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三嶋大社「夏越の大祓」

2024年6月30日(日)

今日は、三嶋大社での「夏越の大祓」に行ってまいりました。

昨年までは、三島駅前の「富士山三島東急ホテル」が、開業
記念日の6月30日に、「一泊朝食付6,300円」の特別サービス
を提供していたので、一泊していましたが、さすがにもうその
サービスは終了したようで、今年は日帰りです。

天気予報では、三島辺りは昼頃から雨。姉が三嶋大社に問い
合わせてくれたところ、雨でも実施とのことで、傘を差しての
「夏越の大祓」になることも覚悟の上で、昨年同様友人と共に
新幹線で三島へと向かいました。

12時過ぎに三島駅に着きましたが、雨の気配はありません。
このまま「夏越の大祓」が終わるまで雨が降らないことを願い
ながら、「楽寿園」の中を抜けて、姉と待ち合わせをしていた
お蕎麦屋さんへ。今年は日曜日なので、義兄も一緒です。

お蕎麦屋さんも日曜日だからでしょうか、待っている人が多くて
時間が掛かり、夏季限定の美味しい「天おろしそば」(海老天と
大根おろしの入った冷たい汁そば)だったのに、急いで食べる
ことに夢中で、写真を撮り忘れてしまいました(^_^;)

お蕎麦屋さんから出ても雨は降っていません。「夏越の大祓」は
14:00開始。5分前に三嶋大社に着き、間に合いました。

昨年も大勢の人が参加していましたが、日曜日となった今年は
おそらく3倍位の人出になっていたのではないでしょうか。でも、
集まった人全員に、細かく切った麻と人形(紙製の人形)を紙で
包んだものが配布され、厳かに「大祓式」が始まりました。

        夏越の大祓2024④

        夏越の大祓2024③
     左右左と身体を清め、息を三度吹きかけた
     人形は回収されて櫃に納められます。
      
        夏越の大祓2024②
      それを川に流すため、神官が櫃を担いで
      出て行かれました。重かったと思います。

続いて、「茅の輪神事」。茅の輪も左へ右へ左へ、と3回くぐり
ますが、全員が1回くぐるのに、10分以上時間を要します。
ここで初めて雨がポツポツと降って来ましたが、また止んで、
傘を差すこともなく無事に「茅の輪神事」も終了しました。
         
        夏越の大祓2024①
         延々と続く茅の輪をくぐる行列。
       
その後、人の流れるまま本殿へと向かうと、そこで再度神主様
が、「大祓」の祝詞を上げ、玉串を捧げて下さいました。それに
合わせて「二礼二拍手一礼」をして、本日の「夏越の大祓」は
終了。この半年間の厄や穢れを祓い、気持ちがすっきりとしま
した。

去年も今年も、雨の中での「夏越の大祓」となるはずだったのが、
不思議と雨にならなかったのは、やはり神様がそこにおられる
ような気がいたしました。

神社の境内の茶店で、名物の「福太郎」とかき氷を食べて一服し、
15分ほど歩いて三島駅に戻り、先週の金曜日と同じ16:27発の
「こだま号」に乗りました。自由席でしたが、友人と並んで座れ、
新横浜からの横浜線も座れるという、早速ご利益に与った気分で
帰って来ることができました。


源氏と再会後の末摘花

2024年6月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第47回・通算94回・№2)

今日は一昨日のような堪らない蒸し暑さからは解放され、
比較的過ごし易かったのですが、明日は気温が一段と
下がり、最高気温が25度に届かない雨の一日となる予報
が出ています。その後はまた、梅雨のさなかとは思えない
猛暑の日が続くようで、今週中にエアコンのフィルターの
お掃除などを済ませておかねば、と思っています。

今月の「紫の会」は、会場クラス、オンライン2クラス、揃って
第15帖「蓬生」を読み終えました。

本日は「蓬生」の巻の最後となる、源氏と再会後の末摘花の
様子を伝えている場面をご紹介しておきます。

この3年余りの間、生活が困窮を極めてもそれに耐え、ひたすら
自分を待ち続けていた末摘花の心根に打たれた源氏は、今後
末摘花のことは生涯引き受けると誓い、もしそれを破った時には
「言ひしに違ふ罪も負ふべき」(約束に背いたと罪も負いましょう)
と言います。

