもち、4カ所のヘリ着陸場を持ち、約200メートルの艦船が接岸できる護岸を持ち、燃料桟橋や燃料貯蔵庫を持ち、広大な弾薬搭載エリアを持つ。それは飛行場、ヘリ着陸場、軍港が一体化された最新鋭の巨大な海兵隊基地であります。
老朽化した普天間基地に代わって、日本国民の税金で、最新鋭の巨大基地を手に入れる。サンゴとジュゴンの豊かな美ら海(ちゅらうみ)を壊し、住民生活を危険にさらし、21世紀の未来永劫(えいごう)にわたって海兵隊が居座り続ける。こんな計画を、戦後64年間、基地の重圧に苦しみ続けてこられた沖縄県民がどうして受け入れられるでしょう。
どの世論調査でも、県民の約7割という圧倒的多数が、辺野古への新基地計画であれ、嘉手納基地への「統合」であれ、どこであれ、基地の「県内たらい回し」に断固としてノーと言い続けてきたことは当然至極のことであります。
1996年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意で始まった基地の「県内たらい回し」では、普天間問題、沖縄の基地問題は決して解決しない。この路線は破たんした。このことは13年の間に、県民が、新基地建設のための杭(くい)一本打たせてこなかった、この事実によって証明されているのではないでしょうか。(大きな拍手)
鳩山政権の後退と動揺――その根本にあるものは何か
それではみなさん、どうやって解決の道を開くか。
鳩山首相は、総選挙の最中に行われた党首討論で、普天間基地は「県外、国外」に移設すると明言しました。8月23日の民放テレビの党首討論での発言で、私は隣に座ってましたから、よく覚えております。(笑い)
ところが、ゲーツ米国防長官が来日し、どう喝まがいの強圧的態度で、辺野古への新基地建設を求めると、岡田外務大臣、北沢防衛大臣から、選挙中の公約を覆し、基地の「県内たらい回し」を押しつける発言があいつぎました。
わが党の笠井議員が、衆院予算委員会で、この問題をただしますと、岡田外相は、「『県外』は公約ではない。公約はマニフェストであって、選挙中の発言は公約ではない」という驚くべき発言を行いました。党首がテレビの党首討論で言った発言が「公約でない」とするならば、およそ選挙中の党首討論は意味をなさなくなります。発言を行うたびに、私が、「それは公約ですか」とたしかめなければならなくなります。(笑い)
私は、アメリカから一喝されたら、態度を変え、公約を覆すというのであれば、これまでの自公政権の対米従属外交と何ら変わらないではないか、ということを言わなければなりません。(大きな拍手)
このなかで鳩山首相が動揺を続けています。「年内決着」を「先送り」し、「新しい移設先を探す」といい始めました。しかし、首相は、昨日(4日)の会見で、「辺野古はなくなったのか」と問われると、「辺野古は当然生きている」と答えました。政局的思惑だけで、問題を「先送り」し、「新しい移設先」を探す。こういうやり方で問題の解決ははかれるでしょうか。私は、こういうやり方では問題は解決できないということを、率直に言わなければなりません。
新政権のこうした姿勢の後退や動揺の根本にあるのは何でしょうか。
笠井議員と鳩山首相の予算委員会のやりとりのなかで、こういう印象的なシーンがありました。笠井議員が、「普天間基地はただちに閉鎖・撤去すべきだ」と迫ったのに対し、首相はこう答弁したのです。
「普天間をすぐに閉じる、本来ならばそうしたい。ただ、日米安保、抑止力ということを考えたときに、代替地が見つからない限り、(無条件に)閉じておしまいという話にならない」
私は、ここに新政権の政治姿勢の問題点が集中的に表れていると思います。ここでは二つのことがいわれています。「海兵隊は抑止力として必要だ」ということ、そして「日米安保があるから」ということです。この二つが、新政権の後退と動揺の根本にあります。この二つがはたして道理のある議論か。つぎにそれを検証しなければなりません。
海兵隊は、平和を守る「抑止力」でなく、戦争のための「侵略力」
第一に、「海兵隊は抑止力として必要だ」という議論はどうでしょう。
政府がここで、「抑止力として必要」といっているのは、「日本の平和と安全のために必要」だということです。しかし、いったん、この呪縛(じゅばく)にとらわれてしまうとどうなるでしょう。「必要」なものならば、なくすわけにはいかなくなります。「移設先」、「代替基地」を日本側が提案しなければならないという袋小路に陥ってしまいます。
しかし、海兵隊というのは、どんな意味でも、「日本の平和と安全のため」の軍隊ではありません。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争――米軍の戦争で常に先陣を切って「殴り込み」の任務を与えられてきたのが沖縄の海兵隊です。最近でも2003年3月のイラク戦争開戦時には、沖縄の第3海兵遠征軍や横須賀の空母打撃群など在日米軍約1万人が派兵されました。2004年2月には、沖縄から海兵隊3000人とヘリ二十数機が派兵されました。04年8月には、普天間基地のヘリ部隊など第31海兵遠征隊の約2200人が、強襲揚陸艦エセックスでイラクに派兵され、ファルージャでの民間人の無差別虐殺に参加しました。沖縄の海兵隊は、その手を血まみれにした軍隊なのです。沖縄国際大学に墜落したCH53D輸送ヘリも、イラク派兵のための訓練中でありました。
