「蜻蛉」の並びの巻「手習」
2019年7月28日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第164回)
心配していた台風6号は、たいしたことなく夜中の内に通り過ぎて、
朝から強い日差しが照りつける真夏日となりました。
今日はまだ、東海までしか梅雨明け宣言は出ませんでしたが、
関東も一両日中かと思われます。去年に比べると一ヶ月遅れの
梅雨明けですね。
淵野辺のクラスは、今回から第53帖「手習」に入りました。この会の
名称にもなっていますが、「源氏物語」は「五十四帖」ですから、
これからは一回毎に、ゴールの近づきを実感しながら読むことに
なりそうです。
第52帖「蜻蛉」は、浮舟が失踪した、薫27歳の晩春から、同じ年の秋、
儚げに飛び交う蜻蛉を見て、八の宮の姫君たち(大君・中の君・浮舟)
とのはかない宿世を、薫が独り思うところ迄で終わっていました。
そして「手習」の巻は、再び「蜻蛉」と同じ浮舟失踪直後に時を戻して、
翌年の晩春までの一年の出来事が、今度は浮舟側から語られること
になります。
このように時間的に同時進行する巻を「並びの巻」と言います。
「源氏物語」には、他にも「並びの巻」となっているところは何ヶ所か
ありますが(例えば、第22帖「玉鬘」は第21帖「少女」の「並びの巻」)、
「手習」の巻ほど「並びの巻」を意識することはありません。
それは、失踪した浮舟は宇治川に身を投げて死んだとされて、薫や
匂宮をはじめ、残された人々の思いが綴られた「蜻蛉」の巻と、いや、
実はその時浮舟は生きていてこうこうだったのですよ、と語られる
「手習」の巻なのですから、この「並びの巻」の持つ意義は、おのずと
お分かりいただけようかと思います。
心配していた台風6号は、たいしたことなく夜中の内に通り過ぎて、
朝から強い日差しが照りつける真夏日となりました。
今日はまだ、東海までしか梅雨明け宣言は出ませんでしたが、
関東も一両日中かと思われます。去年に比べると一ヶ月遅れの
梅雨明けですね。
淵野辺のクラスは、今回から第53帖「手習」に入りました。この会の
名称にもなっていますが、「源氏物語」は「五十四帖」ですから、
これからは一回毎に、ゴールの近づきを実感しながら読むことに
なりそうです。
第52帖「蜻蛉」は、浮舟が失踪した、薫27歳の晩春から、同じ年の秋、
儚げに飛び交う蜻蛉を見て、八の宮の姫君たち(大君・中の君・浮舟)
とのはかない宿世を、薫が独り思うところ迄で終わっていました。
そして「手習」の巻は、再び「蜻蛉」と同じ浮舟失踪直後に時を戻して、
翌年の晩春までの一年の出来事が、今度は浮舟側から語られること
になります。
このように時間的に同時進行する巻を「並びの巻」と言います。
「源氏物語」には、他にも「並びの巻」となっているところは何ヶ所か
ありますが(例えば、第22帖「玉鬘」は第21帖「少女」の「並びの巻」)、
「手習」の巻ほど「並びの巻」を意識することはありません。
それは、失踪した浮舟は宇治川に身を投げて死んだとされて、薫や
匂宮をはじめ、残された人々の思いが綴られた「蜻蛉」の巻と、いや、
実はその時浮舟は生きていてこうこうだったのですよ、と語られる
「手習」の巻なのですから、この「並びの巻」の持つ意義は、おのずと
お分かりいただけようかと思います。
朧月夜との再会
2019年7月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第40回・№2)
このまま梅雨明けになってもおかしくないお天気の一日でしたが、週末
にかけて、熱帯低気圧が台風に変わり、関東に接近するとの予報が
出ているので、どうやら梅雨明けは来週に持ち越されそうです。半月程
前に暑中見舞用の「かもめーる」を買って来て、梅雨が明けたら、と待って
いるのですが、うかうかしてるとすぐに残暑見舞になってしまいそうです。
今月で溝の口「紫の会」の2クラスは、第8帖「花宴」を読了。源氏の青春
時代に別れを告げることになりました。
右大臣家の藤の花の宴に招かれた源氏は、おめかしをして、右大臣を
散々待たせたところでお出掛けになりました。その美しさたるや、「花の
にほひもけおされて、なかなかことざましになむ」(花の美しさも源氏の姿
に気圧されて、却って興ざめに感じられました)というほどでした。
夜が少し更けて行く頃、源氏は悪酔いしたふりをして、寝殿の戸口に行き、
花見のために格子も上げたままになっているのをいいことに、御簾を引き
被って、催馬楽の一節の「帯」の部分を先日取り交わした「扇」に替えて、
「扇を取られてからきめ(辛い目)をみる」と口ずさみ、反応を窺います。
「妙な替え歌だこと」などと言っているのは、何もわかってない証拠です。
答えは無くて、ただ溜息だけをつく気配が感じられるほうに寄って、几帳
越しに手を取り、「あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげや
見ゆると(月が入るいるさの山のほとりでうろうろしていることですよ。
いつぞやほのかに見た月の影がまた見えるかと思いまして)と、当て推量
で詠み掛けると、「心いるかたならませばゆみはりの月なき空にまよはまし
やは(お心が強く惹かれるお方の所なら、たとえ月が出ていない闇夜でも
お迷いになったりはなさらないでしょう)と、返歌がありました。
「ただそれなり。いとうれしきものから。」(まさにその人でした。とても嬉しい
のですけれども・・・。)と、逆接の余韻に満ちた終わり方をしています。
ようやく再会を果たした源氏と朧月夜。読者もどこか胸騒ぎを覚えるような
幕切れですね。さて、二人の恋の前途に待ち受けているものは?
