予言実現への第一歩
2025年1月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第54回・通算101回・№2)
大寒に入った月曜日から、ずっと暖かな春のような日が
続いておりますが、まさかこのまま春になってしまうことは
ないでしょうね。
「紫の会」は第18帖「松風」の3回目。今日は3年ぶりに源氏
が明石の上と再会した場面からのご紹介となります。
上京して、大井の邸に住むようになった明石の上を、源氏
は紫の上の手前、すぐに訪問できずにおりましたが、漸く
口実を設けて、お出掛けになりました。
源氏が明石から京へと戻ってきたのが、28歳の秋。その時、
明石の上は源氏の子を身ごもっていました。翌年の3月に
姫君が誕生。それから2年半近くが経ち、源氏は数え年で
3歳となっている娘と初めて対面したのです。
源氏は、その姫君に対して、「かくこそは、すぐれたる人の
山口はしるかりけれ」(こんなふうに、美人の徴候は今から
はっきりとわかるものなのだ)と、あどけない表情で微笑む
可愛らしさに満足しています。
入道は自らの瑞夢を信じて、ひたすら突き進んで来たのです
が、源氏もまた自らが受けた宿曜の予言を、この幼児の容貌
の中に見て取って、確信したのでありましょう。「いずれは后の
位に就く娘」、そう思うと、ここから入内に向けての準備(姫君
を身分の低い母親から引き取って、二条院で紫の上に養女と
して育てさせる)を真剣に考え始めたとしても、納得できますね。
この後、源氏は明石の上の母である尼君とも語り合い、歌を
詠み交わします。全文訳ではそこまで通して書きましたので、
ご参照いただければ、と存じます(⇒こちらから)。
大寒に入った月曜日から、ずっと暖かな春のような日が
続いておりますが、まさかこのまま春になってしまうことは
ないでしょうね。
「紫の会」は第18帖「松風」の3回目。今日は3年ぶりに源氏
が明石の上と再会した場面からのご紹介となります。
上京して、大井の邸に住むようになった明石の上を、源氏
は紫の上の手前、すぐに訪問できずにおりましたが、漸く
口実を設けて、お出掛けになりました。
源氏が明石から京へと戻ってきたのが、28歳の秋。その時、
明石の上は源氏の子を身ごもっていました。翌年の3月に
姫君が誕生。それから2年半近くが経ち、源氏は数え年で
3歳となっている娘と初めて対面したのです。
源氏は、その姫君に対して、「かくこそは、すぐれたる人の
山口はしるかりけれ」(こんなふうに、美人の徴候は今から
はっきりとわかるものなのだ)と、あどけない表情で微笑む
可愛らしさに満足しています。
入道は自らの瑞夢を信じて、ひたすら突き進んで来たのです
が、源氏もまた自らが受けた宿曜の予言を、この幼児の容貌
の中に見て取って、確信したのでありましょう。「いずれは后の
位に就く娘」、そう思うと、ここから入内に向けての準備(姫君
を身分の低い母親から引き取って、二条院で紫の上に養女と
して育てさせる)を真剣に考え始めたとしても、納得できますね。
この後、源氏は明石の上の母である尼君とも語り合い、歌を
詠み交わします。全文訳ではそこまで通して書きましたので、
ご参照いただければ、と存じます(⇒こちらから)。
紫の上の嫉妬
2025年1月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第54回・通算101回・№2)
昨日までは最高気温が10℃に届かず、寒い毎日でしたが、
「大寒」の今日は11℃まで気温も上がり、風もなく穏やかな
一日となりました。今週は、このような3月上旬の暖かさが
続くそうです。
ちょっと余談になりますが、一昨日、昨日と「大学入試共通
テスト」が行われ、昨日の朝刊に「国語」の試験問題が掲載
されていました。「古文」のところだけを見たのですが、もう
字が小さくて小さくて、眼鏡をかけても読みづらい!
