「東京するめクラブ」熊本再訪記事の予告編
ほぼ2ヶ月前の9月6日から9日までの4日間、
「東京するめクラブ」が熊本に集まって
チャリティー・イベントを開催しました。
これはそのご報告(の予告編)です。
クラブと言ってもメンバーは
村上春樹、都築響一、吉本由美のたった3人きりで、
発足したのが2002年。
それぞれふだんはまったく異なる世界に生きているのですが、
何か面白いことをやりたいときにユニットを組もうという仲間です。
名付け親は春樹さんで、その心は
「たいしたもんじゃないですけど、くちゃくちゃ噛んでいるうちに、
なんかそれなりの味が出てくるのでは・・・」
という観点から付けてみたという話。
で、2002年から2004年までの2年間、
3人でちょっと変なところへ行って、ちょっと変なものを見て回る・・・
という旅をしました。
行き先は、名古屋、熱海、ハワイ、江ノ島、サハリン、清里。
つまり、
すごい変なところではなく“ちょっと変なところ”というのがミソなのです。
この旅行記は2年にわたり雑誌『タイトル』に連載されました。
(その後『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』という単行本に)
あれーっ、またまた前置きが長くなりつつありますね。す、すみません!!
でもまだ続けさせてくださいませね。
それでです、2011年、私が東京を去ることになり、
こじんまりと「するめお別れ会」をやってもらいました。
そのとき、機会があったらまた何かやろう、という話が出て、
そうだねえ、なんてお気楽に構えていたら、
なんと去年、まさかの来熊提案が!
なんで熊本に来るかア、と初めは二の足踏んだ私。
けれどよくよく考えてみますれば、
“ちょっと変なところ”は
名古屋には負けるにしても熊本にもいろいろあるなと思い直し、
得意のツアコン魂を発揮して
するめに相応しい場所をあれこれセッティング。
そして6月に集合し、
私が案内、春樹さんが取材、響ちゃんが写真、という役割分担で
熊本近郊(市内〜荒尾〜人吉〜津奈木〜日奈久〜八代〜阿蘇)を
歩き回るという旅をした。
その探訪記は雑誌『クレア』9月号に発表されました。
(後に村上春樹紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』に収録)
長い前置きはやっと終わり、ここからが本番です。
熊本大地震が起きたのはその10ヶ月後のことでした。
一応被災者だった私は自分や周りのことで手一杯頭一杯でしたが、
間を置かずに、春樹さん、響ちゃん、クレアのみなさんの“チーム東京”が
「CREA〈するめ基金〉熊本」を立ち上げてくれた。
すると全国から温かいご支援を得て多くの寄付金が集まりました。
びっくりするほどの金額です。
最近流行ってる言い方で言えば、ありがたいのひと言です。
で、その大切なお金をどう有効的に使うか、の相談のためと、
昨年回った場所がどういう被害を受けているかの確認のため、
再度“チーム東京”のみなさんのご来熊が計画されました。
そしてせっかくだから熊本でもう一度“朗読&トーク”をやって、
〈するめ基金〉に寄与するというチャリティー・イベントが企画されました。
今回はお金を集めるのが目的なので、
昨年橙書店でやったようなこじんまりとした集まりではなく、
たくさんの人にお出でいただく必要があります。
入場料金が安価なので
少なくとも200人以上の方々にはお越しいただきたいわけで、
クレアウェブで全国からのご参加を募りました。
場所は、
地震の前まで演劇、ダンス、講演会などが催されていた
元は醸造所だったという「早川倉庫」を選びました。
明治10年建築という古い建物ですが、
さすがに倉庫だけあって頑丈です。
あの大揺れにも一部を損壊だけでしっかり生き残っているのですから
すごいことです。
イベントは
★村上春樹の自作朗読
★都築響一の九州珍スポット秘話
★するめ3名のスペシャルトーク