海兵隊は、「日本の平和と安全のため」の「抑止力」などではありません。沖縄を足場に、世界への「殴り込み」を任務とする「侵略力」こそ、その正体ではありませんか(拍手)。ですから、沖縄にも、日本にも、海兵隊は必要ありません(拍手)。必要のない軍隊ならば、「移設」する必要もありません(「そうだ」の声、拍手)。「移設先」を日本側から提案する道理は、いよいよもってまったくありません。非人道的な無差別殺りく部隊のための基地提供は、きっぱり拒否することこそ、世界平和の貢献だと、私は、信ずるものであります。(大きな拍手)
「米軍再編」の目的は、「負担軽減」でなく、基地強化にある
さらに重大なことは、この間、「米軍再編」として進められてきたことは、「沖縄県民の負担軽減」に目的があるのではなく、「侵略力」としての海兵隊の強化に目的があるということです。2005年10月の「米軍再編」の日米合意(「日米同盟・・未来のための変革と再編」)では、そのことを次のように明記しています。
「世界的な態勢見直しの取組の一環として、米国は、太平洋における兵力構成を強化するためのいくつかの変更を行ってきている。これらの変更には、海兵隊の緊急事態への対応能力の強化や、それらの能力のハワイ、グアム及び沖縄の間での再分配が含まれる」
2006年5月の日米合意「再編実施のための日米ロードマップ」では、「地元の負担を軽減しつつ抑止力を維持する」とされましたが、現実にすすんでいるのは、「地元の負担軽減」でなく、「抑止力の維持」を看板にした、在沖米軍の維持・強化にほかなりません。
「ロードマップ」では、沖縄の海兵隊のうち、8000人をグアムへ移転するとされましたが、日本政府は公式に「1万人の戦闘部隊を沖縄に残す」と言明しています。沖縄にいる海兵隊の実数は1万2000人ですから、現実に減らすのは2000人程度ということになります。幽霊人員の「移転」のために、グアムの米軍基地建設に日本国民の血税を出し、それと一体に辺野古の新基地建設を受け入れる、こんなばかげた話はありません。
普天間基地での米軍機の訓練が、この間も、いよいよひどくなっていることは、さきほども、事実をもって示されました。嘉手納基地でも事態は深刻です。私は、昨日、嘉手納町にうかがい、宮城町長に現状をお聞きしましたが、町長は、「ロードマップ」で「負担軽減」ということが言われたから、少しは良くなるかと期待もしたが、現実は、「負担軽減」どころか、基地強化がどんどんすすめられている、常駐しているF15イーグル戦闘機やKC135空中給油機などだけでなく、FA18ホーネット戦闘攻撃機、AV8Bハリアー攻撃機、F22Aラプター高性能戦闘機などが、他の基地から多数飛来し、沖縄の広大な訓練空域を使って、傍若無人の訓練をやっている。「負担軽減」どころか強化が実態だと、厳しく告発をされていました。
「米軍再編」の名ですすめられているのは、「負担軽減」ではない。基地強化そのものです。海兵隊でいえば、「抑止力」―「侵略力」として、ハワイとグアムと沖縄の海兵隊を、一体的に強化する、ここにいますすめられていることの本質があります。沖縄県民を未来永劫、基地に縛り付けておこうという、この「米軍再編」計画は、断固として拒否しようではありませんか。(大きな拍手)
普天間基地は無条件撤去を――この立場で本腰の対米交渉を求める
私は、鳩山首相に言いたい。新政権が本当に普天間基地の解決をはかろうというのであれば、これまでの旧政権がいい続けた「海兵隊は抑止力として必要」だという立場から決別すべきであります。「移設条件付き」ではなくて、普天間基地は無条件に撤去を――この立場に立つべきであります(大きな拍手)。この立場に立ってこそ、本腰での対米交渉ができます。そういう本腰の対米交渉をやってこそ、基地を動かすことができる。このことを私は、鳩山首相に強く求めるものです。(拍手)
そのためにも沖縄の海兵隊を強化するという日米合意そのものを根本から見直す必要があるということを提起するものです。
安保改定50年の年に、その是非を問う国民的な議論を
第二に、「日米安保があるから」という議論についてはどうでしょうか。
わが党は、沖縄の米軍基地問題の解決のうえでも、日米安保条約を解消することが、その根本的な保障だと考えています。安保条約のもとでは、普天間基地一つ動かすにも日米合意が必要です。しかし、安保条約そのものをなくすのはいたって簡単でありまして、日米合意は必要ないのです。安保条約第10条に基づいて、日本側が廃棄の通告をすれば、1年後には条約は終了します。合意でなく通告でよいのです。安保条約がなくなれば、もちろん米軍基地もきれいさっぱりなくなります。撤退の費用はアメリカ持ちです。そして、日米安保条約に代えて、日米友好条約を結ぶというのが、私たちの提案であります。
この点で琉球新報と毎日新聞が11月に行った沖縄での世論調査で、日米安保条約について「維持すべきだ」と答えた方は、わずか16・7%でした。それに対して「平和友好条約に改めるべきだ」と答えた方が42%、「破棄すべきだ」と答えた方が10・5%、合わせて52・5%が、日米安保条約について抜本的に見直すことを求めている。この結果は、心強い限りであります。
