百首に到達!!
2016年1月29日(金) 溝の口「百人一首」(第26回)
2012年の6月から、3年半余りに渡って、第5週目の月曜日か金曜日に、
という変則的な形ながら、溝の口で「百人一首」講座を続けてまいりました。
「百人一首の会」というサークルがあったわけではなく、1回ごとの参加形式で
ここまでやってくることが出来たのは、皆さまのお蔭に他なりません。ただただ
感謝あるのみです。
当初は1回に10首、全10回で終了の予定でしたが、実際に始めて見ると、それが
いかに無謀な計画だったかということがわかりました。試行錯誤を重ねているうちに、
1回4首、資料は1首につき1枚、というところに落ち着きました。
2時間の時間内に終わらせよう、と毎回臨んではいたのですが、最後まで守れず、
ご迷惑をおかけしてしまいました。すみません
「百人一首」は、天智天皇・持統天皇という、天皇を中心とする律令国家の礎を
築いた親子の1番・2番の歌で始まり、最後の99番・100番に、その終焉を招いた、
後鳥羽院・順徳院の親子の歌が配置されています。
後鳥羽院も順徳院も、この時代を代表する歌人であり、秀歌が沢山あるにも
拘らず、「百人一首」に恨み節的な歌が採られているのは、「承久の乱」に敗れ、
共に配流先の隠岐・佐渡に果てた二人の人生史の象徴であると同時に、1番・2番に
呼応する王朝時代の終わりを感じさせる歌を持って来る必然性があったからでは
ないかと思われます。
百敷や古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり (100番・順徳院)
(宮中の古い軒端に生えているしのぶ草、その「しのぶ」
ではないが、いくら偲んでも偲び切れない昔であることよ)
うーん、ちょっと寂しい歌で幕切れだなあ、と思いつつ、閉会にしようとしたところ、
サプライズがありました。
こんな綺麗なお花を戴いたのです。いくら御礼を申し上げても足りないのは
私のほうですのに・・・。でも、この身に余る皆さまからのお気持ちが嬉しくて、
早速玄関に飾り、写真を撮りました。

ファイナルは、来月29日の「かるた会」です。その様子はまたブログで
お伝えしたいと思います。
2012年の6月から、3年半余りに渡って、第5週目の月曜日か金曜日に、
という変則的な形ながら、溝の口で「百人一首」講座を続けてまいりました。
「百人一首の会」というサークルがあったわけではなく、1回ごとの参加形式で
ここまでやってくることが出来たのは、皆さまのお蔭に他なりません。ただただ
感謝あるのみです。
当初は1回に10首、全10回で終了の予定でしたが、実際に始めて見ると、それが
いかに無謀な計画だったかということがわかりました。試行錯誤を重ねているうちに、
1回4首、資料は1首につき1枚、というところに落ち着きました。
2時間の時間内に終わらせよう、と毎回臨んではいたのですが、最後まで守れず、
ご迷惑をおかけしてしまいました。すみません

「百人一首」は、天智天皇・持統天皇という、天皇を中心とする律令国家の礎を
築いた親子の1番・2番の歌で始まり、最後の99番・100番に、その終焉を招いた、
後鳥羽院・順徳院の親子の歌が配置されています。
後鳥羽院も順徳院も、この時代を代表する歌人であり、秀歌が沢山あるにも
拘らず、「百人一首」に恨み節的な歌が採られているのは、「承久の乱」に敗れ、
共に配流先の隠岐・佐渡に果てた二人の人生史の象徴であると同時に、1番・2番に
呼応する王朝時代の終わりを感じさせる歌を持って来る必然性があったからでは
ないかと思われます。
百敷や古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり (100番・順徳院)
(宮中の古い軒端に生えているしのぶ草、その「しのぶ」
ではないが、いくら偲んでも偲び切れない昔であることよ)
うーん、ちょっと寂しい歌で幕切れだなあ、と思いつつ、閉会にしようとしたところ、
サプライズがありました。
こんな綺麗なお花を戴いたのです。いくら御礼を申し上げても足りないのは
私のほうですのに・・・。でも、この身に余る皆さまからのお気持ちが嬉しくて、
早速玄関に飾り、写真を撮りました。