まさか「大河ドラマ」の影響を受けた訳ではないでしょうが、
『源氏物語』が出題されていましたね。先ずはどんな問題
が出ているのだろうかと、そちらをちらり。問1では、語句の
意味が問われていました。「いはけなし」、「なかなか」、
「ののしる」と、これは本文を読まなくても答えられますね。
で、なぜこんな横道話を書いたかというと、本日の講読箇所
に「なかなか」が3回も出て来たからなのです。「却って」と訳
しますが、極めて頻出度の高い古語が問われているなぁ、と
思いました。次は敬語問題でしたが、これも基本的なことを
理解していればわかりますし、「共通テスト」は、やはり基礎
知識を身につけておくべきかな、と感じました(古文の設問を
見ただけですが💦)。
すみません、本題に入ります。
今月の「紫の会」は、第18帖「松風」の3回目で、父・入道を
一人明石に残し、大井の邸に着いた明石の上ですが、なまじ
同じ京に住むようになって、源氏の訪れがないのは、却って
離れていた時よりも辛く(はい、ここに「なかなか物思い続け
られて」と、出てまいりました)、源氏が明石を去る時に形見
に残していった琴(きん)の琴を掻き鳴らし、母・尼君と歌を
詠み交わすのでした。
一方の源氏もまた、明石の上が上京した今、「なかなか静心
なくおぼさるれば」(却って落ち着かない気持ちがなさるので)
←(また「なかなか」です)、大井に出かけようとしますが、
紫の上の手前、口実が必要です。例によって、源氏は紫の上
が、他所から明石の上が大井に住むようになったことを耳に
なさるよりは、自分の口から告げるほうがよいと思い、「桂の
院(源氏の別荘)への用事があり、その辺り近くで待っている
人もいるようだし、嵯峨野の御堂のこともあるので、二、三日
はかかるでしょう」と言ったのです。
紫の上は、桂の院を急に造営なさったのは、そこに明石の上
をお迎えになるためだったのか、と思います。これは誤解です
が、いずれにせよ、紫の上にとっては、面白くない話に違い
ありません。
源氏に向かって、「斧の柄さへあらためたまはむほどや、待ち
遠に」(斧の柄までも朽ち果てて、新しくなさる程でしょうか、
待ち遠しいことですわ)、と不快な様子で嫌味を言い、やんわり
と嫉妬している気持ちを見せます。紫の上のご機嫌を取るのに、
源氏も時間がかかってしまうのでした。
この「斧の柄が朽ちる」というのも、中国の故事によるものです
が、『枕草子』には、従者たちでも、主人が出先で長居をして
待たされている時に、「斧の柄も朽ちぬなめり」(斧の柄も腐っ
てしまいそうだ)と言っている、と書かれていますから、当時は
高貴な方のみならず、下々の者にまで知られていることわざ的
感覚の言葉だったようですね。
山に木を伐りに行った晋の王質が仙境に迷い込み、童子たち
が碁を打つのを見ているうちに、斧の柄が朽ちてしまうほど、
長い年月が経っていた、という浦島伝説に似た話です。
でも紫の上には、このような単純な嫉妬だけでは済まされない
ことが待ち受けています。紫の上と明石の上の関係を追って
読むだけでも、物語の奥深さを十分に味わえる気がします。
本日取り上げた箇所は、先に書きました「全文訳・松風(6)」
で通してお読みいただければ、と思います(⇒こちらから)。
昨日までは最高気温が10℃に届かず、寒い毎日でしたが、
「大寒」の今日は11℃まで気温も上がり、風もなく穏やかな
一日となりました。今週は、このような3月上旬の暖かさが
続くそうです。
ちょっと余談になりますが、一昨日、昨日と「大学入試共通
テスト」が行われ、昨日の朝刊に「国語」の試験問題が掲載
されていました。「古文」のところだけを見たのですが、もう
字が小さくて小さくて、眼鏡をかけても読みづらい!
