なが田と江津湖と藤岡弘
怠けているうちに2カ月も前の話になってしまい、
ブログとしては完全に機を逸していて
かなりの赤面状態で書いているのですが、
この秋9月22日の宵、
ささやかな珍事に出くわし、
熊本にいるとこういうことでも
“とっても愉快なできごと”なので、
かなりの賞味期限切れではありますけれども
「江津湖に屋形船を浮かべて皆でお月見をする会」
の一夜についてご報告したいと思います。
話の始まりは半年前に遡ります。
まだ青味の残る空に絵に描いたような三日月が浮かぶ
5月の或る宵のことでした。
1年前の『クウネル』60号
“熊本よかとこ・吉本由美のふるさと案内”に登場願った
味噌天神のお食事処「なが田」で、
美味しい料理に舌鼓打ちつつ一杯二杯三杯四杯やっていると、
カウンターの向こうから女将のより子さんが
「まだ言うのは早かけど
今年の月見は9月22日に決めたけんね」と言ったのです。
するとカウンター席に居並ぶ常連さん方がざわめいた。
「22日は何曜日ね?」
「ここの月見だけん、日曜日だろ?」
「その日が満月ね?」
ここで「満月はね、19日の木曜日ってたい」と、より子さん。
「木曜日ならここは休めんじゃなかね」
「だけん22日て言うとらすたい」
「三日後はナントカ月とかいう月ですもんね」
「せっかくなら中秋の名月ば見たかったと」
「日曜ならよかよか」
「ああたは月より酒ですもんね」
などと、禅問答のようなおしゃべりが始まったのです。
(メモっていたわけじゃないので正確ではなく、
熊本弁にも自信ありませんが、
たぶんこんな内容だったと思います)
皆さん楽しそうなので
いつも一緒にお月見をするのかとより子さんに訊ねれば、
春は花見、秋は月見、と、年に2回、
常連さんを誘って遊ぶのが「なが田」恒例の年行事らしく、
秋の月見は毎年9月の満月にいちばん近い日曜日の宵、
江津湖に屋形船を出すとのこと。
今年の十五夜は9月19日木曜日だからお店は営業中。
ゆえに三日後の日曜日、
満月ならぬ居待月のお月見会になる、
ということなのでした。
江津湖・屋形船・皆が集まりお月見会・・・
と聞いては黙っておられぬヨシモトです。
ここ数年、月見と言えば毎年毎年、
部屋の窓から猫と眺める十五夜でした。
なのでたまにはこういうちゃんとした“宴会”に
参加したいと夢みていたのです。
そのチャンスがついに到来したのです!
だいぶ先のことでしたが、
何があっても参加する由より子さんに申し出ました。
「なが田」の常連さんは、
30代の若者もいないことはないのですが
何といってもメインとなるのはおじさま方ですから
平均年齢はかなりお高い。
女性の方も数人いらっしゃいますが
こちらもやはり大人の方々で、
つまり「なが田」の客層は
中高年に占められていると言っても過言ではありません。
伴侶を亡くしたり家族が独立したりで一人暮らしの方も多く、
誰もがより子さんの美味しいごはんを求めて、
親しい会話を求めて、
達者であるかの確認を求めて、
夜な夜な集まっていらっしゃる。
前出のように
店内はいつも和気あいあい、
和みの会話が飛び交っている。
ナニガシさんが数日姿を見せないと病気じゃないかと心配し、
ダレソレ氏が頻繁に来すぎると他に行くとこないのだろうかと気に掛けて、
皆さんとても仲がいい。
実は私、
近頃こういう“ハイレベル”な雰囲気、会話に、
憧れ、しびれているのです。
自分も仲間入りできるまでに
あと少しというところに来ているにしても、
まだまだまだまだ
廊下の端でかしこまっている新参者の三毛猫程度。