ファイナルは、来月29日の「かるた会」です。その様子はまたブログで
お伝えしたいと思います。
新年会(4)
2016年1月25日(月) 溝の口「湖月会」(第91回)
年が明けてから楽しい新年会が続きましたが、今日はそのラスト。
溝の口の「湖月会」は、例会の会場・高津市民館のワンフロア下の
中華の老舗「聘珍樓」で、二つの円卓を囲んで、笑い声の絶えない
新年会となりました。
前菜は「棒棒鶏」のバリエーションのようなサラダ仕立てでしたが、
ドレッシングの美味しさが際立っていました。点心の蒸し餃子と
シュウマイは海鮮でしたし、デザートの前のご飯も「炒飯」ではなく、
「中華がゆ」だったので、全体的にあっさりとしていて、我々年代の
女性には嬉しい献立でした。
どのクラスの時もそうですが、あっという間に時間が経っていて、
今日も気づけば例会開始の15分前。カメラも持参していたのですが、
結局、集合写真も撮れないまま、急ぎエスカレーターで1階上がって、
講読会となりました。
第2金曜日のクラスと同じように、「梅枝」の講読に先立ち、「黒方」の
空薫きをしました。前回は火が近すぎて、煙が立ってしまいましたので、
今回は少し離して燃えないように注意しました。今日のほうが「黒方」の
香りを聞いて頂けたかと思いますが、逆にもう少し、強く香りを立てても
よかったのかな、という気がしました。ちょうどよい、というのは本当に
難しいものです。
「梅枝」の巻は、源氏が明石の姫君のお嫁入り道具を、心を込めて準備する
姿を丹念に描いていますが、先ず用意されたのが薫物(調合された練香)でした。
源氏は朝顔の前斎院、紫の上、花散里、明石の上、といった風雅の道にたけた
女性たちに調合を依頼し、ご自身も「黒方」と「侍従」の二種類の薫物を
調合なさったのでした。
蛍兵部卿の宮(源氏の弟)に判定をしてもらって、とりわけ優れた出来栄えの
薫物を、明石の姫君の入内時に持参させるお考えでした。
蛍兵部卿の宮が選んだ薫物は、朝顔の前斎院の「黒方」、源氏の「侍従」、
紫の上の「梅花」、花散里の「荷葉」、明石の上の「薫衣香」でした。
その後、管絃の遊びが催され、巡る盃と共に、和歌が唱和されるという、
溝の口クラス1月の講読会は、まさに初春にふさわしい、のどかで、優雅な
場面を読んだのでした。
年が明けてから楽しい新年会が続きましたが、今日はそのラスト。
溝の口の「湖月会」は、例会の会場・高津市民館のワンフロア下の
中華の老舗「聘珍樓」で、二つの円卓を囲んで、笑い声の絶えない
新年会となりました。
前菜は「棒棒鶏」のバリエーションのようなサラダ仕立てでしたが、
ドレッシングの美味しさが際立っていました。点心の蒸し餃子と
シュウマイは海鮮でしたし、デザートの前のご飯も「炒飯」ではなく、
「中華がゆ」だったので、全体的にあっさりとしていて、我々年代の
女性には嬉しい献立でした。
どのクラスの時もそうですが、あっという間に時間が経っていて、
今日も気づけば例会開始の15分前。カメラも持参していたのですが、
結局、集合写真も撮れないまま、急ぎエスカレーターで1階上がって、
講読会となりました。
第2金曜日のクラスと同じように、「梅枝」の講読に先立ち、「黒方」の
空薫きをしました。前回は火が近すぎて、煙が立ってしまいましたので、
今回は少し離して燃えないように注意しました。今日のほうが「黒方」の
香りを聞いて頂けたかと思いますが、逆にもう少し、強く香りを立てても
よかったのかな、という気がしました。ちょうどよい、というのは本当に
難しいものです。
「梅枝」の巻は、源氏が明石の姫君のお嫁入り道具を、心を込めて準備する
姿を丹念に描いていますが、先ず用意されたのが薫物(調合された練香)でした。
源氏は朝顔の前斎院、紫の上、花散里、明石の上、といった風雅の道にたけた
女性たちに調合を依頼し、ご自身も「黒方」と「侍従」の二種類の薫物を
調合なさったのでした。
蛍兵部卿の宮(源氏の弟)に判定をしてもらって、とりわけ優れた出来栄えの
薫物を、明石の姫君の入内時に持参させるお考えでした。
蛍兵部卿の宮が選んだ薫物は、朝顔の前斎院の「黒方」、源氏の「侍従」、
