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「源氏物語のあらすじ」・・・第12帖「須磨」(その1)

2022年5月29日(日)

オンライン「紫の会」では、第12帖「須磨」に入り4ヶ月が経ちました。
次回の途中で、いよいよ京から須磨へと舞台が移る予定です。
話の区切りとしては、ちょっと中途半端な感もあるのですが、ここで
一度粗筋をまとめておくことにいたします。

全文訳では、2022年2月21日の「須磨」(1)、2月24日の「須磨」(2)
3月21日の「須磨」(3)、3月24日の「須磨」(4)、4月18日の「須磨」(5)
4月28日の「須磨」(6)、5月16日の「須磨」(7)、5月26日の「須磨」(8)
に該当する部分となります。

「源氏物語のあらすじ」・・・第12帖「須磨」(その1)は⇨⇨こちらから


源氏、桐壺院の墓前で嘆く

2022年5月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第22回・通算69回・№2)

オンライン「紫の会」は、第12帖「須磨」を読んでいます。

いよいよ須磨への出立が明日に迫った夜、源氏は父・桐壺院の御陵に
詣でます。

父院のご存命中は、その御威光に護られていた源氏が、今は官位も
剥奪され、自ら須磨へと退く決意をしての墓参です。ここで源氏が父院
のお墓に向かい何を訴えたのかとなると、おそらく父院の遺言が、悉く
反古にされてしまっている現実かと思われます。「さばかりおぼしのた
まはせしさまざまのご遺言は、何方か消え失せにけむと、いふかひなし」
(亡き桐壺院があれほどお考えくださって仰せになったご遺言は、どこへ
消え失せてしまったのであろうか、と言ったところで甲斐の無いことだった)
と、本文にも書かれています。

でも、これは「いふかひなし」(言っても甲斐の無いこと)ではなかったの
です。この時、源氏の目に「ありし御面影さやかに見えたまへる」(父院
の生前のお姿がはっきりとお見えになった)とあります。源氏の嘆きを、
桐壺院がお聞き届けになった証拠として、院の亡霊が現れたということ
でありましょう。

後に(巻としては、次の第13帖「明石」になります)、須磨に居る源氏の
夢枕に父・桐壺院が立ち、須磨を離れるよう勧め、弱気になっている
源氏を励まします。それだけではありません。桐壺院は朱雀帝の夢の
中にも現れて、お怒りの様子を見せ、帝を睨みつけられます。それに
よって朱雀帝は眼病を患うようになり、これが源氏召還の引き金となる
のですから、源氏の桐壺院の御陵での嘆きは、先々の物語の展開に、
多大な影響を及ぼす伏線として敷かれていることがわかります。

この場面を含む、本日の講読箇所の後半部分の詳細は、先に記した
全文訳でご覧くださいませ(⇒こちらから)。


第12帖「須磨」の全文訳(8)

2022年5月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第22回・通算69回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、215頁・4行目~221頁・2行目迄を読み
ましたが、本日の全文訳はその後半部分(217頁・10行目~221頁・2行目)
となります。前半部分は、5/16(月)の全文訳をご覧下さい⇒こちらから
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

明日がご出立という日の夕暮れには、桐壺院の御陵に参拝なさるため、
北山へと詣でなさいました。夜明け方に月が出る頃なので、まだ月が
上らないうちに、先ず藤壺の許をお訪ねになりました。

藤壺の御座所に近い御簾の前に源氏の君のお座りになる所を設けて、
藤壺がご自身で直接応対なさいます。東宮のことをたいそう気掛かりな
ことと藤壺は思い申し上げていらっしゃいました。お互いに深く情趣を
お感じになる同士のお話は、何事につけてもしみじみと胸に迫ることが
多かったにちがいありません。

優しく素晴らしい藤壺のご様子が昔と変わらないので、辛かった自分に
対するお仕打ちも、源氏の君はお恨み申し上げたいけれど、藤壺は
今更に厭なことだとお思いになるでしょうし、ご自身としても口にしたら
却って一段と心が乱れるに違いないので、じっと我慢をして、ただ、「この
ような思い掛けない罪に問われるにつけましても、思い当たるたった一つ
のことのために、天のお咎めも恐ろしうございます。惜しくはない我が身
の命と引き換えにいたしましても、東宮の御世さえご安泰でいらっしゃる
ならば」とだけ申し上げなさるのも、無理のないことでございましたよ。

