ここにも景情一致が
2019年10月28日(月) 溝の口「湖月会」(第136回)
第2金曜日のクラスも、このクラスも「宇治十帖」に入って3回目、
第45帖「橋姫」の後半に入ったところを読んでいます。
八の宮の留守中に宇治を訪れた薫は、思い掛けず姫君たちを
垣間見るチャンスを得ました。それと同時に、八の宮邸に仕えて
いる自分の出生の秘密を知っている老女房との出会いもあり
ました。
まだ全てではありませんが、この老女房が亡き柏木の乳母子で、
薫に告げたいと思っていることが、出生にまつわる話であることは
薫にも読者にもわかります。
幼い頃から、ずっと疑念を抱いてきたことが明らかになろうとして
いるのですから、薫は当然もっと詳しく聞きたいと思います。でも、
今は人目も多いし、夜も明けてしまいそうなので、後ろ髪を引かれ
つつ、立ち上がったその時、「かのおはします寺の鐘の声、かすかに
聞こえて、霧いと深くたちわたれり」(あの、八の宮がお籠りになって
いる山寺の鐘の音が、かすかに聞こえてきて、霧がとても深く一面
に立ち込めていた)、とあります。
不安を抱きながら京へと帰ろうとする薫と、この遠くから聞こえてくる
鐘の音と深く立ち込めた霧。薫の心情と、景色とが見事に共鳴して、
感動を呼び起こす一文だと思います。
「源氏物語」の景情一致の名場面は、「桐壺」の巻で、帝の使者である
靫負の命婦が、亡き更衣のお里を弔問する場面(ここは以前にブログ
に取り上げました。こちらからどうぞ→「景情一致の名場面」)、「賢木」
の巻で、源氏が間もなく伊勢に下向する六条御息所を野宮に訪ねる
場面、「須磨」の巻で、須磨に謫居した源氏の孤独な様子を伝える
場面などが有名ですが、このような短文の中にも、見事に表現されて
いる箇所があることをお伝えしたくて、取り上げてみました。
「景情一致」の場面を味わうには原文に触れることが必要になって
まいります。ここもぜひ原文でどうぞ。
第2金曜日のクラスも、このクラスも「宇治十帖」に入って3回目、
第45帖「橋姫」の後半に入ったところを読んでいます。
八の宮の留守中に宇治を訪れた薫は、思い掛けず姫君たちを
垣間見るチャンスを得ました。それと同時に、八の宮邸に仕えて
いる自分の出生の秘密を知っている老女房との出会いもあり
ました。
まだ全てではありませんが、この老女房が亡き柏木の乳母子で、
薫に告げたいと思っていることが、出生にまつわる話であることは
薫にも読者にもわかります。
幼い頃から、ずっと疑念を抱いてきたことが明らかになろうとして
いるのですから、薫は当然もっと詳しく聞きたいと思います。でも、
今は人目も多いし、夜も明けてしまいそうなので、後ろ髪を引かれ
つつ、立ち上がったその時、「かのおはします寺の鐘の声、かすかに
聞こえて、霧いと深くたちわたれり」(あの、八の宮がお籠りになって
いる山寺の鐘の音が、かすかに聞こえてきて、霧がとても深く一面
に立ち込めていた)、とあります。
不安を抱きながら京へと帰ろうとする薫と、この遠くから聞こえてくる
鐘の音と深く立ち込めた霧。薫の心情と、景色とが見事に共鳴して、
感動を呼び起こす一文だと思います。
「源氏物語」の景情一致の名場面は、「桐壺」の巻で、帝の使者である
靫負の命婦が、亡き更衣のお里を弔問する場面(ここは以前にブログ
に取り上げました。こちらからどうぞ→「景情一致の名場面」)、「賢木」
の巻で、源氏が間もなく伊勢に下向する六条御息所を野宮に訪ねる
場面、「須磨」の巻で、須磨に謫居した源氏の孤独な様子を伝える
場面などが有名ですが、このような短文の中にも、見事に表現されて
いる箇所があることをお伝えしたくて、取り上げてみました。
「景情一致」の場面を味わうには原文に触れることが必要になって
まいります。ここもぜひ原文でどうぞ。
斎宮の卜定から伊勢下向まで
2019年10月24日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第43回・№2)
一昨日、新天皇の「即位礼正殿の儀」も行われましたので、今日は
平安時代においては新帝即位後直ちに行われていた「斎宮」の卜定
(ぼくじょう)から伊勢下向までの過程をご紹介しておきましょう。
①天皇即位の年に、未婚の内親王または女王から候補者を選び出し、
卜定(亀の甲を火で焙って出来たヒビで判断する占い)により、決まる。
②勅使が選ばれた内親王または女王の邸に赴き、館の四方、及び内外
の門に、木綿(ゆう)に着けた榊をつけさせる。その後、伊勢神宮に人を
遣わして斎王(宮)が決まった事を告げさせる。(以下「斎宮」と言う)
③賀茂川で御禊(初度の禊)をして、内裏の中に設けられた初斎院での
潔斎生活に入る。卜定が8月以前の場合は同年の9月に、卜定が9月
以降の場合は翌年の9月に初斎院入りとなる。
④初斎院入りした翌年の8月か9月、再び賀茂川で御禊(二度の禊)を
して、斎宮は嵯峨野の野宮に入る。
⑤野宮で約1年の潔斎生活の後、9月、斎宮は伊勢に向かって出発する
が、その前に、桂川で御禊をして、大極殿で「発遣の儀」(天皇が斎宮に
直接「別れの小櫛」を挿し「京の方へおもむきたまふな」と告げる)に臨み、
伊勢へと向かう。
⑥伊勢では元旦の神宮遥拝に始まる年中行事に携わり、実際に伊勢に
赴くのは、6月と12月の「月次祭」と、9月の「神嘗祭」の三回だった。
「葵」の巻では、前坊(すでに亡くなった先の皇太子)と六条御息所の間に
生まれた姫君が、新帝(朱雀帝)の御代の斎宮に決まったけれど、様々な
支障が生じ、初斎院入りが遅れ、この秋になったとあります。そのまま9月
には野宮に移らねばならないので、二度の御禊の準備も並行してなされる
べき時に、肝心の母親の六条御息所が妙にぼんやりとして臥せっている
ので、周りがやきもきしてしている様子が書かれています。実は御息所の
魂が身体を抜け出して葵の上に憑りついているためなのですが、そこは
次回詳しく読むことになります。
おそらく卜定が8月以前だったため、同じ年にすべき初斎院入りが翌年に
ずれ込んで、秋(7月か)に初斎院に入って、僅か二ヶ月程しか滞在期間が
無いので、この時期に初斎院に入る準備と二度の御禊の準備が重なること
