5月の県劇、スペシャルな夜
ウチから歩いて5、6分のところに熊本県立劇場があります。
今のところ県内で最も立派な劇場だから
普通は街中の交通の便のいい区画にあって然りなのですが、
何故だか街はずれの静かな住宅地の
緑に埋もれた広い敷地の中に、
森雅之を思わせる“寡黙なおじさま”といった風情で建っています。
そこで先だっての5月22日、
佐渡裕さんが指揮棒を振りました。
待ちに待った夜でしたので前の夜たくさん眠って、
元気を蓄え、
満を持して出かけました。
この劇場で私はこれまでに
ボリショイ・バレエやウィーン・フィルや
プラハ国立劇場オペラなどを観てきました。
まだ両親が元気に家で暮らしていた時代です。
どうしても観たい公演日に合わせて帰省したりしていました。
自分たちの知らぬ間にチケットを取り、
夜になると一人いそいそと出かける娘に、
「帰って来たときくらい親と過ごせばいいものを」と
ぶつぶつ言っていた二人の顔をよく思い出します。
2年前、
もはや住む人の誰もいなくなったその家に戻ってきて、
独り隠居暮らしのようなことをやっています。
この2年の間に、
県劇のコンサートホールで、
ヴァイオリンのギドン・クレーメルや樫本大進、
ベルリン交響楽団、
ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団、
演劇ホールでは
文楽や志の輔落語などを楽しんで来ました。
あまりに家が近いので、
終わったあと余韻を楽しむためにどこかに寄って「軽く一杯」を
やれないことが少々残念ですけれど、
ちょいとお隣さんまで、といった感じで
気軽に舞台芸術に触れられるのは
なかなかラッキーなことではないかと思っています。
それで今年の3月。
自転車に乗ってジムに行く途中、
県劇の公演案内掲示板に
佐渡さんの顔が大きく出ていたのが目に入り、
「わお!」と叫んで急停止したのです。
それは5月22日の
「シエナ・ウインド・オーケストラ演奏会2013」のポスターでした。
なんと、
佐渡裕×シエナ・ウインド・オーケストラ×山下洋輔という豪華な顔合せ。
吹奏楽とジャズがぶつかり合う白熱のライブなわけですね。
これは行かねば、と思いました。
山下さんの超個性的なピアノ演奏は
昨年お城の隣のレストランで開催されたライブで堪能しましたが、
佐渡さんは東京でも機会が無くて初めてです。
まさか熊本に来てくれるとは
思ってもみなかったことなので万歳なのです。
ここで念のため佐渡さんの簡単なプロフィールを記します。
佐渡裕・京都市立芸術大学を卒業後、1987年のタングルウッド音楽祭に参加。
その後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。1989年。ブザン
ソン指揮者コンクールで優勝。1995年、第一回レナード・バーンスタイン・
エルサレム国際指揮者コンクールで優勝。「レナード・バーンスタイン桂冠指
揮者」の称号を授与される。
現在はベルリンを拠点にヨーロッパで活動。国内でも兵庫県立芸術文化センター
芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ主席指揮者、それから「題名のない
音楽祭」(テレビ朝日系)の司会者も務めている。
そしてシエナ・ウインド・オーケストラはというと、
東京・文京区の文京シビックホールを拠点に演奏活動をしている吹奏楽団です。
定期演奏会のほか、全国各地での音楽祭、イベントに参加。
2002年より佐渡裕を主席指揮者に擁し、
国内吹奏楽愛好者の先頭に立つ
フラッグシップオーケストラとして高い人気を得ている・・・
とのことなのです。
実は私はブラスだけのオーケストラを聴くのは初めてで、
ブラスといえばソク行進につながる陳腐な頭の持ち主ゆえ
長い時間を楽しめるか、ちょっと心配でありましたが、
始まってすぐにそんな思いは露と消えました。
気持ちいいですねー、ブラスって!
