三島へ
2021年3月29日(月)
この一年余り、新幹線どころか、普通の電車にも殆ど乗らない生活を
してきましたが、今日は新幹線で三島まで行きました。
歯が痛いなぁ(正確に言うと痛いのは歯の裏側の歯茎)と思い始めて
もう一ヶ月位経ちます。コロナ禍でなければ、もっと早くに治療を受けに
行ったのですが(歯に関してはずっと歯科医の義兄にお世話になって
います)、我慢し続けていました。
このまま放置していても治るとは思えないし、この先コロナの第4波と
いうことにでもなれば、ますます行けなくなるので、意を決して出掛け
ました。
治療の前に姉が、「富士山三島東急ホテル」の13Fにあるお気に入り
のレストラン「炉 L’EAU」で、ランチをご馳走してくれました。このホテル
は、昨夏三島駅前に開業したばかりなので、私は初めてです。
北側に面した窓に沿って席が設けてあります。テーブルは二人並んで
座る形で、隣の席とはパーティションで仕切られており、十分過ぎるほど
の間隔が取られていました。手を消毒し、検温を受けて着席した時には、
正面に映る景色に富士山の姿はありませんでした。完全に雲に隠れて
いたのです。
それがどうでしょう。「わざわざ新幹線で来てくれて有難う!」とでも言う
かのように目の前に富士山が顔を出してくれたのです。
ホテル名に「富士山」が冠されているのがわかります
この景色を見ながらいただくランチは最高です
サーモンとほうれん草のキッシュの前菜
デコレーションが何ともオシャレ!
姉の家近くのお蕎麦屋さんの桜が満開でした
ここのお蕎麦も美味しいです
肝心の歯の治療は、コロナが収まって何回か通える目途が立ったら
また来ます、ということで、今回は応急処置だけしてもらいました。
帰りの新横浜からの横浜線が混む時間帯にならないうちに帰宅した
かったからです。
大丈夫でした。電車は往復とも全部座れましたし、新幹線もあえて
三島に停車する「ひかり」を避けて「こだま」にしたお蔭か、春休み中
にも拘らず空いていました。
一年以上遠ざかっていた外食らしい外食も出来て、富士山にも出迎えて
もらい、満開の桜も見て、歯の痛みも治まって(これが一番ですよね)、
久々にコロナ禍の憂鬱から解放された一日となりました。
この一年余り、新幹線どころか、普通の電車にも殆ど乗らない生活を
してきましたが、今日は新幹線で三島まで行きました。
歯が痛いなぁ(正確に言うと痛いのは歯の裏側の歯茎)と思い始めて
もう一ヶ月位経ちます。コロナ禍でなければ、もっと早くに治療を受けに
行ったのですが(歯に関してはずっと歯科医の義兄にお世話になって
います)、我慢し続けていました。
このまま放置していても治るとは思えないし、この先コロナの第4波と
いうことにでもなれば、ますます行けなくなるので、意を決して出掛け
ました。
治療の前に姉が、「富士山三島東急ホテル」の13Fにあるお気に入り
のレストラン「炉 L’EAU」で、ランチをご馳走してくれました。このホテル
は、昨夏三島駅前に開業したばかりなので、私は初めてです。
北側に面した窓に沿って席が設けてあります。テーブルは二人並んで
座る形で、隣の席とはパーティションで仕切られており、十分過ぎるほど
の間隔が取られていました。手を消毒し、検温を受けて着席した時には、
正面に映る景色に富士山の姿はありませんでした。完全に雲に隠れて
いたのです。
それがどうでしょう。「わざわざ新幹線で来てくれて有難う!」とでも言う
かのように目の前に富士山が顔を出してくれたのです。
ホテル名に「富士山」が冠されているのがわかります
この景色を見ながらいただくランチは最高です
サーモンとほうれん草のキッシュの前菜
デコレーションが何ともオシャレ!