という内容。
トーク? かなり人前嫌いになっている私は、
何を話せばいいの?何もないよ、と申し立てたら、
「隣に座っていればいい」とのことなので、
取り敢えずツアコン業務を引き受けたという次第です。
さて初日の9月6日。
昨年同様今年もみなさん(春樹さん、響ちゃん、担当編集者の竹田さん)
空港からウチへ直行なさった。
ワインで再会を祝したあと、
微々たるものでしたがウチの被災状況を見てもらいました。
写真はその途中のキッチンで、
響ちゃん撮影の春樹さんとすみれのツーショットです。
ちょっと緊張気味なすみれ。
ホテルに荷物を置いてまずは新市街玉屋通りの「橙書店/オレンジ」へ。
一応営業していますが古い長屋形式の店舗の被害は大きくて、
壁のあちこちにひび割れが。
私は心配で、口を酸っぱくして「引っ越した方がいい」と
店主のひさこさんに言い続けたものです。
(現在は新店舗に移転したので安心)
店の看板猫しらたまは
地震のあと神経過敏になって家に引っ込んでいましたが、
今日は春樹さんが来ると言うことで特別出勤してくれました。
熊本発の文芸誌「アルテリ」の前で。
7日の二日目は白川に近い北千反畑町の「漱石第六の旧居」に行きました。
夏目漱石は熊本時代6回も引っ越しをしていて、
この個性的な門構えの
庭に大きな芭蕉の樹がある二階建ての木造家屋が
熊本最後の住まいになります。
実は地震直後、
竹田さんが心配して様子を見に来熊されて、
そのとき私もこのお宅を訪ねました。
築120年は経っている家屋だから無事であるはずがないと
恐る恐るの気持ちでお伺いしたわけですが、
家はちゃんと建っていました。
ただし家の中はやはり見るも無惨というか、
あちらこちらで壁が崩れたり瓦が落ちたり歪んだりして、
お見舞いの言葉が止むことはありませんでした。
今度はその日から4ヶ月ほど経っての再訪ですが、
大きな余震が長く続いたせいかさらに被害度は増していて、
壁のひび割れや崩れ方が大きくなっていた。
持ち主のご姉妹も先々の管理は荷が重いとお困りの様子でした。
建物の説明に来て下さった日本文藝家協会の中村青史先生の話に
耳を傾ける春樹さん。
次に熊本城へ行きました。
城内へは一般の人は入れないのですが今回は特別に許可を得て、
熊本城総合事務所の梅田雄介さんに案内していただきました。
天守閣からもっとも離れた城への入口櫨方門の手前にある
備前堀の美しい眺めが好きで、
お城へ行くときは必ずここからスタートしたものです。
これは1年前の景色。
それがこんな具合になっていました。
まるで爆弾を投下されたあとのような破壊のされ方です。
長塀も歪んで見ているだけでくらくらしました。
モノトーンで直線的でダンディーだった宇土櫓でしたが・・・
今やこの惨状・・・悲しい。
天守閣床下の空洞を撮影する都築カメラマン
天守閣の屋根瓦の崩落に次いで話題になったのが、
石垣がほとんど崩れ落ち
たった1本の石垣に支えられている飯田丸五階櫓の様子でした。
その“飯田丸五階櫓の倒壊を防ぐ工事”のための
応急工事として設けられた鉄骨の架台について
梅田さんから説明を受ける春樹さん。
「一本石垣」も涙が出るほどひたむきでいじらしけれど、
ほとんど宙に浮いている櫓を抱え込む架台を作る、という発想をして
それを実現させた人間の力にも感動しました。
滞在三日目の8日。
本日はメインイベント、
午後7時にチャリティー・トークが予定されています。
朝は街を歩きました。
まだあちこちにシャッターを降ろしたままの店舗があります。
一見何でもないようでも“赤紙”が貼られて、
古いビルは内部崩壊が激しいですね。
知っている店舗が何軒も休業に追い込まれました。
本屋さんのシャッターに貼られた励ましのメッセージを読む都築響一氏。
午後6時。イベント会場の開場時間です。
午後1時にはもう並んでいる人がいた、という情報を聞いて、
さすが“ムラカミハルキ”だなあと感心した・・・というか驚きました。
ファンが熱いですね!