昨日、嘉手納町の宮城町長との話し合いのなかでも、町長は、「来年は安保改定50年。この節目のときに、わが国の安全について、全国民が真剣に議論する必要がある。安保条約の是非に関する新たな議論を国会の中で巻き起こしてほしい」と話されました。私も、いまこそ、そういう議論が必要だと思います。安保条約を「神聖不可侵」のものとしないで、この体制をこのままつづけていいのか、その是非について、おおいに国会でも、国民のなかでも、議論をしていきたい。私たちは、そうした議論のなかで、また平和を守るたたかいのなかで、2010年――安保改定50周年の節目の年を、安保条約解消の世論と運動を大きく広げる年にしていくために力をつくす決意であります。
国民的たたかいで米軍基地を撤去させたフィリピンの経験
同時に、私たちは、沖縄の現状について、「日米安保条約がなくなるまでは仕方がない」という立場に立つものでは、もちろんありません。この異常な現状は、日米安保条約のもとでもただちになくすべきです。安保に対する態度の違い、立場の違いを超えて、団結してなくすべきだと考えます。
現に世界では、米国と軍事同盟や軍事協定を結んでいた国で、堂々と基地を撤去させた例はいくらでもあります。1992年にはフィリピンで、最近ではエクアドルで米軍基地を撤去させています。
私は、今回、改めて調べてみまして、フィリピンの経験は、日本のいまの問題と深くつながる教訓を示していると思いました。1986年、フィリピンで、アキノ政権が、マルコス前大統領の独裁政治を打倒する国民のたたかいのなかから生まれました。米国は、米軍基地を維持するために、国内政治に介入し、独裁政治を支えた。その経験からフィリピンの人々は、米軍基地があるかぎり独立と自由はないことを身にしみて知ることになりました。当時のサロンガ上院議長は、「米軍基地がある限り、われわれの対米関係は健全で正常なものにならない」と語りました。アキノ氏を支えたグループは、発足時の宣言で「外国基地の撤去」を掲げました。
ところが大統領になったアキノ氏は、米政府の圧力のなかで、しだいに基地存続容認に転じていきます。そしてフィリピン国民から「公約違反」だと厳しく批判されました。いま日本で新政権の一部閣僚がたどっているような道です(笑い)。しかし、独裁政権打倒を進めたグループから誕生した上院議員らは勇気をもって国民の意思を貫きました。
フィリピン側が米軍の「段階的撤退」を主張したときに、米国の交渉団長を務めたのがアーミテージ氏です。役者も同じです(笑い)。当時、国防次官補だったアーミテージ氏は、フィリピン側が「撤退」といったことに激怒し、「これでわれわれの関係はおしまいだ」と怒鳴り、会談を決裂させ、アメリカに帰ると脅しにかかりました。
「米軍基地がなければ経済は破たんする」、「外国に攻め込まれる」、上院審議の最中に激しい攻撃がなされました。しかし、上院は基地存続の新条約を否決し、スビック海軍基地とクラーク空軍基地は返還されたのです。
上院の議論のなかでは、「いかなる国においても外国軍が存在することは異常な状態である」、「米国との友好、協力、貿易は望むが、服従は望まない」という堂々たる演説が、議場を圧しました。(大きな拍手)
基地返還の跡地は、フィリピンで大きな雇用を生み出しました。フィリピンが加入するASEAN(東南アジア諸国連合)は、東南アジア友好協力条約(TAC)を、ユーラシア大陸全体に大きく広げ、TACには、ついに米国も加入することになったではありませんか。フィリピンと米国は、外交関係が決裂するどころか、非軍事の協力関係が発展しているではありませんか。私は、新政権は、この先例こそ見習うべきだと考えます。(大きな拍手)
本土と沖縄が連帯して「基地のない沖縄」をめざす一大国民闘争を
みなさん、「海兵隊は抑止力として必要だ」、「日米安保があるから」――この二つの呪縛にとらわれ、米国の顔色をうかがうようでは、沖縄の基地を動かすことはできません。(「そうだ」の声、拍手)
私は、新政権に、こうした姿勢を大本からあらため、沖縄県民の声を代弁し、普天間基地の無条件撤去、「基地のない沖縄」に向けた本腰の対米交渉を行うことを強く求めるものであります。(大きな拍手)
本土と沖縄が連帯して、新政権にこのことを強く迫っていこうではありませんか。
私は、この場で、そのための国民的な一大闘争を起こすことを呼びかけるとともに、その先頭に立ってたたかうことを固く誓って発言といたします。ありがとうございました。(長く続く大きな拍手)
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たたかいの展望に確信をもって――まとめの発言
基地をなくすたたかいの展望について、会場からご質問もあり、議論がかわされました。この点にかかわって、最後に三つの点について発言いたします。
一つは、沖縄県民の声が一つにまとまれば、必ず勝利の道が開かれるということです。