姉の家近くのお蕎麦屋さんの桜が満開でした
ここのお蕎麦も美味しいです
肝心の歯の治療は、コロナが収まって何回か通える目途が立ったら
また来ます、ということで、今回は応急処置だけしてもらいました。
帰りの新横浜からの横浜線が混む時間帯にならないうちに帰宅した
かったからです。
大丈夫でした。電車は往復とも全部座れましたし、新幹線もあえて
三島に停車する「ひかり」を避けて「こだま」にしたお蔭か、春休み中
にも拘らず空いていました。
一年以上遠ざかっていた外食らしい外食も出来て、富士山にも出迎えて
もらい、満開の桜も見て、歯の痛みも治まって(これが一番ですよね)、
久々にコロナ禍の憂鬱から解放された一日となりました。
桜、桜、桜
2021年3月27日(土)
4日前のブログには、「まだ咲き始め」と書いた我が家のベランダから
眼下に見える公園の桜も、あっという間に満開となりました。
明日は雨との天気予報なので、今日のほうがよいと思い、満開の桜
愛でたさに、小1時間、散歩しました(後が怖い花粉症ですが)。
最初は遊歩道沿いに咲いているのでは?とそちらに向かいましたが、
期待した桜並木はありませんでした。
引き返して歩いていると、児童公園で綺麗に花を咲かせている桜が
目に飛び込んできました。
ここで写真を撮っていて、ふと思い出しました。花粉が飛び始める前、
お気に入りの散歩コースになっていた「自然の森」へ行く途中のお宅
の庭に、樹齢何年になるのだろう、という桜の大木があったのを。
早速そちらへと足を向けると、遠目にも見えてきました、見事な桜が。
もう少し離れて、桜全体を写したかったのですが、
個人のお宅も一緒に写ってしまうので、止めました。
最後は、我が家のベランダから見える公園の桜です。まさに花盛り。
もう30年近く住んでいるのに、初めてこの桜を間近で見ました。
4日前のブログには、「まだ咲き始め」と書いた我が家のベランダから
眼下に見える公園の桜も、あっという間に満開となりました。
明日は雨との天気予報なので、今日のほうがよいと思い、満開の桜
愛でたさに、小1時間、散歩しました(後が怖い花粉症ですが)。
最初は遊歩道沿いに咲いているのでは?とそちらに向かいましたが、
期待した桜並木はありませんでした。
引き返して歩いていると、児童公園で綺麗に花を咲かせている桜が
目に飛び込んできました。
ここで写真を撮っていて、ふと思い出しました。花粉が飛び始める前、
お気に入りの散歩コースになっていた「自然の森」へ行く途中のお宅
の庭に、樹齢何年になるのだろう、という桜の大木があったのを。
早速そちらへと足を向けると、遠目にも見えてきました、見事な桜が。
もう少し離れて、桜全体を写したかったのですが、
個人のお宅も一緒に写ってしまうので、止めました。
最後は、我が家のベランダから見える公園の桜です。まさに花盛り。
もう30年近く住んでいるのに、初めてこの桜を間近で見ました。
源氏、藤壺の拒絶に屈する
2021年3月25日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第8回・通算55回 №2)
今日読んだ所は、第2月曜日と同じ、源氏が父・桐壺院の崩御後、
再び藤壺に言い寄り始め、用意周到な計画を巡らして、藤壺の
部屋に忍び込んだ場面です。
一晩中、藤壺をかき口説く源氏でしたが、藤壺は「いとこよなくもて
離れきこえたまひて」(たいそうこの上もなく冷たくおあしらいになって)、
源氏の訴えに応じる素振りも見せません。そのうち、緊張状態が
続いたせいか、藤壺は胸が苦しくなり、王命婦や弁といった側近の
女房たちが介抱を始めます。夜が明けても理性を失っている源氏は
この部屋から出て行こうとしなかったので、逃げ場を失い、塗籠に
押し込められた状態で、日が暮れるまで過ごすことになってしまい
ました。
ここまでは、3月8日の記事に書いたところです(⇨⇨こちら)。
ようやく回復した藤壺は、普段お過ごしになっている御座所まで
出てこられました。再び周囲に控える女房たちも数少なくなり、
源氏は塗籠からそっと抜け出し、屏風の隙間から藤壺の姿を
垣間見ます。
久々に見た藤壺の理想的な美しさ。源氏は気付かれないように
近づいて、藤壺の着物を引き動かします。源氏が藤壺を引き寄せ
ようとするので、藤壺はその着物を脱ぎ滑らせて逃れようとしますが、
今度は髪を掴まれます。こうなるともう逃れられません。
読者もドキドキハラハラ気を揉みながら読み進めていく場面ですが、
源氏が泣く泣く思いを訴える甲斐も無く、藤壺は冷静さを保ち、
上手に言い逃れて、そのまま夜明けを迎えることとなりました。
「若紫」の巻での過ちは繰り返されることなく、物語は次のステップ
(藤壺の出家の決意)へと移っていきます。
今回の逢瀬の場面、詳しくは第10帖「賢木」全文訳(11)でお読み
いただければと思います(⇨⇨こちらから)。
今日読んだ所は、第2月曜日と同じ、源氏が父・桐壺院の崩御後、
再び藤壺に言い寄り始め、用意周到な計画を巡らして、藤壺の
