熊本の動物園・前編
3月に入って1週目のすこぶる寒い平日の午後、
動物園に行ってきました。
この日はたくさんの園児たちが遠足に来ていて、
グループごと異なる色のキャップを被り
いくつもの色が入り乱れ、
灰色の空の下
園内がお花畑のように華やかに賑わっていました。
正式名称は「熊本市動植物園」。
市内の東南部に広がる大きな湖”江津湖”湖畔に
動物園と植物園が同居しています。
江津湖は湧き水からなる美しい湖。
さまざまな動植物が共存し命を育くみ
自然の宝庫ができあがっています。
どれだけ水が澄んでいるかというと、
中学生の時、
乗っていたボートが転覆して水中に放り出されたことがあり、
沈んでみて驚いたのです。
あっぷあっぷしながら目を見開くと、
湖面の下はきらきらと輝く透明な世界でした。
深緑色の水草がゆらゆら踊る中を
銀色の小さな魚たちが気持ち良さげに泳いでいました。
泳げないので焦りながらも、
ぷわぁぁぁ〜きれいだぁ・・・と見とれた記憶があります。
江津湖特産の“水前寺のり”や“水前寺せり”などは
今や絶滅寸前らしいのですが、
それでもまだ、
湖を囲む芭蕉林の奥で保護され
わずかながらひっそりと育っているとも聞き、
胸をなで下ろしています。
そういう自然豊かな一角に動植物園があるのは、
まあ、取り敢えずはいいことですね。
熊本の動物園の歴史は昭和の4年に始まります。
たぶんその頃はのどかな田園地帯だったはずの
水前寺成趣園(いわゆる水前寺公園)の隣に開園しました。
けれど昭和20〜30年代となると、
そこは住宅地のど真ん中になります。
ウチからもけっこう近い。
なので小学上級から中学あたりまで、
自転車に乗ってしょっちゅう遊びに行っていました。
不確かですが
校章を見せれば無料で入園できたような記憶があります。
あるときこんな目に遭いました。
ニホンザルの檻にひょいと顔を近づけたら、
中からニュッと黒い手(そう見えた)が伸びてきて、
私のおさげの片方をギュギューッッッッと掴み放さないのです。
そして檻の中にぐいぐいと、
サルとは思えない怪力で引き込むのです。
小5の女子は
驚きと恐怖と痛みと恥ずかしさでしばし硬直状態でした。
それでも引き込まれてなるかと
綱引きみたいに
こちらからも引っ張って引っ張って引っ張り返してみました。
が、放してくれないどころか
サルはますます力を込めて引き込む始末。
見たとこ群れで2番目くらいにでかいヤツでした。
顔も尻も真っ赤のヤツです。
目が憎しみに燃えている気がしました。
人間を憎む気持ちはわかるけれど、
なんでまた私か?!
何たる不運か、と嘆きましたね。
しかし、
この非常事態を他の人に気付かれるのは、
動物好きのプライドが許さないため
助けは呼べないわけなのです。
仕方ないので思い切り、
一世一代のつもりで「ええええ〜いっ」と、
おさげを引っ張り返してみたのです。
すると
後頭部の右下あたりに”ぶちぶちぶちッ”と
火の出るような痛みが走り、
涙がほとばしり、
見れば胸元にサルの手から開放されたおさげが1本揺れていました。
それを手に取りよぉぉ〜く見た。
と、それは、
お習字の筆の先をロウソクの炎に近づけたときのように
毛先がちゅるちゅると丸まっていたのであります。
千切れたんですねー!!!
くそ〜っ、と地団駄踏みました。
悔しくて。
それ以降は、
わざとアイツの前に行き、
ぜったいに手の届かない位置に立ち、
おさげをひゃらひゃらと見せびらかしては
溜飲を下げていたのを覚えています。
・ ・・なんて、またまた前置きが長くなりましたが、
その町中の動物園が江津湖のほとりに転居したのは
開園から40年後の昭和44年。
現在の動植物園の前身となる水辺動物園として再出発しました。
とはいえウチから遠くなったし、
そのときは私も大人になって熊本を離れていたしで、
実は江津湖に移ってからは2、3回しか行っていません。
でも昨年Uターンしてからは、
(車がないので行くのに一苦労ありますが)
すでに5回顔を出しています。
というのも
子供時代を知る可愛い友がここに来ているからなのです。
それは誰かというと・・・
ほら、彼女ですよ。
カバのモモコと申します。
可愛いでしょう?
薄い日差しを求めて日なたぼこ中みたいで
動きません。
肌が艶やかに光っています。
柵がなかったらブロンズのベンチと間違えて座る人もいるでしょうね。
モモコ、ほら、こっちだよ!
おばさん来たよ、
こんにちわっ!