私たちの大先輩でもある瀬長亀次郎さん(元沖縄人民党委員長、元日本共産党副委員長)が残した有名な言葉があります。1950年9月、占領下の沖縄で初めての知事選挙、群島知事選挙がおこなわれたときに、立候補した瀬長さんの演説です。
「このセナガひとりがさけんだならば、50メートルさきまで聞こえます。ここに集まった人びとが声をそろえてさけんだならば全那覇市民にまで聞こえます。沖縄90万人民が声をそろえてさけんだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます」
これは、時代は変わっても、変わらない真実だと思います。沖縄県民のたたかいは、本土復帰を実際にかちとりました。これは、サンフランシスコ条約で沖縄の施政権を放棄してしまった以上、条約上は不可能なことでした。しかし県民ぐるみのたたかいがおこり、本土と連帯したたたかいを発展させるなかで、ついに条約の壁をのりこえて本土復帰を果たしたではありませんか。そうした力を県民のみなさんは持っておられるのです。ぜひ、声を一つにそろえて、「基地のない沖縄」をめざそうではないかということを、心から呼びかけたいと思います。(拍手)
二つ目は、いま問われているのはたんに「沖縄問題」ではない、いわば「日本問題」だということです。いまの沖縄の置かれている状況、普天間基地の問題、嘉手納基地の問題、この異常な実態を、本土のたたかいが、かりに他人事としてしまったら、それは自らの苦難にもつながる、本土にも本当の幸せは訪れないでしょう。本土が沖縄と心を一つにして、沖縄の苦難を自らの問題として、ともにたちあがってこそ、日本国民の明るい前途を開くことができます。
本土でも、横須賀の問題、座間の問題、厚木の問題、横田の問題、岩国の問題など、基地の重圧とたたかい、基地強化に反対する運動が、各地で起こっています。来年は、日米安保改定50周年であります。この年にあたって、本土と沖縄が固く連帯し、「基地のない沖縄」「基地のない日本」をめざす国民的な一大闘争をおこすことを、私は、重ねて、心からよびかけるものであります。(拍手)
三つ目は、これまでも「基地のない沖縄」をめざすたたかいが続いてきましたが、今度のたたかいは、これまでとは違う点があるということです。それは、さきの総選挙で、主権者・国民の審判によって、自公政権が退場に追い込まれたという新しい情勢のもとで、私たちはたたかっているということです。
基地の「県内たらい回し」に、いちばん熱心だった政権が退場しました。これを退場させたのは国民の力であります。県民の力です。そして退場させた力というのは、8月30日という投票日一日だけに終わるものでは、もちろんありません。総選挙の後も、「政治を変えたい」という巨大な力として働き続けているわけです。ですから新政権も、簡単には、「辺野古で落着」とはいかないわけです。新政権には、後退もあり、動揺もあり、大きな制約もある。しかし、「辺野古に新基地をつくる」とはなかなか言えないでいる。そこに追い込んでいるのは、国民の力、県民の力なのです。そういう力関係を主権者・国民が、8月30日につくりだし、そしてその後も巨大な力が働いているもとでの基地闘争という点で、これまでと大きく条件が違うのです。
みなさん、いま攻めているのは、県民の側です。基地固執勢力を追いつめ、孤立させているのは、沖縄県民の側です。ここにぜひ自信を持ってがんばろうではないかということを訴えたいと思います。
いま沖縄が声をそろえて立ち上がり、本土が心を一つにして奮闘するならば、勝利にむけた道は必ず開かれます。私も、ごいっしょに頑張り抜く決意を申し上げ、締めくくりの発言といたします。(大きな拍手)
(出所:日本共産党HP 2009年12月8日(火)「しんぶん赤旗」)
沖縄・基地シンポ 志位委員長の発言
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日本共産党の志位和夫委員長が5日、沖縄で開かれた基地問題シンポジウム「いま沖縄の米軍基地問題を考える」でおこなった発言のうち、冒頭部分とまとめの発言の内容を紹介します。
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お集まりのみなさん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。沖縄県内、そして全国各地から集まられたみなさんに、心からのお礼を申し上げます。それから伊波(宜野湾)市長、仲山弁護士、パネリストを引き受けてくださったお二人にも、心からの拍手を送りたいと思います。(大きな拍手)
私は、今日は、「沖縄基地問題の解決の道はどこにあるか」をテーマに、話をさせていただきます。
普天間基地の即時閉鎖・撤去――“政治以前”の“人道問題”
まず、私は、2万1000人が参加して開かれた11・8県民大会で沖縄県民の総意として確認された「世界で最も危険な普天間基地の即時閉鎖・撤去」、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する」という要求を、全面的に支持し、強く連帯してたたかいぬく決意を申し上げるものです。(大きな拍手)
