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seventy days 70歳からの庭造り12ヶ月

その③  2018.10.10

思えば8月6日、
朝早くから猛暑の中「ベンリーさん」に草刈りをして貰ったのだった。
久しぶりに地面を見た、すっきりした、と、喜んだのもつかの間、
夏草の勢いはいと恐ろしや。
刈った程度ではほぼひと月でこのようになるのだ。

草だらけ

そうよ、刈るんじゃなく抜かなくっちゃきりがない、
とは思うのだけど、
6月にシルバー人材センターに“草引き抜き隊”の予約を入れたら、
「夏の間はもう目一杯予約が入っていて早くても9月半ばを過ぎる」
と言われ夏場は断念、
仕方なく9月25日を申し込んだ。
で、その間を「ベンリーさん」の草刈りで一時凌ごうというつもりだったが、
いや〜、今年の夏は暑かったせいか、雨が少なかったせいか、
草萌ゆる勢いはいちだんと激しくすぐに草原化した。
そして、なんだろう・・・
生えているのがイネ科の草ばかりというのも気持ち悪い。
この庭にも以前は様々な草花が顔を見せていたのだ。

ヘビイチゴとか
へびいちご

何故か毎年それにつるんで黄色い小花をつける名も知らぬ草とか
草花

星の形の小さな花とか
青い小花

その他いろいろ、いろいろと。
白花

花と猫

小花


蘇鉄ブラザーズのまわりにも
背の低い草花が集まって楽しいステージを作っていた。
蘇鉄3兄妹


それが年月を重ねるごとに、
何故だろう・・・どんどんと味気ない“庭相”に変わっていった気がする。
年とともに多種混合が薄らいでいき、
同じ種類ばかりが繁茂して、
どこかの国の政治のように1強の庭社会ができあがってしまった。
私はしだいにこの庭が嫌いになっていった。
当然草むしりをする気持ちもなくなっていった。
だから草ボウボウになる。
するとますます見たくなくなるという悪循環。

それにしても
自分の家の庭を好きになれないというのは悲しいものだ。
庭猫たち6匹全員を看取るまで
私はこの家で暮らさなくてはならない。
それは10年、長くて20年、
この庭と付き合わなければならぬということだ。
好きになれない相手とそこまで長く付き合えるものだろうか?
私には自信がないぞ・・・と、考えたとき、
それはいかん、なんとかせなあかん、となった。
それで11月、
庭造りのプロにお願いして庭を白紙に戻すことにした。
そこから自分の好きな庭を造ろうという計画である。

さて待望の9月25日。
朝8時からシルバー人材のおじさま方4名が汗を流され、
むさ苦しかった庭はお昼前までにこんなになった。

つんつるてんの庭

すると、
あそこに枇杷の木はどうだろう、いやスモモかな。
こっちには檸檬の木があってもいいね、などの夢が生まれた。
なるほど夢は真っさらなところから紡がれていくのだな。
「暑い熊本ではイングリッシュ・ガーデンは無理だけれど、
山紫陽花は大丈夫」とおっしゃる私の“庭のお師匠さん”で
素敵な庭の持ち主、建築家の坂田久美子さんから
「ヨシモトさんの庭に植えたい草木を思考中」と言ってもらうと、
目の前のつんつるてんの庭が俄然薔薇色に染まり、
久しぶりに庭に出て更地化した現状を見て回った。

育ちが良すぎて鬱陶しいと
去年根っこのところから友だちに切ってもらった蘇鉄ブラザーズだが、
1年でしぶとくここまで復活していた。

チビ蘇鉄


よく見ると硬いトゲトゲの葉の間に蔓状の新顔が登場している。
完璧主義の「草抜き隊」のおじさま方の魔の手から逃れたこれは何だろう。
今のところ楚々としてきれいだけれど、
これが気を許すと大繁栄して“困ったちゃん”となる可能性は大いにある。
いつも思うのだ、
草も「ほどほど」ってことを知ってくれるといいのにな、と。

新顔

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seventy days 70歳からの庭造り12ヶ月

その② 2018.9.10

思えば8月6日、
独居老人の味方「ベンリー」さんに庭に生い茂る雑草刈りを頼み
つるつるの何とも清々しい光景を取り戻せたのだった。
それからのひと月あまり、
豪雨・台風・日照り・猛暑の繰り返しで庭に出ることもなく過ごしていたら、
アッという間にこのようになった。
9月の庭