耳がピクピク動きました。
瞼もちょっぴり動いたような。
どうやら聞こえている様子なのでモモコ、モモコと呼び続けると、
うっすらと瞼を開けてくれましたよ、
「おばちゃん、いつもうるさいなあ」という感じに。
この角度から見るモモコの姿って、
愛用しているクラークスの靴にそっくりなので
いつも笑ってしまいます。
形、色艶、皮膚の質感もですが、
特に似ているのが口元ですね。
スクエアな感じが
底のラバーがぐるっと巻き上がりカバーとなっている靴のつま先に
瓜二つなのです。
モモコかわいや かわいやモモコ
この寝姿を見るたび自然と口に出るフレーズです。
モモコを初めて見たのは2007年の秋です。
愛媛のとべ動物園までホッキョクグマのピースに会いに行った際、
カバ好きなので当然ながらカバ舎にも走り、
室内プールの水中に
母親ミミにべったり寄り添い沈んでいた小さなモモコを発見しました。
1997年生まれだからそのときすでに10才でしたが、
まだまだ幼い雰囲気でした。
動物園のカバの寿命は40年くらいだそうです。
カバの40才は人間でいうと90歳くらいだそうです。
ということは
そのときモモコは人間ならば20歳くらいの娘盛り
ということになります。
人間の20歳は外見大人と変わりませんが、
ゆっくりと成長するカバの20才はまだお嬢ちゃんサイズで、
コビトカバくらいの大きさでした。
そのことも魅力の上乗せで、
もう・・・うっとりしましたね、愛らしくて。
○お○耳○汚○し
モモコの父親は“有名カバ”です。
ハグラーという
1987年サンフランシスコ生まれの元気者で、
1才のとき来日しましたが、
なんと横浜の検疫所から逃げ出したのです。
三日間横浜の運河を泳ぎ回り(逃げ回りか?)、
陸に上がって寝ているところを発見されたという武勇伝の持ち主。
この逃亡事件は私もニュースで見ました。
海に出たらどうなるんだろうと心配したものですが、
今や悠々自適らしく、
水中から目と耳だけ出して
屋外の日本一広いプールを独り占めでした。
そんな両親から離れてモモコが熊本へ来たのは、
先住者のザブコ(♀)、ケンポウ(♀)が立て続けに亡くなった後の
2010年だったでしょうか?
私も熊本Uターンを考え始めていた頃だったから、
その記事を新聞に見つけ「わお!」と飛び上がって喜びましたね。
またモモコに会えるんだ!
それもたぶん頻繁に、と。
呑気に寝顔を見せていますが
モモコは14才になりました。
適齢期です。
良いお婿さんが見つかればいいですね。
人間社会同様に
国内の動物園には繁殖能力のある雄カバは少ないと聞きます。
心配です。
動物園に行ってきました。
この日はたくさんの園児たちが遠足に来ていて、
グループごと異なる色のキャップを被り
いくつもの色が入り乱れ、
灰色の空の下
園内がお花畑のように華やかに賑わっていました。
正式名称は「熊本市動植物園」。
市内の東南部に広がる大きな湖”江津湖”湖畔に
動物園と植物園が同居しています。
江津湖は湧き水からなる美しい湖。
さまざまな動植物が共存し命を育くみ
自然の宝庫ができあがっています。
どれだけ水が澄んでいるかというと、
中学生の時、
乗っていたボートが転覆して水中に放り出されたことがあり、
沈んでみて驚いたのです。
あっぷあっぷしながら目を見開くと、
湖面の下はきらきらと輝く透明な世界でした。
深緑色の水草がゆらゆら踊る中を
銀色の小さな魚たちが気持ち良さげに泳いでいました。
泳げないので焦りながらも、
ぷわぁぁぁ〜きれいだぁ・・・と見とれた記憶があります。
江津湖特産の“水前寺のり”や“水前寺せり”などは
今や絶滅寸前らしいのですが、
それでもまだ、
湖を囲む芭蕉林の奥で保護され
わずかながらひっそりと育っているとも聞き、
胸をなで下ろしています。
そういう自然豊かな一角に動植物園があるのは、
まあ、取り敢えずはいいことですね。
熊本の動物園の歴史は昭和の4年に始まります。
たぶんその頃はのどかな田園地帯だったはずの
水前寺成趣園(いわゆる水前寺公園)の隣に開園しました。
けれど昭和20〜30年代となると、
そこは住宅地のど真ん中になります。
ウチからもけっこう近い。
なので小学上級から中学あたりまで、
自転車に乗ってしょっちゅう遊びに行っていました。
不確かですが
校章を見せれば無料で入園できたような記憶があります。
あるときこんな目に遭いました。
ニホンザルの檻にひょいと顔を近づけたら、
中からニュッと黒い手(そう見えた)が伸びてきて、
私のおさげの片方をギュギューッッッッと掴み放さないのです。
そして檻の中にぐいぐいと、
サルとは思えない怪力で引き込むのです。
小5の女子は
驚きと恐怖と痛みと恥ずかしさでしばし硬直状態でした。
それでも引き込まれてなるかと
綱引きみたいに
こちらからも引っ張って引っ張って引っ張り返してみました。
が、放してくれないどころか
サルはますます力を込めて引き込む始末。
見たとこ群れで2番目くらいにでかいヤツでした。
顔も尻も真っ赤のヤツです。
目が憎しみに燃えている気がしました。
人間を憎む気持ちはわかるけれど、
なんでまた私か?!
