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開花宣言の熊本城で。

4月1日、熊本市にも開花宣言がなされました。
去年より10日も遅れ、1962年4月2日に次いで
熊本市観測史上2番目の遅さということで、
しみじみ感じていましたが今年は春先が実に寒かったですね−。
どうせちょっぴりだろうとは思いましたが、
週末の4月1日と2日、
去年の地震以来入場禁止となっている城内の
桜の名所御幸坂には入れると聞いて行ってみました。
まだまだの桜の向こうに
「一本石垣」で有名になった飯田丸五階櫓が見えます。

飯田丸五階櫓一本石垣



「おっ!あれか、1本の石組で耐えているのは」とおっしゃったのは
大橋歩さんのご主人の石井厚生さん。
a. の展示会でいらした歩さんとご一緒に初来熊されたので、
地震の爪痕まだ残る街の案内役を引き受けました。
石の彫刻家である厚生さんに石垣崩壊の衝撃は
素人が感じる以上に大きいものがあるようでした。

「一本櫓もすごいけれど、それを支える架台もすごい」。
「ああいうことを考えて作るんだから日本の技術者はすごい」。

など言い合いながらうっすらと色づいた桜並木の御幸坂を上ります。

桜はまだまだ


美しかった備前堀に昔の面影はなく、
水鳥もいない淀んだ水面を嘆きながら坂を上ったところで
もう先には行けません。その先進入禁止でした。
奉行丸を囲む塀のすさまじい壊れ方に
たくさんの人がカメラを向けていました。
もうすぐ1年経つというのにここは崩壊後手付かずのままです。

手つかずの塀



左に折れて未申櫓をすぎると右手に空堀が現れ、
それは緑につつまれてまるで草原のようにも見え、
そこに白いものが並んでいるから
羊であってもおかしくないな、という感じで、
崩れた石垣の石たちが置いてあります。

P1090849.jpg



すべてに番号を振って、
元通りの形に組み直すのです。
羊のように並んでいるのは作業のほんの手始めの石たち。
気の遠くなるような復旧作業です。


天守閣、小天守、宇土櫓の三つ揃え光景を見ようと
二の丸広場に出ると
桜の開花と週末と御幸坂の解禁のせいか、
写真撮る人、ピクニックする人、スケッチ大会に参加する人、と
たいへんな人出で圧倒されました。
みんな、お城に来られて嬉しいんですね。
そういう中、
長い空堀沿いを1匹の猫が悠々と左から右へ歩いていました。

猫が通る



天守閣、小天守、宇土櫓の三つ揃いを見ていて
奇妙な感覚になりました。
瓦の落ちた天守閣の屋根の痛々しさだけでなく、
何か、どこか、今までと違うぞ、と。
そして気づいた、塀がないことに!
表通りの日本一長い「長塀」の崩落は知っていましたが、
二の丸から見る長い塀のほうは知らなかったのです。
塀がなくなると三つ並んだ建物のバランスがどうも奇妙で。
あの長い黒白の塀に縁取られて
三つの建物は絶妙のバランスを保っていたのだとよくわかりました。

塀がなかった


加藤神社で疲れた足をやすませて、
膝が笑うと評判の角度で下る棒庵坂を降りながら
右手に延々と続く崩れた石垣を眺めました。
地震の前は一寸たりとも、
この頑丈で美しい石垣が崩れるなどと思いもしなかったわけで。
世の中、想定外というか、信じられないことばかりですね。
最後に不開門(あかずのもん)前の
まだ三部咲きにもおぼつかない桜をパチリ。
不開門前の注意書きが皮肉です。

門は閉まっていた



不開門だから



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