廃屋同然だった邸も見違えるようになり、源氏の庇護が復活した
となると、末摘花を見捨てて出て行った女房たちも戻って来て、
末摘花の周辺は俄かに活気づき始めました。

2年程後には、源氏が自邸の二条院の傍に造営した二条東院に
移り、以後はここで平穏な暮らしを送ったのでした。

このあと、末摘花が登場するのは第22帖「玉鬘」、第23帖「初音」、
第34帖「若菜上」ですが、「若菜上」では末摘花自身が登場する
のではなく、源氏の口を通して、「長く病床にある」と語られるだけ
です。

「玉鬘」、「初音」では、この「蓬生」の巻で見せた、嘗ての末摘花
からは考えられない冴えの部分は再び消え失せて、頓珍漢で、
源氏を苦笑させるような姿が描かれることになりますが、末摘花
の純粋無垢な人柄は、一生変わることはありません。「嫉妬心」
などとも無縁で過ごせたのは、ある意味幸せでもあり、他の多く
のヒロインたちとは全く異質な女君として造型されたところに、
逆に存在意義を感じさせられます。

再び源氏の庇護を受けることになってからの末摘花の動静に
つきましては、詳しくは先に書いた「全文訳・蓬生(12)」でご確認
頂ければと存じます(⇒こちらから)。


第15帖「蓬生」の全文訳(12)

2024年6月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第47回・通算94回・№1)

「紫の会」は今日のオンライン木曜クラスで、3クラス共、
第15帖「蓬生」を読み終えました。本日の全文訳は、
その講読箇所(75頁・4行目~82頁・10行目)の最後の
部分で、80頁・1行目~82頁・10行目迄の、源氏と再会
した末摘花のその後が書かれたところです。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


賀茂の祭や御禊などの頃、そのいろいろなご用意にということで、
人々が献上した品々で溢れかえっているのを、源氏の君は然る
べき方々にお与えになります。

中でも、この常陸宮邸には、こまごまとしたことにまで配慮なさって、
腹心の家来たちにお命じになり、下男たちを遣わして蓬を払わせ、
塀が崩れて見苦しいので、板垣というものをしっかりと作って繕わせ
なさいました。

このようにして源氏の君が姫君を捜し出された、と世間の人が聞き
伝えるであろうにつけても、相手が末摘花ではご自分にとって面目
ないことなので、源氏の君が、直接末摘花の許を訪れことはなさい
ませんでした。お手紙をとてもこまやかにお書きになって、二条院の
すぐ近くに邸を造らせておられるので、「あなたをそこにお移しする
つもりです。見苦しくない女童などを、探して仕えさせておいて下さい」
などと、侍女たちのことまで気をつけながら、使者を遣わしなさるので、
こんなにもみすぼらしいあばら屋には恐縮の至りで、女房たちも空を
仰いでは、二条院のほうを向いて、御礼を申し上げるのでした。

源氏の君は、一時のお戯れであっても、並々の平凡な女性には、
目を留め耳をそばだてることもなさらず、世間から少し「これは」と
注目され、心に留まる点のある女性を探し求めなさるものだと、世間
の人も承知していたのに、このように予想外に、何事にも人並みで
さえない世離れしたお人柄の方を、ひとかどのようにお扱いなのは、
一体どのようなお積りだったのでしょうか。これも前世からの因縁
なのでございましょうね。
 
「もう今は」と馬鹿にし切って、あちらこちらに我先にと散り散りに
出て行った女房たちの中には、身分の上下にかかわらず我も我も
帰参しようと争って願い出る者もおりました。主人である末摘花の
お気立ては、これまた、内気なことが度を超えているほどお人好し
なご様子なので、気楽な末摘花へのお仕えに馴れてしまっており、
大したことも無いつまらない受領などといった家に仕えている者は、
これまでに経験したことのない居心地の悪さを経験することもあって、
てきめんに豹変する心が見え見えの状態で、末摘花の許へと立ち
戻ってまいりました。

