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今月の光琳かるた

2023年2月28日(火)

ええっ、気づけば今日はもう2月の最終日ではありませんか!
このところずっと遅れがちな「光琳かるた」の入れ替えですが、
いくらなんでも末日に駆け込みになるなんて(;^_^A

毎月一首ずつご紹介してきた「百人一首」も、残り二首となり、
来月の順徳院の歌で終わりです。最後から二番目となる
「今月の光琳かるた」はこの歌です。

「思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり」
                       八十二番・道因法師
  82番・道因法師
  (恋に悩み苦しんでも、それでも命は長らえているのに、
  辛さに堪えられずこぼれ落ちるのは涙だったことよ)

82番の道因法師と83番の藤原俊成は、長寿繋がりでの配列
ではないかと思えるほど、当時としては珍しい90歳を超える
迄生きた二人です。今で言うなら110歳超え位に相当するか
と思われます。

道因法師の凄さは、老いてなお、和歌への執心ぶりが強く、
90歳まで現役を貫いたことでありましょう。まさに「生涯現役」
のお手本のような人で、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』に、
そのエピソードが語られています。

承安2年(1172年)3月、京都白河の寺院で、藤原清輔(84番)
の主催で、和歌の「尚歯会」が開催されました。「尚」は尊ぶ、
「歯」は「よわい(=齢)」と同じ意味ですから、老人を敬って
長寿を祝うという、いわば敬老会。唐の詩人白居易(=白楽天)
が創始者ともいわれ、 平安時代初期には日本に伝わっていた
ようです。

『古今著聞集』がこの話を採り上げたのは、ふつうは漢詩の会を
催すのに、清輔たちが開いたのは和歌の尚歯会だったからだと
考えられています。集まった七叟(7人の老人)は、道因法師84歳
(正しくは83歳)、神祇伯顕広78歳、成仲宿禰74歳、藤原永範71歳、
源頼政69歳、藤原清輔69歳、大江維光63歳。今なら100歳代の
道因を筆頭に、90代、80代のお爺さん7人という感じでしょうね。

先ず主催者の清輔が、「散る花はのちの春ともまたれけりまたも
来まじきわがさかりはも」(散る花はこの先の春も待つことができる。
でも、また来ることがないのは我が身の盛りだよなぁ)と詠むと、
この日、第一の上席者となっていた道因が、すかさず次のように
詠みました。「待てしばし老木の花にこと問はむ経にける年は
たれかまされる」(ちょっと待てくださいな。 老木に咲いた花に
尋ねてみましょう。この中でだれが一番歳を取っているかと)。
「その歳で何しんみりしているんですか、私なんぞまだこれから
ひと花もふた花も咲かせようって思ってますよ」、という道因の
老人パワーあふれる歌ですね。

「人生百年時代」と言われるようになった今、道因法師の生きる
姿勢は、私も一人の高齢者として見倣うべきでは、と思っている
今夜です。


薫、中の君への思いを封じ込めようとする

2023年2月27日(月) 溝の口「湖月会」(第165回)

同じところを並行して読んでいるもう一つの会場クラスが
(例会日は第2金曜日)、雪のために急遽中止となったため、
そのクラスの中で振替受講を希望なさった方々が、本日の
例会にご参加になりました。もともと少人数のこのクラスから
の参加者は7名、「第2金曜クラス」からの振替受講者が11名
という、変則的なクラス編成での今月の「湖月会」でしたが、
特に問題も無く、終えることが出来ました。

講読箇所は2/1のオンラインクラスと同じで、第49帖「宿木」
の後半に入ったところです。

薫に迫られながらも、かろうじて難を逃れた中の君の許に、
ちょうど匂宮が、久々に顔をお出しになりました。中の君も
こうなった以上、薫にばかり頼ることも出来ないと思い、
いつもより匂宮に寄り添って甘えます。中の君に染み付いた
薫の移り香に気づいた匂宮に疑われ、散々嫌味な言葉を
浴びせられながらも、中の君は身の潔白を訴える歌を詠み、
匂宮もそれを認めるのでした。ここ迄は、2/1の記事に書き
ました(⇒こちらから)。