この記事の詳しい内容は、先に書きました「花宴の全文訳(5)」をご参照
頂ければ、と存じます。
次回より第9帖「葵」に入ります。
このまま梅雨明けになってもおかしくないお天気の一日でしたが、週末
にかけて、熱帯低気圧が台風に変わり、関東に接近するとの予報が
出ているので、どうやら梅雨明けは来週に持ち越されそうです。半月程
前に暑中見舞用の「かもめーる」を買って来て、梅雨が明けたら、と待って
いるのですが、うかうかしてるとすぐに残暑見舞になってしまいそうです。
今月で溝の口「紫の会」の2クラスは、第8帖「花宴」を読了。源氏の青春
時代に別れを告げることになりました。
右大臣家の藤の花の宴に招かれた源氏は、おめかしをして、右大臣を
散々待たせたところでお出掛けになりました。その美しさたるや、「花の
にほひもけおされて、なかなかことざましになむ」(花の美しさも源氏の姿
に気圧されて、却って興ざめに感じられました)というほどでした。
夜が少し更けて行く頃、源氏は悪酔いしたふりをして、寝殿の戸口に行き、
花見のために格子も上げたままになっているのをいいことに、御簾を引き
被って、催馬楽の一節の「帯」の部分を先日取り交わした「扇」に替えて、
「扇を取られてからきめ(辛い目)をみる」と口ずさみ、反応を窺います。
「妙な替え歌だこと」などと言っているのは、何もわかってない証拠です。
答えは無くて、ただ溜息だけをつく気配が感じられるほうに寄って、几帳
越しに手を取り、「あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげや
見ゆると(月が入るいるさの山のほとりでうろうろしていることですよ。
いつぞやほのかに見た月の影がまた見えるかと思いまして)と、当て推量
で詠み掛けると、「心いるかたならませばゆみはりの月なき空にまよはまし
やは(お心が強く惹かれるお方の所なら、たとえ月が出ていない闇夜でも
お迷いになったりはなさらないでしょう)と、返歌がありました。
「ただそれなり。いとうれしきものから。」(まさにその人でした。とても嬉しい
のですけれども・・・。)と、逆接の余韻に満ちた終わり方をしています。
ようやく再会を果たした源氏と朧月夜。読者もどこか胸騒ぎを覚えるような
幕切れですね。さて、二人の恋の前途に待ち受けているものは?
この記事の詳しい内容は、先に書きました「花宴の全文訳(5)」をご参照
頂ければ、と存じます。
次回より第9帖「葵」に入ります。
第8帖「花宴」の全文訳(5)
2019年7月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第40回・№1)
第2月曜日のクラス同様、こちらも今日で第8帖「花宴」を読み終えました。
本日読んだ「花宴」(57頁・9行目~62頁・4行目)のうちの前半部分は、
7月8日の➞「花宴」の全文訳(4)をご覧ください。こちらは後半部分
(60頁・2行目~62頁・4行目)の全部訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
桜襲の唐の綺の直衣で、葡萄染の下襲の裾をたいそう長く引いて、
他の人は皆袍をお召しなのに、源氏の君は洒落た皇子らしいお姿で、
かしづかれてお入りになるご様子は、なるほどたいそう際立って
おられました。藤の花の美しさもこの源氏の君のお姿に気圧されて、
却って興ざめに感じられました。
管弦の遊びなどをまことに面白くなさって、夜が少し更けて行く頃、
源氏の君はひどく悪酔いしたように見せかけなさって、それとなく
席をお立ちになりました。寝殿に弘徽殿の女御腹の女一宮と
女三宮がいらっしゃいます。源氏の君は東南の隅の妻戸口に
いらして、長押に寄りかかってお座りになっていました。藤の花は
寝殿の東南の角にあるので、格子なども皆上げてあり、御簾際に
女房たちが出ていました。袖口などを、踏歌の時のような感じで、
わざとらしく押し出しているのも、不似合いだと、先ず藤壺辺りの
奥ゆかしさが思い出されます。
源氏の君が「気分が悪いところにひどくお酒を無理強いされて、
困っております。恐縮ですが、こちら様なら、私を物陰にでも隠して
下さるでしょう」と言って、妻戸口の御簾を引き被り、上半身をお入れ
になります。「あら、困りますわ。身分の低い者なら、高貴なご親戚を、
何かと口実を設けて頼って来ると申しますが」と言う女房の様子を
ご覧になると、重々しくはないけれど、平凡な若女房たちではなく、
上品で風情ある様子がはっきりと見て取れます。空薫物がたいそう
煙たくて、衣擦れの音も、殊更派手な感じに振舞って、奥ゆかしく
深みのある雰囲気は欠けていますが、当世風なことを好まれるお邸で、
尊い内親王方もご見物なさるというので、この戸口に座を設けて
おられるのでありましょう。
そのような振舞いはあってはならないことですが、源氏の君はさすがに
興味深く思われて、先夜の姫君はどの方であろう、と胸がときめいて、
「扇を取られて、からきめ(辛い目)を見る」と、わざとおっとりとした声で
言って、長押に寄りかかっていらっしゃいます。「妙に趣向を変えた高麗人
ですこと」と答えるのは、事情を知らない人でありましょう。
答えはせずに、ただ時々、ため息をつく気配のほうに寄って行って、
几帳越しに手を捉えて、
「あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげや見ゆると(月が
入るいるさの山のほとりでうろうろしていることですよ。いつぞやほのかに
見た月の影がまた見えるかと思いまして)なぜでしょうか」
と、あて推量でおっしゃると、こらえ切れないのでありましょう、
「心いるかたならませばゆみはりの月なき空にまよはましやは(お心が
強く惹かれるお方の所なら、たとえ月が出ていない闇夜でもお迷いに
なったりするでしょうか)」
と言う声は、まさにその人でした。たいそう嬉しいのですけれども・・・。