普天間基地の実態は、文字通り「世界で最も危険」というほかないものです。伊波市長が先ほど詳しく説明されましたが、米国の安全基準では、「クリアゾーン」利用禁止区域とされているところに、公共施設・保育所・病院が18カ所、住宅が800戸、約3600人が暮らしているという現状がつづいています。米軍ヘリは、住宅地上空を低空で旋回、タッチ・アンド・ゴーの訓練を連日のように繰り返しています。
2004年8月には、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する大事故が起こりました。ところがそれ以降も、米軍は反省・自粛するどころか、いよいよわが物顔です。沖縄県の統計を調べてみましたら、米軍航空機の事故は、この5年間に212件に達し、それ以前の5年間の144件と比較しても4割以上増えています。このままではいつ何時、市民の尊い命が奪われるかわからない。それを防ぐ方法はただ一つしかありません。普天間基地を即時閉鎖・撤去することであります。(拍手)
これは、人の命を守るかどうかという、いわば“政治以前”の問題であります。私は、まず何をさておいても緊急に解決すべき人命問題であり、“人道問題”だということを強調したいのであります。(拍手)
「県内たらい回し」は破たん――この13年間の事実が証明している
同時に、辺野古への新基地建設と県内「移設」はすでに破たんした路線です。
辺野古につくろうという新基地は、普天間基地の「代替施設」などという、なまやさしいものではありません。
防衛省が明らかにした計画によると、V字型の2本の1800メートルの滑走路をもち、4カ所のヘリ着陸場を持ち、約200メートルの艦船が接岸できる護岸を持ち、燃料桟橋や燃料貯蔵庫を持ち、広大な弾薬搭載エリアを持つ。それは飛行場、ヘリ着陸場、軍港が一体化された最新鋭の巨大な海兵隊基地であります。
老朽化した普天間基地に代わって、日本国民の税金で、最新鋭の巨大基地を手に入れる。サンゴとジュゴンの豊かな美ら海(ちゅらうみ)を壊し、住民生活を危険にさらし、21世紀の未来永劫(えいごう)にわたって海兵隊が居座り続ける。こんな計画を、戦後64年間、基地の重圧に苦しみ続けてこられた沖縄県民がどうして受け入れられるでしょう。
どの世論調査でも、県民の約7割という圧倒的多数が、辺野古への新基地計画であれ、嘉手納基地への「統合」であれ、どこであれ、基地の「県内たらい回し」に断固としてノーと言い続けてきたことは当然至極のことであります。
1996年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意で始まった基地の「県内たらい回し」では、普天間問題、沖縄の基地問題は決して解決しない。この路線は破たんした。このことは13年の間に、県民が、新基地建設のための杭(くい)一本打たせてこなかった、この事実によって証明されているのではないでしょうか。(大きな拍手)
鳩山政権の後退と動揺――その根本にあるものは何か
それではみなさん、どうやって解決の道を開くか。
鳩山首相は、総選挙の最中に行われた党首討論で、普天間基地は「県外、国外」に移設すると明言しました。8月23日の民放テレビの党首討論での発言で、私は隣に座ってましたから、よく覚えております。(笑い)
ところが、ゲーツ米国防長官が来日し、どう喝まがいの強圧的態度で、辺野古への新基地建設を求めると、岡田外務大臣、北沢防衛大臣から、選挙中の公約を覆し、基地の「県内たらい回し」を押しつける発言があいつぎました。
わが党の笠井議員が、衆院予算委員会で、この問題をただしますと、岡田外相は、「『県外』は公約ではない。公約はマニフェストであって、選挙中の発言は公約ではない」という驚くべき発言を行いました。党首がテレビの党首討論で言った発言が「公約でない」とするならば、およそ選挙中の党首討論は意味をなさなくなります。発言を行うたびに、私が、「それは公約ですか」とたしかめなければならなくなります。(笑い)
私は、アメリカから一喝されたら、態度を変え、公約を覆すというのであれば、これまでの自公政権の対米従属外交と何ら変わらないではないか、ということを言わなければなりません。(大きな拍手)
このなかで鳩山首相が動揺を続けています。「年内決着」を「先送り」し、「新しい移設先を探す」といい始めました。しかし、首相は、昨日(4日)の会見で、「辺野古はなくなったのか」と問われると、「辺野古は当然生きている」と答えました。政局的思惑だけで、問題を「先送り」し、「新しい移設先」を探す。こういうやり方で問題の解決ははかれるでしょうか。私は、こういうやり方では問題は解決できないということを、率直に言わなければなりません。
新政権のこうした姿勢の後退や動揺の根本にあるのは何でしょうか。
笠井議員と鳩山首相の予算委員会のやりとりのなかで、こういう印象的なシーンがありました。笠井議員が、「普天間基地はただちに閉鎖・撤去すべきだ」と迫ったのに対し、首相はこう答弁したのです。
「普天間をすぐに閉じる、本来ならばそうしたい。ただ、日米安保、抑止力ということを考えたときに、代替地が見つからない限り、(無条件に)閉じておしまいという話にならない」