になったと思われます。こうしたことには抜群のセンスをお持ちの御息所に、
本当にしっかりしていただきたいところだったでしょう。
本日読みました場面につきましては、「葵の巻・全文訳(6)」をご覧ください。
一昨日、新天皇の「即位礼正殿の儀」も行われましたので、今日は
平安時代においては新帝即位後直ちに行われていた「斎宮」の卜定
(ぼくじょう)から伊勢下向までの過程をご紹介しておきましょう。
①天皇即位の年に、未婚の内親王または女王から候補者を選び出し、
卜定(亀の甲を火で焙って出来たヒビで判断する占い)により、決まる。
②勅使が選ばれた内親王または女王の邸に赴き、館の四方、及び内外
の門に、木綿(ゆう)に着けた榊をつけさせる。その後、伊勢神宮に人を
遣わして斎王(宮)が決まった事を告げさせる。(以下「斎宮」と言う)
③賀茂川で御禊(初度の禊)をして、内裏の中に設けられた初斎院での
潔斎生活に入る。卜定が8月以前の場合は同年の9月に、卜定が9月
以降の場合は翌年の9月に初斎院入りとなる。
④初斎院入りした翌年の8月か9月、再び賀茂川で御禊(二度の禊)を
して、斎宮は嵯峨野の野宮に入る。
⑤野宮で約1年の潔斎生活の後、9月、斎宮は伊勢に向かって出発する
が、その前に、桂川で御禊をして、大極殿で「発遣の儀」(天皇が斎宮に
直接「別れの小櫛」を挿し「京の方へおもむきたまふな」と告げる)に臨み、
伊勢へと向かう。
⑥伊勢では元旦の神宮遥拝に始まる年中行事に携わり、実際に伊勢に
赴くのは、6月と12月の「月次祭」と、9月の「神嘗祭」の三回だった。
「葵」の巻では、前坊(すでに亡くなった先の皇太子)と六条御息所の間に
生まれた姫君が、新帝(朱雀帝)の御代の斎宮に決まったけれど、様々な
支障が生じ、初斎院入りが遅れ、この秋になったとあります。そのまま9月
には野宮に移らねばならないので、二度の御禊の準備も並行してなされる
べき時に、肝心の母親の六条御息所が妙にぼんやりとして臥せっている
ので、周りがやきもきしてしている様子が書かれています。実は御息所の
魂が身体を抜け出して葵の上に憑りついているためなのですが、そこは
次回詳しく読むことになります。
おそらく卜定が8月以前だったため、同じ年にすべき初斎院入りが翌年に
ずれ込んで、秋(7月か)に初斎院に入って、僅か二ヶ月程しか滞在期間が
無いので、この時期に初斎院に入る準備と二度の御禊の準備が重なること
になったと思われます。こうしたことには抜群のセンスをお持ちの御息所に、
本当にしっかりしていただきたいところだったでしょう。
本日読みました場面につきましては、「葵の巻・全文訳(6)」をご覧ください。
第9帖「葵」の全文訳(6)
2019年10月24日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第43回・№1)
第2月曜日のクラス同様、こちらも第9帖「葵」に入って3回目となり、
今回は、77頁・10行目~84頁・10行目迄を読みました。前半部分の
全文訳は、10/14に書きましたので、今日は後半部分(81頁・4行目
~84頁・10行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
しっくりと噛み合わないまま迎えた明け方に出て行かれる源氏の君の
ご様子が素晴らしいのにつけても、やはり振り切って伊勢に下向する
のは止めようか、と御息所はお考えになります。「重々しくお扱いに
なっておられるお方に、いっそうご愛情が増すはずのことが加わったの
だから、葵の上お一人に落ち着かれるであろうに、こんなふうに源氏の君
の訪れを待ちつつ日を送るのも、物思いをし尽すだけに違いない」と、
たまさかのご訪問に却って日頃の物思いが呼び覚まされたような気が
なさっていたところに、お手紙だけが日暮れ頃に届きました。
「ここ数日、少し治まっている様子だった容態が、急にたいそう苦しそうで
ございますので、放ってはおけないものですから」と書いてあるのを、
御息所はいつもの口実だとご覧になるのものの、
「袖濡るるこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
(涙に袖が濡れる辛い恋路とは知りながら、その泥(こひぢ)に踏み入って
しまった我が身が情けのうございます)このような辛い恋が『山の井の水』
と言われるのも道理で。」
と書いて、源氏の君にお返事なさいました。御息所のご筆跡は、やはり
大勢の女君の中でも優れていることよ、と源氏の君はご覧になりながら、
「どうなっているのかと思われる男女の仲であることだなあ、気立ても
顔立ちもそれぞれで、捨ててしまってよい人は無く、またこの人こそ、と
思い定めてしまえそうな女性もいないのを辛くお思いになっておりました。
お返事はすっかり暗くなってしまっていましたが、
「袖ばかりが濡れるとはどうしたことでしょう。お気持ちの深くないお言葉
ですね。浅みにや人はおりたつわが方は身もそぼつまで深きこひぢを
(あなたは浅い所に下り立っておられるからでしょうか、私のほうは身まで
ぐっしょりと濡れるほど深い泥〈恋路〉に入り込んでいますのに)並大抵の
ことで、このお返事を直接申し上げないことがありましょうか」
などと書かれておりました。
葵の上は、物の怪が盛んに立ち現れて、たいそうお苦しみになっており
ました。これが御息所の生霊だとか、故父大臣の怨霊などと言う者が
いると、お聞きになるにつけて、お考え続けなさると、我が身一つの辛い
嘆きの他に、葵の上を「不幸であれ」などと思う気持ちもないのだけれど、
物思いに耽っていると、身体から離れて出て行くという魂は、そうかも
しれない、と思い当たられるふしもありました。
数年来、あれこれと物思いの限りをし尽くして来たけれど、それでもこうも
くじけることは無かったのに、あのちょっとした車争いの折に、相手が自分
を蔑んで、ないがしろに扱う態度を見せた御禊の日の後、その一件で
理性を無くされたお心が、静まり難くお思いになるせいでありましょうか、
少しうとうととなさった時に見る夢には、葵の上と思われる人が、とても
美しい装いでいらっしゃる所へ行って、あちらこちらを引っ掻き回し、