会場入口に出された案内ポスターの
するめと3人のイラストおよび書き文字は
発足時から担当してくれた今は亡き安西水丸画伯の作品です。
思えば水丸さんは“4番目のするめ”でした。
熊本の9月はほとんど真夏なのでうちわもお一人様に1つ用意しました。
午後7時。いよいよイベントの開始です。
250に近い人たちにいっせいに注目されて春樹さんの朗読が始まります。
倉庫内の薄暗い空気の中に通りの良い声で
書き手本人によるお話しが紡ぎ出されていくひととき・・・
いやあ、いい感じです。
(あー、わたしトーク出たくない。人前で喋るの苦手。だいたい喋ることがないんだし)
と左半分の私は悶えていますが、
右半分の私は話に引き込まれ、聞き惚れている。
ムラカミハルキの朗読を聞けることなんて、日本ではあまりないですからね。
この夜は2つの短編を2016年バージョンで語ってくれました。
静かなお話しでしたが会場内は熱気むんむん。
次に都築響一「九州珍スポット秘話」トークが始まります。
彼が九州の片隅で見つけた
最高に可笑しく面白く可愛らしい5、6の秘話が
スライドに乗って語られました。
会場のみなさんの99パーセントは
ムラカミハルキの話を聞きにいらしてるわけで、
本当は響ちゃんの持ち時間も春樹さんに当ててもらいたい・・・
と願われているのは
響ちゃんだけでなく誰もがわかっていることでしたが、
あに図らんや、会場は爆笑の渦となり響一話に釘付け状態。
「静」と「動」の個性際だつステージとなった次第です。
最後の3人スペシャルトークは、
“隣に座っているだけでいい”という2人の言葉を信じて
私は極力「はい」「いいえ」だけで耐えました。
するとあっという間に2時間越えておひらきの時間となり、
やれやれです。
人前はほんとに苦手。
一対一なら何時間でも語り明かせるんだけれど。
この熊本再訪の話は春樹さんの手で11月7日発売のクレアに、
“「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告”
というタイトルで掲載されます。
私の目で見た4日間がクレアでは春樹さんの視線で書かれています。
もちろんそちらの方が、
同じ四日間が思慮深く意味深く読み応えあるってことは知れたことで、
ぜひ手に取って読んでくださいという、
これはその予告編であり、
本編では語られない裏話でもあります。
〈するめ基金〉の寄付受付は年末まで続きます。
詳細は http://creabunshun.jp/ をご覧下さい。
集まったお金の使い道は年が明けてから決めることになります。
3人それぞれに支援したいいくつかの場所があるので、
みなで膝をつき合わせ考えたいと思っています。
「東京するめクラブ」が熊本に集まって
チャリティー・イベントを開催しました。
これはそのご報告(の予告編)です。
クラブと言ってもメンバーは
村上春樹、都築響一、吉本由美のたった3人きりで、
発足したのが2002年。
それぞれふだんはまったく異なる世界に生きているのですが、
何か面白いことをやりたいときにユニットを組もうという仲間です。
名付け親は春樹さんで、その心は
「たいしたもんじゃないですけど、くちゃくちゃ噛んでいるうちに、
なんかそれなりの味が出てくるのでは・・・」
という観点から付けてみたという話。
で、2002年から2004年までの2年間、
3人でちょっと変なところへ行って、ちょっと変なものを見て回る・・・
という旅をしました。
行き先は、名古屋、熱海、ハワイ、江ノ島、サハリン、清里。
つまり、
すごい変なところではなく“ちょっと変なところ”というのがミソなのです。
この旅行記は2年にわたり雑誌『タイトル』に連載されました。
(その後『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』という単行本に)
あれーっ、またまた前置きが長くなりつつありますね。す、すみません!!
でもまだ続けさせてくださいませね。
それでです、2011年、私が東京を去ることになり、
こじんまりと「するめお別れ会」をやってもらいました。
そのとき、機会があったらまた何かやろう、という話が出て、
そうだねえ、なんてお気楽に構えていたら、
なんと去年、まさかの来熊提案が!