私は、ここに新政権の政治姿勢の問題点が集中的に表れていると思います。ここでは二つのことがいわれています。「海兵隊は抑止力として必要だ」ということ、そして「日米安保があるから」ということです。この二つが、新政権の後退と動揺の根本にあります。この二つがはたして道理のある議論か。つぎにそれを検証しなければなりません。
海兵隊は、平和を守る「抑止力」でなく、戦争のための「侵略力」
第一に、「海兵隊は抑止力として必要だ」という議論はどうでしょう。
政府がここで、「抑止力として必要」といっているのは、「日本の平和と安全のために必要」だということです。しかし、いったん、この呪縛(じゅばく)にとらわれてしまうとどうなるでしょう。「必要」なものならば、なくすわけにはいかなくなります。「移設先」、「代替基地」を日本側が提案しなければならないという袋小路に陥ってしまいます。
しかし、海兵隊というのは、どんな意味でも、「日本の平和と安全のため」の軍隊ではありません。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争――米軍の戦争で常に先陣を切って「殴り込み」の任務を与えられてきたのが沖縄の海兵隊です。最近でも2003年3月のイラク戦争開戦時には、沖縄の第3海兵遠征軍や横須賀の空母打撃群など在日米軍約1万人が派兵されました。2004年2月には、沖縄から海兵隊3000人とヘリ二十数機が派兵されました。04年8月には、普天間基地のヘリ部隊など第31海兵遠征隊の約2200人が、強襲揚陸艦エセックスでイラクに派兵され、ファルージャでの民間人の無差別虐殺に参加しました。沖縄の海兵隊は、その手を血まみれにした軍隊なのです。沖縄国際大学に墜落したCH53D輸送ヘリも、イラク派兵のための訓練中でありました。
海兵隊は、「日本の平和と安全のため」の「抑止力」などではありません。沖縄を足場に、世界への「殴り込み」を任務とする「侵略力」こそ、その正体ではありませんか(拍手)。ですから、沖縄にも、日本にも、海兵隊は必要ありません(拍手)。必要のない軍隊ならば、「移設」する必要もありません(「そうだ」の声、拍手)。「移設先」を日本側から提案する道理は、いよいよもってまったくありません。非人道的な無差別殺りく部隊のための基地提供は、きっぱり拒否することこそ、世界平和の貢献だと、私は、信ずるものであります。(大きな拍手)
「米軍再編」の目的は、「負担軽減」でなく、基地強化にある
さらに重大なことは、この間、「米軍再編」として進められてきたことは、「沖縄県民の負担軽減」に目的があるのではなく、「侵略力」としての海兵隊の強化に目的があるということです。2005年10月の「米軍再編」の日米合意(「日米同盟・・未来のための変革と再編」)では、そのことを次のように明記しています。
「世界的な態勢見直しの取組の一環として、米国は、太平洋における兵力構成を強化するためのいくつかの変更を行ってきている。これらの変更には、海兵隊の緊急事態への対応能力の強化や、それらの能力のハワイ、グアム及び沖縄の間での再分配が含まれる」
2006年5月の日米合意「再編実施のための日米ロードマップ」では、「地元の負担を軽減しつつ抑止力を維持する」とされましたが、現実にすすんでいるのは、「地元の負担軽減」でなく、「抑止力の維持」を看板にした、在沖米軍の維持・強化にほかなりません。
「ロードマップ」では、沖縄の海兵隊のうち、8000人をグアムへ移転するとされましたが、日本政府は公式に「1万人の戦闘部隊を沖縄に残す」と言明しています。沖縄にいる海兵隊の実数は1万2000人ですから、現実に減らすのは2000人程度ということになります。幽霊人員の「移転」のために、グアムの米軍基地建設に日本国民の血税を出し、それと一体に辺野古の新基地建設を受け入れる、こんなばかげた話はありません。
普天間基地での米軍機の訓練が、この間も、いよいよひどくなっていることは、さきほども、事実をもって示されました。嘉手納基地でも事態は深刻です。私は、昨日、嘉手納町にうかがい、宮城町長に現状をお聞きしましたが、町長は、「ロードマップ」で「負担軽減」ということが言われたから、少しは良くなるかと期待もしたが、現実は、「負担軽減」どころか、基地強化がどんどんすすめられている、常駐しているF15イーグル戦闘機やKC135空中給油機などだけでなく、FA18ホーネット戦闘攻撃機、AV8Bハリアー攻撃機、F22Aラプター高性能戦闘機などが、他の基地から多数飛来し、沖縄の広大な訓練空域を使って、傍若無人の訓練をやっている。「負担軽減」どころか強化が実態だと、厳しく告発をされていました。
「米軍再編」の名ですすめられているのは、「負担軽減」ではない。基地強化そのものです。海兵隊でいえば、「抑止力」―「侵略力」として、ハワイとグアムと沖縄の海兵隊を、一体的に強化する、ここにいますすめられていることの本質があります。沖縄県民を未来永劫、基地に縛り付けておこうという、この「米軍再編」計画は、断固として拒否しようではありませんか。(大きな拍手)
普天間基地は無条件撤去を――この立場で本腰の対米交渉を求める
