玉鬘は誰の手に?
2015年8月24日(月) 溝の口「湖月会」(第86回)
あの猛暑、猛暑、と言っていたのが嘘のような一日となりました。
窓からは虫の音が聞こえています。夏も終わるのですね。
今日のクラスは第2金曜日と足並みを揃えて進みますので、
同じように第30帖「藤袴」の巻を読み終え、次の「真木柱」の
予告編までをいたしました。
「藤袴」も後半になると、いよいよ玉鬘のプロポーズ合戦が
大詰めに近づいたなあ、とわかってきます。
源氏は、8月に大宮の喪が明けた玉鬘を、10月から宮中に
尚侍として出仕させ、その後密かに彼女を手中に収めようと
たくらんでいます。
9月は結婚を忌む月ですが、髭黒大将は、柏木が部下ということ
もあって、玉鬘の実父の内大臣家ルートで情報を集め、弁のおもと
という女房を手なづけて、この9月をラストチャンスと考え、猛アタックを
かけて来ています。
「数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき」
(普通の人なら嫌がりもしましょうが、この九月にあなたを得たいと
命をかけている私は何と儚い身の上なのか)
今で言うなら、「普通は結婚に仏滅を避けるけど、私はあなたを手に
入れるためなら、そんなことは気にはしていられない」といったところ
でしょうか。
もちろん、玉鬘は無視しています。
源氏の弟の蛍兵部卿宮からは、
「朝日さす光を見ても玉笹の葉分の露を消たずもあらなむ」
(たとえ帝のご寵愛をお受けになるようなことになっても、笹の葉に
置く露のように儚い私を忘れないでほしいものです)
と、半ばあきらめムードの品の良いお便りが届きました。
他にも玉鬘が出仕してしまうことを恨む未練がましいお手紙が
後を絶ちません。そんな中で、玉鬘はただ一人、蛍兵部卿宮に
だけ、お返事を書いたのでした。
「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ」
(みづから進んで光に向かう葵でさえ、朝の霜を自分で消したりは
しません。ましてや、私は進んで出仕するわけでもないのですから
あなたを忘れたりするわけはありません)
宮の思いを受け止めた返歌になっていますね。
さて、玉鬘の運命や如何に?
源氏の思い通りになるのかしら、それとも宮中に出仕して帝の寵愛を
受けるのかしら、はたまた蛍兵部卿宮と結ばれるのかしら、いや、
意外にも髭黒かもね…と、当時の読者はここで幕を下ろす「藤袴」の
続きを、皆で噂しながら、どんなに待ち遠しく読みたいと思っていたか、
想像するに難くないですね。
来月は、その結末を知るところからになります(相変わらずおしゃべりな
私は、もうしっかり予告編上映済み…)。
あの猛暑、猛暑、と言っていたのが嘘のような一日となりました。
窓からは虫の音が聞こえています。夏も終わるのですね。
今日のクラスは第2金曜日と足並みを揃えて進みますので、
同じように第30帖「藤袴」の巻を読み終え、次の「真木柱」の
予告編までをいたしました。
「藤袴」も後半になると、いよいよ玉鬘のプロポーズ合戦が
大詰めに近づいたなあ、とわかってきます。
源氏は、8月に大宮の喪が明けた玉鬘を、10月から宮中に
尚侍として出仕させ、その後密かに彼女を手中に収めようと
たくらんでいます。
9月は結婚を忌む月ですが、髭黒大将は、柏木が部下ということ
もあって、玉鬘の実父の内大臣家ルートで情報を集め、弁のおもと
という女房を手なづけて、この9月をラストチャンスと考え、猛アタックを
かけて来ています。
「数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき」
(普通の人なら嫌がりもしましょうが、この九月にあなたを得たいと
命をかけている私は何と儚い身の上なのか)
今で言うなら、「普通は結婚に仏滅を避けるけど、私はあなたを手に
入れるためなら、そんなことは気にはしていられない」といったところ
でしょうか。
もちろん、玉鬘は無視しています。
源氏の弟の蛍兵部卿宮からは、
「朝日さす光を見ても玉笹の葉分の露を消たずもあらなむ」
(たとえ帝のご寵愛をお受けになるようなことになっても、笹の葉に
置く露のように儚い私を忘れないでほしいものです)
と、半ばあきらめムードの品の良いお便りが届きました。
他にも玉鬘が出仕してしまうことを恨む未練がましいお手紙が
後を絶ちません。そんな中で、玉鬘はただ一人、蛍兵部卿宮に
だけ、お返事を書いたのでした。
「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ」
(みづから進んで光に向かう葵でさえ、朝の霜を自分で消したりは
しません。ましてや、私は進んで出仕するわけでもないのですから
あなたを忘れたりするわけはありません)
宮の思いを受け止めた返歌になっていますね。
さて、玉鬘の運命や如何に?
源氏の思い通りになるのかしら、それとも宮中に出仕して帝の寵愛を
受けるのかしら、はたまた蛍兵部卿宮と結ばれるのかしら、いや、
意外にも髭黒かもね…と、当時の読者はここで幕を下ろす「藤袴」の
続きを、皆で噂しながら、どんなに待ち遠しく読みたいと思っていたか、
想像するに難くないですね。
来月は、その結末を知るところからになります(相変わらずおしゃべりな
私は、もうしっかり予告編上映済み…)。
視線に注目!!