第八帖「花宴」 了
第2月曜日のクラス同様、こちらも今日で第8帖「花宴」を読み終えました。
本日読んだ「花宴」(57頁・9行目~62頁・4行目)のうちの前半部分は、
7月8日の➞「花宴」の全文訳(4)をご覧ください。こちらは後半部分
(60頁・2行目~62頁・4行目)の全部訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
桜襲の唐の綺の直衣で、葡萄染の下襲の裾をたいそう長く引いて、
他の人は皆袍をお召しなのに、源氏の君は洒落た皇子らしいお姿で、
かしづかれてお入りになるご様子は、なるほどたいそう際立って
おられました。藤の花の美しさもこの源氏の君のお姿に気圧されて、
却って興ざめに感じられました。
管弦の遊びなどをまことに面白くなさって、夜が少し更けて行く頃、
源氏の君はひどく悪酔いしたように見せかけなさって、それとなく
席をお立ちになりました。寝殿に弘徽殿の女御腹の女一宮と
女三宮がいらっしゃいます。源氏の君は東南の隅の妻戸口に
いらして、長押に寄りかかってお座りになっていました。藤の花は
寝殿の東南の角にあるので、格子なども皆上げてあり、御簾際に
女房たちが出ていました。袖口などを、踏歌の時のような感じで、
わざとらしく押し出しているのも、不似合いだと、先ず藤壺辺りの
奥ゆかしさが思い出されます。
源氏の君が「気分が悪いところにひどくお酒を無理強いされて、
困っております。恐縮ですが、こちら様なら、私を物陰にでも隠して
下さるでしょう」と言って、妻戸口の御簾を引き被り、上半身をお入れ
になります。「あら、困りますわ。身分の低い者なら、高貴なご親戚を、
何かと口実を設けて頼って来ると申しますが」と言う女房の様子を
ご覧になると、重々しくはないけれど、平凡な若女房たちではなく、
上品で風情ある様子がはっきりと見て取れます。空薫物がたいそう
煙たくて、衣擦れの音も、殊更派手な感じに振舞って、奥ゆかしく
深みのある雰囲気は欠けていますが、当世風なことを好まれるお邸で、
尊い内親王方もご見物なさるというので、この戸口に座を設けて
おられるのでありましょう。
そのような振舞いはあってはならないことですが、源氏の君はさすがに
興味深く思われて、先夜の姫君はどの方であろう、と胸がときめいて、
「扇を取られて、からきめ(辛い目)を見る」と、わざとおっとりとした声で
言って、長押に寄りかかっていらっしゃいます。「妙に趣向を変えた高麗人
ですこと」と答えるのは、事情を知らない人でありましょう。
答えはせずに、ただ時々、ため息をつく気配のほうに寄って行って、
几帳越しに手を捉えて、
「あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげや見ゆると(月が
入るいるさの山のほとりでうろうろしていることですよ。いつぞやほのかに
見た月の影がまた見えるかと思いまして)なぜでしょうか」
と、あて推量でおっしゃると、こらえ切れないのでありましょう、
「心いるかたならませばゆみはりの月なき空にまよはましやは(お心が
強く惹かれるお方の所なら、たとえ月が出ていない闇夜でもお迷いに
なったりするでしょうか)」
と言う声は、まさにその人でした。たいそう嬉しいのですけれども・・・。
第八帖「花宴」 了
「竹河」の巻の喪失感
2019年7月22日(月) 溝の口「湖月会」(第133回)
第2金曜日のクラスと足並みを揃えていますので、このクラスも今回で
「匂宮三帖」を読み終えました。「匂兵部卿」・「紅梅」・「竹河」と続いた
三帖ですが、中でも最もボリュームがありながら、異質性が散在して
いて、作者別人説の筆頭に挙げられているのが「竹河」の巻です。
これまでとは違う、故髭黒家に仕えた古女房たちの問わず語り、という
設定がされている巻ですが、大黒柱であった当主髭黒の急死によって、
残された玉鬘が、二人の娘の行く末を案じ、特に大君の結婚に関して
心を砕くところから物語が始まります。
結局玉鬘は大君を冷泉院に院参させました。嘗て自分が望まれながら
叶えて差し上げられなかった院の思いに応えるような選択でした。
でもそれは誤算としか言いようのない結果へと繋がって行きます。
大君がなまじ冷泉院の寵愛を受け、女宮に次いで男御子まで産むに
至って、弘徽殿の女御ら古くから院に仕えている勢力から疎外され、
里がちになってしまいます。髭黒との約束を反故にされた帝もご機嫌
を損ねられ、誰よりも熱心に求婚していた蔵人少将(夕霧と雲居雁の
息子)を袖にしたことで、夕霧家との間にも気まずさが残りました。
それだけではなく、息子たちの昇進もままなりません。上手くすれば、
官僚としての出世にも希望の持てる帝への入内を勧めていたにも拘らず、
母親(玉鬘)が大君を院参させてしまったので、案の定、二人の息子は
参議にもなれずにいます。あの頼りないお坊ちゃまの蔵人少将でさえ、
宰相中将(宰相は参議と同義)になっているというのに。
末っ子の侍従も、頭中将という年相応の役職には就いていますが、
同時期に侍従であった薫が、既に中納言であることを思うと、その差は
歴然です。強力な後ろ盾を持たない髭黒家の息子たちの悲哀が語られた
ところで、「竹河」の巻は幕を閉じています。
次回からはいよいよ「宇治十帖」に入ります。ここで一旦澱んでしまった
感もある「源氏物語」が、また一気に精彩を取り戻してきますので、
その心理小説的な世界観を存分に味わっていただきたいと思います。
第2金曜日のクラスと足並みを揃えていますので、このクラスも今回で
「匂宮三帖」を読み終えました。「匂兵部卿」・「紅梅」・「竹河」と続いた
三帖ですが、中でも最もボリュームがありながら、異質性が散在して
いて、作者別人説の筆頭に挙げられているのが「竹河」の巻です。
これまでとは違う、故髭黒家に仕えた古女房たちの問わず語り、という
設定がされている巻ですが、大黒柱であった当主髭黒の急死によって、
残された玉鬘が、二人の娘の行く末を案じ、特に大君の結婚に関して
