<

![endif]-->

fc2ブログ

入道の別れの言葉から見えてくるもの

2025年1月13日(月) 溝の口「紫の会」(第86回・№2)

溝の口の「紫の会」は第2月曜日なので、毎年1月は「成人の日」
です。澄み渡った青空の下、溝の口駅周辺には、色とりどりの
振り袖姿の新成人が、今年は誰一人としてマスクの着用もなく、
楽しそうに話をしながら歩いていました。

2021年は休講中。2022年、2023年はマスクをつけての晴れ着
姿だったので、コロナに対する意識は完全に変わりましたね。
今はテレビのニュースでも、インフルエンザの大流行のほうが
話題になっていますものね。

「紫の会」は、第18帖「松風」の中程を講読中です。

今回は、一人明石に残ることになった入道が娘の明石の上に、
長々と別れの言葉を告げるところから読み始めました。

入道は先ず、自分の半生を振り返って語ります。

大臣家の息子として生まれながら、自ら近衛中将という官職を
投げ打って、「播磨の守」という受領階級になり下がったのも、
娘の明石の上を思い通りに育てたいためであったのだが、思う
ように事は運ばず、美しく成長した明石の上を、こんな田舎に
埋もれさせてしまうのか、と嘆いていたところに、住吉明神の
お導きで、源氏の君とのご縁を得て、姫君まで誕生したので、
自分はもう思い残すこともなくなった、と、これ迄の明石の物語
を要約して、読者にも確認させるような会話内容となっています。

更に「君達は世を照らしたまふべき光しるければ」(あなた方は
現世を照らしなさるご立派な運勢がはっきりとしているのです
から)と語るに至っては、まるで源氏が「三人の子どものうちの
一人は后になる」と予言されているのを知っているかのようです。
もちろん、入道が知る由もなく、なぜそうした予見めいたことが
可能であったかが明かされるのは、10年後、34帖「若菜上」で、
姫君が東宮の第1皇子を出産した際に、入道から明石の上の
許に届けられた遺書によってなのです。

ここに至るまでのまとめをし、この先の明石一族の繁栄を予感
させている場面かと思います。長編物語として紡いでいく心憎い
までの作者のストーリーテラーとしての資質を見せつけられて
いる気がいたしますね。

詳しい話の流れは、先に書きました「全文訳・松風(5)」でお読み
いただければ、と思います(⇒こちらから)。


第18帖「松風」の全文訳(5)

2025年1月13日(月) 溝の口「紫の会」(第86回・№1)

2025年最初の「紫の会」の講読箇所は、第18帖「松風」の3回目、
巻の中程辺りです。

明石に一人残る父・入道と別れ、明石の上は、姫君、母の尼君
と共に大井の邸に移り住み、3年ぶりに源氏との再会を果たした
ところまでを読みました(126頁・5行目~134頁・10行目)。

その全文訳を、また会場クラス、オンライン2クラスの3回に分けて
書きますので、今日はその1回目(126頁・5行目~129頁・7行目迄)
となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


入道は、「世の中のことを諦め始めた頃、このような地方を志して下向
しましたのも、ただあなたの為と、つまり、思い通りに明け暮れのお世話
も満足に出来ようかと決心したことなのですが、我が身の不運な分際の
思い知られることが多かったので、改めて都に戻り、元受領のうだつの
上がらぬ類となって、荒廃した邸も、元の状態に立て直すことも出来ない
でいながら、公私に渡り、ぶざまな評判を広めて、亡くなった親の顔に
泥を塗ることになるのが堪らないので、京を出たのはそのままこの世を
捨ててしまう門出だったのだと、人にも知られることとなったけれど、出家
したことについては、よくぞ思い切って決心したものだ、と思っております。