藤壺も、すべてご承知のことなので、お心が波立つばかりで、お返事も
なさることがお出来になりません。源氏の君があらゆることを思い続けて
お泣きになるご様子は、とてもこの上なく優美でございました。

源氏の君が「これから院の御陵にお参りいたしますが、お伝え申すことは」
と申し上げなさると、藤壺はすぐには何も言えずにおられました。ひたすら
お気持ちを静めようとなさるご様子でした。
「見しはなくあるは悲しき世の果てをそむきしかひもなくなくぞ経る」(お仕え
した桐壺院はこの世に亡く、生きておいでのあなたは悲しい身の上となられ
た世の終わりを、出家して煩悩を捨てたはずの甲斐も無く泣きながら過ごす
ことでございます)
お二人共ひどくお悲しみなので、胸中に去来するあれこれのことも十分に
歌でお詠みにはなれませんでした。
「別れしに悲しきことは尽きにしをまたぞこの世の憂さはまされる」(父院と
お別れした時に、悲しい思いはし尽くしたはずなのに、更にこの世の辛さ
は酷くなってしまいました)

源氏の君は、有明の月が出るのを待ってお立ちになりました。お供の者は
ただ五、六人ばかりで、召使も気心の知れた者だけを連れて、馬でお出でに
なりました。言うまでもないことですが、嘗てのお出ましのご様子とは異なって
おります。

供の者たちは皆悲しいと思う中で、あの賀茂の祭の齋院の御禊の日、臨時
の随身としてお供をした右近の尉の蔵人は、得られるはずの五位の位にも
叙せられず、その時期が過ぎてしまった上に、とうとう蔵人も除籍となり、
右近の尉の官職も剥奪されて、面目がないので、須磨にお供をする中に
加わっていました。

下鴨神社の御社をそれと見渡せる場所で、右近の尉は、ふとあの御禊の日
が思い出されて、馬を降り、源氏の君の馬の轡を取りました。
「ひき連れて葵かざししそのかみを思へばつらし賀茂のみづがき」(お供を
して葵を插頭にお参りしたあの当時のことを思うと、賀茂の神様のご加護も
なかったのかと恨めしくなります)
と言うのをお聞きになって、源氏の君が、「本当にどんなに悲しんでいること
であろうか。この男は誰よりもひときわ華やかであったのに」とお思いになる
のも辛いことでございました。源氏の君も馬からお降りになって、御社のほう
を拝まれます。賀茂の神様にお暇乞いを申し上げなさいました。
「憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をばただすの神にまかせて」(辛い都を
今、離れてまいります。後に残る私の噂の是非は、糺の森の神に任せて)
とおっしゃる源氏の君のお姿を、右近の尉は感激し易い若者なので、身に
しみて、しみじみと素晴らしいと見申し上げておりました。

 桐壺院の御陵に参拝なさって、院のご在世時のご様子をありありと思い
出されておられます。この上ない帝でいらした御方でも、人は亡くなってしま
えばどうしようもなく、残念なことでありました。あれこれとお墓に向かって
泣く泣く申し上げなさったところで、それに対する父院の是非のご判断を
現実のものとして伺うことができないので、あれほどお考えくださって仰せ
になったご遺言がどこへ消え失せてしまったのであろうかと、言ったところで
甲斐の無いことでありました。

御墓は道の草が生い茂り、それを分け入りなさるうちに、いっそう露深く、
月も隠れて、森の木立は、うっそうとして、ぞっとするほど物寂しいのでした。
帰る道もわからないほどの悲しみにくれて、拝んでおられると、ご生前の
お姿がはっきりとお見えになったのは、思わず寒気を覚えるほどでありました。
「亡きかげやいかが見るらむよそへつつながむる月も雲隠れぬる」(亡き父君
は、今の私をどうご覧になっているだろうか。父君によそえて眺める月も雲に
隠れてしまったことよ)


弁という女房

2022年5月23日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第16回・通算156回)

GWが終わって2週間余り。コロナの新規感染者数は、案じられた
大きなリバウンドもなく、少しずつ減少傾向となっています。何とか
このまま収束していって欲しいですね。

そうなると、来月までは録音CDをお送りすることになっているこの
クラスも、7月からは以前のように会場で、第2金曜日クラスと第4
月曜日クラスに分かれてやっていくことになりますので、私にとって
の目下の課題は、それまでに、CDクラスをオンラインクラスに追い
つかせることです。

