くたびれ果てて年の暮れ
2016年12月30日(金)
情けないタイトルですが、今の私です。
去年は「数え日となって」と題して、もう少し余裕の年末を
お伝えすることが出来たのですが、今年はまだ年賀状も
100枚残っています。講読会に参加してくださっている皆さま
への年賀状は、28日、29日、そして今日の三日間で投函し
終えました。友人、親戚などが後回しになってしまいました。
これから書くのはいつ着くのかな?ごめんなさ~い、待ってて
くださいね。
12月12日~24日まで、ほとんど休みがなく、例会が7回あった
のに加えて、セミナー、旧職場の集まり、二ヶ月に一度の病院
などもここに集中して、年賀状も大掃除も出遅れてしまったのが
この有様を招いた原因だと思います。
ならば、その前から取りかかれば良かったんじゃないの?
ですよね。はぁ、その通りなんですけど、これが難しいのです。
清少納言も「枕草子」で、「たゆまるるもの」(油断してしまうもの)
に、「遠きいそぎ」(まだ先の用意)を挙げておりますから。
今頃こんなブログを書いている暇があるなら、年賀状の一枚でも
書いたほうがいいのでは?、と、自分でも思うのですが、年末の
ご挨拶くらいしたくって、パソコンを開けました。
本年はこの拙いブログをお読み頂き、有難うございました。
明年もよろしくお願い申し上げます。
皆さま、どうぞ良い御年をお迎えくださいませ!!
情けないタイトルですが、今の私です。
去年は「数え日となって」と題して、もう少し余裕の年末を
お伝えすることが出来たのですが、今年はまだ年賀状も
100枚残っています。講読会に参加してくださっている皆さま
への年賀状は、28日、29日、そして今日の三日間で投函し
終えました。友人、親戚などが後回しになってしまいました。
これから書くのはいつ着くのかな?ごめんなさ~い、待ってて
くださいね。
12月12日~24日まで、ほとんど休みがなく、例会が7回あった
のに加えて、セミナー、旧職場の集まり、二ヶ月に一度の病院
などもここに集中して、年賀状も大掃除も出遅れてしまったのが
この有様を招いた原因だと思います。
ならば、その前から取りかかれば良かったんじゃないの?
ですよね。はぁ、その通りなんですけど、これが難しいのです。
清少納言も「枕草子」で、「たゆまるるもの」(油断してしまうもの)
に、「遠きいそぎ」(まだ先の用意)を挙げておりますから。
今頃こんなブログを書いている暇があるなら、年賀状の一枚でも
書いたほうがいいのでは?、と、自分でも思うのですが、年末の
ご挨拶くらいしたくって、パソコンを開けました。
本年はこの拙いブログをお読み頂き、有難うございました。
明年もよろしくお願い申し上げます。
皆さま、どうぞ良い御年をお迎えくださいませ!!
仕事納め
2016年12月24日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第132回)
本日の淵野辺クラスの講読会を持ちまして、私の今年の仕事納め
となりました。
「源氏物語」90回、「百人一首」14回、「伊勢物語」7回、「枕草子」3回
で、計114回ありましたが、おかげさまで、全講座、休講無しで終える
ことができました(一度台風で中止がありましたが、これも代講で補え
ました)。
支えてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
今日はちょうどクリスマスイブということで、幹事さんのお計らいにより、
例会の前に「Xmasランチ」を楽しみました。
場所は、町田の薬師池公園近くにある「IsShuU(イッシュウ)」という
イタリアン。静かでアットホームな雰囲気の一軒家レストランです。
我々で貸し切りの贅沢な空間で、お料理はもとより、飲み物から
おしぼりに至るまで、細やかな心遣いが嬉しいレストランでした。
「また来たいな」と思いつつ、お腹も心も満たされてお店を後にしました。
メインディッシュのお魚(お肉も選択できます)
皮までパリッと香ばしく、ソースは優しい味わいでした
お店の前で集合写真
今日も「顔がわからない距離で」とお願いしました
今年最後の例会では、第46帖「椎本」の最後から、第47帖「総角」の最初に
かけてを読みました。
八の宮の一周忌も近づいた夏の暑い日に、薫は納涼がてら宇治に出かけ、
そこで、二度目の垣間見をします。「橋姫」では、辺り一面に霧が立ち込めて
いる中で、月が雲間から顔を出したほんの僅かな時間の垣間見でしたが、
今回はしっかりと二人の姫君の姿を脳裏に焼き付けることが出来る垣間見
でした。
薫は既に大君を理想の女性として思い描いていることもあり、華やかな美貌で、
この上なく愛らしさが感じられる中の君よりも、やせ細った痛々しい姿の大君に
上品な優雅さを覚え、これによって、大君への思慕の念が決定づけられました。
「橋姫」の巻と「椎本」の巻で、次々と布石が打たれた薫と大君の恋の物語は、
匂宮と中の君を巻き込みながら、「総角」の巻で展開して行くことになります。
本日の淵野辺クラスの講読会を持ちまして、私の今年の仕事納め
となりました。
「源氏物語」90回、「百人一首」14回、「伊勢物語」7回、「枕草子」3回
で、計114回ありましたが、おかげさまで、全講座、休講無しで終える
ことができました(一度台風で中止がありましたが、これも代講で補え
ました)。
支えてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
今日はちょうどクリスマスイブということで、幹事さんのお計らいにより、
例会の前に「Xmasランチ」を楽しみました。
場所は、町田の薬師池公園近くにある「IsShuU(イッシュウ)」という
イタリアン。静かでアットホームな雰囲気の一軒家レストランです。
我々で貸し切りの贅沢な空間で、お料理はもとより、飲み物から
おしぼりに至るまで、細やかな心遣いが嬉しいレストランでした。
「また来たいな」と思いつつ、お腹も心も満たされてお店を後にしました。
メインディッシュのお魚(お肉も選択できます)
皮までパリッと香ばしく、ソースは優しい味わいでした
お店の前で集合写真
今日も「顔がわからない距離で」とお願いしました
今年最後の例会では、第46帖「椎本」の最後から、第47帖「総角」の最初に
かけてを読みました。
八の宮の一周忌も近づいた夏の暑い日に、薫は納涼がてら宇治に出かけ、
そこで、二度目の垣間見をします。「橋姫」では、辺り一面に霧が立ち込めて
いる中で、月が雲間から顔を出したほんの僅かな時間の垣間見でしたが、
今回はしっかりと二人の姫君の姿を脳裏に焼き付けることが出来る垣間見
でした。
薫は既に大君を理想の女性として思い描いていることもあり、華やかな美貌で、
この上なく愛らしさが感じられる中の君よりも、やせ細った痛々しい姿の大君に
上品な優雅さを覚え、これによって、大君への思慕の念が決定づけられました。
「橋姫」の巻と「椎本」の巻で、次々と布石が打たれた薫と大君の恋の物語は、
匂宮と中の君を巻き込みながら、「総角」の巻で展開して行くことになります。
第二帖「帚木」の巻・全文訳(6)
2016年12月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第9回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(62頁・1行目~71頁・6行目まで)の