現実とは異なり、烈しく猛々しい気持ちが湧いて来て、暴力をふるったり
しているのを見ることが、度重なっておりました。
「ああ情けない、本当に魂が身体から抜け出して行ってしまったのだろう
か」と、正気ではないように思われる折々もあるので、それほどのことで
なくても、他人のこととなると、良いことはわざと言い出さない世の中だから、
ましてやこれは、どのようにも言われかねない恰好のネタだとお思いに
なると、いかにも評判になりそうで、もう死んでしまってから怨霊になる
ことは世間の常だ、それだって他人のこととして聞くと、罪深く汚らわしい
ことだと思われるのに、現実の我が身のまま、そのような気味の悪い噂を
立てられる宿世のつたなさよ、もう一切源氏の君のことなど気にもかけまい、
と御息所は思い返されるのですが、源氏の君のことを思うまい、と思うのも、
源氏の君のことを思っておられる証拠なのでした。
斎宮は、去年の内に宮中の初斎院に入られるはずだったのに、さまざまな
支障があって、この秋にお入りになります。九月にはそのまま野宮にお移り
になるはずなので、二度目の御禊の準備を取り重ねて行わなければならない
のに、母である御息所が、ただ妙にぼんやりとして正体が無く、思い沈んで
寝込みお具合が悪いので、斎宮付きの人たちは重大事だと思って、お祈り
などを様々にし申し上げております。御息所はものものしいご病状というの
ではなく、何となく体調がすぐれなくて、月日をお過ごしになっていました。
源氏の君も始終お見舞いのお便りを差し上げておられましたが、もっと
大事な葵の上がたいそうお苦しみになるので、お心の休まる暇がなさそうで
ございました。
第2月曜日のクラス同様、こちらも第9帖「葵」に入って3回目となり、
今回は、77頁・10行目~84頁・10行目迄を読みました。前半部分の
全文訳は、10/14に書きましたので、今日は後半部分(81頁・4行目
~84頁・10行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
しっくりと噛み合わないまま迎えた明け方に出て行かれる源氏の君の
ご様子が素晴らしいのにつけても、やはり振り切って伊勢に下向する
のは止めようか、と御息所はお考えになります。「重々しくお扱いに
なっておられるお方に、いっそうご愛情が増すはずのことが加わったの
だから、葵の上お一人に落ち着かれるであろうに、こんなふうに源氏の君
の訪れを待ちつつ日を送るのも、物思いをし尽すだけに違いない」と、
たまさかのご訪問に却って日頃の物思いが呼び覚まされたような気が
なさっていたところに、お手紙だけが日暮れ頃に届きました。
「ここ数日、少し治まっている様子だった容態が、急にたいそう苦しそうで
ございますので、放ってはおけないものですから」と書いてあるのを、
御息所はいつもの口実だとご覧になるのものの、
「袖濡るるこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
(涙に袖が濡れる辛い恋路とは知りながら、その泥(こひぢ)に踏み入って
しまった我が身が情けのうございます)このような辛い恋が『山の井の水』
と言われるのも道理で。」
と書いて、源氏の君にお返事なさいました。御息所のご筆跡は、やはり
大勢の女君の中でも優れていることよ、と源氏の君はご覧になりながら、
「どうなっているのかと思われる男女の仲であることだなあ、気立ても
顔立ちもそれぞれで、捨ててしまってよい人は無く、またこの人こそ、と
思い定めてしまえそうな女性もいないのを辛くお思いになっておりました。
お返事はすっかり暗くなってしまっていましたが、
「袖ばかりが濡れるとはどうしたことでしょう。お気持ちの深くないお言葉
ですね。浅みにや人はおりたつわが方は身もそぼつまで深きこひぢを
(あなたは浅い所に下り立っておられるからでしょうか、私のほうは身まで
ぐっしょりと濡れるほど深い泥〈恋路〉に入り込んでいますのに)並大抵の
ことで、このお返事を直接申し上げないことがありましょうか」
などと書かれておりました。
葵の上は、物の怪が盛んに立ち現れて、たいそうお苦しみになっており
ました。これが御息所の生霊だとか、故父大臣の怨霊などと言う者が
いると、お聞きになるにつけて、お考え続けなさると、我が身一つの辛い
嘆きの他に、葵の上を「不幸であれ」などと思う気持ちもないのだけれど、
物思いに耽っていると、身体から離れて出て行くという魂は、そうかも
しれない、と思い当たられるふしもありました。
数年来、あれこれと物思いの限りをし尽くして来たけれど、それでもこうも
くじけることは無かったのに、あのちょっとした車争いの折に、相手が自分
を蔑んで、ないがしろに扱う態度を見せた御禊の日の後、その一件で
理性を無くされたお心が、静まり難くお思いになるせいでありましょうか、
少しうとうととなさった時に見る夢には、葵の上と思われる人が、とても
美しい装いでいらっしゃる所へ行って、あちらこちらを引っ掻き回し、
現実とは異なり、烈しく猛々しい気持ちが湧いて来て、暴力をふるったり
しているのを見ることが、度重なっておりました。
「ああ情けない、本当に魂が身体から抜け出して行ってしまったのだろう
か」と、正気ではないように思われる折々もあるので、それほどのことで
なくても、他人のこととなると、良いことはわざと言い出さない世の中だから、
ましてやこれは、どのようにも言われかねない恰好のネタだとお思いに
なると、いかにも評判になりそうで、もう死んでしまってから怨霊になる
ことは世間の常だ、それだって他人のこととして聞くと、罪深く汚らわしい
ことだと思われるのに、現実の我が身のまま、そのような気味の悪い噂を
立てられる宿世のつたなさよ、もう一切源氏の君のことなど気にもかけまい、
と御息所は思い返されるのですが、源氏の君のことを思うまい、と思うのも、
源氏の君のことを思っておられる証拠なのでした。
斎宮は、去年の内に宮中の初斎院に入られるはずだったのに、さまざまな
支障があって、この秋にお入りになります。九月にはそのまま野宮にお移り
になるはずなので、二度目の御禊の準備を取り重ねて行わなければならない