2015年8月21日(金) 溝の口「伊勢物語」(第2回)
いやぁ~もう、往きに乗った電車が人身事故を起こして大変でした。
これで二度目ですが、乗ってしまっているので、指示があるまで
身動きがとれません。
結局、スタートが1時間近く遅れ、申し訳なかったのですが、終わりも
40分余り延長させて頂いて、何とか第4段~第9段までを読みました。
第6段の「芥川」を描いた「宗達伊勢物語図色紙」の絵は、「伊勢絵」の
中でも名品として知られていますが、先ず、この二つの絵をご覧ください。
①「嵯峨本・伊勢物語」挿絵
②「伊勢物語図屏風」(出光美術館蔵)
これは、男(業平)が、ずっと求婚してきた女(二条后・高子)を
やっとのことで盗み出して駆け落ち未遂事件を起こした段です。
途中「芥川」のほとりまで来た時に、草の上に置いた露を見て
女が「あれは何?」と、尋ねました。深窓のお姫様は草の上の
露など見たことがなく、「白玉」(真珠)かと思って訊いたのですが、
男は追っ手も気になるし、辺りは暗くなって雷まで鳴ってきたので、
答える余裕もなく先を急ぎます。あばら家で一夜を過ごすうち、
女は鬼に食われてしまい、男は地団太を踏んで悔しがりながら、
「白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを」
(あれは真珠?何なの?とあの人が尋ねた時、「あれは露だよ」と
答えて、私もそのまま露のように消えてしまったらよかったのに)
と、歌を詠んだのでした。
男女の視線の先に注目してください。①も②も、同じ方向、すなわち
草の上に置く露を見ていますね。
次に③「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。
男女が互いを見つめ合っています。その部分を拡大しますと、
恋の逃避行の途中、二人の見つめ合ったこの一瞬だけが永遠に
存在するかのようで、見る者を物語の世界に引き込んで行きます。
これはやはり名品だと思われませんか?
いやぁ~もう、往きに乗った電車が人身事故を起こして大変でした。
これで二度目ですが、乗ってしまっているので、指示があるまで
身動きがとれません。
結局、スタートが1時間近く遅れ、申し訳なかったのですが、終わりも
40分余り延長させて頂いて、何とか第4段~第9段までを読みました。
第6段の「芥川」を描いた「宗達伊勢物語図色紙」の絵は、「伊勢絵」の
中でも名品として知られていますが、先ず、この二つの絵をご覧ください。
①「嵯峨本・伊勢物語」挿絵
②「伊勢物語図屏風」(出光美術館蔵)
これは、男(業平)が、ずっと求婚してきた女(二条后・高子)を
やっとのことで盗み出して駆け落ち未遂事件を起こした段です。
途中「芥川」のほとりまで来た時に、草の上に置いた露を見て
女が「あれは何?」と、尋ねました。深窓のお姫様は草の上の
露など見たことがなく、「白玉」(真珠)かと思って訊いたのですが、
男は追っ手も気になるし、辺りは暗くなって雷まで鳴ってきたので、
答える余裕もなく先を急ぎます。あばら家で一夜を過ごすうち、
女は鬼に食われてしまい、男は地団太を踏んで悔しがりながら、
「白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを」
(あれは真珠?何なの?とあの人が尋ねた時、「あれは露だよ」と
答えて、私もそのまま露のように消えてしまったらよかったのに)
と、歌を詠んだのでした。
男女の視線の先に注目してください。①も②も、同じ方向、すなわち
草の上に置く露を見ていますね。
次に③「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。
男女が互いを見つめ合っています。その部分を拡大しますと、
恋の逃避行の途中、二人の見つめ合ったこの一瞬だけが永遠に
存在するかのようで、見る者を物語の世界に引き込んで行きます。
これはやはり名品だと思われませんか?
平安時代の筍
2015年8月19日(水) 湘南台クラス(第168回)
今日も日中は厳しい残暑でしたが、間もなく日付が変わろうかという
今は、さすがに、窓から吹き込んでくる風に秋が感じられます。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
(古今集 藤原敏行)
この季節になると思い浮かぶ歌ですね。
湘南台クラスは第37帖「横笛」に入って2回目。柏木の一周忌も
終わり、満一歳を過ぎた薫(女三宮と柏木の間に生まれた不義の子)
の可愛らしい姿は、源氏に「憂き節」(いまわしい女三宮と柏木の密通)
をも忘れさせてしまいそうなほどです。
女三宮の父・朱雀院から届けられた筍を前に、薫は歯が生え始めて
むず痒いのか、手あたり次第筍を手に握って、よだれをたらたらと
流しながら齧っています。罍子〈らいし〉と呼ばれる器に盛られた筍を
もてあそぶ薫の姿が絵にも描かれています。
この絵を見てもおわかりのように、当時の筍は今の筍とは
違う品種だったようです。「週刊朝日百科・源氏物語」の解説
には「平安時代の筍は、イネ科のササ属のネマガリダケや
クマザサの新芽のことで、幼児でもしゃぶれるような大きさ
だった。」とあり、下記の写真が掲載されています。
現在、私たちが食している「孟宗竹」が、京都に入って一般的に
なったのは、江戸時代の中期以降ではないか、ということです。
先の絵は、室町時代の土佐派の絵師「土佐光信」が描いたもの
なので、まだ「筍」は「源氏物語」の時代と同じものだったのでしょう。
おそらく茹でて、塩や醤(〈ひしお〉味噌や醤油の原型となった
発酵調味料)を付けて食べたのではないかと思われますが、
今の美味しい筍料理に比べると、あまり食欲は湧きませんね。
今日も日中は厳しい残暑でしたが、間もなく日付が変わろうかという
今は、さすがに、窓から吹き込んでくる風に秋が感じられます。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
(古今集 藤原敏行)
この季節になると思い浮かぶ歌ですね。
湘南台クラスは第37帖「横笛」に入って2回目。柏木の一周忌も
終わり、満一歳を過ぎた薫(女三宮と柏木の間に生まれた不義の子)
の可愛らしい姿は、源氏に「憂き節」(いまわしい女三宮と柏木の密通)
をも忘れさせてしまいそうなほどです。
女三宮の父・朱雀院から届けられた筍を前に、薫は歯が生え始めて
むず痒いのか、手あたり次第筍を手に握って、よだれをたらたらと
流しながら齧っています。罍子〈らいし〉と呼ばれる器に盛られた筍を
もてあそぶ薫の姿が絵にも描かれています。
この絵を見てもおわかりのように、当時の筍は今の筍とは
違う品種だったようです。「週刊朝日百科・源氏物語」の解説
には「平安時代の筍は、イネ科のササ属のネマガリダケや
クマザサの新芽のことで、幼児でもしゃぶれるような大きさ
だった。」とあり、下記の写真が掲載されています。
現在、私たちが食している「孟宗竹」が、京都に入って一般的に
なったのは、江戸時代の中期以降ではないか、ということです。
先の絵は、室町時代の土佐派の絵師「土佐光信」が描いたもの
なので、まだ「筍」は「源氏物語」の時代と同じものだったのでしょう。
おそらく茹でて、塩や醤(〈ひしお〉味噌や醤油の原型となった
発酵調味料)を付けて食べたのではないかと思われますが、
今の美味しい筍料理に比べると、あまり食欲は湧きませんね。
息子の鋭いツッコミ!