そういう私に気を遣って、
より子さん、
お月見の会には
「お友だちも誘って来たら」と言ってくださり、
それでは、と、
私より10年くらい前に東京からUターンし、
風や光を扱った幻想的なインスタレーションを展開されている
現代美術家の田尻幸子さんに声を掛け、
22日の夕刻に
江津湖に隣接の県立図書館ロビーで待ち合わせとなりました。
江津湖に行くのもずいぶん久しぶりのことになります。
なのでこのお月見会は、
梅雨を迎え、夏を送って、
ほんと、
待ち遠しかったのでした。
江津湖は熊本の街中にあります。
市の中心地からトラムに乗って10分ほど。
緑に囲まれた周囲7km程度の小湖です。
小湖とはいえ
一日およそ40万トンもの地下水が湧き出ているという日本有数の湿地で、
野鳥から水草まで、
カワセミから水前寺のりまで、
希少種を含め多種多様な動植物が生息する自然の宝庫。
周りの住宅地には
レストラン、カフェ、スポーツクラブが点在し、
動植物園も隣接して、
散歩する、走る、踊る、水遊びする、
句を詠む、絵を描く、笛を吹く、歌を歌う、
お弁当食べて、デートして、バードウォッチングして、昼寝して、
などなどなどで人が集まり、
昔から市民の憩いの場となっている。
北側の上江津湖と南側の下江津湖の
2つの細長い湖がつながり、
ぜんたいとしてはひょうたんのような形をしています。
東西南北いろんな方角から入れますが、
上江津湖の頭の位置になる県立図書館で待ち合わせた我々は、
その脇から始まる遊歩道を散策しながら南下して
ボートハウスのある上江津湖に入ることにしました。
図書館の建物を出ると
いきなり
鬱蒼と苔むした日本庭園。
図書館の近代的な建物との落差に
びっくりさせられます。
私より10年分熊本事情に詳しい幸子さんによれば、
図書館の敷地の前身は料亭だったとか。
庭をそのまま残す条件で県が買い取り図書館に。
その料亭も
どなた様かの武家屋敷を庭ごと受け継いだということで、
なるほど、
年月を感じるのはそういう事情があったのですね。
苔むした木々の細部に歳月のこびとが宿って
訪れた人を凝視ている・・・
ような妖しく愉しい気配を背に受けながら
飛び石をいくつか踏むと、
庭の先にある遊歩道へ出るようになっていました。
江津湖にはいつも動植物園側から入っていたので、
このルートは初めてです。
遊歩道に沿ってきれいな小川が流れていました。
恐ろしいくらいに澄んでいます。
小川はここより少し北側にある
やはり湧水の庭園“水前寺成趣園”からの流入水だそうで、
透明度抜群なのは当然のことですね。
川の向こう岸にはお屋敷が並んでいました。
中に一つ特別に古いお屋敷がありました。
和洋折衷のこういうお宅、好きだなあ。
室内はどんなだろうかと“覗き心”をそそられます。
滔々と清らかな水が流れる小川。
光の粒がきらきらと川底を満たし、
たくさんの小魚が泳ぎ、
ヒラモでしょうかね、
乙女のような瑞々しさで藻が群生しています。
平成元年には
江津湖の湧水量は毎秒6〜10トンにも達していたらしい。
それが今は・・・。
このような小川を見ていると変わらず豊かに思えてきますが、
水の都である熊本市もここ数年で湧水量が激減し、
市は市民に水資源の危機と保護を訴えるようになりました。
湧水量激減の要因には
気象の変化や都市化の影響もあるとはいえ、
熊本市の水道水は100パーセント地下水であることを思うと、
市民自身の意識改革が最も重要かも知れません。
私も日々節水を心がけて暮らしています!