後半に当たる部分(67頁・13行目~71頁・6行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による。)
「さて、また同じ頃、私が通っておりました女は、人柄も格段上で、
気の利き方も本当にたしなみがあると思えるほどに、歌も上手く
詠めば、字も達筆、かき鳴らす琴の音も、何もかも、みな達者な
ものだと、ことごとに感心しておりました。器量もなかなかの女
でしたので、あの口やかまし屋の女を気楽な通い所とする一方で、
この女とこっそり逢っておりました間は、この上なく気に入っており
ました。
あちらの女が亡くなってからは、どうしようもなく可哀想なことをした、
とは思っても、死んでしまったものは仕方ありませんので、この女の
所へ足繁く通うようになりましたが、少し華やかすぎて、あだっぽく
気取っているのが、鼻につくようになって来まして、妻として頼りには
出来そうにもなくて、途絶えがちな態度を見せておりますうちに、
こっそりと仲良くなった男ができたようなのでした。
十月の頃、月も美しい夜、宮中から退出する時に、ある殿上人と
一緒になって、私の牛車に相乗りしましたので、その夜は女の所へ
行くわけにも行かず、私は大納言の家に行って泊まるつもりでしたが、
この人が言うには『今夜私を待っているはずの女のことがどうも気に
なりましてね』とのことで、牛車をそちらへ向けましたが、ちょうど
この女の家が大納言の家へ行く途中で、荒れた土塀の崩れから、
池の水に月の光が差していました。月でさえ宿る住まいを素通りする
のもどうかと思われて、私も一緒に牛車を降りたことでしたよ。
もとより、二人は心を交わす間柄になっていたのでしょうか、この男は
ひどく浮き浮きして、中門廊の縁側めいたところに腰を下ろして、しばらく
月を見ていました。菊の見事に色変わりしたのが見渡され、風に競って
紅葉の散り乱れる様子など、如何にも風情を感じさせるものでありました。
殿上人が懐にあった笛を取り出して吹き鳴らし、「かげもよし」など
ぽつりぽつり歌ううちに、女は調子の整えてあった音色の良い和琴で、
見事にそれに合わせて弾いたりしたのも悪くはありませんでした。
この律の調べの曲を、女がやさしい音で掻き鳴らし、それが御簾の
中から聞こえて来たのも、今風の華やかな和琴ですので、美しく澄んだ
月にまさにぴったりでした。
男はひどく感心して、御簾の際まで歩み寄って、『庭の紅葉には人の
踏み分けた跡もありませんね』などと言って、女を口惜しがらせます。
菊を折って、
『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける
(琴の音も月も素晴らしいお宅ですが、それでもつれないお方を
お引き留めにはなれないようで)これは失礼なことを申しましたね』
などと言って、『もう一曲、喜んで聞こうという人がいる時に、弾き惜しみ
などなさいますな』など、ひどく色っぽく持ち掛けますと、女はたいそう
気取った声で、
『木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき
(木枯らしに吹き合わせるあなたの笛の音をお引き留めできる
ほどの琴の腕を私は持ち合わせておりませんわ)』
と、艶っぽい遣り取りをするので、私がむかむかしているのも知らず、
今度は筝の琴を盤渉調で弾いて、その今風な掻き鳴らす音色には、
才気も感じられましたが、もう目を覆いたくなる思いがいたしました。
ただ時折付き合う女房などで、どこまでも気取ってあだっぽいのは、
そうして付き合う分には味のあるものでありましょう。時々であっても、
通って行く妻としてずっと生活を共にする人としては、あぶなっかしくて
派手すぎると嫌気がさして、その夜のことにかこつけて、通うのを止めて
しまいました。
この二人の場合のことを考え合わせますと、若い当時の私でさえ、やはり
このように派手派手しい振舞いをする女は感心できず、とても信頼できそうに
ないと思われました。これから先は、ましてやそのように思われることでしょう。
手折れば意のままにこぼれ落ちそうな萩の露や、手に取れば消えてしまい
そうに見える玉笹の上の霰などのような、しゃれて華奢な女のあだっぽさに
こそ風情をお感じになりましょうが、そうは言ってもあと七年もするうちには、
よくおわかりになりましょう。私ごとき卑しい者のご忠告ですが、色っぽく
なよやかな女にはお気をつけなさいませ。そういう女が間違いを起こすと、
夫が間抜けだという評判を立てられてしまうものです」と戒めております。
頭中将は例によって頷いています。源氏の君は少しお笑いになって、
そういうものだろう、とお思いのようでした。源氏の君が「どちらにしても、
人聞きの悪い、みっともない身の上話だなあ」とおっしゃったのにつられて、
皆でお笑いになっていました。
本日読みました「帚木」の巻(62頁・1行目~71頁・6行目まで)の
後半に当たる部分(67頁・13行目~71頁・6行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による。)
「さて、また同じ頃、私が通っておりました女は、人柄も格段上で、
気の利き方も本当にたしなみがあると思えるほどに、歌も上手く
詠めば、字も達筆、かき鳴らす琴の音も、何もかも、みな達者な
ものだと、ことごとに感心しておりました。器量もなかなかの女
でしたので、あの口やかまし屋の女を気楽な通い所とする一方で、
この女とこっそり逢っておりました間は、この上なく気に入っており
ました。
あちらの女が亡くなってからは、どうしようもなく可哀想なことをした、
とは思っても、死んでしまったものは仕方ありませんので、この女の
所へ足繁く通うようになりましたが、少し華やかすぎて、あだっぽく
気取っているのが、鼻につくようになって来まして、妻として頼りには
出来そうにもなくて、途絶えがちな態度を見せておりますうちに、
こっそりと仲良くなった男ができたようなのでした。
十月の頃、月も美しい夜、宮中から退出する時に、ある殿上人と
一緒になって、私の牛車に相乗りしましたので、その夜は女の所へ
行くわけにも行かず、私は大納言の家に行って泊まるつもりでしたが、
この人が言うには『今夜私を待っているはずの女のことがどうも気に
なりましてね』とのことで、牛車をそちらへ向けましたが、ちょうど
この女の家が大納言の家へ行く途中で、荒れた土塀の崩れから、
池の水に月の光が差していました。月でさえ宿る住まいを素通りする
のもどうかと思われて、私も一緒に牛車を降りたことでしたよ。
もとより、二人は心を交わす間柄になっていたのでしょうか、この男は
ひどく浮き浮きして、中門廊の縁側めいたところに腰を下ろして、しばらく
月を見ていました。菊の見事に色変わりしたのが見渡され、風に競って
紅葉の散り乱れる様子など、如何にも風情を感じさせるものでありました。
殿上人が懐にあった笛を取り出して吹き鳴らし、「かげもよし」など
ぽつりぽつり歌ううちに、女は調子の整えてあった音色の良い和琴で、
見事にそれに合わせて弾いたりしたのも悪くはありませんでした。
この律の調べの曲を、女がやさしい音で掻き鳴らし、それが御簾の
中から聞こえて来たのも、今風の華やかな和琴ですので、美しく澄んだ
