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「鉄道唱歌」

2018年9月30日(日)

午前中はまだ日が射していて、「本当に台風は近づいてるの?」という
感じだったのですが、午後になると次第に空が暗くなり、今はかなりの
雨が降っております。関東は夜中がピークになりそうです。

ところで今日の表題の「鉄道唱歌」、皆さまは何番までご存知ですか。

先週の月曜日、溝の口の「湖月会」の時に、代表の方から「鉄道唱歌」の
コピーを戴きました。つらつら眺めると、何とまぁ、66番まであるのですね。
私がまともに歌えるのは1番の「汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る月を旅路の友として」だけですが、普通はそんなもの
ではないですか?66番全部が歌える方ってどれ位いらっしゃるのかしら?
若い世代にはそもそも「鉄道唱歌って何?」かもしれませんね。

歌詞をずっと見ていると面白い発見があれこれ。結構作詞者・大和田建樹氏
の好みが出ている気がします。「鎌倉」を織り込みたかったのでしょうね、
大船で横須賀線に乗り換えています。また当時は今の御殿場線を通っていた
ことがわかったり、京都の辺りがすごく詳しく何番にも渡っていたり。

40番は「瀬田の長橋横に見てゆけば石山観世音紫式部が筆のあと残すは
ここよ月の夜に」。「湖月会」の「湖月」ですね。

47番の「ここは桓武のみかどより千有余年の都の地今も雲井の空高く仰ぐ
清涼紫宸殿」。宮中の建物まで出て来るとは!

せめてこの二番くらいは、歌えるようになっておきたい私です。


故常陸宮邸内の厳しい現実

2018年9月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第30回・№2)

タイトルにある「故常陸宮邸」というのは末摘花のお住まいです。
父宮である常陸宮がご在世中も、世間から取り残されお暮しでしたが、
父宮が亡くなられてからは、いっそう窮乏生活を強いられておりました。

冬の寒い夜、末摘花のもとを訪れた源氏は、「もしかしたら姫君の姿を
垣間見ることが出来るのでは」と期待して、格子の隙間からそっと中を
覗いてご覧になりました。

しかし、源氏の目に映ったのは、四、五人の年老いた女房たちの姿
でした。姫君のお食事のお下がりをいただいているのですが、すっかり
古びてみっともない青磁の食器に、品数も少ない粗末な食べ物が載って
いるのが見えます。この食器も、もとは舶来の高級品なのですが、きっと
ヒビが入ったり欠けたりしていたのでしょう。親王である父宮の残された
物を大事に使っているのが分かります。

着ているものも汚れたひどいもので、貧しくて暖も取れずにいるようです。
「何て今年は寒いのかしら。長生きするとこんなつらい目にも遭うのだった
のね」「亡き宮さまがご存命の頃、どうしてつらいだなんて思ったのかしら。
こんな心細い暮らしでも、生きて行けるものなのねぇ」などと言い合って、
もう寒さに飛び上がらんばかりの身震いをしているのでした。

嘗て夕顔の宿に泊まった時も、近隣から同じような寒さや生活の乏しさを
嘆く会話が聞こえてきましたが、それは庶民のもので、源氏とは全く関係の
ない世界に住んでいる者たちのことでしかありませんでした。

でも、今回は同じ貴族、親王であった方の邸内での会話です。源氏も、
それを聞き続けるのはいたたまれない思いがして、一旦退いて、たった今
来たかのように格子をお叩きになるのでした。

その途端、いままで愚痴をこぼし合っていた女房たち、「そそや」(それそれ、
お見えになったわ)と、喜び勇んで源氏を迎え入れました。

ようやくこの困窮生活から抜け出せるかどうかの瀬戸際、女房たちが源氏に
かける期待は大きかったと思います。

詳しいストーリーは、先に書きました全文訳(6)をご参照頂ければ、と存じます。


第六帖「末摘花」の全文訳(6)

2018年9月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第30回・№1)

今回は第6帖「末摘花」の260頁・13行目~269頁・9行目迄を読みました。
その後半部分(265頁・11行目~269頁・9行目)の全文訳です。
前半部分は9/10(月)の「末摘花」の全文訳(5)をご参照ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

左大臣が夜になって宮中から退出なさるのに伴われて、源氏の君は左大臣邸に
お出でになりました。朱雀院への行幸を左大臣は興あることとお思いになって、
ご子息たちが集まってその話をしたり、それぞれが舞などを練習なさるのが、
その頃の日課となっておりました。色々な楽器の音がいつもよりもやかましくて、
皆が競い合いながら、日頃の管弦の遊びとは違って、大篳篥や尺八などの笛を
大きな音で吹き上げながら、太鼓までも高欄の元まで転がし寄せて、ご子息たちが
手ずから打ち鳴らし、合奏しておられるのでした。

