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出戻り♪サラリーマン流浪記(タイ現地採用編)

2014年12月、25年間勤めた会社を退職し4年間タイで”大人の夏休み”を満喫しました。2018年10月、日本の某企業に転職し2019年1月からタイの駐在員に、2019年11月から現地採用のサラリーマンに

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タイにいながら昭和の香り

今日のタイ語

タイ語学校では「〜しましたか?」は〜แล้วหรือยังレオルーヤンと習うはずだ。
しかし実際の会話ではそんな長くまどろっこしい言い方はしない。

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ตื่นยังトゥンヤン=起きた?(大体10時過ぎに聞くような言葉ではない(。>д<)

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เลิกงานยังルークンガーンヤン=仕事終わった?

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กินข้าวยังキンカオヤン=ご飯食べた?

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นอนยังノーンヤン=寝た?

全てแล้วหรือレオルー=「し終わりましたかそれとも」を省略している。

参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。

今日は今の会社の社風について書いておく

今の会社は日本の会社のタイ現地法人なので、基本的には日本の親会社の社風と言ってもいいかもしれない。

1,基本的にパワハラ系(親会社)
業界というか顧客が体育会系なので自然とそうなるのだろう。
オーナー企業という側面もあるだろう。

某会社情報サイトによると親会社は「創業家の神格化」と半島国家のような体制になっているようだ。
まあ、タイにいればそんなの関係ないが

日本の本社の人でパワハラ系の人を2人ほど見た。

2,昭和の雰囲気が漂う
昔の日本のサラリーマンと言えば時間に厳格かつ休まず残業・休日出勤をバリバリやるのを美徳とする(というか休むことを忌み嫌う)傾向が強い。

***

時間に厳格なのは今でもそうかもしれないが、何でもかんでも時間厳守という考えはオレには合わない。
タイの人もそうだと思うが「時間を守らないと大きな不利益がある」というか、そのものの価値によって時間を厳守すべきか多少遅れても問題ないかを判断して決める

過去の経験から約束の80%は実は多少遅れても何の問題もない(ダマスカスの経験上)。
時間を守った方がいいのは15%、絶対に守らなければまずいのは5%程度未満しかないはずだ
それが気に食わない(単に気が短い?心配性?)人に合わせるのは非常に苦痛
要するにほぼ意味のないことに神経を削るのはオレの性に合わない

タイの人は時間を守らないと多くの人(日本人もタイ人も)が言うが、彼らは自分(達)の価値観に従って時間管理をしているだけ。

ちなみにタイの人たちは飛行機のチェックイン時刻はきちんと守る、というか3時間くらい前から並んでいることも珍しくない。
要は、飛行機のチェックイン時刻に遅れたらまずい!というか、重要性を十分認識しているのだろう。
(抗えない相手と認識しているのかもしれない)

有給休暇取得も同じ(ダマスカスの経験上)
絶対に終日休めない日は実は出勤日の全体の5%もないはずだ

***

今の会社にはこの昭和の価値観が充満している。

(1)有給取得は悪
経営者は常日頃タイ人に対して「また休むのか~、気楽なもんだな~」と日本語で平然と言う
有給休暇は「取得する」のであるが「休ませていただく」とか訳の分からない言い回しをよくする。

少し前には経営者が「有給休暇を取るなんて会社に何の貢献もしていない」と言い放っていた。

確かに駐在者はあまり休暇を取らない。
そういう社風というか圧力があるのだろう。。。
もちろんオレには関係ないので100%取得しているが、内心苦々しく思っているのだろう(しるかー)

(2)残業バリバリ
駐在者は残業バリバリで休日も頻繁に出社するようだが、経営者は「最近本社がうるさいのでやり過ぎるなよ」というだけ
日本の本社ではいまだに残業時間の予算化をしていて、予算オーバー分は翌月以降に振替・・・っていう昭和の制度が残っているようだ

年棒改定の際、大幅な手当アップを要求(というか当然の権利なのに出さないと言ったので、退社を匂わし撤回させた)をした。
結果的には要求を飲ませたが、その際の経営者の言葉に啞然とした。

「分かった、その代わり残業一杯やって休日も出てきて会社に貢献するのだよ」と。。。
ハイとは言ったが当然そんなことはしていない

う~ん、昭和・・・

(3)意味の分からない時間管理
「始業時間の最低5分前には着席するように」と就業規則にある。
じゃあ、その5分間の賃金を払っているのか?そもそもこの類は就業規則ではなく「就業時の心構え」ではないだろうか?