小川からの青くさい湿り気を帯びた微風をうけて
夕方前のまだ暑い(何せ9月のことゆえ)中を歩いていると、
左側にぱあっとジャングルのような光景が広がりました。
ついさっきのスコールで
雨粒をたっぷり纏った大きな葉っぱが、
しなり、折り重なって、
むせかえるような緑のトンネルを作っています。
いきなりの“熱帯”の気配に、
なんじゃなんじゃと立ち止まると、
トンネル手前に
「縦横にみづのながれや芭蕉林」
という高浜虚子の句碑を発見。
ここが俳句や短歌によく登場する江津湖の芭蕉林なのでした。
漱石にも
「芭蕉ならん思いがけなく戸を打つは」
という芭蕉を詠んだ句があります。
漱石は熊本時代6度も転居していて、
そのうちの1軒は水前寺成趣園の近くだから
この芭蕉林のことは知っていたでしょうね。
それで芭蕉を好きになったのかも。
熊本日々新聞の俳人坪内稔典さんのコラムによると、
“後に住んだ東京の家の書斎前に大きな芭蕉を繁らせた”
そうです。
また、
この句の季語“芭蕉”には松尾芭蕉が掛けられていて、
“戸を打つ音に一瞬芭蕉その人の訪れを感じたのかも知れない”
ともありました。
芭蕉という図体のでかい植物は
私にはバナナによく似た暑苦しい樹でしかないのですが、
俳人の心は
風の強い夜、庭先の物音にこういう連想を重ねて、
就眠前のひとときを楽しんだのかも知れませんね。
芭蕉のトンネルを抜けると
さーっと清々しく視界が広がり、
そこは上江津湖入り口で、
見れば向こう岸の大きな夫婦岩の上に
彫刻と見まごうほど微動だにせず
アオサギが、
じっと佇み魚を狙っている。
彼らサギ族の忍耐強さにはいつも頭が下がります。
この日は
アオサギのほかシラサギ、コサギ、ゴイサギ(ササゴイのほうか?)、
カイツブリ、カモ類、セキレイ、など見かけました。
運が良ければカワセミも見られるらしい。
たくさんの水鳥が生息できるこの環境を
熊本市民は大切に守らなくてはなりません。
少し暑さが薄らいだので
腕時計を見たら午後5時をちょっと回っている。
屋形船は夕刻6時過ぎに
今居るところの対岸にあるボートハウスから出る予定。
船出までの小一時間を上江津湖畔散策にあてました。
いつもは下江津湖にある動物園への行き帰り
足早に通り過ぎるだけだったので、
上江津湖畔をこれほどゆっくり歩くのも初めてのことです
進行方向左手に
江津湖畔に生まれ育った中村汀女の
「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」
という句碑を発見。
江津湖畔には
虚子、漱石、中村汀女、安永蕗子、阿部小壺などの
熊本にゆかりのある俳人、歌人の句碑や歌碑が
14基建っていると聞いてはいましたが、
今までは急ぎ足だったせいか
一つとして気付いたことはありませんでした。
ゆっくり歩いているとこういう碑にも出会うわけですね。
その先にホタル生息地という看板とともに
「上江津湖湧水群」と書かれた碑があり、
湖水の中を細い道が走っています。
誘われるようにその細道へ入ると、
わ、すごい!
透明な湧水の中のあちらこちらに
野生のクレソンがそれこそ山盛りに育っていました。
さぞや苦味の利いた活きのいい味だろうなと喉ゴックン。
ここの水位は低いので
中に入って摘んで行く人も多いそうです。
もしそれが許されていることならば、
私も来春試みようと思いましたね。
クレソン畑と反対側の湧水池の中には
「ゾウさんの滑り台」が一つポツンと沈んでいて、
ちょっとシュールな、
フェリーニの映画のような、
不思議な光景を見せていました。
幸子さんによるとこの池、
夏場子供たちがプールとして遊べるところだそうで、
熊本市の子供なら
「ゾウさんのプール」を知らない者はいないと言います。
今は秋で、子供もいなくなり、
ちょっと寂しげなゾウさんですが。
しばらく歩くと
フェンスに囲まれた謎めいた一角が登場して、
何だろうかと看板読めば
ここが水前寺海苔(正式にはスイゼンジノリとカタカナ表記)の
発生地とありました。
水前寺海苔って
私の子供時代は(50年ほど前)
お味噌汁に入れたり佃煮にしたりして
ごく普通に当たり前に食べていた気がするのですが
(違うかな?違うかも。浅草海苔の間違いかも・・・)、
いつの間にか国指定の天然記念物で、
生育環境の悪化で今や絶滅の危機に瀕し、
佐渡のトキ同様に
こうして保護区をもうけて大切に育てなければならないように
なってしまったんですねえ。
びっくりします。
何においても、
失ってその大切さに気付く人間の愚かな習性が幅を利かせているわけです。
反省しきりに歩を進めました。
湖面に空が映っています。
シラサギ、コサギが食事中です。
芝の庭で横笛のお稽古に出くわしました。
広い空の下で思い切り笛を吹く・・・
気持ちいいでしょうね〜。
小さな楽器だと
こういう具合に気軽に外に連れ出して(持ち出して)練習できるんですね。
チェロの連れ出しはなかなか難しいので羨ましい。
向こうに青く見えるのは金峰山でしょうかしら?