心を砕くところから物語が始まります。
結局玉鬘は大君を冷泉院に院参させました。嘗て自分が望まれながら
叶えて差し上げられなかった院の思いに応えるような選択でした。
でもそれは誤算としか言いようのない結果へと繋がって行きます。
大君がなまじ冷泉院の寵愛を受け、女宮に次いで男御子まで産むに
至って、弘徽殿の女御ら古くから院に仕えている勢力から疎外され、
里がちになってしまいます。髭黒との約束を反故にされた帝もご機嫌
を損ねられ、誰よりも熱心に求婚していた蔵人少将(夕霧と雲居雁の
息子)を袖にしたことで、夕霧家との間にも気まずさが残りました。
それだけではなく、息子たちの昇進もままなりません。上手くすれば、
官僚としての出世にも希望の持てる帝への入内を勧めていたにも拘らず、
母親(玉鬘)が大君を院参させてしまったので、案の定、二人の息子は
参議にもなれずにいます。あの頼りないお坊ちゃまの蔵人少将でさえ、
宰相中将(宰相は参議と同義)になっているというのに。
末っ子の侍従も、頭中将という年相応の役職には就いていますが、
同時期に侍従であった薫が、既に中納言であることを思うと、その差は
歴然です。強力な後ろ盾を持たない髭黒家の息子たちの悲哀が語られた
ところで、「竹河」の巻は幕を閉じています。
次回からはいよいよ「宇治十帖」に入ります。ここで一旦澱んでしまった
感もある「源氏物語」が、また一気に精彩を取り戻してきますので、
その心理小説的な世界観を存分に味わっていただきたいと思います。
見え透いた謙遜
2019年7月19日(金) 溝の口「枕草子」(第34回)
夕方にがついていたので、洗濯物を外に干さずに出掛けましたが、
お天気は良くなる一方で、気温も上昇。暑い日差しの中を歩きながら、
「今日なら洗濯物もすっきりと乾いたのに」と、後悔していました。
今回の「枕草子」は、第176段の途中から第180段までを読みました。
いつもながら、千年前も今も変わらない「そうそう、あるある」という、
清少納言ならではの書きぶりが随所に散りばめられていましたが、
中でも、これには「だよねー」と、皆さまも納得なさったご様子でした。
第177段の「したり顔なるもの」(得意顔なもの)に挙げられている一例
ですが、その年の除目で一番いい国の国司に任命された人が、「最高
のポストに就かれましたね」などと、人から挨拶されると、「いやぁ、酷い
国で、もう滅びそうだってことですから」と、嬉しさを押し隠して応じます。
その顔が、そう「いとしたり顔」(とても得意そうな顔)なのです。
今でも、こうした「見え透いた謙遜」ありますよね。例えば、その支社長
に抜擢された人は、本社に戻って出世するエリートコース、と知られて
いるような時、「ご栄転、おめでとうございます」なんて言われると、
「とんでもない、都落ちですから」と、返事をしたりするケース。やっぱり
「したり顔」(今はどや顔って言うのかな?)になっているのも、きっと同じ
でしょう。
夕方にがついていたので、洗濯物を外に干さずに出掛けましたが、
お天気は良くなる一方で、気温も上昇。暑い日差しの中を歩きながら、
「今日なら洗濯物もすっきりと乾いたのに」と、後悔していました。
今回の「枕草子」は、第176段の途中から第180段までを読みました。
いつもながら、千年前も今も変わらない「そうそう、あるある」という、
清少納言ならではの書きぶりが随所に散りばめられていましたが、
中でも、これには「だよねー」と、皆さまも納得なさったご様子でした。
第177段の「したり顔なるもの」(得意顔なもの)に挙げられている一例
ですが、その年の除目で一番いい国の国司に任命された人が、「最高
のポストに就かれましたね」などと、人から挨拶されると、「いやぁ、酷い
国で、もう滅びそうだってことですから」と、嬉しさを押し隠して応じます。
その顔が、そう「いとしたり顔」(とても得意そうな顔)なのです。
今でも、こうした「見え透いた謙遜」ありますよね。例えば、その支社長
に抜擢された人は、本社に戻って出世するエリートコース、と知られて
いるような時、「ご栄転、おめでとうございます」なんて言われると、
「とんでもない、都落ちですから」と、返事をしたりするケース。やっぱり
「したり顔」(今はどや顔って言うのかな?)になっているのも、きっと同じ
でしょう。
「御簾の内に」が持つ意味
2019年7月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第215回)
6月の下旬から極端に日照時間の少ない日が続いているとのこと。
農作物への影響も取り沙汰され始めました。実際、きゅうりが安い時の
倍以上の値段になっています。
このクラスは第49帖「宿木」の中盤を講読中です。
匂宮が夕霧の六の君と結婚して、中の君の許へお出でになるのも間遠に
なってしまいました。匂宮の御子を宿しながらも、中の君は自分の立場の
危うさに、気持ちも揺らぎがちです。今更ながら、軽率に宇治を捨てて京
へ出て来てしまった自分が悔やまれ、とにかく一時でもいいから宇治に
戻って心を休めたい、と思いますが、一人では決断しかねて、薫に手紙を
書きます。
手紙には、薫に執り行って貰った父・八の宮の法要のお礼を「みづから」
(直接言いたい)とありました。いつもは差し上げたお便りにも、はかばかしい
お返事も下さらないのに、中の君のほうから、それも「みづから」と書かれて
いては、薫の胸がときめかないわけがありません。
これまでは御簾の外(簀子)に通されていたのに、今日は御簾の内(廂の間)
に招じ入れられます。普通、男性客は、夫や恋人でない限り、女性を訪問して
通されるのは簀子です。話は女房が取り次いで、直接会話をすることはあり
ません。
今の中の君は、とても不安定な心理状態になっているので、自分を顧みて
くれない匂宮(決してそうではないのですが、中の君からすれば冷たい、と
感じられる)に比べ、薫の誠意が一段と有難く思えるのです。そこで中の君