2015年8月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第86回)
朝晩はさすがに違ってきたなぁ、と感じますが、日中の猛暑は
まだまだ衰えを知りません。今日も暑い中での例会となりました。
溝の口のクラスは今月で第30帖「藤袴」を読了、若干残った時間で
次の「真木柱」の予告編のようなものをいたしました。
前回は、夕霧が、姉ではないとわかった玉鬘に、言わずもがなの
恋心を打ち明けて、バツの悪い思いをしながら帰って行ったところ
までを読みました。
今回はその続きで、夕霧が源氏に玉鬘の様子を報告に来たところ
からです。
夕霧は父・源氏が、なぜ玉鬘の宮仕えにそこまで熱心なのか、疑念を
抱いています。
玉鬘が帝のもとに尚侍〈ないしのかみ〉として出仕すれば、帝の寵愛を
受ける可能性は極めて高く、そうなれば、同じ源氏を養父とする立場の
秋好中宮や、実の妹にあたる弘徽殿女御と、互いにとても嫌な思いを
するのは目に見えています。しかも、どんなに寵愛が深くても、玉鬘が
この二人と肩を並べることなど、土台無理な話です。
玉鬘が出仕して帝の寵に与れば、熱心に求婚しておられる蛍兵部卿宮
だって不快に思われるだろうし、それで仲の良い兄弟(源氏と蛍兵部の宮)
の間にヒビが入る可能性も考えられましょう、と、夕霧はまことに理に適った
意見を述べます。
何とか上手くかわそうとする源氏を、夕霧はさらに追及します。
「内大臣(玉鬘の実父)が、『六条院には長年連れ添ったご夫人方が
いらっしゃるので、玉鬘をその方々とは同列に扱えずに困って、半ば
捨てるような気持ちで私に譲ることにして、それから通り一遍の
宮仕えをさせる形で自分のものにしてしまおう、とは、利口な手を
考え付かれたものだ。』と、おっしゃっている」と、夕霧は告げたのです。
「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな」(内大臣は随分
ひねくれたふうにお取りになったものだねぇ)と源氏は笑ってごまかす
ものの、内心では「げに宮仕への筋にて、けざやかなるまじくまぎれたる
おぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかなと、むくつけくおぼさる。」
(本当に、宮仕えということにして、玉鬘への自分の恋情を周囲には
気づかれぬようにごまかして来たつもりだったのに、よくも内大臣は
見抜かれたものだ、と気味悪いほどにお思いになった。)のでした。
十代の頃から共に過ごした内大臣は源氏の性癖はよくご存じで、
玉鬘ほどの女を、源氏が父親の役割だけで満足するはずはない、
と、ちゃんとわかっていたのです。
それにしても、まだ16歳の夕霧が、父親をやり込めるほどにまで
成長していることに、源氏も読者も驚かされます。
恋にはぶきっちょなところしか見せられない夕霧ですが、将来、
有能な官吏となる片鱗が窺えた、「藤袴」の巻でもありました。
朝晩はさすがに違ってきたなぁ、と感じますが、日中の猛暑は
まだまだ衰えを知りません。今日も暑い中での例会となりました。
溝の口のクラスは今月で第30帖「藤袴」を読了、若干残った時間で
次の「真木柱」の予告編のようなものをいたしました。
前回は、夕霧が、姉ではないとわかった玉鬘に、言わずもがなの
恋心を打ち明けて、バツの悪い思いをしながら帰って行ったところ
までを読みました。
今回はその続きで、夕霧が源氏に玉鬘の様子を報告に来たところ
からです。
夕霧は父・源氏が、なぜ玉鬘の宮仕えにそこまで熱心なのか、疑念を
抱いています。
玉鬘が帝のもとに尚侍〈ないしのかみ〉として出仕すれば、帝の寵愛を
受ける可能性は極めて高く、そうなれば、同じ源氏を養父とする立場の
秋好中宮や、実の妹にあたる弘徽殿女御と、互いにとても嫌な思いを
するのは目に見えています。しかも、どんなに寵愛が深くても、玉鬘が
この二人と肩を並べることなど、土台無理な話です。
玉鬘が出仕して帝の寵に与れば、熱心に求婚しておられる蛍兵部卿宮
だって不快に思われるだろうし、それで仲の良い兄弟(源氏と蛍兵部の宮)
の間にヒビが入る可能性も考えられましょう、と、夕霧はまことに理に適った
意見を述べます。
何とか上手くかわそうとする源氏を、夕霧はさらに追及します。
「内大臣(玉鬘の実父)が、『六条院には長年連れ添ったご夫人方が
いらっしゃるので、玉鬘をその方々とは同列に扱えずに困って、半ば
捨てるような気持ちで私に譲ることにして、それから通り一遍の
宮仕えをさせる形で自分のものにしてしまおう、とは、利口な手を
考え付かれたものだ。』と、おっしゃっている」と、夕霧は告げたのです。
「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな」(内大臣は随分
ひねくれたふうにお取りになったものだねぇ)と源氏は笑ってごまかす
ものの、内心では「げに宮仕への筋にて、けざやかなるまじくまぎれたる
おぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかなと、むくつけくおぼさる。」
(本当に、宮仕えということにして、玉鬘への自分の恋情を周囲には
気づかれぬようにごまかして来たつもりだったのに、よくも内大臣は
見抜かれたものだ、と気味悪いほどにお思いになった。)のでした。
十代の頃から共に過ごした内大臣は源氏の性癖はよくご存じで、