するとその麓の方に
両親とクッちゃん(東京時代愛した黒猫)が眠る墓園があります。
のちのちは自分もそこに眠る予定。
街が小さいとお墓も近くていいですね。
お〜い、お〜い、また行くよぉ、と
胸の中で叫んでみました。
お墓参りは心身ともに和んで好きです。
上江津湖畔一周の散策を終えボートハウスに集合して、
ジャスト6時、
わずかに日の落ちかけてきた湖へ屋形船の船出です。
常連さんとその家族や友人、
合わせて総勢30名ほどの賑やかな声を乗せて
船は静かに進みます。
ゆっくりゆっくり2時間かけて
上江津湖を一周し下江津湖を一周して戻るコース。
しかし何といってもまだまだ空は明るくて、
どんなにゆっくり進んだにしても
我々の船が浮かんでいる間、
月は出てくれるのだろうかと不安になりました。
熊本は日の暮れるのが遅いのです。
確実に東京より1時間は遅い。
夏場は8時過ぎてもまだ明るい。
しかも居待月は三日前の十五夜よりも
出るのが遅いと聞いています。
月見の宴会は始まりましたが
肝心のお月さんの姿が見えない。
月はどこ? どっちに上る? と、
上江津湖の半ばほどに来て
船頭さんを問い詰めないではいられない我々でしたが、
そのとき反対方向から
何ともう船着き場に戻ろうかという屋形船が一隻現れ、
あれは何だと気になります。
見たところ人数少なく月見の船ではない様子。
その少ない乗客が窓から顔を出し
幾人かこちらに手を振っている。
JR九州のSL人吉号に乗ったときも
熊本市内を走るビアガー電に乗ったときもそうでしたが、
特別な乗り物に乗ると何故か周囲に手を振りたくなるんですよね。
「見て、見て、こっちを見てちょうだい」という
自己顕示欲が強くなるのでしょうか。
向こうの乗客たちの、
お〜い、お〜いと
今やちぎれんばかりになった手の振りに、
どうしたものかと苦笑いしながら
こっちも皆で振り返しました。
窓の中程で手を振る男性、
顔の大きさや眉毛の濃さから
何だか藤岡弘みたいねと笑っていると・・・
近づくにつれ“何だか”どころか、
それこそ藤岡弘ご本人じゃなかろーか、
いや、なかろーかどころか、
これは完璧にご本人ということが確認され、
なんで“スター藤岡弘”がこんなところで船に乗っているのか?
なんて疑問もあったものの、
藤岡弘と判った途端、
こちらもわーいわーいと手を振り返す始末。
船首に立つ人がカメラを抱えているので
は〜ん、何かの撮影でしょうか。
「旅番組とか何とかじゃなかね?」とより子さんも大笑い。
今夜は着物姿ではなく洋装ですが、
あいかわらずお綺麗でした。
月の出を待って船は上江津湖から下江津湖へ進み、
下江津湖も一周したとなれば上江津湖へ戻り、
気が付けば船外は
汀も湖面も判別付かないほど漆黒の闇となっていました。
結局月はどこにも見えずに午後8時、おひらきを迎える。
船は静かに船着き場に到着。
月は見えなかったけれど藤岡弘は見えたねえ、
月はいつでも見られるけれど、
ナマ藤岡弘はそう見られないからまあいいか、
なんて言いながら、
皆にこやかに船を下りました。
(こうして写真で見ると、
なんだ!ずーっと後方に
だいぶ下とはいえ月が出ているじゃないですか!)
