串を愛する関西人気質のナゾ 串カツ・焼き鳥・団子…
お好み焼きなど「粉もん」も確かに多いが、それ以上に串カツの店が目立つ。関西に引っ越してきた関東出身者はそう感じるらしい。揚げ物は関東でも人気の庶民の味覚だが、串カツよりも豚カツの店の方が多い。肉にパン粉をまぶし、からりと揚げるところまでは同じ。ではなぜカツをわざわざ串に刺すのか。串を愛する関西の食文化の謎に迫った。

まず串カツの聖地、大阪の新世界を訪ねた。のれんをくぐり、早速ひと串。カツの衣はさくさくで、肉や魚のネタはジューシー。ビールとともに食が進む。
人気店「やっこ」2代目主人の今村義二さん(69)は「店の始まりは第2次世界大戦後まもなくで、このあたりは見渡す限りの焼け野原。屋台から始まったのでは」。当初の串は牛肉1種類だけだったらしい。「八重勝」オーナーの元林辰秋さん(78)は「労働者や遊郭で遊んだ人たちが片手にビール、片手に串で食べていた」と振り返る。
気楽さも味のうち
串カツや豚カツのルーツは肉を薄く広げて揚げた西洋料理「カットレット」とされる。なぜ串に刺して食べる文化が関西で広がったのか。
「串に刺せばかしこまらず気軽に食べられ、店も安く提供できる。食べながら飲める点も欲張りな大阪人気質に受けたのでは」。辻調理師専門学校で日本料理を教える杉浦孝王さん(55)はそうみる。
大阪のB級グルメ、ホルモン焼きが広まったのも戦後といわれる。肉が高価な時代、もつを串に刺し、焼いたものが庶民に親しまれた。串に刺すことで食べやすく屋台などで広まったようだ。

関西でもポピュラーな焼き鳥はどうだろう。京都市の伏見稲荷大社で売られた焼き鳥は庶民に大人気だったようだ。五穀豊穣(ほうじょう)の神と信仰された稲荷の参道で、豊作を妨げるスズメを捕獲し焼き鳥にしたという。1923年ごろから参道で営業する食堂「稲福」の3代目、本城忠宏さん(52)に聞くと「参拝客が道ばたで立ち食いしやすいよう一口大に切り、串に刺したのだろう」と答えてくれた。
室町時代に串に刺すようになったとされる団子。この頃生まれたみたらし団子の発祥は、京都・下鴨神社にほど近い「加茂みたらし茶屋」といわれる。参拝を終えて茶屋で一休みする際、簡単に食べられると人気を博したという。
屋台が発祥?
どれも同じように見える串だが、実は奥が深い。焼き鳥で使用する串の長さは15センチ前後が多い。備長炭の上でじっくりあぶるのに適した長さとのこと。串カツでは12、15、18センチと3種類を使い分ける店も。食材の大きさや揚げ方によって長さを変えるのかと思いきや、勘定しやすいという店側の事情らしい。
串カツ、焼き鳥、みたらし団子。共通するのは屋台や茶屋が発祥らしいという点だ。いずれも手軽に食べられる。それが実質主義の関西人の心をつかんだのかもしれない。

目の前で調理する様子を見られるのも魅力だ。関西では食事でもコミュニケーションを大切にする。串を使った料理はそのきっかけとなる。
大阪市平野区で屋台「串かつ・どて焼 武田」を44年間切り盛りしている武田和子さん(73)は「自分の選んだネタが目の前で揚げられる。お客さんはそんなやりとりを楽しんでいるようだ」と話す。
「片手に串、片手にグラスを持ち、ざっくばらんな会話をするのが楽しい」と常連客。串に刺すネタは、おしゃべり好きな関西人の会話を弾ませるネタでもあるのだろう。
(神戸支社 原欣宏)
[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2012年2月15日付]