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まめ人のデリカシーに欠ける発言

2018年5月28日(月) 溝の口「湖月会」(第119回)

こちらのクラスも今月が119回目。来月で丸十年ということになります。

第2金曜日のクラスと足並みを揃えて進んでおりますので、同じ場面
(落葉の宮の母君・一条の御息所がご病気になられて、比叡山に籠って
いる律師の加持祈祷を受けるため、宮もご一緒に小野の山荘に移られ
ました。秋の情趣も深まって行く八月の中旬、夕霧はお見舞いに出掛け、
その夜、落葉の宮に迫り思いを訴えますが、落葉の宮の心は閉ざされた
ままで、結局何事も無いまま一夜が明けたのでした)を読みました。

このところ、湘南台のクラスでは、薫が中の君と一夜を共にしながら何事も
無かった、溝の口の「紫の会」では、源氏が若紫と一夜を共にしながら何事も
無かった(この場合は相手が子供ですから、無くて当たり前ですが)、そして
今日、と「何事も無かった」続きです。

夕霧は、柏木が亡くなってから足掛け三年、ずっと誠実な態度で落葉の宮と
母の御息所を支えて来たのですから、自分を認めてくれてもいいはずだ、と
いう思いがあります。むしろ、夕霧の気持ちを察しながらも素知らぬふりを
している落葉の宮を責めたいくらいです。

一方、落葉の宮は、独身が建前の皇女の身でありながら、周りに勧められて
柏木と結婚。夫の愛が得られぬまま、若くして未亡人となってしまい、世間体の
悪さを感じでいます。しかも、今自分に懸想している夕霧は、柏木の妹・雲居の雁
の夫です。柏木と雲居の雁の父親である致仕の大臣が、このことを耳にされたら、
と思うと、いっそう情けなさが加わります。更に、唯一頼りになる母君が病の床に
ついてしまわれ、気掛かりでならない状況に置かれているのです。

そんな落葉の宮には、夕霧がいくら手を変え品を変え言い寄ったところで、何の
甲斐もあろうはずがありません。挙句の果てに夕霧が言ったこの言葉に、宮は
深く傷つきます。「世の中をむげにおぼし知らぬにしもあらじを」(男女の仲という
ものを全くご存知ないわけでもないでしょうに)。

落葉の宮は「世を知りたるかたの心やすきやうに、をりをりほのめかすも、
めざましう、げにたぐひなき身の憂さなりや」(男女の仲のことを知っているから、
気安く口説けるかのように、折々夕霧がほのめかすのも心外で、いかにも
例のない辛い我が身であることよ)と思い続け、死ぬほど辛く感じておられる
のでした。

まめ人は、言われる側の女性の気持ちを無視したデリカシーに欠ける発言を
します。この夕霧もそうですし、「宇治十帖」では、薫が、匂宮の御子を宿している
中の君に対して「悪阻などというものは、しばらく気分が悪くても、またもとに戻る
と聞きました」と、言っています。普通女性は、夫以外の男性から悪阻のことなどに
触れられたくはないはずです。

まめ人たちは、女性の扱いに慣れていないので、どうにも困ったものですね。


父親の思い

2018年5月24日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第26回・№2)

四日間ブログをお休みしましたので、風邪をぶり返したのではないかと
ご心配下さった方もおありかもしれませんが、大丈夫です。この間一度も
電車にも乗らず、ひたすら充電に励みましたので、今日は不安を感じる
こともなく講読会に向かうことが出来ました。

第2月曜日のクラスの時(5/14)に、祖母の尼君を失くし、ひとりぼっちに
なった若紫のもとを源氏が訪れ、一夜を共にした(と言っても相手が子供
なので、何事があった訳でもありませんが)場面をご紹介しましたが、
翌朝源氏がお帰りになったあと、若紫の父・兵部卿の宮がお出でになり
ました。

久々にお越しになった兵部卿の宮は、以前よりも荒れ果てた広く古い邸を
ご覧になったところで早々に、ここに幼い若紫を一人置いておくことは
出来ないとお感じになっています。

ただ、本邸には気の強い正妻と、その正妻との間に生まれた娘たちも居り、
尼君も、娘(若紫の母)が正妻方からの嫌がらせを苦に病んで亡くなったこと
を思うと、若紫が兵部卿の宮に引き取られることをお望みではありません
でした。

少納言の乳母もそのあたりの事情が分かっているだけに、次第に姫君を
源氏に託そう、という方向に気持ちが傾いて行ったことは、5/14の記事に
書いた通りです。ですから、兵部卿の宮のお申し出にも「もう少し物事の
道理がお分かりになるようになってから」と、やんわりと拒否の態度を
示したのです。

