はてなキーワード: 田舎者とは
以前、リュック前抱えがマナー違反というか自己中というか、スマホ中毒あぶり出しツールとなっているという記事があったが、
で、まともなリーマンはリュックで通勤していても手に持って膝のあたりに持つよね。
今は満員電車に乗るマナーすら勉強してこない田舎者がリュックを前に抱えて
背負ってはいませんよ~というドヤ顔でスマホポチポチしているわけだが
これによって明らかに乗車率というのか混雑率というのか分からんが減っているように感じる
いや、圧迫感は変わらないんだけどね?
ということを先日起きた大規模な遅延によって発生した満員電車の中で考えていた。
大規模に遅延すると途中の駅の人間は全然乗れなくて無理やり乗ろうとして
ドアが何度も何度も開いたり閉じたりするじゃん。
インドみたいにぶら下がれないし
そんな中でも前抱えドヤ顔スマホポチポチマンは涼しい顔してポチポチしているわけ、必死になって。
1ヶ月あたり3回行きたいイベントがあったとするじゃん
そのうち全部のイベントが三重県に来る訳ないし、名古屋にすら来ないことも多いから、2回は東京や大阪に行く必要があるとしようか
私は北関東から大学進学に伴って東京に出てきて15年以上経った。今でも実家に帰ると思うのは「地元には本当に何もない」ということだ。
東京でもう何年も前、なんなら10年以上前に流行ってその後ブームは収まったとはいえ定着したものとかが、地元には本当に無い。
地元は農村のような本当のド田舎ではない。実家は私が6歳の頃に家を建てた新興住宅地だし、近くには高速道路のインターチェンジを中心として開発された巨大ショッピングセンター等が立っている地域もある。それでも、それでもなお、実家に帰ると本当にやることが無いと感じる。
イベント事も何もやってない。東京なら毎日どこかしらで何らかの催しが行われているのに、地方には本当に無い。
文化的施設もない。美術館や博物館もない。唯一映画館だけは巨大なものがある。土地は余ってるからね。
高校生の頃、デートと言えば映画かカラオケしかなかった。街を歩いてお洒落なカフェでケーキでも、なんて出来なかった。だってそもそも「歩く街」が無いんだもん。
また地方はどうしても車移動になる。車移動の何が悪いかって、基本的に目的地を定めてdoor to door で移動することだ。明確に目的地があってそこに向かって走る。その途中に何が有ろうが関係ない。家を出て10歩で車に乗り込み、店の前の駐車場に着いてすぐに店の中に入る。それ以外の世界は無い。
精々、巨大ショッピングモールに行ってその中を歩き回る程度である。とはいえどこのショッピングモールもそう変わり映えはしない。
東京であれば、例えば池袋・新宿・渋谷のようなターミナル駅に行ってとりあえず徒歩でぶらぶらしていれば色々なものが目に入ってくる。面白そうなお店を見つけて覗いてみたり、新しいお店が出来ていることに気がついたり、まぁ何にせよ何の目的もなくその駅にさえ行けばいくらでも遊べる。
もっと小さい駅でも良い。とにかく公共交通機関と徒歩で移動するというのが凄く重要で、車移動の地方とは得られる情報量が全く違う。触れられる文化の質も量も段違いだ。
東京の大学に進学した時、最初に感じたのが「東京生まれ東京育ち」との大きな差だった。
彼らとは18歳の時点での人生経験が100倍は違うと感じた。彼らは物事をよく知っていたし、遊ぶ場所も知っているし、色々なイベントを経験し、多様な文化も吸収していた。
田舎者だった私は凄く悔しくて、頑張って東京の文化を吸収しようとしてきた。一応15年以上も住んでみてある程度は東京に染まれたとは思う。
それでもこの経験をしてしまうと、東京を離れることが非常に怖いと思う。子供を育てるなら絶対に東京以外あり得ないと思うし、たとえどんなにお金が無くても何が何でも東京にしがみつくだけの価値はあると思っている。
こういうことを私は東京に来てから知ることになった。一応は子供の頃にも東京には何度も遊びには行った事があったのだがそれはあくまで観光だったので特別な場所を見ているのだと思っていたし、東京に住む人と交流することも無かったから気が付いていなかった。