紫の上の「梅花」、花散里の「荷葉」、明石の上の「薫衣香」でした。
その後、管絃の遊びが催され、巡る盃と共に、和歌が唱和されるという、
溝の口クラス1月の講読会は、まさに初春にふさわしい、のどかで、優雅な
場面を読んだのでした。
新年会(3)
2016年1月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第173回)
一昨日は突然の大雪に見舞われ、田園都市線は、ホームどころか、
雪降る駅の外まで人が溢れて、混乱している様子が、テレビで何度も
放映されました。
そして昨日の強風。残雪の上を渡って来る風は、実際の気温よりも
ずっとずっと寒く感じられました。
今日は風も止み、青空が広がる中を、湘南台クラスの新年会で、
「湘南台」の一駅先「六会日大前」近くのお寿司屋さん「やよい」に、
気持ちよく出かけました。
もうここ数年、忘年会になったり新年会になったりしながら、場所は
いつも「やよい」です。理由はおそらく「お寿司が美味しいから」だと
思います。
今年はその美味しいお寿司を写真に撮って、今日のブログに載せようと
張り切ってデジカメを持参したのですが、目の前にお寿司が出て来た時には
すっかり写真のことは忘れてしまっていて、ひたすら「美味しい、美味しい」と
いただいて、お皿が空になった頃に「あっ、いけない、写真撮るのを忘れた!」。
まさに後の祭りでした
というわけで、写真のない文字だけの新年会のご報告になってしまいました。
電車で湘南台まで移動して、13:30~15:30までは、いつも通りの講読会。
前回より入った「夕霧」の巻の続きを読みました。
誤解が誤解を招き、ついには心労で病状を悪化させ、落葉の宮の母・御息所は
亡くなってしまうのですが、先ずは、初期段階での対応の拙さが次々と語られて
います。今日はそこをご紹介しておきます。
落葉の宮と一夜を過ごしたものの、何事もなく帰って行った夕霧でしたが、
その朝帰りの姿を僧侶たちに目撃をされた為、加持祈祷に携わっている
律師が御息所の耳に入れてしまいました。こんな言わずもがなのことを
病人の御息所に話してしまった律師の対応の拙さ。
ショックを受けた御息所が、昨夜のことを、落葉の宮付きの女房・小少将の君
に問い質します。小少将はあるがままを御息所に告げて、言ってしまってから
後悔していますが、この小少将の君の対応も拙いですよね。
御息所は、娘の口から話を聞きたいと落葉の宮を呼んで、対面なさいましたが、
落葉の宮は、あまりにもお育ちが良すぎてか、ただ恥ずかしくて、昨夜のことを
弁明しようともなさらず、消え入るような思いでいらっしゃるだけでした。いくら
なんでも肝心な時にこれでは困ります。落葉の宮にも対応の拙さが見られる
わけです。
そして、そんな娘を見ているととてもかわいそうで、どういういきさつだったか、と
尋ねることも出来ずにいる御息所も、自らの対応の拙さが事を悪い方向へと導く
一因を作ったと言えましょう。
夕霧と御息所が手紙を遣り取りしている中で、事が一層ややこしくなってしまうのは、
この後に続く場面となります。
一昨日は突然の大雪に見舞われ、田園都市線は、ホームどころか、
雪降る駅の外まで人が溢れて、混乱している様子が、テレビで何度も
放映されました。
そして昨日の強風。残雪の上を渡って来る風は、実際の気温よりも
ずっとずっと寒く感じられました。
今日は風も止み、青空が広がる中を、湘南台クラスの新年会で、
「湘南台」の一駅先「六会日大前」近くのお寿司屋さん「やよい」に、
気持ちよく出かけました。
もうここ数年、忘年会になったり新年会になったりしながら、場所は
いつも「やよい」です。理由はおそらく「お寿司が美味しいから」だと
思います。
今年はその美味しいお寿司を写真に撮って、今日のブログに載せようと
張り切ってデジカメを持参したのですが、目の前にお寿司が出て来た時には
すっかり写真のことは忘れてしまっていて、ひたすら「美味しい、美味しい」と
いただいて、お皿が空になった頃に「あっ、いけない、写真撮るのを忘れた!」。
まさに後の祭りでした