の心の隔てを一つ取り除いた行為が、薫を「御簾の内に」ということだった
のです。これによって薫の中の君に対する恋慕、即ち「宇治十帖第二の恋」
が一気に加速します。
結局、このあと薫は中の君に迫りながら、懐妊の印の腹帯に気付き、それが
ブレーキとなって、何事も起こらないまま、辞去します。
その間の、薫と中の君の男女としての攻防が面白いのですが、それを書いて
いると長くなり過ぎてしまうので、別の機会に譲ることにいたしましょう。
6月の下旬から極端に日照時間の少ない日が続いているとのこと。
農作物への影響も取り沙汰され始めました。実際、きゅうりが安い時の
倍以上の値段になっています。
このクラスは第49帖「宿木」の中盤を講読中です。
匂宮が夕霧の六の君と結婚して、中の君の許へお出でになるのも間遠に
なってしまいました。匂宮の御子を宿しながらも、中の君は自分の立場の
危うさに、気持ちも揺らぎがちです。今更ながら、軽率に宇治を捨てて京
へ出て来てしまった自分が悔やまれ、とにかく一時でもいいから宇治に
戻って心を休めたい、と思いますが、一人では決断しかねて、薫に手紙を
書きます。
手紙には、薫に執り行って貰った父・八の宮の法要のお礼を「みづから」
(直接言いたい)とありました。いつもは差し上げたお便りにも、はかばかしい
お返事も下さらないのに、中の君のほうから、それも「みづから」と書かれて
いては、薫の胸がときめかないわけがありません。
これまでは御簾の外(簀子)に通されていたのに、今日は御簾の内(廂の間)
に招じ入れられます。普通、男性客は、夫や恋人でない限り、女性を訪問して
通されるのは簀子です。話は女房が取り次いで、直接会話をすることはあり
ません。
今の中の君は、とても不安定な心理状態になっているので、自分を顧みて
くれない匂宮(決してそうではないのですが、中の君からすれば冷たい、と
感じられる)に比べ、薫の誠意が一段と有難く思えるのです。そこで中の君
の心の隔てを一つ取り除いた行為が、薫を「御簾の内に」ということだった
のです。これによって薫の中の君に対する恋慕、即ち「宇治十帖第二の恋」
が一気に加速します。
結局、このあと薫は中の君に迫りながら、懐妊の印の腹帯に気付き、それが
ブレーキとなって、何事も起こらないまま、辞去します。
その間の、薫と中の君の男女としての攻防が面白いのですが、それを書いて
いると長くなり過ぎてしまうので、別の機会に譲ることにいたしましょう。
今月の光琳かるた
2019年7月15日(月)
もう7月も半ばとなりましたが、まだ梅雨寒が続いているので、
何かそういうのに関連した歌があればいいのに、と思いながら
探してみても、「百人一首」には「五月雨」(今の梅雨)を詠んだ
歌もないし、仕方なく、水に濡れているものならそれらしい感じ
がするかな、と、選んだのがこの歌です。
「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」
九十二番・二条院讃岐
(私の袖は引き潮になっても見えない沖の石のようなもので、
あの人は知らないけれど、涙に濡れて乾く間もありません)
作者の二条院讃岐は、二条天皇に仕えた宮廷女房で、父は武将と
しても歌人としても有名な源頼政です。頼政は、保元の乱、平治の乱
では勝者の側に属し、平清盛から信頼され、晩年には武士としては
破格の従三位に昇り、公卿に列した人です。しかし、平氏の専横に
不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで平氏
打倒の挙兵を計画して失敗、息子・仲綱(讃岐の同母兄)と共に、
敗死しました。讃岐はそうした身内の不幸も、平家の栄華と滅亡も、
つぶさに見聞しつつ、この激動の時代を歌人として生き抜きました。
この歌は、詠まれた当初より、歌の巧みさと着想の斬新さが評判を
取り、彼女は「沖の石の讃岐」と呼ばれていた、と言われています。
「石に寄する恋といへる心をよめる」と詞書にありますが、「寄石恋」
とは風変わりな歌題です。「石」と「恋」をどのように結びつけるのか、
凡人にはなかなか難しいことで、「あなたを思う気持ちは石のように
固く変わらない」とか、「石が苔むすまであなたと共に生きたい」とか、
ありきたりな発想になりがちなところに、「沖の石」を持って来たのは
さすが、と言うしかありません。
ただし、これが二条院讃岐のオリジナルとかいうと、さにあらず、で、
実は「我が袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし」(私
の袖は水の下にある石なのであろうか。あの人は知らないけれど、
涙で乾く間もありません)という和泉式部の歌を本歌取りしているの
です。
初句と五句が一致するのみならず、全体的に「盗作」に近い本歌取り
の匂いもしますが、和泉式部の歌が、潮の満ち干には無縁の「水の下
にある石」なのに対し、讃岐は海中深くに石を沈めて決して見えない物、
とすることで、秘めた恋のイメージが深化し、一首としても鮮烈な印象を
与えることに成功したと考えられます。
もう7月も半ばとなりましたが、まだ梅雨寒が続いているので、
何かそういうのに関連した歌があればいいのに、と思いながら
探してみても、「百人一首」には「五月雨」(今の梅雨)を詠んだ
歌もないし、仕方なく、水に濡れているものならそれらしい感じ
がするかな、と、選んだのがこの歌です。
「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」
九十二番・二条院讃岐
(私の袖は引き潮になっても見えない沖の石のようなもので、
あの人は知らないけれど、涙に濡れて乾く間もありません)
作者の二条院讃岐は、二条天皇に仕えた宮廷女房で、父は武将と
しても歌人としても有名な源頼政です。頼政は、保元の乱、平治の乱
では勝者の側に属し、平清盛から信頼され、晩年には武士としては