部屋に忍び込んだ場面です。
一晩中、藤壺をかき口説く源氏でしたが、藤壺は「いとこよなくもて
離れきこえたまひて」(たいそうこの上もなく冷たくおあしらいになって)、
源氏の訴えに応じる素振りも見せません。そのうち、緊張状態が
続いたせいか、藤壺は胸が苦しくなり、王命婦や弁といった側近の
女房たちが介抱を始めます。夜が明けても理性を失っている源氏は
この部屋から出て行こうとしなかったので、逃げ場を失い、塗籠に
押し込められた状態で、日が暮れるまで過ごすことになってしまい
ました。
ここまでは、3月8日の記事に書いたところです(⇨⇨こちら)。
ようやく回復した藤壺は、普段お過ごしになっている御座所まで
出てこられました。再び周囲に控える女房たちも数少なくなり、
源氏は塗籠からそっと抜け出し、屏風の隙間から藤壺の姿を
垣間見ます。
久々に見た藤壺の理想的な美しさ。源氏は気付かれないように
近づいて、藤壺の着物を引き動かします。源氏が藤壺を引き寄せ
ようとするので、藤壺はその着物を脱ぎ滑らせて逃れようとしますが、
今度は髪を掴まれます。こうなるともう逃れられません。
読者もドキドキハラハラ気を揉みながら読み進めていく場面ですが、
源氏が泣く泣く思いを訴える甲斐も無く、藤壺は冷静さを保ち、
上手に言い逃れて、そのまま夜明けを迎えることとなりました。
「若紫」の巻での過ちは繰り返されることなく、物語は次のステップ
(藤壺の出家の決意)へと移っていきます。
今回の逢瀬の場面、詳しくは第10帖「賢木」全文訳(11)でお読み
いただければと思います(⇨⇨こちらから)。
第10帖「賢木」の全文訳(11)
2021年3月25日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第8回・通算55回・№1)
このクラスも、今月から第10帖「賢木」の3番目のポイント「藤壺の出家」
へと続くところを読み始めました。今回は、149頁・3行目~153頁・14行目
を読みましたが、前半部分は、3月8日に書きましたので(⇨⇨こちらから)、
今日はその後半部分となる151頁・2行目~153頁・14行目までの全文訳
となります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君がこのようにお隠れになっているとは、藤壺は思いも寄らず、
女房たちも、二度と藤壺のお心を乱すまいと思うので、こうこうです、
とも藤壺には申し上げないのでありましょう。藤壺は休んでいた奥から、
昼間の御座所ににじり出て来られました。ご気分もだいぶ良いようだ、
ということで、兵部卿の宮もご退出なさりなどしたため、藤壺の御前は
人が少なくなりました。
日頃も身近でお使いになっている女房は少ないので、あちらこちらの
几帳や屏風の後などにお控えしております。王命婦などは「どのように
工夫して源氏の君を塗籠からお出し申し上げよう。今夜もおのぼせに
なられたりしてはお気の毒で」などと、ひそひそ囁き合って、持て余して
おりました。
源氏の君は、塗籠の妻戸が僅かに開いているのを、そっと押し開けて、
屏風との隙間に沿ってお入りになりました。藤壺のお姿を見るのは
珍しく嬉しいにつけても、涙を落としながらご覧になっておりました。
「まだとても苦しいわ。私は死んでしまうのかしら」と言って、外の方を
眺めておられる横顔は、言いようもなく優美に見えました。
おやつだけでも、と差し上げて置いてあります。硯箱の蓋などにも
心惹かれるように盛ってありますが、藤壺は見向きもなさいません。
身の上をひどく思い悩んでおられるご様子で、静かに物思いに沈んで
おられるのが、とてもおいたわしく感じられます。髪の生え際、頭の恰好、
髪が肩や背にかかっている様子の、この上ない美しさなど、ただもう
紫の上と異なるところがありません。ここ数年、紫の上が藤壺によく似て
いることを忘れていらしたのですが、驚くばかりよく似ておられることだ、
とご覧になるにつれて、少し物思いを晴らすあてがあるようにお感じに
なるのでした。
藤壺の気高く気後れするような美しさなども、まるで紫の上と別人とも
思えませんが、やはり、限りなく昔から藤壺をずっとお慕いして来た
気持ちがそう思わせるのか、格別にお美しく、年と共にご立派になって
おられることだなぁ、と、比べるものもなくお思いになると、心も乱れて、
そっと御帳台の中に纏いつくように入って、藤壺のお召し物を引き動かし
なさったのでした。源氏の君の気配がはっきりとわかり、お召し物の
香りがさっと匂ったので、藤壺は呆れ果てたことと恐ろしく思われて、
そのままうつぶしてしまわれました。「せめてこちらを向いてください」と、
源氏の君は恨めしく辛くて、藤壺を引き寄せなさると、藤壺は上着を
脱ぎ滑らせて、にじり退きなさるけれど、困ったことに髪を源氏の君の
手に掴まれてしまったので、とても情けなく、逃れられない宿縁が思い
知られて、たいそう辛いとお思いになっておりました。
