ある受験生が、センター試験の答案用紙のマークを鉛筆でなくて使い慣れたシャープペンシルでやりたいと思った。
大学入試センターから「解法時にシャープペンシルを使うのはかまわないが、答案用紙へのマークは鉛筆でしなさい」と、文書による指示が出ているのは知っている。それを承知の上で、シャープペンシルでマークしてよいか監督者に聞いたら、「大丈夫だろう。原料は同じ炭素だから」と返事があった。受験生は監督者の言を信じて、シャープペンシルでマークした。
試験を無事終えて帰宅して、さっそく自己採点した。8割取れたのでうまくいったと安心して、予定通り第一志望の大学に出願した。しかし、2週間後に来た通知には、「センター試験の成績が悪いので二次試験は受けられません」と書いてあった。
後日開示請求してみたところ、なんと5割しかとれていなかったことがわかった。シャープペンシルでマークしたから機械の読み取りミスがあったのではないか。受験生はそう思った。
調べたところ、シャープペンシルでマークした答案は4000枚に1枚読み取りミスが発生するのだという。鉛筆でマークした場合の読み取りミスは4万枚に1枚だという。
さて、この受験生は監督者を訴えるだろうか?訴えたら勝てるだろうか。
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経緯山口県で昨年10月、ビタミンK2シロップを摂取しなかった生後2ヵ月の乳児が頭蓋内出血で死亡した。ビタミンK2には止血効果がある。シロップにして新生児に摂取させる医療行為がごくふつうに行われているが、義務ではない。母親には拒絶する自由が認められている。
わが子にシロップを投与しなかったのは助産師の判断であり落ち度だったとして、今年8月、母親が5600万円を請求する民事訴訟を起こした。助産師は争う姿勢を見せたが、2回開かれた口頭弁論では何も審議されなかった。3回目を開くことなく、12月に和解が成立した。
内容を口外しない条件が和解の際についたという。だから和解金が支払われたか、もし支払われたならいくらだったはか明らかでない。母親は「私たちの勉強不足もあり娘は亡くなりました」と、近しい人のブログにコメントを出した。ただしこのコメントは新聞報道されていない。朝日新聞と読売新聞は、推定した根拠を示さないまま「和解金は数千万円とみられる」と書いた。
選択の自由とリスク負担安全を第一優先とするなら、設備が整った病院で、管理された出産をするのが一番だろう。しかし出産を人生と家族の一大事だととらえて、その経験を大切にしたいと念じて自然なやり方を望む母親もいる。その価値観は尊重されなければならない。ただしその選択は、リスクを取ることも意味する。万一の場合は(今回のリスクは1万分の1ではなく、4000分の1だったようだが)、自己責任で結果を受け入れる覚悟をした者にのみ、その選択が許される。
4000回にひとつの不幸がわが身に降りかかった責任を、結果を見たあとで他者に転嫁するのは卑怯だ。もし今回の責任をその助産師に問うなら、第一子のときにシロップを投与しなかった責任も同様に問わなければおかしい。うまくいったときは不問にしながら、うまくいかなかったときだけ助産師を責めるのは不合理である。助産師からみれば、二人の子どもをまったく同じに扱ったのだから。
ただし助産師にも非はあった。ビタミンK2シロップを投与してないことが検診でみつかることを恐れて、投与したと母子手帳に虚偽の記入をしたという。
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母親は、何を求めて民事訴訟を起こしたのか。納得のいかない死に方をしたわが子が、いったいどういう経緯で死んだのかを知りたいと思ったからではなかったのか。今後、このような死に方をする子どもがいなくなることを願ったからではなかったのか。口頭弁論は2回開かれたが、2回とも何も審議されなかったという。口頭弁論は公開で行われるが、何も明らかにならなかった。それなのに、なぜ「内容を口外しない」和解に同意したのか。母親は何を得たのか。日本社会はこの裁判から何を得たのか。
【“山口裁判和解の報道に接して思う”の続きを読む】
親権を一時停止する法案がまとまった(読売新聞朝刊)。これまでは、親権「喪失」しかなかった。一時停止の仕組みがこれに加わる。児童虐待の問題に、裁判所がもっと積極的にかかわったほうがよいとする判断が反映されている。虐待事例をみつけた児童相談所は、これまでよりずっと気軽に親権停止の申し立てを裁判所に行うことできるようになる。
