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早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

フェアユース容認へ

フェアユース容認へ、さらに一歩前進したようだ。

アサヒコム
ネット著作物「公正利用なら制限緩和を」 知財戦略本部2008年12月24日

 政府の知的財産戦略本部が24日開かれ、ネット時代に対応した知財制度を検討してきた専門調査会が報告書を提出した。ネット上での著作物の利用制限を緩和するため、著作権者の利益を損なわない公正な利用であれば、許可なく著作物を利用できるようにする一般規定(フェアユース規定)を作るよう提言している。

 現行の著作権法は、権利者の許可なく複製できる事例を、個人での利用や教育目的、点字のための利用など、具体的に列挙したものに限っている。この方式では、新たな事例を追加するのに時間がかかるため、一般規定が既にある米国では著作権法違反にならないのに、日本では違法になる事例があるという。

 一般規定を設けることで、画像や文章の複製をサーバーに保存する必要があるインターネットの検索ビジネスなどを振興するねらいがある。



テレビ番組を報道目的以外に使うこと

アサヒコムが次のように伝えた。

テレ朝の番組を無断で証拠申請 秋田・藤里事件で検察2008年12月17日22時52分

 秋田県藤里町の連続児童殺害事件の控訴審公判で、仙台高裁秋田支部(竹花俊徳裁判長)は17日、テレビ朝日が放送した畠山鈴香被告(35)のインタビューを録画したDVDを証拠に採用した。検察側が無断で証拠申請していた。テレビ朝日広報部は「番組の内容が報道目的以外で使用されたのは極めて遺憾」としている。

 証拠採用されたDVDは、06年5月の米山豪憲君(当時7)殺害事件直後のインタビューで、同年7月17日に放映されたもの。畠山被告が豪憲君殺害について関与を否定する話をしている内容だった。

 検察側は公判後に「被告の話に一貫性がないことを立証するためのもの」と説明した。


テレビ・新聞による噴火報道は火山の学術研究のために貴重である。私自身、噴火のテレビ画面や新聞記事を学術論文に使わせてもらったことがある。学術論文を発表することも報道の一形態だとみることも可能だが、「番組の内容が報道目的以外で使用されたのは極めて遺憾」は、省略が過ぎる。番組の内容を裁判の証拠として用いることに限って遺憾を表明してほしい。

ただし法的には、公開された情報を裁判の証拠として用いることに何ら制限はない。過去にあったこれと同種の問題は、裁判所が証拠として取材テープを提出しろと放送局に指示したことへの強い反発だったと記憶している。未発表の取材テープを提出しろの指図はたしかに行きすぎだと思うが、放送して公開した情報を裁判で証拠として使うことにまでマスメディアが苦情を表明したのはめずらしい。この主張が社会の合意を得ることはむずかしいだろう。

モンセラ島の壊滅的打撃と雲仙の幸運

西インド諸島のイギリス領モンセラ島 (Montserrat) で溶岩ドームの上昇とともに熱雲が発生して海岸の町に深刻な被害が出ていることは、1995年の噴火開始から知っていました。火山の名前は巣不利エールヒルズです。ナショナル・ジオグラフィックが1996年に放送した海面上を前進する熱雲の動画を、毎年の授業で学生に見せています。

深刻な被害が発生しているだろうことは想像していましたが、被害の内容を具体的には知りませんでした。最近になって、溶岩ドームから4キロしか離れていないところに島の中心であるプリムス (Plymouth) の町があって、それが文字通り壊滅したことを知りました。噴火前のプリムスの人口は4000人ほどでした。一週間前にもまた熱雲が発生して、海岸まで達する途中でプリムスの町に火災を引き起こしたそうです。プリムスにまだ燃えるものが残っていたのかと驚く声を聞きました。

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グーグルマップでみたスフリエールヒルズ火山と、完全に破壊されたプリムスの町。

1991年6月3日、雲仙岳の熱雲に43人が飲み込まれて犠牲になりましたが、雲仙岳の場合は熱雲によるそれ以上の破壊はほとんど起こりませんでした。モンセラの事例と比べると、水無川沿いに熱雲が海まで壊滅してもおかしくない地理条件でした。そうならなかったのは、不幸中の幸いと言うしかありません。また、モンセラ島の噴火はもう13年を超えました。まだ続いています。雲仙岳の深刻な噴火は5年ほどで終了しました。これも、幸いにも短かったというべきでしょう。

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グーグルマップでみた雲仙岳と島原市・深江町。

火山防災の責任が気象庁長官に移って一年

日本の火山防災の責任を気象庁長官が一手に引き受けることになってから、きょうで一年が経過した。気象庁は、日本のおもだった火山に噴火警戒レベルを1から5まで設定した。各レベルによって、住民がとるべき防災行動をそれぞれ規定している。レベル4で避難準備、レベル5で避難だ。住民が避難行動を開始するきっかけは、気象庁が宣言するレベル5である。逆に言えば、住民は気象庁がレベル5を宣言するまで避難しなくてよい。

この一年間、気象庁による情報公開は、とくにインターネットを介してめざましく前進した。火山に異常があると、従来のテキスト情報だけでなく、写真や観測データを掲載したpdfファイルをきわめて迅速に公開するようになった。その迅速と詳細についての賞賛の声が国外から私の耳に聞こえてくる。

しかし、気象庁が火山防災を責任を持って遂行するに十分な能力をこの短期間で獲得したかというと、もちろんそうではない。まだ、はなはだ不十分だ。それは一年や二年で達成できることではない。実際、8月22日の霧島新燃岳の噴火は、レベル1のまま発生してしまった。気象庁は、新燃岳が噴火したのを知ってからレベルを2に引き上げた。

住民が避難するべきか、しなくてよいか、の意思決定は昨年12月から気象庁がすることになった。これは、その意思決定を市町村長がすると定めた災害対策基本法と矛盾しているように私には思われるが、市町村長は自らの決定権を責任とともに中央に差し出して無邪気に喜んでいる。

ほんとうにこれでよいのか。火山のリスクについて、何をどこまで受容するかには地域依存性がきわめて高い。地方固有の文化に直結する価値観をみずから捨て去り、中央の言うがままに従ういまの方式でほんとうによいのか。

いまの中央が地方と同一の価値観を共有するとは、私にはとうてい思われない。