月にまさにぴったりでした。
男はひどく感心して、御簾の際まで歩み寄って、『庭の紅葉には人の
踏み分けた跡もありませんね』などと言って、女を口惜しがらせます。
菊を折って、
『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける
(琴の音も月も素晴らしいお宅ですが、それでもつれないお方を
お引き留めにはなれないようで)これは失礼なことを申しましたね』
などと言って、『もう一曲、喜んで聞こうという人がいる時に、弾き惜しみ
などなさいますな』など、ひどく色っぽく持ち掛けますと、女はたいそう
気取った声で、
『木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき
(木枯らしに吹き合わせるあなたの笛の音をお引き留めできる
ほどの琴の腕を私は持ち合わせておりませんわ)』
と、艶っぽい遣り取りをするので、私がむかむかしているのも知らず、
今度は筝の琴を盤渉調で弾いて、その今風な掻き鳴らす音色には、
才気も感じられましたが、もう目を覆いたくなる思いがいたしました。
ただ時折付き合う女房などで、どこまでも気取ってあだっぽいのは、
そうして付き合う分には味のあるものでありましょう。時々であっても、
通って行く妻としてずっと生活を共にする人としては、あぶなっかしくて
派手すぎると嫌気がさして、その夜のことにかこつけて、通うのを止めて
しまいました。
この二人の場合のことを考え合わせますと、若い当時の私でさえ、やはり
このように派手派手しい振舞いをする女は感心できず、とても信頼できそうに
ないと思われました。これから先は、ましてやそのように思われることでしょう。
手折れば意のままにこぼれ落ちそうな萩の露や、手に取れば消えてしまい
そうに見える玉笹の上の霰などのような、しゃれて華奢な女のあだっぽさに
こそ風情をお感じになりましょうが、そうは言ってもあと七年もするうちには、
よくおわかりになりましょう。私ごとき卑しい者のご忠告ですが、色っぽく
なよやかな女にはお気をつけなさいませ。そういう女が間違いを起こすと、
夫が間抜けだという評判を立てられてしまうものです」と戒めております。
頭中将は例によって頷いています。源氏の君は少しお笑いになって、
そういうものだろう、とお思いのようでした。源氏の君が「どちらにしても、
人聞きの悪い、みっともない身の上話だなあ」とおっしゃったのにつられて、
皆でお笑いになっていました。
木枯の女
2016年12月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第9回・№1)
季節外れの「春一番」のような風が吹いて、何とも奇妙な陽気の日と
なりましたが、師走も下旬に入り、焦る気持ちが日増しに強くなって
来ています。まだ、年賀状も、大掃除も、手付かず状態です。
「紫の会・木曜クラス」は、12日の「月曜クラス」同様、「帚木」の巻の
左馬頭の体験談を読みました。12日のブログで「指喰いの女」の話を
ご紹介しましたので、今日は「木枯の女」のほうです。
「指喰いの女」の生前より、左馬頭は、「指喰いの女」とは対照的な、
風流な面にかけては、歌も、書も、音楽も、すべてにおいて達者で、
しかも美人、という女の所へも通っておりました。「指喰いの女」が
亡くなってからは、この女のもとに足繁く通っていましたが、余りにも
あだっぽくて気取り屋なところが鼻につくようになり、次第に足が
遠ざかっているうちに、女には別の男が出来たようでした。
十月の月の夜、宮中からの仕事帰り、ある殿上人と一緒になり、
左馬頭の牛車に相乗りして退出しました。途中で女の所に寄りたい、
と殿上人が言うので、牛車をそちらに廻しましたら、なんとそれは
件の女の所だったのです。
左馬頭が一緒だとも思わず、二人はいい気で合奏し、色っぽく歌を
詠み交わす始末。いくら何でもこれではひど過ぎる、と思って、
左馬頭はこの女と縁を切ったのでした。
「木枯の女」のようなタイプが、妻とするには一番適していないと、
左馬頭も結論付けています。今の若い独身男性にも、左馬頭の
二つの体験談は、参考になりそうな話ですね。
引き続き、いつものように、本日講読したところの後半部分の
全文訳を書きますので、「木枯の女」について、もっと詳しく
お読みになりたい場合は、どうぞこちらをご覧ください。
季節外れの「春一番」のような風が吹いて、何とも奇妙な陽気の日と
なりましたが、師走も下旬に入り、焦る気持ちが日増しに強くなって
来ています。まだ、年賀状も、大掃除も、手付かず状態です。
「紫の会・木曜クラス」は、12日の「月曜クラス」同様、「帚木」の巻の
左馬頭の体験談を読みました。12日のブログで「指喰いの女」の話を
ご紹介しましたので、今日は「木枯の女」のほうです。
「指喰いの女」の生前より、左馬頭は、「指喰いの女」とは対照的な、
風流な面にかけては、歌も、書も、音楽も、すべてにおいて達者で、
しかも美人、という女の所へも通っておりました。「指喰いの女」が
亡くなってからは、この女のもとに足繁く通っていましたが、余りにも
あだっぽくて気取り屋なところが鼻につくようになり、次第に足が
遠ざかっているうちに、女には別の男が出来たようでした。
十月の月の夜、宮中からの仕事帰り、ある殿上人と一緒になり、
左馬頭の牛車に相乗りして退出しました。途中で女の所に寄りたい、
と殿上人が言うので、牛車をそちらに廻しましたら、なんとそれは
件の女の所だったのです。
左馬頭が一緒だとも思わず、二人はいい気で合奏し、色っぽく歌を
詠み交わす始末。いくら何でもこれではひど過ぎる、と思って、
左馬頭はこの女と縁を切ったのでした。
「木枯の女」のようなタイプが、妻とするには一番適していないと、
左馬頭も結論付けています。今の若い独身男性にも、左馬頭の
二つの体験談は、参考になりそうな話ですね。
引き続き、いつものように、本日講読したところの後半部分の
全文訳を書きますので、「木枯の女」について、もっと詳しく
お読みになりたい場合は、どうぞこちらをご覧ください。
「雲隠」の巻
2016年12月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第184回)
12月の例会にふさわしく、湘南台クラスは、第二部の最後、「幻」の巻
のちょうど歳末の部分を読み終えて、「宇治十帖」への橋渡しとなる
「匂宮三帖」の最初の巻「匂兵部卿」に少し入りました。
「幻」の巻で、光源氏の物語は終わり、次の「匂兵部卿」の巻との間には
八年の空白があり、その間に源氏は故人となっています。
実は、「幻」と「「匂兵部卿」の間には「雲隠」という巻名だけで、本文のない
巻が置かれています。
今日はこの巻(と言っても、本文がありませんので、五十四帖の中には
含まれていません)のことについて書きたいと思います。
「雲隠」という言葉は、「万葉集」では、有名な大津皇子の
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻三・四一六)
(磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死んで行くのであろうか)
のように、「死」を暗示するのに用いられており、平安時代には、月が