CD1枚は最大で80分なのですが、今日の2枚目のCDは、Max近く
まで録音しました。まだあやふやな段階ではありますが、不可能
ではないところまで来ている手応えは感じています。

今日は第48帖「早蕨」の2回目です。

これ迄大君、中の君に最も寄り添う形で支えて来た女房の弁は、
大君亡き後、出家して尼となっています。他の女房たちが、喜び
勇んで明日に迫った中の君の京への移転に付き従う準備に励む
中、弁だけは宇治に残る決意をし、中の君と別れを惜しみます。
(この場面は国宝「源氏物語絵巻」早蕨段に描かれていて、3月の
オンラインクラスで読んだ時にご紹介しております⇒こちらから)。

弁は、「宇治十帖」に登場する女房たちの中で、最も重要な役割を
担っている女房だと言えましょう。

先ず「橋姫」の巻で、薫に出生の秘密を打ち明けるという重大な
役目を果たします。その後も他の女房たちとは一線を画す形で、
宇治の姫君たち(特に大君)を支えて来ました。時には出過ぎた
発言もありましたが、終始、常識をわきまえた態度を取り続けきた
女房です。柏木の乳母子という立場上、宇治にあっては貴重な、
京という都会の、上流貴族の社会通念を身につけていたことが
わかります。

中の君が二条院へと引き取られることで、弁という女房の出番も
終わったかに見えるのですが、彼女にはこののち、もう一つ、薫と
浮舟の仲介役という大きな役目が残されています。それはまた
その時に、となりますが、この弁に関して、ちょっと気になることが
一つ。

今日の講読箇所でも「いたくねびにたれど」(ひどく年を取っている
けれど)と、どこを読んでも「老女」として扱われているのです。年齢
を辿ってみると、彼女は柏木の乳母子なので、柏木と同じ年と考え
てよいでしょう。柏木は夕霧よりも5、6歳年長ですから、生きていれ
ば56歳か57歳。えーっ、私より一回り以上若くて年寄り扱い⁈ 
何だか複雑な思いです。


今月の光琳かるた

2022年5月21日(土)

毎月「光琳かるた」の更新は第1週目に、と思っているのですが、5月に
入ってから、なぜか全くゆとりのない日が続き、早下旬となってしまって、
慌てての更新となりました💦

『小倉百人一首』は「恋」の歌が43首と、四季を詠んだ歌の32首よりも
圧倒的に多いので、今年になってからずっと恋の歌が続いていますが、
今月もまた恋の歌です。

「由良の門(と)を渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋のみちかな」
                          四十六番・曾禰好忠
    46番・曾祢好忠
(由良の水門を漕ぎ渡る舟人が、梶を失って行く先もわからず漂う
ように、将来どうなるのか見当もつかない恋の道であることよ)

上の句となる3句目までと最後5句目が、4句目の「ゆくへも知らぬ」とで
重なる構造となった歌で、斬新な手法を積極的に取り入れた好忠らしさ
が窺えます。

歌集『曾禰好忠集』(通称「曾丹集」)は、「毎月集」と「百首歌」からなって
いますが、このうち「毎月集」は、1年の生活感を主な主題に、1日1首の
形で四季、月、旬に区切って全部で36項とし、各項ごとに10首ずつ詠む
という画期的な試みを取っています。また「百首歌」という形式も、この
好忠の作に始まると言われ、恵慶法師(47番)、源重之(48番)など多くの
歌人に模倣されて、後代に多用される先駆けとなりました。共に誰かに
命じられたのではなく、好忠自身が、自らの感懐を新しい形式で追及した
ものである点も評価されています。

彼の代表作とされる歌に、
「わぎもこが汗にそぼつる寝より髪夏の昼間はうとしとや思ふ」(汗に濡れ
て乱れた妻の髪を、夏の昼間であっても汗臭くて嫌だなんて思わない)
というのがあります。凡そ彼が生きた平安中期の雅やかな歌風とは縁遠い、
『万葉集』の庶民の歌のような詠みぶりです。このあたりにも型破り感が
あって面白いですね。

曾禰好忠は、生没年も経歴も殆ど伝わっていない歌人ですが、彼を「曾丹」
と呼ぶのは、「丹後掾(たんごのじょう/丹後の国の三等官)」だったことに
由るものです。本人は些か軽侮の響きを持つこの呼び名を嫌っていたようで、
平安後期の歌人・藤原清輔(84番)が著した歌論書『袋草紙』には次のように
記されています。