R.V.ウイリアムズ作曲の「イギリス民謡組曲」、
J.B.チャンス作曲の「朝鮮民謡の主題に変奏曲」、
両方共に
落ち着いた、肝に響く音の重なりの演奏で、
体中の細胞が活性化したようになりました。
圧巻だったのは山下洋輔を迎えてからの後半です。
まずは山下洋輔作曲の
「ピアノ協奏曲第1番即興演奏家の為の《エンカウンター》より 第4楽章」。
若い頃のラジカルでエネルギッシュな即興演奏に比べると、
今や枯淡の味わいというか、
体力低下が逆に研ぎ澄まされた神経と物腰の柔らかさを呼び起こしたような
実にエレガントな山下さんの演奏を、
指揮台の上から佐渡さんが
耳を、身体を、傾けて聴き取り、
ブラスと共に盛り上げていく過程は
とてもとてもスリリングで痺れました。
そのあとがガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」ですからね、
うっとり度合いは言わずもがなのコンコンチキで、
身体をシートに置き去りにして、
魂はアッという間に宙を飛んで遙か彼方のニューヨークへ。
大都会のビルの影絵を彷徨しながら
(ほとんどがウディ・アレンの『マンハッタン』の映像ですが)
ロマンチックの醍醐味に浸るという
夢のひとときを過ごしたのです。
日本の地方の古くてむさ苦しい親の家に住みながらも
ときにはこういう“素敵”を体感できるって、
人生ブラボー!じゃないですか、
と、最大級に盛り上がりました。
その後はもちろん終わることなきスタンディング・オベーション。
山下さんの優雅な恍惚を柔らかに包む佐渡さんの大きな空気が
会場一杯に広がっていました。
私、ひさかたぶりに感動いたしましたね。
終わりなき拍手に送られて山下さんが引いたあと、
アンコールとして始まったのは(楽器を持ってきた)観客たちが
舞台に上がってシエナと共に演奏する「星条旗よ永遠なれ」。
事前に呼びかけがあったらしく、
様々なホーンを持った中・高校生、
ヴァイオリンを持った少年、リコーダーの男の子、
トライアングルを掲げた少女、
カスタネットを持った小さな女の子などが続々と舞台に上がり、
会場が笑いと暖かな気持ちではち切れんばかりに盛り上がったとき、
佐渡さんが言ったのです、
「ここに特別なゲストを迎えました!」と。
皆が何かと思ったら・・・・
登場したのがくまモンでしたから場内大歓声。
どうしてくまモンがここにいるのか、
なんてことは誰も判らないけれど、
とにかく可愛いくまモンが今ここに来て指揮棒持っている。
いつどこに現れるか判らないのがくまモンでしたね。
佐渡さんに「星条旗よ永遠なれ」の指揮を執るように言われ、
困ったような、照れてるような、顔になり、
それでも指揮棒を振り上げて
振り始めたらもう止まらなくて、
佐渡さんに演奏者のほうに向かって指揮するよう幾度注意されても
どうしようもなく受けを狙って観客席を振り向くくまモン。
場内はさらなる歓声の雨嵐。
熱病のようなひとときとなってしまいました。
何ですかねえ・・・このくまモン熱。
最近異常じゃないかと思うことが多くなってきた。
この熱気で
ついさっきの山下さんへの感動が薄らぎそうで冷や冷やしました。
まあ、確かに可愛いことは可愛いんですけどね。
そういうことで、意外な結末となった佐渡さんの夜でしたが、
続きがあります。
舞台がハネたあと、
楽屋まで佐渡さんに会いに行ったのです。
もちろん誰でも楽屋に行けるわけではなく、
私の場合は強力なバッグボーンがあったおかげで
すんなりお会いすることができました。
10年くらい前まで
東京・恵比寿の小さなバー「M」でバーテンダー修業をしていたのですが、
そこの常連客のぎゅうちゃんこと加藤正浩さんが
楽屋行きのお膳立てを取りはからってくれたのです。
彼と佐渡さんとは同じ京都の”ぼん”で、
竹馬の友というのでしょうか、
10歳のときから42年も付き合っている間柄。
幼少の頃は
佐渡さんがフルート、
ぎゅうちゃんはヴァイオリンを習っていたと聞いてます。
そのぼんたちが、
片や世界的指揮者に、
片や(ヴァイオリンは趣味として今も続ける)青年実業家に、
なっているわけでめでたいことです。
で、熊本公演のチケット購入後、
嬉しくて、
ぎゅうちゃん来ているはずと「M」に電話して、
言ったのです。
「ぎゅうちゃん、5月22日、佐渡さんが熊本に来るのよ!私チケット買ったのよ」
「ああ、シエナやね? バカやねえ、
はよ言うてくれたらチケット取ってあげましたがな」
「もう買ったからそれはいいのよ。
佐渡さんが振るのを直に観られるだけで嬉しいんだ」
「ほな、楽屋に行かへん? 佐渡にゆっとくから会おうたらいいよ」
「いや、はずかしい。何しゃべるの?」
「ユミさん、あんた今頃何言うとんの、いい歳して。
サインちょうだいて言うたらよろしいやんか」
ということで、
楽屋に行ってサインをもらうという段取りが
自然と組まれてしまったのでした。
で、当日に話は戻りますが、
楽屋へ行こうとしたら、
その手前にくまモンがいて、スタッフの皆さんと記念撮影中!