それでも、尼君を恋慕って食事も喉を通らなくなり、すっかり面痩せして、
夕方になって兵部卿の宮が帰ろうとなさると心細さから泣き出してしまう娘
を見て、父親としては放ってはおけません。「いとかう思ひな入りたまひそ。
今日明日わたしたてまつらむ」(ひどくそんなにも思い詰めないで。今日明日
の内にもお移し申し上げよう」などと、何度もなだめ置いてお帰りになりました。

源氏は結婚もしていないのに、毎夜若紫のもとへ出掛けて行くのは憚られ、
代わりに惟光を差し向けていましたが、数日後、いつものように惟光が行くと、
「明日急に父宮がお迎えに来るとおっしゃって」と、少納言の乳母から告げられ、
その準備に忙しそうにしている様子が覗えて、惟光は急ぎ帰参したのでした。

この辺りの詳しい内容につきましては、先に書きました「全文訳(11)」を
ご参照ください。

来月で「若紫」の巻は読了予定です。


第五帖「若紫」の全文訳(11)

2018年5月24日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第26回・№1)

今月の「紫の会」は、「若紫」の巻の221頁・2行目~231頁・13行目迄を
読みました。5/14に前半部分(221頁・2行目~226頁・14行目)の全文訳
を書きましたので、今回は後半部分(227頁・1行目~231頁・13行目)の
全文訳となります。  (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)


ひどく一面に霧が立ち込めている空もただならぬ風情があるのに、霜は
たいそう白く置いて、本当の恋にもうってつけであろうにと、源氏の君は
物足りなく思っておられました。

とてもこっそりとお通いになっている所の道中であることを思い出されて、
供人に門を叩かせなさいましたが、聞きつける人もありません。仕方なくて、
御供の中で声の良い者に命じて歌わせなさいました。
 
「朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも行き過ぎがたき妹の門かな」(夜明けの
霧が立ちこめた空の様子の乱れにつけても素通りし難いあなたの家の門
の前ですよ)

と、二度ほど歌った時に、気の利いた下仕えの女を出して、
 
「立とまり霧のまがきの過ぎうくは草のとざしにさはりしもせじ」(霧の立ち
こめているこの家の垣根の辺りを素通り出来かねるのでしたら、閉ざして
ある草の戸などに邪魔されることもありますまいに)

と詠みかけて中に入って行きました。他に人も出て来ないので、このまま
帰るのも風情の無いことですが、空が明るくなって行くのもきまりが悪くて、
二条院へとお帰りになりました。可愛かった若紫の面影が恋しくて、思い出し
笑いをしながら横になられました。

日が高くなってから目覚めて起き上がられ、手紙をお遣わしになります。
書くはずの言葉もいつもの後朝の文とは違うので、筆を何度も休めては
気の向くままにしておられました。おもしろい絵なども一緒にお遣わしに
なりました。

故按察使の大納言邸には、丁度その日、兵部卿の宮がお出でになりました。
ここ数年よりもすっかりひどく荒れて、広く古びた邸が、いっそう人が少なく
寂しいので、兵部卿の宮は見渡しなさって、「こんなところでは、どうして
しばらくの間も幼い人がお過ごしになれよう。やはりあちらにお移し申し上げ
よう。何も気兼ねの要る所ではない。乳母は部屋などをしつらえてお仕え
すればよい。若君は、向こうにも年若い姫君たちが居ることだし、一緒に
遊んで、とても楽しくお暮らせになれよう」などとおっしゃいます。

兵部卿の宮が若紫を近くにお呼び寄せになると、源氏の君の移り香が、
たいそう優雅に染みついておられるので、「いい匂いだね。でもお着物は
すっかりくたびれて」と、いたいたしくお思いでした。「これまでも病気がちの
お年寄りとご一緒にお暮らしだったので、私の邸に行ってあちらの方々とも
お馴染みになりなさい、と言ってみたのだが、こちらでは妙に嫌がりなさって、
北の方も面白くないようだったけれど、こんな今になってあちらにお移りになる
のも可哀想で」と、兵部卿の宮がおっしゃると、少納言の乳母は「いいえ、それ
には及びません。たとえ心細くても、暫くはここにこうしておいでになれましょう。
もう少しものの道理がお分かりになるお年になられてからお移りになられる
のがよろしいかと存じます」と申し上げます。