破格の従三位に昇り、公卿に列した人です。しかし、平氏の専横に
不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで平氏
打倒の挙兵を計画して失敗、息子・仲綱(讃岐の同母兄)と共に、
敗死しました。讃岐はそうした身内の不幸も、平家の栄華と滅亡も、
つぶさに見聞しつつ、この激動の時代を歌人として生き抜きました。
この歌は、詠まれた当初より、歌の巧みさと着想の斬新さが評判を
取り、彼女は「沖の石の讃岐」と呼ばれていた、と言われています。
「石に寄する恋といへる心をよめる」と詞書にありますが、「寄石恋」
とは風変わりな歌題です。「石」と「恋」をどのように結びつけるのか、
凡人にはなかなか難しいことで、「あなたを思う気持ちは石のように
固く変わらない」とか、「石が苔むすまであなたと共に生きたい」とか、
ありきたりな発想になりがちなところに、「沖の石」を持って来たのは
さすが、と言うしかありません。
ただし、これが二条院讃岐のオリジナルとかいうと、さにあらず、で、
実は「我が袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし」(私
の袖は水の下にある石なのであろうか。あの人は知らないけれど、
涙で乾く間もありません)という和泉式部の歌を本歌取りしているの
です。
初句と五句が一致するのみならず、全体的に「盗作」に近い本歌取り
の匂いもしますが、和泉式部の歌が、潮の満ち干には無縁の「水の下
にある石」なのに対し、讃岐は海中深くに石を沈めて決して見えない物、
とすることで、秘めた恋のイメージが深化し、一首としても鮮烈な印象を
与えることに成功したと考えられます。
作者別人説に一票を投じたくなる時
2019年7月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第133回)
天気予報によると、梅雨明けまでにはまだ十日ほどかかりそうです。
今日も、雨が降ったり止んだりのどんよりとした一日でしたが、気温が
この時期としては低いので(夏日にも達していません)、楽です。
このクラスは、今回で「匂宮三帖」の最後の巻、第44帖「竹河」を読み
終えました。
「匂宮三帖」について根強い「作者別人説」が存在することは、以前より
お伝えしてまいりましたが、その中でも今日読んだ、夕霧と紅梅大納言
の昇進に関する記述には、作者別人説を肯定したくなる要素が大です。
「竹河」の巻も終わりに近い、薫23歳の秋、薫は中納言に昇進します。
この薫の昇進と同じ時に、夕霧が右大臣から左大臣に、紅梅大納言が
大納言から右大臣に昇進した、とあります。
第43帖「紅梅」とは年立が逆転しており、「竹河」は薫14歳~23歳まで
のことが書かれ、「紅梅」は薫24歳の春のことが書かれていますが、
「紅梅」でも薫は「源中納言」と呼ばれていますので、薫の昇進に関して
は、何の矛盾もありません。
ところが、同じ「紅梅」の巻で、大納言は大納言のまま、夕霧も、右大臣
と記されています。そればかりではありません。「宇治十帖」に入って、
薫24歳以降の話となる第47帖「総角」より先の巻でも、紅梅大納言は
大納言、夕霧は右大臣のままなのです。
単なる年齢の食い違い程度なら、正編においても所々で見られますし、
問題視することもなかろう、と思うのですが、大納言の、右大臣の大饗
(大臣就任パーティ)のことまで取り上げておきながら、その後官位が
元に戻ってしまい、そのまま話が進行して行くのは、不自然と言わざる
を得ません。
年立の違和感と並んで、この二人の昇進の記述が、私の中では、特に
「竹河」の巻の「作者別人説」に一票を投じたくなる要因となっています。
天気予報によると、梅雨明けまでにはまだ十日ほどかかりそうです。
今日も、雨が降ったり止んだりのどんよりとした一日でしたが、気温が
この時期としては低いので(夏日にも達していません)、楽です。
このクラスは、今回で「匂宮三帖」の最後の巻、第44帖「竹河」を読み
終えました。
「匂宮三帖」について根強い「作者別人説」が存在することは、以前より
お伝えしてまいりましたが、その中でも今日読んだ、夕霧と紅梅大納言
の昇進に関する記述には、作者別人説を肯定したくなる要素が大です。
「竹河」の巻も終わりに近い、薫23歳の秋、薫は中納言に昇進します。
この薫の昇進と同じ時に、夕霧が右大臣から左大臣に、紅梅大納言が
大納言から右大臣に昇進した、とあります。
第43帖「紅梅」とは年立が逆転しており、「竹河」は薫14歳~23歳まで
のことが書かれ、「紅梅」は薫24歳の春のことが書かれていますが、
「紅梅」でも薫は「源中納言」と呼ばれていますので、薫の昇進に関して
は、何の矛盾もありません。
ところが、同じ「紅梅」の巻で、大納言は大納言のまま、夕霧も、右大臣
と記されています。そればかりではありません。「宇治十帖」に入って、
薫24歳以降の話となる第47帖「総角」より先の巻でも、紅梅大納言は
大納言、夕霧は右大臣のままなのです。
単なる年齢の食い違い程度なら、正編においても所々で見られますし、
問題視することもなかろう、と思うのですが、大納言の、右大臣の大饗
(大臣就任パーティ)のことまで取り上げておきながら、その後官位が
元に戻ってしまい、そのまま話が進行して行くのは、不自然と言わざる
を得ません。
年立の違和感と並んで、この二人の昇進の記述が、私の中では、特に
「竹河」の巻の「作者別人説」に一票を投じたくなる要因となっています。
両大臣も物ともせず
2019年7月8日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第40回・№2)
久しぶりに青空が顔を覗かせましたが、それも一日中続く訳ではなく、
夕方にはまたどんよりとした雲が広がっていました。まだ梅雨明けは
先のようです。
今月で溝の口の「紫の会」は第8帖「花宴」が終わり、ここで一つの