のに、母である御息所が、ただ妙にぼんやりとして正体が無く、思い沈んで
寝込みお具合が悪いので、斎宮付きの人たちは重大事だと思って、お祈り
などを様々にし申し上げております。御息所はものものしいご病状というの
ではなく、何となく体調がすぐれなくて、月日をお過ごしになっていました。
源氏の君も始終お見舞いのお便りを差し上げておられましたが、もっと
大事な葵の上がたいそうお苦しみになるので、お心の休まる暇がなさそうで
ございました。
女君と女房との距離感
2019年10月19日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第166回)
10月も半ばを過ぎ、急速に秋が深まっております。日も短くなって、
仕事帰りにちょっとスーパーで買い物をして外に出ると、もう辺りは
真っ暗、なんてことが多くなりました。
このクラスは例会毎に、「あと何回」と数えるところまで来ています。
今読んでいる第53帖「手習」に2回、最後の54帖「夢浮橋」に2回、
残り計4回かなぁ、と思っているところです。
「源氏物語」もここまで読み進めると、様々な物語全体を通しての
推移が見えてまいります。女君と女房との距離感、と言いますか、
気持のズレ、と言いますか、そうした両者の隔たりも、第一部を
読んでいる頃には殆ど感じられなかったものですが、第二部以降、
次第に大きくなって、第三部の「宇治十帖」になると、女君と女房の
意識には歴然とした違いが表れ、先ず大君が孤立して行きました。
浮舟に至っては、右近や侍従という、浮舟の幸せを願ってやまない
女房たちがいるにも拘らず、その気持ちは空回りをし、結局浮舟は
孤立して自死の道を選ぶに至りました。
更に、横川の僧都によって救われた浮舟が身を寄せている小野の
草庵では、誰一人浮舟のこれまでを知る人も無く、赤の他人の老尼
の集団に放り込まれた形となって、その断絶は究極のところにまで
達した感があります。
物語が進むにつれて、女君の孤独感が際立って来る背景に、こうした
女房との関係があることも知っておいて良いかと思うのです。
10月も半ばを過ぎ、急速に秋が深まっております。日も短くなって、
仕事帰りにちょっとスーパーで買い物をして外に出ると、もう辺りは
真っ暗、なんてことが多くなりました。
このクラスは例会毎に、「あと何回」と数えるところまで来ています。
今読んでいる第53帖「手習」に2回、最後の54帖「夢浮橋」に2回、
残り計4回かなぁ、と思っているところです。
「源氏物語」もここまで読み進めると、様々な物語全体を通しての
推移が見えてまいります。女君と女房との距離感、と言いますか、
気持のズレ、と言いますか、そうした両者の隔たりも、第一部を
読んでいる頃には殆ど感じられなかったものですが、第二部以降、
次第に大きくなって、第三部の「宇治十帖」になると、女君と女房の
意識には歴然とした違いが表れ、先ず大君が孤立して行きました。
浮舟に至っては、右近や侍従という、浮舟の幸せを願ってやまない
女房たちがいるにも拘らず、その気持ちは空回りをし、結局浮舟は
孤立して自死の道を選ぶに至りました。
更に、横川の僧都によって救われた浮舟が身を寄せている小野の
草庵では、誰一人浮舟のこれまでを知る人も無く、赤の他人の老尼
の集団に放り込まれた形となって、その断絶は究極のところにまで
達した感があります。
物語が進むにつれて、女君の孤独感が際立って来る背景に、こうした
女房との関係があることも知っておいて良いかと思うのです。
この感性!
2019年10月18日(金) 溝の口「枕草子」(第37回)
台風19号の被害のために、本日の講読会を欠席なさった方があり、
この度の災害をいっそう身近に感じております。早く元の落ち着いた
暮らしに戻られますように、と、ただもう祈るばかりです。
今回の「枕草子」は第204段~第206段を読みました。204、205段は
類聚章段です。ところが、「見物(みもの)は」と題した第205段は、
やはりイベントに対する格別な思い入れがあるからなのでしょう、
類聚章段にしてはとても長い段で、結局、3段しか読めませんでした
(まあ、例によって余計な話もしましたけど・・・)。
第206段は、新緑の頃、牛車に乗って山里を散策する中で、作者の
五感に触れる自然が実に鮮やかに描写されている秀逸な随想章段
です。
特に最後の一文には、清少納言の豊かな感性が千年の時を越えて、
その場に居合わせたかのような錯覚さえ抱かせる、見事な表現と
なっています。
蓬の、車におしひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかり
たるも、をかし(蓬が、牛車の車輪におしつぶされて、それが車輪に
くっついて、乗っている私の顔近くに来て、蓬の香りがふわーっと
伝わってくるのも、素敵だわ)。〈「かかり」は「かかへ」(「香がふ」という
香りが漂う意の動詞の連用形)の誤写とする説に従い解釈しています〉
これぞ清少納言の本領発揮というところでしょうね。
台風19号の被害のために、本日の講読会を欠席なさった方があり、
この度の災害をいっそう身近に感じております。早く元の落ち着いた
暮らしに戻られますように、と、ただもう祈るばかりです。
今回の「枕草子」は第204段~第206段を読みました。204、205段は
類聚章段です。ところが、「見物(みもの)は」と題した第205段は、
やはりイベントに対する格別な思い入れがあるからなのでしょう、
類聚章段にしてはとても長い段で、結局、3段しか読めませんでした
(まあ、例によって余計な話もしましたけど・・・)。
第206段は、新緑の頃、牛車に乗って山里を散策する中で、作者の
五感に触れる自然が実に鮮やかに描写されている秀逸な随想章段
です。
特に最後の一文には、清少納言の豊かな感性が千年の時を越えて、
その場に居合わせたかのような錯覚さえ抱かせる、見事な表現と
なっています。
蓬の、車におしひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかり
たるも、をかし(蓬が、牛車の車輪におしつぶされて、それが車輪に