玉鬘ほどの女を、源氏が父親の役割だけで満足するはずはない、
と、ちゃんとわかっていたのです。
それにしても、まだ16歳の夕霧が、父親をやり込めるほどにまで
成長していることに、源氏も読者も驚かされます。
恋にはぶきっちょなところしか見せられない夕霧ですが、将来、
有能な官吏となる片鱗が窺えた、「藤袴」の巻でもありました。
今日の一首(9)
2015年8月12日(水) 湘南台「百人一首」(第11回)
立秋を過ぎてなお、今日も猛暑の一日でした。
今回は37番から40番までを取り上げるところでしたが、40番と
41番は「天徳四年内裏歌合」において、名勝負を繰り広げたことで
有名な歌ですから、切り離してしまうわけには行かず、40番を来月に
廻して、代わりに43番の歌を今日に持って来ました。
43番は中納言敦忠の歌ですが、これからご紹介する38番の歌を
右近が贈ったお相手なので、セットにさせて頂きました。
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
(三十八番 右近)
(あなたに忘れられてしまった私はどうなったって構わないの。
それよりも、「君のことは決して忘れることはないよ」と、神仏に
かけて誓ったあなたに天罰が下るのではないかと、それが
心配でならないわ。)
藤原敦忠は、名門の御曹司(左大臣・時平の三男)、歌は上手いし、
琵琶も上手、おまけにめっぽうイケメンとあって、女にモテる条件を
すべて兼ね備えていました。
芸術家肌の敦忠が、才気溢れる右近のような宮廷女房に、
いっとき熱を上げたのもわかりますが、それは醒めてしまえば
「誓い」も忘れてしまうほどのものでしかありませんでした。
権門の貴公子と、宮廷女房との恋は日常的なものだったようで、
男が言葉通りに女を愛し抜くのは稀なことでした。大抵は結婚には
至らない、言うなれば、男にとっては軽い「恋のアバンチュール」に
過ぎないものだったのです。道隆は「忘れじ」と誓った通り、女官だった
高階貴子(儀同三司母・54番)を正妻に据えましたが、彼女とて、
恋の初めには、いつまで続くか不安で仕方なく、それが54番のような
歌を詠ませたのでしょう。
「忘れじのゆく末まではかたければ今日を限りの命ともがな」
(あなたは、決して忘れることはない、とおっしゃるけれど、
将来までずっと続くのは難しいことなので、それならいっそ、
こうして愛されて幸せの絶頂にいる今日、死んでしまいたい。)
さて、この敦忠ですが、父時平が道真を失脚させた首謀者で、
その祟りが世間でも取沙汰されており、「われは命短き族なり。
かならず死なんず」(私は短命な一族のものだ。だから必ず
早死にをする)と言っていた、と「大鏡」に記されています。
実際、三十八歳という若さで世を去りました。
果たしてこれは道真の祟りだったのでしょうか、それとも右近との
愛の誓いを破ったために天罰が下ったのでしょうか。
右近の歌も、うわべはしおらしく感じられますが、どうも本音は、
「あなたなんか、天罰が下ればいいのよ!」と、言っているような
気がするんですよね。
立秋を過ぎてなお、今日も猛暑の一日でした。
今回は37番から40番までを取り上げるところでしたが、40番と
41番は「天徳四年内裏歌合」において、名勝負を繰り広げたことで
有名な歌ですから、切り離してしまうわけには行かず、40番を来月に
廻して、代わりに43番の歌を今日に持って来ました。
43番は中納言敦忠の歌ですが、これからご紹介する38番の歌を
右近が贈ったお相手なので、セットにさせて頂きました。
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
(三十八番 右近)
(あなたに忘れられてしまった私はどうなったって構わないの。
それよりも、「君のことは決して忘れることはないよ」と、神仏に
かけて誓ったあなたに天罰が下るのではないかと、それが
心配でならないわ。)
藤原敦忠は、名門の御曹司(左大臣・時平の三男)、歌は上手いし、
琵琶も上手、おまけにめっぽうイケメンとあって、女にモテる条件を
すべて兼ね備えていました。
芸術家肌の敦忠が、才気溢れる右近のような宮廷女房に、
いっとき熱を上げたのもわかりますが、それは醒めてしまえば
「誓い」も忘れてしまうほどのものでしかありませんでした。
権門の貴公子と、宮廷女房との恋は日常的なものだったようで、
男が言葉通りに女を愛し抜くのは稀なことでした。大抵は結婚には
至らない、言うなれば、男にとっては軽い「恋のアバンチュール」に
過ぎないものだったのです。道隆は「忘れじ」と誓った通り、女官だった
高階貴子(儀同三司母・54番)を正妻に据えましたが、彼女とて、
恋の初めには、いつまで続くか不安で仕方なく、それが54番のような
歌を詠ませたのでしょう。
「忘れじのゆく末まではかたければ今日を限りの命ともがな」
(あなたは、決して忘れることはない、とおっしゃるけれど、
将来までずっと続くのは難しいことなので、それならいっそ、
こうして愛されて幸せの絶頂にいる今日、死んでしまいたい。)
さて、この敦忠ですが、父時平が道真を失脚させた首謀者で、
その祟りが世間でも取沙汰されており、「われは命短き族なり。
かならず死なんず」(私は短命な一族のものだ。だから必ず
早死にをする)と言っていた、と「大鏡」に記されています。
実際、三十八歳という若さで世を去りました。
果たしてこれは道真の祟りだったのでしょうか、それとも右近との