なおも二人の仲を疑い、薫への嫉妬心から、次の日も匂宮は
二条院に居続けておられました。

そうした匂宮のことを聞き、薫も心穏やかではいられませんが、
「わりなしや、これはわが心のをこがましくあしきぞかし」(仕方
がない。これは自分の料簡が愚かしく良くないことなのだよ)と、
自身に言い聞かせ、もとより望んでいたのは、匂宮と結ばれた
中の君の末長い幸せだったはず。そう思ってずっとお世話して
きたのだから、今後もそれに徹すべきだ、と「しひてぞ思ひ返し
て」(無理に思い直して)、先日の中の君の女房たちの衣装が、
くたびれた感じがしていたのを思い出し、母・女三宮に頼んで、
取り敢えず有り合わせのものを、中の君の女房の許に届け
させたのでした。

薫は、自分が中の君の後見人(親代わり)であるという立場を
確認し、その枠の中へ自らを押し込めていくことで、中の君へ
の恋情に封印しようとしていることがわかります。でもそんなに
人の心は簡単に理性で制御できるものでしょうか。まだ薫の
中の君への「ウジウジ」とした恋は続きます。

それにしても、女三宮の能天気さも、こういう場合、息子に
とっては好都合ですね。「何か適当な衣料はありませんか」と
薫に訊かれ、「法事のお布施用に用意したものがあるだけ。
急ぎ用意させましょう」と答えているのですから。これが匂宮
の母・明石中宮なら、「何に使うつもりなの?」と、絶対に一言
あるでしょうね。


三島市・「佐野美術館」

2023年2月25日(土)

曇り空で陽射しも届かず、気温も上がらずの寒い一日でしたが、
数週間前から歯の痛みが気になり、三島まで行って来ました。

いつも治療の前に、姉がランチをご馳走してくれるのですが、
今日は先に「佐野美術館」でお雛様を見てからランチをしよう、
との連絡が入りました。

三島駅から、伊豆箱根鉄道で二つ目の「三島田町駅」で降りて、
徒歩3分位の所に「佐野美術館」はあります。

こじんまりとした美術館ですが、この時期は、様々な雛人形と、
雛飾りが来館者の目を楽しませてくれるということで、姉もお雛様
好きの私に一度見せてやりたいと思っていたようです。

      佐野美術館①
このパンフレットの「享保雛」や、「古今雛」のような、江戸時代
の由緒ある雛人形から、昭和初期の可愛い「おぼこ雛」に至る
まで、見ていて飽きないお雛様たちでしたが、もう一つ目が釘付
けになったのが、繊細で贅沢に作られた無数の極小雛飾りです。

これはいわゆる名家に伝わる雛ではなく、江戸八丁堀の吟味方
与力、仁杉家の〈Myコレクション〉なのだとか。人形は有職雛の
一対のみで、何年もかけて秀でた専門の職人に特注して揃えて
いったという雛飾りに感動させられました。上記のパンプレット
にも、見事な蒔絵の「銚子」と「六角高坏」の写真が載っています
が、いずれも子どもの手の平でも十分に乗るサイズですから、
堪らないですね。

そう言えば、ここのお雛様は、どれも男雛が向かって右の、古い
飾り方でした。

ランチは「佐野美術館」に隣接するお食事処「松韻」を、姉が予約
してくれていて、ご馳走になりました。

  佐野美術館③
   運ばれて来た時、食べ切れるかしら?と思う程の
   盛り沢山な「華御膳」でしたが、ご飯を半分位残した
   だけで、あとは美味しく完食しました。

  佐野美術館④
   この広々とした庭園を眺めながらのお食事ですから、
   お箸も進みます。

でも、ここでのんびりとお喋りに浸っている訳にはまいりません。
お食事は1時間足らずに切り上げて、姉の家に向かい、義兄に
歯を診てもらいました。

やはり治療を受けて良かったです。歯の痛みも治まり、三島駅の
新幹線改札内のKioskで、好物の冨久家の「イタリアンロール」を
getして、15:58発の「ひかり」で帰途に就きました。