くっついて、乗っている私の顔近くに来て、蓬の香りがふわーっと
伝わってくるのも、素敵だわ)。〈「かかり」は「かかへ」(「香がふ」という
香りが漂う意の動詞の連用形)の誤写とする説に従い解釈しています〉
これぞ清少納言の本領発揮というところでしょうね。
秘密の思い出話
2019年10月16日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第218回)
昨日から気温が急に下がり、薄いカーディガンを羽織ったくらいで外に
出ると、肌寒く感じられるようになりました。
湘南台クラスは、「宇治十帖」では最長の巻、第49帖「宿木」を読んで
いますが、あと一息のところまで来ました。年内には読み終えられると
思います。
八の宮邸を解体して、宇治山の阿闍梨の山寺に御堂として移築しよう
と考えている薫は、晩秋の9月20日過ぎ、宇治へと出掛けました。
阿闍梨との打ち合わせを済ませると、もう日も暮れたので、その夜薫は
宇治に泊まります。
もうここで今、話相手を務められるのは弁の尼しかいませんが、他に
誰もいないということは、特別な話が心置きなく出来ることも意味して
おりました。本文にも「聞く人なきに心やすくて」(誰も聞いている人が
いないので安心して)とあります。
他所では決して口にすることが出来ない、二人だけの秘密、と言えば、
そう、柏木のことです。薫も実父のことを聞ける唯一の相手ですから、
話は先ずそこから、ということになって当然でしょう。
弁の尼は、柏木が臨終近くに生まれたあなた(薫)を、何とか見たいと
お思いでしたがそれは叶わず、自分がもう最期も近いと思われる今、
こうしてお姿を拝見できるのは、柏木にご生前親しくお仕えした功徳で
あろうかと、嬉しくも悲しくも感じられる、と語ります。
このあと、話題は大君のことへと移り、弁の尼はエンドレスに話し続け、
薫も熱心に耳を傾けている様子が描かれています。
そして最後に、薫が話のついでに言い出したのが八の宮の遺児(浮舟)
のことで、薫は初めて浮舟の詳しい氏素性をここで知るのでした。
浮舟の話が次第に近づいてまいります。
昨日から気温が急に下がり、薄いカーディガンを羽織ったくらいで外に
出ると、肌寒く感じられるようになりました。
湘南台クラスは、「宇治十帖」では最長の巻、第49帖「宿木」を読んで
いますが、あと一息のところまで来ました。年内には読み終えられると
思います。
八の宮邸を解体して、宇治山の阿闍梨の山寺に御堂として移築しよう
と考えている薫は、晩秋の9月20日過ぎ、宇治へと出掛けました。
阿闍梨との打ち合わせを済ませると、もう日も暮れたので、その夜薫は
宇治に泊まります。
もうここで今、話相手を務められるのは弁の尼しかいませんが、他に
誰もいないということは、特別な話が心置きなく出来ることも意味して
おりました。本文にも「聞く人なきに心やすくて」(誰も聞いている人が
いないので安心して)とあります。
他所では決して口にすることが出来ない、二人だけの秘密、と言えば、
そう、柏木のことです。薫も実父のことを聞ける唯一の相手ですから、
話は先ずそこから、ということになって当然でしょう。
弁の尼は、柏木が臨終近くに生まれたあなた(薫)を、何とか見たいと
お思いでしたがそれは叶わず、自分がもう最期も近いと思われる今、
こうしてお姿を拝見できるのは、柏木にご生前親しくお仕えした功徳で
あろうかと、嬉しくも悲しくも感じられる、と語ります。
このあと、話題は大君のことへと移り、弁の尼はエンドレスに話し続け、
薫も熱心に耳を傾けている様子が描かれています。
そして最後に、薫が話のついでに言い出したのが八の宮の遺児(浮舟)
のことで、薫は初めて浮舟の詳しい氏素性をここで知るのでした。
浮舟の話が次第に近づいてまいります。
憂悶する六条御息所
2019年10月14日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第43回・№2)
台風19号は大きな爪痕を残して過ぎ去りました。大雨であちらこちらの
河川が氾濫し、二日経った今日も、死者や行方不明の方々の数が増え
続けています。どうかもうこれ以上多くなりませんように。
溝の口の「紫の会」は、「葵」の巻の佳境に入ってまいりました。
自分を取り巻く運命が悪い方へ悪い方へと流れて行くのを、痛感せざる
を得ない六条御息所。その心の内が丹念に描かれることで、読者もいつ
の間にか物語世界に引き込まれてしまいます。
六条御息所の気持ちを整理すると、
①源氏の愛情はすでに冷めてしまっている。
②だから、斎宮となった娘と共に伊勢に下向してしまおうか、と思う。
③でも、源氏と逢えない所へ行ってしまうのはとても心細いし、世間で、
源氏に捨てられたから伊勢に行った、と物笑いにされるのも辛い。
④しかし、京に居ても、先日の車争いの時のように、下々の者にまで
見下されてしまう立場なのだ。
ということになりましょう。
このままでは八方塞がりですが、どこに解決の糸口を見つければよい
のか、分からずにいます。
この憂悶から抜け出す手立ては二つあったと思います。一つは、源氏が
優しく昔のように六条御息所に細やかな愛情を注ぐことです。これが何と
言っても、一番効果があったはずですが、現実の源氏に、もはやそれを
望むのは無理だったでしょう。ただ、源氏としても既に情熱は失っている
ものの、完全に御息所を失うのも惜しく、御息所を生殺し状態にしたまま
でおりました。
もう一つは、御息所が強い意志を持って、源氏との関係をきっぱりと断ち
切ること。でも、それが出来ればこんなに苦しむことは無いわけで、心の
片隅で虚しいと知りつつ、源氏に期待を抱き続けていたのです。
その結果、自分にも、葵の上にも不幸を招き寄せてしまうのですが、
そこに至る御息所の内面描写には、読んでいても胸が苦しくなって
まいります。
丁寧に心の奥まで描かれている登場人物の魅力を、存分に味わう
ことの出来る場面が続きますが、次回がそのクライマックスに達する
ところとなります。ご期待ください。
本日の講読箇所の前半部分の全文訳を先に書きましたので、詳しくは