侵略者は
メヒシバ、オヒシバ、エノコログサといったイネ科の連中を中心にして、
ところどころにギシギシ、オオバコ、タビラコ、ツユクサ、など。
不思議なもので侵略者の中心となる顔ぶれは年ごとに変わる。
去年はオオバコ、
一昨年はツユクサ、
一昨昨日はチチコグサ、
その前の年はカラスノエンドウ、が庭を我が物顔に覆っていた。
その専制君主的勢いから逃れるように隅っこに
毎年ひっそり目立たないよう群生していたのが匂いスミレ。
同じ草なのに依怙贔屓するようで申し訳ないのだが、
匂いスミレだけは刈ることなく抜くこともなく
お住まいいただくのを喜びとしていたのだけれど
先月の「ベンリー」さん草刈り日、
あまりの猛暑におつむがふやけてしまったらしく
「スミレは刈らないでください」
との注意書きを張り忘れてしまったのだ。
用事を済ませて戻ってみると
庭は見事につるつるりん。
もちろんスミレの姿もなかった。

けれどスミレも”雑草”とよばれる植物、強いのだ。
先日、ちょうど台風20号が掠る程度で去って行ったあと、
彼らの住居跡を見に行った。
すると、お、お、お!
小さな葉っぱがあちこちに顔を出してるではないですか!
さすが雑草、えらいね、と讃えておきながら、
片やすぐそばの
イネ科を代表するスズメノテッポウの息を吹き返した姿には
ため息をつく。
依怙贔屓そのものの身勝手さ。
自分がスズメノテッポウだったら哀しいぞお。
なんて思いつつ、それでもイネ科の連中を引き抜く。
すると猛烈に顔が痒くなった。
イネ科植物はアレルギー源の一つに上げられている。
私は長年アレルギー患者だ。
やられてしまった!

ほうほうの体で家に逃げ込み、
シルバー人材センターに
5月に申し込んでいた「草抜き日」の確認をした。
「9月後半」ということだった。
あと半月ほど待たねばならない。
半月かあ・・・長いなあ。
草の成長ぶりに恐れおののく毎朝が
半月も続くと思うと気が滅入る。

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seventy days 70歳からの庭造り12ヶ月

その①

2018.8.9.
先月70歳の誕生日を迎えた。
60歳の還暦のときは友だちに祝ってもらったが、
70の古希ともなるとそんな晴れがましい気持ちは起こらず、
誰にも言わずに一人で過ごした。
しかし古希だから“けじめ”といおうか
何か“それらしき”ことをやるべきではないかと、
小さなホールケーキを買って蝋燭を1本立てた。
ケーキをホールで購入するのは70年生きてきて初めてだ。

バースデーケーキ

その夜はボブ・ディラン77歳のときのアルバム
『triplicate』を聴きながら、
果物たっぷりのさっぱりしたケーキを食べ、
70にしてやるべきことがらを思い浮かべてみた。
60のときは、
まだあと20年くらいは元気でいられるだろうと
終わりはぐーっと先の先だと、
なるようになるさ、と、
呑気に受け止めていられたが、
70となった今、
残されているのはあと10年と考えると
そんな悠長なことは言っていられない。
たとえ100歳まで生きたとしても、
自分の頭で、自分の体で、元気にやりたいほうだい
好きなように過ごせるのは、
うちの両親やその他先輩方々から察するのだけれど
だいたい80歳あたりまでだ。
それを越えると、脚が頭が、と、
いろんなところにガタが出て来て
思うような生活ができにくくなる。
むろん世の中には
そんな”常識“を飛び越えるスーパーな方々がおられるわけだが、
自分はごくごく普通の人間なので、
思い通りに動き回って好き勝手に生きていられるのは
やはりあと10年くらいだろうなと考えるのだ。
となると、
これまでは何でもかんでも先に回す“先送り人生”だったけれども、
さすがにここで襟を正して
「80までにやっておくべきいくつかの事」を考えなくては
いけないような気持ちに至る。