ボートハウスで皆さんと解散して、
江津湖から離れ
トラムの走る通りに出て、
近くのどこかでもう一杯やろうと
幸子さんとふらふら歩いていると、
あら、ビルの上にお月さん。
やはり6時の船出は早かったか。
しかし8時を過ぎると
江津湖自体が真っ暗になってしまうから、
早めの船出もしかたないかも。
でも、まあ、です、
ビルの上の遅出の月もそりゃもうきれいで、
9月22日のこの夜は
私の平凡なる日常のちょびっと刺激的な一夜となり候。
後日談・より子さん曰く
「この前ね、テレビの旅グルメ番組に江津湖の藤岡弘が出とったよ」。
ブログとしては完全に機を逸していて
かなりの赤面状態で書いているのですが、
この秋9月22日の宵、
ささやかな珍事に出くわし、
熊本にいるとこういうことでも
“とっても愉快なできごと”なので、
かなりの賞味期限切れではありますけれども
「江津湖に屋形船を浮かべて皆でお月見をする会」
の一夜についてご報告したいと思います。
話の始まりは半年前に遡ります。
まだ青味の残る空に絵に描いたような三日月が浮かぶ
5月の或る宵のことでした。
1年前の『クウネル』60号
“熊本よかとこ・吉本由美のふるさと案内”に登場願った
味噌天神のお食事処「なが田」で、
美味しい料理に舌鼓打ちつつ一杯二杯三杯四杯やっていると、
カウンターの向こうから女将のより子さんが
「まだ言うのは早かけど
今年の月見は9月22日に決めたけんね」と言ったのです。
するとカウンター席に居並ぶ常連さん方がざわめいた。
「22日は何曜日ね?」
「ここの月見だけん、日曜日だろ?」
「その日が満月ね?」
ここで「満月はね、19日の木曜日ってたい」と、より子さん。
「木曜日ならここは休めんじゃなかね」
「だけん22日て言うとらすたい」
「三日後はナントカ月とかいう月ですもんね」
「せっかくなら中秋の名月ば見たかったと」
「日曜ならよかよか」
「ああたは月より酒ですもんね」
などと、禅問答のようなおしゃべりが始まったのです。
(メモっていたわけじゃないので正確ではなく、
熊本弁にも自信ありませんが、
たぶんこんな内容だったと思います)
皆さん楽しそうなので
いつも一緒にお月見をするのかとより子さんに訊ねれば、
春は花見、秋は月見、と、年に2回、
常連さんを誘って遊ぶのが「なが田」恒例の年行事らしく、
秋の月見は毎年9月の満月にいちばん近い日曜日の宵、
江津湖に屋形船を出すとのこと。
今年の十五夜は9月19日木曜日だからお店は営業中。
ゆえに三日後の日曜日、
満月ならぬ居待月のお月見会になる、
ということなのでした。
江津湖・屋形船・皆が集まりお月見会・・・
と聞いては黙っておられぬヨシモトです。
ここ数年、月見と言えば毎年毎年、
部屋の窓から猫と眺める十五夜でした。
なのでたまにはこういうちゃんとした“宴会”に
参加したいと夢みていたのです。
そのチャンスがついに到来したのです!
だいぶ先のことでしたが、
何があっても参加する由より子さんに申し出ました。
「なが田」の常連さんは、
30代の若者もいないことはないのですが
何といってもメインとなるのはおじさま方ですから
平均年齢はかなりお高い。
女性の方も数人いらっしゃいますが
こちらもやはり大人の方々で、
つまり「なが田」の客層は
中高年に占められていると言っても過言ではありません。
伴侶を亡くしたり家族が独立したりで一人暮らしの方も多く、
誰もがより子さんの美味しいごはんを求めて、
親しい会話を求めて、
達者であるかの確認を求めて、
夜な夜な集まっていらっしゃる。
前出のように
店内はいつも和気あいあい、
和みの会話が飛び交っている。
ナニガシさんが数日姿を見せないと病気じゃないかと心配し、
ダレソレ氏が頻繁に来すぎると他に行くとこないのだろうかと気に掛けて、