まさか「大河ドラマ」の影響を受けた訳ではないでしょうが、
『源氏物語』が出題されていましたね。先ずはどんな問題
が出ているのだろうかと、そちらをちらり。問1では、語句の
意味が問われていました。「いはけなし」、「なかなか」、
「ののしる」と、これは本文を読まなくても答えられますね。
で、なぜこんな横道話を書いたかというと、本日の講読箇所
に「なかなか」が3回も出て来たからなのです。「却って」と訳
しますが、極めて頻出度の高い古語が問われているなぁ、と
思いました。次は敬語問題でしたが、これも基本的なことを
理解していればわかりますし、「共通テスト」は、やはり基礎
知識を身につけておくべきかな、と感じました(古文の設問を
見ただけですが💦)。
すみません、本題に入ります。
今月の「紫の会」は、第18帖「松風」の3回目で、父・入道を
一人明石に残し、大井の邸に着いた明石の上ですが、なまじ
同じ京に住むようになって、源氏の訪れがないのは、却って
離れていた時よりも辛く(はい、ここに「なかなか物思い続け
られて」と、出てまいりました)、源氏が明石を去る時に形見
に残していった琴(きん)の琴を掻き鳴らし、母・尼君と歌を
詠み交わすのでした。
一方の源氏もまた、明石の上が上京した今、「なかなか静心
なくおぼさるれば」(却って落ち着かない気持ちがなさるので)
←(また「なかなか」です)、大井に出かけようとしますが、
紫の上の手前、口実が必要です。例によって、源氏は紫の上
が、他所から明石の上が大井に住むようになったことを耳に
なさるよりは、自分の口から告げるほうがよいと思い、「桂の
院(源氏の別荘)への用事があり、その辺り近くで待っている
人もいるようだし、嵯峨野の御堂のこともあるので、二、三日
はかかるでしょう」と言ったのです。
紫の上は、桂の院を急に造営なさったのは、そこに明石の上
をお迎えになるためだったのか、と思います。これは誤解です
が、いずれにせよ、紫の上にとっては、面白くない話に違い
ありません。
源氏に向かって、「斧の柄さへあらためたまはむほどや、待ち
遠に」(斧の柄までも朽ち果てて、新しくなさる程でしょうか、
待ち遠しいことですわ)、と不快な様子で嫌味を言い、やんわり
と嫉妬している気持ちを見せます。紫の上のご機嫌を取るのに、
源氏も時間がかかってしまうのでした。
この「斧の柄が朽ちる」というのも、中国の故事によるものです
が、『枕草子』には、従者たちでも、主人が出先で長居をして
待たされている時に、「斧の柄も朽ちぬなめり」(斧の柄も腐っ
てしまいそうだ)と言っている、と書かれていますから、当時は
高貴な方のみならず、下々の者にまで知られていることわざ的
感覚の言葉だったようですね。
山に木を伐りに行った晋の王質が仙境に迷い込み、童子たち
が碁を打つのを見ているうちに、斧の柄が朽ちてしまうほど、
長い年月が経っていた、という浦島伝説に似た話です。
でも紫の上には、このような単純な嫉妬だけでは済まされない
ことが待ち受けています。紫の上と明石の上の関係を追って
読むだけでも、物語の奥深さを十分に味わえる気がします。
本日取り上げた箇所は、先に書きました「全文訳・松風(6)」
で通してお読みいただければ、と思います(⇒こちらから)。
入道の別れの言葉から見えてくるもの
2025年1月13日(月) 溝の口「紫の会」(第86回・№2)
溝の口の「紫の会」は第2月曜日なので、毎年1月は「成人の日」
です。澄み渡った青空の下、溝の口駅周辺には、色とりどりの
振り袖姿の新成人が、今年は誰一人としてマスクの着用もなく、
楽しそうに話をしながら歩いていました。
2021年は休講中。2022年、2023年はマスクをつけての晴れ着
姿だったので、コロナに対する意識は完全に変わりましたね。
今はテレビのニュースでも、インフルエンザの大流行のほうが
話題になっていますものね。
「紫の会」は、第18帖「松風」の中程を講読中です。