「曾丹は丹後掾なり。而して初めは曾丹後掾と号す。その後は曾丹後と号す。
末に事旧りて曾丹と号するなり。この時好忠歎きて云ふ、いつ『そた』といはれ
んずらんと」(曾丹は丹後掾である。よって初めは「曾丹後掾」と呼ばれていた。
その後は「曾丹後」と呼ばれた。のちにそれも言い古されて「曾丹」と呼ばれる
ようになった。この時好忠は嘆いて言った、「いつ『そた』といわれることになる
のやら」と)。

今でも、こうした略称はよく使いますが、本人が嫌がるような略称は避けるべき
でしょうね。曾禰好忠は、自分の歌集が「曾丹集」という通称で呼ばれ続けて
いることを、あの世で嘆いているかもしれません。


第51帖「浮舟」に入る

2022年5月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第230回)

このところずっと梅雨のようなぐずついたお天気でしたが、今日は
一週間ぶりに青空の広がる「五月晴れ」の一日となりました。

今、湘南台クラスの例会の回数を「第230回」と記入したところで、
我ながらすごい回数だなぁ、と思いました。2000年の4月がスタート
なので、既に23年目に入っています。コロナ禍での休講がなければ、
まもなくゴールというところまで来ていたと思われますが、コロナに
よって17回も潰されてしまい、ようやく今回から第51帖「浮舟」に
入りました。

「浮舟」の巻は、「宇治十帖」のハイライトと言ってもよいでしょう。
ヒロインの女性に「浮舟」という呼称がつけられているのは、彼女の
詠んだ歌、「橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ」
に由るものですが、二人の男性の間で揺れ動き、遂に自ら死を選ぶ
決意に至る迄追い詰められていく姿は、さながら水面に浮かぶ小舟
のようであります。

この巻の魅力は、何といっても、浮舟の心の動きが克明に描かれて
いる点だと思います。それによって、読者も浮舟の心理の深部にまで
触れることが出来るからです。

「浮舟」の巻の最初に登場するのは、匂宮です。「宮、なほかのほのか
なりし夕べをおぼし忘るる世なし」(匂宮は、今もまだ、あの儚い出会い
で終わった夕暮れのことをお忘れになる時はありません)という書き出し
になっています。

二条院の西の対の西廂で起こった事件以後、物語は浮舟と薫を中心
に語られてきましたが、好色な匂宮は、忽然と姿を消した美しい女の
ことを忘れてはいなかったのです。自分のものにし損なっただけに、
匂宮にはより未練となって残っていたのでありましょう。

第50帖「東屋」の最後で、薫によって宇治に据えられ、不安ではある
ものの、ようやく落ち着ける場所を得たかに見えた浮舟ですが、「浮舟」
の巻に入ると、最初から波乱が予想されますね。その波乱のきっかけ
となる手紙を、匂宮が目にするところまでを今日は読んだのですが、
そこまで詳しく書いていると長くなり過ぎるので、それはまた別に機会に
譲りたいと思います。


紫の上に対する特別な配慮

2022年5月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第22回・通算69回・№2)

オンライン「紫の会」は、第12帖「須磨」に入って4回目となりました。

須磨下向を前に、源氏は身辺整理をし、時勢に靡かぬ家臣たちだけを
二条院で働けるように取り計らい、また須磨へお供する者たちは、別途
選び出されたのでした。須磨へ持参するお道具類は必要最小限のもの
とし、女房たちは召人(源氏のお手付き女房)も含めて皆、紫の上付きと
なさいました。

自分がもし京に帰れないまま命を落とすことがあっても、一人残される
紫の上が経済的不如意に陥らないよう、特別な配慮のなされたことが
記されています。

荘園や牧場といった不動産の権利証をはじめ、二条院の倉や、財宝が
収納されている納殿(おさめどの)の管理といったことも、少納言の乳母
(紫の上の乳母)をしっかり者と見込んだ上で、腹心の家司を附けて一任
し、いざという時には、全てを紫の上が取り仕切れるようにしたのでした。

これは、源氏に万が一のことがあった場合、紫の上を全遺産の相続人と
して指定したことを意味しています。紫の上の唯一の身寄りである父親
(兵部卿の宮)は、右大臣方に睨まれたくないので、この頃は絶縁状態に
なっておりました。源氏のこの特別な配慮が無かったら、源氏以外に誰も
頼れる人のいない紫の上は、忽ち路頭に迷うことになってしまいます。