私は、鳩山首相に言いたい。新政権が本当に普天間基地の解決をはかろうというのであれば、これまでの旧政権がいい続けた「海兵隊は抑止力として必要」だという立場から決別すべきであります。「移設条件付き」ではなくて、普天間基地は無条件に撤去を――この立場に立つべきであります(大きな拍手)。この立場に立ってこそ、本腰での対米交渉ができます。そういう本腰の対米交渉をやってこそ、基地を動かすことができる。このことを私は、鳩山首相に強く求めるものです。(拍手)
そのためにも沖縄の海兵隊を強化するという日米合意そのものを根本から見直す必要があるということを提起するものです。
安保改定50年の年に、その是非を問う国民的な議論を
第二に、「日米安保があるから」という議論についてはどうでしょうか。
わが党は、沖縄の米軍基地問題の解決のうえでも、日米安保条約を解消することが、その根本的な保障だと考えています。安保条約のもとでは、普天間基地一つ動かすにも日米合意が必要です。しかし、安保条約そのものをなくすのはいたって簡単でありまして、日米合意は必要ないのです。安保条約第10条に基づいて、日本側が廃棄の通告をすれば、1年後には条約は終了します。合意でなく通告でよいのです。安保条約がなくなれば、もちろん米軍基地もきれいさっぱりなくなります。撤退の費用はアメリカ持ちです。そして、日米安保条約に代えて、日米友好条約を結ぶというのが、私たちの提案であります。
この点で琉球新報と毎日新聞が11月に行った沖縄での世論調査で、日米安保条約について「維持すべきだ」と答えた方は、わずか16・7%でした。それに対して「平和友好条約に改めるべきだ」と答えた方が42%、「破棄すべきだ」と答えた方が10・5%、合わせて52・5%が、日米安保条約について抜本的に見直すことを求めている。この結果は、心強い限りであります。
昨日、嘉手納町の宮城町長との話し合いのなかでも、町長は、「来年は安保改定50年。この節目のときに、わが国の安全について、全国民が真剣に議論する必要がある。安保条約の是非に関する新たな議論を国会の中で巻き起こしてほしい」と話されました。私も、いまこそ、そういう議論が必要だと思います。安保条約を「神聖不可侵」のものとしないで、この体制をこのままつづけていいのか、その是非について、おおいに国会でも、国民のなかでも、議論をしていきたい。私たちは、そうした議論のなかで、また平和を守るたたかいのなかで、2010年――安保改定50周年の節目の年を、安保条約解消の世論と運動を大きく広げる年にしていくために力をつくす決意であります。
国民的たたかいで米軍基地を撤去させたフィリピンの経験
同時に、私たちは、沖縄の現状について、「日米安保条約がなくなるまでは仕方がない」という立場に立つものでは、もちろんありません。この異常な現状は、日米安保条約のもとでもただちになくすべきです。安保に対する態度の違い、立場の違いを超えて、団結してなくすべきだと考えます。
現に世界では、米国と軍事同盟や軍事協定を結んでいた国で、堂々と基地を撤去させた例はいくらでもあります。1992年にはフィリピンで、最近ではエクアドルで米軍基地を撤去させています。
私は、今回、改めて調べてみまして、フィリピンの経験は、日本のいまの問題と深くつながる教訓を示していると思いました。1986年、フィリピンで、アキノ政権が、マルコス前大統領の独裁政治を打倒する国民のたたかいのなかから生まれました。米国は、米軍基地を維持するために、国内政治に介入し、独裁政治を支えた。その経験からフィリピンの人々は、米軍基地があるかぎり独立と自由はないことを身にしみて知ることになりました。当時のサロンガ上院議長は、「米軍基地がある限り、われわれの対米関係は健全で正常なものにならない」と語りました。アキノ氏を支えたグループは、発足時の宣言で「外国基地の撤去」を掲げました。
ところが大統領になったアキノ氏は、米政府の圧力のなかで、しだいに基地存続容認に転じていきます。そしてフィリピン国民から「公約違反」だと厳しく批判されました。いま日本で新政権の一部閣僚がたどっているような道です(笑い)。しかし、独裁政権打倒を進めたグループから誕生した上院議員らは勇気をもって国民の意思を貫きました。
フィリピン側が米軍の「段階的撤退」を主張したときに、米国の交渉団長を務めたのがアーミテージ氏です。役者も同じです(笑い)。当時、国防次官補だったアーミテージ氏は、フィリピン側が「撤退」といったことに激怒し、「これでわれわれの関係はおしまいだ」と怒鳴り、会談を決裂させ、アメリカに帰ると脅しにかかりました。
「米軍基地がなければ経済は破たんする」、「外国に攻め込まれる」、上院審議の最中に激しい攻撃がなされました。しかし、上院は基地存続の新条約を否決し、スビック海軍基地とクラーク空軍基地は返還されたのです。
上院の議論のなかでは、「いかなる国においても外国軍が存在することは異常な状態である」、「米国との友好、協力、貿易は望むが、服従は望まない」という堂々たる演説が、議場を圧しました。(大きな拍手)
基地返還の跡地は、フィリピンで大きな雇用を生み出しました。フィリピンが加入するASEAN(東南アジア諸国連合)は、東南アジア友好協力条約(TAC)を、ユーラシア大陸全体に大きく広げ、TACには、ついに米国も加入することになったではありませんか。フィリピンと米国は、外交関係が決裂するどころか、非軍事の協力関係が発展しているではありませんか。私は、新政権は、この先例こそ見習うべきだと考えます。(大きな拍手)