雲に隠れることによく使われました。「百人一首」の紫式部の歌も
「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」
(ようやくめぐり逢えた、と思うか思わないかのうちに、雲に隠れて
しまった夜半の月、その月のように、幼なじみのあなたも、ほんの
ちょっと逢っただけで、すぐにお帰りになってしまわれたことですよ。)
で、「雲隠」を使っています。「栄華物語」(巻二十九・「玉のかざり」)では
三条天皇の中宮だった妍子(道長の次女)が亡くなった後、十六夜の月
の美しい時、女房らが妍子を偲んで歌を唱和した折に、五節の君という
女房が
「などて君雲隠れけむかくばかりのどかに澄める月もある世に」
(どうしてあなた様は雲に隠れて(亡くなって)おしまいになったのでしょう。
こんなにのどかに美しい月もあるこの世ですのに)
と詠んで、「月が隠れること」と「死」と、意味を重ね合わせています。
こうしたことから考えてみても、「雲隠」という巻名が、「源氏の死」を暗示して
いることは明らかで、誕生から死までを描く一代記において、避けることの
出来ない源氏の終焉を、「雲隠」という巻名だけで伝えたのは、実に心憎い
スマートなやり方だと言えるのではないでしょうか。
「まことや」(「あっ、そうそう、そう言えば」という意味で、源氏物語ではよく
使われています)、今日は冬至で、かぼちゃを食べ、ゆず湯に入る日です。
夕食時には「かぼちゃと小豆のいとこ煮」を作って食べました。
ゆず湯のほうは、日付が変わってからになりそうですが、ゆずの香りを
楽しみながら、湯船に手足を伸ばしたいと思います。
それにしても、今年は暖かな冬至でした。
12月の例会にふさわしく、湘南台クラスは、第二部の最後、「幻」の巻
のちょうど歳末の部分を読み終えて、「宇治十帖」への橋渡しとなる
「匂宮三帖」の最初の巻「匂兵部卿」に少し入りました。
「幻」の巻で、光源氏の物語は終わり、次の「匂兵部卿」の巻との間には
八年の空白があり、その間に源氏は故人となっています。
実は、「幻」と「「匂兵部卿」の間には「雲隠」という巻名だけで、本文のない
巻が置かれています。
今日はこの巻(と言っても、本文がありませんので、五十四帖の中には
含まれていません)のことについて書きたいと思います。
「雲隠」という言葉は、「万葉集」では、有名な大津皇子の
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻三・四一六)
(磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死んで行くのであろうか)
のように、「死」を暗示するのに用いられており、平安時代には、月が
雲に隠れることによく使われました。「百人一首」の紫式部の歌も
「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」
(ようやくめぐり逢えた、と思うか思わないかのうちに、雲に隠れて
しまった夜半の月、その月のように、幼なじみのあなたも、ほんの
ちょっと逢っただけで、すぐにお帰りになってしまわれたことですよ。)
で、「雲隠」を使っています。「栄華物語」(巻二十九・「玉のかざり」)では
三条天皇の中宮だった妍子(道長の次女)が亡くなった後、十六夜の月
の美しい時、女房らが妍子を偲んで歌を唱和した折に、五節の君という
女房が
「などて君雲隠れけむかくばかりのどかに澄める月もある世に」
(どうしてあなた様は雲に隠れて(亡くなって)おしまいになったのでしょう。
こんなにのどかに美しい月もあるこの世ですのに)
と詠んで、「月が隠れること」と「死」と、意味を重ね合わせています。
こうしたことから考えてみても、「雲隠」という巻名が、「源氏の死」を暗示して
いることは明らかで、誕生から死までを描く一代記において、避けることの
出来ない源氏の終焉を、「雲隠」という巻名だけで伝えたのは、実に心憎い
スマートなやり方だと言えるのではないでしょうか。
「まことや」(「あっ、そうそう、そう言えば」という意味で、源氏物語ではよく
使われています)、今日は冬至で、かぼちゃを食べ、ゆず湯に入る日です。
夕食時には「かぼちゃと小豆のいとこ煮」を作って食べました。
ゆず湯のほうは、日付が変わってからになりそうですが、ゆずの香りを
楽しみながら、湯船に手足を伸ばしたいと思います。
それにしても、今年は暖かな冬至でした。
女三宮の恐れ
2016年12月19日(月) 溝の口「湖月会」(第102回)
12月9日のブログでは、女三宮の部屋から飛び出して来た唐猫の
首につけてある綱が、引っかかって御簾がめくれてしまったため、
偶然近くにいた柏木と夕霧が、女三宮の姿を目にして、女三宮の
不用意さに半ばあきれている夕霧と、憧れの女性の姿を目にしたが
ために、恋の炎が燃えたぎって行く柏木との、両者の思いの違いを、
書きました。その時予告しましたが、二人に姿を見られてしまったことを
知った女三宮の反応を、今日はお伝えいたします。
女三宮の姿を垣間見て以来、女三宮のことで思い悩み続けている柏木は、
女三宮の乳母子・小侍従のもとに女三宮宛の手紙を遣わしました。
その手紙の中に「あやなく今日はながめ暮らしはべる」(わけもなく今日は
ぼんやりと物思いに耽って暮らしております)と書かれていましたが、
これは「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ」
という在原業平の歌から引かれており、柏木が言わんとしたのは、(見ないと
いうわけでもなく、見たというほどでもないあなたのことが恋しくてならないので)
という上の句の部分でした。
小侍従から手紙を見せられた女三宮は、さすがにこれを見て、あの蹴鞠の日
に、思いも掛けず御簾の端がめくれて、自分の姿が夕霧や柏木に見られて
しまったことを知ったのでした。
女三宮は恐れます。何を恐れたかというと、柏木のことではありません。
以前から、源氏が「夕霧に姿を見られたりしないように注意しなさい。あなたは
子供っぽいところがおありだから、うっかりして見られてしまうことがあると
いけないからね」と、お諫めになっているのを思い出し、「夕霧にこの一件を
告げ口されたら、私は源氏の君からどんなお叱りを受けるかもしれない」と
恐れていたのです。
夫以外の男性に決して顔を見られることがあってはならない、という当時
の常識を破ってしまったことへの反省が全くなく、夕霧の告げ口で源氏に
叱られることを心配している女三宮。一番に心配しなくてはならないのは
自分に懸想している柏木に姿を見られたことだったのに、あまりにも幼稚な
女三宮です。この時15、6歳。もう大人としての自覚があってもよい年齢に
なっていました。
こうして不協和音が奏で始められた状況を抱え込んで、物語は次の「若菜下」
へと進んで行くのです。
以下は、余談も余談。「源氏物語」にも全く関係のないことですが、本日の
例会の後で、「ピコ太郎」が話題になった時、私が「何、それ?」って訊いたら、
皆さま、「ええーっ!!知らないの?」と、驚いてのけぞってしまわれました。
それからお茶を飲みながら、話は終始「ピコ太郎」のこと。全くもって時流に
取り残されているわが身を思い知らされ、帰宅後、真っ先にパソコンを開いて
「ピコ太郎 動画」と入れて検索。見ました!!