そちら→「葵の巻・全文訳(5)」をご覧いただければと存じます。
台風19号は大きな爪痕を残して過ぎ去りました。大雨であちらこちらの
河川が氾濫し、二日経った今日も、死者や行方不明の方々の数が増え
続けています。どうかもうこれ以上多くなりませんように。
溝の口の「紫の会」は、「葵」の巻の佳境に入ってまいりました。
自分を取り巻く運命が悪い方へ悪い方へと流れて行くのを、痛感せざる
を得ない六条御息所。その心の内が丹念に描かれることで、読者もいつ
の間にか物語世界に引き込まれてしまいます。
六条御息所の気持ちを整理すると、
①源氏の愛情はすでに冷めてしまっている。
②だから、斎宮となった娘と共に伊勢に下向してしまおうか、と思う。
③でも、源氏と逢えない所へ行ってしまうのはとても心細いし、世間で、
源氏に捨てられたから伊勢に行った、と物笑いにされるのも辛い。
④しかし、京に居ても、先日の車争いの時のように、下々の者にまで
見下されてしまう立場なのだ。
ということになりましょう。
このままでは八方塞がりですが、どこに解決の糸口を見つければよい
のか、分からずにいます。
この憂悶から抜け出す手立ては二つあったと思います。一つは、源氏が
優しく昔のように六条御息所に細やかな愛情を注ぐことです。これが何と
言っても、一番効果があったはずですが、現実の源氏に、もはやそれを
望むのは無理だったでしょう。ただ、源氏としても既に情熱は失っている
ものの、完全に御息所を失うのも惜しく、御息所を生殺し状態にしたまま
でおりました。
もう一つは、御息所が強い意志を持って、源氏との関係をきっぱりと断ち
切ること。でも、それが出来ればこんなに苦しむことは無いわけで、心の
片隅で虚しいと知りつつ、源氏に期待を抱き続けていたのです。
その結果、自分にも、葵の上にも不幸を招き寄せてしまうのですが、
そこに至る御息所の内面描写には、読んでいても胸が苦しくなって
まいります。
丁寧に心の奥まで描かれている登場人物の魅力を、存分に味わう
ことの出来る場面が続きますが、次回がそのクライマックスに達する
ところとなります。ご期待ください。
本日の講読箇所の前半部分の全文訳を先に書きましたので、詳しくは
そちら→「葵の巻・全文訳(5)」をご覧いただければと存じます。
第9帖「葵」の全文訳(5)
2019年10月14(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第43回・№1)
第9帖「葵」に入って3回目。今日は77頁・10行目~84頁・10行目迄を
読みました。その前半部分(77頁・10行目~81頁・3行目)の全文訳
です。後半は10/24(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
六条御息所は、物事を思い悩まれることが、この数年よりもさかんに
募っておりました。源氏の君の愛情はすっかり冷めてしまったと諦めては
いらっしゃるものの、もう今は、と思って源氏の君との関係を断ち切って
伊勢に下向なさるとなると、きっとひどく心細いことでありましょうし、世間
の噂でも物笑いになるだろうと、お気になさっておりました。かと言って、
京に踏みとどまるべく考え直されるには、あの時のように、これ以上ない
程下々の者までもが自分のことを蔑んでいるようなのも、心穏やかでは
なく「釣りする海人の浮きのように心を決めかねてふらふらしていることよ」
と、寝ても覚めてもお悩みになっているせいか、ご気分も正気が失せた
ような気がなさって、お具合が悪くていらっしゃいます。
源氏の君は、御息所の伊勢下向を、全くあってはならないことのように、
反対なさるわけではなく、それでいて「人数にも入らないような者は見る
のも嫌だ、とお見捨てになるのも尤もなことですが、今はやはりどうしようも
ない私であっても、最後までお付き合い下さるのが浅からぬご誠意という
ものではありませんか」と、絡んでおっしゃるので、思い決めかねている
お気持ちが慰められることもあろうか、と思って出かけた御禊の日に受けた
手荒な仕打ちに、いっそう、何もかもがとても情けなく思い詰めてしまわれた
のでした。
葵の上は、物の怪のせいと思われるご様子でひどくお苦しみになるので、
誰もが皆思い嘆いておられる時に、女君の許をお訪ねになるのも不都合で、
若紫のいる二条院へも時々いらっしゃいます。そうは言っても、正妻として
重んじるという点では、格別にお思いの方が、ご懐妊という珍しいことまでが
加わってのご病気なので、心苦しくお嘆きになって、源氏の君は、御修法や
何やかやを、ご自分のお部屋であれこれとさせていらっしゃいます。
物の怪や生霊などというものが沢山正体を現して、様々に名乗りをする中で、
憑坐にも一向に乗り移らず、ただ葵の上ご本人のお身体にぴたりとくっついた
状態で、特に酷くお悩ませするということもないのですが、また片時も離れる
ことのない怨霊が一つございました。効験あらたかな験者たちの加持祈祷
にもひるまず、執念深い、一筋縄ではいかないものと思われました。
源氏の君のお通いになっている所を、あちらこちらお考え合わせになって、
「この御息所や二条院のお方ぐらいに対しては、並々ではないご寵愛の
ようですから、正妻に対する怨みの気持ちも深いことでしょう」と、ひそひそ
噂をして、占いなどもさせてごらんになりますが、これと言って申し当てること
もありません
でした。
物の怪と言っても、特別に深い敵と申す者もおりません。亡くなった葵の上
の乳母に恨みをもつ者とか、ご両親の血筋に代々祟り続けて来た怨霊で、
弱り目に出て来た者などが、主だって祟るというのではなく、ばらばらと
名乗り出てまいります。
葵の上はひたすらさめざめとお泣きになって、時折胸を詰まらせては
とても堪え難そうにもだえる様子をなさるので、周囲の方々はどうなさった
ことかと、不吉にも悲しんでうろたえておられるのでした。
桐壺院からも、お見舞いがひっきりなしで、ご祈祷のことまでお考えくださる
ご様子が恐れ多いのにつけても、いっそう惜しまれる葵の上の御身です。
世の中を挙げて惜しみ申し上げているとお聞きになると、御息所は穏やかな
お気持ちではいられませんでした。今までずっとこれほどでもなかった競争心