皆さんとても仲がいい。
実は私、
近頃こういう“ハイレベル”な雰囲気、会話に、
憧れ、しびれているのです。
自分も仲間入りできるまでに
あと少しというところに来ているにしても、
まだまだまだまだ
廊下の端でかしこまっている新参者の三毛猫程度。
そういう私に気を遣って、
より子さん、
お月見の会には
「お友だちも誘って来たら」と言ってくださり、
それでは、と、
私より10年くらい前に東京からUターンし、
風や光を扱った幻想的なインスタレーションを展開されている
現代美術家の田尻幸子さんに声を掛け、
22日の夕刻に
江津湖に隣接の県立図書館ロビーで待ち合わせとなりました。
江津湖に行くのもずいぶん久しぶりのことになります。
なのでこのお月見会は、
梅雨を迎え、夏を送って、
ほんと、
待ち遠しかったのでした。
江津湖は熊本の街中にあります。
市の中心地からトラムに乗って10分ほど。
緑に囲まれた周囲7km程度の小湖です。
小湖とはいえ
一日およそ40万トンもの地下水が湧き出ているという日本有数の湿地で、
野鳥から水草まで、
カワセミから水前寺のりまで、
希少種を含め多種多様な動植物が生息する自然の宝庫。
周りの住宅地には
レストラン、カフェ、スポーツクラブが点在し、
動植物園も隣接して、
散歩する、走る、踊る、水遊びする、
句を詠む、絵を描く、笛を吹く、歌を歌う、
お弁当食べて、デートして、バードウォッチングして、昼寝して、
などなどなどで人が集まり、
昔から市民の憩いの場となっている。
北側の上江津湖と南側の下江津湖の
2つの細長い湖がつながり、
ぜんたいとしてはひょうたんのような形をしています。
東西南北いろんな方角から入れますが、
上江津湖の頭の位置になる県立図書館で待ち合わせた我々は、
その脇から始まる遊歩道を散策しながら南下して
ボートハウスのある上江津湖に入ることにしました。
図書館の建物を出ると
いきなり
鬱蒼と苔むした日本庭園。
図書館の近代的な建物との落差に
びっくりさせられます。
私より10年分熊本事情に詳しい幸子さんによれば、
図書館の敷地の前身は料亭だったとか。
庭をそのまま残す条件で県が買い取り図書館に。
その料亭も
どなた様かの武家屋敷を庭ごと受け継いだということで、
なるほど、
年月を感じるのはそういう事情があったのですね。
苔むした木々の細部に歳月のこびとが宿って
訪れた人を凝視ている・・・
ような妖しく愉しい気配を背に受けながら
飛び石をいくつか踏むと、
庭の先にある遊歩道へ出るようになっていました。
江津湖にはいつも動植物園側から入っていたので、
このルートは初めてです。
遊歩道に沿ってきれいな小川が流れていました。
恐ろしいくらいに澄んでいます。
小川はここより少し北側にある
やはり湧水の庭園“水前寺成趣園”からの流入水だそうで、
透明度抜群なのは当然のことですね。
川の向こう岸にはお屋敷が並んでいました。
中に一つ特別に古いお屋敷がありました。
和洋折衷のこういうお宅、好きだなあ。
室内はどんなだろうかと“覗き心”をそそられます。
滔々と清らかな水が流れる小川。
光の粒がきらきらと川底を満たし、
たくさんの小魚が泳ぎ、
ヒラモでしょうかね、
乙女のような瑞々しさで藻が群生しています。
平成元年には
江津湖の湧水量は毎秒6〜10トンにも達していたらしい。
それが今は・・・。
このような小川を見ていると変わらず豊かに思えてきますが、
水の都である熊本市もここ数年で湧水量が激減し、
市は市民に水資源の危機と保護を訴えるようになりました。
湧水量激減の要因には
気象の変化や都市化の影響もあるとはいえ、
熊本市の水道水は100パーセント地下水であることを思うと、
市民自身の意識改革が最も重要かも知れません。
私も日々節水を心がけて暮らしています!