山口で、ビタミンKが投与されないまま脳出血で死亡した乳児の事例を考えてみよう。乳児はビタミンKの投与不投与を判断できないから、助産師が勝手に不投与を決めてはならない(投与が必須だった)とする論がある。しかしこの論は、親権をもつ母親の存在を忘れている。そのとき投与不投与を判断する全権は母親のもとにあった。
ビタミンK投与は標準医療だから、それを怠った助産師に重大な責任があるとする論がある。助産師に責任を負わせるだけでこれをすませてよいだろうか。ビタミンK投与が標準医療であって、それは(親権者が意図して拒絶する場合を除いて)すべての乳児に施されなければならない処置だというなら、社会は、それを確実に行うための仕組みをつくる責任を負う。たとえば、1)母子手帳にビタミンK投与日を書く欄を設ける、2)保健婦が母子に面会したらまず初めにビタミンK投与の有無を確認する、など複数の関所を設けた形状管理が必要だ。
山口で使われてる母子手帳にビタミンK投与日を書く欄があるかどうか調べてないが、もしあれば、そこがなぜ空欄なのか母親はいぶかしく思っただろう。ビタミンKを何のために投与するかも母子手帳に説明してあるとよい。(追記参照)
山口の事例ではないのだろうが、「あの助産院はビタミンKを投与してないのよ」といった噂が保健所内で語られることがあるという。専門機関が知っていても放置している実態がここにある。親権の一時停止法案と同様の考え方で、乳児にビタミンKを確実に投与する社会的仕組みを急いで整える必要がある。
【“親権一時停止とビタミンK不投与問題”の続きを読む】
新たに土地を購入しようとするとき、地盤の良し悪しなどの災害耐性を最優先の判断基準にするひとはほとんどいない。交通・日当たり・眺望・騒音などの環境をより重要視する。めったに起こらない災害リスクよりも、毎日の利便や快適を優先するのは、きっと正しい判断なのだろう。
災害リスクへの対応を後回しにして毎日の利便や快適を優先するのは個人の嗜好・価値観だから、いざ災害が起こったときに損失補償を国など他者に求めるのは理屈に合わない。
いま国民に選択の自由を許していることで、国は自然災害による損失を補償しない根拠を確保している。もし国が選択の自由を一部でも制限したなら、災害が起きたとき国は国民に損失補償しなければならなくなる。
港まで遠い高台から下りて、津波に対して脆弱な海岸に居を移すのは個人の自由だ。地震と水害に脆弱な大都市に住んでファッショナブルな生活を追い求めるのも個人の自由だ。ただし何世代かのうちには必ず自然の猛威によって手ひどい災害を受ける。そのときの結果責任は、国に頼ることなくすべて自分で引き受けてほしい。漁に便利な住居を得た、ファッショナブルな生活を送ったつけをちゃんと払ってほしい。
もし個人が責任引き受けられないというなら、国が選択の自由を国民から奪って大規模な立ち退きを命じ、災害に強い都市や漁村にすっかりつくり変える根拠がそこに生まれる。はたして、それを断行するだけの政治力がいまの日本にあるかどうか疑問ではあるが。
現状は、国がそこまでの指導力を発揮することができず、国民の選択の自由を認めたかたちになっている。しかし国民は、残念ながら自分で責任をとれるだけ十分には成熟していない。日本にはそれなりの経済力があるが、日本人は依存体質から脱却できていない。
幸いまだ大きな災害が起こってないから、このボタンの掛け違いは露見していない。1995年1月の神戸の地震のとき少し社会問題化したが、すぐに忘れられてしまった。
学校の耐震性、非公表17% 自治体、義務守らず 2009年6月16日14時1分 アサヒコム
文部科学省は16日、今年4月1日時点の全国の公立学校の耐震化状況を発表した。昨年6月の地震防災対策特別措置法改正により、幼稚園と小中学校、特別支援学校については耐震診断と結果公表が設置者に義務づけられたが、未診断の建物がある自治体は676(36.0%)、結果を公表していない自治体は320(17.0%)あり、違法状態が続いていることがわかった。
法改正で耐震化工事の国庫補助率を引き上げるなどした結果、市町村の負担は約3割から約1割に軽減されたが、財政事情を考えるとなお重荷だとする自治体は少なくない。耐震診断の結果公表も「住民の不安をあおる」とためらうところがある。文科省は是正の指導を強める方針だが、罰則がない法律にどう実効性をもたせるか、今後の課題になりそうだ。
(以下略)
自治体が違法状態にある例。住民の不安をあおるという理由で法律が曲げられていいわけがない。しかし罰則がない法律を遵守させるのはむずかしい。
【新型インフル】死者数、鳥インフルに並ぶ 「弱毒性」も侮れず 産経新聞
