31だったか、32だったか、年齢もあまり分からない姉が数ヶ月前に結婚をして、幸いなことに順調に子供を授かったらしい。姉の年齢も分からないが、というか数字を覚えれないのは私の特性なので年齢が分からないのは何も関係なく、姉とは仲は良い方で今度のゴールデンウィークにとあるライブに行こうとまで話をしていた。
子供を授かったので飛行機に乗れるか分からない、医者に確認をするがもしかしたらダメになるかも。と連絡が来て、最初に思ったことは、約束していたのは私が先だったのに。だった。
特別子供は好きではないが、好きな姉の子であるから愛せるだろうがこの約束を破らせた子を私は心から好きになることはないだろうと今から思っている。性別もわからない脳もまだ多分ない子に何を思ってるのかと自分でも自分が愚かで惨めでかわいそうだなと感じる。
少し前に、25という年齢を迎えた。25になってすぐ死ぬ訳ではなく好きなキャラの誕生日を迎えてから飛び下りをする予定だった。けど、飛び下り予定場所付近の宿をキャンセルした。
生きる気がある。
25に死のうと思った時は23とかだっただろうか、あまり覚えてないがかなり有意義な2年くらいだった気がする。締切直前というか、締切でうだうだするタイプの障害者(未診断)なので、明確な日付と宿、など死ぬ予定を明確にしたらかなり人生が楽しくなった。
普通の人間が80とか寿命で死ぬまでにやりたいこと!を私は2年間に詰め込んだのだ。そりゃ楽しい。でも実際思ってるより私はお金もないし時間もない。自分のできる範囲のやりたいことでもかなり充実した2年間だった。
行きたいと思ってたご飯屋さんに行けたし、あまり自ら友人を誘ったり、提案をするタイプではなかったが、ここに行きたいだとか、何々がしたいだとか発言をした2年間だっただろう。あとは、人と沢山話せた。どうせ死ぬし!と思って全然関わらないような人と会話することが増えたりいろんな出会いもあった。
それがいいことなのか悪いことなのか、なんなのかわからない。別にいいことでも悪いことでもなんでもいい。とすら今は思っている。
私は自分1人生きるだとか死ぬだとか色々毎日ぐにゃぐにゃと考えているのに、姉はもう1人の人生じゃないし、人を1人、生かせようとしている。本当に同じ血が流れているのだろうか。
23歳くらいの私は、25で死ねなかった私を許してくれるだろうか。嘘をついてごめんね。
26歳の私は、25で死ねばよかった。死んどけばよかったて思うだろうか。そう思う隙がないくらいたくさんいろんなことに触れられたらいいな。
別に死ぬ予定を明確に決めることを人に進める訳じゃない。けど私は決めたことでかなり前向きに死に向かって楽しかったと記録しておきたい。25で別に死んでも良かった。やり切ったから、楽しかったこと。でも今25年と数ヶ月生きて、まだおもしろいことあるかもと初めて人生にワクワクできてるよ。
自分用の文章を公開するのもどうかと思うけど、なんかこういう思考もあるのかと気づいてもらえたら嬉しいから公開するね。
読んでくれてありがとう。
奴隷契約に能動的に働いて上目指す奴が世界中にいるから、競争は止まらないし、資本家が得する社会になってるんだよ
週2日が生かず殺ずに人をこき使えるラインなんだろう
時系列で事例列挙するよ
織田信長がキリスト教を保護していた流れで豊臣秀吉もキリスト教の活動を容認していたが、あろうことか長崎がイエスズ会の植民地になってしまい、キリシタン(キリスト教信者)以外の人が奴隷扱いされ、東南アジアに人身売買される事案が発生
事態を重くみた秀吉はバテレン追放令を発し、キリスト教の活動を強く制限
藩主の松倉氏による重税とキリシタン弾圧に耐えかねたキリシタン達が島原の乱を起こす。蜂起にあたり15歳の少年を総大将に祭り上げ、さらに同年代の少年達も大量動員。乱は4ヶ月で鎮圧され、大人達一万人が投降した脇で巻き込まれた少年達は総大将含めて討死または餓死という末路に
今思えば辺野古ボート事故の根幹がここにあったのかも知れない。少年少女を巻き込んで抵抗活動を広げていたがいざとなったら大人側が逃げたという意味で
ただ松倉氏による重税も反乱の一因だと時の幕府が認定しており、藩主は反乱鎮圧後に斬首されていることを考慮する必要がある
辺野古基地移設反対運動にキリスト教関連団体が深く関与。度々死者を出すも知らんぷりする姿が2026年4月に明らかになった
ジジババの発想力には限度があるからな。期待するのは酷ってもんさ
まあまああり得る内容。