始業時ギリギリに来ると「遅い!」とか言われるがオレは無視している

先日「17:00ちょうどに退社のタイムカードを押す人が多いが、これは終業前からカードリーダの前で待っているからではないか?少なくとも17:01とか17.02とかでないとおかしい」
と経営者がのたまっていた。

笑いを堪えるのが苦痛だった
17:00ピッタリまでは仕事に集中しろと言いたいのだろうけど、ちょっと細かすぎないか???

3,ケチ
全般的に言えることは経営者がケチ
給与、手当を削ることだけ考えて、従業員へのよりよい福利厚生をほぼ考えていない。

給与水準は日系企業の中では低い方
休日数、有給休暇日数や各種手当も法定最低限の水準。
そういった中で、更に身を削られそうになっているので皆うんざりしている。

昇給もボーナスも最低レベル
個人の評価でも「○○できればA評価」とか言っているが、AとB評価の違いは数十~100バーツ/月程度なのに「それでやる気を出させる」とか言っているのでやる気が出るわけがない。
数十~100バーツ/月の昇給をしたらしたで「今後いかに会社に貢献できるか考えないといかん!」とのたまっている

今時こんな金額でやる気が出ると思っているのか?

***

以前25年間勤めた大手製造業
ここも平成初期までは昭和のしきたりがあった。

10-15年くらい前だったかな?社員の生活重視を打ち出して残業0化、有給休暇取得率向上を目指す様になった。
最初のうちは週一日のノー残業デーだとかだったけど、ある時一律に残業禁止令が徹底され、劇的に残業が減った。

有給休暇も部門別取得率が公表される様になった。

そんなことが行われる前から、オレだけ残業なし、有給休暇取得率100%以上(過去に溜まった有給を切り崩している)を達成し、管理職として会社に多大な貢献をしてきた(実際には白い目で見られていたが・・・)。

結局、今では残業ゼロ+有給取得率の大幅上昇を達成している様だ。
時代の最先端を突っ走っていたオレ、生まれてくるのが少し早すぎたのだと思う。

大手では、すでに10年以上前から昭和の香りが失われているのだが、中小特にオーナー系はいまだ昭和から時代を抜けられていない様だ。

平凡な人が就職するなら大手が良い。


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今が最高!快適生活と怪しいタイ語講座

今日のタイ語

ตกเหว トックへオ=(深みに)ハマる、破滅の淵に落ちる
เหวは「山峡、谷などの深い割れ目」「底知れぬ深い穴」で転じて「破滅の淵」の意
とあるサイトのレビューによく出てくる言葉。
「特定の女性にハマる」と言うフレーズで頻繁に出てくる

参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。

9月27日現在のバンコクの状況を元に書いている。
今日(27日)、10月以降の規制緩和?が発表される予定で、今後変わる可能性は大きいです。

あくまでもオレの視点での記述であり、困窮している方も少なくないのは理解しているが、そういった方々には一切配慮していない内容である。
従って、今苦しい思いをしている方々は読まない方がよいと思います。

一応下火になったとは言え、いまだに1万人以上/日の新規感染者が発生しているし、死者も150/人前後から減る気配がない。
困窮している人は相変わらずいて、先日王宮広場あたりをタクシーで走っている時行列を2つみた。
共に困窮者への食糧支援(弁当支給)の列だった。

***

ちなみに今の勤務先も結構厳しい状態で、年の前半は頻繁に休業(会社都合の場合は75%の給与補償あり)を繰り返していたし、今でも受注が少ないので今年のボーナスは望み薄(ゼロもありうる)の状況。

今後も結構やばいかもとは思っているが、会社(仕事)以外は快適すぎて大満足の状況だ。

9月のバンコクの状況

今年1月から断続的に続いた規制
日本のような曖昧な要請ではなく、出来ることと出来ないことが明確で、違反者は法に問われるという厳格な(?)規制が続いた。

それも9月に入り生活に多大な影響を及ぼす規制はほぼ撤廃され、現時点では一部を残すのみ。

具体的に残っているは・・・
1,外出禁止令(21.00-4.00)
2,それに伴う店舗営業(屋台等も含む全営業形態)の20.00以降の営業禁止
3,公共交通機関の時間制限(外出禁止令の時間の運行制限)

が基本だ。

要するに21.00以降は移動ができないのでそれまでに家に戻る必要がある。
そもそも21.00以降に出歩いていることはほとんどなかったので、基本的には影響度合いとしてはきわめて低い

それ以外の細かいところでは
4,店内飲酒禁止
といったところか?