なのに、御禊の日のちょっとした車争いのために、御息所のお心に怨念が
兆したのを、左大臣家では、それほどともお気づきにはなっていなかったの
でした。
御息所はこのようなお心の乱れで、ご気分が普通ではないように思われる
ので、他所へお移りになって、御修法などをおさせになります。それを源氏
の君がお聞きになって、どんなご容態なのかとおいたわしく、思い立たれて
お出でになりました。
いつもと違う外泊先なので、源氏の君はたいそう人目を忍んでいらっしゃい
ます。心ならずもご無沙汰していることなど、御息所への無礼もお許し頂け
そうなお上手な言い訳をずっと申し上げ続けて、お具合の悪い葵の上の
ことも訴えなさいます。源氏の君は「私自身はさほど心配もしておりません
が、親たちが本当に一大事と思ってうろたえておられるのがお気の毒で、
こういう時期をやり過ごしてからお伺いしたいと思っておりましたもので。
何事をもおおらかにお考えになるお気持ちでいて下さるなら、とても嬉しう
ございます」などと、語りかけなさいました。いつもよりも痛々しげな御息所
のご様子を、無理もないことと、おいたわしくご覧になっていました。
第9帖「葵」に入って3回目。今日は77頁・10行目~84頁・10行目迄を
読みました。その前半部分(77頁・10行目~81頁・3行目)の全文訳
です。後半は10/24(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
六条御息所は、物事を思い悩まれることが、この数年よりもさかんに
募っておりました。源氏の君の愛情はすっかり冷めてしまったと諦めては
いらっしゃるものの、もう今は、と思って源氏の君との関係を断ち切って
伊勢に下向なさるとなると、きっとひどく心細いことでありましょうし、世間
の噂でも物笑いになるだろうと、お気になさっておりました。かと言って、
京に踏みとどまるべく考え直されるには、あの時のように、これ以上ない
程下々の者までもが自分のことを蔑んでいるようなのも、心穏やかでは
なく「釣りする海人の浮きのように心を決めかねてふらふらしていることよ」
と、寝ても覚めてもお悩みになっているせいか、ご気分も正気が失せた
ような気がなさって、お具合が悪くていらっしゃいます。
源氏の君は、御息所の伊勢下向を、全くあってはならないことのように、
反対なさるわけではなく、それでいて「人数にも入らないような者は見る
のも嫌だ、とお見捨てになるのも尤もなことですが、今はやはりどうしようも
ない私であっても、最後までお付き合い下さるのが浅からぬご誠意という
ものではありませんか」と、絡んでおっしゃるので、思い決めかねている
お気持ちが慰められることもあろうか、と思って出かけた御禊の日に受けた
手荒な仕打ちに、いっそう、何もかもがとても情けなく思い詰めてしまわれた
のでした。
葵の上は、物の怪のせいと思われるご様子でひどくお苦しみになるので、
誰もが皆思い嘆いておられる時に、女君の許をお訪ねになるのも不都合で、
若紫のいる二条院へも時々いらっしゃいます。そうは言っても、正妻として
重んじるという点では、格別にお思いの方が、ご懐妊という珍しいことまでが
加わってのご病気なので、心苦しくお嘆きになって、源氏の君は、御修法や
何やかやを、ご自分のお部屋であれこれとさせていらっしゃいます。
物の怪や生霊などというものが沢山正体を現して、様々に名乗りをする中で、
憑坐にも一向に乗り移らず、ただ葵の上ご本人のお身体にぴたりとくっついた
状態で、特に酷くお悩ませするということもないのですが、また片時も離れる
ことのない怨霊が一つございました。効験あらたかな験者たちの加持祈祷
にもひるまず、執念深い、一筋縄ではいかないものと思われました。
源氏の君のお通いになっている所を、あちらこちらお考え合わせになって、
「この御息所や二条院のお方ぐらいに対しては、並々ではないご寵愛の
ようですから、正妻に対する怨みの気持ちも深いことでしょう」と、ひそひそ
噂をして、占いなどもさせてごらんになりますが、これと言って申し当てること
もありません
でした。
物の怪と言っても、特別に深い敵と申す者もおりません。亡くなった葵の上
の乳母に恨みをもつ者とか、ご両親の血筋に代々祟り続けて来た怨霊で、
弱り目に出て来た者などが、主だって祟るというのではなく、ばらばらと
名乗り出てまいります。
葵の上はひたすらさめざめとお泣きになって、時折胸を詰まらせては
とても堪え難そうにもだえる様子をなさるので、周囲の方々はどうなさった
ことかと、不吉にも悲しんでうろたえておられるのでした。
桐壺院からも、お見舞いがひっきりなしで、ご祈祷のことまでお考えくださる
ご様子が恐れ多いのにつけても、いっそう惜しまれる葵の上の御身です。
世の中を挙げて惜しみ申し上げているとお聞きになると、御息所は穏やかな
お気持ちではいられませんでした。今までずっとこれほどでもなかった競争心
なのに、御禊の日のちょっとした車争いのために、御息所のお心に怨念が
兆したのを、左大臣家では、それほどともお気づきにはなっていなかったの
でした。
御息所はこのようなお心の乱れで、ご気分が普通ではないように思われる
ので、他所へお移りになって、御修法などをおさせになります。それを源氏
の君がお聞きになって、どんなご容態なのかとおいたわしく、思い立たれて
お出でになりました。
いつもと違う外泊先なので、源氏の君はたいそう人目を忍んでいらっしゃい
ます。心ならずもご無沙汰していることなど、御息所への無礼もお許し頂け
そうなお上手な言い訳をずっと申し上げ続けて、お具合の悪い葵の上の
ことも訴えなさいます。源氏の君は「私自身はさほど心配もしておりません
が、親たちが本当に一大事と思ってうろたえておられるのがお気の毒で、
こういう時期をやり過ごしてからお伺いしたいと思っておりましたもので。
何事をもおおらかにお考えになるお気持ちでいて下さるなら、とても嬉しう
ございます」などと、語りかけなさいました。いつもよりも痛々しげな御息所
のご様子を、無理もないことと、おいたわしくご覧になっていました。
「誰に問はまし」の「誰」が現る!