入道のチャンスは誤解から

2023年2月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第31回・通算78回・№2)

今月のオンライン「紫の会」は、第13帖「明石」に入って3回目と
なりました。

源氏が明石に移り住んで半月余り。明石の入道は、何とか娘の
ことを源氏に話したいのですが、そのきっかけが掴めないまま
日が過ぎておりました。

京を離れて既に一年が経ち、堪え難い恋しさに駆られながら弾く
琴の琴(きんのこと)の音色に惹かれ、やって来た入道は、自宅
から琵琶と箏の琴を持ってこさせ、見事に琵琶を奏でるのでした。
源氏は勧められるままに、箏の琴を少しお弾きになりました。

源氏が「これは、女の、なつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそ、
をかしけれ」(箏の琴は、女が、優し気な様子で、くつろいで弾くの
こそ、趣深いものだ)と「おほかたにのたまふを」(通り一遍のこと
としておっしゃったのを)、入道は、源氏が娘の箏の琴の演奏を
聴きたがっておられる、と勘違いしてニンマリとし、自分は醍醐天皇
の御奏法を弾き伝えて三代目になること、そして娘がそれを見よう
見真似で弾きこなしていると語ります。更には娘は琵琶の演奏に
抜きん出ていることを伝え、源氏の興味をそそるのでした。

のちに第35帖「若菜下」で、六条院の「女楽」の場面が出てまいり
ます。女三宮の琴の琴、明石の女御の箏の琴、紫の上の和琴、
そして明石の上(入道の娘)の琵琶です。この四人の女君の中で
比較の対象にもならない程身分的に劣っているのは明石の上です。
でも、楽器の演奏においては、彼女は先ず最初に、「すぐれて上手
めき」(格別の名人級)と紹介され、琵琶を弾く撥さばきは神がかって
いる、とまで評されています。

勘違いからとは言え、ようやく娘の話を切り出すことの出来た入道。
娘の弾く琴の音を聴いていただきたい、と言いながら、「うちわなな
きて涙おとすべかめり」(身を震わせて涙を落としているようだった)
という入道の姿は、自分の思いをやっと源氏に吐露できた興奮ぶり
が伝わってきますね。

この場面、詳しくは先に記しました〈全文訳・第13帖「明石」(6)〉を
お読みいただければと存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(6)

2023年2月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第31回・通算78回・№1)

今月のオンライン「紫の会」の講読箇所((274頁・4行目~278頁・12行目)
の前半部分は2/20に書きましたので(⇒こちらから)、今日は後半部分
(276頁・2行目~278頁・12行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


年老いた入道は、涙を堪えることが出来ず、岡辺に琵琶と箏の琴を取り
に行かせて、入道は俄か琵琶法師となって、とてもおもしろく珍しい曲を
一、二曲弾きました。源氏の君に箏の琴をお勧めしたので、源氏の君が
少しお弾きになるにつけても、何を演奏なさっても源氏の君は素晴らしい、
と入道は感嘆申し上げておりました。

そうたいして上手でもない楽器の音でも、その折次第で素晴らしく聞こえる
ものでありますが、はるばると遮るものの無い海辺である上に、かえって
春秋の花紅葉の盛りの頃よりも、ただ何ということもなく、青々と茂っている
木陰があでやかであるのに、水鶏が鳴いたのは、「誰が門さして」と、源氏
の君は感興を催されるのでした。

音色もこの上なくよい楽器のあれこれを、入道がやさしく弾き鳴らすのにも
源氏の君は興味を示されて、「箏の琴は、女が優しい風情でくつろいで弾く
のがいいものです」と、一般論としておっしゃったのに、入道は勘違いして
微笑んで、「あなた様がお弾きあそばす以上に、人を惹きつける演奏が
どこの世界にございましょう。私は、醍醐天皇のご奏法を弾き伝えること、
三代目になります。ふがいない出家の身で、俗世のことはすっかり捨て
忘れてしまっておりますが、ひどく気がめいる折々には、箏の琴をかき
鳴らしますのを、不思議に見よう見まねで弾く者がございまして、それが、
自然とあの亡き親王のご奏法に似通っているのでございます。山住みの
田舎者のこととて、松風を琴の音と聞き誤っているのかもしれません。
何とかして、この琴の音を、そっとお耳に入れたいものでございます」と
申し上げるやいなや、身を震わせて涙を落しているようでした。