8月まででできなかったが9月に出来るようになったこと

1,店内飲食可能(ただし20.00まで)、以前はデリバリーのみだったので大きな進歩だ。
2,床屋営業可能、これはボディーブローのように効いていた
3,SkyLaneでの走行

アパートのあるソイでは平気で21:00以降も営業している飲食店(基本は持ち帰り)がある。
治外法権なので生活は快適

現在も続く規制に対するメリットデメリット

とは言っても、規制の一部は残っており、また海外からの入国者には厳しい条件が課されたままになっているが、それぞれメリットデメリットがある。

ハッキリ言ってほぼメリットしかない。

【海外からの入国制限】
サラリーマン等の短期旅行者はほぼ入国不可能

中長期滞在者も入国許可書、ワクチン接種、事前検査、10万ドル以上の付保、2週間隔離等が残っているが、要はタイに来る気があるのかどうかだけで、来る気があるのなら障害としては低いレベル
実際に出入国を繰り返している方は少なくない。

それでも入国者が少ないのは単に「独自で手続きをする気が無い(タイで生活する気があまりない)、またはする能力がない」人がどれだけ多いかってことを証明しているのだろう。

この結果起こっていることは・・・
1,観光客がほとんどおらず街中がガラガラでスイスイ歩ける、これが本来のバンコクの姿か?
2,ラッシュアワーの電車、2019年までは1-2回待たなければ乗れず、乗れてもぎゅうぎゅう詰めだったが、今ではガラガラで座れることも珍しくない。

人が少ないと活気が無いという人もいるようだが、ここで生活している者にとっては快適以外の何物でもない

【県間移動制限】
基本的に県間移動は可能。ただし県によって入県条件は様々で、無制限~2週間隔離まで様々。
きちんと2回ワクチンを打っている人はほとんど障害がないと言っても過言ではない。

【海外各国への入国】
日本をはじめいまだに多くの国がタイからの入国を制限(禁止)している
ベトナムでフォーを、ラオスでカオピアックを食べたい、ロンドンでビールを飲みたいという気持ちは強いが
今は会社勤めで余裕も少ないためどうにか我慢できている。
デメリットと言えばこれだけか?

【外出禁止】
このお陰で遅くまで仕事をすることが出来なくなり、定時+αで何の躊躇もなく退社出来る
最初にも書いたが、もともと21.00以降に外出していることは極めて少なく、健全で健康的な生活を送れる。

【飲食店の営業時間制限】
ここ1年半でデリバリーが「外食・買い物」に取って代わった
何でもデリバリーで済む社会になり、便利で快適な生活を送れるようになった。

飲食店経営者にとっては、デリバリー業者への高額手数料が経営を圧迫している、売り上げ減による営業継続断念等の話をよく聞くが、時代により産業の浮き沈みはどの産業にもあった。

【店内飲酒制限の継続】
アルコールを飲みながら食事をするのは日本人を筆頭に外国人が圧倒的に多い
タイの人はアルコールが店内で飲めなくてもほとんど問題がない

基本的に敬虔な仏教徒・イスラム教徒はアルコールを飲まない
仏教徒94%、イスラム教徒5%のタイでは全く影響のない規制と言える
(少なくない仏教徒がアルコール類をよく飲むのは知っているが、基本的には家飲みが圧倒的に多い様に見える)

個人的には家飲みでも十分満足しており(というか、じっくり飲むには家が最適)全く困っていない。

【娯楽施設?】
数年前まではよく行っていた外人向け娯楽施設=Bar(笑)
昨年末に極短期間再開したがすぐに休業に追い込まれそれ以降完全に閉鎖されている。
近年はほとんど顔を出さなくなった。
オレの場合、基本は会話を楽しみに行く場所。まあそれにしては料金が高すぎるが。。。

Barは行き始めると頻繁に通うのだが、行かなくなると行かないことが普通になり無くても全然問題なくなった。
ただ、人との会話を楽しみたい派のオレ、全く出会いが無いとつまらないのでそこは外人向けBarではなく「地元民御用達」の娯楽施設にたまに顔を出している。

ここは顧客の99%が地元民であり、タイに根差した産業?
かかる費用もタイ人レベル。
緊急事態宣言もなんのその絶賛営業中(念のため書いておくが規制の対象外・・・だと思う)