2019年10月11日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(136回)
今日はまだ傘も殆ど使わずに済みましたが、台風19号が刻々と
近づいて来ています。先の15号で大被害を受けた地域に、更に
追い打ちをかけるような事態だけは避けて欲しいですね。
10月3日に「弁の尼の退場」と題した記事を書きましたが、偶然の
事ながら、今日、第45帖「橋姫」で、この弁が初めて登場して来る
場面を読みました。
宇治の山里では、薫のような高貴な若い男性に対して、気の利いた
応対の出来る若い女房がいません。そこで出て来たのが年老いた
一人の女房でした。文中では「老人」「古人」と書かれていて、随分
年寄り扱いなのですが、実はこの人、柏木の乳母子なので、計算
すると53、4歳ということになります。今ならまだまだ老人の部類には
入らない年齢ですよね。
弁は、5、6年前から八の宮家に仕えており、ずっと薫に巡り会えること
を祈願していて、ようやく願いが叶ったと涙を流します。亡き柏木の
遺言で、あなたのお耳に入れたいことがある、と告げるに及び、薫は
幼少の頃より気になっている自分の出生の秘密を知っているのだ、と
感じ取ったのでした。
「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」
(気になって仕方ない。一体誰に訊けば良いのだろう。どのようにして
この世に生まれ、この先どうなって行くのか、全くわからない我が身で
あることよ)
と、悩み続けていたことを、ようやく教えてくれる相手が出現して来たの
です。
薫から宇治の姫君たちの話を聞かされた匂宮は、大いに興味を示します
が、薫のこの時点での最大の関心事は姫君ではなく、弁がほのめかした
「柏木の遺言」のほうだったのも、当然でありましょう。
次回で「橋姫」を読み終える予定です。
今日はまだ傘も殆ど使わずに済みましたが、台風19号が刻々と
近づいて来ています。先の15号で大被害を受けた地域に、更に
追い打ちをかけるような事態だけは避けて欲しいですね。
10月3日に「弁の尼の退場」と題した記事を書きましたが、偶然の
事ながら、今日、第45帖「橋姫」で、この弁が初めて登場して来る
場面を読みました。
宇治の山里では、薫のような高貴な若い男性に対して、気の利いた
応対の出来る若い女房がいません。そこで出て来たのが年老いた
一人の女房でした。文中では「老人」「古人」と書かれていて、随分
年寄り扱いなのですが、実はこの人、柏木の乳母子なので、計算
すると53、4歳ということになります。今ならまだまだ老人の部類には
入らない年齢ですよね。
弁は、5、6年前から八の宮家に仕えており、ずっと薫に巡り会えること
を祈願していて、ようやく願いが叶ったと涙を流します。亡き柏木の
遺言で、あなたのお耳に入れたいことがある、と告げるに及び、薫は
幼少の頃より気になっている自分の出生の秘密を知っているのだ、と
感じ取ったのでした。
「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」
(気になって仕方ない。一体誰に訊けば良いのだろう。どのようにして
この世に生まれ、この先どうなって行くのか、全くわからない我が身で
あることよ)
と、悩み続けていたことを、ようやく教えてくれる相手が出現して来たの
です。
薫から宇治の姫君たちの話を聞かされた匂宮は、大いに興味を示します
が、薫のこの時点での最大の関心事は姫君ではなく、弁がほのめかした
「柏木の遺言」のほうだったのも、当然でありましょう。
次回で「橋姫」を読み終える予定です。
トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団 2019日本公演
2019年10月6日(日)
ずっと前から一度は観てみたい、と思っていた女装したダンサーたちの
コメディバレエ団「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」の日本公演。
それがようやく実現しました。
会場が渋谷のオーチャードホールだったので、それならここで、と、同行
のお二人をお誘いしたのが、いつも友人とル・シネマで映画鑑賞をする
時のお決まりのコース、「タントタント」でのランチです。
14:00開演なので、12:00と思いましたが、混むといけないので、10分
早めて11:50の集合としましたが、結果的に30分待ちとなりました。
映画は平日にしか行かないので、ちょっと読みが甘かったですね。でも、
慌ててガツガツということもなくランチを楽しみ、文化村の半券の特典を
今日も活かして、赤ブドウジュース(気分は赤ワイン)も頂戴しました。
本日いただいた「根菜入りのミートソースのパスタ」。
蓮根やジャガイモってミートソースに良く合うのですね。
東急百貨店本店8Fのレストラン街からエスカレーターで下りれば、そこは
文化村。映画ならここでそのまま入れるのですが、今日はエレベーターで
更に3Fまで下りて到着。
6列目という座席は段差もなく、また文京シビックホールへ行った時の
ような脚切れ現象(→その記事はこちら)が起こらなければいいけど、
と思いながら開演を待ちました。
大丈夫でした。今日は良く見えました。見えなくてもよい背中が汗で
ギラギラ光っているのまで(笑)。
よく笑いました。やはりそのツボを心得た踊りをしているんでしょうね。
同じ「白鳥の湖」でも、ストレスを解消したい時にはこちらがお勧めかも。
アンコールにも何度も応えて、最後の曲は美川憲一さんの「さそり座の女」
でした。この選曲も嵌り過ぎてて笑えました。熱狂的なファンもいらっしゃる
ようで、花束やプレゼントの品々をそれぞれお目当てのダンサーに渡す方
も沢山おられました。これも普通のバレエ公演では見られない光景の一つ
でした。
体調不良が続き、先月末の京都旅行も断念した私ですが、おかげで気分も
し、身体が軽くなった感じがしています。
会場ロビーに展示してあったパネル。勿論全員男性です。
ずっと前から一度は観てみたい、と思っていた女装したダンサーたちの
コメディバレエ団「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」の日本公演。
それがようやく実現しました。
会場が渋谷のオーチャードホールだったので、それならここで、と、同行
のお二人をお誘いしたのが、いつも友人とル・シネマで映画鑑賞をする
時のお決まりのコース、「タントタント」でのランチです。
14:00開演なので、12:00と思いましたが、混むといけないので、10分
早めて11:50の集合としましたが、結果的に30分待ちとなりました。
映画は平日にしか行かないので、ちょっと読みが甘かったですね。でも、
慌ててガツガツということもなくランチを楽しみ、文化村の半券の特典を
今日も活かして、赤ブドウジュース(気分は赤ワイン)も頂戴しました。
本日いただいた「根菜入りのミートソースのパスタ」。
蓮根やジャガイモってミートソースに良く合うのですね。
東急百貨店本店8Fのレストラン街からエスカレーターで下りれば、そこは
文化村。映画ならここでそのまま入れるのですが、今日はエレベーターで
更に3Fまで下りて到着。
6列目という座席は段差もなく、また文京シビックホールへ行った時の
ような脚切れ現象(→その記事はこちら)が起こらなければいいけど、
と思いながら開演を待ちました。
大丈夫でした。今日は良く見えました。見えなくてもよい背中が汗で
ギラギラ光っているのまで(笑)。
よく笑いました。やはりそのツボを心得た踊りをしているんでしょうね。
同じ「白鳥の湖」でも、ストレスを解消したい時にはこちらがお勧めかも。
アンコールにも何度も応えて、最後の曲は美川憲一さんの「さそり座の女」
でした。この選曲も嵌り過ぎてて笑えました。熱狂的なファンもいらっしゃる
ようで、花束やプレゼントの品々をそれぞれお目当てのダンサーに渡す方
も沢山おられました。これも普通のバレエ公演では見られない光景の一つ
でした。
体調不良が続き、先月末の京都旅行も断念した私ですが、おかげで気分も
し、身体が軽くなった感じがしています。
会場ロビーに展示してあったパネル。勿論全員男性です。
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