源氏の君もお暇のないご様子で、どうしても恋しく思われるお方の所には、暇を
見つけてお通いになりますが、常陸の宮邸にはすっかりご無沙汰になって秋が
終わってしまいました。

やはり源氏の君の訪れを頼りにして来た甲斐もなく月日は過ぎて行きました。
行幸も近づいて、試楽などと大騒ぎをしている頃、命婦が源氏の君の許に参上
しました。源氏の君は「姫君はどうしておられますか」などとお尋ねになって、
姫君のことをお気の毒だとお思いになっていました。命婦はご様子をお伝えして、
「たいそうこんなにもお見限りのお仕向けは、傍で拝見している者までもが辛くって」
などと泣き出さんばかりに思っておりました。奥ゆかしさを感じる程度で止めておこう
と命婦が心積もりをしていたことを、源氏の君が台無しにしてしまったのが、思い遣り
のないやり方だと命婦は思っているだろうということまでも、源氏の君は気になさって
いるのでした。姫君ご自身がものも言わずふさぎ込んでいらっしゃるご様子を想像
なさるにつけても、お気の毒なので、「今は暇が無くってね、困ったものだ」と嘆息
なさって、「恋の道をご存じないようなご気性を、懲らしめようと思ってね」と、にやりと
なさるご様子が、若々しくて可愛気があるので、命婦も思わず微笑んでしまう気がして、
「仕方のない、人に恨まれなさるお年頃ですこと、相手への思いやりが不足していて、
ご自分の思い通りにお振舞いになるのも無理のないことだわ」と思うのでした。
源氏の君はこの行幸の準備の時期が終わってから、時々常陸宮邸にお出でになり
ました。
 
あの藤壺の血縁の少女を捜し出して引き取られた後は、そちらをお可愛がりになる
のに夢中で、六条の辺りのお方のところでさえ、ますます遠ざかられるようですので、
ましてやこの荒れ果てた常陸宮邸には、可哀想に、といつもお心に掛けながらも、
気が進まないのも無理からぬことでございました。

姫君の気が詰まるほどの恥ずかしがり屋の正体をはっきりと見届けたい、という
お気持ちも特にないまま月日が過ぎて行くのを、また思い直して、「よく見れば、
思っていたよりも美点があるかもしれないな。手探りではっきりしないので、妙に
腑に落ちないと思われることもあるのを、この目で確かめてみたい」とお思いに
なりますが、露骨に灯りを明るくしたりするのも面映ゆいことでした。

女房たちが打ち解けている宵居の頃に、源氏の君はそっと邸内にお入りになって、
格子の隙間から覗いてご覧になりました。でも、ご本人のお姿が見えるはずも
ございません。几帳などは随分傷んでおりますが、昔から置き場所は変わることなく、
押し遣ったりして乱れていることもないので、じれったくお思いですが、そこには
古女房が四、五人座っているのでした。お膳の上の食器は、青磁風の舶来品ですが、
古びてみっともない上に、お食事自体も、種類も少なく粗末なものを、女房たちが
お下がりをいただいておりました。廂の隅の間に、たいそう寒そうな女房たちが、
白い着物で何とも古ぼけて汚いものに、薄汚れた褶を結び付けた腰つきが如何にも
見苦しい感じでした。それでも、櫛をずり落ちそうに挿している額際が、内教坊や
内侍所などに、こんな風な者がいるなあ、とおもしろく思っておられます。

源氏の君は、夢にもこんな者たちが姫君のお傍でお世話しているとは想像なさって
おりませんでした。「あーあ、本当に寒い年ね。長生きすると、こんな辛い目にも
遭うのだったのね」と言って、泣き出す者もおりました。「亡き宮さまがご存命の頃、
どうして辛いだなんて思ったのかしら。こんなに心細い暮らしでも、生きて行けるもの
なんですねぇ」と言って、飛び上がらんばかりに身震いしている者もいるのでした。

あれこれとみっともないことをこぼし合っているのをお聞きになるのもいたたまれ
ないので、一旦退いて、たった今お出でになったようなふりをして、格子をお叩きに
なります。女房たちは「それそれ」などと言って、灯りを点し直し、格子を上げて、
源氏の君をお入れ申しあげました。
 