源氏の君は、昔にも優っているご威勢のほどで、何かにつけての
思い遣りも帰京後は一段と加わりなさったので、こまごまとお指図も
なさるため、常陸宮邸には生気もみなぎって来て、邸内には次第に
人の姿が見え、木や草の葉もただ荒れ果てて寂し気に見えていたのに、
遣水を掻き払い、庭の植え込みの根元もすっきりと下草を刈り取ったり
して、特別な信望もない下家司でどうしてもお仕えしたい者は、源氏の
君がこのように御心に留めて大切になさっているようだ、と見て取って、
源氏の君のご意向を伺いながら、追従して末摘花にお仕えいたして
おりました。

末摘花は二年ほど、この旧邸でぼんやりとお過ごしになって、その後、
源氏の君が、二条東院という所にお移しになりました。こちらにお泊り
になることなどは、なかなかございませんが、二条院に近い敷地内の
こととて、ついでにお渡りになる時には、末摘花のお部屋にもちょっと
お顔を出されたりしながら、さほど軽んじたふうにお扱いなさることは
ありませんでした。

あの叔母の大弐の北の方が、夫の任期が果てて上京して来て、吃驚
仰天した様子や、侍従が、末摘花のご幸運を嬉しく思うものの、もう暫く
自分も一緒にお待ち申し上げなかった浅はかさを恥ずかしく思っている
有様などを、もう少し問わず語りもしたいのだけれど、頭が酷く痛いし、
面倒で、鬱陶しい気分なので、そのうちまた機会がありましたら、その折
に思い出してお話申し上げましょう、と言っておりました。

                              第十五帖「蓬生」(了)


ブロ友さんからの贈り物

2024年6月26日(水)

今年3月に初めてお目にかかり、美味しい苺を頂戴した
ブロ友のやむやむさん(その時のことは⇒こちらから)。

もう1ヶ月ちょっと前になりますが、今度は収穫された苺で
ジャムを作られた記事を載せておられました。大きな苺の
粒がそのままジャムになっていて、美味しそう!!
これを頂戴しようと思う程、図々しくはなかったつもりですが、
「パンに塗って食べたいな」という気持ちが、コメントに見え
見えだったのでしょうか、先日、宅急便で送って下さったの
です。

また、1週間前にはじゃがいも収穫の記事を書いておられた
ので、その時も、「きたあかり」大好きのコメントをしました。
そうしましたら、大きな箱で届いた荷物には、苺とブルベリー
のジャムと一緒に、「きたあかり」と「メークイン」も沢山入って
いました。

春の苺に続いて今度はジャムとじゃがいも。頂戴するばかり
で恐縮ですが、早速美味しくいただいております。

     苺ジャム
     トーストしたパンにたっぷりとジャムを載せて
     「いただきま~す」。苺ジャムの甘酸っぱさが
     口の中に広がります。やむやむさんの手作り
     ジャムはプロ級です(´ー`*)

    北あかり
    電子レンジで6分間蒸かしてバターを載せた
    (バターは溶けちゃってますが)「きたあかり」。
    ホクホクで、じゃがいものコクが詰まった感じ
    の「きたあかり」は、この食べ方が一番好き
    です。バターの代わりにちょっとお塩、或いは
    何も付けなくても美味しいです。毎日食べても
    飽きません。 

     肉じゃが
     「メークイン」のほうは、先ずは肉じゃがで。 
     「きたあかり」は煮崩れし易いのが唯一の
     難点でしょうか。ですから、肉じゃがやカレー
     には、「メークイン」を使わせていただきます。

やむやむさん、いろいろとごちそうさま~有難うございます。


薫の「宮仕へ」と「私心」

2024年6月24日(月) 溝の口「湖月会」(第181回)

梅雨入りして四日目の今日、「梅雨の晴れ間」と言うには
あまりにも暑い一日となりました。間もなく日付が変わる
時刻になっていますが、まだ窓は全開状態です。昨日迄
は、この時間になると風が冷たく感じられ、窓も殆ど閉め
ていたのに、今夜は気温が下がらず、開けていても暑い
です。今からこれでは、この先の猛暑が怖くなります。

「湖月会」も、第2金曜日のクラスと同じ、残り1回で第50帖
「東屋」を読み終えるところまできました。

久々に宇治を訪れた薫は、弁の尼に浮舟との間の仲介役
を依頼します。既に出家の身である弁の尼は、こうした事に
関わるのは気が進まないものの、薫の達ての願いとあって、
引き受けたのでした。