「昼も夜も尼君を恋慕っておられて、ちょっとした物もお召し上がりに
なりません」と乳母が申しますと、ほんに若紫はたいそうひどく面痩せて
おられますが、それがとても上品で可愛らしく、却って愛らしくお見えに
なります。兵部卿の宮は「どうしてそんなにお悲しみなのか。今はもう
亡くなられた尼君のことは仕方がない。私がいるから」などと若紫を
お慰めになって、日が暮れるとお帰りになるので、若紫はとても心細い
と思ってお泣きになります。兵部卿の宮も思わずお泣きになって、「ひどく
そんなにも思い詰めないで。今日明日の内にもお移し申し上げよう」などと、
何度もなだめ置いて、お帰りになりました。

若紫は父宮がお帰りになった悲しみも慰めようがなく泣いてお座りになって
いました。ご自分の身の上がこの先どうなるのだろうか、というようなことまで
はお考えにならず、ただ長年ずっと離れることなくお側に置いて頂いていた
尼君が、今はもう亡くなってしまわれた、と思うのがとても悲しいので、幼心
にも、胸がいっぱいになって、いつものようにお遊びにもならず、それでも
昼間は何とか気を紛らわしていらっしゃいますが、夕暮れともなると、ひどく
塞ぎ込んでしまわれるので、これではどうしてお過ごしになれよう、と慰め
かねて、乳母も共に泣いているのでした。

源氏の君の許からは、その夕方惟光を差し向けなさいました。「私自身が
参上すべきですが、宮中からお召しがあってお伺いできません。おいたわしい
ご様子を拝見いたしましたのにつけても、気になりまして」との伝言を携え
させて宿直人(惟光)をお遣わしになりました。

「情けないこと。ご冗談にもせよ、最初からこのようなお仕打ちだなんて。
父宮のお耳に入ったなら、お仕えする者の不行き届きとお叱りを受けましょう。
決して何かのはずみに、うっかり源氏の君のことをお口になさいますな」などと
少納言の乳母は言いますが、それを若紫が何ともお思いでないことが嘆かわしい
ことでありました。

少納言の乳母は惟光にあれこれしみじみとした話をして、「将来、源氏の君の
妻となられる運命をお逃れになれないこともありましょう。でも今はどう考えても
とても不似合いなことだと思われますのに、源氏の君が不思議な程お心に
掛けておっしゃいますのも、どのようなお気持ちなのか、見当もつかず思い
悩んでおります。今日も父宮がお出でになって、『あとあと安心できるように
お仕えしなさい、軽率なお扱いをせぬように』と、おっしゃいましたのも、私と
いたしましてはとても気が重く、父宮からのご注意がなかった時よりも、こ
ような源氏の君の好色めいたお振舞いも改めて気になることでございます」
などと言って、惟光も源氏の君と若紫の間に何か事があったかと思うかも
しれない、などと考え、それは不本意なので、今夜源氏の君の訪れがない
こともさほど不満そうには言わずにおります。惟光も、いったいどういうこと
になっているのかと、合点の行かぬ思いがしておりました。

惟光が帰参して、あちらの様子などを申し上げますと、源氏の君はしみじみと
思い遣られなさいますが、先夜のようにお通いになるのも、さすがにどうかと
思われて、軽率で奇妙なお振舞いだと世間の人も噂を聞くのではないか、
などと憚られるので、いっそのこと引き取ってしまおう、とお思いになります。

お手紙は度々差し上げなさいます。日が暮れると、いつものように惟光を
差し向けなさいます。「さし障りがあって、参上できないのを、いい加減な
気持ちだとお思いでしょうか」などとお手紙には書いてありました。
少納言の乳母が「父宮から、明日急にお迎えに、とおっしゃられましたので、
気忙しくしておりまして。長年住み慣れたこの蓬生の宿を去ることになります
のも、さすがに心細くて、お仕えする者たちも思い乱れてしまって」と、
言葉少なに言って、ろくに応対もせず、着物を縫ったり忙しくしている様子が
見て取れたので、惟光は帰参しました。


新緑ランチ&第50帖「東屋」に入る

2018年5月19日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第149回)

木曜日の時点ではランチどころか講読会も出来るかどうか不安でしたが、
体調もほぼ回復し、今日は先々月より予定されていた「新緑ランチ」から
参加することが出来ました。

11:00に小田急線の鶴川駅に集合。車でいらしている方に分乗させて
いただいて向かった先はカジュアルイタリアンの「クチーナ・ボナペティ」。

郊外にある隠れ家的なレストランだけあって、窓から見える景色も新緑に
染まり、病み上がりの身体もここで完全にリフレッシュ。食欲もバッチリ~。

     DSCF3474.jpg
    メインはお肉とお魚からチョイス(こちらはお魚)。それに
    アラカルトのピザ(薄~い生地がパリッとしていて美味しい)。
    これにアミューズが添えられたサラダ、パン、デザートセット
    がプラスされて2,000円。とてもリーズナブルです。
    小さなお子さんを連れたファミリー利用者が多いのも頷ける
    お店です。
    