しかし、あなたが次第に成長なさり、ものの分別がつく年頃になられるに
つれて、どうしてこのようなつまらぬ田舎で、闇夜の錦のように、あなたを
張り合いの無い状態にし申し上げているのだろうと、親心としては晴れる
間もなく嘆き続けるのに任せながら、仏や神をお頼み申し上げて、そうは
言っても、それがいつかは叶えられ、このような拙い宿世の私の巻き添え
になって、あなたが私と共にこのような田舎で生涯を終えられることはある
まい、と思う自分の願いだけを頼りにしておりましたが、思い掛けずも、
嬉しいことの数々を拝見するようになっても、却ってしがない身分の程を
あれやこれやと悲しく思い、嘆いておりましたけれど、姫君がこうしてお生
まれになった御宿世の頼もしさにつけても、このような渚で月日をお過ごし
になるのは実に恐れ多く、あなたの宿世も格別に思われますので、この先
お目に掛かれない戸惑いは鎮めようもありませんが、私自身は永遠に
この世を捨てたつもりでおります。あなた方は、現世を照らしなさるご立派
な運勢がはっきりとしているのですから、しばらくの間、私のような田舎者
の気持ちをお乱しになるというだけのご因縁はあったのでしょうが、天人
が果報尽きていまわしい三悪道に堕ちるという、一時の苦しみに思いなぞ
らえて、今日、長のお別れを申し上げます。私の命が尽きたとお聞きに
なっても、法事のことなど気に掛けなさるな。避けられない親子の死別に
お心を動かしなさるな」と言い放つものの、「火葬の煙ともなろう夕べまで、
姫君のことを、六時の勤行にも、やはり心汚くも取り込んでお祈りすること
でしょう」と言って、この時には、泣き顔を見せたのでした。

牛車は数多く連ねるのも大袈裟で、また一方を陸路、一方を海路とわける
のも面倒ということで、源氏の君から遣わされた御供の人たちも、ひたすら
こっそり目立たないようにしているので、船でひっそりと、ということに決め
ました。

辰の刻に船出をなさいました。昔の人もしみじみとした感慨を詠んだ明石
の浦の朝霧の中を、舟が隔たって行くにつれてとても物悲しくて、入道は、
この先澄んだ心で居続けられそうになく、ぼんやりと物思いに沈んで座って
いるのでした。

一方の尼君は、長い年月を経て今更、京に帰るのもやはり物思いは尽きず、
お泣きになります。
「かの岸に心寄りにし海士船のそむきしかたに漕ぎ帰るかな(彼岸の浄土に
思いを寄せていた尼の私が、捨てた世(京)のほうに漕ぎ帰ることですよ)」
と、尼君が歌を詠むと、明石の御方は、
「いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ浮木に乗りてわれ帰るらむ(幾たびも
去ってはまた来る秋をこの明石の浦で過ごした末に、頼りない浮木に乗って
私は都へ帰るのでしょう)」
と詠んだのでした。
 
順風なので、予定通りに京にお入りになりました。人に見咎められまいとの
気持ちもあり、道中もごく質素な身なりにしておりました。大井の邸の佇まいも
風情があって、長年過ごした明石の海辺に似ているので、違う所へ来たような
気もしません。尼君は、昔のことなども思い出されて、しみじみと感じられること
が多いのでした。

建て増しした廊など、趣深い外観で、遣水の流れも風流な作りになっております。
まだ手入れは十分には行き届いていませんが、住みついたらこのままでも構わ
ないでありましょう。源氏の君は親しい家司にお命じになって、到着を祝う宴の
用意もさせておられました。でも源氏の君自身がお渡りになくことは難しく、あれ
これと口実をお考えになっているうちに、日が経って行きました。


浮舟、匂宮に抱かれて宇治川を渡る

2025年1月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第188回)

今日は最高気温が9℃止まりで風も冷たく、寒中らしい一日と
なりましたが、大雪の所の方々のご苦労を思えば、たいした
ことはありませんね。

今回より、これ迄第4月曜日に例会を行っていた「湖月会」を、
第2金曜クラスに統合した形となったので、今後は会場クラス、
オンラインクラス、それぞれ月1回となります。

こうしてクラス編成にも変化のあった年明け早々に読んだの
が、「宇治十帖」の中で最も印象に残る、浮舟が匂宮に抱か
れて宇治川を渡り、濃密な二日間を過ごす場面でした。

ここに至るまでの展開は、一昨日のオンラインクラスの時に
書きました(⇒こちらから)。

匂宮は浮舟と共に小舟に乗って対岸へとお渡りになります。
有明の月が水面に映っている折から、船頭が「これが橘の
小島でして」と言って、舟を停めます。

匂宮は橘の木をご覧になりながら、「年経ともかはらぬものか
橘の小島の崎に契る心は」(どんなに年が経っても変わったり
するものですか。変わらぬ緑の橘の小島の崎で約束する私の
心は)と、永遠の愛を誓われます。

