こんにちは、地図製図者のふぐじょと申します。
これは、『福島第一原発から漏れた放射能の広がり地図』初校データの一般公開向けPDF(低解像度版)です。
・七訂版おもて(7.6MB)
・七訂版うら(11.7MB)
ウェブ公開用の低解像度版なので、見にくい部分が若干ありますが、紙印刷ではもっときれいにでます。
ご覧頂いた上で、7月9日(月)24時までに、内容の誤りをこのエントリのコメント欄にお知らせいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
追記;
地図製作者から、特にみなさんにお願いしたいことがあります。
地図中の地名のうち、白丸と小さな字で記されている地名は、おもに合併以前の旧市町村に関連した地名です。
これに関して、
1)現地でもっと一般的に使われている呼称がある
2)この地名も入れてほしい(理由もお願いします)
というご指摘をお待ちしています。
18:31、画面4500人
18:51
19:33
19:44、画面6000人
ヘリコプターから石井麻木撮影 @ishii_maki
公開全写真まとめたまさんが現場で計測。官邸前交差点定点400人、議事堂側400人、第一議員会館側200人。246北側歩道800人、南側歩道100人。グミ坂北側と南側歩道1200人×2。グミ坂車道(30×300m 平米2.3人)2万0700人。合計2万5000人(19時45分ピーク時)。
【“首相官邸前デモ6月29日2万5000人”の続きを読む】
@mayamasa: 行けばわかる、4万人いたらみんな圧死だ。・2012年6月22日19時 北側320m(総理官邸前-財務省上)、15人/mで4800人。南側320m(財務省上-内閣府下)、5人/mで1600人。その他1600人。合計8000人。@takuyakawai 川井さんの
タクシー調査ビデオを見て。そのあと、
後ろから徒歩で高所カメラ撮影早送り映像も見た(24日7時)
・川井さんの
徒歩一周(1850-1900)
・ANN報道ステーションで放送。随所にヘリ空撮あり。デモを呼びかけたのは平野太一さん(27)。
・6月22日デモ人数。19時のタクシー調査から8000人だったと私はみつもった。18時開始20時終了だから、18時に0人として単調増加を仮定すると、20時に1万6000人だ。平均8000人、最大1万6000人となる。「
8000人が2時間デモした」と表現するとわかりやすい。
・@take_uem: 6月22日の内閣府周辺抗議行動参加者数、修正。列の長さ600m,14人/1mで8,400人。道路反対側長さ250m,7人/1mで1,750人。合計10,150人。19時45分頃の瞬間値。主に現地目視による推定人数。
・主催者発表は、4万5000人(のべ)、警察発表は1万1000人。
・6月15日は2000人、hiroassuperhero2さんの
後ろから徒歩ビデオを見て。主催者発表は1万1000人、警察発表は2600人。
・@mikiosida: 6/8は実際に数えました。約2千弱でした。
【“首相官邸前デモの人数調べ”の続きを読む】
・昨年3月、福島第一原発から大量の放射性物質が出て東京にも降った。
・ヨウ素の半減期は8日だからもうなくなったが、セシウムがしぶとく残っている。セシウムには半減期2年の134と半減期30年の137の2種類がある。
・東京西部(八王子から西)が先に3月15日に汚染された。東京東部が汚染されたのは6日後の3月21日だった。谷間は三鷹市付近にある。
・昨年3月に地表に降り積もったセシウムは、いま芝生や草地にそのまま残っている。
・芝生や草地の上1メートルで測ると、その地域のセシウム汚染を正確に知ることができる。代々木公園は0.06uSv/h程度である。
・地上50センチは1.2倍程度になる。点源でなく無限平面だから、距離の二乗に反比例にはならない。
・地上1センチでは、理論上は2倍になるが、じっさいには地表の凹凸や放射能のムラのせいで1.3倍程度になることが多い。
・昨年3月から15ヵ月たっているから、いまの放射線量は半減期によって当初の7割になっている。3年で1/2になる。10年で1/4になる。
・土の表面に降り積もったセシウムの過半は、その後の風雨によって取り去られた。
・アスファルトの上に積もったセシウムの一部は下に染み込んで、一部は流された。目の粗いアスファルトは染み込んだ割合が大きい。
・流れたセシウムは下水を通ってすでに海に達したが、一部は側溝や路傍に土といっしょになって残存している。
・そういった泥や土のなかには芝生や草地の何倍もの放射線量を示すものがある。代々木公園では0.3uSv/hを示す路傍の土が簡単にみつかる。
・接触測定で1uSv/hを示す路傍の土は、10万Bq/kg程度のセシウムを含む。
【“放射線測定会(上級編)6月24日@代々木公園”の続きを読む】
2011年4月29日
いわき市から武田邦彦へ抗議
2011年9月4日
一関市から武田邦彦へ抗議
2011年12月7日
群馬大学長が早川由紀夫に訓告
2012年4月27日 真鶴町議会、辞職勧告案可決
2012年6月20日 桐生市議会、除名懲罰を可決、庭山市議失職。
【“放射能発言への弾圧”の続きを読む】