愛の誓いを破ったために天罰が下ったのでしょうか。
右近の歌も、うわべはしおらしく感じられますが、どうも本音は、
「あなたなんか、天罰が下ればいいのよ!」と、言っているような
気がするんですよね。
一条御息所の苦渋の選択
2015年8月6日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第114回)
東京都下一の猛暑地点として知られている八王子。この一週間ずっと
続いている猛暑日の中での例会、お疲れ様でした。明日から八王子は
お祭りで賑わうそうです。
第39帖の「夕霧」に入って2回目の講読会となりました。今日読んだところは、
4月11日の淵野辺「五十四帖の会」とまったく同じなので、「国宝源氏物語絵巻」
に描かれている場面の話などは、そちらをご参照ください。
ここでは、その絵巻で、雲居雁が今にも背後から奪い取ろうとしている
一条御息所の手紙の内容に触れておきたいと思います。
夕霧の朝帰りの姿を目撃した律師から、その事実を告げられて
ショックを受けた御息所は、それでも娘の落葉の宮を呼んで事情を
聞こうとなさいます。本来なら、皇女である落葉の宮のほうが身分が
上なので、御息所が出向かねばならないのですが、もう重篤の身なので、
落葉の宮が御息所の部屋にお出でになりました。
お育ちがよすぎるせいか、昨夜夕霧とは何もなかった、と、弁明すること
にも思いが及ばず、ただ消え入るようにしているばかりの落葉の宮に、
御息所も問い質すことができず、重病の身をおして、落葉の宮のお食事の
お世話などをなさっているのでした。「どうして、どうして、ちゃんと言わないの」
と、じれったくなってしまう、上品すぎる母娘の対面であります。
そこへ夕霧からの手紙が届きます。「人知れずおぼし弱る心も添ひて、
下に待ちきこえたまうけるに、さもあらぬなめりと思ほす」(密かに宮を
夕霧に許すしかない、と折れる気持ちにもなって、内心では夕霧の来訪を
待っておられたのに、手紙だけが届いて、本人は来るつもりがない、と
お思いになる)と、気が気ではなくなってしまわれました。
本来独身を貫くべき皇女が、柏木のもとに降嫁して、愛されることも
ないまま、若くして夫に先立たれ、それだけでも不名誉なことなのに、
今度は亡夫の親友と浮名を流すことになれば、ますます立つ瀬が
なくなってしまいます。落葉の宮を再婚させるのは実に不本意なこと
ではありましたが、夕霧の愛人のように世間から思われるよりは、
夕霧を婿として認め、結婚させるほうがまだしもよかろう、という御息所に
とってはまさに苦渋の選択だったのです。
ところが、三夜続けて通ってくれなければ正式の結婚とはならないのに、
二日目にして手紙だけとはあんまりではないか。こうなったら、夕霧の
本心が知りたい、その思いが、御息所にあの絵巻に描かれている手紙を
書かせたのです。
「女郎花しをるる野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」
(女郎花〈=落葉の宮〉が嘆きしおれている野辺〈=小野の里〉を
いったいどこだと思ってただ一夜の宿となさったのでしょう)
この歌は、今夜訪れのない夕霧を責めると同時に、来てくれれば
娘をあなたに許しましょう、という意思表示でもありました。
のちに、夕霧はこれを盾に取り、御息所が落葉の宮のお世話を自分に
遺言なさった、と花散里にも語るのでした。
二人の仲を誤解して、その心労で亡くなって行く御息所にとっては、
この手紙を夕霧に送ったことを、あの世でも悔やんでおられたことでしょう。
東京都下一の猛暑地点として知られている八王子。この一週間ずっと
続いている猛暑日の中での例会、お疲れ様でした。明日から八王子は
お祭りで賑わうそうです。
第39帖の「夕霧」に入って2回目の講読会となりました。今日読んだところは、
4月11日の淵野辺「五十四帖の会」とまったく同じなので、「国宝源氏物語絵巻」
に描かれている場面の話などは、そちらをご参照ください。
ここでは、その絵巻で、雲居雁が今にも背後から奪い取ろうとしている
一条御息所の手紙の内容に触れておきたいと思います。
夕霧の朝帰りの姿を目撃した律師から、その事実を告げられて
ショックを受けた御息所は、それでも娘の落葉の宮を呼んで事情を
聞こうとなさいます。本来なら、皇女である落葉の宮のほうが身分が
上なので、御息所が出向かねばならないのですが、もう重篤の身なので、
落葉の宮が御息所の部屋にお出でになりました。
お育ちがよすぎるせいか、昨夜夕霧とは何もなかった、と、弁明すること
にも思いが及ばず、ただ消え入るようにしているばかりの落葉の宮に、
御息所も問い質すことができず、重病の身をおして、落葉の宮のお食事の
お世話などをなさっているのでした。「どうして、どうして、ちゃんと言わないの」
と、じれったくなってしまう、上品すぎる母娘の対面であります。
そこへ夕霧からの手紙が届きます。「人知れずおぼし弱る心も添ひて、
下に待ちきこえたまうけるに、さもあらぬなめりと思ほす」(密かに宮を
夕霧に許すしかない、と折れる気持ちにもなって、内心では夕霧の来訪を
待っておられたのに、手紙だけが届いて、本人は来るつもりがない、と
お思いになる)と、気が気ではなくなってしまわれました。
本来独身を貫くべき皇女が、柏木のもとに降嫁して、愛されることも
ないまま、若くして夫に先立たれ、それだけでも不名誉なことなのに、