     DSCF3476.jpg
       楽しく、美味しく、満足の笑顔が広がりました。


さて、今日もここで終わりではありません。また車に乗せていただいて、
一路淵野辺へ。

このクラスは、今回から第50帖「東屋」に入りました。

前巻の「宿木」で、中の君の口を通して、薫にも読者にもその存在が告げられた
浮舟ですが、薫が宇治で偶然浮舟を目にしたところで、「宿木」は終わりました。

続く「東屋」では、浮舟が新たなヒロインとしてクローズアップされてまいります。
この先の「源氏物語」最後の五帖、「東屋」・「浮舟」・「蜻蛉」・「手習」・「夢浮橋」
は、浮舟を巡る物語となります。

「東屋」の冒頭では、大君の面影を宿す浮舟に逢いたい気持ちはあるものの、
常陸の介という受領の継娘程度の女に、熱心に言い寄るのもみっともない話
だとためらう薫と、弁の尼から薫の申し出を聞いても、とても本気だとも思えない
浮舟の母・中将の君の気持ちが書かれています。

続いて、父親の八の宮に認知して貰えなかった娘・浮舟の幸せをひたすら願う
中将の君が、娘の婚活に必死になった挙句、破談になってしまう話へと移って
行くのですが、ここには、これまで無かった受領の家の事情が詳細に語られて
いて、物語が新たな展開を迎えたことが感じられます。

長くなりますので、一つ一つのことに関しては、また他のクラスで読んだ時に、
取り上げて行きたいと思います。


「それって、うんうん、あるある」

2018年5月18日(金) 溝の口「枕草子」(第20回)

正直、今日の講読会が無事に終えられ、こうしてブログを書けることに
ホッとしています。

16日の夜にブログを書いている頃から、喉がイガイガして、咳込みたく
なる感じになり、ペットボトルのお茶を飲みながらパソコンに向かって
いましたが、一時的なことと思ってそのまま寝ました。

昨日の朝になると、喉全体に痛みが広がり、熱が上がる時の身体の
不快感も出て来て「もしかして、これはとても拙いのでは」という気に
なりました。おまけに胃腸もおかしくて、この食いしん坊の私が食欲ゼロ。

案の定、夕方には38度を超えて、19時までやっている初めての医院を
受診しました。その時は38度5分まで体温は上がっていました。

いよいよ明日は休講かな、連絡をどうしよう、とか、あれこれ悩みながらも、
プロジェクター用の写真などを用意して、早目にベッドに入りました。

汗をかけば熱は下がるので、蒸し暑いのに布団をしっかり掛けて寝たところ、
目覚めて熱を測る度に下がって行き、今朝は36度3分。「ああ、良かった」と
本当に安堵しました。

夕方帰宅して、ちゃんと食事の仕度もしましたし、作った物は全部食べられ
ましたので、もう大丈夫です。

風邪が流行っていると、あちらこちらで耳にはしていましたが、やはり油断
していたのでしょうね。皆さまもお気をつけください。

とまあ、長々と風邪の報告になってしまいましたが、今日の「枕草子」は
第89段~第94段の途中までを読みました。

そのうちの第90段~第93段までは、「類聚章段」と呼ばれている、いわゆる
ものづくしの段で、「ねたきもの」(いまいましいもの)、「かたはらいたきもの」
(ハラハラ、イライラするもの)、「あさましきもの」(あきれてものも言えないもの)
「口惜しきもの」(残念でならないもの)が、取り上げられているのですが、
以前にも書きましたように、その中には今の私たちも「うんうん、あるある」と
頷きたくなるものが沢山出て来ます。長くなるので、一つずつだけご紹介しますね。

「ねたきもの」・・・「(手紙を)書きてやりつる後、文字一つ二つ思ひなほしたる」
(手紙を出してしまってから、一、二箇所、あそこはこう書くべきだったと、気が
付いた時)→ありますよね、今ならメールで送信してしまってから、しまった、って
思うことが多いでしょうか。

「かたはらいたきもの」・・・「才ある人の前にて、才なき人の、もの覚え声に、
人の名などいひたる」(学識豊かな人の前で、学識も無い人が知ったかぶりして
書物に出て来る人の名前なんかを言っているのは)→私は自分のことを言われて
いるみたいで、ここを読むと穴があったら入りたい気分になります。

「あさましきもの」・・・「物うちこぼしたる心ち」(何かをひっくり返してしまった時の気持ち)
→後始末などしながらも、自分に腹が立ちますよね。気に入っているお皿まで
割れちゃったりしたらなおさら。