ここのメリットは「すべてがタイ語」であるということ
読み、書き(文字入力)が出来ないと一歩も前に進めず、進んだら進んだで会話(話す聴く)が出来ないと楽しくもない。
お陰で辞書に絶対載っていないタイ語を多く知ることができた(単語自体は載っていても現在の使われ方までは載っていないケースが多い)。

面白いのはタイ語も日本語同様外国語(主に英語)が氾濫していて、更にそれが省略されることが多く最初は???の連続だったが今ではほぼ理解出来るようになった。

こんな様なやつ(これはキットカットの車内広告)
IMG_1965-0925.jpeg

また、若者が使うタイ語の変化形(音に合わせた文字の組み合わせなど)にもかなり慣れた。

これFB等を見るときに結構重要なポイントで、学校で習った基本単語と構文だけだと全く理解できないので、ここで勉強した結果「生きたタイ語」を習得出来つつあることに喜びを感じている。

こういう産業の話をすると増悪の目を向けてくる人が少なからずいるのでこの辺で止めておくが・・・

えっ?何の話かって?

知らなければ知らないで済んでしまう話
外人基準で生活をしていれば全く見えてこない世界なので、知らぬが仏・・・なのかもしれない。
皆さまは再開したらタニヤ、プロンポンのカラオケやナナのBarにでも行ってください。

まとめ

何度も書いているが、今のバンコクは”生活者”には快適でこのままず~っと続いてほしい
まあ、いろいろ困っている方もいるようなので、そういうわけにはいかないのは分かっているがね。。。

今の会社も業績が悪化している様なので、オレ自身も影響を受けている一人としての発言です。
念のため・・・


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| 現地採用生活2021 | 15:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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人生の節目には常に幸運が付いてくる

今日のタイ語

เศรษฐกิจพอเพียง セッタキット・ポーピアン=足るを知る経済

参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。

現在の中共ウイルスの世界的蔓延による閉塞状態の中にいて、自分の幸運さを実感している。
振り返ってみると、人生の各所で同じような幸運に巡り合っていることが分かった。

今までの人生の「幸運のポイント」を振り返ってみる。

地位も名誉も金もなくこれと言って誇れることはないのだが、結構幸運の星のもとに生まれたと思っている。

出生が全ての幸運のスタート

高度成長期の日本の首都東京で生を受けた。

平々凡々なのだが、タイミング、健康、場所、親の経済力全ての幸運が重なった
これが今後の幸運につながる最重要ポイントなのだろう。

小・中・高校時代

特に不自由なく生活できる時代・親のもとにで育った。

大学

以前いろいろ書いたが、当初は大学に行く目的も意思もなくそのまま流れていこうと考えていたが、ふとしたことから大学を目指し苦労はしたがそこそこの大学に入学できた。

ここで出会った先輩・友人たちは明らかに自分より高いレベルの人たちが多く非常に刺激を受け、自分を見つめ直すいい機会になった。

人は学歴ではない!出身大学ではない!とよく言われるが、世の中そう甘くはなくこの学歴はタイでの転職の際そこそこ役立った。

何事においても自分より少し上の環境で過ごすことは、刺激を受ける機会が多くメリットしかない。

そして何よりもこの4年間で旅の楽しさを知ったのだ。

就職、上場企業は選り取り見取りのバブル景気

空前のバブル時代。

面接に行けば上場企業の内定をもらえるのが当たり前の時代

ギリギリ行動派なので就職活動には出遅れたが、難なく内定を得て大手メーカーに就職できた。
これこそ運の世界だ。

この大手企業勤務ということが後々の転職の切り札にもなった。

25年のサラリーマン人生

ここもやはり大手だけあって、自分より上の人間が多くよい刺激を受け少しは成長したと思っている。
もちろん嫌なことも経験したが、管理職になりそれなりの待遇を受け経済的には安定していた。

海外も含め、広い視野で物事を見る目が少しは養えたかな?