源氏の君も、藤壺との関係を随分と自制して来られたお気持ちがすっかり
乱れて、まるで正気の沙汰とも思えないほど、あれこれと泣きながら怨み
申し上げなさるけれど、藤壺は心から厭わしいとお思いになって、お返事も
なさいません。ただ「気分がとても悪いので、こんなふうではない折があれば
お返事いたしましょう」と、おっしゃいますが、源氏の君は尽きせぬ思いのほど
を言い続けなさるのでした。さすがに藤壺が身に染みてお聞きになる事柄も
混じっていたことでございましょう。源氏の君との仲は、無かったことでは
ありませんが、今改めてとても残念にお思いになるので、おやさしげでは
あるものの、とても上手に言い逃れなさって、今夜も夜が明けていくのでした。
しいてお言葉に従わないのも畏れ多く、藤壺が気高いご様子でいらっしゃる
ので、「ただこんな風にしてだけでも、時々切ない憂さを晴らすことが出来る
ならば、何の大それた料簡もございません」など、藤壺のお気持ちを和らげ
申し上げておられたことでしょう。ありふれたことでさえ、このような不義の仲
ではしみじみとした感慨もまさるものでしょうが、ましてやこのお二人は、
譬えようもないご様子でありました。
このクラスも、今月から第10帖「賢木」の3番目のポイント「藤壺の出家」
へと続くところを読み始めました。今回は、149頁・3行目~153頁・14行目
を読みましたが、前半部分は、3月8日に書きましたので(⇨⇨こちらから)、
今日はその後半部分となる151頁・2行目~153頁・14行目までの全文訳
となります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君がこのようにお隠れになっているとは、藤壺は思いも寄らず、
女房たちも、二度と藤壺のお心を乱すまいと思うので、こうこうです、
とも藤壺には申し上げないのでありましょう。藤壺は休んでいた奥から、
昼間の御座所ににじり出て来られました。ご気分もだいぶ良いようだ、
ということで、兵部卿の宮もご退出なさりなどしたため、藤壺の御前は
人が少なくなりました。
日頃も身近でお使いになっている女房は少ないので、あちらこちらの
几帳や屏風の後などにお控えしております。王命婦などは「どのように
工夫して源氏の君を塗籠からお出し申し上げよう。今夜もおのぼせに
なられたりしてはお気の毒で」などと、ひそひそ囁き合って、持て余して
おりました。
源氏の君は、塗籠の妻戸が僅かに開いているのを、そっと押し開けて、
屏風との隙間に沿ってお入りになりました。藤壺のお姿を見るのは
珍しく嬉しいにつけても、涙を落としながらご覧になっておりました。
「まだとても苦しいわ。私は死んでしまうのかしら」と言って、外の方を
眺めておられる横顔は、言いようもなく優美に見えました。
おやつだけでも、と差し上げて置いてあります。硯箱の蓋などにも
心惹かれるように盛ってありますが、藤壺は見向きもなさいません。
身の上をひどく思い悩んでおられるご様子で、静かに物思いに沈んで
おられるのが、とてもおいたわしく感じられます。髪の生え際、頭の恰好、
髪が肩や背にかかっている様子の、この上ない美しさなど、ただもう
紫の上と異なるところがありません。ここ数年、紫の上が藤壺によく似て
いることを忘れていらしたのですが、驚くばかりよく似ておられることだ、
とご覧になるにつれて、少し物思いを晴らすあてがあるようにお感じに
なるのでした。
藤壺の気高く気後れするような美しさなども、まるで紫の上と別人とも
思えませんが、やはり、限りなく昔から藤壺をずっとお慕いして来た
気持ちがそう思わせるのか、格別にお美しく、年と共にご立派になって
おられることだなぁ、と、比べるものもなくお思いになると、心も乱れて、
そっと御帳台の中に纏いつくように入って、藤壺のお召し物を引き動かし
なさったのでした。源氏の君の気配がはっきりとわかり、お召し物の
香りがさっと匂ったので、藤壺は呆れ果てたことと恐ろしく思われて、
そのままうつぶしてしまわれました。「せめてこちらを向いてください」と、
源氏の君は恨めしく辛くて、藤壺を引き寄せなさると、藤壺は上着を
脱ぎ滑らせて、にじり退きなさるけれど、困ったことに髪を源氏の君の
手に掴まれてしまったので、とても情けなく、逃れられない宿縁が思い
知られて、たいそう辛いとお思いになっておりました。
源氏の君も、藤壺との関係を随分と自制して来られたお気持ちがすっかり
乱れて、まるで正気の沙汰とも思えないほど、あれこれと泣きながら怨み
申し上げなさるけれど、藤壺は心から厭わしいとお思いになって、お返事も
なさいません。ただ「気分がとても悪いので、こんなふうではない折があれば
お返事いたしましょう」と、おっしゃいますが、源氏の君は尽きせぬ思いのほど
を言い続けなさるのでした。さすがに藤壺が身に染みてお聞きになる事柄も
混じっていたことでございましょう。源氏の君との仲は、無かったことでは
ありませんが、今改めてとても残念にお思いになるので、おやさしげでは
