タイ生活10年を振り返る/波乱万丈、充実感半端ないタイ生活
ครบรอบ 10ปี クロップロープ シップピー=10周年
参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。
来る12月31日でタイに住んでちょうど10年を迎える
節目なので、この10年を振り返ってみたい
2014年12月31日付で25年務めた大手メーカーを退社
12月31日のフライトでバンコク入り
タイ・リタイアメント生活2015
12月31-1月2日まで今は無きホテルに宿泊
2015年1月3日、前年に契約していたアパートへ移り住む
1月8-21日2週間、タイ南部を旅する、久しぶりのバックパッカー復活である
目次:2015タイ旅【1】南部(1)
2月に入ると満を持してリタイアメントビザの取得に奔走、4月ようやく1年有効のリタイアメントビザ取得
リタイアメントVISA2015
4月に入りタイ語学校選定のための体験入学に3校行ってみて、5月に最終的に当時チットロム通りにあったスパルタで有名なタイ語学校に入学
タイ語&タイ語学校
会社を辞めてまでやりたかったタイ語留学の始まりだった
***
前年のアパート探し・契約、リタイアメントビザ申請・取得、タイ語学校の選定・入学まで、業者や他人に全く頼らず全部一人でやった
まあ、タイに住むんだったら当たり前のことかもしれないし、これを一人でできなければタイに住む資格は無いと今でも思っている
ただ、やはりこの時以上にタイ語に精通したかったので、いや大げさに言えば「自分の価値を上げたかった」ので更なる向上をめざしたのだ
これこそ、大手の会社を辞めてまでやりたかったことなのだ
***
この学校、会話クラス3レベル、読み書きクラス3レベル、アドバンスクラスの3レベル
入学したクラスは読み書きクラスの一番上のクラス(5段抜き!)、もちろんタイ語でタイ語を習う
超スパルタ学校でとにかく宿題が多くて大変だった
いや大変だったってレベルではなく、今までの人生で一番つらかったかも?
朝5:00起で復習・予習、7:00ごろには部屋を出て学校へ、学校のあるビルの1階にあるマックスバリューのイートインコーナーでもう一度復習
9:00-12:00まで2コマの授業を受けると、BIG-Cのフードコートで昼食を取りすぐに帰宅
14:00~17:00ha復習、その後宿題・予習をして23:00に寝るというのを繰り返した
本当に辛くて投げ出したくなったり、先生への殺意すら生まれかけたこともあるw
退職金を投げ出してまでやりたかったことなので歯を食いしばって、アドバンスコースを2つ受けて8月でいったん終了した
先生からはThai Competency Test(旧ポーホック)受験を強く勧められたが、もう気力が続かなかった・・・
もう一度書くけど、これ、人生で一番つらかった・・・
ただ、これによってタイ語能力が格段に向上したのは間違いなく、これにより役所だろうが病院だろうが堂々と一人で立ち向かえるようになったのだな
****
11月、満を持してタイ語検定3級受験
タイ語検定
日本にいるときは全く歯が立たなかった3級なのだが、あまりにも易し過ぎて唖然ぼーぜん
結果は85点で難なく合格
AAAのスパルタ教育のおかげ
やはり死ぬ気で頑張れば結果が付いてくるのだ
その後タイ語学習から離れて旅三昧だったのだが、いつしか物足りなさを感じるようになる・・・
2017年イギリスへの旅のために中古の折り畳み自転車を買う
2017イギリス(Clouds Hill)
これがタイでサイクリストの始まりだった
目指せサイクリスト
その後、Trekのクロスバイクを買い、それ以降のめり込んだ
Cannondale CADD 9(中古)
Cannondale CADD Optimo(中古)
Canonndale CADD12 Ultegra(新車)
Brompton(新車)
バンコク在住中に合計6台もの自転車を購入、毎週スワンナプーム空港周りのSky Laneに走りに行ったり、タイ/ラオス国境を渡ったり、カンチャナブリの坂に挑戦したり、東部の隅っこトラートまでの400km走行したりと十分楽しんでいた
2018タイ旅【2】タイ東部4県庁訪問400kmライド
2018タイ旅【3】自転車でタイ・ラオス国境を渡る
2018タイ旅【4】自転車でタイ・ミャンマー国境を目指せ!