「口惜しきもの」・・・「いとなみ、いつしかと待つ事の、障りあり、俄かにとまりぬる」
(準備万端整えて、早く来ればいいのに、と待っている行事が差支えがあって、
急に中止になってしまった時)→小学校の遠足の日に雨が降ったりしたのを
思い出しませんか。

いかがですか?千年経っても少しも色褪せない日常の中における清少納言の
ふとした感性、思わず拍手したくなってしまいます。


後々の後悔の種となる一夜

2018年5月16日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第201回)

先月200回目の記念ランチをした「湘南台クラス」ですが、今月からは
またその上に回数を重ねながら、ゴールを目指して行くことになります。

第47帖「総角」の3回目。前回読んだ所で、薫は八の宮の一周忌前に
宇治へ行き、遂に大君に迫りましたが、抵抗する喪服姿の大君の
痛々しさと、仏前から漂って来る名香や樒の香りにハッと我に返って、
結局何事も無いまま朝を迎えてしまいました。

やがて八の宮の一周忌も過ぎて、喪も明けました。薫は再度宇治を
訪れますが、この前のことで懲りている大君は当然薫と対面しようとは
しません。

薫の意向を受けた弁が説得しようとしても、大君は頑なに拒み、薫には
中の君と結婚していただこうと決め込んでいるのでした。こうなったら
強行突破しかない、と薫は弁に今夜大君のもとへと導くよう依頼しました。

中の君と一緒に寝ている部屋に薫が忍び込んで来るのをいち早くキャッチ
した大君は、逃げて壁と屏風の間に身を隠します。残されたのは中の君
です。

「空蝉」の巻で、源氏が忍び込んで来るのに気づいた空蝉が、一緒に寝て
いた軒端の荻を残して逃げ出した場面とよく似た状況です。源氏は「癪だけど、
まあ、いっか」で、軒端の荻と契りましたが、薫に「まあ、いっか」はありません
でした。

薫はそれでも大君と結ばれることだけを願って、愛らしい可憐な風情は
姉以上の中の君に心惹かれながらも手出しはせず、優しい態度で中の君に
語りかけながら一夜を明かしました。

なぜ中の君を自分のものにしておかなかったのか、大君だってそれを望んで
いたのに、と、悔やんでも悔やみきれない思いが、後々薫を苦しめることに
なるのですが、ここではまだ、薫自身も読者も、この夜薫が、みすみす中の君
と結ばれるチャンスを逃してしまったことの重大さに気付いてはいないのです。


乳母の決断

2018年5月14日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第26回・№2)

昨日の母の日は、雨模様のひんやりとした一日でしたが、一夜明けると
陽射しは既に夏のもの。また夏日となりました。この5月の気温の乱高下、
いつまで続くのでしょうか。

「紫の会」は、第5帖「若紫」が終わりに近づいて来ました。次回で読了の
予定です。

生後間もなく母君を亡くした若紫を慈しんで育てて下さっていた祖母の
尼君がとうとう亡くなってしまわれました。三十日の忌が明けて、北山から
京に戻った若紫を源氏が訪ね、少納言の乳母と語ります。

若紫の庇護者となってくれる人は、父の兵部卿の宮しかいないのですが、
母君が、宮の北の方の嫌がらせを気に病んで、それがもとで亡くなったことを
思うと、乳母は父宮に若紫をすんなりと任せる気持ちになれません。若紫が
源氏と釣り合いの取れる大人の女性であれば一番理想的だったのですが、
如何せん子供なので、乳母は判断に苦しんでいます。

ちょうど尼君を恋慕って泣き臥していた若紫が、女童から「直衣を来た人が
お出でになっている、父宮がお見えなんでしょう」と聞いて、こちらに出て
来ました。「お父様がいらしてるの?」と言ってしまってから源氏だったことが
分かり、さすがに恥ずかしくて「あっちに行って寝よう、眠いんだから」と、乳母に
せがみます。源氏が「私の膝の上でおやすみなさい、さあ、こっちへ」とおっしゃると、
乳母は若紫を奥に隠そうとはせず、逆に「このように幼くて」と言いながら、若紫を
源氏のほうへ「押し寄せ」申し上げたのでした。この時点で、乳母の心の中では、
若紫を父の兵部卿の宮ではなく、源氏に託そうという気持ちが固まり始めていた
のでしょう。

一夜を過ごして帰ろうとする源氏は、若紫を二条院へお連れしたい、と乳母に
申し出られます。乳母は「父宮も自邸に迎え取ろうとおっしゃっていますが、
尼君の四十九日が終わってから、と思っております」と言います。なのに、
その日いらした兵部卿の宮には、宮が本邸へのお移りをお勧めになっても
「いいえ、たとえ心細くても、こちらでもうすこし物事の道理がお分かりになる迄
お過ごしになるのがよろしいかと存じます」と告げています。このことから察する
に、源氏には四十九日が過ぎれば兵部卿の宮邸に移ってしまいますよ、と、
早目に手を打つことを促し、兵部卿の宮には、当分そちらへは移りません、との
意思表示をしているようです。

