昨年三月、女房が最上町の分水嶺に行きたいというので行ってみようということになりました、だいぶ過去形ではありますが。
途中の月山にはまだこんなに雪が残っていました。
最上町に向かって国道47号線に入ると鳥海山が見えました
山形県南部の置賜人にとっては鳥海山は想像の山でした。置賜では朝日岳、飯豊山、吾妻山、蔵王山は365度贅沢に臨めるし、月山、村山葉山も山形に行けば視野に入りますから、山国王国、置賜の人間には県内の主たる山は九分九厘手中にあると言って間違いないです・・・が、ただ鳥海山を除いては。秀麗峰、出羽富士、東北第二位の高峰(福島県南端にあり東北とは思えないから実質第一位で差し支えない)と、大きすぎるネームバリューの鳥海山だけは大人になってもなかなか出合えない神々しい嫉妬の山でした。そしてようやく内陸側から目にした時は、すそ野が隠れており海坊主のようで異様でした。舟形町からのこのショットはまろやかさがありキリマンジャロのような貫禄が感じられます。
最上町は陸羽東線堺田駅に来ました
やっぱり駅は無人です・・・雲爺が高校生の頃の高畠電鉄はまだ切符切りのおじさんがおりました・・・JRより国鉄の雰囲気だよね、国鉄、南海、阪急、阪神、近鉄、西鉄、すごい鉄道王国だったな、国鉄金田、憎たらしいのもおったしのう。
さらに読売、毎日、中日、東映、大映、大洋、広島と続いてからに、もうすごいの一言。みんな泥にまみれて戦後の日本を牽引してくれたものでした、ありがとうプロ野球 ⚾😃
又付け足しですが、パソコンだとこの鉄道のカットと類似のものを見られる機能があります。写真の右上のマークをクリックしてみましょう。線路があるから鉄オタさんには堪えられない風景がバンバン出てきますよ。見ているだけで日本ならではの風景に巡り会えるんだから安上がりの旅行が出来ます。これもAIのなせる技でしょうね。
堺田駅のそばに分水嶺があります
降った雨が日本海の水となるか、太平洋の水となるかの境目が見られるところは全国的に珍しいのです。
分水嶺は奥羽山脈ながら標高338mと低く平坦な所にあり、最上川、北上川側に注ぐ大河の一滴がまさにここでさよならします。
しかしでんな、超文系雲爺だから思いつくんでしょうが、ここで設問です。水さんはここでどうやって分かれることが出来るんでしょう? 高低差なんてことでなく見た目一つの水がどういうふうにして二つになるねんということ。切れ目あるの?これは哲学も咬んじゃうの?
みたいな
こういう煩悩みたいなのがあるからまだこの世にいても楽しいと思えるんだでべそ🦁
分水嶺の近くに封人の家があります
封人とは国境を守る役人の事。この名称は俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」に由来します。
旧有路家は昭和44年に重要文化財に指定され最上町所有の建造物。江戸期新庄藩上小国郷境田村の庄屋住宅。庄屋役と問屋役を兼ね、街道筋の旅宿ともなり、熱心な馬産家でもあった有路家の歴史的性格が強く反映されています。
元禄2年(1689)5月 芭蕉は2泊3日に渡って封人の家に逗留しその時の印象を
「蚤み虱 馬の尿する 枕もと」の句で表現したと言われています。
【画像は最上町ホームページより】
「大山を登ってはすでに暮れければ封人の家を見つけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す」と おくのほそ道に綴っているとおり、大雨のため二泊三日この家に滞在したと言われています。
最上町は以前は小国という地名で県内では随一の馬産地でした。小国産の牝馬は小国駒と呼ばれ江戸や越前地方にも移出されました。
【画像は最上町ホームページより】
宮城県に入ればまもなく紅葉の名所鳴子峡に入ります。
大谷川が刻んだ深さ100mに及ぶ大峡谷がものの見事に蛇行しています。渓谷一帯が紅葉のパラダイスに変身します。
【画像はグーグルマップより】
鳴子峡
秋たけなわとなれば鳴子峡は東北では名だたる紅葉の季節を迎えます。10月中旬から11月中旬にかけてが見頃です。春から夏にかけては緑が美しいです。メインとなるレストハウス周辺。
【画像はグーグルマップより】
鳴子温泉郷
鳴子温泉は行ってみたいところ。雲爺の若い頃は日本の高度成長期に当たり旅行業界は国内外旅行をどんどん拡大してゆきました。雲爺の知人は外国への飛行機添乗は400回を数えたとのことです、すごいですね。鳴子は仙台の奥座敷の位置にあり、ビッグなホテルが建つ大きな温泉地に発展しました。鳴子の名の由来は火山の大爆発の轟音から鳴郷となったり、義経の生まれたばかりの赤ん坊が初めて泣いたところから鳴子となったという説があります。
【画像はグーグルマップより】
雲爺がもう一つ泊まりたい温泉は福島市飯坂温泉のホテルジュラク(以前は聚楽)だな
昭和40年台の頃 テレビでは 「ジュラックゥよ」😍と外人女性のCMがよく流れたもんでした。バンバン流れるから景気が良かったんだよねあの頃。聚楽は大正時代に東京神田で洋食屋からスタートし、その後徐々に店を増やし今でいう外食産業の一大チェーンの走りとなった企業だそうです。創業者は先見の目を持った優れた方でした。リゾートホテルなどを広げ聚楽は今年創業100年を迎えています。
ところで同じ温泉の銀山温泉は今インバウンドで外国人が殺到してるとのことですね。以前注目されていた旅館の女将のジニーさんは日本文化を愛し古来の礼儀に則った経営を志向しましたが、時代の流行を追う〇〇さんと方針が相いれなかったのでしょうね、結局旅館は倒産したようです。そしてジニーさんは傷心のままに帰国されたと思われます。今となれば彼女は山形県が誇るりっぱな女将になっていたことでしょう。
【画像はグーグルマップより】
鳴子ダムより眺む、半俵山
鳴子から鬼首温泉に向かう途中に、ロッククライミングの殿堂、半俵山が当時と変わらぬ姿で端座していました。ヨーロッパアルプスのアイガー北壁にも似ています。雲爺は昭和40年台の頃と思われますが車に乗って一人で訪れました。あの当時は山岳会に所属していてあちこち山登りをしていました。その流れで怖いもの見たさも手伝い、ロッククライミングの講習会に赴いたのです。高所恐怖症の雲爺ではありましたが、ものは試しとばかり挑戦してみました。垂直登高は誠に爽快でしたが、やはり恐怖の方がそれを上回りました。結局、根性の足らない雲爺でしたので一度だけの試行で名誉の撤退となりました。こういう所で輝く方はスリルを楽しみに変換するまか不思議な天性を持っています。
【画像はグーグルマップより】
帰りしなに立ち寄った七ヶ宿街道沿いの 滑津大滝
山形県、宮城県を車で一周すれば腰は痛むし、眠気はするし老身にぐりぐりきます。そこで車を降りて上から滝を見下ろしました。こりゃ贅沢、まさに王様気分です。
◎記事は最上町、鳴子温泉郷観光協会、両ホームページ、ウィキペディアから参考にさせていただいています。
◎写真のカットがスマホにたまり続けて過重になりつつあります。在庫処分もかねてブログアップしないと追いつけません。したがって古いものが結構出ております。
10月3日
県南囲碁会事務局 平吹