「サンザシの樹の下で」公開中!
先の土曜日、久しぶりに映画館で映画を観ることができました。
3月に熊本に戻ってからの7カ月間は一度も映画館へ入ることなく、
こんなことは成人となって以来初めてのことで
映画館で映画を観たい人間としては
このところ“映画欠乏症”状態でおりました。
(DVDでは観てるんですがねえ〜)
なにゆえそんな長い間観に行かなかったのか。
熊本にはしかるべき映画館というものはないのか。
観たい映画が7カ月もの間1本も来なかったということなのか。
と、他県の方々は思われたかも知れませんがちょいと違う。
単純に公開期間が短くてついて行けなかった、というだけなのです。
外国映画(特に私が好むような小作品)は輸入されるフィルム本数が少なく、
その少ないのを全国の映画館で使い回していくわけです。
だから地方の小さな映画館での外国映画上映は遅くて短いものになります。
熊本のお目当て映画館である「Denkikan」もその例にもれず、
外国映画はほぼ1週間の短かいサイクルで回っています。
そのサイクルにシルバーな私は追っつかないんですよねえ。
忘れないよう観たい映画の公開日に赤丸印を付けていても、
ぼ〜っとなんやかやしているうちに、
あれっ? ヤダ、もう終わってるじゃない!
・ ・・ということになる。
それが7カ月間繰り返されているのです。
だから久しぶりの映画館が嬉しくてしょーがない。
前置きが長くなりましたが、
出向いたのはその「Denkikan」で、
観たのは中国映画「サンザシの樹の下で」。
チャン・イーモウ監督のこの映画、
首都圏ではだいぶ前の公開だからすでにご覧になった方も多いはずですが、
熊本には半年遅れでやっと来ました。
いつやるのだろうと、
首をかなり長〜く伸ばして待っていたのです。
ということで満を持して向かった「Denkikan」でした。
この映画館には中学・高校の頃よく通いました。
プレスリーの歌ものやマーティン&ルイスの底抜けシリーズみたいなハリウッド系は
「大劇」という大型映画館で観て、
ヨーロッパ系の佳作映画はここで観ていた気がします。
その頃は「電気館」という館名で、
場所も同じだったと思いますが、
外観が当時とは別人のように変わっているため断言は出来ません。
「Denkikan」入り口
この「電気館」、もとい「Denkikan」、
実は今年(?)生誕100周年を迎えた歴史的映画館なのです。
創立者は東京出身の無声映画の弁士だったと聞いています。
地方を回っているうち熊本に根付かれたらしい。
この映画館の歴史についての詳細は
いずれ4代目館主である窪寺洋一さんに伺うとして、
私が「電気館」で思い出すのは、
高校時代のある土曜日の午後の出来事。
私服に着替え、
ちょっぴりエロいフランス映画
(何だったか思い出せないが名画という評判だった)を
一人で観に来ていたときのこと。
休憩時間、
トイレの前で中3のときの担任とバッタリ出くわしてしまいました。
ギターの上手な温厚な先生だったがとっさのことで慌てたらしく、
「ヨ、ヨシモト、おまえこんなところで何してるンだッ!」と叫ばれました!
つい戒め傾向に走るのは教師の哀しき性ですかね。
しかしそれは学校も終えた土曜の午後のことであり、
多少エロいとはいえ18歳未満お断りのものでもないし、
こちらは焦ることなく「なんですか?」なんて
じっと見つめてにやにや笑うと、
先生ちょっと顔を赤らめ、
しばしジッと見返したのち、
同じようににやにや笑って立ち去られた。
このとき私は
“暗黙の了解”とか“目配せ”とかの大人の流儀を初めて知ったみたいです。
映画から人生をいろいろ学んできましたが、
映画館からもいろいろ学ばせていただいてます。
とはいえ学校をズルして観に来たりもしていました。
そんなときは背伸びして横顔向けて切符売り場窓口に張り付き
(当時の切符売り場は入り口脇にあり、売り子さんに客の全身は確認できない)、
学生に見えないようなポーズで「一枚」とか言っていました。
しかし「Denkikan」ではそれは無理。
切符売り場はエレベーターで上がった2階にあり、
客のすべてをお見通しです。
2階入り口正面の切符売り場。
で、切符売り場に近づくとすぐに、
“シニア料金1000円”という文字が目に飛び込んできた。
60歳超えたときから
いつもこのサービスを利用しようと思っているのにいざというときつい忘れ、
普通料金を払っては常に悔しい思いをしてきたのです。
だから目に飛び込んできた今、
ここで利用しなけりゃいつするってんだ、と、思い切って言いましたね、
「シニア料金でお願いしたいんですけど何か証明するもの要りますか?」と。
けっこう若作りしてますもので,間違われたら困ると思い。
そしたら若い売り子さん、あっさりと「いいえ、けっこうです」なんて言う。
あは〜ん?肩すかしとはこのことだ。
そんなモンなくてもしっかりシニアに見えてるってか?