でもでも、何でこれが今や日本のみならず、世界中でもてはやされているのか、
数回見直しても理解できなかった私は、やっぱり時流に乗れない人間でした
12月9日のブログでは、女三宮の部屋から飛び出して来た唐猫の
首につけてある綱が、引っかかって御簾がめくれてしまったため、
偶然近くにいた柏木と夕霧が、女三宮の姿を目にして、女三宮の
不用意さに半ばあきれている夕霧と、憧れの女性の姿を目にしたが
ために、恋の炎が燃えたぎって行く柏木との、両者の思いの違いを、
書きました。その時予告しましたが、二人に姿を見られてしまったことを
知った女三宮の反応を、今日はお伝えいたします。
女三宮の姿を垣間見て以来、女三宮のことで思い悩み続けている柏木は、
女三宮の乳母子・小侍従のもとに女三宮宛の手紙を遣わしました。
その手紙の中に「あやなく今日はながめ暮らしはべる」(わけもなく今日は
ぼんやりと物思いに耽って暮らしております)と書かれていましたが、
これは「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ」
という在原業平の歌から引かれており、柏木が言わんとしたのは、(見ないと
いうわけでもなく、見たというほどでもないあなたのことが恋しくてならないので)
という上の句の部分でした。
小侍従から手紙を見せられた女三宮は、さすがにこれを見て、あの蹴鞠の日
に、思いも掛けず御簾の端がめくれて、自分の姿が夕霧や柏木に見られて
しまったことを知ったのでした。
女三宮は恐れます。何を恐れたかというと、柏木のことではありません。
以前から、源氏が「夕霧に姿を見られたりしないように注意しなさい。あなたは
子供っぽいところがおありだから、うっかりして見られてしまうことがあると
いけないからね」と、お諫めになっているのを思い出し、「夕霧にこの一件を
告げ口されたら、私は源氏の君からどんなお叱りを受けるかもしれない」と
恐れていたのです。
夫以外の男性に決して顔を見られることがあってはならない、という当時
の常識を破ってしまったことへの反省が全くなく、夕霧の告げ口で源氏に
叱られることを心配している女三宮。一番に心配しなくてはならないのは
自分に懸想している柏木に姿を見られたことだったのに、あまりにも幼稚な
女三宮です。この時15、6歳。もう大人としての自覚があってもよい年齢に
なっていました。
こうして不協和音が奏で始められた状況を抱え込んで、物語は次の「若菜下」
へと進んで行くのです。
以下は、余談も余談。「源氏物語」にも全く関係のないことですが、本日の
例会の後で、「ピコ太郎」が話題になった時、私が「何、それ?」って訊いたら、
皆さま、「ええーっ!!知らないの?」と、驚いてのけぞってしまわれました。
それからお茶を飲みながら、話は終始「ピコ太郎」のこと。全くもって時流に
取り残されているわが身を思い知らされ、帰宅後、真っ先にパソコンを開いて
「ピコ太郎 動画」と入れて検索。見ました!!
でもでも、何でこれが今や日本のみならず、世界中でもてはやされているのか、
数回見直しても理解できなかった私は、やっぱり時流に乗れない人間でした
新宿「あえん」と青山「根津美術館」
2016年12月17日(土)
3月19日、7月16日に続いて、今年三度目の、昔の職場仲間の集いに
参加してまいりました。
今回の幹事さんがセッティングしてくださったのは、新宿・伊勢丹会館4F
にある「あえん」。溝の口の講読会の会場がある「丸井」の中にも入って
いるので、時折利用するお店です。有機野菜などをたっぷりと使った、
身体に優しいお料理を提供していて、店名の「あえん」も、必須ミネラルの
亜鉛(Zn)に由来しているそうです。
新宿という場所柄に加えて、土曜日ということもあってか、12時過ぎには
満席状態。幹事さんが気を利かせて混み合う前の11時スタートにして
予約してくださっていたので、我々はゆっくりと食事をしながら、お喋りも
楽しむことが出来ました。
野菜中心とあなどる勿れ、夕方帰宅後もまだお腹がいっぱいでした。
張り切って写真を撮り始めたのに、いつものことながら肝心のところで
食べることに夢中になっていて、写したのは最初の突出し風のお料理と
デザートだけ。
キャベツと油揚げ煮と豆腐田楽 抹茶のババロアとコーヒー
「あえん」で3時間近く過ごした後、青山の「根津美術館」まで足を延ばし、
開催中の「円山応挙展」を見てまいりました。
先日、溝の口の「源氏の会」の方から、この展覧会に「源氏四季図屏風」が
出品されているとのメールを戴いていたので、今日帰りに廻って見たいと
思っていましたら、ちょうどいらっしゃるご予定の方があってご一緒させて
頂きました。
源氏の六条院の四つの町をモチーフに描かれた「源氏四季図屏風」は、
広大な庭を思わせるゆったりと取った空間の中に、四季折々の木や花が
点在している穏やかな六曲一双の屏風でした。
帰りの電車が二子玉川駅に停車した時には、美しい夕焼けが、多摩川の
向こうに広がっていました。
3月19日、7月16日に続いて、今年三度目の、昔の職場仲間の集いに
参加してまいりました。
今回の幹事さんがセッティングしてくださったのは、新宿・伊勢丹会館4F
にある「あえん」。溝の口の講読会の会場がある「丸井」の中にも入って
いるので、時折利用するお店です。有機野菜などをたっぷりと使った、
身体に優しいお料理を提供していて、店名の「あえん」も、必須ミネラルの
亜鉛(Zn)に由来しているそうです。
新宿という場所柄に加えて、土曜日ということもあってか、12時過ぎには
満席状態。幹事さんが気を利かせて混み合う前の11時スタートにして
予約してくださっていたので、我々はゆっくりと食事をしながら、お喋りも
楽しむことが出来ました。
野菜中心とあなどる勿れ、夕方帰宅後もまだお腹がいっぱいでした。
張り切って写真を撮り始めたのに、いつものことながら肝心のところで
食べることに夢中になっていて、写したのは最初の突出し風のお料理と
デザートだけ。
キャベツと油揚げ煮と豆腐田楽 抹茶のババロアとコーヒー
「あえん」で3時間近く過ごした後、青山の「根津美術館」まで足を延ばし、
開催中の「円山応挙展」を見てまいりました。
先日、溝の口の「源氏の会」の方から、この展覧会に「源氏四季図屏風」が
出品されているとのメールを戴いていたので、今日帰りに廻って見たいと
思っていましたら、ちょうどいらっしゃるご予定の方があってご一緒させて
頂きました。
源氏の六条院の四つの町をモチーフに描かれた「源氏四季図屏風」は、