生くまモンに会うのは
2年前の山鹿八千代座玉さま公演のとき以来です。
何かしら今日のくまモンは少し小さい気がするのですが、
例のどこ見ているか判りかねる目つきで
こちらに近づいてきました。
で、狭い通路でくまモンに「小さくなったみたい、痩せたの?」
など聞いていると、
楽屋のドアが開いて佐渡さんが顔を出し、
「あれ、くまモンがいる」と驚いた様子。
くまモンすかさず佐渡さんの前に一直線に進んで挨拶。
そしてさっきの「星条旗よ永遠なれ」のとき振ったタクトに
サインをしてもらっています。
良かったね。
私も負けずにご挨拶しました。
佐渡さん、はじめまして。
ヨシモトです。ぎゅうちゃんの・・・。
「ああ、聞いてますよ。『M』にいらしたそうですね。
僕も最近行ってますよ、加藤に連れられて」
今夜の素晴らしい演奏を讃え、来年も来てほしいと言うと、
「実はもうね、決まっていて、来年4月に来ます、
今度はオーケストラで」という返事でした。
「やったー」ですね。
こんな具合に5月のスペシャルな一夜は終わりました。
このまま家に帰るんではさすがに気が済みそうになく、
かといって近所の居酒屋の気分じゃないし(夜はそこ1軒しかやっていない)、
久しぶりなら夜遊びもいいかと
連れを誘って街へ繰り出すことになりました。
今のところ県内で最も立派な劇場だから
普通は街中の交通の便のいい区画にあって然りなのですが、
何故だか街はずれの静かな住宅地の
緑に埋もれた広い敷地の中に、
森雅之を思わせる“寡黙なおじさま”といった風情で建っています。
そこで先だっての5月22日、
佐渡裕さんが指揮棒を振りました。
待ちに待った夜でしたので前の夜たくさん眠って、
元気を蓄え、
満を持して出かけました。
この劇場で私はこれまでに
ボリショイ・バレエやウィーン・フィルや
プラハ国立劇場オペラなどを観てきました。
まだ両親が元気に家で暮らしていた時代です。
どうしても観たい公演日に合わせて帰省したりしていました。
自分たちの知らぬ間にチケットを取り、
夜になると一人いそいそと出かける娘に、
「帰って来たときくらい親と過ごせばいいものを」と
ぶつぶつ言っていた二人の顔をよく思い出します。
2年前、
もはや住む人の誰もいなくなったその家に戻ってきて、
独り隠居暮らしのようなことをやっています。
この2年の間に、
県劇のコンサートホールで、
ヴァイオリンのギドン・クレーメルや樫本大進、
ベルリン交響楽団、
ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団、
演劇ホールでは
文楽や志の輔落語などを楽しんで来ました。
あまりに家が近いので、
終わったあと余韻を楽しむためにどこかに寄って「軽く一杯」を
やれないことが少々残念ですけれど、
ちょいとお隣さんまで、といった感じで
気軽に舞台芸術に触れられるのは
なかなかラッキーなことではないかと思っています。
それで今年の3月。
自転車に乗ってジムに行く途中、
県劇の公演案内掲示板に
佐渡さんの顔が大きく出ていたのが目に入り、
「わお!」と叫んで急停止したのです。
それは5月22日の
「シエナ・ウインド・オーケストラ演奏会2013」のポスターでした。
なんと、
佐渡裕×シエナ・ウインド・オーケストラ×山下洋輔という豪華な顔合せ。
吹奏楽とジャズがぶつかり合う白熱のライブなわけですね。
これは行かねば、と思いました。
山下さんの超個性的なピアノ演奏は
昨年お城の隣のレストランで開催されたライブで堪能しましたが、
佐渡さんは東京でも機会が無くて初めてです。
まさか熊本に来てくれるとは
思ってもみなかったことなので万歳なのです。
ここで念のため佐渡さんの簡単なプロフィールを記します。
佐渡裕・京都市立芸術大学を卒業後、1987年のタングルウッド音楽祭に参加。