今回は、一人明石に残ることになった入道が娘の明石の上に、
長々と別れの言葉を告げるところから読み始めました。
入道は先ず、自分の半生を振り返って語ります。
大臣家の息子として生まれながら、自ら近衛中将という官職を
投げ打って、「播磨の守」という受領階級になり下がったのも、
娘の明石の上を思い通りに育てたいためであったのだが、思う
ように事は運ばず、美しく成長した明石の上を、こんな田舎に
埋もれさせてしまうのか、と嘆いていたところに、住吉明神の
お導きで、源氏の君とのご縁を得て、姫君まで誕生したので、
自分はもう思い残すこともなくなった、と、これ迄の明石の物語
を要約して、読者にも確認させるような会話内容となっています。
更に「君達は世を照らしたまふべき光しるければ」(あなた方は
現世を照らしなさるご立派な運勢がはっきりとしているのです
から)と語るに至っては、まるで源氏が「三人の子どものうちの
一人は后になる」と予言されているのを知っているかのようです。
もちろん、入道が知る由もなく、なぜそうした予見めいたことが
可能であったかが明かされるのは、10年後、34帖「若菜上」で、
姫君が東宮の第1皇子を出産した際に、入道から明石の上の
許に届けられた遺書によってなのです。
ここに至るまでのまとめをし、この先の明石一族の繁栄を予感
させている場面かと思います。長編物語として紡いでいく心憎い
までの作者のストーリーテラーとしての資質を見せつけられて
いる気がいたしますね。
詳しい話の流れは、先に書きました「全文訳・松風(5)」でお読み
いただければ、と思います(⇒こちらから)。
溝の口の「紫の会」は第2月曜日なので、毎年1月は「成人の日」
です。澄み渡った青空の下、溝の口駅周辺には、色とりどりの
振り袖姿の新成人が、今年は誰一人としてマスクの着用もなく、
楽しそうに話をしながら歩いていました。
2021年は休講中。2022年、2023年はマスクをつけての晴れ着
姿だったので、コロナに対する意識は完全に変わりましたね。
今はテレビのニュースでも、インフルエンザの大流行のほうが
話題になっていますものね。
「紫の会」は、第18帖「松風」の中程を講読中です。
今回は、一人明石に残ることになった入道が娘の明石の上に、
長々と別れの言葉を告げるところから読み始めました。
入道は先ず、自分の半生を振り返って語ります。
大臣家の息子として生まれながら、自ら近衛中将という官職を
投げ打って、「播磨の守」という受領階級になり下がったのも、
娘の明石の上を思い通りに育てたいためであったのだが、思う
ように事は運ばず、美しく成長した明石の上を、こんな田舎に
埋もれさせてしまうのか、と嘆いていたところに、住吉明神の
お導きで、源氏の君とのご縁を得て、姫君まで誕生したので、
自分はもう思い残すこともなくなった、と、これ迄の明石の物語
を要約して、読者にも確認させるような会話内容となっています。
更に「君達は世を照らしたまふべき光しるければ」(あなた方は
現世を照らしなさるご立派な運勢がはっきりとしているのです
から)と語るに至っては、まるで源氏が「三人の子どものうちの
一人は后になる」と予言されているのを知っているかのようです。
もちろん、入道が知る由もなく、なぜそうした予見めいたことが
可能であったかが明かされるのは、10年後、34帖「若菜上」で、
姫君が東宮の第1皇子を出産した際に、入道から明石の上の
許に届けられた遺書によってなのです。
ここに至るまでのまとめをし、この先の明石一族の繁栄を予感
させている場面かと思います。長編物語として紡いでいく心憎い
までの作者のストーリーテラーとしての資質を見せつけられて
いる気がいたしますね。
詳しい話の流れは、先に書きました「全文訳・松風(5)」でお読み
いただければ、と思います(⇒こちらから)。
浮舟、匂宮に抱かれて宇治川を渡る