本土と沖縄が連帯して「基地のない沖縄」をめざす一大国民闘争を
みなさん、「海兵隊は抑止力として必要だ」、「日米安保があるから」――この二つの呪縛にとらわれ、米国の顔色をうかがうようでは、沖縄の基地を動かすことはできません。(「そうだ」の声、拍手)
私は、新政権に、こうした姿勢を大本からあらため、沖縄県民の声を代弁し、普天間基地の無条件撤去、「基地のない沖縄」に向けた本腰の対米交渉を行うことを強く求めるものであります。(大きな拍手)
本土と沖縄が連帯して、新政権にこのことを強く迫っていこうではありませんか。
私は、この場で、そのための国民的な一大闘争を起こすことを呼びかけるとともに、その先頭に立ってたたかうことを固く誓って発言といたします。ありがとうございました。(長く続く大きな拍手)
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たたかいの展望に確信をもって――まとめの発言
基地をなくすたたかいの展望について、会場からご質問もあり、議論がかわされました。この点にかかわって、最後に三つの点について発言いたします。
一つは、沖縄県民の声が一つにまとまれば、必ず勝利の道が開かれるということです。
私たちの大先輩でもある瀬長亀次郎さん(元沖縄人民党委員長、元日本共産党副委員長)が残した有名な言葉があります。1950年9月、占領下の沖縄で初めての知事選挙、群島知事選挙がおこなわれたときに、立候補した瀬長さんの演説です。
「このセナガひとりがさけんだならば、50メートルさきまで聞こえます。ここに集まった人びとが声をそろえてさけんだならば全那覇市民にまで聞こえます。沖縄90万人民が声をそろえてさけんだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます」
これは、時代は変わっても、変わらない真実だと思います。沖縄県民のたたかいは、本土復帰を実際にかちとりました。これは、サンフランシスコ条約で沖縄の施政権を放棄してしまった以上、条約上は不可能なことでした。しかし県民ぐるみのたたかいがおこり、本土と連帯したたたかいを発展させるなかで、ついに条約の壁をのりこえて本土復帰を果たしたではありませんか。そうした力を県民のみなさんは持っておられるのです。ぜひ、声を一つにそろえて、「基地のない沖縄」をめざそうではないかということを、心から呼びかけたいと思います。(拍手)
二つ目は、いま問われているのはたんに「沖縄問題」ではない、いわば「日本問題」だということです。いまの沖縄の置かれている状況、普天間基地の問題、嘉手納基地の問題、この異常な実態を、本土のたたかいが、かりに他人事としてしまったら、それは自らの苦難にもつながる、本土にも本当の幸せは訪れないでしょう。本土が沖縄と心を一つにして、沖縄の苦難を自らの問題として、ともにたちあがってこそ、日本国民の明るい前途を開くことができます。
本土でも、横須賀の問題、座間の問題、厚木の問題、横田の問題、岩国の問題など、基地の重圧とたたかい、基地強化に反対する運動が、各地で起こっています。来年は、日米安保改定50周年であります。この年にあたって、本土と沖縄が固く連帯し、「基地のない沖縄」「基地のない日本」をめざす国民的な一大闘争をおこすことを、私は、重ねて、心からよびかけるものであります。(拍手)
三つ目は、これまでも「基地のない沖縄」をめざすたたかいが続いてきましたが、今度のたたかいは、これまでとは違う点があるということです。それは、さきの総選挙で、主権者・国民の審判によって、自公政権が退場に追い込まれたという新しい情勢のもとで、私たちはたたかっているということです。
基地の「県内たらい回し」に、いちばん熱心だった政権が退場しました。これを退場させたのは国民の力であります。県民の力です。そして退場させた力というのは、8月30日という投票日一日だけに終わるものでは、もちろんありません。総選挙の後も、「政治を変えたい」という巨大な力として働き続けているわけです。ですから新政権も、簡単には、「辺野古で落着」とはいかないわけです。新政権には、後退もあり、動揺もあり、大きな制約もある。しかし、「辺野古に新基地をつくる」とはなかなか言えないでいる。そこに追い込んでいるのは、国民の力、県民の力なのです。そういう力関係を主権者・国民が、8月30日につくりだし、そしてその後も巨大な力が働いているもとでの基地闘争という点で、これまでと大きく条件が違うのです。
みなさん、いま攻めているのは、県民の側です。基地固執勢力を追いつめ、孤立させているのは、沖縄県民の側です。ここにぜひ自信を持ってがんばろうではないかということを訴えたいと思います。
いま沖縄が声をそろえて立ち上がり、本土が心を一つにして奮闘するならば、勝利にむけた道は必ず開かれます。私も、ごいっしょに頑張り抜く決意を申し上げ、締めくくりの発言といたします。(大きな拍手)
(出所:日本共産党HP 2009年12月8日(火)「しんぶん赤旗」)