これによって、少納言の乳母が、北の方の継子いじめが予想される兵部卿の宮
邸への移転を拒否し、若紫を源氏に託す決断を心密かにしていたと、読者は
知ることが出来るのです。

先に書きました「若紫の全文訳(10)」、とても長いのですが、よろしければご参照
くださいませ。


第五帖「若紫」の全文訳(10)

2018年5月14日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第26回・№1)

今回読みました「若紫」の巻の221頁・2行目~231頁・13行目迄の
前半部分(221頁・2行目~226頁・14行目)の全文訳です。
後半部分は5/24(木)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

十月に朱雀院への行幸がある予定です。舞人などに、高貴な家の子弟たちを
お選びになり、上達部や殿上人たちなども、その方面に優れている人たちは、
皆お選びになったので、親王たちや大臣をはじめとして、皆それぞれの技芸を
練習なさるので、多忙でありました。

北山の尼君にも、長らくお便りをなさっていないのを思い出されて、源氏の君が
わざわざ使者をお遣わしになると、僧都からのお返事だけがありました。それに
「先月の二十日頃に、とうとう命果てるのを見届けまして、人の世の道理では
ございますが、悲しく存じております」などと書いてあるのをご覧になると、
世の中のはかなさもしみじみと感じられて、尼君が気掛かりに思っておられた
あの少女はどうしているだろう、幼い年頃とて恋しがっているのではないか、
ご自身が亡き母・御息所(桐壺の更衣)に先立たれ申したことなど、はっきりと
ではないけれど思い出して、ねんごろにお見舞いを遣わされました。少納言の
乳母が、なかなかしっかりとしたお返事などを差し上げました。

忌の期間などが過ぎて、若紫が京の邸に戻ったとお聞きになったので、しばらく
してから、源氏の君ご自身が、お暇な夜にお出かけになりました。とても気味悪げ
に荒れ果てたところで、人気も少ないので、さぞ幼い人は恐ろしいことだろう、と
思われました。

いつもの所にお通し申し上げて、少納言の乳母が、尼君のご臨終の様子などを、
泣きながらお話し続けますと、源氏の君のお袖もわけもなく涙に濡れるのでした。

少納言の乳母が「兵部卿の宮がご自宅にお引き取りになるおつもりのようですが、
亡き姫君(尼君の娘・若紫の母)が、あちらさまのことを、とても酷く、辛いことと
お思いになっていましたのに、まったく幼いというほどではないお歳でありながら、
まだしっかりと人のご意向を理解することはお出来にならず、中途半端なお年頃で、
大勢いらっしゃるという宮家のお子達の中の、軽くあしらわれるお子としてお暮しに
なるのではなかろうか、などと、亡くなられた尼君も始終ご案じになっておられました。
それも、なるほどと思われることが沢山ございますので、あなた様のこのように
勿体無いかりそめのお言葉は、後々のお気持ちまであれこれと考えもいたしませず、
今となっては、たいそう嬉しく思われるはずの場合ではございますが、姫様が少しも
お似合いのようでもいらっしゃらず、お歳よりも子供っぽくお育ちでいらっしゃいます
ので、ほとほと心を痛めております」と申し上げました。

「どうして、こう繰り返し申し上げている私の気持ちをご遠慮なさるのでしょう。
そのたわいないご様子が、私にはしみじみと愛しく思われますのも、前世からの
宿縁が格別なのだと、我ながら思い知らされました。やはり直接私の気持ちを
お伝えしたい。
  
あしわかの浦にみるめはかたくともこは立ちながらかへる波かは(姫君にお目に
かかるのがたとえ難しくても、どうしてこのまま立ち帰ることができましょうか)

このままでは心外なおもてなしです」と源氏の君がおっしゃるので、「ほんとうに、
恐れ多いことでございます」と言って、
 
「寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる(お出でくださった
あなた様のお気持ちも確かめずに、姫様がなびかれたなら、先々が不安で
頼りないことです)

困ってしまいます」と申し上げる少納言の乳母の様子が物馴れているのに、
少し大目に見る気がなさいました。「なぞ越えざらむ(どうしても逢いたいものだ)」
と、源氏の君が口ずさみなさるのを、ぞくぞくするほどに若い女房たちは感じている
のでした。