いやいや、
そんなモンなくてもウチはケチなことは言いません、
という広い心に立ってのことか?
急遽トイレに入って鏡で確認したら、
おお〜っ、さもありなんでございましょう。
こりゃ見えるって、確実に。ははははは。
ホールは2階、3階、4階にそれぞれあります。
「サンザシの樹の下で」は切符売り場の奥のホール。
一日に3回の上映時間の午後2時20分の回に入りました。
今日が初日で混むだろうから、
いちばん空く可能性の高いこの時間にしたのです。
それは正解でしたがあまりに空きすぎていました。
小さいホールなのに座席はその半分も埋まっていない。
スターが出ているわけでもないし、
3Dでもないし、
アクションでもないからなあ。
それにしても少ない客の大半がシニアというのはどうしたことか!
これは
「文化大革命の嵐の中ではかなく散った青年と少女の悲しい恋」
の映画ですよ。
あるいは同世代の若者は夜の部に来るのだろうか。
何しろこれはいやでも泣くことになる極めつけの感涙映画だから、
まだ陽も高いうちから泣きはらして目を赤くした顔じゃ、
そのあとの食事やデートに差し障りがあるってことかも知れないなあ、
などなど考えながらシートに沈みました。
シートは昔の「電気館」から思うとずいぶん立派なものになっています。
座り心地いいですね。
背もたれ部分が高くてすっぽりと身体を囲いこむ形。
これなら人目を気にせず泣きじゃくれそうだ。
それからこれも大切なんだけど、
感涙映画を観るときは隣が空席であることを確認することです。
左右いずれかの空席にハンカチ、ティッシュを出しておくため。
いつでもなんどきでも、
それらを音を立てることなく取り出せるようしておくことが
こういう映画を観る上でのエチケットです。
見終わって席を立つときのために、
眼鏡も手元に置いておくのも手抜かりなく。
「サンザシの樹の下で」は文化大革命下の中国の
都市部と農村部が舞台となっています。
町の高校生ジンチュウと農村で働く明るく誠実な青年スンとの、
文革時代ならではの許されぬ恋(つまり身分の差)を描いています。
中国で300万部を売り上げたベストセラーが原作の
実話に基づくラブストーリーですが、
意外な展開が待っているのでこれ以上は書けません。
しかし泣けるのは本当です。
私の隣の隣の席にいたふてぶてしいがさつな態度の男が
ここぞというとき紙袋をガサガサいわせ(こういうのがエチケット違反)、
中からタオルらしきものを取り出してやおら顔に押しつけたのを
うるさいなと流した横目のはじっこに確認しました。
チャン・イーモウは土臭い骨太映画を得意とする監督だけれど、
ときどきこういう清冽な思春期もので人を泣かせるんですよね。
「あの子を探して」しかり。
「初恋のきた道」しかり。
上手なんですよねえ、泣かせどころの演出が。
いつも“くそーっ、負けてたまるか”と唇噛みしめ対峙するのですが、
だめ、毎度負けて泣かされてます。
今回も
始まってからまだ10分も経っていないというのに
両頬を涙がだらだらと伝い落ちておりました。
しかも今回は、
主人公のジンチュウが“友だちカモちゃん”に瓜二つという
泣ける要素がもう一枚重なっていて、
地獄に堕ちたかの如く泣かされてしまった。
目の周りの赤みと晴れと熱を冷ますため
映画終了後館内をしばらくブラブラしました。
久しぶりに触れる映画館独得の匂い。
最近はトイレ臭さではなくて、
空気清浄機から漂い流れるアロマの芳香なんですね。
切符売り場とホールの間の休憩スペース。
映画に関する雑誌、リーフレットなどが置いてある。
階段の踊り場には次回上映作品のポスター。
近日上映予定の作品から自分好みをピックアップすると、
タイ、韓国、日本の3人の監督が未来の釜山を舞台に描く
オムニバス・ラブストーリー『カメリア』、
ガン告知を受けた父親の死に方を娘が追った
ドキュメンタリー『エンディングノート』、
懐かしポランスキーの最新作『ゴーストライター』
などが続いています。
それらも楽しみですけどねー、
ずいぶん前から待っている『悲しみのミルク』は
いったいいつ来るのだろうか。
3月に熊本に戻ってからの7カ月間は一度も映画館へ入ることなく、
こんなことは成人となって以来初めてのことで
映画館で映画を観たい人間としては
このところ“映画欠乏症”状態でおりました。
(DVDでは観てるんですがねえ〜)
なにゆえそんな長い間観に行かなかったのか。
熊本にはしかるべき映画館というものはないのか。
観たい映画が7カ月もの間1本も来なかったということなのか。
と、他県の方々は思われたかも知れませんがちょいと違う。
単純に公開期間が短くてついて行けなかった、というだけなのです。
外国映画(特に私が好むような小作品)は輸入されるフィルム本数が少なく、
その少ないのを全国の映画館で使い回していくわけです。
だから地方の小さな映画館での外国映画上映は遅くて短いものになります。
熊本のお目当て映画館である「Denkikan」もその例にもれず、
外国映画はほぼ1週間の短かいサイクルで回っています。
そのサイクルにシルバーな私は追っつかないんですよねえ。
忘れないよう観たい映画の公開日に赤丸印を付けていても、
ぼ〜っとなんやかやしているうちに、
あれっ? ヤダ、もう終わってるじゃない!