小川からの青くさい湿り気を帯びた微風をうけて
夕方前のまだ暑い(何せ9月のことゆえ)中を歩いていると、
左側にぱあっとジャングルのような光景が広がりました。
ついさっきのスコールで
雨粒をたっぷり纏った大きな葉っぱが、
しなり、折り重なって、
むせかえるような緑のトンネルを作っています。
いきなりの“熱帯”の気配に、
なんじゃなんじゃと立ち止まると、
トンネル手前に
「縦横にみづのながれや芭蕉林」
という高浜虚子の句碑を発見。
ここが俳句や短歌によく登場する江津湖の芭蕉林なのでした。
漱石にも
「芭蕉ならん思いがけなく戸を打つは」
という芭蕉を詠んだ句があります。
漱石は熊本時代6度も転居していて、
そのうちの1軒は水前寺成趣園の近くだから
この芭蕉林のことは知っていたでしょうね。
それで芭蕉を好きになったのかも。
熊本日々新聞の俳人坪内稔典さんのコラムによると、
“後に住んだ東京の家の書斎前に大きな芭蕉を繁らせた”
そうです。
また、
この句の季語“芭蕉”には松尾芭蕉が掛けられていて、
“戸を打つ音に一瞬芭蕉その人の訪れを感じたのかも知れない”
ともありました。
芭蕉という図体のでかい植物は
私にはバナナによく似た暑苦しい樹でしかないのですが、
俳人の心は
風の強い夜、庭先の物音にこういう連想を重ねて、
就眠前のひとときを楽しんだのかも知れませんね。
芭蕉のトンネルを抜けると
さーっと清々しく視界が広がり、
そこは上江津湖入り口で、
見れば向こう岸の大きな夫婦岩の上に
彫刻と見まごうほど微動だにせず
アオサギが、
じっと佇み魚を狙っている。
彼らサギ族の忍耐強さにはいつも頭が下がります。
この日は
アオサギのほかシラサギ、コサギ、ゴイサギ(ササゴイのほうか?)、
カイツブリ、カモ類、セキレイ、など見かけました。
運が良ければカワセミも見られるらしい。
たくさんの水鳥が生息できるこの環境を
熊本市民は大切に守らなくてはなりません。
少し暑さが薄らいだので
腕時計を見たら午後5時をちょっと回っている。
屋形船は夕刻6時過ぎに
今居るところの対岸にあるボートハウスから出る予定。
船出までの小一時間を上江津湖畔散策にあてました。
いつもは下江津湖にある動物園への行き帰り
足早に通り過ぎるだけだったので、
上江津湖畔をこれほどゆっくり歩くのも初めてのことです
進行方向左手に
江津湖畔に生まれ育った中村汀女の
「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」
という句碑を発見。
江津湖畔には
虚子、漱石、中村汀女、安永蕗子、阿部小壺などの
熊本にゆかりのある俳人、歌人の句碑や歌碑が
14基建っていると聞いてはいましたが、
今までは急ぎ足だったせいか
一つとして気付いたことはありませんでした。
ゆっくり歩いているとこういう碑にも出会うわけですね。
その先にホタル生息地という看板とともに
「上江津湖湧水群」と書かれた碑があり、
湖水の中を細い道が走っています。
誘われるようにその細道へ入ると、
わ、すごい!
透明な湧水の中のあちらこちらに
野生のクレソンがそれこそ山盛りに育っていました。
さぞや苦味の利いた活きのいい味だろうなと喉ゴックン。
ここの水位は低いので
中に入って摘んで行く人も多いそうです。
もしそれが許されていることならば、
私も来春試みようと思いましたね。
クレソン畑と反対側の湧水池の中には
「ゾウさんの滑り台」が一つポツンと沈んでいて、
ちょっとシュールな、
フェリーニの映画のような、
不思議な光景を見せていました。
幸子さんによるとこの池、
夏場子供たちがプールとして遊べるところだそうで、
熊本市の子供なら
「ゾウさんのプール」を知らない者はいないと言います。
今は秋で、子供もいなくなり、
ちょっと寂しげなゾウさんですが。
しばらく歩くと
フェンスに囲まれた謎めいた一角が登場して、
何だろうかと看板読めば
ここが水前寺海苔(正式にはスイゼンジノリとカタカナ表記)の
発生地とありました。
水前寺海苔って
私の子供時代は(50年ほど前)
お味噌汁に入れたり佃煮にしたりして
ごく普通に当たり前に食べていた気がするのですが
(違うかな?違うかも。浅草海苔の間違いかも・・・)、
いつの間にか国指定の天然記念物で、
生育環境の悪化で今や絶滅の危機に瀕し、
佐渡のトキ同様に
こうして保護区をもうけて大切に育てなければならないように
なってしまったんですねえ。
びっくりします。
何においても、
失ってその大切さに気付く人間の愚かな習性が幅を利かせているわけです。
反省しきりに歩を進めました。
湖面に空が映っています。
シラサギ、コサギが食事中です。
芝の庭で横笛のお稽古に出くわしました。
広い空の下で思い切り笛を吹く・・・
気持ちいいでしょうね〜。
小さな楽器だと
こういう具合に気軽に外に連れ出して(持ち出して)練習できるんですね。
チェロの連れ出しはなかなか難しいので羨ましい。
向こうに青く見えるのは金峰山でしょうかしら?