2025年1月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第188回)
今日は最高気温が9℃止まりで風も冷たく、寒中らしい一日と
なりましたが、大雪の所の方々のご苦労を思えば、たいした
ことはありませんね。
今回より、これ迄第4月曜日に例会を行っていた「湖月会」を、
第2金曜クラスに統合した形となったので、今後は会場クラス、
オンラインクラス、それぞれ月1回となります。
こうしてクラス編成にも変化のあった年明け早々に読んだの
が、「宇治十帖」の中で最も印象に残る、浮舟が匂宮に抱か
れて宇治川を渡り、濃密な二日間を過ごす場面でした。
ここに至るまでの展開は、一昨日のオンラインクラスの時に
書きました(⇒こちらから)。
匂宮は浮舟と共に小舟に乗って対岸へとお渡りになります。
有明の月が水面に映っている折から、船頭が「これが橘の
小島でして」と言って、舟を停めます。
匂宮は橘の木をご覧になりながら、「年経ともかはらぬものか
橘の小島の崎に契る心は」(どんなに年が経っても変わったり
するものですか。変わらぬ緑の橘の小島の崎で約束する私の
心は)と、永遠の愛を誓われます。
匂宮は、中の君に対してもそうでしたが、その時々、目の前に
いる女性のことだけを見ている人なので、これは決してリップ
サービスではなく、今の正直な気持ちなのです。
それに対して浮舟は、「橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞ
ゆくへ知られぬ」(橘の小島の色と同じようにあなたの愛は変わ
らなくとも、この浮舟のような私は、どこへ流れて行くことになる
のやら)と返しました。
この歌の中の「浮舟」が巻名となり、人物呼称ともなっています。
以前にも書いておりますが、浮舟ほど、呼称がイメージと合致
している例は、他にないと思います。この先、二人の男性の狭間
を、水に漂う小舟のように危うく揺れ動き、終盤、出家してもなお、
浮舟は浮舟なのですから。
対岸に着くと、匂宮は自ら浮舟を抱いて舟を下り、時方の叔父の
別荘にお入りになりました。まだ粗造りで、風も満足には防ぐこと
が出来ない山荘で、残雪の上に今もまた雪が降り積もっているの
でした。
この辺りの風情、ぜひ原文で味わっていただきたいですね。
朝日も昇りましたが、匂宮と浮舟は寝起きのしどけない姿のまま
で過ごしていました。中の君や六の君のこんな下着姿でくつろい
でいるところをご覧になったことのない匂宮の目には新鮮に映り
ます。
人目もないので、匂宮は終日浮舟と陶酔の時間を過ごされます。
物忌みは二日間だと京には取り繕ってあるので、翌日も、誰にも
邪魔されることなく、「かたはなるまで遊びたはぶれつつ暮らし
たまふ」(見苦しいほどに、戯れながら一日をお過ごしになる)と
あります。『源氏物語』では、ラブシーンを露骨に描くことは一切
していないのですが、ここでは情痴の限りを尽くした、ということ
でしょう。
この匂宮に抱かれて小舟で宇治川を渡り、対岸の隠れ家で過ご
した二日間の逢瀬は、浮舟にとっても、夢のような甘美な出来事
でありました。それが現実に戻った時、彼女の苦悩をより深くし、
自分で自分を追いつめることに繋がっていくのです。
その心の過程がこれから描かれてまいりますので、読み応えが
あります。
最後に、古来「源氏絵」として多くの絵師たちによって描かれて
いるこの場面を、拙著の挿絵でご紹介しておきます。
今日は最高気温が9℃止まりで風も冷たく、寒中らしい一日と
なりましたが、大雪の所の方々のご苦労を思えば、たいした
ことはありませんね。
今回より、これ迄第4月曜日に例会を行っていた「湖月会」を、
第2金曜クラスに統合した形となったので、今後は会場クラス、
オンラインクラス、それぞれ月1回となります。
こうしてクラス編成にも変化のあった年明け早々に読んだの
が、「宇治十帖」の中で最も印象に残る、浮舟が匂宮に抱か