あるものの、とても上手に言い逃れなさって、今夜も夜が明けていくのでした。
しいてお言葉に従わないのも畏れ多く、藤壺が気高いご様子でいらっしゃる
ので、「ただこんな風にしてだけでも、時々切ない憂さを晴らすことが出来る
ならば、何の大それた料簡もございません」など、藤壺のお気持ちを和らげ
申し上げておられたことでしょう。ありふれたことでさえ、このような不義の仲
ではしみじみとした感慨もまさるものでしょうが、ましてやこのお二人は、
譬えようもないご様子でありました。
花の季節
2021年3月23日(火)
東京ではもうソメイヨシノが満開とニュースで報じられておりました。
まだ今は花粉症が酷く、散歩もままならない状態が続いているので、
今日は居住しているマンションの敷地内で咲いている花の写真を
少しだけ撮りました。スマホでの写真もなかなか上達しませんが、
春の日差しの中に咲く花々の優しさ、温かさに、コロナ疲れの心も
幾分癒されました。
我が家のベランダから見える近くの公園のソメイヨシノはまだ咲き
始めです。徒歩圏内にある桜並木が満開になった頃、一度その下を
歩けるといいなぁ、と思っています。
電線までしっかりと写してしまって💦
土曜日に一気に咲いて満開となった
大島桜。日曜日の春の嵐で散って
しまうのでは、と案じていましたが、
風雨にも負けませんでした。
雪柳も花を咲かせ始めています。
その可憐な色と形が目を引く花海棠。
やはり花の季節っていいですね。
東京ではもうソメイヨシノが満開とニュースで報じられておりました。
まだ今は花粉症が酷く、散歩もままならない状態が続いているので、
今日は居住しているマンションの敷地内で咲いている花の写真を
少しだけ撮りました。スマホでの写真もなかなか上達しませんが、
春の日差しの中に咲く花々の優しさ、温かさに、コロナ疲れの心も
幾分癒されました。
我が家のベランダから見える近くの公園のソメイヨシノはまだ咲き
始めです。徒歩圏内にある桜並木が満開になった頃、一度その下を
歩けるといいなぁ、と思っています。
電線までしっかりと写してしまって💦
土曜日に一気に咲いて満開となった
大島桜。日曜日の春の嵐で散って
しまうのでは、と案じていましたが、
風雨にも負けませんでした。
雪柳も花を咲かせ始めています。
その可憐な色と形が目を引く花海棠。
やはり花の季節っていいですね。
「香炉峯の雪」の段
2021年3月19日(金) オンライン『枕草子』(第8回 通算第49回)
21日で首都圏の一都三県に出されていた緊急事態宣言も解除
されることとなりました。ただ、日々の感染者数は横ばい、もしくは
微増といったところで、願わくはこの期間中に、確実に東京都でも
2桁位まで収束していて欲しかったのですが、無理でしたね。
オンラインでの『枕草子』の講読会も今日で8回目となり、残り数回、
という所まできました。今回は第275段~第282段迄を読みましたが、
ここでようやくあの有名な「香炉峯の雪」の段(第280段)が出てくる
のです。
この話は、おそらく第1段の「春はあけぼの」と並んで、『枕草子』の
中で最もよく読まれている段ではないかと思います。
雪が高く降り積もった朝、もう日も高くなっているのですが、寒いので
御格子が下されたままになっていました。中宮さまは、お庭の雪を
ご覧になりたいと思われたのでしょう。清少納言に向かって、
「少納言よ、香炉峯の雪、いかならむ」(少納言よ、香炉峯の雪は
どんなふうかしら?)とお尋ねになりました。
そこで清少納言の取った行動は、下級女官に御格子を上げさせて、
自ら掛かっている御簾を巻き上げて見せる、というものでした。
もちろん中宮さまは大満足で、思わずにっこり。周りに控えていた
女房たちからも、「知識としては知っていても、こんな風にとっさに
動くことは思いつかないわ。やっぱり中宮さまにお仕えする人は、
こうでなくっちゃね」と、称賛されたというエピソードです。よくある
作者の自慢話の一つなのですが、中宮さまと清少納言の「阿吽の
呼吸」を伝えるのに最適な話として、『枕草子』の読者の心に深く
刻まれ、語り継がれる結果となったのでありましょう。
中宮さまがおっしゃった「香炉峯の雪」というのは、有名な白楽天
の漢詩の一節「遺愛寺鐘欹枕聴 香炉峰雪撥簾看(遺愛寺の鐘は
枕に欹〈そばだ〉てて聴き 香炉峰の雪は簾を撥〈かか〉げて看る)
に拠るものですが、ここで清少納言が、この詩句を口にして答えた
だけなら、単なる知識の披露にとどまってしまい、中宮さまを喜ばせる
には至らなかったでしょう。「動作での体現」、それがこの段の眼目に
なっているのだと思われます。
21日で首都圏の一都三県に出されていた緊急事態宣言も解除
されることとなりました。ただ、日々の感染者数は横ばい、もしくは
微増といったところで、願わくはこの期間中に、確実に東京都でも
2桁位まで収束していて欲しかったのですが、無理でしたね。
オンラインでの『枕草子』の講読会も今日で8回目となり、残り数回、
という所まできました。今回は第275段~第282段迄を読みましたが、
