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はてなキーワード: 廃嫡とは

2026-03-27

弱者と出来損いは亡びるべし、――これはわれわれの人間愛の第一命題

彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である

ニーチェ、『アンチクリスト』二 (西尾幹二訳)

同情はごく大まかに言って発展の法則を、つまり淘汰の法則を妨げる。

同情は没落しかかっているものを保存する。

生の廃嫡者、生の犯罪人のために防戦する。

同情はありとあらゆる種類の出来損い的人間を生の中に引き留め、そうした人間を夥しく地上に溢れさすことによって、生そのものに陰惨でいかがわしい表情を与える。

ニーチェ、『アンチクリスト』七 (西尾訳)

生命のものは、一有機体健全な部分と退化変質した部分との間にいかなる連帯性も、いかなる「平等権利」も認めない。

変質した部分は切除されなければならない。

フリードリッヒニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社1985年8月30日125-126頁。

医師たちのための道徳――病人社会寄生虫です。

ある状態に置かれた場合には、生き永らえることが無作法です。

生きる意味、生きる権利が失われてしまった後で、医師病院処置に女々しく頼って植物人間として生きつづけるのは、

社会の側において深い軽蔑を招くことになりかねません。(中略) ――処方箋を示すのではなく、毎日自分患者に対する新しい嘔吐一服盛るべきでありましょう。

ニーチェ、『偶像黄昏』ある反時代人間逍遥 36 (西尾訳)

極めて皮肉なことに、「病人社会寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。

エルンストクレーが著書『第三帝国安楽死』の中で書いているように、ニーチェナチス・ドイツ時代に生きていれば真っ先に殺害対象になっただろうことは疑いようがない。

2026-03-09

統一教会信者からリー

天皇陛下独身時代に、信者女性を近づけようとしていたと

政治家はもう取り込まれているけど、皇室まで狙っていたのは事実らしい

陰謀論とは言い切れないな

公安委員長まで統一教会イベントに出ているんだぜ

南北朝鮮を分断した日本が心底憎いらしいよ

その支持をうけている高市首相自民党がどうして愛子様廃嫡しようとしているか、つながるよな

2024-08-30

anond:20240830183059

今読んでたなろうだと悪役令嬢を冤罪で訴えた王子廃嫡か大きく株を落とすかくらいはする

2022-06-20

黒田騒動は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

ほんとお家騒動の模範みたいな筋書きだな・・・

これを幕府がとりなすシステムを構築したのはさすが家康しか言えない。

まさに久能山東照宮から日本中を今も監視している存在である

2022-06-02

黒田騒動(くろだそうどう)は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動栗山大膳事件(くりやまだいぜんじけん)ともいう。伊達騒動加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。他の御家騒動では処分時に死者が出ているが、黒田騒動ではお預けなどはあったものの、死者は出なかった。

経緯

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

大膳も寛永9年(1632年)6月、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴した。藩側は「大膳は狂人である」との主張を行い、寛永10年(1633年)2月将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之の藩側の主張を認め、所領安堵の触れを出し、10年に及ぶ抗争に幕を閉じた。大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫高野山追放された。なお、十太夫島原の乱黒田家に陣借りして鎮圧軍に従軍したが、さしたる戦功は挙げられず、黒田家復帰はならなかった。のち上方で死去したという。十太夫の孫・倉八宅兵衛に至り、ようやく再仕官を許されている。なお、この時に盛岡藩へ預かりとなった栗山大膳は、藩祖・黒田如水所用の兜も一緒に持参した。現在、もりおか歴史文化館に所蔵されている。

題材にした作品

江戸時代中期には江戸中村座などにて黒田騒動を題材にした歌舞伎が数多く上演された。最初瀬川如皐作、外題『御伽譚博多新織』。のちに河竹黙阿弥により狂言『黒白論織分博多』として加筆集約化された。また幕末には合巻としては最長編である『しらぬひ譚』も歌舞伎化され、こちらも大好評を博した。

また、この事件森鷗外小説栗山大膳』において、改易を危惧した大膳が黒田家を守るために尋問の場で訴えたとして脚色して描いている。十太夫は、島原の乱一揆軍に加わり戦死したことになっている。滝口康彦小説『主家滅ぶべし』では、利章は真面目で実直なものの、その忠義独善的であるため主君家中からまれしまい、忠臣としての自身を保つために引き起こしものとして描かれている。

1956年には東映映画黒田騒動』が公開されている。監督内田吐夢、主演の栗山大膳役は片岡千恵蔵

1965年海音寺潮五郎が「列藩騒動録」新潮社上梓、のち講談社文庫化

2020-11-29

anond:20201129134436

ネットでは今の天皇夫妻や秋篠宮一家も叩かれまくって廃嫡とか言いだす保守派もいるし全然タブー感ないやで

2019-05-01

anond:20190501170253

手続きくそも、天皇をちやほやして感覚麻痺させる奴が現れ、そいつ操り人形みたいになって過激発言を繰り返せば廃嫡の声が高まって共和制になるよ。

例えば、あの竹〇が天皇になって、あの過激発言繰り返してたらどうなるか考えてみ?

ぎゃくにいえば、国家が安寧に進んでいる限りは、そういうちやほやして操り人形にしようという奴を警戒してあしらっててくだされば天皇制は続く。

2019-03-26

佳子さま結婚個人勝手発言に、国民の“怒り”が爆発 「秋篠宮廃嫡論」も』

オタクが男オタクいじめられている論並で草

 
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