するとその麓の方に
両親とクッちゃん(東京時代愛した黒猫)が眠る墓園があります。
のちのちは自分もそこに眠る予定。
街が小さいとお墓も近くていいですね。
お〜い、お〜い、また行くよぉ、と
胸の中で叫んでみました。
お墓参りは心身ともに和んで好きです。
上江津湖畔一周の散策を終えボートハウスに集合して、
ジャスト6時、
わずかに日の落ちかけてきた湖へ屋形船の船出です。
常連さんとその家族や友人、
合わせて総勢30名ほどの賑やかな声を乗せて
船は静かに進みます。
ゆっくりゆっくり2時間かけて
上江津湖を一周し下江津湖を一周して戻るコース。
しかし何といってもまだまだ空は明るくて、
どんなにゆっくり進んだにしても
我々の船が浮かんでいる間、
月は出てくれるのだろうかと不安になりました。
熊本は日の暮れるのが遅いのです。
確実に東京より1時間は遅い。
夏場は8時過ぎてもまだ明るい。
しかも居待月は三日前の十五夜よりも
出るのが遅いと聞いています。
月見の宴会は始まりましたが
肝心のお月さんの姿が見えない。
月はどこ? どっちに上る? と、
上江津湖の半ばほどに来て
船頭さんを問い詰めないではいられない我々でしたが、
そのとき反対方向から
何ともう船着き場に戻ろうかという屋形船が一隻現れ、
あれは何だと気になります。
見たところ人数少なく月見の船ではない様子。
その少ない乗客が窓から顔を出し
幾人かこちらに手を振っている。
JR九州のSL人吉号に乗ったときも
熊本市内を走るビアガー電に乗ったときもそうでしたが、
特別な乗り物に乗ると何故か周囲に手を振りたくなるんですよね。
「見て、見て、こっちを見てちょうだい」という
自己顕示欲が強くなるのでしょうか。
向こうの乗客たちの、
お〜い、お〜いと
今やちぎれんばかりになった手の振りに、
どうしたものかと苦笑いしながら
こっちも皆で振り返しました。
窓の中程で手を振る男性、
顔の大きさや眉毛の濃さから
何だか藤岡弘みたいねと笑っていると・・・
近づくにつれ“何だか”どころか、
それこそ藤岡弘ご本人じゃなかろーか、
いや、なかろーかどころか、
これは完璧にご本人ということが確認され、
なんで“スター藤岡弘”がこんなところで船に乗っているのか?
なんて疑問もあったものの、
藤岡弘と判った途端、
こちらもわーいわーいと手を振り返す始末。
船首に立つ人がカメラを抱えているので
は〜ん、何かの撮影でしょうか。
「旅番組とか何とかじゃなかね?」とより子さんも大笑い。
今夜は着物姿ではなく洋装ですが、
あいかわらずお綺麗でした。
月の出を待って船は上江津湖から下江津湖へ進み、
下江津湖も一周したとなれば上江津湖へ戻り、
気が付けば船外は
汀も湖面も判別付かないほど漆黒の闇となっていました。
結局月はどこにも見えずに午後8時、おひらきを迎える。
船は静かに船着き場に到着。
月は見えなかったけれど藤岡弘は見えたねえ、
月はいつでも見られるけれど、
ナマ藤岡弘はそう見られないからまあいいか、
なんて言いながら、
皆にこやかに船を下りました。
(こうして写真で見ると、
なんだ!ずーっと後方に
だいぶ下とはいえ月が出ているじゃないですか!)
ボートハウスで皆さんと解散して、
江津湖から離れ
トラムの走る通りに出て、
近くのどこかでもう一杯やろうと
幸子さんとふらふら歩いていると、
あら、ビルの上にお月さん。
やはり6時の船出は早かったか。
しかし8時を過ぎると
江津湖自体が真っ暗になってしまうから、
早めの船出もしかたないかも。
でも、まあ、です、
ビルの上の遅出の月もそりゃもうきれいで、
9月22日のこの夜は
私の平凡なる日常のちょびっと刺激的な一夜となり候。
後日談・より子さん曰く
「この前ね、テレビの旅グルメ番組に江津湖の藤岡弘が出とったよ」。
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