広大な庭を思わせるゆったりと取った空間の中に、四季折々の木や花が
点在している穏やかな六曲一双の屏風でした。
帰りの電車が二子玉川駅に停車した時には、美しい夕焼けが、多摩川の
向こうに広がっていました。
今は昔に比べたら楽よねぇ
2016年12月16日(金) 溝の口「枕草子」(第3回)
前回は、日記的章段を年立てに従って読みましょう、ということで、
テキスト下巻の、第174段(村上天皇の御代の話)から読みましたが、
上巻下巻を行ったり来たりしながら読むのは却って大変、とのこと
でしたので、今回からは、段の順に読んで行くことにしました。
第1段は初回に読みましたので、今日は第2段~第5段の途中までを
講読しました。
第2段は、「ころは」(頃は)という類聚章段で、正月の行事の頃、
四月の葵祭の頃などについて、かなり長く書かれている段ですが、
行事そのものについてではなく、人々の様子が活写してあります
ので、まるで、風俗絵巻を見ているかのような面白さがあります。
第3段、第4段は数行にわたって書かれているだけの短い段ですが、
第4段の最後の一行にこう書かれています。
「これは、むかしのことなめり。いまは、いとやすげなり。」(こんなことは
むかしの話のようで、今はずっと楽そうです。)
この段は、「大切な息子を僧侶にした親御さんは気の毒だ」という書き出し
で、「出家するといつも精進料理の味気無い物ばかり食べて、眠るのも
自由にならず、年若い僧侶が女性に興味を持つことも許されない。」と
その理由を述べ、ましてや、当時は、病は物怪のしわざと考えられており、
修験者に加持・祈祷で物怪を退散させる、というのが一般的な考え方
でしたから、「修験者が祈り疲れて居眠りでもしようものなら、手厳しく
非難されて身の置き所もなく、辛いことだろう」と続いています。そして、
上記の一文となるのですが、要は「昔は厳格で大変だったけど、今は
随分気楽になっているわよね」という話です。
いつの時代でもあるのですね。千年はもとより、百年もの違いがあるわけ
ではありません。1generation の差だけなんですよね。「今どきの若い者は
だらしがない!」「昔は大変だったけど、今は楽よね!」。これって、千年前
(いやもっと前かも)から、変わらぬ現象というのが、何とも不思議な気が
してくる段です。
第5段は、「日記的章段」で、もうだいぶ後のほうの「長保元年」(999年)の
出来事です。まだ、最初の1/3ほどを読んだだけですので、この段のことは
次回で詳しくご紹介したいと思います。
前回は、日記的章段を年立てに従って読みましょう、ということで、
テキスト下巻の、第174段(村上天皇の御代の話)から読みましたが、
上巻下巻を行ったり来たりしながら読むのは却って大変、とのこと
でしたので、今回からは、段の順に読んで行くことにしました。
第1段は初回に読みましたので、今日は第2段~第5段の途中までを
講読しました。
第2段は、「ころは」(頃は)という類聚章段で、正月の行事の頃、
四月の葵祭の頃などについて、かなり長く書かれている段ですが、
行事そのものについてではなく、人々の様子が活写してあります
ので、まるで、風俗絵巻を見ているかのような面白さがあります。
第3段、第4段は数行にわたって書かれているだけの短い段ですが、
第4段の最後の一行にこう書かれています。
「これは、むかしのことなめり。いまは、いとやすげなり。」(こんなことは
むかしの話のようで、今はずっと楽そうです。)
この段は、「大切な息子を僧侶にした親御さんは気の毒だ」という書き出し
で、「出家するといつも精進料理の味気無い物ばかり食べて、眠るのも
自由にならず、年若い僧侶が女性に興味を持つことも許されない。」と
その理由を述べ、ましてや、当時は、病は物怪のしわざと考えられており、
修験者に加持・祈祷で物怪を退散させる、というのが一般的な考え方
でしたから、「修験者が祈り疲れて居眠りでもしようものなら、手厳しく
非難されて身の置き所もなく、辛いことだろう」と続いています。そして、
上記の一文となるのですが、要は「昔は厳格で大変だったけど、今は
随分気楽になっているわよね」という話です。
いつの時代でもあるのですね。千年はもとより、百年もの違いがあるわけ
ではありません。1generation の差だけなんですよね。「今どきの若い者は
だらしがない!」「昔は大変だったけど、今は楽よね!」。これって、千年前
(いやもっと前かも)から、変わらぬ現象というのが、何とも不思議な気が
してくる段です。
第5段は、「日記的章段」で、もうだいぶ後のほうの「長保元年」(999年)の
出来事です。まだ、最初の1/3ほどを読んだだけですので、この段のことは
次回で詳しくご紹介したいと思います。
湘南台・百人一首「かるた大会」
2016年12月14日(水) 湘南台「百人一首」(番外の「かるた大会」)
先月で、百首までの四方山話は終わりましたので、今日はフィナーレを
飾る「かるた大会」。「大会」といっても、こちらは溝の口の時の1/4の人数。
こじんまりとしていましたが、皆さま童心に返って、かるた取りを楽しんで
くださいました。
ティータイムでは、手作りの美味しいお饅頭などをいただきながら、
「青葉の笛」や「青葉茂れる桜井の」などの歌を披露してくださった方もあり、
さすが「古典を読む会」(この会の正式サークル名)に相応しい締めくくりと
なりました。
その後表彰式をして、源平戦でしたので、優勝、準優勝チームの方々に
賞状と、記念品を授与いたしました。
最後は、溝の口の時と同じように全員で記念撮影。
真剣にかるたに向かっておられる写真と併せてどうぞ!
湘南台の「百人一首」にご参加くださった皆さま、有難うございました
先月で、百首までの四方山話は終わりましたので、今日はフィナーレを
飾る「かるた大会」。「大会」といっても、こちらは溝の口の時の1/4の人数。
こじんまりとしていましたが、皆さま童心に返って、かるた取りを楽しんで
くださいました。
ティータイムでは、手作りの美味しいお饅頭などをいただきながら、
「青葉の笛」や「青葉茂れる桜井の」などの歌を披露してくださった方もあり、
さすが「古典を読む会」(この会の正式サークル名)に相応しい締めくくりと
なりました。
その後表彰式をして、源平戦でしたので、優勝、準優勝チームの方々に
賞状と、記念品を授与いたしました。
最後は、溝の口の時と同じように全員で記念撮影。
真剣にかるたに向かっておられる写真と併せてどうぞ!