ここでようやくあの有名な「香炉峯の雪」の段(第280段)が出てくる
のです。
この話は、おそらく第1段の「春はあけぼの」と並んで、『枕草子』の
中で最もよく読まれている段ではないかと思います。
雪が高く降り積もった朝、もう日も高くなっているのですが、寒いので
御格子が下されたままになっていました。中宮さまは、お庭の雪を
ご覧になりたいと思われたのでしょう。清少納言に向かって、
「少納言よ、香炉峯の雪、いかならむ」(少納言よ、香炉峯の雪は
どんなふうかしら?)とお尋ねになりました。
そこで清少納言の取った行動は、下級女官に御格子を上げさせて、
自ら掛かっている御簾を巻き上げて見せる、というものでした。
もちろん中宮さまは大満足で、思わずにっこり。周りに控えていた
女房たちからも、「知識としては知っていても、こんな風にとっさに
動くことは思いつかないわ。やっぱり中宮さまにお仕えする人は、
こうでなくっちゃね」と、称賛されたというエピソードです。よくある
作者の自慢話の一つなのですが、中宮さまと清少納言の「阿吽の
呼吸」を伝えるのに最適な話として、『枕草子』の読者の心に深く
刻まれ、語り継がれる結果となったのでありましょう。
中宮さまがおっしゃった「香炉峯の雪」というのは、有名な白楽天
の漢詩の一節「遺愛寺鐘欹枕聴 香炉峰雪撥簾看(遺愛寺の鐘は
枕に欹〈そばだ〉てて聴き 香炉峰の雪は簾を撥〈かか〉げて看る)
に拠るものですが、ここで清少納言が、この詩句を口にして答えた
だけなら、単なる知識の披露にとどまってしまい、中宮さまを喜ばせる
には至らなかったでしょう。「動作での体現」、それがこの段の眼目に
なっているのだと思われます。
玉子焼き
2021年3月15日(月)
去年に続き、今年も東京では観測史上最も早く桜が開花したと、
昨夜のニュースが報じていました。桜と言えば4月の入学式を
彩ってくれる花、と思ってきましたが、3月の花となりつつあるの
でしょうか。
今は花粉症がひどくて散歩もままならないのですが、桜の花が
散らないうちに、一度ブログにUPしたいですね。
ここまでは前置きです。実は今日の記事も、だいぶ前になりますが、
いつも訪問させていただいている方が載せておられた「玉子焼き」
の記事に触発されてのものです。
息子が中学・高校に通っていた頃はほぼ毎日、お弁当に入れるため
玉子焼きを作っていました。それがもう最後に作ったのがいつだったか
わからなくなるほど、玉子焼きから遠ざかっておりました。
もう少し手際も良かったのではないか(なにぶんにも、一つひとつの
動作に手間取ってしまうのです)と思いつつ、何とか焼き上がりました。
私は関西人だからか、だしの効いた玉子焼きが好きなので、今回も
卵3個に大さじ5杯位のだしを入れました。
ちょっと形がいびつですが、まぁ、久々のことですし・・・。
京都や奈良へよく一緒に旅行した友が亡くなって早15年になります。
最終日(といっても、1泊かせいぜい2泊ですが)は、「松葉」の鰊蕎麦
と「鍵善」の葛きりを食べ、その後、錦市場で買い物をするのが楽しみ
でした。その際絶対に外せない買い物が「だし巻玉子」で、「三木鶏卵」
と「田中鶏卵」の両方の「だし巻玉子」を買って、帰りの新幹線の中で
分け合って食べながら、「どっちの味が好み?」なんて話したのが、
つい昨日のことのように思い出されます。
去年に続き、今年も東京では観測史上最も早く桜が開花したと、
昨夜のニュースが報じていました。桜と言えば4月の入学式を
彩ってくれる花、と思ってきましたが、3月の花となりつつあるの
でしょうか。
今は花粉症がひどくて散歩もままならないのですが、桜の花が
散らないうちに、一度ブログにUPしたいですね。
ここまでは前置きです。実は今日の記事も、だいぶ前になりますが、
いつも訪問させていただいている方が載せておられた「玉子焼き」
の記事に触発されてのものです。
息子が中学・高校に通っていた頃はほぼ毎日、お弁当に入れるため
玉子焼きを作っていました。それがもう最後に作ったのがいつだったか
わからなくなるほど、玉子焼きから遠ざかっておりました。
もう少し手際も良かったのではないか(なにぶんにも、一つひとつの
動作に手間取ってしまうのです)と思いつつ、何とか焼き上がりました。
私は関西人だからか、だしの効いた玉子焼きが好きなので、今回も
卵3個に大さじ5杯位のだしを入れました。
ちょっと形がいびつですが、まぁ、久々のことですし・・・。
京都や奈良へよく一緒に旅行した友が亡くなって早15年になります。
最終日(といっても、1泊かせいぜい2泊ですが)は、「松葉」の鰊蕎麦
と「鍵善」の葛きりを食べ、その後、錦市場で買い物をするのが楽しみ
でした。その際絶対に外せない買い物が「だし巻玉子」で、「三木鶏卵」
と「田中鶏卵」の両方の「だし巻玉子」を買って、帰りの新幹線の中で
分け合って食べながら、「どっちの味が好み?」なんて話したのが、
つい昨日のことのように思い出されます。
もし女三の宮が大君のような女性だったなら?