時代の区切りとなります。「花宴」までは父が帝位にあり、源氏は
その父・桐壺帝の絶大な庇護のもと、時代の寵児としての晴れ姿が
描き続けられてきました。今回の講読箇所でも、源氏は年配者である
左大臣、右大臣に、少しも臆することなく振舞っています。
左大臣邸を訪れても、妻の葵の上はすぐに対面しようともしません。
そんな娘に代わり、いつも最大の気遣いをして源氏のご機嫌を取る
のは左大臣です。この時も、花の宴での源氏の配慮を褒めちぎります。
左大臣とは婿・舅の間柄ですから、これもありかな、と思えるのですが、
右大臣は、源氏を敵対視している弘徽殿の女御の父親です。しかし、
あの朧月夜との出会いから一ヶ月後、右大臣家での藤の花の宴には、
源氏も招待されます。すでに宮中で顔を合わせた時に、右大臣からは
お誘いの声が掛かっているのに、源氏はそれだけでは、足を運ぼうと
しません。源氏に頭を下げてお願いするのは、右大臣としても不本意な
ことでありましょうが、やはりこうした場に源氏不在では「ものの栄なし」
(催し栄えもしない)とお思いになって、ご子息を使者に差し向けられ
ました。
それでもすぐにお出でになるわけではありません。念入りにおしゃれを
して、「いたう暮るるほどに」(すっかり日が暮れる頃に)、散々右大臣を
焦らしてから、お出掛けになったのでした。
これが翳りの差し始める前の、驕り高ぶった青年期源氏の最後の姿
でした。次の「葵」の巻との間には、二年の空白があり、こうした若さに
任せた気儘な源氏を、もう見ることは出来ません。
この辺りの詳しい内容は、先に書きました「花の宴の全文訳(4)」で、
ご確認いただければ、と存じます。
久しぶりに青空が顔を覗かせましたが、それも一日中続く訳ではなく、
夕方にはまたどんよりとした雲が広がっていました。まだ梅雨明けは
先のようです。
今月で溝の口の「紫の会」は第8帖「花宴」が終わり、ここで一つの
時代の区切りとなります。「花宴」までは父が帝位にあり、源氏は
その父・桐壺帝の絶大な庇護のもと、時代の寵児としての晴れ姿が
描き続けられてきました。今回の講読箇所でも、源氏は年配者である
左大臣、右大臣に、少しも臆することなく振舞っています。
左大臣邸を訪れても、妻の葵の上はすぐに対面しようともしません。
そんな娘に代わり、いつも最大の気遣いをして源氏のご機嫌を取る
のは左大臣です。この時も、花の宴での源氏の配慮を褒めちぎります。
左大臣とは婿・舅の間柄ですから、これもありかな、と思えるのですが、
右大臣は、源氏を敵対視している弘徽殿の女御の父親です。しかし、
あの朧月夜との出会いから一ヶ月後、右大臣家での藤の花の宴には、
源氏も招待されます。すでに宮中で顔を合わせた時に、右大臣からは
お誘いの声が掛かっているのに、源氏はそれだけでは、足を運ぼうと
しません。源氏に頭を下げてお願いするのは、右大臣としても不本意な
ことでありましょうが、やはりこうした場に源氏不在では「ものの栄なし」
(催し栄えもしない)とお思いになって、ご子息を使者に差し向けられ
ました。
それでもすぐにお出でになるわけではありません。念入りにおしゃれを
して、「いたう暮るるほどに」(すっかり日が暮れる頃に)、散々右大臣を
焦らしてから、お出掛けになったのでした。
これが翳りの差し始める前の、驕り高ぶった青年期源氏の最後の姿
でした。次の「葵」の巻との間には、二年の空白があり、こうした若さに
任せた気儘な源氏を、もう見ることは出来ません。
この辺りの詳しい内容は、先に書きました「花の宴の全文訳(4)」で、
ご確認いただければ、と存じます。
第8帖「花宴」の全文訳(4)
2019年7月8日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第40回・№1)
先月少し残ってしまった第7帖「花宴」、本日前半で読み終えて、
後半は次の「葵」に入るつもりだったのですが、「花宴」の最後で
「大澤本」のことなどに触れていたため、「葵」は本文講読に入れ
ないまま、アウトラインの説明をしただけで、終了時間となりました。
よって、今回の全文訳は、本日読んだ「花宴」(57頁・9行目~62頁
・4行目)のうち、前半分の57頁・9行目~60頁・1行目となります。
いつもよりかなり短目です。残りは7/25(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
左大臣邸では、葵の上はいつものように、すぐにはご対面になりません。
源氏の君は所在なくあれこれと思い巡らされて、筝の琴を手すさびに
弾きながら、「やはらかに寝る夜はなくて(うちとけて寝る夜もなくて)」と、
お歌いになります。
左大臣がこちらにお出でになって、先日の花の宴の趣深かったことを
申し上げなさいます。「この歳になって、これまで聖天子の御代の四代に
お仕えして参りましたが、この度のように、漢詩文が優れていて、舞や楽、
すべてのものの音なども整っていて、寿命が延びる思いをしたことは
ございません。それぞれ専門の道の名人が多いこの頃ですが、それを
あなたが詳しく承知して、万全の準備をなさったからでございます。
この翁もつい舞い出してしまいそうな気分になりました」と、申し上げ
なさいますと、源氏の君は「特別に準備をして行ったこともございません。
ただお役目として、すぐれたその道の専門家たちを、あちらこちらに
捜したまでのことなのです。すべての事よりは、頭中将の「柳花苑」が、
実に後世にまで残る典例ともなりそうだと拝見しましたが、ましてや
栄え行く御代の春に、左大臣ご自身が舞い出されたなら、当代の面目
でございましたでしょうに」と申し上げなさるのでした。
左大臣のご子息の左中弁や頭中将が来合わせて、高欄に背をもたせ
ながら、思い思いに楽器の調子を合わせて合奏して居られるのは、
とても趣がございました。
あの有明の君(朧月夜)は、源氏の君とのはかなかった夢のような