というわけで、写真のない文字だけの新年会のご報告になってしまいました。
電車で湘南台まで移動して、13:30~15:30までは、いつも通りの講読会。
前回より入った「夕霧」の巻の続きを読みました。
誤解が誤解を招き、ついには心労で病状を悪化させ、落葉の宮の母・御息所は
亡くなってしまうのですが、先ずは、初期段階での対応の拙さが次々と語られて
います。今日はそこをご紹介しておきます。
落葉の宮と一夜を過ごしたものの、何事もなく帰って行った夕霧でしたが、
その朝帰りの姿を僧侶たちに目撃をされた為、加持祈祷に携わっている
律師が御息所の耳に入れてしまいました。こんな言わずもがなのことを
病人の御息所に話してしまった律師の対応の拙さ。
ショックを受けた御息所が、昨夜のことを、落葉の宮付きの女房・小少将の君
に問い質します。小少将はあるがままを御息所に告げて、言ってしまってから
後悔していますが、この小少将の君の対応も拙いですよね。
御息所は、娘の口から話を聞きたいと落葉の宮を呼んで、対面なさいましたが、
落葉の宮は、あまりにもお育ちが良すぎてか、ただ恥ずかしくて、昨夜のことを
弁明しようともなさらず、消え入るような思いでいらっしゃるだけでした。いくら
なんでも肝心な時にこれでは困ります。落葉の宮にも対応の拙さが見られる
わけです。
そして、そんな娘を見ているととてもかわいそうで、どういういきさつだったか、と
尋ねることも出来ずにいる御息所も、自らの対応の拙さが事を悪い方向へと導く
一因を作ったと言えましょう。
夕霧と御息所が手紙を遣り取りしている中で、事が一層ややこしくなってしまうのは、
この後に続く場面となります。
いよいよ第三部へ
2016年1月16日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第121回)
昨日(16日)は私が帰宅するよりも先に、息子一家が我が家に来ており、
早速孫たちの「みかんゼリー作ってぇ」「たこ焼きたべた~い」攻勢を受け、
みんなが引き上げて落ち着いた頃には、さすがに私もエネルギー切れ。
ブログは一晩明けてからになってしまいました。
淵野辺の「五十四帖の会」は、先陣を切って、今回から第三部に入りました。
ちょうど、11年目の開始と重なります。
今日は新年ということで、例会の前に1時間、教室内で恒例の持ち寄り新年会が
行われました。握り寿司(これは市販の物)に、幹事さんの手作りの「豚汁」を
はじめ、色とりどりのものがテーブルの上に並び、和やかな談笑と共に、お腹が
心地よく膨らんで行きました。
暖かな日差しを受けて、お腹いっぱいの眠気にもめげず、その後16:00まで
3時間、今度は「源氏物語」の世界を味わいました。
第三部は、「匂兵部卿」、「紅梅」、「竹河」という、「第二部」から「宇治十帖」への
橋渡しとなる、いわゆる「匂宮三帖」から始まります。
この三帖には、順に光源氏家、致仕大臣(昔の頭中将)家、髭黒家の、
それぞれ主亡き後の様子が書かれていますが、今回読んだ「匂兵部卿」
の巻は、光源氏というスーパースターが世を去って既に八年、「宇治十帖」で
主人公となる「薫」と「匂宮」が、紹介される巻となっています。
匂宮は、今上帝を父に、明石中宮を母に生まれた帝の三男坊で、陽気で