今度は亡夫の親友と浮名を流すことになれば、ますます立つ瀬が
なくなってしまいます。落葉の宮を再婚させるのは実に不本意なこと
ではありましたが、夕霧の愛人のように世間から思われるよりは、
夕霧を婿として認め、結婚させるほうがまだしもよかろう、という御息所に
とってはまさに苦渋の選択だったのです。
ところが、三夜続けて通ってくれなければ正式の結婚とはならないのに、
二日目にして手紙だけとはあんまりではないか。こうなったら、夕霧の
本心が知りたい、その思いが、御息所にあの絵巻に描かれている手紙を
書かせたのです。
「女郎花しをるる野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」
(女郎花〈=落葉の宮〉が嘆きしおれている野辺〈=小野の里〉を
いったいどこだと思ってただ一夜の宿となさったのでしょう)
この歌は、今夜訪れのない夕霧を責めると同時に、来てくれれば
娘をあなたに許しましょう、という意思表示でもありました。
のちに、夕霧はこれを盾に取り、御息所が落葉の宮のお世話を自分に
遺言なさった、と花散里にも語るのでした。
二人の仲を誤解して、その心労で亡くなって行く御息所にとっては、
この手紙を夕霧に送ったことを、あの世でも悔やんでおられたことでしょう。
眩しすぎる玉鬘
2015年8月4日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合43回、通算93回)
先月に続いて第26帖「常夏」を読みました。この巻名にはぴったりでしたが、
猛暑日の連続記録を更新したとのことで、堪える暑さの一日でした。
夕霧や内大臣家の子息たちと納涼を楽しんだ後、源氏は彼らを玉鬘の居る
東北の町の西の対に案内します。これまで六条院に唯一欠如していた、若い
男性の心をときめかす女性の不在が、玉鬘によって満たされたことに源氏は
充足感を覚えています。
若者たちが引き上げた後も、源氏は玉鬘のもとで、和琴に興じます。源氏から
当代きっての和琴の名手が父・内大臣だと聞かされ、玉鬘は実の父親に会いたい
思いを募らせます。
和琴への興味から、少し源氏の近くににじり寄って来た玉鬘の美しさに、源氏は
和琴を押しやって玉鬘に寄り添わずにはいられません。「来ざりましかば」
(もし、あなたがここへ来なかったならば)と、いよいよ玉鬘に心惹かれる源氏
なのでした。
この頃の源氏は玉鬘のことしか考えられなくなっていましたが、さてこの先、
彼女の処遇をどうすべきか、頭を悩ませておりました。妻の一人とするには、
世間体も悪いし、さすがに紫の上を超える愛情を玉鬘に注ぐことはあるまい、
と自覚されるだけに、それならいっそ、熱心な求婚者である兵部卿の宮や
髭黒の大将などと結婚させるほうがよいか、と思ってみたりもするのでした。
しかし、玉鬘も最近では源氏に打ち解けて来ているし、「見るままにいと愛敬
づき、かをりまさりたまへれば、なほさてもえ過ぐしやるまじくおぼし返す。」
(見るたびにますます魅力が増し、香り立つような美しさが加わって来るので、
やはり他の男と結婚などさせられない、とお気持ちがまた逆戻りしてしまわれる
のでした。)とあって、辿り着いたのは、玉鬘に婿を取った上で、密かに忍んで
玉鬘と逢瀬の時を持とう、というとんでもない考えでした。これには作者も
「いとけしからぬことなりや」(とてもいけないことですよねぇ)と、草子地を
書き添えています。
さて、次回からは、玉鬘はと対照的な内大臣家のもう一人の姫君「近江の君」
が登場して、煮詰まってしまいそうな源氏と玉鬘の物語に風穴を開け、笑いの
世界へと誘ってくれます。
先月に続いて第26帖「常夏」を読みました。この巻名にはぴったりでしたが、
猛暑日の連続記録を更新したとのことで、堪える暑さの一日でした。
夕霧や内大臣家の子息たちと納涼を楽しんだ後、源氏は彼らを玉鬘の居る
東北の町の西の対に案内します。これまで六条院に唯一欠如していた、若い
男性の心をときめかす女性の不在が、玉鬘によって満たされたことに源氏は
充足感を覚えています。
若者たちが引き上げた後も、源氏は玉鬘のもとで、和琴に興じます。源氏から
当代きっての和琴の名手が父・内大臣だと聞かされ、玉鬘は実の父親に会いたい
思いを募らせます。
和琴への興味から、少し源氏の近くににじり寄って来た玉鬘の美しさに、源氏は
和琴を押しやって玉鬘に寄り添わずにはいられません。「来ざりましかば」
(もし、あなたがここへ来なかったならば)と、いよいよ玉鬘に心惹かれる源氏
なのでした。
この頃の源氏は玉鬘のことしか考えられなくなっていましたが、さてこの先、
彼女の処遇をどうすべきか、頭を悩ませておりました。妻の一人とするには、
世間体も悪いし、さすがに紫の上を超える愛情を玉鬘に注ぐことはあるまい、
と自覚されるだけに、それならいっそ、熱心な求婚者である兵部卿の宮や
髭黒の大将などと結婚させるほうがよいか、と思ってみたりもするのでした。
しかし、玉鬘も最近では源氏に打ち解けて来ているし、「見るままにいと愛敬
づき、かをりまさりたまへれば、なほさてもえ過ぐしやるまじくおぼし返す。」
(見るたびにますます魅力が増し、香り立つような美しさが加わって来るので、
やはり他の男と結婚などさせられない、とお気持ちがまた逆戻りしてしまわれる
のでした。)とあって、辿り着いたのは、玉鬘に婿を取った上で、密かに忍んで
玉鬘と逢瀬の時を持とう、というとんでもない考えでした。これには作者も