退職・セミリタイアメントのタイミングは超絶妙だった

このタイミングが超絶妙だった。
もちろんただの運なのだが。

退職は2014年、タイ語をマスターして思う存分旅をしたいと思って当初の構想より5年早く退職した。
早く退職しすぎたので失った物もある

結局2018年に再就職するまでの4年間、好きなことをやったがあまりにも暇すぎて、最後は嫌気が差したことも事実。

この充実した4年間の貴重さ
この後世界を襲う中共ウイルス・武漢肺炎による世界の停滞を目の当たりにすると、2014年の退職が絶妙のタイミングだったことが分かる。

このタイミングで退職したからこそ、自由でどこへでも行けて何でも出来た。
それにロードバイクの楽しさも知ったしね
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転職のタイミングも絶妙だった

2018年の転職先は百姓経営者のダメ企業の典型で失敗したが、2019年の転職先でどうにか落ち着き先を確保した。

転職したのが2019年の11月、既にこの時武漢では中共がウイルスをばらまき始めたタイミングだ。

さすがに仕事を始めると旅をする機会が激減するので良し悪しだなーと思っていたが、2020年3月以降の準ロックダウン下で旅どころではなくなったのは周知の事実。

もし、あのままリタイアメントを続けていたら「やることない」「旅にも出れない」「美味しい物が食べられない」の三重苦を味わっていたことだろう。

仕事をしているので「旅にも出れない」「美味しい物が食べられない」の二重苦だけで済んでいるのだ。

***

大学までの恵まれた環境、バブル時代の大手企業入社、これは恵まれた星の下・・・という言葉以外ふさわしい言葉が見当たらない。

更に絶妙のタイミングで退職し、丸々4年を自由で人生最高の環境で過ごすことができた。

今の中共ウイルス蔓延でどこへも行けない苦境下、有り余る時間に困ることもなく収入付きの暇つぶしで(?)で過ごせている。
しかも一番のお気に入りの国、タイで。

ただ単にある日、普通の日本の親の元生まれただけなのに・・・
それ以降、大きな節目には絶妙なタイミングが続いている幸運。

***

今日も準ロックダウンのバンコクで暮らしながら、MRT、BTSに乗って通勤している幸せ

タイに住処を移して7年目の今朝も、この幸せに浸りながらガラガラのBTSに揺られている

そんなオレ、「勝ち組」としか思えないな( ̄皿 ̄)
単なる自己満足だが、常に運を味方につけて最高の「今」を過ごしている。

( ̄皿 ̄)



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| 現地採用生活2021 | 09:39 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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サラリーマン生活を振り返る(2)充実〜転換〜つまずき

今日のタイ語

มอร์น่ง モーニン(グ)=morning,good morning=おはようの(比較的)若者言葉

間違ってもอรุณสวัสดิ์アルンサワット(文語)などを使わないように(。>д<)
かといって老人にมอร์น่งなどと言わないように・・・
ただし、มอร์น่งครับ/ค่ะ末尾にクラップ/カを使えば使える

ちなみに
おはよう=「お早くから、ご苦労様でございます」の略
こんにちは=「今日は良い御日和でございますね」の略
こんばんは=「今晩は、過ごしやすうございますね」の略

「こんにちは」も「こんばんは」も略語だから「こんにち」ではなく「こんにち」と書く。

参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。

充実期

日本の大手メーカーを辞めた後、直ちにタイに移り住んだ。
ここから次にサラリーマンに返り咲くまでの約4年間を「大人の夏休み」と呼んでいる。

長いサラリーマン人生、途中に休みがあったっていいじゃない?

前半はタイ語に打ち込み、どうにか日常生活に耐えられる読み書き&会話(聞く話す)が出来るようになったが、タイ語学校の4ヶ月はスパルタ教育で本当に地獄のような鍛錬だった。

25年間のサラリーマン生活でも無かったくらいキツかった。
語学習得に近道なし!ということを実感したよ。

この約4年間の大人の夏休みについてはほぼ全て記事にしているので、各カテゴリーを参照してください。

この4年間はまさに「とにかく海外」が100%実現したので満足している。

転換期

夏休みが終わり、サラリーマンに返り咲いたのが2019年

木こりと百姓しかいない山間部の会社に転職し、タイ工場の責任者として赴任したのが2020年。
既に色々書いたが、要するに百姓経営者がバカすぎてタイ赴任9ヶ月で退職してしまった。

しかし、31年前(当時)に夢を見ていた「海外」での仕事、日本人ほぼ1人だったので大変だったけど本当にいい経験だった。

31年目にして目標?を達成した。満足満足。

入社の条件は「タイ語不要」だったが、タイ語ができないとはっきりいって仕事にならない。
言葉は単なるツールではあるけれど、そのツールが使えなければ業務に支障をきたす。