2021年3月12日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第9回・通算149回)
このクラスは第47帖「総角」を講読中ですが、今回で、繰り返されてきた
薫と大君との攻防が一段落となりました。
一回目、二回目とチャンスを逃した薫が、今三度目のチャンスを迎え、
さて、大君と結ばれるか否かというところから、今日は読み始めました。
(ここまでの経緯は先月の記事をご覧ください⇨⇨こちらから)
薫が妹(中の君)との結婚の意思を固め、自分の所に挨拶に来た、と
思い込んでいた大君は、中の君の許へは、かねてより思いを寄せて
おられる匂宮がお入りになった、と打ち明けられ、激しいショックを受け
ました。それでも、自分に迫って来る薫を何とか思いとどまらせようと、
必死に説得します。結局薫は「さすがにことわりをいとよくのたまふが、
心はづかしくらうたくおぼえて」(やはりものの道理をきちんとお話に
なる大君に、気恥ずかしさといじらしさを感じて)、捉えていた大君の
着物の袖を離し、諦めます。
父子でも全然違う、と、薫の実父・柏木が、女三の宮と結ばれた時の
場面を思い浮かべてしまうのですが、「いや、待てよ。恋の刹那に溺れて
しまった柏木と、最後まで理性を失わない薫の違いは、本人たちの性格
に因るものではなく、相手の女性の態度に因るものだったと考えるほうが
正解なのでは」と、思いました。
柏木も、薫も、相手に思いの丈を訴えかけるのは同じです。それに対し、
女三の宮は、柏木が想像していたような皇女の威厳も皆無で、ただもう
可憐で幼なげな人でした。当然、柏木の無謀で無礼な行動を諫める言葉
を発することなどなく、それが柏木の自制心を奪う結果を招きました。
もし、女三の宮が大君のような、いかなる状況に追い込まれようと、
毅然とした態度の取れる女性だったなら、柏木は思いとどまったのでは
ないでしょうか。そうすれば、源氏を敵に回すことも、命を落とすことも
なかったはずなのに。
物語の世界に「たら・れば」なんて、自分でも可笑しいと思うのですが、
つい想像しちゃうのですよね。それだけ『源氏物語』が読者を引き込む
魅力を持っているということでもありましょうが・・・。
このクラスは第47帖「総角」を講読中ですが、今回で、繰り返されてきた
薫と大君との攻防が一段落となりました。
一回目、二回目とチャンスを逃した薫が、今三度目のチャンスを迎え、
さて、大君と結ばれるか否かというところから、今日は読み始めました。
(ここまでの経緯は先月の記事をご覧ください⇨⇨こちらから)
薫が妹(中の君)との結婚の意思を固め、自分の所に挨拶に来た、と
思い込んでいた大君は、中の君の許へは、かねてより思いを寄せて
おられる匂宮がお入りになった、と打ち明けられ、激しいショックを受け
ました。それでも、自分に迫って来る薫を何とか思いとどまらせようと、
必死に説得します。結局薫は「さすがにことわりをいとよくのたまふが、
心はづかしくらうたくおぼえて」(やはりものの道理をきちんとお話に
なる大君に、気恥ずかしさといじらしさを感じて)、捉えていた大君の
着物の袖を離し、諦めます。
父子でも全然違う、と、薫の実父・柏木が、女三の宮と結ばれた時の
場面を思い浮かべてしまうのですが、「いや、待てよ。恋の刹那に溺れて
しまった柏木と、最後まで理性を失わない薫の違いは、本人たちの性格
に因るものではなく、相手の女性の態度に因るものだったと考えるほうが
正解なのでは」と、思いました。
柏木も、薫も、相手に思いの丈を訴えかけるのは同じです。それに対し、
女三の宮は、柏木が想像していたような皇女の威厳も皆無で、ただもう
可憐で幼なげな人でした。当然、柏木の無謀で無礼な行動を諫める言葉
を発することなどなく、それが柏木の自制心を奪う結果を招きました。
もし、女三の宮が大君のような、いかなる状況に追い込まれようと、
毅然とした態度の取れる女性だったなら、柏木は思いとどまったのでは
ないでしょうか。そうすれば、源氏を敵に回すことも、命を落とすことも
なかったはずなのに。
物語の世界に「たら・れば」なんて、自分でも可笑しいと思うのですが、
つい想像しちゃうのですよね。それだけ『源氏物語』が読者を引き込む
魅力を持っているということでもありましょうが・・・。
「明日で10年」と「昨日で6年」
2021年3月10日(水)
「明日で10年」は、言わずと知れた「東日本大震災」です。
あの日のことは、つい先日の出来事のように、あれこれと
思い出されますが、もう「一昔」と呼ばれる歳月が流れたの
ですね。
そして10年後の今、コロナ禍という新たな災いに晒されての
日々が続いています。
「昨日で6年」のほうは、私的な話になりますが、このブログを
書き始めて丸6年が経過しました。こちらも「もう6年にもなるの?」
というのが実感です。2015年3月9日に「ようやくスタート!」と
題して、抱負などを綴っています。(その記事は⇨⇨こちらから)
ブログの更新は数日に1回のペースですので、6年経っても
1,000記事に到達していません。今数えたらこれが960記事目
でした。3ヶ月後位に「1,000記事達成」のご報告ができるように
頑張りたいと思います。でも私のことですから、あとになって、
○月○日の記事が1,000記事目でした・・・なんてことに(;^ω^)。
「明日で10年」は、言わずと知れた「東日本大震災」です。
あの日のことは、つい先日の出来事のように、あれこれと
思い出されますが、もう「一昔」と呼ばれる歳月が流れたの
ですね。
そして10年後の今、コロナ禍という新たな災いに晒されての
日々が続いています。