若紫は、亡き尼君を恋慕って泣きながら横になっておられたところに、遊び相手の
女童たちが「直衣を着た人がいらしてるわ。父宮がお出でなんでしょう」と申し上げた
ので、起きて出て来られ「少納言よ、直衣を着ている人はどこ?父宮がいらしたの?」
と近づいて来られた御声が、とても可愛らしいのでした。「父宮ではありませんが、
私もまた親しくしていただいてよい者ですよ。こちらへ」と、源氏の君がおっしゃる
ので、あの素晴らしかったお方だと、さすがに幼心にも理解して、拙いことを言って
しまった、と思い、乳母の傍に寄って「さあ、あっちへ行こう、眠たいんだから」と、
おっしゃるので、「今更、どうして逃げ隠れなさるのですか?私の膝の上でおやすみ
下さいな。もう少しこちらへ」と源氏の君がおっしゃると、乳母が「ほらご覧あそばせ。
この通り頑是ないお年頃でいらっしゃいます」と言って、若紫を源氏の君のほうへ
押し出し申し上げたので、無邪気にお座りになったところを、御簾の中に手を差し
入れて探ってご覧になると、柔らかな着馴れたお召し物に、髪がつやつやとこぼれ
かかって、裾がふさふさと手に当たって確かめられる感じは、さぞ見事なお髪なので
あろうと想像されるのでした。

若紫の手をお取りになると、気味の悪いよその人に、このように近づいて来られる
のは恐ろしくて「寝る、って言ってるでしょ」と言って無理に引き下がりなさるのに
くっついて、御簾の中に滑り込まれると、源氏の君は、「私はあなたを可愛がって
あげる人なのです。嫌わないでくださいな」とおっしゃいました。乳母が「まあ、
困りますわ。とんでもないことでございます。いくらお聞かせしたところで、まったく
何の甲斐もございませんでしょうに」と言って辛そうにしているので、源氏の君は、
「いくら何でもこんなお年頃なのを、私がどうするものですか。やはりただ世間に
例のない私の気持ちの深さを見届けて頂きたいのです」とおっしゃいます。

霰が激しく降って、恐ろしい夜の様子です。「どうして、こんなに人少なな状態で、
心細くお暮しなのでしょう」とお泣きになって、とてもこのまま見捨てて帰るに
しのびない有様なので、「御格子を下しなさい。何だか恐ろしいような今夜の
様子だから、私が宿直人としてお勤めいたしましょう。女房たちはみな近くに
控えているがよい」と言って、たいそう馴れ馴れしく御帳台の中にお入りに
なったので、奇妙な思いも寄らないことと、あっけにとられて、誰もがその場に
お控えしているのでした。乳母は、気掛かりな困ったこと、と思いますが、事を
荒立てて騒ぎ申し上げるのも憚られるので、ため息をつきながら座っておりました。

若紫は、たいそう恐ろしくて、どうなることかと怯え震え、とても可愛いお肌にも
鳥肌が立つ思いでいらっしゃるのを、源氏の君はいじらしくお思いになり、単衣
だけで若紫を包み込み、我ながら考えてみれば異様な振舞いだとお思いに
なりますが、優しくお話かけなさって、「さあ、私の邸にいらっしゃいな。おもしろい
絵などが沢山あって、お人形遊びが出来る所に」と、若紫が気に入りそうな話を
なさる源氏の君のご様子が、とても親しみ深く感じられるので、子供心にもさほど
怖さを覚えず、とは言ってもさすがに気味が悪いので、眠ることも出来ずに、
もじもじして横たわっておられるのでした。
 
一晩中風が吹き荒れるので「本当に、こうして源氏の君が来て下さらなかったら、
どんなに心細いことだったでしょう。どうせなら、姫君がお似合いのお年頃で
いらっしゃれば良かったのに」と、女房たちはささやき合っておりました。乳母は
心配で、御帳台のすぐ近くにお控えしていました。風が少し止んだので、まだ
明け方の暗いうちにお帰りになるのも、わけありげなご様子でしたよ。

「とてもしみじみと愛しく拝見するご様子を、これからは尚更片時の間も気掛かり
でたまらないことでしょう。私が朝夕物思いにふけって過ごしている所にお連
れ申し上げましょう。ずっとこんな状態ではどうしてお暮しになれましょう。
今までよく怖がりなさらなかったことだ」と源氏の君がおっしゃると、「父宮さまも
お迎えに来られるご意向のようですが、尼君の四十九日が終わってからでも、
と思っております」と乳母が申し上げるので、「父宮は頼りになるお血筋では
ありますが、ずっと別々に過ごして来られた方には、私と同じように親しみ難く
感じられることでしょう。私は今夜はじめてお目にかかりましたが、あなたを
大切に思う気持ちはきっと父宮以上ですよ」とおっしゃって、源氏の君は
若紫の髪を撫でながら、後ろ髪を引かれる思いでお帰りになりました。