何たる不運か、と嘆きましたね。
しかし、
この非常事態を他の人に気付かれるのは、
動物好きのプライドが許さないため
助けは呼べないわけなのです。
仕方ないので思い切り、
一世一代のつもりで「ええええ〜いっ」と、
おさげを引っ張り返してみたのです。
すると
後頭部の右下あたりに”ぶちぶちぶちッ”と
火の出るような痛みが走り、
涙がほとばしり、
見れば胸元にサルの手から開放されたおさげが1本揺れていました。
それを手に取りよぉぉ〜く見た。
と、それは、
お習字の筆の先をロウソクの炎に近づけたときのように
毛先がちゅるちゅると丸まっていたのであります。
千切れたんですねー!!!
くそ〜っ、と地団駄踏みました。
悔しくて。
それ以降は、
わざとアイツの前に行き、
ぜったいに手の届かない位置に立ち、
おさげをひゃらひゃらと見せびらかしては
溜飲を下げていたのを覚えています。
・ ・・なんて、またまた前置きが長くなりましたが、
その町中の動物園が江津湖のほとりに転居したのは
開園から40年後の昭和44年。
現在の動植物園の前身となる水辺動物園として再出発しました。
とはいえウチから遠くなったし、
そのときは私も大人になって熊本を離れていたしで、
実は江津湖に移ってからは2、3回しか行っていません。
でも昨年Uターンしてからは、
(車がないので行くのに一苦労ありますが)
すでに5回顔を出しています。
というのも
子供時代を知る可愛い友がここに来ているからなのです。
それは誰かというと・・・
ほら、彼女ですよ。
カバのモモコと申します。
可愛いでしょう?
薄い日差しを求めて日なたぼこ中みたいで
動きません。
肌が艶やかに光っています。
柵がなかったらブロンズのベンチと間違えて座る人もいるでしょうね。
モモコ、ほら、こっちだよ!
おばさん来たよ、
こんにちわっ!
耳がピクピク動きました。
瞼もちょっぴり動いたような。
どうやら聞こえている様子なのでモモコ、モモコと呼び続けると、
うっすらと瞼を開けてくれましたよ、
「おばちゃん、いつもうるさいなあ」という感じに。
この角度から見るモモコの姿って、
愛用しているクラークスの靴にそっくりなので
いつも笑ってしまいます。
形、色艶、皮膚の質感もですが、
特に似ているのが口元ですね。
スクエアな感じが
底のラバーがぐるっと巻き上がりカバーとなっている靴のつま先に
瓜二つなのです。
モモコかわいや かわいやモモコ
この寝姿を見るたび自然と口に出るフレーズです。
モモコを初めて見たのは2007年の秋です。
愛媛のとべ動物園までホッキョクグマのピースに会いに行った際、
カバ好きなので当然ながらカバ舎にも走り、
室内プールの水中に
母親ミミにべったり寄り添い沈んでいた小さなモモコを発見しました。
1997年生まれだからそのときすでに10才でしたが、
まだまだ幼い雰囲気でした。
動物園のカバの寿命は40年くらいだそうです。
カバの40才は人間でいうと90歳くらいだそうです。
ということは
そのときモモコは人間ならば20歳くらいの娘盛り
ということになります。
人間の20歳は外見大人と変わりませんが、
ゆっくりと成長するカバの20才はまだお嬢ちゃんサイズで、
コビトカバくらいの大きさでした。
そのことも魅力の上乗せで、
もう・・・うっとりしましたね、愛らしくて。
○お○耳○汚○し
モモコの父親は“有名カバ”です。
ハグラーという
1987年サンフランシスコ生まれの元気者で、
1才のとき来日しましたが、
なんと横浜の検疫所から逃げ出したのです。
三日間横浜の運河を泳ぎ回り(逃げ回りか?)、
陸に上がって寝ているところを発見されたという武勇伝の持ち主。
この逃亡事件は私もニュースで見ました。
海に出たらどうなるんだろうと心配したものですが、
今や悠々自適らしく、
水中から目と耳だけ出して
屋外の日本一広いプールを独り占めでした。
そんな両親から離れてモモコが熊本へ来たのは、
先住者のザブコ(♀)、ケンポウ(♀)が立て続けに亡くなった後の
2010年だったでしょうか?
私も熊本Uターンを考え始めていた頃だったから、
その記事を新聞に見つけ「わお!」と飛び上がって喜びましたね。
またモモコに会えるんだ!
それもたぶん頻繁に、と。
呑気に寝顔を見せていますが
モモコは14才になりました。
適齢期です。
良いお婿さんが見つかればいいですね。
人間社会同様に
国内の動物園には繁殖能力のある雄カバは少ないと聞きます。
心配です。
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