なんで熊本に来るかア、と初めは二の足踏んだ私。
けれどよくよく考えてみますれば、
“ちょっと変なところ”は
名古屋には負けるにしても熊本にもいろいろあるなと思い直し、
得意のツアコン魂を発揮して
するめに相応しい場所をあれこれセッティング。
そして6月に集合し、
私が案内、春樹さんが取材、響ちゃんが写真、という役割分担で
熊本近郊(市内〜荒尾〜人吉〜津奈木〜日奈久〜八代〜阿蘇)を
歩き回るという旅をした。
その探訪記は雑誌『クレア』9月号に発表されました。
(後に村上春樹紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』に収録)
長い前置きはやっと終わり、ここからが本番です。
熊本大地震が起きたのはその10ヶ月後のことでした。
一応被災者だった私は自分や周りのことで手一杯頭一杯でしたが、
間を置かずに、春樹さん、響ちゃん、クレアのみなさんの“チーム東京”が
「CREA〈するめ基金〉熊本」を立ち上げてくれた。
すると全国から温かいご支援を得て多くの寄付金が集まりました。
びっくりするほどの金額です。
最近流行ってる言い方で言えば、ありがたいのひと言です。
で、その大切なお金をどう有効的に使うか、の相談のためと、
昨年回った場所がどういう被害を受けているかの確認のため、
再度“チーム東京”のみなさんのご来熊が計画されました。
そしてせっかくだから熊本でもう一度“朗読&トーク”をやって、
〈するめ基金〉に寄与するというチャリティー・イベントが企画されました。
今回はお金を集めるのが目的なので、
昨年橙書店でやったようなこじんまりとした集まりではなく、
たくさんの人にお出でいただく必要があります。
入場料金が安価なので
少なくとも200人以上の方々にはお越しいただきたいわけで、
クレアウェブで全国からのご参加を募りました。
場所は、
地震の前まで演劇、ダンス、講演会などが催されていた
元は醸造所だったという「早川倉庫」を選びました。
明治10年建築という古い建物ですが、
さすがに倉庫だけあって頑丈です。
あの大揺れにも一部を損壊だけでしっかり生き残っているのですから
すごいことです。
イベントは
★村上春樹の自作朗読
★都築響一の九州珍スポット秘話
★するめ3名のスペシャルトーク
という内容。
トーク? かなり人前嫌いになっている私は、
何を話せばいいの?何もないよ、と申し立てたら、
「隣に座っていればいい」とのことなので、
取り敢えずツアコン業務を引き受けたという次第です。
さて初日の9月6日。
昨年同様今年もみなさん(春樹さん、響ちゃん、担当編集者の竹田さん)
空港からウチへ直行なさった。
ワインで再会を祝したあと、
微々たるものでしたがウチの被災状況を見てもらいました。
写真はその途中のキッチンで、
響ちゃん撮影の春樹さんとすみれのツーショットです。
ちょっと緊張気味なすみれ。
ホテルに荷物を置いてまずは新市街玉屋通りの「橙書店/オレンジ」へ。
一応営業していますが古い長屋形式の店舗の被害は大きくて、
壁のあちこちにひび割れが。
私は心配で、口を酸っぱくして「引っ越した方がいい」と
店主のひさこさんに言い続けたものです。
(現在は新店舗に移転したので安心)
店の看板猫しらたまは
地震のあと神経過敏になって家に引っ込んでいましたが、
今日は春樹さんが来ると言うことで特別出勤してくれました。
熊本発の文芸誌「アルテリ」の前で。
7日の二日目は白川に近い北千反畑町の「漱石第六の旧居」に行きました。
夏目漱石は熊本時代6回も引っ越しをしていて、
この個性的な門構えの
庭に大きな芭蕉の樹がある二階建ての木造家屋が
熊本最後の住まいになります。
実は地震直後、
竹田さんが心配して様子を見に来熊されて、
そのとき私もこのお宅を訪ねました。
築120年は経っている家屋だから無事であるはずがないと
恐る恐るの気持ちでお伺いしたわけですが、
家はちゃんと建っていました。
ただし家の中はやはり見るも無惨というか、
あちらこちらで壁が崩れたり瓦が落ちたり歪んだりして、
お見舞いの言葉が止むことはありませんでした。
今度はその日から4ヶ月ほど経っての再訪ですが、
大きな余震が長く続いたせいかさらに被害度は増していて、
壁のひび割れや崩れ方が大きくなっていた。
持ち主のご姉妹も先々の管理は荷が重いとお困りの様子でした。
建物の説明に来て下さった日本文藝家協会の中村青史先生の話に
耳を傾ける春樹さん。
次に熊本城へ行きました。
城内へは一般の人は入れないのですが今回は特別に許可を得て、
