関西の夏の定番飲料「ひやしあめ」 関東になぜない?
誕生の裏に製氷技術
そもそも、ひやしあめはいつ誕生したのだろう。甘味類の歴史に詳しい老舗菓子メーカー、豊下製菓(大阪市)の豊下正良社長を訪ねると「製氷技術が広まった明治以降と推定されます」と話してくれた。

ひやしあめは湯で溶いた水あめにショウガの搾り汁を加えた「あめゆ」を、文字通り冷やしたものだ。あめゆがいつごろから飲まれていたかは不明だが、江戸時代末期に出版された当時のグルメガイド「花の下影」には心斎橋のたもとにあったあめゆ屋台が描かれている。
当時は甘酒と共に、暑気払いの滋養飲料として飲まれていたあめゆが、氷の普及で冷やして飲まれるようになり、ひやしあめに変化。ラムネやミルクセーキなどと並ぶ甘い飲み物として定着した。高度成長期に缶入りのジュースが登場するまでは、身近な清涼飲料水として親しまれてきたという。
関東への販促活動はなし

次に現在の販売動向を知ろうと、缶入りのひやしあめを自動販売機に並べている、日本サンガリアベバレッジカンパニー(大阪市)に向かった。同社の缶入りひやしあめは40年近い歴史を誇るロングセラーで、スーパーなど量販店にも出荷している。今でも月に約1万ケース(1ケースは30本)が売れており人気に陰りは見えない。
同社の横井勝美研究所長によると販売エリアは、東は岐阜の関ケ原、西は広島あたりまで。「関東などへの販促活動はほとんどしたことがない」
しかし、なぜ他地域では知名度が低いのか。

空襲によって姿を消す?
「大正時代までは関東や東海地方でも飲まれていたようですが、太平洋戦争でほとんどの製造業者が姿を消したと聞いています」――。こう切り出すのは、岩井製菓(京都府宇治市)の岩井正和社長。「空襲で廃業が相次いだのでは……」と推測。その一方、空襲被害が軽かった京都や奈良で生産が続けられ、関西中心のひやしあめ文化ができたと考える。

甘味文化の浸透度合いも影響したようだ。かつて都があった畿内では、麦芽由来の水あめやツル植物の汁を煮詰めた甘葛(あまづら)が宮廷内で振る舞われていた。その存在が徐々に庶民に伝わり、柔らかな甘みを好む土壌ができたとされる。
チョコレートや炭酸飲料、ケーキ……。戦後の日本は砂糖をふんだんに使った「強烈な甘み」が席巻した。ショウガが効いた独特の味わいが生き残れたのは関西ならではかもしれない。
創業当時から製法変わらず
60年以上ひやしあめを作ってきた京都マルキ商店(京都市)では水あめに、様々な糖類をブレンドしている。創業当時から製法は変えておらず「中高年世代を中心に"この味や"と喜んでくれはるお客さんが多い」という。
関西の蒸し暑い夏につかの間の涼を提供するひやしあめ。行楽地などでは1杯100~150円程度の気軽な値段で味わえる。近年はかき氷にかけたり、お酒で割ったりと多様な楽しみ方も広がっており、その存在が見直されつつある。
(大阪経済部 山田和馬)
[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2012年9月12日付]