源氏の君が「私の琴の音を琴だとお聞きになるはずもない場所で、
つまらないことをしてしまいましたね」と言って、琴を押しやりなさると、
「不思議に、昔から箏の琴は、女が巧みに弾くものでした。嵯峨天皇
のご伝授で、女五の宮が、当時名声が高くていらっしゃったのですが、
その御流儀では、これといって弾き伝えている人はいません。全て今
の世で、名人との評判を取っている人々は、ただ通り一遍の自己満足
程度にすぎませんが、こちらでこうして由緒ある奏法をお伝えになって
おられるというのは、実に興味深いことですよ。ぜひともお聞かせいた
だきたいものです」とおっしゃいます。入道が「お聞きになるのに、何の
差し障りがございましょうか。御前にお呼びになっても構いません。
商人の中にいてすら、古曲を賞翫した人はおりました。琵琶こそ、本当
の音色を弾きこなす人は、昔も滅多におりませんでしたが、娘は全く
難なく弾きこなしまして、心に沁みる弾き方など、格別の趣がございます。
どうやって見よう見真似で覚えるのでしょうか。娘の琵琶の音が荒々しい
波の音に交るのは、悲しくも思われますものの、あれこれと積もる嘆かわ
しさが、紛れる折々もございます」などと風流ぶっているので、源氏の君
は面白いとお思いになって、箏の琴を琵琶と取り換えてお与えになりま
した。

本当にとても巧みに弾くのでした。現在では聞くことの無い奏法を身に
つけていて、手さばきはたいそうひどく唐風で、ゆの音色が深く澄んで
おりました。ここは明石の浦で、伊勢の海ではないけれど、「清き渚に
貝や拾はむ」などと、声の良い供人に歌わせて、源氏の君ご自身も、
時折拍子を取って、声を合わせなさるのを、入道は琴を途中で弾き
止めて、賞讃申し上げます。おやつなどを、目新しい趣向を凝らして
源氏の君の御前に差し上げ、供人たちにお酒を無理に勧めたりして、
自然と日頃も苦労も忘れてしまいそうな今宵の様子でありました。


源氏、琴の琴を弾く

2023年2月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第31回・通算78回・№2)

今日のオンライン「紫の会」では、昨日の「オペラ 源氏物語」の
話題に時間を使ってしまったので、読んだのは通常の2/3弱程度
となりました。

源氏が京を離れたのは26歳の3月20日過ぎでした。そして翌年の
3月13日に入道の迎えにより、明石へと移り住みました。

今回は、「四月になりぬ」(4月になった)、というところから読み始め
ました。つまり源氏の明石での生活が始まって、半月余りが経った
ことになります。当時は4月から6月迄が夏なので、衣更えをします
が、明石の入道がこれでもか、という程に趣向を凝らし、用意万端
整えてくれました。

でも、こうして暮らしが落ち着いて来ると、源氏は須磨よりもいっそう
京から遠ざかった明石にやって来たことで、何かにつけて京が恋しく
思い出されてなりません。久しく手を触れることのなかった琴の琴
(きんのこと…七弦の琴)を袋から取り出して掻き鳴らします。

供人たちをはじめ、この琴の琴の音を耳にした者は、誰もが感動し、
入道も勤行を怠って、源氏の許へと馳せ参じました。入道は「極楽
浄土の様子もかくやと想像いたます」と感涙に咽ぶのですが、やはり
源氏は宮中での管弦の遊びの折々のことなどを思い出すにつけ、
今の自分の置かれている境遇が辛く、奏でる音色も悲しみの響きを
湛えているのでした。