日が暮れてきたので薫は京へと帰ります。木陰の風情ある
花々や紅葉などを折らせて、妻である女二宮へのお土産に
しました。女二宮は、こうしたものを愛でる風流心もお持ちの
方で、薫も持ち帰った甲斐はあるものの「かしこまり置きたる
さまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる」(恭しく奉る
といったふうで、さほど打ち解けて接し申し上げなさる事は
ないようです)といった具合でした。

女二宮は、父・帝からも薫の母・女三宮(帝と女三宮は兄妹)
からも大切にされており、薫も表向きは大切な妻として扱って
います。それは、「宮仕へ」(公的な仕事)のような気持だから
なのです。一方で大君の形代(身代り)としての浮舟に対する
「むつかしき私心」(厄介な私的な気持ち)が加わった、とあり
ます。

薫と女二宮との結婚には、夫婦としての情愛が乏しく、薫は
義務で夫を演じている気がします。そして、いつまでも忘れ
得ぬ大君の形代として求める浮舟への、新たな執着心が
浮かび上がってきて、それを作者は、「宮仕へ」と「私心」と
表現しているのです。分かり易くはありますが、そこに映し
出されるのは、女二宮、浮舟、どちらも不幸な影ばかりで、
哀れな感じがしてなりません。


天女ランチ(特別編)

2024年6月21日(金)

関東甲信もようやく今日、梅雨入りが発表になりました。
平年よりも2週間も遅く、統計開始以降、3番目に遅い
そうです。これからはしばらく鬱陶しい日が続きますね。

そんな梅雨の初日、午前中は大雨となりました。私が
家を出る頃はそれほどでもなかったのですが、新横浜
に着く頃には、雨音が激しく、新幹線の運行状況が
気になりましたが、幸い遅れも無く、予定通りに三島駅
に着きました。

まだかなり強い雨が降っていましたが、三島駅前から
姉に指示されたバスに乗り、二つ目の停留所で降りる
と、姉が待っていてくれました。向かったのは、そこから
すぐの「みしまプラザホテル」内の「割烹・菱屋」。

この「割烹・菱屋」につきましては、2021年10月13日の
記事で詳しく紹介しております(⇒こちらから)。

表題に「天女ランチ」と書きましたが、これは姉の学生
時代からの友人で、拙ブログにも時折コメントを寄せて
下さる方が名付け親(?)で、姉の名前に因み、「姉の
奢りのランチ」という意味です。

三島へ行けば、殆ど「天女ランチ」をご馳走になって
いますが、今日は、私が自分では絶対に行けない、
特別豪華なお食事でした。姉曰く、私の大好きな
「桜海老のかき揚げ」が、料亭の味で提供されており、
ぜひ私にも食べさせてやりたいと思い、ちょうど後期
高齢者の仲間入りした記念に声をかけてくれたとの
こと。後期高齢者になるのも悪くはありませんね(´∀`*)ウフフ

前菜、吸物、造り、鉢物、焼物、鍋物、揚物、食事、
水菓子まで、さすが「天女ランチ(特別編)」だけのこと
はありました。厳選された食材のみが使われている
のでしょうね。中でも今日の代表料理(主観的にでは
ありますが)と言うべき写真をUPしておきます。

   ひしや④
  最近は魚の生臭さが気になり、あまり家では
  お刺身を食べなくなっているのですが、この
  金目鯛と鮪は、その生臭さが全くなく、お魚の
  旨味のみで抜群の美味しさでした。

   ひしや③
  お酒を飲まない私たち。この絶品の兜煮には
  炊き立ての白いご飯が欲しくなりました(笑)

ひしや②
  左が今日のお目当ての「桜海老のかき揚げ」。
  桜海老のひげもすべて下処理されており、
  口に入れるとサクッと、広がる桜海老の香り
  ・・・う~ん、大好きです。
  右はお店の名物「鯛ちらし寿司」。ここで食事
  をする時には外せない一品です。これも献立
  の中に入っていて良かった!