侍従は斎院にも掛け持ちでお仕えしている若い女房で、この頃はここにはおりません
でした。ですからいっそう貧相な野暮ったい女房ばかりで、源氏の君は勝手の違う
感じがいたします。ますます女房たちが愚痴っていた雪が、空をかき暗して激しく
降っておりました。空の様子が厳しく、風が吹き荒れて、灯りが消えてしまっている
のに、点ける女房もいません。源氏の君は、あの物の怪に襲われた時のことを
思い出されて、荒れている様子はあの廃院に劣らないようですが、邸がさほど
広くなく、人気が少しあったりするのに慰められるものの、ぞっとするようで、
気味悪く寝付けそうにもない夜の様子でございました。面白くも、しみじみともする
趣も、様変わりで心惹かれる情景なのですが、姫君はとっても内気で情愛が無く、
何の張り合いもないのを、源氏の君は残念だとお思いでした。


花散里の鋭い観察眼

2018年9月24日(月) 溝の口「湖月会」(第123回)

昨日までの天気予報では、今夜の「中秋の名月」を望むのは難しいかな、
と思っておりましたが、予報が良いほうに外れて、只今空には綺麗な月が
懸かっています。

因みに、今年の「十三夜」は10月21日。晴れていたら必ず見て「片月見」に
ならないようにしたいと思います。忘れないよう、カレンダーに「十三夜」と
書き込みました。

     DSCF3631.jpg
  21:30頃、南東に面したベランダから見た「中秋の名月」です。
  私の古いデジカメで撮ったので、少しボケていますけど・・・。     

以上、今日のタイトルとは全く関係のない余談でして、ここからが講読会
の話となります。このクラスは第2金曜日と同じ第39帖「夕霧」の後半を
読みました。

夕霧は小野の山荘で落葉の宮と一夜を過ごした折、二人の間には何も
なかったのですが、それでもそのまま自邸に帰る気にはなれず、養母で
ある花散の里のもと(六条院の東北の町)に立ち寄っています。そして
今回のところでも、一条の宮に戻って来ても夕霧に対して心を閉ざして
いる落葉の宮が、最後の抵抗で塗籠に閉じ籠ってしまい、引き上げざる
を得なくなった夕霧の足が向かったのは、やはり花散里のもとでした。

夕霧の父・源氏が、決して美しくもない花散里を夫人の一人として六条院
に据えているのは、その人柄を見込んでのことだったと思われますし、
夕霧もまっすぐ自邸に帰りたくない時に立ち寄るのは、この穏やかでやさしく
包み込んでくれる養母のところだったのです。

でもこの花散里、おっとりしているようでなかなか鋭いところも見せています。
源氏が自分の好色癖を棚に上げて、夕霧の浮気には忠告したり、陰口を
言ったりするのを「さかしらだつ人の、おのが上知らぬやうにおぼえはべれ」
(賢い人でも自分のこととなると何も分かっていないというふうに思えますわ」
と、ズバッと言い切っています。

夕霧もそれを聞いて「まったくだ」とおかしく思っているのですが、他の人は
誰しも、夕霧と落葉の宮は既に結ばれていると信じている中で、もしかしたら
この花散里だけは夕霧の言動から本当のところを見抜いていたのではないか、
という気もするのです。


夏は暑いほどいい!?

2018年9月21日(金) 溝の口「枕草子」(第24回)

17日は31度まで気温が上り、まだこんなに暑い日があるんだなぁ、
と思いましたが、わずか四日でこの違い!今日はそれよりも10度も
低い21度が最高気温となりました。おまけに一日中しとしとと雨が
降り続き、涼しさを通り越して肌寒さを覚えました。

今回は第100段~第113段までを読みました。ここで(第24回)と
書いて気づいたのですが、溝の口の「枕草子」も丸二年が経った
のですね。もう少しで半分というところまで来ています。

ところで今日最後に読んだ第113段は、極端に短い段なのですが、

「冬は、いみじう寒き。夏は、世に知らず暑き。」(冬はすっごく寒い
のがいいわ。夏はめちゃくちゃ暑いのがいいわ。)

と書かれています。

たしかに、第1段からして、「冬はつとめて」(冬は早朝に限る!)と
言って、寒い冬の朝に炭を熾して部屋部屋の火鉢に入れるため
運んだりするのが「いとつきづきし」(とても冬らしくていい)として
います。昼になり、段々と寒さが和らいで来ると、普通ならそのほう
が嬉しいはずなのですが、清少納言は、そうなると火鉢の炭も白い
灰がちになるのがいただけない、と否定的です。

特徴を見出すために、ものの極限状態を求める清少納言らしさが
感じられて面白いのですが、もし今年の夏の京都のような40度に
迫る猛暑を体験していたら、それでも清少納言さん、「夏はメッチャ
暑いのが最高!」なんて言いながら喜んだのでしょうか。