「いとけしからぬことなりや」(とてもいけないことですよねぇ)と、草子地を
書き添えています。
さて、次回からは、玉鬘はと対照的な内大臣家のもう一人の姫君「近江の君」
が登場して、煮詰まってしまいそうな源氏と玉鬘の物語に風穴を開け、笑いの
世界へと誘ってくれます。
夕霧の不器用な恋・最終章
2015年8月1日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第116回)
今日も、何もかもが溶けてしまいそうな猛暑日でしたが、一人の欠席者もなく、
第39帖「夕霧」の巻を読み終え、第40帖「御法」の巻に入りました。第二部も
ゴールが近づいてきました。
7月27日のブログに書きましたように、16歳で玉鬘に不器用な恋の告白をした
夕霧でしたが、18歳でめでたく雲居雁との純愛を実らせてからは、堅物を通して
来ました。それが、29歳にもなって、亡き親友の未亡人・落葉の宮に本気で恋を
したので、本妻(雲居雁)も巻き込んでの家庭騒動に発展したのでした。
13年の歳月を経ても、しょせん「まめ人」(真面目人間)の夕霧にはスマートな恋は
出来ず、板に付かない色恋沙汰は、どこまでも不器用な恋でしかありませんでした。
それでも、最後はかなり強引に落葉の宮を自分のものにし、夕霧にとっては、これで
一件落着のはずだったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。怒った雲居雁が
子供たちを連れて実家に帰ってしまったのです。このあたりも、今のホームドラマ的
ですよね。
「やれやれ、困ったもんだ」といった感じで迎えに行った夕霧に、もちろん雲居雁が
「はい」と言ってすぐに帰宅するはずなどありません。それでも、根がとても素直で、
真っ直ぐな性格の雲居雁のことなので、読者にも、このまま別れ話になってしまう
ような不安感は抱かせません。
夕霧と雲居雁がいつ仲直りをして元の鞘に収まったか、というのは本文には
書かれておらず、「夕霧」の巻の最後は、夕霧には雲居雁との間に四男三女、
公認の愛人・藤典侍(惟光の娘)との間に二男三女の計12人の子どもがいる
ことを読者に伝えて幕を閉じます。
この終わり方は、おそらく、これだけの子沢山の家庭を営んでいる夕霧の夫婦
関係では、多少の波風が立ったところで、脆く崩れてしまうようなものではない
ことを、読者に知らしめておきたかったからでしょう。
第三部の「宇治十帖」では、夕霧も四十代後半からスタート、ちょうど第二部の
源氏くらいの年齢になって、時の権勢家として登場します。
そして、「不器用な恋しか出来ないまめ人」にも、ちゃんと後継者が用意されて
いるのですが、今日はおしゃべりを慎み、種明かしは止めておきましょう。
今日も、何もかもが溶けてしまいそうな猛暑日でしたが、一人の欠席者もなく、
第39帖「夕霧」の巻を読み終え、第40帖「御法」の巻に入りました。第二部も
ゴールが近づいてきました。
7月27日のブログに書きましたように、16歳で玉鬘に不器用な恋の告白をした
夕霧でしたが、18歳でめでたく雲居雁との純愛を実らせてからは、堅物を通して
来ました。それが、29歳にもなって、亡き親友の未亡人・落葉の宮に本気で恋を
したので、本妻(雲居雁)も巻き込んでの家庭騒動に発展したのでした。
13年の歳月を経ても、しょせん「まめ人」(真面目人間)の夕霧にはスマートな恋は
出来ず、板に付かない色恋沙汰は、どこまでも不器用な恋でしかありませんでした。
それでも、最後はかなり強引に落葉の宮を自分のものにし、夕霧にとっては、これで
一件落着のはずだったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。怒った雲居雁が
子供たちを連れて実家に帰ってしまったのです。このあたりも、今のホームドラマ的
ですよね。
「やれやれ、困ったもんだ」といった感じで迎えに行った夕霧に、もちろん雲居雁が
「はい」と言ってすぐに帰宅するはずなどありません。それでも、根がとても素直で、
真っ直ぐな性格の雲居雁のことなので、読者にも、このまま別れ話になってしまう
ような不安感は抱かせません。
夕霧と雲居雁がいつ仲直りをして元の鞘に収まったか、というのは本文には
書かれておらず、「夕霧」の巻の最後は、夕霧には雲居雁との間に四男三女、
公認の愛人・藤典侍(惟光の娘)との間に二男三女の計12人の子どもがいる
ことを読者に伝えて幕を閉じます。
この終わり方は、おそらく、これだけの子沢山の家庭を営んでいる夕霧の夫婦
関係では、多少の波風が立ったところで、脆く崩れてしまうようなものではない
ことを、読者に知らしめておきたかったからでしょう。
第三部の「宇治十帖」では、夕霧も四十代後半からスタート、ちょうど第二部の
源氏くらいの年齢になって、時の権勢家として登場します。
そして、「不器用な恋しか出来ないまめ人」にも、ちゃんと後継者が用意されて
いるのですが、今日はおしゃべりを慎み、種明かしは止めておきましょう。
今日の一首(8)
2015年7月31日(金) 溝の口「百人一首」(第22回)
うだるような暑さの毎日、峠を越えるのはいつになるのでしょうか。
そのような猛暑の中での「百人一首」でしたが、41名の方にご参会
頂き、無事に81番~84番までの歌を読むことが出来ました。
「今日の一首」は、講座の中で予告しましたが、81番の歌です。
資料に入れられなかった「ほととぎす」のことを書きますね。