警戒区域は市町村長が設定すると災害対策基本法63条が定めている。昨年4月21日11時、原子力災害対策本部長である内閣総理大臣が原発から半径20キロを警戒区域にしろと福島県知事と各市町村長に指示した。南相馬市長はその指示に従って粛々と警戒区域を設定した。しかし浪江町長は、総理大臣からの指示をそのまま住民に伝達しただけでことをすませて警戒区域の設定をしなかった。そしてどういうわけか、警察が28キロ地点に柵を設置して検問し始めた。これが14カ月たったいまも継続している。(
ツイートまとめ)
・2011年4月22日0時から半径20キロを警戒区域にしろと
内閣総理大臣が指示。
・南相馬市はそのとおりに警戒区域を設置した。しかし他の町は設置しなかったようだ。浪江町は、どういうわけか28キロ地点に検問を置いた。
・2012年3月16日、福島簡裁がフランス人に罰金刑10万円。
・雲仙岳1991年噴火のとき警戒区域に入って取材して記事を雑誌に公表した鎌田慧は書類送検されたが不起訴になった。彼の著書『大災害』に詳しい。
・希望牧場の吉沢さん
・「取材ではない」上杉隆
・日隅一雄、浪江町長へ
公開質問。取材制限は憲法違反ではないか。町長からの5月31日返事は、取材でも立ち入り可。
・南相馬市の警戒区域に
6月1日に入った広河隆一が南相馬署から任意出頭を求められた。
【“福島第一原発の警戒区域”の続きを読む】
@cocoblueskyさんのツイートを編集しました。
早川先生:昨年3月の福島原発事故で放射能がばらまかれ、日本はすっかり汚れてしまいました。汚染のひどいところも、そうでもないところもあります。そうしたなかで、食料や、人、車、がれき、あらゆる汚染された物が、毎日移動しています。汚染された物の移動は、新幹線や車、人などで運ばれ消費され、地域の物質循環の中にはいってゆきます。今までのようなやり方では、もうこの日本では、生きてゆけません。がれきの放射能汚染にスポットをあててこの問題を考えたい。
低濃度から高濃度に瓦礫を移動する例(宮古→桐生)早川先生:まず「桐生が、宮古のがれきを受けいれる話」これは東日本の一部が、がれきを受け入れるかどうかについて議論することで、低汚染地域から高汚染地域への、物の移動について考えたいと思います。放射能汚染に限ってはなしをします。
宮古より桐生のほうが、20倍も放射能汚染されている現実があります。しかし桐生市議員の庭山さんは、宮古の放射性物質を含むがれき焼却で、桐生の汚染が、福島なみになると心配しているようです。なぜこう思うのですか?
庭山議員:放射性物質はできるだけ動かさず集中管理が基本、低レベルでも放射性物質含んだがれきは、拡散すべきでない。汚染が低いところのものを、濃いところにもってゆけば希釈されるとゆうが、逆に総量が増えるのではないか。 高崎CTBT放射性核種探知観測所のデータで、ヨウ素やセシウム以外の核種も検出されているが、現在充分に調査されていない。低濃度汚染のがれきに、これらがついている可能性もある。総合して考え危険ではと判断した。
【“瓦礫だらだら6月4日のcocoツイート(編集)”の続きを読む】
うん、国道114号は昼曽根発電所まで行ける、よし、と、事前に
浪江町のページを調べて勇んで出かけた。
津島につくと、「13キロ先、車両通行止め」「約10キロ先通行止め」の看板。よしよし。
しかし、津島のはずれまでくると津島保育所の前の路上に検問があり、警察官に立ち入りを拒否された。まだ28キロの地点である。これは、警察による許しがたい暴挙である。赤宇木を調査去る目的が断たれて私はたいへんな迷惑をこうむった。
昼曽根の位置と津島保育所の位置(A地点)
・この件の
ツイートまとめ・
警戒区域の地図(経済産業省)
【“警戒区域は20キロじゃないの?”の続きを読む】
国・県・市町村など公が設置した放射線モニタリング装置は、その近傍の草地の上1メートルの数値と比べると、3分の1くらいの数値を示す場合が多いようです。草地は、2011年3月に降り積もった放射能をそのままの状態で保持しています。科学的・客観的に考えようとすると、草地の上1メートルの数値がその地域の汚染を示すよい指標になるのですが。
飯舘村役場。公設置は0.74マイクロを示す。そばにクリアパルスを持っていくと、0.850マイクロを示した。おおむね合致している。役場の裏手に回って、草地の上1メートルで測った。3.136マイクロだった。公測定はこの
24%だというわけだ。
村役場の隣のいいたて活性化センターに、文部科学省が設置した放射線モニタリングポストがあった。数値の表示はないが、クリアパルスを近付けると1.236マイクロだった。役場裏の草地の
39%だ。地表にまかれた砂の上にクリアパルスを置くと1.053マイクロを表示した。ここの地表の放射線量は地上1メートルより低い。放射能に汚染されていないきれいな砂を地表にまいた効果だ。
【“公による放射線モニタリング数値の特徴”の続きを読む】
2012年5月の風による放射性物質の飛散は、2011年5月と比べてとても小さく測られた。そのひとつの原因として、2012年5月は降雨が多かったことがあげられる。セシウム最大飛散日は5月12日(土)の71ベクレルだった。あいにくその日、福島市内の多くの小学校で運動会が実施された。
2011年5月と2012年5月の間に、観測点周辺の環境が人為によって改変された効果も考慮する必要があるかもしれない。3月16日の現地調査の際、観測点北西にある駐車場をアスファルト舗装工事しているのを目撃した。以前は土の駐車場だったという。
データ出典は、
風速と空中セシウム量の関係(4月11日エントリ)にある。3月1日からのグラフもある。
【“2011年5月と2012年5月の風によるセシウム飛散比較”の続きを読む】