熊本城総合事務所の梅田雄介さんに案内していただきました。
天守閣からもっとも離れた城への入口櫨方門の手前にある
備前堀の美しい眺めが好きで、
お城へ行くときは必ずここからスタートしたものです。
これは1年前の景色。
それがこんな具合になっていました。
まるで爆弾を投下されたあとのような破壊のされ方です。
長塀も歪んで見ているだけでくらくらしました。
モノトーンで直線的でダンディーだった宇土櫓でしたが・・・
今やこの惨状・・・悲しい。
天守閣床下の空洞を撮影する都築カメラマン
天守閣の屋根瓦の崩落に次いで話題になったのが、
石垣がほとんど崩れ落ち
たった1本の石垣に支えられている飯田丸五階櫓の様子でした。
その“飯田丸五階櫓の倒壊を防ぐ工事”のための
応急工事として設けられた鉄骨の架台について
梅田さんから説明を受ける春樹さん。
「一本石垣」も涙が出るほどひたむきでいじらしけれど、
ほとんど宙に浮いている櫓を抱え込む架台を作る、という発想をして
それを実現させた人間の力にも感動しました。
滞在三日目の8日。
本日はメインイベント、
午後7時にチャリティー・トークが予定されています。
朝は街を歩きました。
まだあちこちにシャッターを降ろしたままの店舗があります。
一見何でもないようでも“赤紙”が貼られて、
古いビルは内部崩壊が激しいですね。
知っている店舗が何軒も休業に追い込まれました。
本屋さんのシャッターに貼られた励ましのメッセージを読む都築響一氏。
午後6時。イベント会場の開場時間です。
午後1時にはもう並んでいる人がいた、という情報を聞いて、
さすが“ムラカミハルキ”だなあと感心した・・・というか驚きました。
ファンが熱いですね!
会場入口に出された案内ポスターの
するめと3人のイラストおよび書き文字は
発足時から担当してくれた今は亡き安西水丸画伯の作品です。
思えば水丸さんは“4番目のするめ”でした。
熊本の9月はほとんど真夏なのでうちわもお一人様に1つ用意しました。
午後7時。いよいよイベントの開始です。
250に近い人たちにいっせいに注目されて春樹さんの朗読が始まります。
倉庫内の薄暗い空気の中に通りの良い声で
書き手本人によるお話しが紡ぎ出されていくひととき・・・
いやあ、いい感じです。
(あー、わたしトーク出たくない。人前で喋るの苦手。だいたい喋ることがないんだし)
と左半分の私は悶えていますが、
右半分の私は話に引き込まれ、聞き惚れている。
ムラカミハルキの朗読を聞けることなんて、日本ではあまりないですからね。
この夜は2つの短編を2016年バージョンで語ってくれました。
静かなお話しでしたが会場内は熱気むんむん。
次に都築響一「九州珍スポット秘話」トークが始まります。
彼が九州の片隅で見つけた
最高に可笑しく面白く可愛らしい5、6の秘話が
スライドに乗って語られました。
会場のみなさんの99パーセントは
ムラカミハルキの話を聞きにいらしてるわけで、
本当は響ちゃんの持ち時間も春樹さんに当ててもらいたい・・・
と願われているのは
響ちゃんだけでなく誰もがわかっていることでしたが、
あに図らんや、会場は爆笑の渦となり響一話に釘付け状態。
「静」と「動」の個性際だつステージとなった次第です。
最後の3人スペシャルトークは、
“隣に座っているだけでいい”という2人の言葉を信じて
私は極力「はい」「いいえ」だけで耐えました。
するとあっという間に2時間越えておひらきの時間となり、
やれやれです。
人前はほんとに苦手。
一対一なら何時間でも語り明かせるんだけれど。
この熊本再訪の話は春樹さんの手で11月7日発売のクレアに、
“「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告”
というタイトルで掲載されます。
私の目で見た4日間がクレアでは春樹さんの視線で書かれています。
もちろんそちらの方が、
同じ四日間が思慮深く意味深く読み応えあるってことは知れたことで、
ぜひ手に取って読んでくださいという、
これはその予告編であり、
本編では語られない裏話でもあります。
〈するめ基金〉の寄付受付は年末まで続きます。
詳細は http://creabunshun.jp/ をご覧下さい。
集まったお金の使い道は年が明けてから決めることになります。
3人それぞれに支援したいいくつかの場所があるので、
みなで膝をつき合わせ考えたいと思っています。
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| | 2016/12/07 14:00 | |