江川紹子氏から一昨日(
2016年11月25日)名指しで批判を受けました。私のツイートを誰がどのように評価しようと私はかまいませんが、それが偏った見方だったり事実誤認に基づくものだった場合、それをそのまま放置するのはときとして元発言者の無責任にあたるかもしれないと考えて、江川紹子氏が「 」で切り取った私のツイート3つについて、前後のツイートいくつかを含めてその意味を以下で説明します。
「オウム信者と同じ」2011年6月21日と7月11日の2回に、該当ツイートがあります。自分の孫には食べさせられないと言いつつ収入を得るために米を作る行為を批判したものです。オウムではなくオウム信者と書いていることに注意してください。リーダーに言われるがままを無批判に実行している姿が同じだと述べました。
事故から1ヵ月後の2011年4月8日、原子力災害対策本部は「
稲の作付に関する考え方」を出して放射性セシウムが 5000 Bq/kg を超える水田での稲の作付を制限しました。土壌から稲への以降係数を0.1とみて、当時の食品衛生法の暫定規制値 500 Bq/kg を超えないことを狙ったものでした。しかし、ほとんどの福島農家は土壌中の放射性セシウムを測定しないまま、表土を薄く剥ぐこともせずに、水田を耕して稲を作付しました。作付しないと補償金がもらえない噂が広まったようです。
水田土壌をどれだけの深さまで採取して測るかが当該文書には明記されていませんが、もし深さ5 cmで測れば、作付制限に該当する 5000 Bq/kg を超える水田が少なくなかったことが翌年以降の土壌測定で明らかになりました。当時、放射能汚染地図を活発に更新していた私は、その疑いを誰よりも早く知ることができる位置にいました。その秋、福島県知事が安全宣言を出したあと暫定規制値 500 Bq/kg を超える米が複数の水田から収穫されました。
このように福島農家は、孫には食べさせられないものを作って倫理に抵触しただけでなく、規制を無視して米を作ったのでした。地域行政と流通に言われるがまま米を作っている姿が私の目には、教祖の指図に従って毒物を作ったオウム信者と重なりました。
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「サリンを製造したオウム信者と同じ」とその前後のツイート「貧乏人は福島のコメを食って死ね」2012年1月17日に該当ツイートがあります。全国民がひとりあたり12万円負担して福島を助けようのモデルを私が書いたら、自分は払えないとわざわざ私に向けてツイートしてきた人に返した言葉です。
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貧乏人は福島のコメを食って死ね「福島県で育って放射能を浴びた娘は我が家の嫁には迎えないが、これは合理的な理由があるから差別ではない」この発言をした記憶が私にはありません。私のツイートを検索しても出てきません。私がこう発言したと断定する他人の文章はたくさんヒットします。関連する私のツイートは2011年4月25日のこれらです。条件をよく吟味すると書きましたが、「我が家の嫁には迎えない」と結論しませんでした。私のこのツイートについては、安富歩さんによる詳しい分析があります(2013年2月の書籍)。
議論をわかりやすくするために、百歩譲ってこれを差別だとしましょう。将来差別されると予見されるから、いまそれを回避したほうが有利だの発言が、するべきでない差別を助長したと受け取られたようです。この差別を何らかの方法で撲滅できる見込みがあるならこれに触れないのがよいでしょうが、そうではなくて避けられない場合は、そのリスクの存在とそれを回避するための方策を
そのときに伝えたほうがよいと私は考えました。
特定の差別行為を話題にすることが差別だというなら、差別だと指摘することも同じ理由で差別であるような気がします。その差別行為にわざわざ光を当てて世間の注目をそこに集めたわけですから。
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フクシマの結婚差別いまツイッターで遡れるもっとも古いツイートは2012年6月30日のこれ。