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墨田区と隅田川、「すみ」の表記なぜ違う? 23区に幻の区名

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今年5月に開業した東京スカイツリーは東京都墨田区にありますが、その近くを流れるのは隅田川です。読み方は同じ「すみだ」なのに「墨田」と「隅田」でなぜか表記が違います。地名の歴史を調べていくと、東京23区の名称決定に影響した、ある漢字表の存在が浮かび上がってきました。

公園、花火大会、学校…「墨田」と「隅田」が混在

墨田区が誕生したのは、東京が35区から22区(後に23区)に移行した1947年3月で、それまであった本所区と向島区が統合されてできました。初めは「隅田区」になる案が有力だったようで、墨田区誕生の1カ月前の東京新聞には同社主催の「新区名投票の結果発表」という記事があり、「隅田区」が1位となっていました。この結果は世論として議決に反映させるため区会に送られましたが、前年の1946年11月に内閣告示された当用漢字表に「隅」の字がなかったことを理由に、「隅田区」は採用されませんでした。

一方、地元で「隅田川」として親しまれていた川は、当時は荒川の支流という位置づけで実は「隅田川」ではありませんでした。歴史的には「墨田川」「角田川」などの表記もいくつか見られましたが、墨田区誕生から20年近くたった1965年の河川法施行により、正式に「隅田川」となったという経緯があります。

その隅田川周辺には現在も「隅田」と「墨田」が混在しています。川沿いにある公園は「隅田公園」、夏の風物詩である花火大会は「隅田川花火大会」。学校では墨田幼稚園、墨田中学校、墨田川高校が、いずれも墨田区内にあります。また、「春のうららの……」で有名な唱歌「花」の歌詞に出てくるのは「隅田川」です。こうした表記の不ぞろいの背景には、65年前の「隅田区」廃案と当用漢字表の存在があったとみていいでしょう。

民主化への意識が漢字制限を助長

ところで、当用漢字表とはいったいどんな漢字表だったのでしょうか。当用漢字表のまえがきには「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で使用する漢字の範囲を示したもの」とあり、国民生活の上で使う漢字を1850字に制限したものでしたが、「固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考える」ともしていました。

新聞では漢字表の趣旨にのっとり原則1850字内で記事を書いていましたが、固有名詞については当用漢字以外の漢字も使っていました。本来なら区名などの固有名詞に漢字制限を適用する必要はなかったわけです。しかし、終戦直後の当時は漢字を分かりやすく使うことが民主化につながるという意識が強く、区名決定に際し当用漢字表による漢字制限が必要以上に行われました。

さらに調べていくと、漢字表が影響した事例が他区にも見つかりました。現在の文京区を決める際には「春日区」という案がありましたが、退けられています。春日を「かすが」と読ませるのは当用漢字の音訓表を先取りする形で却下されたようです。北区の「飛鳥(あすか)区」案も同様の理由で不採用となりました。「春日」「飛鳥」とも地域に根付いた歴史ある名称で、新区名投票でそれぞれ1位と人気を集めましたが、読み方が一般的でないとされ、採用には至りませんでした。港区の案で1位だった「愛宕(あたご)区」も、「宕」が当用漢字表になく、読み方も難しいため、選ばれませんでした。

合併区の名称、住民が納得せず紛糾した例も

人気があった区名候補
現在の区名投票で上位に挙がった名称
中央区中央、江戸、銀座、大江戸、日京
港区愛宕、青山、青葉、飯倉、三田
新宿区戸山、山手、新宿、早稲田、武蔵野
文京区春日、湯島、富士見、音羽、山手
台東区上野、下町、太平、隅田、浅谷
墨田区隅田、墨田、吾妻、隅田川、江東
江東区江東、永代、辰巳、清澄、東
品川区大井、東海、城南、八ツ山、港
大田区東海、六郷、京浜、池上、多摩川
北区飛鳥、飛鳥山、赤羽、京北、城北

1947年にできた新区名の歴史をひもといていくと、当用漢字表の存在だけでなく、合併する各区の住民が納得する名称を決める難しさもあらわになってきました。合併にあたり議会が紛糾した例もあります。

例えば、大森区と蒲田区が合併した大田区。「多摩区」「東海区」「六郷区」「羽田区」「大森区」などが候補に挙がりましたが、双方が納得できる名称がなかなか決まらず、最終的に両者から1字ずつとった「大田」に決まりました。

台東区でもなかなか決着がつかず、区名が決まったのは発足のわずか2週間前。下谷区と浅草区の合併区名案は「上野区」「下町区」「太平区」「浅谷区」などがありました。「上野浅草区」案には浅草区民から強い反発が出たといいます。結局、上野の高台を意味する「台」とその東にある浅草を表す「東」で「台東」に落ち着きました。

また、台東区の候補に「隅田区」、墨田区の候補には「江東区」がありました。隅田川は台東区にも流れていますし、江東区の「江」は隅田川を指し、隅田川の東に位置する墨田区の案としては納得がいきます。墨田、台東、江東の3区で隅田川に関連する名称が候補になったことは、それだけ隅田川が住民に親しまれていたことの表れといえそうです。

「平成の大合併」で平仮名や片仮名も登場

自治体の名称変更で記憶に新しいのは2000年代に入って進んだ「平成の大合併」。常用漢字表の影響はそれほどなかったと思われますが、65年前の東京のように新名称の選定で議論が紛糾した自治体もありました。なかには漢字から離れ、さぬき市(香川県)、南アルプス市(山梨県)のように平仮名や片仮名を使ったところも出てきています。

時は移り新しい地名が浸透する一方で、旧称を懐かしむ人もいることでしょう。古くからの住民と新しい住民とではその地名に対する思い入れに温度差がある場合もあります。自分が現在住み、かつて暮らしていた土地の名前にはどんな歴史があったのか。ゆかりの地に思いをはせながら、そんなことを調べていくと、その土地や地名に対して違った見方ができるようになるかもしれません。

(岩崎雅子)

 ▼当用漢字表 1946年(昭和21年)、現代の国語を書き表すために日常使用する漢字の範囲を1850字で示したもので制限色が強い。後に音訓表(1948年)、字体表(1949年)が示された。東京の新区名を決めたときは音訓表はできていなかったが、読みやすい音訓にするという当時の強い意識が区名選定に影響した。1981年、国語表記の目安とされる常用漢字表(1945字)制定により廃止されたが、1850字はすべて取り入れられた。2010年に改定された常用漢字表は2136字。ちなみに「隅」は1981年の常用漢字表の段階で入れられた。

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