その後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。1989年。ブザン
ソン指揮者コンクールで優勝。1995年、第一回レナード・バーンスタイン・
エルサレム国際指揮者コンクールで優勝。「レナード・バーンスタイン桂冠指
揮者」の称号を授与される。
現在はベルリンを拠点にヨーロッパで活動。国内でも兵庫県立芸術文化センター
芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ主席指揮者、それから「題名のない
音楽祭」(テレビ朝日系)の司会者も務めている。
そしてシエナ・ウインド・オーケストラはというと、
東京・文京区の文京シビックホールを拠点に演奏活動をしている吹奏楽団です。
定期演奏会のほか、全国各地での音楽祭、イベントに参加。
2002年より佐渡裕を主席指揮者に擁し、
国内吹奏楽愛好者の先頭に立つ
フラッグシップオーケストラとして高い人気を得ている・・・
とのことなのです。
実は私はブラスだけのオーケストラを聴くのは初めてで、
ブラスといえばソク行進につながる陳腐な頭の持ち主ゆえ
長い時間を楽しめるか、ちょっと心配でありましたが、
始まってすぐにそんな思いは露と消えました。
気持ちいいですねー、ブラスって!
R.V.ウイリアムズ作曲の「イギリス民謡組曲」、
J.B.チャンス作曲の「朝鮮民謡の主題に変奏曲」、
両方共に
落ち着いた、肝に響く音の重なりの演奏で、
体中の細胞が活性化したようになりました。
圧巻だったのは山下洋輔を迎えてからの後半です。
まずは山下洋輔作曲の
「ピアノ協奏曲第1番即興演奏家の為の《エンカウンター》より 第4楽章」。
若い頃のラジカルでエネルギッシュな即興演奏に比べると、
今や枯淡の味わいというか、
体力低下が逆に研ぎ澄まされた神経と物腰の柔らかさを呼び起こしたような
実にエレガントな山下さんの演奏を、
指揮台の上から佐渡さんが
耳を、身体を、傾けて聴き取り、
ブラスと共に盛り上げていく過程は
とてもとてもスリリングで痺れました。
そのあとがガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」ですからね、
うっとり度合いは言わずもがなのコンコンチキで、
身体をシートに置き去りにして、
魂はアッという間に宙を飛んで遙か彼方のニューヨークへ。
大都会のビルの影絵を彷徨しながら
(ほとんどがウディ・アレンの『マンハッタン』の映像ですが)
ロマンチックの醍醐味に浸るという
夢のひとときを過ごしたのです。
日本の地方の古くてむさ苦しい親の家に住みながらも
ときにはこういう“素敵”を体感できるって、
人生ブラボー!じゃないですか、
と、最大級に盛り上がりました。
その後はもちろん終わることなきスタンディング・オベーション。
山下さんの優雅な恍惚を柔らかに包む佐渡さんの大きな空気が
会場一杯に広がっていました。
私、ひさかたぶりに感動いたしましたね。
終わりなき拍手に送られて山下さんが引いたあと、
アンコールとして始まったのは(楽器を持ってきた)観客たちが
舞台に上がってシエナと共に演奏する「星条旗よ永遠なれ」。
事前に呼びかけがあったらしく、
様々なホーンを持った中・高校生、
ヴァイオリンを持った少年、リコーダーの男の子、
トライアングルを掲げた少女、
カスタネットを持った小さな女の子などが続々と舞台に上がり、
会場が笑いと暖かな気持ちではち切れんばかりに盛り上がったとき、
佐渡さんが言ったのです、
「ここに特別なゲストを迎えました!」と。
皆が何かと思ったら・・・・
登場したのがくまモンでしたから場内大歓声。
どうしてくまモンがここにいるのか、
なんてことは誰も判らないけれど、
とにかく可愛いくまモンが今ここに来て指揮棒持っている。
いつどこに現れるか判らないのがくまモンでしたね。