屈託がなく、女にも目がなくて、まさに気儘なお坊ちゃまです。
一方の薫は、表向きは源氏の次男(実父は柏木)であり、周囲の方々からも
大切にされているのですが、自分の出生の秘密に薄々気が付いており、
十代にして既に出家を願っているような影のある性格です。
この先、二人がどのような形で宇治の姫君たちと関わり合い、物語を
紡ぎ出して行くのか、「宇治十帖」の最後の最後まで、目が離せません。
昨日(16日)は私が帰宅するよりも先に、息子一家が我が家に来ており、
早速孫たちの「みかんゼリー作ってぇ」「たこ焼きたべた~い」攻勢を受け、
みんなが引き上げて落ち着いた頃には、さすがに私もエネルギー切れ。
ブログは一晩明けてからになってしまいました。
淵野辺の「五十四帖の会」は、先陣を切って、今回から第三部に入りました。
ちょうど、11年目の開始と重なります。
今日は新年ということで、例会の前に1時間、教室内で恒例の持ち寄り新年会が
行われました。握り寿司(これは市販の物)に、幹事さんの手作りの「豚汁」を
はじめ、色とりどりのものがテーブルの上に並び、和やかな談笑と共に、お腹が
心地よく膨らんで行きました。
暖かな日差しを受けて、お腹いっぱいの眠気にもめげず、その後16:00まで
3時間、今度は「源氏物語」の世界を味わいました。
第三部は、「匂兵部卿」、「紅梅」、「竹河」という、「第二部」から「宇治十帖」への
橋渡しとなる、いわゆる「匂宮三帖」から始まります。
この三帖には、順に光源氏家、致仕大臣(昔の頭中将)家、髭黒家の、
それぞれ主亡き後の様子が書かれていますが、今回読んだ「匂兵部卿」
の巻は、光源氏というスーパースターが世を去って既に八年、「宇治十帖」で
主人公となる「薫」と「匂宮」が、紹介される巻となっています。
匂宮は、今上帝を父に、明石中宮を母に生まれた帝の三男坊で、陽気で
屈託がなく、女にも目がなくて、まさに気儘なお坊ちゃまです。
一方の薫は、表向きは源氏の次男(実父は柏木)であり、周囲の方々からも
大切にされているのですが、自分の出生の秘密に薄々気が付いており、
十代にして既に出家を願っているような影のある性格です。
この先、二人がどのような形で宇治の姫君たちと関わり合い、物語を
紡ぎ出して行くのか、「宇治十帖」の最後の最後まで、目が離せません。
絵によって異なる印象
2016年1月15日(金) 溝の口「伊勢物語」(第7回)
年が明けたと思ったら、もう1月も半ばです。今年も、こうしてどんどん
日が経って行くのでしょうね。
「伊勢物語」、今日は第47段~第59段までを、いつものように、
プロジェクターで「伊勢絵」を映しながら読み進めました。
第58段は、長岡に住んでいる風流な男が、稲刈りをしていた隣家に
仕える女どもの目に留まり、その女どもが男の家まで押しかけて
来たので、男は奥に逃げ隠れました。無遠慮な女たちは「一緒に
落穂拾いをしましょうよ」と誘い掛けますが、男はやんわりと拒絶の歌を
贈りました、という話です。
住吉如慶が描いた「伊勢物語絵巻」も、「宗達伊勢物語図色紙」も、
図々しい女たちから、男が隠れ逃れようとしている場面を描いて
いますが、絵に加えられる演出によって印象が随分違ってくることを
ご覧いただきたいと思います。