悲劇への要因

2018年9月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第205回)

ようやくとてつもなく暑く長かった夏も終わり、秋が定着した感があります。

先週の金曜日以来、少し講読会の間隔が空いて今日の湘南台クラスの
例会となりました。

第47帖「総角」も後半に入り、ここから大君の死までがこの巻の読み所に
なるかと思われます。

中の君が匂宮と結ばれたことは、中の君を薫と結婚させたいと願っていた
大君にとって不本意な結果ではありましたが、それでもこうなったからには、
自分の出来る限り妹の後見をして、宮家としての誇りだけは保とうと懸命に
なっておりました。

そんな時、なかなか中の君の許へと通えない匂宮の為に、薫が宇治への
紅葉狩りを提案しました。勿論紅葉狩りは口実で、中の君に逢うのが目的
でしたから、ごく内々に親しい者だけを連れてお出かけになったのですが、
匂宮の母・明石中宮のご指示で、大勢の上達部や殿上人がやって来て、
匂宮は自由に身動きの取れない状態にさせられてしまいました。

薫が事前に手を貸して、八の宮邸に匂宮がお泊りになる際の用意も万端
整えさせましたから、大君も中の君も久々の匂宮のご来訪を心待ちにして
いたのでした。

匂宮が八の宮邸に立ち寄れなかったのは、已むに已まれぬ事態が生じた
からですが、それを知らない大君は、妹は匂宮に弄ばれて捨てられた、と
しか考えられず、次第に食事が喉を通らなくなり、体調を崩して行ってしまい
ました。

大君にすれば、匂宮ほどの身分の方なら、いくら何でも外聞や人の思惑も
気にして、そんな口先だけの愛情で、簡単に結婚した相手を捨ててしまう
ような身勝手な振舞いはなさるまい、と思っていただけに、ショックも大きく、
大君が一番恐れていた「人笑へ(ひとわろへ)」(世間の物笑い)となることに
耐えられなくなったのです。

でも、これは宇治側の論理で、京の論理からすれば、匂宮が自由に宇治に
通うことこそが、身勝手な振舞いだったはずですから、大君の思いがそこまで
及んでいたなら、悲劇的な結末を防ぐことも出来たのではなかったでしょうか。


旬の味覚ー秋刀魚ー

2018年9月15日(土)

一昨日、知り合いの方からスダチを沢山頂戴しました。

夕飯のメニューは、と言えば、もう秋刀魚の塩焼きしか頭に浮かびません。
でも、一昨日のスーパーの鮮魚売り場での秋刀魚は一匹298円(税抜き)。
一旦手を伸ばしかけましたが、また引っ込めてしまいました。

そして今日、もし同じ値段でも美味しそうな秋刀魚なら買おう、と意を決して
(秋刀魚ごときに大袈裟ッ!)出掛けたところ、一匹198円の表示が・・・。
あら、嬉し!結構大ぶりな秋刀魚です。早速大根おろしとその戴いたスダチを
添えて、「いっただっきま~す」。

    DSCF3624.jpg
    春の筍、秋の秋刀魚(松茸、と言いたいところですが、
    それは封印)、旬のものは本当に美味しいです!!


KYな男のすること

2018年9月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第123回)

涼しくて過ごし易くなりましたが、秋雨前線の影響で、ぐずついたお天気が
続いています。

このクラスは、第39帖「夕霧」を来月読了予定、というところまで来ました。

ようやく夕霧が外堀から徐々に埋めて行って、落葉の宮との結婚も見えて
まいりましたが、まだまだ二人の心には大きな隔たりがあります。

小野で母の御息所を亡くした落葉の宮は、もう一条の宮には戻らず、
そのまま出家したいと願っていますが、誰一人として賛成してくれる者は
いません。出家したところで霞を食べて生きて行けるわけではなく、もはや
落葉の宮には、夕霧以外に頼れる人は誰もいないのが実情だったのです。

嫌々ながらも一条の宮に戻ってきた落葉の宮の目に映ったのは、喪中とも
思えぬ賑わう邸内。母娘で静かに暮らしていた頃とは様変わりしていて、
不快感が募り、牛車から降りるのもためらわれるほどでした。

それもこれも夕霧の仕業で、留守中にいっそう生い茂っていた庭の草なども
きれいに取り払い、調度類も立派なものを新調して整えさせた上、東の対の
南面に自分の部屋まで作ってしまって、すっかり主人顔をしています。