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
(八十一番 後徳大寺左大臣)
(あっ、ほととぎすが鳴いた、と思って声のしたほうを眺めてみても、
もうその姿は見えず、ただ有明の月だけが空に残っていることよ)
「ほととぎす」は古来より、夏を告げる鳥として、日本人に愛され、
「万葉集」では156回も詠まれています。「百人一首」では「夏」を
詠んだ歌が四首しか採られていないこともあって、「ほととぎす」が
登場するのはこの一首だけです。
ほととぎすは「時鳥」と表記されることもあり、同じように季節感の
ある「卯の花」「橘」「あやめ」といった夏の植物と取り合わせて歌に
詠まれているケースが多く見られます。それぞれ一首ずつご紹介
しておきましょう。
「卯の花の散らまく惜しみほととぎす野に出で山に入り来鳴き響〈とよ〉もす」
(万葉集・巻十・一九五七番)
(卯の花の散ってしまうのが惜しいので、ほととぎすは野に出たり、
山に入ったりして、声を響かせ鳴いています)
「 けさ来鳴きいまだ旅なるほととぎす花橘に宿は借らなむ 」
(古今集・巻第三・一四一番)
(今朝山から里に来て鳴いたばかりで、まだ旅心地の時鳥よ、
我が家の庭の花橘に宿を借りて、鳴き声を聞かせてほしい)
「ほととぎす鳴くや五月〈さつき〉のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」
(古今集・巻第十一・四六九番)
(ほととぎすの鳴く五月の風物詩のあやめ草、そのあやめ(分別の意)も
失った恋に私は夢中になっていることだなあ)
「ほととぎす」からは離れますが、「徒然草」の有名な「家居のつきづきしく」
の段、古文の教科書などにもよく載っているので、ご存知の方も多いと
思います。
「後徳大寺の大臣が、寝殿に鳶がとまらないようにと、縄をお張りになられた
のを西行が見て、『鳶がとまっていたとしても、何か不都合なことがありましょうか、
こちらの殿のお心は、その程度のものなのです。』 と言って、その後は行かなく
なったと聞いていたが、綾小路宮の小坂殿の棟に綱が引かれていたことがあって、
それは、『鳥の群れが池の蛙を捕まえるので、烏よけのために綱を引かれた。』
と、誰かが話していたので、後徳大寺の大臣にも何か理由があったのかもしれない、
と思った。 」という話です。
この「後徳大寺の大臣」というのも、「今日の一首」の作者藤原実定のことです。
うだるような暑さの毎日、峠を越えるのはいつになるのでしょうか。
そのような猛暑の中での「百人一首」でしたが、41名の方にご参会
頂き、無事に81番~84番までの歌を読むことが出来ました。
「今日の一首」は、講座の中で予告しましたが、81番の歌です。
資料に入れられなかった「ほととぎす」のことを書きますね。
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
(八十一番 後徳大寺左大臣)
(あっ、ほととぎすが鳴いた、と思って声のしたほうを眺めてみても、
もうその姿は見えず、ただ有明の月だけが空に残っていることよ)
「ほととぎす」は古来より、夏を告げる鳥として、日本人に愛され、
「万葉集」では156回も詠まれています。「百人一首」では「夏」を
詠んだ歌が四首しか採られていないこともあって、「ほととぎす」が
登場するのはこの一首だけです。
ほととぎすは「時鳥」と表記されることもあり、同じように季節感の
ある「卯の花」「橘」「あやめ」といった夏の植物と取り合わせて歌に
詠まれているケースが多く見られます。それぞれ一首ずつご紹介
しておきましょう。
「卯の花の散らまく惜しみほととぎす野に出で山に入り来鳴き響〈とよ〉もす」
(万葉集・巻十・一九五七番)
(卯の花の散ってしまうのが惜しいので、ほととぎすは野に出たり、
山に入ったりして、声を響かせ鳴いています)
「 けさ来鳴きいまだ旅なるほととぎす花橘に宿は借らなむ 」
(古今集・巻第三・一四一番)
(今朝山から里に来て鳴いたばかりで、まだ旅心地の時鳥よ、
我が家の庭の花橘に宿を借りて、鳴き声を聞かせてほしい)
「ほととぎす鳴くや五月〈さつき〉のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」
(古今集・巻第十一・四六九番)
(ほととぎすの鳴く五月の風物詩のあやめ草、そのあやめ(分別の意)も
失った恋に私は夢中になっていることだなあ)
「ほととぎす」からは離れますが、「徒然草」の有名な「家居のつきづきしく」
の段、古文の教科書などにもよく載っているので、ご存知の方も多いと
思います。
「後徳大寺の大臣が、寝殿に鳶がとまらないようにと、縄をお張りになられた
のを西行が見て、『鳶がとまっていたとしても、何か不都合なことがありましょうか、
こちらの殿のお心は、その程度のものなのです。』 と言って、その後は行かなく
なったと聞いていたが、綾小路宮の小坂殿の棟に綱が引かれていたことがあって、
それは、『鳥の群れが池の蛙を捕まえるので、烏よけのために綱を引かれた。』
と、誰かが話していたので、後徳大寺の大臣にも何か理由があったのかもしれない、
と思った。 」という話です。
この「後徳大寺の大臣」というのも、「今日の一首」の作者藤原実定のことです。
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