れて宇治川を渡り、濃密な二日間を過ごす場面でした。
ここに至るまでの展開は、一昨日のオンラインクラスの時に
書きました(⇒こちらから)。
匂宮は浮舟と共に小舟に乗って対岸へとお渡りになります。
有明の月が水面に映っている折から、船頭が「これが橘の
小島でして」と言って、舟を停めます。
匂宮は橘の木をご覧になりながら、「年経ともかはらぬものか
橘の小島の崎に契る心は」(どんなに年が経っても変わったり
するものですか。変わらぬ緑の橘の小島の崎で約束する私の
心は)と、永遠の愛を誓われます。
匂宮は、中の君に対してもそうでしたが、その時々、目の前に
いる女性のことだけを見ている人なので、これは決してリップ
サービスではなく、今の正直な気持ちなのです。
それに対して浮舟は、「橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞ
ゆくへ知られぬ」(橘の小島の色と同じようにあなたの愛は変わ
らなくとも、この浮舟のような私は、どこへ流れて行くことになる
のやら)と返しました。
この歌の中の「浮舟」が巻名となり、人物呼称ともなっています。
以前にも書いておりますが、浮舟ほど、呼称がイメージと合致
している例は、他にないと思います。この先、二人の男性の狭間
を、水に漂う小舟のように危うく揺れ動き、終盤、出家してもなお、
浮舟は浮舟なのですから。
対岸に着くと、匂宮は自ら浮舟を抱いて舟を下り、時方の叔父の
別荘にお入りになりました。まだ粗造りで、風も満足には防ぐこと
が出来ない山荘で、残雪の上に今もまた雪が降り積もっているの
でした。
この辺りの風情、ぜひ原文で味わっていただきたいですね。
朝日も昇りましたが、匂宮と浮舟は寝起きのしどけない姿のまま
で過ごしていました。中の君や六の君のこんな下着姿でくつろい
でいるところをご覧になったことのない匂宮の目には新鮮に映り
ます。
人目もないので、匂宮は終日浮舟と陶酔の時間を過ごされます。
物忌みは二日間だと京には取り繕ってあるので、翌日も、誰にも
邪魔されることなく、「かたはなるまで遊びたはぶれつつ暮らし
たまふ」(見苦しいほどに、戯れながら一日をお過ごしになる)と
あります。『源氏物語』では、ラブシーンを露骨に描くことは一切
していないのですが、ここでは情痴の限りを尽くした、ということ
でしょう。
この匂宮に抱かれて小舟で宇治川を渡り、対岸の隠れ家で過ご
した二日間の逢瀬は、浮舟にとっても、夢のような甘美な出来事
でありました。それが現実に戻った時、彼女の苦悩をより深くし、
自分で自分を追いつめることに繋がっていくのです。
その心の過程がこれから描かれてまいりますので、読み応えが
あります。
最後に、古来「源氏絵」として多くの絵師たちによって描かれて
いるこの場面を、拙著の挿絵でご紹介しておきます。
実行あるのみの匂宮
2025年1月8日(水) 溝の口「オンライン源氏の会」(第54回・通算195回)
新年のご挨拶のあと、だいぶ間が空きましたが、今日から
今年の『源氏物語』の講読会もスタートしました。
会場のクラスでは12月に読んだところですが、オンラインの
クラスは月遅れの第1水曜日が例会日ですので(当然元日
はお休み)、今日同じ箇所を講読をしました。
第51帖「浮舟」は、「宇治十帖」の中核を担っている巻では
ありますが、話としては、薫27歳の1月から3月迄の、わずか
3ヶ月のことなのです。
正月に、浮舟が薫に囲われて宇治に居ることを知った匂宮は、
強引に宇治へと出掛け、浮舟と契りを交わし、互いに心惹かれ
合います。2月の初め、薫が宇治を訪れ、物思わし気な浮舟の
様子に、女としての成長を感じます。そして2月10日頃に宮中
で詩宴が行われた夜、匂宮は、薫が「衣かたしき今宵もや」と
口ずさむのを聞いて、居ても立ってもいられない思いに駆られ
たのでした(それについては⇒こちらから)。
薫は、思ってもすぐに行動に移すことなくあれこれと思案して、