湘南台の「百人一首」にご参加くださった皆さま、有難うございました
第二帖「帚木」の巻・全文訳(5)
2016年12月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第9回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(62頁・1行目~71頁・6行目まで)の
前半に当たる部分(62頁・1行目~67頁・12行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による。)
「昔、私がまだ下っ端役人だった頃に、愛しいと思った女がおりました。
先程申し上げましたように、顔などがたいして美人でもありませんでした
ので、若い頃の浮ついた気持ちでは、この人を生涯の妻と決めもせずに、
頼り甲斐はあると思いながらも、物足りなくて、何かと浮気をしておりました
のを、女がひどくやきもちを焼くので、不愉快で、こんなふうではなくおっとり
としていたらいいのに、と思いながら、あまりにも容赦なく疑いますのも
わずらわしく、それでも私のようなつまらない男に愛想を尽かすこともなく、
どうしてこんなに愛してくれるのか、と、心苦しくなる折々もございまして、
自然と浮気も収まるといったふうでございました。
この女の性格は、元々自分には無理なことでも、何とかしてこの人のために、
と、無い知恵を絞り、不得意な面も、やはり夫に残念だと思われまい、と
努力しまして、何かにつけて、こまごまと世話をよくしてくれました。少しでも、
私の機嫌を損ねることのないようにと心掛けておりましたので、積極的な性格
の女だと思っていましたが、何でも私の言うことを聞いて、気弱になって行き、
不細工な顔も、この人に嫌われはすまいかと、いじらしく化粧をし、親しくない
人に見られると私が恥ずかしい思いはせぬか、と、遠慮して引っ込んでおり、
いつもたしなみを忘れることなく、慣れ親しむうちに、気立ても悪くはなかった
のですが、ただこの「嫉妬」という憎らしい方面の一点だけが、改まらないの
でした。
その当時思いましたことには、こんなふうにひたすら私に従順でびくびくして
いる人のようだから、何とか懲りるほどのことをして、脅して、嫉妬も少し
人並みに収まるようになり、口やかましさも直ればよいということでした。
なので、私が心底嫌だと思って縁を切りたがっている素振りを見せたなら、
これほど私に従う気持ちがあるなら、きっとそれで懲りるだろう、と考えついて、
わざと冷たくつれない様子を見せると、女がいつものように腹を立てて恨み言
を言うので、ここぞとばかり、『こんなにおぞましい態度を取るなら、夫婦の縁は
たとえ深くても、もう二度と逢いたくないね。私と別れたいなら、こんな無茶な
邪推もしたらいいよ。でも、この先もずっと連れ添う気持ちがあるなら、我慢も
して普通に考えるようになさい。そうしてこの嫉妬心が収まりさえすれば、
これまで以上にあなたをいとしく思うでしょうよ。私が人並みに出世し、多少
貫禄もつくようになったら、あなたを他に肩を並べる人のないよう扱うつもり
なんですから』などと、我ながら上手く説教しているものだ、と偉そうにまくし
立てますと、女はふんと笑って、『あなたがどう見ても貧相で、若輩である間を
我慢して、いつか人並みに出世する日も来ようかと待つことにかけては、私は
いつまでだって構わずに待っていられますから、そんなことは気になりません。
そのあなたの薄情さに耐えて素行が改まる時を見届けようと、これからの長い
年月、あてにならない期待を持ち続けることは、とても辛くてたまらないでしょう
から、今がお互い別れ時かもしれませんわね』と、こしゃくなことを言いますので、
腹が立って来て、ひどい言葉をいろいろと浴びせかけましたところ、女もこのまま
では済まされない問題でしたので、私の指を引き寄せて噛みつきましたのを、
大げさに文句を言って『こんな怪我までさせられては、いよいよもって仕事にも
行けなくなってしまった。あなたが馬鹿にしている官位も、ますます絶望で、
どうして人並みの出世などできようか。出家がふさわしい身の上らしいね』などと、
言い脅して、『じゃあ、今日でお別れのようだね』と、この噛みつかれた指を曲げた
まま出て来ました。
『手を折りてあひ見しことを数ふればこれひとつやは君が憂きふし(指を折って
あなたと共に暮らした年月を数えてみると、今回のことだけがあなたの欠点だった
でしょうか)
私を恨んだりはできないでしょう』などと言いましたところ、女はさすがに泣いて、
『憂きふしを心ひとつに数へきてこや君が手をわかるべきをり』(あなたの辛い
お仕打ちを胸一つに収めて耐えてまいりましたが、これがあなたとのお別れ時と
いうものでしょうか)
と返してきて、言い争いました。本心は女と別れてしまうつもりもないものの、
何日も便りも遣わすことなく、浮かれ歩いておりますうちに、臨時の祭りの調楽で、
夜が更けてたいそう霙が降る夜、それぞれが宮中を退出して別れる所で、思い
巡らすと、やはり帰る家と思える所はあの女の所以外にはありませんでした。
宮中に泊まるのも味気ないし、気取った女の所は寒々としているだろうし、と
思われましたので、その後どうしているのかも気になり、様子も見がてらと、雪を
打ち払いながら、何となく体裁も悪く照れくさくもありましたが、そうは言っても
こんな霙の夜に訪ねて行けばあの喧嘩別れをした日以来の恨みも解けるだろう
と思いまして、訪ねました。
女の家では、灯りを壁のほうに向けて暗くし、柔らかで厚目に仕立てた衣装が、
大きな伏籠に掛けてあり、引き上げておくべき几帳の帷子などが上げてあって、
今夜あたり私が訪ねてくるのではないか、と待っていた様子でした。「やっぱりな」
と、いい気になったのですが、肝心のご本人がいません。しかるべき女房たちばかり
が残っていて、「奥様はご実家にこの夜半にお出かけになりました」と答えました。
しゃれた歌も詠み置かず、気取った手紙があるわけでもなく、全く不愛想な風情の
ないやり方だったので、拍子抜けして、あんなに口やかましく容赦なかったのも、
自分を嫌いになってくれ、という気持ちが女にあったのか、と、そんな風には
見えなかったことなのですが、その夜はおもしろくないままにそう思ったものでした。
でも、支度してる着物は、いつもよりも念を入れた色合いや仕立てが申し分のない
出来栄えで、さすがにあんな別れ方をした後まで、私の世話を考えてしてくれて
いるのでした。
ですから、喧嘩別れをしたからといって、すっかり私に愛想をつかしてしまうような
ことはあるまいと思って、その後もあれこれと言って遣りましたところ、女は返事を
寄越さないわけでもなく、探させて困らせてやろうと雲隠れするわけでもなく、私に
恥をかかせない程度に返事をしながら、ただ『今のままではとても我慢できません。
心を入れ替えて、腰を落ち着けて下さる気になったら、もとの鞘に戻りましょう』など
と言って来ておりました。そうは言っても私のことを思い切ることなどできまい、と
思っておりましたので、しばらく懲らしめてやろうと、そのように改めましょう、とも
言わず、お互いに意地の張り合いをしているうちに、女はたいとうひどく思い嘆いて
死んでしまいましたので、滅多なことで冗談も言うもんじゃない、という気がいたし
ました。
生活を任せきる妻としてはあの女程度で十分だった、と今でも思い出されます。
ちょっとした風流事でも、生活上の大事な事でも、相談のし甲斐があり、染色の
腕前は龍田姫と言っても良さそうな程だったし、裁縫の腕前も織姫に引けを
取らないくらいで、その技量を両方身につけていて、たいした女でした」と言って、
たいそうしみじみと思い出しておりました。頭中将は、「その裁縫の腕前は
別として、彦星と織姫の末永い夫婦の縁にはあやかりたかったね。本当に
その女の染めた錦に勝るものはなかったのでしょう。ちょっとした花紅葉のような
色合いも、季節感を度外視した下手なのは、何の見栄えもなく引き立たない