で、取り敢えず“70歳のテーマ”と表して
 その① 広い心を持つ
 その② とにかく始める
 その③ やるべきことはすぐにやる
 その④ とことん楽しむ
 その⑤ 1年間の記録を取る
と箇条書きしたものを机の前に貼ってみた。
上の4つは別として、
⑤の1年間の記録を取る・・・は、
日記というものを書いたことのない、
というか続けられたことのない人間にとって
“大きく出たな”感たっぷりのスリリングな目標ではある。
でもでも、です。
たぶん何か新しいことにチャレンジするには最後と思われる
この機会を逃すことはない、という気もする。
とはいえいったい何を記録する?
じくじく考えた末に、
カレル・チャペックを見倣うほどにはマニアックでないけれど
“庭造り12カ月”の記録はいいなと閃いたのだ。

というのも、
東京の大都市生活から九州の実家に戻り早7年、
毎夏毎夏馴れない庭の草むしりに悩まされ続け、
疲労困憊しているのである。
この先の大切な10年間を
こんなくだらない苦行に浪費したくはないと
庭の模様替えを考えていたところなのだ。
50坪ほどの庭に生い繁る雑草との戦いは壮絶だった。
もはや自分の手では無理と悟って
ここ2年はシルバー人材センターのおじさま方に春と夏、
徹底した草むしりをお願いしているが、
それでもその間草はみるみる育って藪のようになる。

庭

草ぼーぼー


日焼けには弱いし腰も問題ありだし
自ら草むしりするのはつらい状況。
悩みを相談すると兄などは
「そんなら庭なんか売っちゃえ」と言うが、
中途半端に庭だけ買ってくれる土地業者などいるわけがない。
どうしたものかと考えて、庭の改造に思い至った。
そもそも草が嫌いなわけではない。
問題は、草が生い茂るスペースが自分には広すぎて
草刈り作業が自分の手に余るからなのだ。
ならば自分でなんとか処理できる範囲を残し、
あとは、セメントじゃないけれど、
まあ、そういう草の生えない資材を敷いて
“断草”を試みるのはどうだろうと考えて、
庭造りのプロ、ガーデン・デザイナーさんに頼むことにした。

でも、まあ、その前に、
夏真っ盛りの今、
草茫々たる庭をすっきりさせてからと、
シルバー人材センターの「草抜き隊」は
申し込みが多くて来て貰えるまでひと月以上掛かるので、
一人暮らしの年寄りには超ありがたい
何でも引き受けてくれる「ベンリー」さんに
“草刈り”を頼んだ。
テラスの温度計では40度近い日、
朝9時から「ベンリー」さんの草刈り開始。

温度計

さっぱりした庭

おお、久しぶりだね、地面を見るのは。
なんて気持ちいいのだろう。
これまでだったら、
たぶん2,3週間で再び生えてくる草の勢いに負けて
元通りの雑草生い茂る庭となるだろう。
でも今年は記録を取るという仕事(じゃないけど)がある。
負けるにしてもその負け方を記録しよう。
敗因が見えて来るだろう。
すると勝ち方が判ってくるはずだ。
そう考えると面白くなった。
取り敢えず、
この“更地”のような状態からどう変化していくか、
ひと月に一回のペースで書いてみようと思う。

夕焼け


その決意を祝うように燃えるような夕焼け空が広がった。

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画集「God is paper」

建築家であり、作家であり、
踊り手であり、歌い手であり、
友だちでもある「坂口恭平」の画家としての展覧会が
今あちこちの場所で開かれています。

死なないでいるため、
文章を書き、踊り、歌い、絵を描き続ける。
身体の底からこみあげてくる何かに突き動かされて。
それが彼の生き抜くための唯一の手段。
そして本が何冊も生まれ、
描かれた画用紙は山となり、
展覧会が企画され、画集作りに結びついた。

私は先日熊本市の橙書店の会場で10数枚の絵を見ました。
さまざまなタイプの絵がありました。
恭平くんを知っているからすべてが胸に響いてくる。
どれか1枚欲しくなりましたが
あれもいい、これも好き、で決められない。
で、画集を手にしました。

この分厚い一冊に
たくさんの恭平の叫びが織り込まれている。
見飽きません。

God is paper


楽しげ
お話が見えたり

自画像
自画像?