月明かり見ては京を思い、琴の琴を弾いても思い出すのは京の事。
この源氏の孤独感は、どうにもならない侘しさであったことでしょう。

源氏の演奏に感動した入道が、自分の所有している琵琶や箏の琴を
取りに行かせ、そこから楽器の演奏、音楽談義へと入っていきますが、
これが源氏と入道の娘を結び付けるきっかけとなります。いよいよ後
の明石の上の本格的登場となるのですが、実際に二人が結ばれるの
は8月になってから。そこに至るまでの「心くらべ」(意地の張り合い)の
中に、入道の娘の思いを読み解いてまいりましょう。

本日の講読箇所の前半部分(この記事の詳しい内容)につきましては、
先に書きました「全文訳・第13帖明石(5)」をご覧下さい(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(5)

2023年2月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第31回・通算78回・№1)

今回は講読箇所がとても短かったので(274頁・4行目~276頁・12行目)、
全文訳も一度に載せてしまってもよいのですが、いつも通り前半と後半に
分けて、今日は前半部分(274頁・4行目~276頁・1行目)のみといたします。
後半部分は、第4木曜日(2/23)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

四月になりました。衣更えのご装束、御帳台の帷子などを、入道は趣向を
凝らして整えました。入道が何かにつけて熱心にお世話申し上げるのを、
源氏の君は、気の毒に、ここまでしなくても、とお思いになりますが、入道
の人柄が、あくまで誇り高く、気品があるので、大目に見ておられました。

京からも、次から次へとお見舞いのお便りがひっきりなしに届きます。
のどやかな夕月の夜に、海上が曇りなく見渡されるのも、住み慣れた京の
二条院の池の水かと、我知らずふと思われなさるにつけ、言いようもなく
恋しい気持ちは、何処へ、ということなく、彷徨い続ける心地がなさいますが、
ただ目の前に見えているのは、淡路島だったのです。「あはと遥かに」など
と口ずさみなさって、
 「あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月」(あれは、
  と目の前に見える淡路島のしみじみとした物悲しい趣までも、残る隈なく
  照らし出す今宵の月であることよ)

久しく触れておられぬ琴の琴を、袋から取り出しなさって、それとなくかき
鳴らしなさる源氏の君のお姿を、見申し上げる供人たちも心打たれて、
しみじみと悲しい思いをしておりました。『広陵』という曲を、技を尽くして
一心不乱にお弾きになると、あの岡辺の家でも、琴の音色が松風の響きや
波の音と相俟って、そうした風情を解する若い女房は、身に染む思いで
聴いているようでした。聴いても何のことやらわかりそうにない、あちら
こちらの下賤な者たちも、気もそぞろになり、浜をうろうろして、風邪を引く
のでした。入道も我慢出来なくて、供養法を怠って、急ぎ参上いたしました。

「まったく捨て去った俗世のことも、改めて思い出しそうな琴の音色でござい
ます。来世で生まれたいと願っております極楽浄土の様子も、このようなの
ではないかと想像される今夜の風情でございます」と、感涙にむせびながら、
賞讃申し上げます。

源氏の君ご自身も、折々に催された宮中での管弦の遊びでの、あの人
この人の琴や笛の音、あるいは歌う声など、またその時々につけて、世の
賞讃の的となったご自身の様子、帝をはじめとして、多くの方々が自分に
かしづき、尊敬してくださったことなどを、そうした人々のことも、ご自身の
身の上も、源氏の君は思い出されて、夢のような気がなさるままに、かき
鳴らしなさる琴の琴の音色にも、深い悲しみの響きがございました。


「オペラ 源氏物語」

2023年2月19日(日)

「オペラ 源氏物語」が渋谷のオーチャードホールで上演されると
知ったのは、昨年の7月でした。鎌倉に住んでいる音楽通の親戚
の者が、別のオペラを鑑賞した時にパンプレットを見つけたので、
と言って、源氏オタクの私に、LINEでパンフレットの写真を送って
来てくれました。