例えば原価計算部門でEXCEL使えなかったらどうだろうか?
そりゃあどうにかはなるだろうけど無駄な苦労の連続だろうね〜?
それと同じ

それに、転職する目的の一つ「タイ人社会に入り込む」だったがそれなりに入り込んだ気がする。

まあ、会社は「人生の汚点」だったが、タイ人社員は「人生の宝物」だった。

つづく


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サラリーマン生活を振り返る(1)黎明期

今日のタイ語

ชั้นลอยチャンローイ=浮かぶ階=中二階
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参考までに発音をカタカナで書きましたが、そのまま読んでもまず通じません。実際に使う際は、辞書等で発音記号を確認してください。

昨日からソンクラーン休暇に突入。
自転車持ってウドン・ノンカイにでも行こうと思っていたけど、バンコクでの中共ウイルス・クラスターのお陰で各県の規制が厳しくなり自由な行動ができなくなり、今年も遠出は諦めた。

去年と同じパターン、うんざり。

ニッポンも同じような状況のようだけど、政府の対応の悪さとニッポン人のモラルの低さが露呈しているみたいだね?
印象・・・

やはり、タイのように犠牲は覚悟で強力な対応をしないとダメでしょ?
治安維持法みたいな強力な法整備を進めて、特高警察を再編し隣組も復活させ国民の監視体制を強化、「出歩きません勝つまでは」の標語で徹底的にやらなきゃね?

飲食店に補助金ばらまかずに、その金でワクチンを買い増しした方が結果救える命が増えるような気がするのだが?

まあ、オレには関係ないけど(°ロ°;)

***

今現在、生涯3社目の会社で勤務中である。
タイ人の中に入り込み、タイ語を使って仕事をしている。
タイ語ができないとまともに仕事はできない。

もともと海外志向だった?

昭和天皇が崩御した年、そして元号が平成に変わったその年に日本の大手メーカーに就職した。

もともとギリギリ行動派だったし、将来のことなどぼんやりとしか考えられなかった大学生だったオレ。
まあ、サラリーマンなるしかないか〜ということでとりあえず就職活動を開始したが、当時は漫然と「メーカー」だけを選んで活動した。

父親が銀行員だったこともあり、その反発???からか?物作りに直接関わる会社で仕事をしたいという単純な考えだった。目に見えないサービスより、形になる、形に残る、記憶に残る物を作る、そんな組織に属したい。
それは今でも変わっていない。

最初に就職した先は、皆が乗るボーイング機、エアバス機にも、陸海空自衛隊機、そしてあのH2Aにもそこそこメインになる部品を製造する会社だった。

25年間在籍したが、最後はその組織に窮屈感を感じ疲れて辞めた。

辞めた本当の理由は
1、今までの人生で残したものは何か?何もないじゃないか〜!
2、父親は59歳で死んだ。オレの人生もそんなもんだろう。
3、それなら残された時間は少ない。やりたいことをやるのは今しかないだろ〜?

それで、じゃあタイ語を極めてみよう!
ちゃんとしたタイ語ができる日本人は少ない。
これこそ残せるものじゃないか?自分の残りの人生をタイに掛けてみよう。

という単純な発想なのだが、会社を辞めたことには全く後悔していないというか、少し遅いぐらいだったと思っている。

転職の際、大手を辞めた理由をよく聞かれたが本当のことを言っても皆???で理解してくれなかったっけ( ̄∇ ̄)

なぜタイなのか?は話が長くなるので別の機会に書くが、世界中?を旅していて気に入った国の一つだったから。

とにかく海外

入社後3ヶ月の研修を終了し、配属面接があった。
第三希望まで書いて面接でその志望理由を説明するのだが
1、とにかく海外
2、○○事業部(航空機産業系)
3、△△事業部(工業系)

と書いて面接に臨んだ。

入社前までには海外なんて全く考えもしなかったのだが、もしかしたらこの面接でオレの人生が決まってしまうのではないか?と思い始め、ここは無謀にも「とにかく海外」と書いた。
もちろん「とにかく海外」という事業部はない。
とにかく海外との関係のある部門ならどこでもいいという意味。

なぜ海外だったのか?
よく覚えていないが、当時くらいからグローバル化の波が押し寄せていたので影響されたのかな〜?

結果的には第二希望の○○事業部(航空機産業系)に配属になったのだが、その数年後購買業務でアメリカに6回台湾に1回出張する機会があり、なんとなーく欲求が満たされたような気がした。

個人的には中東、アジアを旅して”海外”を満喫していた。
それができる環境にあったのも大手のメーカーだったからだと思う。
そういう意味では少しは感謝しているかも?

つづく

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