逢瀬を思い出されて、ぼんやりと物思いに耽っていらっしゃいます。
右大臣が東宮のもとに四月頃に入内させるとお決めになったので、
たいそう辛く思い乱れておられるのを、源氏の君も、お捜しになるのに
当てがないわけではないけれど、どの姫君だと分からないまま、
とりわけ自分をお認めにならないご一家にかかわり合うのも体裁が悪く、
思いあぐねておられたところ、三月の二十日過ぎ、右大臣邸の弓の
競射会に、上達部や親王たちを大勢お集めになって、そのまま藤の花
の宴を催されました。
桜の花盛りは過ぎていましたが、「他の桜が散ったあとに咲け」と、
教えられたのでありましょうか、遅れて咲いている二本の桜がとても
綺麗でございました。
新しくお造りになった御殿を内親王たちの御裳着の日に美しく飾り付け
られたのでした。派手好きでいらっしゃる右大臣家の家風で、何事をも
派手で現代風にしておられます。
右大臣は源氏の君にも、先日、宮中でお会いになった時に、お誘い申し
上げなさいましたが、お出でにならないので、残念で、催し栄えもしない、
と思われて、ご子息の四位の少将をお迎えに差し向けられました。
「わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし(我が家の
藤の花が並みの美しさならどうして殊更あなたをお待ちいたしましょうか)」
源氏の君は宮中におられる時だったので、この右大臣からのお手紙を
父帝にお見せなさいました。帝は「得意顔だね」と、お笑いになって、
「わざわざのお迎えのようだから、早く行くがよい。内親王たちも育って
いる邸だから、そなたを全くの他人だとも思っていないだろうに」などと
おっしゃいます。源氏の君は身なりを念入りにお整えになって、すっかり
日が暮れる頃、右大臣に散々待ち遠しい思いをさせて、お出かけになり
ました。
先月少し残ってしまった第7帖「花宴」、本日前半で読み終えて、
後半は次の「葵」に入るつもりだったのですが、「花宴」の最後で
「大澤本」のことなどに触れていたため、「葵」は本文講読に入れ
ないまま、アウトラインの説明をしただけで、終了時間となりました。
よって、今回の全文訳は、本日読んだ「花宴」(57頁・9行目~62頁
・4行目)のうち、前半分の57頁・9行目~60頁・1行目となります。
いつもよりかなり短目です。残りは7/25(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
左大臣邸では、葵の上はいつものように、すぐにはご対面になりません。
源氏の君は所在なくあれこれと思い巡らされて、筝の琴を手すさびに
弾きながら、「やはらかに寝る夜はなくて(うちとけて寝る夜もなくて)」と、
お歌いになります。
左大臣がこちらにお出でになって、先日の花の宴の趣深かったことを
申し上げなさいます。「この歳になって、これまで聖天子の御代の四代に
お仕えして参りましたが、この度のように、漢詩文が優れていて、舞や楽、
すべてのものの音なども整っていて、寿命が延びる思いをしたことは
ございません。それぞれ専門の道の名人が多いこの頃ですが、それを
あなたが詳しく承知して、万全の準備をなさったからでございます。
この翁もつい舞い出してしまいそうな気分になりました」と、申し上げ
なさいますと、源氏の君は「特別に準備をして行ったこともございません。
ただお役目として、すぐれたその道の専門家たちを、あちらこちらに
捜したまでのことなのです。すべての事よりは、頭中将の「柳花苑」が、
実に後世にまで残る典例ともなりそうだと拝見しましたが、ましてや
栄え行く御代の春に、左大臣ご自身が舞い出されたなら、当代の面目
でございましたでしょうに」と申し上げなさるのでした。
左大臣のご子息の左中弁や頭中将が来合わせて、高欄に背をもたせ
ながら、思い思いに楽器の調子を合わせて合奏して居られるのは、
とても趣がございました。
あの有明の君(朧月夜)は、源氏の君とのはかなかった夢のような
逢瀬を思い出されて、ぼんやりと物思いに耽っていらっしゃいます。
右大臣が東宮のもとに四月頃に入内させるとお決めになったので、
たいそう辛く思い乱れておられるのを、源氏の君も、お捜しになるのに
当てがないわけではないけれど、どの姫君だと分からないまま、
とりわけ自分をお認めにならないご一家にかかわり合うのも体裁が悪く、
思いあぐねておられたところ、三月の二十日過ぎ、右大臣邸の弓の
競射会に、上達部や親王たちを大勢お集めになって、そのまま藤の花
の宴を催されました。
桜の花盛りは過ぎていましたが、「他の桜が散ったあとに咲け」と、
教えられたのでありましょうか、遅れて咲いている二本の桜がとても
綺麗でございました。
新しくお造りになった御殿を内親王たちの御裳着の日に美しく飾り付け
られたのでした。派手好きでいらっしゃる右大臣家の家風で、何事をも
派手で現代風にしておられます。
右大臣は源氏の君にも、先日、宮中でお会いになった時に、お誘い申し
上げなさいましたが、お出でにならないので、残念で、催し栄えもしない、
と思われて、ご子息の四位の少将をお迎えに差し向けられました。
「わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし(我が家の
藤の花が並みの美しさならどうして殊更あなたをお待ちいたしましょうか)」
源氏の君は宮中におられる時だったので、この右大臣からのお手紙を
父帝にお見せなさいました。帝は「得意顔だね」と、お笑いになって、
「わざわざのお迎えのようだから、早く行くがよい。内親王たちも育って
いる邸だから、そなたを全くの他人だとも思っていないだろうに」などと
おっしゃいます。源氏の君は身なりを念入りにお整えになって、すっかり
日が暮れる頃、右大臣に散々待ち遠しい思いをさせて、お出かけになり
ました。
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