コロナのことも気にはなっていましたが、やはり「オペラ 源氏物語」
ですから、鑑賞せずにはいられません。

お願いしたチケットの届いたのが10月の初め。今日の日を指折り
数えて待っておりました。

ご一緒する皆さまと「エクセル東急ホテル」25Fの日本料理「旬彩」
で先ずはランチをすることになり、それも楽しみに出掛けたまでは
よかったのですが、渋谷駅の改札口を出て、案内板を見ると、
「エクセル東急」の文字がパッと目に入り、出口を確認したら「C2」
と書いてあります。「C2」目指して歩けど歩けど、出口は遠い。
こんなに遠いはずではないのだけれど、と思いながらも、やっと
辿り着いたら、何とそこは別の「エクセル東急」とのこと!「いくら
何でも同じ名前は止めてよ」と言いたくなりましたが、勘違いした
私が悪いので、仕方ありません。同行のお二人に謝りながら、
教えてもらった「A5」出口に向かってまたトコトコ。渋谷駅で降りて
5分程で行ける所に45分掛かってようやく到着しました。ハァ~。

それでも9人で(中には初対面同士の方もあったのですが)、話も
弾み、楽しく、美味しくランチをいただきました。

   旬彩弁当
   三段重の「旬彩弁当」。食後のデザートとコーヒーも
   セットで、4,800円(税・サービス料込)。色んな食材が
   丁寧に調理されていてお味もよく、昨今の値上がりを
   考えると、都会のど真ん中ではリーズナブルなお値段
   と言えるのかな、と。

お腹も満たされ、オーチャードホールへと移動。もう地下を歩くのは
懲り懲り。地上を行けば、この辺りは昔と変わらないので、迷うこと
なく到着しました。

『源氏物語』は言わずと知れた千年ほど前に書かれた長編物語です
が、このオペラは、コリン・グレアムという人が英語で書いた台本で、
2000年にアメリカで初演された作品なのです。作曲の三木稔氏が、
それを日本語訳の台本にしたものが、今回日本語版の世界初演、
となったそうです。

日本語のオリジナル台本ならもう少し違う表現になるのではないか、
と思われるところもありましたが、『源氏物語』を知らない人でも理解
出来るよう、人間関係などもわかるように織り込んだ歌詞となって
いました。

扱われている内容は、全54帖中第13帖「明石」迄で、ちょうどこの辺り
を講読中のオンライン「紫の会」の皆さまには、良いタイミングだった、
と思っています。

日本語を母国語としていない人が、『源氏物語』をオペラの題材とする
だけでも驚嘆に値すると思うのですが、一度原作を全部紐解いて、
その中から、光源氏と藤壺、六条御息所、葵の上、紫の上、明石の上
という5人の女君とのエピソードを掬い取って色付けし、繋ぎ合わせて
いった力作、という印象を受けました。

弘徽殿の女御も含め、本日の舞台に登場した女君たちはやはり皆、
「哀しみの女君たち」だと感じました。

オペラ歌手の方々というのは、あのような声がどこから出るのだろう、
と思われる迫力ある声量をお持ちで、圧倒されました。

一つ、台本上で疑問に残ったのが、「少納言」という呼び名です。人物
としては、紫の上(まだ若紫の頃)の祖母の尼君であろうと思われる
のですが、少納言は紫の上の乳母なので、違和感がありました。

細かいことをあれこれと書きましたが、全体としては十分に見応えの
ある、素晴らしい「オペラ 源氏物語」でした。

         オペラ源氏物語
         ロビーに置かれたオペラの公演案内版。


「炭火」に対する思い

2023年2月17日(金) 溝の口「枕草子」(第49回)

「名のみの春」が続いていましたが、今日はようやく最高
気温が11度まで上がり、厳しい余寒も一段落となりました。
このあと、明日、明後日と気温は上がり続けて、日曜日は
4月の暖かさになるとのこと。気温変化が急激過ぎて戸惑い
ますね。

本日の「枕草子の会」では、あの名高い「香炉峯の雪」の段
を含む第275段~第282段迄を読みましたが、「香炉峯の雪」
(第280段)はオンラインクラスで講読時に取り上げています
ので(⇒こちらから)、今日は第279段の「炭火」についての
作者の好みや感性をご紹介しておきたいと思います。