これで一応、旅とロードバイクの2本立てで有り余る時間を費やせるはずだったのだが・・・
しかし次第に何もしないこと、なんでもできる時間が有り余っていることに嫌気がさしてきた
日本の会社勤務時代から進めていたタイ77全県庁舎制覇が2018年完了した
タイ77県庁制覇♪
次の目標に77県ラックムアン制覇や、全国境制覇など考えたが、県庁制覇の達成感に溺れて消えていった
貯金元手に早期退職…悠々自適なライフスタイル「ファイア」日本でも注目 覚悟も必要
オレはオレなりにやりたいことがありやってきたが、それでも時間経過とともに飽きてくるのだから何も目標がなければなおさら
Fireという言葉がはやっていて、実際にそういう人の発信が増えてきているんで、お金があるからオレも!というのは危険なことだ
そしてついに2018年ニッポンのハローワークの門を叩き、再就職活動に入る
50代のロクデナシがタイで仕事を探す
基本的には1社目で内定をもらう
この時既に50代半ば・・・
駐在員として採用されたときはうれしかったが、この会社どーしようもないレベルの低い会社だった・・・
工場長としてタイ工場に派遣されたが、すぐに社長と衝突
もうねー、今まで見てきた会社員とは比べ物にならないくらいレベルが低くて参ったよ
ニッポンの本社が山の中にあって、基本百姓と木こりしかいない環境、社長もどうせどこかの農業高校卒なんだろうね~
オレに逆らったらクビと何度も言っていて、あきれてすぐに辞表を出したよ
就業規則もまともなものがなくて、社長が規則という典型的なワンマン零細企業
1年持たなかった・・・
***
その後またタイで今度は現地採用として転職
この会社は前の会社とは比べ物にならないくらいしっかりした中小企業で、まあまあの待遇でもう少しここで働こうかと考えている
ただ、ここもワンマン同族経営なので長時間残業や◯◯ハラの酷い昭和の会社(オレは直接は無関係)
その後の中共ウイルスの蔓延と準ロックダウンによりすべてが停滞してしまったが、その前年に転職できたことがそもそも幸運だった
停滞してしまったものにロードバイクがあった
Sky Laneが長期間閉鎖され、ロードバイクを楽しめなかったこともあって次第に足が遠のいてしまって現在に至る
逆に、準ロックダウンにより観光客は0になり、在住外国人も大幅に減ったことにより、静かな本来のバンコク生活を楽しめたことは貴重な経験だった
軟禁生活2020
20:00過ぎのスクムウイットソイ4の交差点前が真っ暗・・・もう二度とあんな光景は見られないだろう
2020/7月
2024年、ついに節目の年になってしまい会社との契約は1年契約での継続になってしまったが、基本的な待遇は全く変わらずしばらくは今のままの状態が続きそう
***
こんな感じの波乱万丈な10年間だった
日本でのサラリーマン生活は25年だったが、直近の10年のほうが倍以上刺激的かつ自分の価値を上げられた10年だったと思っている
マシな大学で自分を磨けたこと、日本での25年の大手メーカーでの経験・知識、そして長年やってきた自分への研鑽(タイ語)が今の自分を支えている
どこかで書いたことがあるが、
1,少し自分よりレベルの高い環境にいると自然と自身が成長するし、(もしあれば)次のステップで役に立つ(有利になる)
2,ただし、会社での成長は必ずしも自分の価値を高められない(会社を辞めたらタダのおっさん)、だから自分の価値を高めるためには会社を去る決断も必要、しかもなるべく早く(会社を去った後の自分の価値は他人に評価されなくても良い)
3,ゆっくりするのは、ゆっくりしかできなくなてからで十分、そうなる前に全力で好きなことをやるべし
4,お金は大事だが、お金だけ持っていても何もできない
まあ、この10年はこんなことを考えて過ごしてきた
次の10年はまた考え方が変わるか、その時に適した行動をしていることだろう
もう、あまり次の10年は考えたくないのでw、この10年の充実感を宝にして流れに身を任せていけばいいのかもしれない・・・
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| ■バンコク生活 | 00:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
damascusさんがタイに移住された初期の頃は自由に色んな事ができて楽しそうで良いなぁと見ていて、再就職されてからそれまでの生活がどうなるのかと思いましたが、"自由度"はあまり変わってないように感じます。それもやはりタイに住んでるからこそなのでしょうか?😊
今年も楽しい記事ありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。
| Mochit | 2024/12/30 18:44 | URL |