・ ・・ということになる。
それが7カ月間繰り返されているのです。
だから久しぶりの映画館が嬉しくてしょーがない。
前置きが長くなりましたが、
出向いたのはその「Denkikan」で、
観たのは中国映画「サンザシの樹の下で」。
チャン・イーモウ監督のこの映画、
首都圏ではだいぶ前の公開だからすでにご覧になった方も多いはずですが、
熊本には半年遅れでやっと来ました。
いつやるのだろうと、
首をかなり長〜く伸ばして待っていたのです。
ということで満を持して向かった「Denkikan」でした。
この映画館には中学・高校の頃よく通いました。
プレスリーの歌ものやマーティン&ルイスの底抜けシリーズみたいなハリウッド系は
「大劇」という大型映画館で観て、
ヨーロッパ系の佳作映画はここで観ていた気がします。
その頃は「電気館」という館名で、
場所も同じだったと思いますが、
外観が当時とは別人のように変わっているため断言は出来ません。
「Denkikan」入り口
この「電気館」、もとい「Denkikan」、
実は今年(?)生誕100周年を迎えた歴史的映画館なのです。
創立者は東京出身の無声映画の弁士だったと聞いています。
地方を回っているうち熊本に根付かれたらしい。
この映画館の歴史についての詳細は
いずれ4代目館主である窪寺洋一さんに伺うとして、
私が「電気館」で思い出すのは、
高校時代のある土曜日の午後の出来事。
私服に着替え、
ちょっぴりエロいフランス映画
(何だったか思い出せないが名画という評判だった)を
一人で観に来ていたときのこと。
休憩時間、
トイレの前で中3のときの担任とバッタリ出くわしてしまいました。
ギターの上手な温厚な先生だったがとっさのことで慌てたらしく、
「ヨ、ヨシモト、おまえこんなところで何してるンだッ!」と叫ばれました!
つい戒め傾向に走るのは教師の哀しき性ですかね。
しかしそれは学校も終えた土曜の午後のことであり、
多少エロいとはいえ18歳未満お断りのものでもないし、
こちらは焦ることなく「なんですか?」なんて
じっと見つめてにやにや笑うと、
先生ちょっと顔を赤らめ、
しばしジッと見返したのち、
同じようににやにや笑って立ち去られた。
このとき私は
“暗黙の了解”とか“目配せ”とかの大人の流儀を初めて知ったみたいです。
映画から人生をいろいろ学んできましたが、
映画館からもいろいろ学ばせていただいてます。
とはいえ学校をズルして観に来たりもしていました。
そんなときは背伸びして横顔向けて切符売り場窓口に張り付き
(当時の切符売り場は入り口脇にあり、売り子さんに客の全身は確認できない)、
学生に見えないようなポーズで「一枚」とか言っていました。
しかし「Denkikan」ではそれは無理。
切符売り場はエレベーターで上がった2階にあり、
客のすべてをお見通しです。
2階入り口正面の切符売り場。
で、切符売り場に近づくとすぐに、
“シニア料金1000円”という文字が目に飛び込んできた。
60歳超えたときから
いつもこのサービスを利用しようと思っているのにいざというときつい忘れ、
普通料金を払っては常に悔しい思いをしてきたのです。
だから目に飛び込んできた今、
ここで利用しなけりゃいつするってんだ、と、思い切って言いましたね、
「シニア料金でお願いしたいんですけど何か証明するもの要りますか?」と。
けっこう若作りしてますもので,間違われたら困ると思い。
そしたら若い売り子さん、あっさりと「いいえ、けっこうです」なんて言う。
あは〜ん?肩すかしとはこのことだ。
そんなモンなくてもしっかりシニアに見えてるってか?