当時は節分には居場所を変える「方違へ(かたたがえ)」という
風習があり、それを終えて、まだ夜が明ける前に自宅へ戻る
時の寒さといったら、「頤(おとがい)などもみな落ちぬべき」
(顎もガクガクになってすっかり外れてしまいそう)だったのは
当然でしょうね。

やっとの思いで帰り着き、火桶(丸火鉢)を引き寄せて、一点
の黒ずみも無く、燃え盛っている炭火を灰の中から掘り出した
時の喜びは如何ばかりか。「いみじうをかしけれ」(とてもしみ
じみと嬉しく思う)、これも納得です。

また、話に夢中になっている時に、他の人が炭火が消えそう
なのに気付いて、炭を継ぎ足してくれる行為に対しては、話の
腰を折る余計なお節介、と感じているのも、如何にも清少納言
らしい気がします。

火鉢の中の炭の置き方にも拘りがあり、火種となる炭の周囲に
炭を置くのが適切で、火種の炭を一度脇にのけて、新たな炭を
重ね置いた上に火種の炭を戻すやり方は「いとむつかし」(甚だ
気に入らない)と言っています。

清少納言版、「炭火」の取り扱い上の注意事項、とでもいうべき
書き方で、面白いですね。

現代は、灯油や電気、ガスといったエネルギーを使った暖房で、
外が寒くても室内では快適に過ごせます。でもそれは長い歴史
から見れば、ごく最近のことです。今でこそ、こうした光景を目に
することは殆どありませんが、この時代の暖房と言えば火鉢位
のもの。それだけに火鉢の有難味は、我々には想像し難いもの
だったでしょうし、「炭火」に対する感覚も、繊細であったのかと
思われます。


入道の娘の人柄

2023年2月13日(月) 溝の口「紫の会」(第64回)

冷たい雨の一日となりましたが、大雨というほどでもなく、
ましてや先日のような雪になる様子も無かったので、今日
は安心して出かけることができました。

「紫の会」の会場クラスは、あと少しで第12帖「須磨」を読み
終える、という所まで来ました。オンラインクラスに6月で
追いつく、という目標を何とか達成したいと思っています。

今回の講読箇所で、明石の入道やその娘のことが、些か
唐突な感じで紹介されます。第5帖「若紫」で、源氏は側近
の良清(播磨守の息子で、明石のことには詳しい)の噂話
として読者にも知らされていましたが、ここでは源氏が須磨
に謫居している中での登場となりますので、これからの物語
の展開に関わってくるためであろうことは予想がつきます。

明石の入道のことは、昨年10月のオンラインクラスでの講読
時に記事にしていますので(⇒こちらから)、今日はその娘
の人柄に触れておきたいと思います。

先ず、「すぐれたる容貌ならねど」(さほど美貌の持ち主では
ないが)と書かれています。「えっ?明石の上ってすごい美人
で、だから源氏が心惹かれたのではないの?」と、ここを読む
と、ちょっと意外な気もするのですが、紫の上のような絶世の
美女には設定されていません。

では何が優れているのか、というと、「やむごとなき人におとる
まじかりける」(高貴な姫君にも劣るまいと思われる)気品と、
たしなみ深い人柄だったのです。のちに出てまいりますが、
彼女は楽器の演奏(特に琵琶)においても、右に出る者の
いない奏法を身につけていることがわかります。

ただこの娘は、源氏のようなお方が、自分ごとき田舎育ちの
受領の娘などを相手にしてくださるはずがない、と、身の程を
心得ています。それでも、父親の薫陶のお陰か、気位は高く、
おのれの分際に見合った縁組などけっしてするまい、と思って
いました。

父親の入道は、自分が嘗て見た瑞夢(夢の内容が明かされる
のは、第34帖「若菜上」になってから)を信じ、その実現の為に、
年に二度、娘を住吉神社に参詣させているのでした。

この住吉詣が、例の俵屋宗達の「源氏物語澪標図屏風」に
描かれている場面に繋がっていくのですよね。


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