まめ人たちの恋の舞台

2018年5月11日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第119回)

今、(第119回)と書いて、来月は120回目、ということはこのクラスも
10年になるのだ、と気がつきました。本当に「光陰矢の如し」ですね。

前回、意地で入った「夕霧」の巻でしたが、今回より本格的に読み始め
ました。

柏木の死から足掛け三年、夕霧は亡き親友の遺言をずっと誠実に守って、
懇ろに一条の宮を訪問しては、未亡人の落葉の宮とその母・一条の御息所
を慰め続けてきました。その間に落葉の宮に対する思慕の念も高まって、
とてもこのままでは済ませられない思いにまで達しておりました。

そんな折、母・御息所が物の怪にひどく苦しまれるようになり、山籠もりを
している律師の加持祈祷を受けるため、落葉の宮もご一緒に小野の山荘
にお移りになりました。

まめ人(真面目人間)夕霧の恋は「小野」という山里を舞台に展開されます。
小野は、比叡山の麓、今で言うなら「修学院離宮」の辺り一帯を指すと考え
られています。京都市中からはかなり離れた所です。

「伊勢物語」の第83段で、出家した惟喬親王を、馬の頭(業平)が正月に雪を
踏み分けて訪ねて行ったのも「小野」でした。読者の中にも、そうしたもの寂しい
山里のイメージが定着していたことと思われます。

第二世代の夕霧、第三世代の薫、二人は共に「まめ人」です。「源氏物語」では
「まめ人」という用例は15例あり、そのうちの4例が夕霧に、7例が薫に対して
用いられていることを考えますと、この二人が登場人物たちの中でもずば抜けて
「まめ人」だったことがお分かりいただけましょう。

そしてまめ人たちの恋の舞台は華やかな京ではなく、共に侘びしい山里です。
この小野もそうですし、第三部は「宇治」という、もっと都から遠い山里で繰り広げ
られる恋模様を描いています。

しかも、まめ人たちの山里の恋は成就しません。夕霧が落葉の宮と結ばれる
のは、落葉の宮が京の一条の宮に戻ってからですし、薫も宇治では大君とも
中の君とも結ばれるチャンスを逃してしまっています。

小野と宇治は山里だけに霧が立ち込める場面も多く、閉ざされて困惑する
まめ人たちの恋を象徴しているかのようでもあります。


今月の光琳かるた

2018年5月6日(日)

GWも今日で終わり。普段とは違う過ごし方をなさった方も
大勢いらっしゃることでしょう。私は普段と全く変わらない
一週間でした(つまんないですよね)。

5月ですから「光琳かるた」もそれにふさわしいものにしたい、
と思ったのですが、「百人一首」に採られている夏の歌は
もう全てご紹介済み。もともと夏の歌は四首しかないので、
仕方ありません。そこで選んだのがこの歌です。下の孫が
最初に覚えた歌で、かるた取りをすると、この札だけは絶対に
取ろうと必死です。さすがに「これや」まで読めば取りますね。

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関」
                              十番 蝉丸
  DSCF3468.jpg
(これがまあ、行く人も帰って来る人も、知っている人も知らない人も
逢っては別れ、別れては逢う、その名も「逢坂の関」であることよ)

「百人一首」の十首目までは、作者十人中六人が実像のよくわからない
伝説の歌人ですが、蝉丸も、その一人です。

「今昔物語集」では、蝉丸は宇多法皇の皇子である敦実親王の
雑色(ぞうしき/雑用をする下男)であったと書かれていますが、
「平家物語」では醍醐天皇の第四皇子ということになっています。
これを踏襲した形で、謡曲「蝉丸」(世阿弥 作)でも、蝉丸は
醍醐天皇の第四皇子とされておりますが、いずれの場合も、
盲目の卓越した琵琶の名手であったことを伝えています。

「逢坂の関」は、山城国と近江国の国境となっていた関所で、東海道
と東山道(後の中山道)の二本が逢坂関を越えるため、交通の要となる
重要な関でした。実際に関所が置かれていたのは大化2年(646年)から
延暦14年(795年)まででしたが、その後も京の都への往還に利用され、
また「逢」という文字が含まれるため、「逢ふ」を連想させる歌枕として、
長い間歌の中に詠み込まれて来ました。

蝉丸の歌は例外的ですが、殆どは男女の逢瀬を掛けて詠まれて
います。清少納言(62番)の「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ」もそうです(この歌につきましては、2016年
2月10日の記事をご参照ください)。


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