2009.5.20 08:16
世界保健機関(WHO)の19日現在の集計によると、新型インフルエンザで死亡した人の総数は79人と、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)で過去最多の被害となった2006年の年間死亡者数に並んだ。
新型インフルエンザウイルス(H1N1型)は、感染者の大半が軽症か無症状ですむ「弱毒性」との見方が有力だが、4月下旬に流行が確認されてから1カ月程度で鳥インフルエンザ1年分の死者を出したことは、重症者の比率が低くても多数の人が感染すれば強毒性ウイルスに匹敵する被害をもたらすことを意味する。
WHOの進藤奈邦子医務官は「弱毒性でも感染力が強いと(患者全体としての)健康被害という意味では、全く侮れない」と警戒の必要性を訴えている。(共同)
進藤奈邦子医務官は、社会リスクと個人リスクの違いを語っている。豚由来インフルエンザは、個人にとってはたいしたリスクでないが社会にとっては侮れないリスクの好例だ。
疫学的にはフェーズ6だが、政治的な力が働いてWHOがフェーズ6を宣言できない状態が発生している。
フェーズ6(パンデミック)は、感染症が汎世界的に流行することをいう。いまの豚由来インフルエンザは、パンデミックの条件をすでに十分満たす。しかし、これをこのままパンデミックだと言えないのは、パンデミックへの対応が強毒性ウイルスについてしか用意されていないからだ。フェーズ6への対応を実施すると、経済に大きな打撃が加わる。しかしこのウイルスは弱毒性だから、経済をそれほど痛めなくても対処できる。したがって、フェーズ5のままに留め置いてほしいという政治的思惑が疫学にいま強く作用している。
各国は、そしてWHOは、パンデミックを起こすウイルスには弱毒性のものもあることをあらかじめ織り込んでおくべきだった。いまからでも遅くない。弱毒性のパンデミックへの対応策を急いでつくってフェーズ6宣言するべきである。
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北九州市教委の登校停止決定、兵庫・井戸知事が不快感
2009年5月17日22時9分アサヒコム
修学旅行で神戸市の一部地域などに滞在した中学生らの登校停止を決めた北九州市教委に対し、兵庫県の井戸敏三知事は17日の記者会見で「『汚染地域に足を踏み入れたら、お前も汚染源になる』というような言われ方だ」と不快感をあらわにした。
井戸知事は、北九州市の判断について「行き過ぎと評価してもおかしくない。ここに住む私たちは1週間、家にいないといけない。社会生活をするなということになる」とも語った。井戸知事は、同県や神戸市への修学旅行中止や訪問自粛を呼びかけている自治体が複数あるとして、18日に開かれる全国知事会で過剰反応をしないよう訴える方針も明らかにした。
神戸に修学旅行に行った中学生を北九州市教委が7日間の登校停止にしたことを知った兵庫県知事が、その処置は行き過ぎだと発言したのだという。
しかし大阪府と兵庫県の中学高校がすべて休校になったのだから、北九州市教委の判断が行き過ぎだとはもはや言えない。むしろ調和的な処置を率先しておこなったと評価すべきである。
感染拡大を抑えるには、感染者を隔離する処置がもっとも効果的だ。ただし隔離は、社会経済活動の低下をもたらす。隔離処置を実施することによる利益と損失の双方を定量して突き比べ、理性によってもっとも適切なリスク管理を選択しなければならない。情動的な発言は慎むべきだ。
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神戸で複数の高校生が豚由来インフルエンザに感染した。感染国への渡航歴がないことからヒトからヒトへの感染によるものだと考えられている。
国際空港で実施された「水際対策」は、ウイルスがわが国へ侵入するのを防ぐためのものではなく、遅らせるためのものだと聞くが、遅らせることもできなかった。
デトロイト発のノースウエスト機で5月8日に帰国した大阪の高校生たちを成田に留め置いた一事例をもってして、水際対策が一定の効果を挙げたとみる向きもあるようだ。しかし潜伏期間を考えると、デトロイト発のノースウエスト機が成田に到着した5月8日ころ、ウイルスは誰かにのって日本に忍び込んでいたとみられる。そして、神戸の高校生に乗り移った。今回の「水際対策」で感染を遅らせることは、残念ながら、できなかったというべきだ。
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