「昨日で6年」のほうは、私的な話になりますが、このブログを
書き始めて丸6年が経過しました。こちらも「もう6年にもなるの?」
というのが実感です。2015年3月9日に「ようやくスタート!」と
題して、抱負などを綴っています。(その記事は⇨⇨こちらから)
ブログの更新は数日に1回のペースですので、6年経っても
1,000記事に到達していません。今数えたらこれが960記事目
でした。3ヶ月後位に「1,000記事達成」のご報告ができるように
頑張りたいと思います。でも私のことですから、あとになって、
○月○日の記事が1,000記事目でした・・・なんてことに(;^ω^)。
三つめのポイントへ
2021年3月8日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第8回・通算55回・№2)
一昨日のブログに、「今日は最高気温が20度、明日は10度ですって!」と
書きましたが、今日はもっと下がって10度にも届きませんでした。でも明日
からはまた春の陽気となるそうです。
以前にも申し上げましたが、第10帖「賢木」には四つのポイントがあります。
一つめは野宮での六条御息所との別れ、二つめは桐壺院の崩御、そして
三つめが、今月から読み始めた藤壺の出家となります(ちなみに四つめは
朧月夜との密会の発覚です)。
これまでも藤壺は、常に源氏の憧れの女性№1として描かれてきましたが、
その割には心の奥が深く語られることがありませんでした。それがここから、
出家に至る藤壺の内面がつぶさに語られ始めます。
そこに見えてくるのは恋に生きる女ではなく、子を守るために生きる一人の
母の姿です。
藤壺は桐壺院の崩御後、実家である三条の宮に住んでいます。宮中に居る
息子(東宮)との対面も、右大臣一派、特に帝の母である弘徽殿の大后が
幅を利かせているのに気が引けて、ままならぬ状態が続いています。
東宮を守ることができるのは、今は源氏しかいません。しかしながら源氏は、
自由の身となられた藤壺に再び熱心に言い寄ってくるようになりました。
亡き桐壺院が何もご存知なく(東宮は源氏と藤壺の間に生まれた不義の子)、
源氏に東宮の後見を依頼して逝ってしまわれたことに対する後ろめたさも
加わり、この先、源氏につきまとわれて、事実が世間の噂に上るようにでも
なれば、我が身はどうなっても構わないが、東宮にも危害が及ぶに違いない、
そう思うと、何としても源氏を避けなければならない、と藤壺は身構えており
ました。
ところが、源氏は用意周到に計画を巡らし、藤壺の許に忍び込むことに成功
したのです。
狂ったように思いを訴える源氏ですが、藤壺はそれを冷淡にあしらいます。
やがて、藤壺は胸が苦しくなって、女房たちも集まってきます。逃げ場を
失った源氏は、塗籠(寝殿造りでは唯一壁に囲まれた部屋で、通常は物置
として使われることが多かった)に押し込められてしまいました。
ここまでがこの緊迫した逢瀬の前半となります。後半は3/25にご紹介したい
と思いますが、「若紫」の巻と同じようなことが起こるのでしょうか。ハラハラ
しながら読んでいく場面が続きます。
詳しくは先に書きました全文訳(⇨⇨こちらから)をご覧頂ければ、と存じます。
一昨日のブログに、「今日は最高気温が20度、明日は10度ですって!」と
書きましたが、今日はもっと下がって10度にも届きませんでした。でも明日
からはまた春の陽気となるそうです。
以前にも申し上げましたが、第10帖「賢木」には四つのポイントがあります。
一つめは野宮での六条御息所との別れ、二つめは桐壺院の崩御、そして
三つめが、今月から読み始めた藤壺の出家となります(ちなみに四つめは
朧月夜との密会の発覚です)。
これまでも藤壺は、常に源氏の憧れの女性№1として描かれてきましたが、
その割には心の奥が深く語られることがありませんでした。それがここから、
出家に至る藤壺の内面がつぶさに語られ始めます。
そこに見えてくるのは恋に生きる女ではなく、子を守るために生きる一人の
母の姿です。
藤壺は桐壺院の崩御後、実家である三条の宮に住んでいます。宮中に居る
息子(東宮)との対面も、右大臣一派、特に帝の母である弘徽殿の大后が
幅を利かせているのに気が引けて、ままならぬ状態が続いています。
東宮を守ることができるのは、今は源氏しかいません。しかしながら源氏は、
自由の身となられた藤壺に再び熱心に言い寄ってくるようになりました。
亡き桐壺院が何もご存知なく(東宮は源氏と藤壺の間に生まれた不義の子)、
源氏に東宮の後見を依頼して逝ってしまわれたことに対する後ろめたさも
加わり、この先、源氏につきまとわれて、事実が世間の噂に上るようにでも
なれば、我が身はどうなっても構わないが、東宮にも危害が及ぶに違いない、
そう思うと、何としても源氏を避けなければならない、と藤壺は身構えており
ました。
ところが、源氏は用意周到に計画を巡らし、藤壺の許に忍び込むことに成功
したのです。
狂ったように思いを訴える源氏ですが、藤壺はそれを冷淡にあしらいます。
やがて、藤壺は胸が苦しくなって、女房たちも集まってきます。逃げ場を
失った源氏は、塗籠(寝殿造りでは唯一壁に囲まれた部屋で、通常は物置
として使われることが多かった)に押し込められてしまいました。
ここまでがこの緊迫した逢瀬の前半となります。後半は3/25にご紹介したい
と思いますが、「若紫」の巻と同じようなことが起こるのでしょうか。ハラハラ
しながら読んでいく場面が続きます。
詳しくは先に書きました全文訳(⇨⇨こちらから)をご覧頂ければ、と存じます。
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