リー・クアンユー元シンガポール首相が死去 91歳
【シンガポール=吉田渉】シンガポールのリー・クアンユー元首相が23日午前3時18分(日本時間同4時18分)、同国内の病院で死去した。91歳だった。1965年のシンガポール独立から25年にわたり首相を務め「建国の父」と呼ばれる。強力な指導力で同国を世界有数の富裕国に引き上げた。経済成長に重きを置く政治哲学を貫き「アジアの時代」を支える精神的支柱の役割を果たした。
リー氏は2月5日に肺炎のため入院して治療を受けていた。国葬は29日に行われる予定。
59年に英連邦自治州の首相に就任した。65年のシンガポール独立後も首相を務め、自治州時代も含めると在任期間は31年間に及ぶ。長男のリー・シェンロン氏も2004年から首相を務める。
67年の東南アジア諸国連合(ASEAN)設立を主導するなど、中国の故鄧小平氏、マレーシアのマハティール元首相と並び、20世紀後半のアジアを代表する指導者として存在感を発揮した。首相退任後も上級相、顧問相として政策決定に隠然たる影響を保った。
他の東南アジア諸国に先駆けて「工業・貿易立国」を掲げ、空港、港湾、工業団地などインフラ整備を進めた。税制優遇などを通じて外資の誘致を進め、東京23区ほどの面積の小国を外国企業が集積するアジア有数のビジネス拠点に育てた。14年の1人当たり国内総生産(GDP)は約5万6千ドルと日本を大きく上回る。
内政では多民族で構成する社会の安定に力を注いだ。与党の事実上の一党支配、言論の制限など強権的手法も用いて統治した。海外から「非民主的」とも批判されたが「小国にとって内政の安定は極めて重要」と反論した。
国際政治・安全保障で目立ったのは「バランス重視」の姿勢だ。日米中それぞれと等距離外交を進め、同国および東南アジアの政治的独立を保った。時には大国に苦言を呈し、アジアを代表する論客として存在感を発揮した。
日本に対しては一貫して強い関心を示した。「日本の生産性に学べ」と企業の技術力に敬意を示す一方で、足場がぶれる日本の政策には警鐘を鳴らした。95年に始まった国際交流会議「アジアの未来」(日本経済新聞社主催)の創設メンバーの一人で、第1回から講師として登壇した。最後の参加となった12年の会議では「貿易の自由化に向けた日中韓による連携は非常に生産的なものだ」と語った。99年1月に日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。