匂宮は、中の君に対してもそうでしたが、その時々、目の前に
いる女性のことだけを見ている人なので、これは決してリップ
サービスではなく、今の正直な気持ちなのです。

それに対して浮舟は、「橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞ
ゆくへ知られぬ」(橘の小島の色と同じようにあなたの愛は変わ
らなくとも、この浮舟のような私は、どこへ流れて行くことになる
のやら)と返しました。

この歌の中の「浮舟」が巻名となり、人物呼称ともなっています。
以前にも書いておりますが、浮舟ほど、呼称がイメージと合致
している例は、他にないと思います。この先、二人の男性の狭間
を、水に漂う小舟のように危うく揺れ動き、終盤、出家してもなお、
浮舟は浮舟なのですから。

対岸に着くと、匂宮は自ら浮舟を抱いて舟を下り、時方の叔父の
別荘にお入りになりました。まだ粗造りで、風も満足には防ぐこと
が出来ない山荘で、残雪の上に今もまた雪が降り積もっているの
でした。

この辺りの風情、ぜひ原文で味わっていただきたいですね。

朝日も昇りましたが、匂宮と浮舟は寝起きのしどけない姿のまま
で過ごしていました。中の君や六の君のこんな下着姿でくつろい
でいるところをご覧になったことのない匂宮の目には新鮮に映り
ます。
 
人目もないので、匂宮は終日浮舟と陶酔の時間を過ごされます。
物忌みは二日間だと京には取り繕ってあるので、翌日も、誰にも
邪魔されることなく、「かたはなるまで遊びたはぶれつつ暮らし
たまふ」(見苦しいほどに、戯れながら一日をお過ごしになる)と
あります。『源氏物語』では、ラブシーンを露骨に描くことは一切
していないのですが、ここでは情痴の限りを尽くした、ということ
でしょう。

この匂宮に抱かれて小舟で宇治川を渡り、対岸の隠れ家で過ご
した二日間の逢瀬は、浮舟にとっても、夢のような甘美な出来事
でありました。それが現実に戻った時、彼女の苦悩をより深くし、
自分で自分を追いつめることに繋がっていくのです。

その心の過程がこれから描かれてまいりますので、読み応えが
あります。

最後に、古来「源氏絵」として多くの絵師たちによって描かれて
いるこの場面を、拙著の挿絵でご紹介しておきます。

     八王子④ - コピー


実行あるのみの匂宮

2025年1月8日(水) 溝の口「オンライン源氏の会」(第54回・通算195回)

新年のご挨拶のあと、だいぶ間が空きましたが、今日から
今年の『源氏物語』の講読会もスタートしました。

会場のクラスでは12月に読んだところですが、オンラインの
クラスは月遅れの第1水曜日が例会日ですので(当然元日
はお休み)、今日同じ箇所を講読をしました。

第51帖「浮舟」は、「宇治十帖」の中核を担っている巻では
ありますが、話としては、薫27歳の1月から3月迄の、わずか
3ヶ月のことなのです。

正月に、浮舟が薫に囲われて宇治に居ることを知った匂宮は、
強引に宇治へと出掛け、浮舟と契りを交わし、互いに心惹かれ
合います。2月の初め、薫が宇治を訪れ、物思わし気な浮舟の
様子に、女としての成長を感じます。そして2月10日頃に宮中
で詩宴が行われた夜、匂宮は、薫が「衣かたしき今宵もや」と
口ずさむのを聞いて、居ても立ってもいられない思いに駆られ
たのでした(それについては⇒こちらから)。

薫は、思ってもすぐに行動に移すことなくあれこれと思案して、
結局は、それが恋の成就への道を自ら閉ざすことにもなるの
ですが、匂宮は即座に実行あるのみなのです。

前日からの雪が積もっている中、無鉄砲にも宇治へとお出でに
なりました。大内記らも難儀しながらお供を務めているのでした。
こんな雪の夜に浮舟に逢いに来られた匂宮に、右近はもとより
浮舟も感動しておりました。右近は自分一人では手に負えない
状況になったと判断して、侍従という若い女房に事情を打ち明け、
味方につけて匂宮を浮舟の許にお入れしました。