佐渡さんに「星条旗よ永遠なれ」の指揮を執るように言われ、
困ったような、照れてるような、顔になり、
それでも指揮棒を振り上げて
振り始めたらもう止まらなくて、
佐渡さんに演奏者のほうに向かって指揮するよう幾度注意されても
どうしようもなく受けを狙って観客席を振り向くくまモン。
場内はさらなる歓声の雨嵐。
熱病のようなひとときとなってしまいました。
何ですかねえ・・・このくまモン熱。
最近異常じゃないかと思うことが多くなってきた。
この熱気で
ついさっきの山下さんへの感動が薄らぎそうで冷や冷やしました。
まあ、確かに可愛いことは可愛いんですけどね。
そういうことで、意外な結末となった佐渡さんの夜でしたが、
続きがあります。
舞台がハネたあと、
楽屋まで佐渡さんに会いに行ったのです。
もちろん誰でも楽屋に行けるわけではなく、
私の場合は強力なバッグボーンがあったおかげで
すんなりお会いすることができました。
10年くらい前まで
東京・恵比寿の小さなバー「M」でバーテンダー修業をしていたのですが、
そこの常連客のぎゅうちゃんこと加藤正浩さんが
楽屋行きのお膳立てを取りはからってくれたのです。
彼と佐渡さんとは同じ京都の”ぼん”で、
竹馬の友というのでしょうか、
10歳のときから42年も付き合っている間柄。
幼少の頃は
佐渡さんがフルート、
ぎゅうちゃんはヴァイオリンを習っていたと聞いてます。
そのぼんたちが、
片や世界的指揮者に、
片や(ヴァイオリンは趣味として今も続ける)青年実業家に、
なっているわけでめでたいことです。
で、熊本公演のチケット購入後、
嬉しくて、
ぎゅうちゃん来ているはずと「M」に電話して、
言ったのです。
「ぎゅうちゃん、5月22日、佐渡さんが熊本に来るのよ!私チケット買ったのよ」
「ああ、シエナやね? バカやねえ、
はよ言うてくれたらチケット取ってあげましたがな」
「もう買ったからそれはいいのよ。
佐渡さんが振るのを直に観られるだけで嬉しいんだ」
「ほな、楽屋に行かへん? 佐渡にゆっとくから会おうたらいいよ」
「いや、はずかしい。何しゃべるの?」
「ユミさん、あんた今頃何言うとんの、いい歳して。
サインちょうだいて言うたらよろしいやんか」
ということで、
楽屋に行ってサインをもらうという段取りが
自然と組まれてしまったのでした。
で、当日に話は戻りますが、
楽屋へ行こうとしたら、
その手前にくまモンがいて、スタッフの皆さんと記念撮影中!
生くまモンに会うのは
2年前の山鹿八千代座玉さま公演のとき以来です。
何かしら今日のくまモンは少し小さい気がするのですが、
例のどこ見ているか判りかねる目つきで
こちらに近づいてきました。
で、狭い通路でくまモンに「小さくなったみたい、痩せたの?」
など聞いていると、
楽屋のドアが開いて佐渡さんが顔を出し、
「あれ、くまモンがいる」と驚いた様子。
くまモンすかさず佐渡さんの前に一直線に進んで挨拶。
そしてさっきの「星条旗よ永遠なれ」のとき振ったタクトに
サインをしてもらっています。
良かったね。
私も負けずにご挨拶しました。
佐渡さん、はじめまして。
ヨシモトです。ぎゅうちゃんの・・・。
「ああ、聞いてますよ。『M』にいらしたそうですね。
僕も最近行ってますよ、加藤に連れられて」
今夜の素晴らしい演奏を讃え、来年も来てほしいと言うと、
「実はもうね、決まっていて、来年4月に来ます、
今度はオーケストラで」という返事でした。
「やったー」ですね。
こんな具合に5月のスペシャルな一夜は終わりました。
このまま家に帰るんではさすがに気が済みそうになく、
かといって近所の居酒屋の気分じゃないし(夜はそこ1軒しかやっていない)、
久しぶりなら夜遊びもいいかと
連れを誘って街へ繰り出すことになりました。
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