食事が終わる頃には雨もすっかり止んで薄日が差して
きました。この先、6月30日にも三嶋大社の「夏越の大祓」
に行く予定をしているのですが、今年は日曜日になるので、
歯科は休業日。それで、今日歯のメンテナンスも受けて、
一年で一番日の長い夏至の夕方を、雨傘を日傘代わり
に差して三島駅へと向かい、再び新幹線に乗って帰って
きました。
  

浮舟の出家

2024年6月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第255回)

昨日は「大雨警報」まで出され、もし講読会があったなら、
中止にせざるを得なかったのではないかと思われますが、
今日は日傘無しでは外を歩くことが出来ないような、また
真夏日となりました。どんなに暑くても、例会日が昨日で
なくて良かったです。

完読へのカウントダウンも始まっているこのクラスですが、
今回は、ついに浮舟が出家した場面から読み始めました。

妹尼たちが初瀬詣に出掛けて不在な中、女一宮の御修法
の為下山して来た横川の僧都に、浮舟は出家させて欲しい
と懇願します。初めは思いとどまらせようとしていた僧都も、
泣きながら訴える浮舟に、このように若く美しいのに我が身を
厭うには深い訳があり、此の儘だとまた悪霊に憑りつかれる
やもしれぬ、と考え、浮舟の願いを叶えたのでした。

直後、浮舟は「うれしくもしつるかなと、これのみぞ生けるしるし
ありておぼえたまひける」(嬉しくも出家を成し遂げたことだ、と
これだけが生きている甲斐があったという気がなさるのだった)
とあり、満足感に浸っています。でもそれは、浮舟が出家さえ
してしまえば、全ての煩わしさから解放される、と思い込んで
の出家であったこと、つまり、浮舟にとっては、出家そのものが
到達点であり、その後の展望が何もなかったことを意味している
のではないでしょうか。

現に、その翌日、浮舟は手習(歌のすさび書き)をして、
「なきものに身をも人をも思ひつつ捨ててし世をぞさらに捨てつる」
(もうないものと思って、我が身のことも人のことも捨ててしまった
この世を、また改めて捨ててしまったことだ)
「限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな」
(もうお終いだと思ってしまった世の中を、重ね重ね捨てて尼と
なったことよ)
と、殆ど同じ意味合いの歌を続けて詠んでいます。

相談相手もいない浮舟が、手習によって自分の気持ちを整理
しようとしているのがわかります。そしてこの場面での最後の
手習の歌は、
「心こそ憂き世の岸を離るれど行方も知らぬあまの浮木を」
(心だけはこの憂き世の岸を離れているけれど、この先どうなる
のかもわからない水に漂う木のような身を)
とあり、彼岸を目指しながらも、やはり此岸で惑いつつたゆたう
浮き木のままである不安が示されており、浮舟が出家によって
救われた、とは言い切れないものを感じさせます。


源氏と末摘花の再会

2024年6月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第47回・通算94回・№2)

関東ではまだ梅雨入りしていませんが、これから明日に
掛けて大雨になるとのこと。最高気温も今日より10度近く
低くなるようで、こうした時には、より体調管理に気をつけ
なければなりませんね。

このクラスも今回で第15帖「蓬生」を読み終えました。

源氏は、京へ戻ってからも、末摘花のことは忘れていました
が、花散里の許を訪れる途中で、末摘花の住む邸の前を
通り掛かって思い出し、見る影もなく荒れ果てた邸で、末摘花
が、ひたすら自分を信じて待ち続けていることを知って心を打
たれ、寝殿の中へと入って行ったのでした。

源氏が歌を詠みかけます。
「藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ」
(松に掛かる藤の花を通り過ぎ難く思ったのは、松に見覚えが
あったからでした)→ここでの「松」は、「待つ」(末摘花が変わら
ず待っていたこと)を掛けています。

これまでは口が重く、源氏が歌を詠みかけても「むむ」と、含み
笑いをする有様で、「末摘花」の巻の最後に登場した場面で、
「せめて今年は声を聞かせて欲しい」と言う源氏に、「さへづる
春は」と、声を震わせながら返すのが精いっぱいだった末摘花
です。それがここでは、
「年を経て待つしるしなきわが宿を花のたよりに過ぎぬばかりか」
(長の年月、ひたすらお待ちする甲斐もなかった私の家を、ただ
藤の花を愛でるついでに通り過ぎなさっただけなのでしょうか)
と、すぐに返歌をしています。