結局は、それが恋の成就への道を自ら閉ざすことにもなるの
ですが、匂宮は即座に実行あるのみなのです。
前日からの雪が積もっている中、無鉄砲にも宇治へとお出でに
なりました。大内記らも難儀しながらお供を務めているのでした。
こんな雪の夜に浮舟に逢いに来られた匂宮に、右近はもとより
浮舟も感動しておりました。右近は自分一人では手に負えない
状況になったと判断して、侍従という若い女房に事情を打ち明け、
味方につけて匂宮を浮舟の許にお入れしました。
これで一晩過ごし、夜が明けないうちにお帰りになっていたなら、
浮舟も、最終的には薫に委ねる道を選んだかもしれません。でも
匂宮は、僅かな時間の逢瀬だけでは、未練が残ってならないし、
この邸の人々の目も気になるので、時方に段取りをつけさせて、
対岸の時方の叔父の山荘に浮舟を連れ出すことにしたのです。
夜更けのこととて寝ていた右近も動転し、驚き震えているうちに、
匂宮は浮舟を抱いて邸をお出になります。右近は侍従を二人に
付き添わせ、自分は留守番役として残ったのでした。
大内記、時方、右近、侍従、脇役の描き方も細やかで、物語に
リアリティを持たせ、引き立てるのに一役買っていますね。
そして、次がいよいよ、あの朝霧橋のたもとのモニュメントにも
なっている場面となります。会場クラスでは、もう明後日が例会
ですので、新年早々、私も緊張しているところです。
新年のご挨拶のあと、だいぶ間が空きましたが、今日から
今年の『源氏物語』の講読会もスタートしました。
会場のクラスでは12月に読んだところですが、オンラインの
クラスは月遅れの第1水曜日が例会日ですので(当然元日
はお休み)、今日同じ箇所を講読をしました。
第51帖「浮舟」は、「宇治十帖」の中核を担っている巻では
ありますが、話としては、薫27歳の1月から3月迄の、わずか
3ヶ月のことなのです。
正月に、浮舟が薫に囲われて宇治に居ることを知った匂宮は、
強引に宇治へと出掛け、浮舟と契りを交わし、互いに心惹かれ
合います。2月の初め、薫が宇治を訪れ、物思わし気な浮舟の
様子に、女としての成長を感じます。そして2月10日頃に宮中
で詩宴が行われた夜、匂宮は、薫が「衣かたしき今宵もや」と
口ずさむのを聞いて、居ても立ってもいられない思いに駆られ
たのでした(それについては⇒こちらから)。
薫は、思ってもすぐに行動に移すことなくあれこれと思案して、
結局は、それが恋の成就への道を自ら閉ざすことにもなるの
ですが、匂宮は即座に実行あるのみなのです。
前日からの雪が積もっている中、無鉄砲にも宇治へとお出でに
なりました。大内記らも難儀しながらお供を務めているのでした。
こんな雪の夜に浮舟に逢いに来られた匂宮に、右近はもとより
浮舟も感動しておりました。右近は自分一人では手に負えない
状況になったと判断して、侍従という若い女房に事情を打ち明け、
味方につけて匂宮を浮舟の許にお入れしました。
これで一晩過ごし、夜が明けないうちにお帰りになっていたなら、
浮舟も、最終的には薫に委ねる道を選んだかもしれません。でも
匂宮は、僅かな時間の逢瀬だけでは、未練が残ってならないし、
この邸の人々の目も気になるので、時方に段取りをつけさせて、
対岸の時方の叔父の山荘に浮舟を連れ出すことにしたのです。
夜更けのこととて寝ていた右近も動転し、驚き震えているうちに、
匂宮は浮舟を抱いて邸をお出になります。右近は侍従を二人に
付き添わせ、自分は留守番役として残ったのでした。
大内記、時方、右近、侍従、脇役の描き方も細やかで、物語に
リアリティを持たせ、引き立てるのに一役買っていますね。
そして、次がいよいよ、あの朝霧橋のたもとのモニュメントにも
なっている場面となります。会場クラスでは、もう明後日が例会
ですので、新年早々、私も緊張しているところです。
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