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早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

避難者数の推移


避難者数の推移(2014-2016)。受け入れ地方別。復興省データ。東北地方の避難者数は急減して3年で1/3になっているが、その他の地方の減少は鈍い。

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子供の避難者数の推移。福島県ページ。県外は順調に減っているが、県内はあまり変わらない。

江川紹子氏による批判へのコメント

江川紹子氏から一昨日(2016年11月25日)名指しで批判を受けました。私のツイートを誰がどのように評価しようと私はかまいませんが、それが偏った見方だったり事実誤認に基づくものだった場合、それをそのまま放置するのはときとして元発言者の無責任にあたるかもしれないと考えて、江川紹子氏が「 」で切り取った私のツイート3つについて、前後のツイートいくつかを含めてその意味を以下で説明します。



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フクシマ放射能リスクの評価と管理 事故直後、1年後、2年後、、、

2011年
1月
2月
3月 11日 M9.0地震
4月 8日 放射能汚染地図(初版)、福島中通りの汚染
   25日 このままだと福島県がつぶれる。命か生活か。
   28日 福島県のコメ
5月
6月 18日 放射能汚染地図(改訂版)、首都圏東部・北関東・一関の汚染
7月
8月 12日 京都五山送り火で使う陸前高田の松からセシウム
9月 8日 福島県ナンバーの車がこわい
10月 27日 避難区域と除染区域の線引き。そして強制移住の是非。
11月
12月 7日 訓告
   14日 ことし福島で生産されたコメを全部食うと何人死ぬか、答えは2人だった。意外と少ない。
2012年
1月
2月
3月
4月
5月 23日 北九州市のがれき受け入れ問題
6月 24日 首相官邸前デモの人数調べ
7月 28日 放射能汚染地図(七訂版)印刷。八訂版を含めて16万部。
8月 16日 家族分離避難の線引き、首都圏から九州への母子避難は行き過ぎ
9月
10月
11月
12月
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2011年3月原発事故ツイートまとめ

11日(金) 1446M9.0
3.11当日のタイムライン(ごく狭い範囲内で) pochipressまとめ
東日本地震と原発震災における特徴的なツイート(2011年3月)
3月11日夜-12日朝、福島第一原発ツイート

12日(土) 1536一号機爆発
3月12日、1号機爆発とその後の記者会見、そして怒りと絶望

13日(日) 1747霧島山噴火

14日(月) 1101三号機爆発
3月14日11時、3号機爆発

15日(火) 2231富士山M6.4
3月15日の黒い雨
東京に放射能が来た日(2011年3月15日)

16日(水) 玉音放送
17日(木)
18日(金)
19日(土)
20日(日)
21日(月)
東京が放射能に汚染された日 2011年3月21日
22日(火) 金町浄水場210ベクレル
23日(水) ルース大使メッセージ


首都圏からの自主避難者数はわからない

・強制避難9万人(旧警戒区域
・福島県からの自主避難5万人、2011年9月時点(文科省のページ
・福島県外からの自主避難者数は不明。復興庁のページは、岩手・宮城・福島3県からの避難者統計である。

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住民への避難指示と解除

▼2011年
3月11日 地震と津波。全交流電源喪失
3月13日 広野町避難指示、いわき市へ
3月15日 最大汚染
3月16日 川内村避難指示、郡山市へ
4月22日 20キロまでを警戒区域、その外側で飯舘村まで計画的避難区域、20-30キロ圏は緊急時避難準備区域に国が指定
9月30日 国が緊急時避難準備区域を解除

▼2012年
1月31日 川内村帰村宣言
3月30日 広野町避難指示解除
4月1日 警戒区域の再編開始。まず田村市と川内村から

▼2013年
8月8日 川俣町を最後に警戒区域の再編完了
11月11日 帰還しない住民にも手当てするよう与党が政府に提言

▼2014年
4月1日 田村市都路の避難指示を解除。
7月26日 川内村275人の避難指示を解除(予定)。残りは54人。延期。10月1日予定。

▼2015年
9月 楢葉町の避難指示を解除

▼2016年
6月 葛尾村、川内村の残りの避難指示を解除
7月12日 南相馬市小高区、原町区の避難指示を解除

▼2017年
3月31日 飯舘村、浪江町、川俣町山木屋の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。
4月1日 富岡町の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。両日で3万2000人への避難指示が解除されたが、戻ったのはまだ少数。
(残りは大熊町と双葉町と帰還困難区域の2万4000人。当初は9万人が避難を強いられた。)

国の方針発表を待たずに自主的に避難した広野町と川内村。原発からの距離は近かったが放射能汚染は軽微だった。とくに川内村は、汚染がよりひどい郡山市に避難するという愚を冒した。いっぽう、原発からの距離は遠いが濃い放射能霧に襲われた飯舘村。村の中にさまざまな意見があったようだが、村長は一貫して避難を拒んだ。さて、これらの自治体にはそれぞれどんな将来が待ち受けているだろうか。(2013年11月12日)
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この放射能禍における世間の気分移り変わり

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(表をクリックすると、別画面で全体が表示されます。)

・ツイートまとめ。原発事故の標語ツイート

避難者の地理分布

福島第一原発事故のリスク評価とリスク管理

リスク評価
・放出されたセシウムの量は1京1000兆ベクレル。
・低空の風に乗って東日本の広い範囲に運ばれた。
・福島市と郡山市の中心部に、毎時2マイクロシーベルトに汚染されたところがある。

リスク管理(社会)
・ひどく汚染された双葉町や大熊町でさえ、住民を強制的に排除してはいけない。あくまでも自由意思で立ち退いてもらう。
・福島市や郡山市から脱出したい人には、東電または国から援助がなされるべきである。
・福島中通りの農家は生産をいったん中止して、安全が確認されたところと品目から順次生産を再開する手順を取るべきだった。
・都市部は除染できる。山野は除染できない。
・岩手県と宮城県沿岸部の津波がれきの受け入れを、放射能汚染を理由に拒絶してはならない。
・甲状腺検査は個人にとって利益はひとつもない。むしろ害毒を受け取っている。

リスク管理(個人)
・福島県の農産物は食べない。
・東京は、注意して暮らせばまだ暮らせる。
・甲状腺検査はしない。

警戒区域の再編

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