しかも、男からの歌に対する常套手段である「拗ねてみせる」
ことにも適った歌になっています。苦労を重ねてきた末摘花の
成長の証でもありましょうが、末摘花がいつになく冴えている
一因として、昼寝の夢に現れた亡き父宮のお導きも作用して
いると考えてもよさそうです。

こうして源氏との再会を果たした末摘花は、その後ずっと源氏
の庇護下で生活を送るようになり、それは生涯続いたと思われ
ます。

本日の源氏と末摘花の再会の場面につきましては、詳しくは
先に書いた全文訳の「蓬生」(11)でお読みいただければ、と
存じます(⇒こちらから)。


第15帖「蓬生」の全文訳(11)

2024年6月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第47回・通算94回・№1)

「紫の会」は、会場クラスに続いて、オンラインの月曜クラスも
今日で第15帖「蓬生」を読み終えました。本日の全文訳は、
その講読箇所(75頁・4行目~82頁・10行目)の2回目ですが、
76頁・12行目~79頁・14行目迄の、源氏と末摘花が再会する
場面となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


末摘花は、いくら何でもきっと思い出していただけるであろうと、じっと
待ち暮らしておられたその期待通りになって、嬉しいけれど、とても
恥ずかしいみすぼらしい限りのご様子で源氏の君と対面するのも、
ひどく気が引ける思いがなさっていました。

大弐の北の方が差し上げて置いて行かれたお召し物なども、不愉快
に思われた方に関わる物なので、見向きもなさらなかったのを、この
老女房たちが、香唐櫃に入れておいたのですが、とても慕わしい香り
がするのをお出し申したので、背に腹は代えられず、お着換えになって、
あの煤けた几帳を引き寄せておいでになります。

源氏の君はお部屋にお入りになって、「長年ご無沙汰いたしましたが、
心だけは変わらずご案じ申しておりましたのに、あなたが私が思って
いるほどにお便りを寄越して下さることもなく、それが恨めしくて、今迄
あなたのお気持ちを試していたのですが、杉ではありませんが、こちら
のお邸の木立がはっきりと目にとまったので、通り過ぎることが出来ず、
あなたとの根比べに負けてしまいました」と言って、几帳の帷子を少し
払いのけなさると、例によって、末摘花はたいそう恥ずかしそうにして、
すぐにもお返事をなさいません。こうまでして、源氏の君がこのような
蓬が生い茂った所を掻き分けてお尋ね下さったお志が並々でないのに、
末摘花は心を奮い起こして、僅かにお返事を口に出して申し上げなさる
のでした。

「このような草深いお邸でお過ごしになって来られた長い年月がおいた
わしく思われることは通り一遍ではなく、また私自身、いつまでも心変わ
りはしない男なので、あなたのお気持ちもしかと確かめられないまま、
露に濡れながらわざわざお訪ねしたことを如何お思いでしょうか。長の
ご無沙汰は、これは誰に対しても同じことだとお許しいただけるでしょう。
もし今後、あなたのお心に叶わぬことがありましたならば、約束を違えた
という罪も負いましょう」などと、それほどにまで思っておられないことも、
いかにも情深げにおっしゃることがあれこれとあるようでございました。

ここにお泊りになろうにも、お邸の様子をはじめ、何もかもが目も当て
られないご様子なので、もっともらしく口実をおつけになって、出て行こ
うとなさいます。自分が植えたのではないけれど、松の木が高くなって
しまった年月の程もしみじみと思い起こされ、夢のような浮き沈みを
体験したご自身のことも源氏の君は思い続けておられました。

「藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ(松に
掛かる藤の花を通り過ぎ難く思ったのは、松に見覚えがあったから
でした)数えてみますと、この上なく年月が経ったようですね。都では
変わってしまったことが多くて、あれこれと感慨深いものがあります。
そのうちに、ゆっくりと田舎住まいに落ちぶれた身の上話もみな申し
上げましょう。これ迄過ごして来られた折節ごとのお暮らしのご苦労
なども、私の外には誰に訴えることがお出来になろうかと、何の疑い
もなく思われますのも、考えてみればおかしなことです」
などと、源氏の君がおっしゃると、末摘花は、
「年を経て待つしるしなきわが宿を花のたよりに過ぎぬばかりか」
(長の年月、ひたすらお待ちする甲斐もなかった私の家を、ただ藤の
花を愛でるついでに通り過ぎなさっただけなのでしょうか)
と、ひそやかに身じろぎなさる気配も、袖の香りも、昔よりは落ち着い
て大人の女性になられたのではないかと、源氏の君はお思いでした。