だけど今はSNSがある。子供のころから東京に住む同世代の人たちの生活を垣間見ることが出来てしまう。そこには自分の地元と同じ時代の同じ国とは思えないような生活が広がっているのだ。
そんなもの知ってしまったら当然東京に行きたいと思うだろう。言葉も通じるしパスポートもいらない場所に、まるで異国のような未来都市があるのだ。
この現実を無視して地方からの人の流出を防げと言ったってまぁ無理でしょ。この格差は正直「差別」とかに近いレベルのものだと思う。生まれのせいで差別を受けていると言っても良いぐらい、地方と東京じゃ違う。
俺は、鳥取県に、マンスリーマンション借りて、鳥取で遊びたい。
できれば、タイミーとかあたりで、適当にバイトして、「俺は鳥取生まれなんだ」みたいな顔をして、バイトの奴らと馴染みながら、内心では(俺はお前ら田舎者と違う)という優越感を持つような、人狼をしたい。
鳥取のことを、自分は本当に何も知らないが、馴染みのスナックや馴染みの居酒屋、馴染みの図書館とか作って、ダラダラしたい。
鳥取というエキゾチックを知って「俺、鳥取に住んでたことあるよ〜」って武勇伝を持ちたい。
鳥取で育った人は、一体、どういう気分なんだ。
地元の学校とか、有名高校はエリートとか思ってたり、逆にヤンキー高校やら、「あそこはやばい」みたいな廃墟やらを当たり前に知ってるのか。
米は食わずひたすら大根とパックのおでんダネのみである。少し酒は飲む。
もちろん独身だ。
田舎者は大根の臭がするという差別表現を昔祖父母から聞いたことかある。
悪意のあるデマではなかったらしい。
自分でわかるのだから他人からすれば隣に大根が座っているようなものだろう。
恐ろしい。
人間は鼻が良すぎるな。
地方在住の人から「関東1都3県はどこも同じでは?」と言われることがあるが、関東人はどの地域も同じなんてことはない。
北関東3県はそれぞれ独自の文化を持つ。旧武蔵国の東京神奈川埼玉は文化面や地域性に似た部分が多い。一方で、千葉は下総上総安房なので東京神奈川埼玉と比べて変わった点が多く、人の性格も同様である。
数年前の「翔んで埼玉」という映画で埼玉がとことんサゲられてコケにされていた。誇張もあれど流石にここまで言われたら県民も怒るのでは?と思っていたら意外と怒りの声は少なかったらしい。ここに埼玉県民のおおらかで寛容な県民性が見える。たしかに、関東で自分が困っているときに助けてくれたのはほとんどが埼玉人である。
埼玉に対して、千葉をサゲると千葉人は例外なく怒り出す。そんな千葉人は東京以外の他県や地方のことを根っから見下している。東京の隣にある千葉こそ素晴らしく、(東京と神奈川以外の)他県は俺等より下だと平気で考えている。
これは千葉東京両方知ってないとわからないが、千葉が東京神奈川埼玉と違って旧武蔵国ではない、仲間外れなことへの千葉人の劣等感というものはすさまじいものがある。
何人も見てきたのでこれは確証がある。
あとは映画の翔んで埼玉で描かれる埼玉人以上に千葉人は東京人のフリをする。千葉なのに「東京」と付く施設のいかに多いことか。これも劣等感からきているのかもしれない。(千葉都民などと揶揄されているだけある)
筆者は地方出身だが関東にいたときは千葉寄りで仕事をしていたため、仕事が滞ると幾度となく千葉人から「このクソ田舎者め、田舎に帰れ」と言われてきた。そこを助けてくれるのは埼玉県出身の方…というオチもある。
器が小さく、すぐ怒る県民性であり、あとは弱っていたり困っているときに追加攻撃や嫌がらせを平気でしてきたのは関東のなかで"千葉人だけ"である。
ここまで千葉人がいかに器が小さくすぐキレて性格悪いひどいかを書いたが、一応千葉県民の名誉のために言っておくとこのひどい県民性にはかなり地域差があり、浦安市や市川市は東京に近かったりして上述の劣等感が無いことや、千葉市は大都会なのもあってかここまでひどいことを言う千葉人はそこまで多くない。