これで一晩過ごし、夜が明けないうちにお帰りになっていたなら、
浮舟も、最終的には薫に委ねる道を選んだかもしれません。でも
匂宮は、僅かな時間の逢瀬だけでは、未練が残ってならないし、
この邸の人々の目も気になるので、時方に段取りをつけさせて、
対岸の時方の叔父の山荘に浮舟を連れ出すことにしたのです。
夜更けのこととて寝ていた右近も動転し、驚き震えているうちに、
匂宮は浮舟を抱いて邸をお出になります。右近は侍従を二人に
付き添わせ、自分は留守番役として残ったのでした。

大内記、時方、右近、侍従、脇役の描き方も細やかで、物語に
リアリティを持たせ、引き立てるのに一役買っていますね。

そして、次がいよいよ、あの朝霧橋のたもとのモニュメントにも
なっている場面となります。会場クラスでは、もう明後日が例会
ですので、新年早々、私も緊張しているところです。


2025「謹賀新年」

2025年1月2日(木)

昨年は新年早々に能登半島地震があり、大変な幕開けと
なりましたが、今年は穏やかなうちに元日、二日が過ぎて
おります。

我が家のお正月は、ほぼほぼ昨年と同じですが、年末に
体調の思わしくない時があったので、同じように新年が
迎えられたことは、有難いと感じております。もうこの歳に
なると、「変わらない」=「めでたい」ですね。

変化するなら楽なほうへ(笑)と、今年初めて市販のおせち
を取り寄せました。中津川の「ちこり村」から、大晦日の夜、
冷蔵便で届きました。

   2025お正月②
  一番評判が良かったのは、右上の「栗くりきんとん」。
  「栗くり」とあって、普通のおせちの「栗きんとん」とは
  イメージが異なり、和菓子的なのですが、さすがに
  中津川だけのことはあります。

お昼には息子一家がやって来て、例年通り、初春の祝い膳
を囲みました。お屠蘇の盃を下の孫から順に廻し、上記の
おせち料理と、私が37㎝の大皿に用意したオードブル、黒豆、
紅白なますを添えて出しました。

    2025お正月③
   皆が大好きな鶏の唐揚げを作って、あとは手の
   掛からないものを盛り付けたのですが、サラダ菜
   の敷き方をもっと上手くすべきだった、とか、1周
   するのに何が何個必要か読めてなかった、とか
   反省点もいくつか生じました。でも、この大皿にも
   年に一度の出番が回って来たようです。

    2025お正月⑤
   神戸の叔母が毎年暮れに送ってくれる丹波篠山
   の黒豆を煮ました。ちこり村の「黒豆」のお味が、
   私の手作りとよく似ているのにびっくり!混ぜて
   しまってもわからないかも?(*´艸`*)

    2025お正月④
   三浦大根と金時人参の「紅白なます」は、私自身
   が食べたくて作りました。おせちの中で一番好き
   なのが、この「紅白なます」なので。

〆のご飯と豚汁の後、一旦片付けをして、コーヒーを淹れ、
苺のホールケーキで一服。これも昨年と全く同じです。

そして、私がお正月行事として大事にしている「百人一首」
のかるた取り。今年も付き合ってくれました。

       2025お正月①
    「源平合戦」で2回やります。これは1回戦の
    「親VS.子ども」。もう3年前から、子どもチーム
    の圧勝です。見ていると、瞬発力も、かるたを
    追う目の動きも孫たちは速い!今年4回目の
    年男・年女の息子夫婦では、もう敵いませんね。

1月2日の今日は、これも毎年欠かさずお参りしているすぐ近く
の神社へと初詣。好天に恵まれたこともあってか、小さな神社
ですが、拝殿の前には20人余りの人が並んでいて、後ろへも
次々と人が連なっていきました。

コロナの収束を願う必要はもうないかな、と思い、今年は先ず
家内安全を祈り、もう一つ、戦争の無い平和な世界をお願い
します、と手を合わせてまいりました。

今年は昨年に比べ、『源氏物語』の講読会が2回減りますので、
ブログの更新回数も若干少なくなるかもしれませんが、これ迄
同様、よろしくお願い申し上げます。

皆さまにとっても、お健やかな良き一年となりますように。

       2025お正月⑥


訪問者カウンター