夕霧とすれば誠心誠意、気も遣い、お金もかけて落葉の宮を迎える準備を
したつもりでしょうが、落葉の宮からすれば、母と二人の思い出を踏みにじる
傍若無人な振舞いとしか思えなかったに違いありません。

まめ人はどうもKY(空気読めない)で困りますね(KYという語も今ではほとんど
死語になってるかな?)。デリカシーが欠如しており、忖度するのが苦手です。
ここでの夕霧と、「宇治十帖」の薫はその辺りがとてもよく似たタイプです。


今月の光琳かるた

2018年9月13日(木)

うかうかしているうちに、9月も半ば近くとなってしまいました。

やっと秋らしさが感じられるようになったので、今月は秋の歌の中から
この一首を選んでみました。

「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける」
                        三十七番 文屋朝康
  DSCF3622.jpg
(白露に風が吹きつける秋の野は、まるで糸を通して繋いでいない
 真珠が乱れ散っているようだなぁ)

光琳かるたの下の句の札に描かれている風に揺れる秋草が、この歌の
持つ情趣をよく伝えています。写真ではわかり難いのですが、札の右下方
には草に置く露も点々と描かれています。

作者の文屋朝康は、22番の歌の作者・文屋康秀の息子、という以外、
生没年はもとより、どのような経歴を辿った人なのかもほとんどわかって
いません。「六歌仙」の一人である父・康秀に比べ、知名度は著しく劣って
います。

勅撰集にも「古今集」に一首、「後撰集」に二首しか入集しておらず、定家に
よって評価されるまで、まったく忘れ去られていた歌人でした。この歌には
定家の好んだとされる言葉が「白・風・秋」と三つも含まれていたからか、
定家は「百人一首」のみならず、「八代抄」、「近代秀歌」、「秀歌体大略」、
「八代集秀逸」などにもこの歌を選び、文屋朝康の名を長く後世に伝えた
のです。

和歌において、「露」を「玉」に見立てるのは、目新しいことではありませんが、
この歌の新鮮さは白露を静的に捉えず、動きの美しさに焦点を当てたところに
ありましょう。

また朝康には、次のような類歌もあります。

「秋の野に置く白露は玉なれやつらぬき掛くる蜘蛛の糸すぢ」(古今集 秋歌上)
(秋の野に置く白露は真珠なのであろうか。通して繋ごうとしている蜘蛛の糸
であることよ)

「雨のしずく」を「白き玉」に見立てたのは「枕草子」における清少納言ですが、
上記の「古今集」の朝康の歌が意識されているような書きぶりです。

「透垣の羅文・軒の上などは、掻いたる蜘蛛の巣の毀れ残りたるに雨の
かかりたるが、白き玉をつらぬきたるやうなるこそ、いみじうあはれに、
をかしけれ」(透垣の羅文・軒の上などには、掻き払った蜘蛛の巣の毀れ
残った部分に雨のかかっているのが、真珠を糸で貫いたように見えて、
とってもしみじみと感じられて面白いわ)(第124段より)


末摘花との初めての逢瀬

2018年9月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第30回・№2)

夕顔を亡くして一年、源氏は故常陸宮邸を訪れ、末摘花と襖を隔てて
対面しました。

わくわくしながら語りかける源氏ですが、全くの無反応です。侍従という
末摘花の若い女房が、姫君に成り代って返歌をした以外は、何を言った
ところで甲斐がありません。とうとうしびれを切らした源氏は襖を開けて
末摘花の居る部屋に入ってしまいました。

最初は、男女の仲をまだ知らない深窓の姫君はこれでも仕方あるまい、
と思っていた源氏でしたが、この期に及んでも少しの手応えも無い末摘花
に対し、さすがに失望してまだ夜が深いうちにお帰りになりました。

充実の時はあっという間に過ぎて行きますが、意に染まぬ時間は長く感じ
られるものです。男がまだ夜も深いうちに早々と引き上げるのは、如何に
その女に失望したか、ということなのですよね。

その日は公務が多忙だったこともありますが、源氏が末摘花に後朝の文
をお書きになったのは夕方になってからでした。男は女の許から帰ったら
即座に後朝の文を贈る、というのが女に対する愛情表現であり、作法でも
あった時代、日が暮れてからというのは言語道断な礼を欠いた行為でした。

ただ、末摘花ご本人は昨夜のことが恥ずかしいと思い続けているだけで、
後朝の文が遅くなろうがなるまいが、何も気にもなさっていないのでした。

「源氏物語」には、周囲のことばかりを気にして自分を追い込んでしまう
女君が多い中、鈍感なことはある意味幸せだなぁ、とも思います。

詳しいことは(№1)の全文訳(5)をご覧頂ければ、と存じます。


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