心の中あり
心の奥も見えるかも

絵の具の晩餐会あり
絵の具をそのまま


そして6月最後の夜、
本人の思いつきによる画集刊行記念「坂口恭平音楽会」が
橙書店で行われました。
恭平くんの歌を聴くのは久しぶりなので
私も出かけてみましたよ。

弾き語り


途中から奥さんのふーちゃんも参加。
彼女の透き通った声に恭平の小さなスイングが重なると
クッと胸がつまって・・・しまったおばちゃんでした。

夫唱婦随



楽しげ

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まばたき5回の桃源郷

「九州の食卓」今月号の取材で大分に向かったのは5月初めでした。
担当編集女史の運転する、
廃車となる日もそう遠くはないようなボロボロ車で
阿蘇久住の山並みを越えました。
エンジンが途中で止まったら(これがよくある)怖いので高速道路は避け、
下の道路をひたすら走ったのです。
地震の影響で通行止めの区域もまだあって、
迂回ルートを辿りながらの熊本市内から大分市内まで、
所要時間3時間半のハードな旅でした。

でもそのおかげで素敵な光景に出会えたのです。
それは国道442号線を走っているときのこと。
国道たって山道というほうがぴったりの、
対向車とすれ違うのも冷や汗ものの細い道路で、
上って下って、右に左に、
片時も平坦なところなんてないし、
どんどん道幅は細まっていく感があり、
「この道で大丈夫かいな?」と不安になりかけたあたりで、
どこからともなくせせらぎの涼しげな音が聞こえてきました。
それから風に乗っていい匂いもしてきて、
ぽつぽつとある家の庭先にはきれいな花が咲き乱れている・・・。
え?ここ、どこ?
あれ?とか、えっ?とか、
きょろきょろしているうちに車は進み、
すぐにあたりは平凡な山景色に変わってしまった。
その間“まばたき5回くらい”でしたかね。

あの一角は何だったのか。
気になったので翌日の戻りのとき立ち寄ることにしました。
確か大分に入る1時間くらい前のところだったよね、と
元来た道を豊後大野、竹田市方面へ辿ります。
野津原、河津原、下山、石合、温見・・・
そして現れた“あの一角”。
やっぱりあった“桃源郷”。
車を止めて散策しました。
そこは公園でも休憩所でもないのでした。
一軒のお宅がせせらぎを跨いで作ったお庭らしいのです。

“あの一角”は静かな山村風景から始まります。
山の中の静かな農村


温見を過ぎたあたりから442号線に沿って小さな清流が登場する。
せせらぎが聴こえてきた


現れる家々の垣根には花が咲き乱れています。
白いのは白藤、黄色いのは木香薔薇。
きれいな生け垣


名前のわからない花々があたり一面に咲いていました。
小さな花も咲いている


見事な白藤の垣根の家にはたぶん妖しい美女が住んでいるのでしょう。
白藤だった


そのお宅の裏山は花盛りでした。手前には池と水車が配置されています。
山は花盛り


清流の上を渡した白藤のトンネルの先には東屋まである。
さすがにそこまで分け入る勇気はなくてトンネルの途中まで。
白藤美女になっているのは長距離運転にヘコタレ気味の編集女史です。
スナップを取っていると辺り一帯に漂う芳香、
頭がくらくらしてきましたね。
藤棚まである



公園でもなく休憩所でもなく、
すべてはこのお宅の庭仕事でした。
行き交う人の目を楽しませようと、
喜んでもらおうと、
たぶんそういうお気持ちで丹精込められたのだと思います。
はい、じゅうぶん楽しませていただきました。
機会があればまたこの時期伺いたいと思います。
このお宅の方の手造り


この区域は県の自然公園になっているようでした。
立て看板が


清流に送られて一路熊本へ。
国道442号線とはこの先の朝地町でお別れします。
清流ながれる



熊本に帰り、
ブログにこのことを書こうかとしているうちに、
豊後大野の朝地町、綿田地区のだんだん畑一帯で
大規模な地割れが発生してしまいました。
ひと月経った今でも地割れは進行中で、
避難所生活の方々もまだ多くおられるとか。
そういうとき、こんな呑気な記事を書いていいものかと
迷ってどんどん日が経ちましたが、
あのお宅へまばたき5回の桃源郷を
プレゼントいただいたお礼を述べたくあえて記すことにしました。
偶然この記事をご覧のみなさま、
もし来年の4月後半から5月半ば、
国道442号線を通過されることがありましたら
温見あたりの桃源郷をぜひご堪能下さいますよう。

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