いやいや、
そんなモンなくてもウチはケチなことは言いません、
という広い心に立ってのことか?
急遽トイレに入って鏡で確認したら、
おお〜っ、さもありなんでございましょう。
こりゃ見えるって、確実に。ははははは。
ホールは2階、3階、4階にそれぞれあります。
「サンザシの樹の下で」は切符売り場の奥のホール。
一日に3回の上映時間の午後2時20分の回に入りました。
今日が初日で混むだろうから、
いちばん空く可能性の高いこの時間にしたのです。
それは正解でしたがあまりに空きすぎていました。
小さいホールなのに座席はその半分も埋まっていない。
スターが出ているわけでもないし、
3Dでもないし、
アクションでもないからなあ。
それにしても少ない客の大半がシニアというのはどうしたことか!
これは
「文化大革命の嵐の中ではかなく散った青年と少女の悲しい恋」
の映画ですよ。
あるいは同世代の若者は夜の部に来るのだろうか。
何しろこれはいやでも泣くことになる極めつけの感涙映画だから、
まだ陽も高いうちから泣きはらして目を赤くした顔じゃ、
そのあとの食事やデートに差し障りがあるってことかも知れないなあ、
などなど考えながらシートに沈みました。
シートは昔の「電気館」から思うとずいぶん立派なものになっています。
座り心地いいですね。
背もたれ部分が高くてすっぽりと身体を囲いこむ形。
これなら人目を気にせず泣きじゃくれそうだ。
それからこれも大切なんだけど、
感涙映画を観るときは隣が空席であることを確認することです。
左右いずれかの空席にハンカチ、ティッシュを出しておくため。
いつでもなんどきでも、
それらを音を立てることなく取り出せるようしておくことが
こういう映画を観る上でのエチケットです。
見終わって席を立つときのために、
眼鏡も手元に置いておくのも手抜かりなく。
「サンザシの樹の下で」は文化大革命下の中国の
都市部と農村部が舞台となっています。
町の高校生ジンチュウと農村で働く明るく誠実な青年スンとの、
文革時代ならではの許されぬ恋(つまり身分の差)を描いています。
中国で300万部を売り上げたベストセラーが原作の
実話に基づくラブストーリーですが、
意外な展開が待っているのでこれ以上は書けません。
しかし泣けるのは本当です。
私の隣の隣の席にいたふてぶてしいがさつな態度の男が
ここぞというとき紙袋をガサガサいわせ(こういうのがエチケット違反)、
中からタオルらしきものを取り出してやおら顔に押しつけたのを
うるさいなと流した横目のはじっこに確認しました。
チャン・イーモウは土臭い骨太映画を得意とする監督だけれど、
ときどきこういう清冽な思春期もので人を泣かせるんですよね。
「あの子を探して」しかり。
「初恋のきた道」しかり。
上手なんですよねえ、泣かせどころの演出が。
いつも“くそーっ、負けてたまるか”と唇噛みしめ対峙するのですが、
だめ、毎度負けて泣かされてます。
今回も
始まってからまだ10分も経っていないというのに
両頬を涙がだらだらと伝い落ちておりました。
しかも今回は、
主人公のジンチュウが“友だちカモちゃん”に瓜二つという
泣ける要素がもう一枚重なっていて、
地獄に堕ちたかの如く泣かされてしまった。
目の周りの赤みと晴れと熱を冷ますため
映画終了後館内をしばらくブラブラしました。
久しぶりに触れる映画館独得の匂い。
最近はトイレ臭さではなくて、
空気清浄機から漂い流れるアロマの芳香なんですね。
切符売り場とホールの間の休憩スペース。
映画に関する雑誌、リーフレットなどが置いてある。
階段の踊り場には次回上映作品のポスター。
近日上映予定の作品から自分好みをピックアップすると、
タイ、韓国、日本の3人の監督が未来の釜山を舞台に描く
オムニバス・ラブストーリー『カメリア』、
ガン告知を受けた父親の死に方を娘が追った
ドキュメンタリー『エンディングノート』、
懐かしポランスキーの最新作『ゴーストライター』
などが続いています。
それらも楽しみですけどねー、
ずいぶん前から待っている『悲しみのミルク』は
いったいいつ来るのだろうか。
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