こうして、紫の上が源氏の全財産の相続人と指定されたことで、正式な
結婚ルートは踏んでいないものの、紫の上は「正妻格」としての地位を
得たこととなり、周囲の彼女を見る目もそうなっていったのだと考えられ
ます。

でも、「正妻格」ではあっても、「正妻」ではなかった、これが重大な意味を
持つことになるのは、ずっとずっと先の話です。

本日の講読箇所の前半部分につきましては、「第12帖「須磨」の全文訳(7)」
をご参照下さいませ(⇒こちらから)。


第12帖「須磨」の全文訳(7)

2022年5月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第22回・通算69回・№1)

風薫る5月のはずですが、今年は雨の日の多い気がいたします。おまけに
今日は気温も低く、肌寒さを感じるほどでした。この時季になっての激しい
温度差は、いっそう応えますね。

5月のオンライン「紫の会」は、215頁・4行目~221頁・2行目迄となりますが、
今日の全文訳はその前半部分(215頁4行目~217頁・9行目)です。後半
部分は、第4木曜日(5/26)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


源氏の君は、あらゆる身辺整理をおさせになりました。親しくお仕えして、
時勢に靡かない家臣たちだけを皆、二条院の事務を執り行うよう上下の
役目をお決めになります。須磨にお伴申し上げる者だけは、また別に選び
出されたのでした。

あの須磨の地での暮らしのお道具類は、必要不可欠な品々を殊更飾り気
のない簡素なものにして、また然るべき漢籍類や白氏文集などを入れた箱、
その他には琴の琴一つを用意させなさいました。所狭しと置かれたお道具類
や、華やかなお召し物などは、全くお持ちにならず、卑しい山里の人めいて
おられました。

源氏の君にお仕えしている女房たちをはじめ、全てのことを紫の上にご依頼
申し上げなさいました。ご所有の荘園や牧場をはじめ、しかるべき領地の
権利証など、全部紫の上にお渡しになりました。その他の倉の並んだ一画や、
納殿の管理といったことまで、少納言乳母をしっかり者だと見込んでおられる
ので、腹心の家司たちをつけて、紫の上が取り仕切ることが出来るように、
少納言乳母に言い置かれたのでした。

源氏の君付きの中務、中将などといった女房たちは、これまでぞんざいな
お扱いとはいえ、身近にお仕えしていたからこそ慰められてもいたのに、
これからは何につけてご奉公のし甲斐があろうか、と思うけれど、源氏の君が
「生き延びて、私が再び都に帰ってくることもあろうから、それを待っていよう
と思う人は、紫の上にお仕えしなさい」とおっしゃって、身分の上下に拘わらず
女房たちを皆、紫の上にお仕えさせなさいました。夕霧の乳母たちや、麗景殿
の女御姉妹などにも、風情ある形見の品はもとより、実用的な暮らし向きの事
まで、源氏の君のご配慮が思い至らぬことはございませんでした。

源氏の君は、尚侍(朧月夜)の許に無理をしてお便りをなさいました。
 お見舞いを下さらないのもごもっともとは存じますものの、今は、と、この世
 を諦めて、京を離れる悲しみも辛さも、比べるものもないことでございます。
 「逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや流るるみをのはじめなりけむ」(逢うことが
 叶わずあなたを恋して泣いたことが流浪の身の上となるきっかけだったの
 でしょうか)
 と、あなたのことを恋しく思い出しますことだけが、逃れられない私の罪かと
 存じます

手紙が無事に朧月夜に届くかどうか不安なので、詳しくは申し上げなさいま
せん。朧月夜は、たいそう悲しくお思いになって、こらえてはおられるものの、
涙がお袖で抑えきれないのもどうしようもありませんでした。
 「涙河うかぶ水泡も消えぬべし流れてのちの瀬をも待たずて」(涙河に浮かぶ
 水泡のように儚い私はこのまま死んでしまうのでしょう。行く末の逢瀬を待つ
 ことなくて)
泣き乱れてお書きになったご筆跡がたいそう趣深いものでありました。

源氏の君は、もう一度逢えぬままの別れになるのか、とお思いになると、やはり
残念ではありますが、考え直されて、酷い方々だとお考えになる血縁者が多くて、
一方ならず人目を憚っていらっしゃるので、そこまで無理をして逢いたい、と
おっしゃることなく終わってしまいました。