ものです。だからこそ、妻選びは難しいと、議論が尽きないのだよ」と、話を
盛り上げていらっしゃいます。
本日読みました「帚木」の巻(62頁・1行目~71頁・6行目まで)の
前半に当たる部分(62頁・1行目~67頁・12行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による。)
「昔、私がまだ下っ端役人だった頃に、愛しいと思った女がおりました。
先程申し上げましたように、顔などがたいして美人でもありませんでした
ので、若い頃の浮ついた気持ちでは、この人を生涯の妻と決めもせずに、
頼り甲斐はあると思いながらも、物足りなくて、何かと浮気をしておりました
のを、女がひどくやきもちを焼くので、不愉快で、こんなふうではなくおっとり
としていたらいいのに、と思いながら、あまりにも容赦なく疑いますのも
わずらわしく、それでも私のようなつまらない男に愛想を尽かすこともなく、
どうしてこんなに愛してくれるのか、と、心苦しくなる折々もございまして、
自然と浮気も収まるといったふうでございました。
この女の性格は、元々自分には無理なことでも、何とかしてこの人のために、
と、無い知恵を絞り、不得意な面も、やはり夫に残念だと思われまい、と
努力しまして、何かにつけて、こまごまと世話をよくしてくれました。少しでも、
私の機嫌を損ねることのないようにと心掛けておりましたので、積極的な性格
の女だと思っていましたが、何でも私の言うことを聞いて、気弱になって行き、
不細工な顔も、この人に嫌われはすまいかと、いじらしく化粧をし、親しくない
人に見られると私が恥ずかしい思いはせぬか、と、遠慮して引っ込んでおり、
いつもたしなみを忘れることなく、慣れ親しむうちに、気立ても悪くはなかった
のですが、ただこの「嫉妬」という憎らしい方面の一点だけが、改まらないの
でした。
その当時思いましたことには、こんなふうにひたすら私に従順でびくびくして
いる人のようだから、何とか懲りるほどのことをして、脅して、嫉妬も少し
人並みに収まるようになり、口やかましさも直ればよいということでした。
なので、私が心底嫌だと思って縁を切りたがっている素振りを見せたなら、
これほど私に従う気持ちがあるなら、きっとそれで懲りるだろう、と考えついて、
わざと冷たくつれない様子を見せると、女がいつものように腹を立てて恨み言
を言うので、ここぞとばかり、『こんなにおぞましい態度を取るなら、夫婦の縁は
たとえ深くても、もう二度と逢いたくないね。私と別れたいなら、こんな無茶な
邪推もしたらいいよ。でも、この先もずっと連れ添う気持ちがあるなら、我慢も
して普通に考えるようになさい。そうしてこの嫉妬心が収まりさえすれば、
これまで以上にあなたをいとしく思うでしょうよ。私が人並みに出世し、多少
貫禄もつくようになったら、あなたを他に肩を並べる人のないよう扱うつもり
なんですから』などと、我ながら上手く説教しているものだ、と偉そうにまくし
立てますと、女はふんと笑って、『あなたがどう見ても貧相で、若輩である間を
我慢して、いつか人並みに出世する日も来ようかと待つことにかけては、私は
いつまでだって構わずに待っていられますから、そんなことは気になりません。
そのあなたの薄情さに耐えて素行が改まる時を見届けようと、これからの長い
年月、あてにならない期待を持ち続けることは、とても辛くてたまらないでしょう
から、今がお互い別れ時かもしれませんわね』と、こしゃくなことを言いますので、
腹が立って来て、ひどい言葉をいろいろと浴びせかけましたところ、女もこのまま
では済まされない問題でしたので、私の指を引き寄せて噛みつきましたのを、
大げさに文句を言って『こんな怪我までさせられては、いよいよもって仕事にも
行けなくなってしまった。あなたが馬鹿にしている官位も、ますます絶望で、
どうして人並みの出世などできようか。出家がふさわしい身の上らしいね』などと、
言い脅して、『じゃあ、今日でお別れのようだね』と、この噛みつかれた指を曲げた
まま出て来ました。
『手を折りてあひ見しことを数ふればこれひとつやは君が憂きふし(指を折って
あなたと共に暮らした年月を数えてみると、今回のことだけがあなたの欠点だった
でしょうか)
私を恨んだりはできないでしょう』などと言いましたところ、女はさすがに泣いて、
『憂きふしを心ひとつに数へきてこや君が手をわかるべきをり』(あなたの辛い
お仕打ちを胸一つに収めて耐えてまいりましたが、これがあなたとのお別れ時と
いうものでしょうか)
と返してきて、言い争いました。本心は女と別れてしまうつもりもないものの、
何日も便りも遣わすことなく、浮かれ歩いておりますうちに、臨時の祭りの調楽で、
夜が更けてたいそう霙が降る夜、それぞれが宮中を退出して別れる所で、思い
巡らすと、やはり帰る家と思える所はあの女の所以外にはありませんでした。
宮中に泊まるのも味気ないし、気取った女の所は寒々としているだろうし、と
思われましたので、その後どうしているのかも気になり、様子も見がてらと、雪を
打ち払いながら、何となく体裁も悪く照れくさくもありましたが、そうは言っても
こんな霙の夜に訪ねて行けばあの喧嘩別れをした日以来の恨みも解けるだろう
と思いまして、訪ねました。
女の家では、灯りを壁のほうに向けて暗くし、柔らかで厚目に仕立てた衣装が、
大きな伏籠に掛けてあり、引き上げておくべき几帳の帷子などが上げてあって、
今夜あたり私が訪ねてくるのではないか、と待っていた様子でした。「やっぱりな」
と、いい気になったのですが、肝心のご本人がいません。しかるべき女房たちばかり
が残っていて、「奥様はご実家にこの夜半にお出かけになりました」と答えました。
しゃれた歌も詠み置かず、気取った手紙があるわけでもなく、全く不愛想な風情の
ないやり方だったので、拍子抜けして、あんなに口やかましく容赦なかったのも、
自分を嫌いになってくれ、という気持ちが女にあったのか、と、そんな風には
見えなかったことなのですが、その夜はおもしろくないままにそう思ったものでした。
でも、支度してる着物は、いつもよりも念を入れた色合いや仕立てが申し分のない
出来栄えで、さすがにあんな別れ方をした後まで、私の世話を考えてしてくれて
いるのでした。
ですから、喧嘩別れをしたからといって、すっかり私に愛想をつかしてしまうような
ことはあるまいと思って、その後もあれこれと言って遣りましたところ、女は返事を
寄越さないわけでもなく、探させて困らせてやろうと雲隠れするわけでもなく、私に
恥をかかせない程度に返事をしながら、ただ『今のままではとても我慢できません。
心を入れ替えて、腰を落ち着けて下さる気になったら、もとの鞘に戻りましょう』など
と言って来ておりました。そうは言っても私のことを思い切ることなどできまい、と
思っておりましたので、しばらく懲らしめてやろうと、そのように改めましょう、とも
言わず、お互いに意地の張り合いをしているうちに、女はたいとうひどく思い嘆いて
死んでしまいましたので、滅多なことで冗談も言うもんじゃない、という気がいたし
ました。
生活を任せきる妻としてはあの女程度で十分だった、と今でも思い出されます。
ちょっとした風流事でも、生活上の大事な事でも、相談のし甲斐があり、染色の
腕前は龍田姫と言っても良さそうな程だったし、裁縫の腕前も織姫に引けを
取らないくらいで、その技量を両方身につけていて、たいした女でした」と言って、
たいそうしみじみと思い出しておりました。頭中将は、「その裁縫の腕前は
別として、彦星と織姫の末永い夫婦の縁にはあやかりたかったね。本当に
その女の染めた錦に勝るものはなかったのでしょう。ちょっとした花紅葉のような
色合いも、季節感を度外視した下手なのは、何の見栄えもなく引き立たない
ものです。だからこそ、妻選びは難しいと、議論が尽きないのだよ」と、話を
盛り上げていらっしゃいます。
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