月が沈む頃になって、西の妻戸の開いている所から、影になるような
渡殿めいた建物も無く、軒の端も朽ち果ててしまっているので、月光
がたいそうはなやかに差し込んでおり、そこかしこが照らし出されて
見えて、昔と変わらない室内のお道具類の有様などが、忍草が生い
茂って見る影もない外観よりは、風雅な趣を呈しているので、昔物語
に、塔を壊した女人もいるのを思い合わされるにつけ、その物語の
女と同じような状態で、年を経てきたことも、しみじみとした感慨が
湧いて来るのでした。

一途に恥じらっている末摘花の様子が、さすがに気品があるのも、
奥ゆかしく感じられて、そういう美点を持った人として、忘れずに
お世話をしようとおいたわしく思っていながら、この何年か様々な
苦悩にうっかりして訪れることがなかった間、薄情者だと思われて
しまっていたであろうと、末摘花をお気の毒にお思いになっていま
した。あの花散里も、あざやかに当世風などには華やがれることの
ない所なので、どちらを見ても大差は無く、末摘花の欠点も多くは
隠れてしまっておりました。


恋の手順を踏まない薫

2024年6月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第181回)

関東甲信はまだ梅雨に入っていません。でも今日は梅雨が
明けたような一日でした。「猛暑日」となった所もあり、この
辺りでも、最高気温は30度超えの「真夏日」。今夏の暑さが
思い遣られます。

第50帖「東屋」を読んでいる溝の口のクラスは、来月で「東屋」
を読了の予定です。

今日は舞台が久々に宇治となったところから読み始めました。

八の宮邸の寝殿を解体して、宇治の山寺に御堂として移築した
のが完成したと聞き、薫は自ら宇治に赴きました。

弁の尼の許に立ち寄った薫は、浮舟が二条院に滞在している
と知っても、やはり自分から言い寄ることは躊躇われるので、
弁の尼から伝えて欲しい、と依頼します。

弁の尼は、ちょうど浮舟の母・中将の君から、便りを受け取って
おり、浮舟が三条の小家に居ることを薫に伝えました。すると、
薫は弁の尼に三条の小家に出向いて、浮舟を説得してもらえ
ないか、と言います。もう宇治から一歩も出るつもりはなく、
中の君のいる二条院を訪れたこともない弁の尼は渋りますが、
薫は「例ならずしひて」(いつになく無理強いして)、明後日迎え
の牛車を差し向ける約束を取り付けたのでした。

弁の尼は、仕方なく引き受けたものの、出家した身の自分が
仲人面してしゃしゃり出るのは気が引けるので、予め薫から
浮舟に手紙を贈っておいて欲しい、と言いますが、薫は承知
しません。世間の口はうるさいから、「右大将は、常陸の守の
娘をなむよばふなる」(右大将〈薫〉は、常陸介の娘に言い寄っ
ているそうな)などと取沙汰するだろうよ、と体面上困る理屈を
つけています。

当時は、求愛する場合、先ずは男性から女性に歌を贈るところ
から始まるのが通常の手順でしたが、薫はそれをしようとして
いません。右大将ともあろう者が、受領の娘に懸想しているなど
と噂されては困る、という、身分差別の意識によるもので、大君と
の間には多くの贈答歌を交わした薫が、身分の低い(同じ八の宮
の娘であっても、浮舟は八の宮が認知しなかったので、継父の
身分〈受領階級〉としか扱ってもらえない)浮舟は、単なる大君の
形代(身代わり)に過ぎず、まともな恋の相手とは思っていなかっ
たのでありましょう。

二条院では近づき難いが、三条の小家なら薫の自邸(三条の宮)
からも近く、人に知られず事を運び易いと考えたからこそ、薫に
しては珍しいほど積極的になったのだと思われます。

薫が浮舟に求めているものが、如実に語られている場面です。

この後、弁の尼が三条の小家を訪れているところへ、薫もやって
来るのですが、そこはまた別のクラスで読んだ時にご紹介したい
と思います。


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