大君に似てくる中の君

2022年5月13日(金) 溝の口「CD源氏の会」(第15回・通算155回)

先週は連休で検査数も少なかったからでしょうか、コロナの感染者は
減っていましたが、今週に入ってまた増加に転じています。来週以降の
動向を見てみないとわかりませんが、いい加減に収束して、このクラス
が会場再開予定の7月には、安心してご参加頂ける状況になっていて
欲しいと思います。

10月から、オンラインクラスは月に1回、CDクラスは月に2回のペース
で進めてきましたので、遠からずオンラインクラスに追いつけるところ迄
まいりました。今回より第48帖「早蕨」です。

大君が亡くなったのは前年の11月のことでした。「早蕨」の巻は、一人
残された中の君が新年を迎えたところから始まります。春となっても、
中の君の心は閉ざされたままです。姉君が逝ってしまわれたことは、
父宮を亡くした時よりも悲しみが深く、今が女盛りの匂いだつような
美貌の持ち主の中の君が、「さまざまの御もの思ひに、すこしうち面
痩せたまへる、いとあてになまめかしきけしきまさりて、昔人にもおぼえ
たまへり。並びたまへりしをりは、とりどりにて、さらに似たまへりとも
見えざりしを、うち忘れては、ふとそれかとおぼゆるまでかよひたまへる」
(さまざまな物思いをなさって、少し面やつれしておられるのが、とても
上品で優美な感じが以前よりも立まさって、亡き大君を思わせなさる
のでした。お二人が並んでいらした頃は、それぞれの美しさで、少しも
似ておられるとは思えなかったのに、今は大君が亡くなられたことを
つい忘れては、思わずそこに大君がおられるのではないかと思える程
似通っていらっしゃる)状態となっているのでした。これは、女房たちの
目に映った中の君の姿です。

薫の中に今も生き続けているのは大君ですから、こうした中の君に接し
たら、どのような思いを抱くようになるか、凡そ想像がつきます。

でも、先ずは薫がそうした印象を抱く前に、女房たちの客観的な目を
通して、中の君が大君を思わせるようになってきたことを読者に伝えて
います。薫の目だけとなると、「思い込みもありそう」、となるのですが、
ちゃんとその前に布石を打ってくるところが、心憎いまでの作者の見事な
手法ですね。


2024年の大河ドラマ

2022年5月11日(水)

本日、再来年のNHKの大河ドラマが発表になり、いよいよ待ちに待った
『源氏物語』の時代が取り上げられます。タイトルは『光る君へ』。
『源氏物語』そのもののドラマ化ではなく、吉高由里子さん演じる紫式部
を主人公としたドラマとなるようです。

そうですね、『源氏物語』をすべてドラマ化するとなると、人間関係が複雑
過ぎるし、これ迄のドラマや映画、或いはアニメや漫画本などを見ても、
「ええっ!そんなのあり?作者の紫式部さんに失礼じゃないの?」と
思われる場面が多々あって、見るのを途中で止めてしまったものも幾つか
あります。中途半端に原作が改ざんされていると、イヤになります。いっそ
一昨年、昨年のNHKの夜ドラ『いいね!光源氏くん』のように、初めから
奇想天外な設定になっているほうが、楽しめますね。

あら、これでは何だか、凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ初霜の
置きまどはせる白菊の花」(『百人一首』29番)を貶した正岡子規みたい
ですね(この話については⇒こちらからどうぞ)。

私より先に、このニュースをキャッチなさった何人かの方が、LINEで
Yahoo!ニュースのURLを記して教えてくださいました。有難うございます。

相手役の道長は?中宮彰子は?一条天皇は?中宮定子は?それに
劇中劇として『源氏物語』が取り入れられるとしたら、そのキャスティング
は?と、配役も気になるところです。皆さまと楽しんだキャスティング遊び
の中から選ばれないかなぁ、などと期待しています。

この『光る君へ』は、原作となる小説などは無く、脚本家・大石静さんの
オリジナル作品とのこと。因みに、全く面識はありませんが、大石静さん
は大学の2年後輩にあたり、そういうこともあって、あまりテレビを見ない
私も、大石さんが脚本を書かれたドラマは結構見ています。

来年どころか、これは再来年の話です。鬼では済まず、何に笑われる
ことになるのでしょうか?


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