「伊勢物語絵巻」

「宗達伊勢物語図色紙」
「伊勢物語絵巻」のほうは、男のところに押しかけて来るという
はしたない行動を取ってはいるものの、女たちがきちんとした服装で、
逃げようとしている男にもさほど面白味は感じられません。
一方の「宗達伊勢物語図色紙」は、女たちの田舎臭さが、これでもか、
というほど強調されていて、逃げ腰の男の姿が実に滑稽に見えます。
本文では、女たちは「こともなき」(特に難点のない)と書かれています
ので、リアルという点では「伊勢物語絵巻」が勝っているのでしょうが、
「宗達伊勢物語図色紙」に描かれた女たちの、いかにもたくましい
田舎者ぶりは、絵を媒体として広がり行く物語にインパクトを与えて
効果的だと思われます。
「宗達伊勢物語図色紙」の女たちの太い二の腕や、下品な笑い顔を
拡大しておきますので、そのあたりをご覧いただければ、と存じます。

年が明けたと思ったら、もう1月も半ばです。今年も、こうしてどんどん
日が経って行くのでしょうね。
「伊勢物語」、今日は第47段~第59段までを、いつものように、
プロジェクターで「伊勢絵」を映しながら読み進めました。
第58段は、長岡に住んでいる風流な男が、稲刈りをしていた隣家に
仕える女どもの目に留まり、その女どもが男の家まで押しかけて
来たので、男は奥に逃げ隠れました。無遠慮な女たちは「一緒に
落穂拾いをしましょうよ」と誘い掛けますが、男はやんわりと拒絶の歌を
贈りました、という話です。
住吉如慶が描いた「伊勢物語絵巻」も、「宗達伊勢物語図色紙」も、
図々しい女たちから、男が隠れ逃れようとしている場面を描いて
いますが、絵に加えられる演出によって印象が随分違ってくることを
ご覧いただきたいと思います。

「伊勢物語絵巻」

「宗達伊勢物語図色紙」
「伊勢物語絵巻」のほうは、男のところに押しかけて来るという
はしたない行動を取ってはいるものの、女たちがきちんとした服装で、
逃げようとしている男にもさほど面白味は感じられません。
一方の「宗達伊勢物語図色紙」は、女たちの田舎臭さが、これでもか、
というほど強調されていて、逃げ腰の男の姿が実に滑稽に見えます。
本文では、女たちは「こともなき」(特に難点のない)と書かれています
ので、リアルという点では「伊勢物語絵巻」が勝っているのでしょうが、
「宗達伊勢物語図色紙」に描かれた女たちの、いかにもたくましい
田舎者ぶりは、絵を媒体として広がり行く物語にインパクトを与えて
効果的だと思われます。
「宗達伊勢物語図色紙」の女たちの太い二の腕や、下品な笑い顔を
拡大しておきますので、そのあたりをご覧いただければ、と存じます。

今日の一首(17)
2016年1月13日(水) 湘南台「百人一首」(第16回・・・その②)
続いて「今日の一首」です。
今日は57番の「紫式部」から60番の「小式部内侍」までを取り上げました。
四首共全部が女流歌人の歌になるのは今回だけで、お姫様札が並び、
「光琳かるた」も一際綺麗な日となりました。
この辺りは、どの歌もご紹介したいところなのですが、「I Love 源氏物語」と
ブログのタイトルもつけているのですから、やっぱり「紫式部」は外せません。
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影
(五十七番 紫式部)

(ようやくめぐり逢えた、と思うか思わないかのうちに、雲に隠れて
しまった夜半の月、その月のように、幼なじみのあなたも、ほんの
ちょっと逢っただけで、すぐにお帰りになってしまわれたことですよ。)
あれっ?この歌おかしいんじゃない?とお思いの方もいらっしゃるはず。
普通は歌の五句目が「夜半の月かな」になっているからです。
この歌は「紫式部集」の巻頭歌でもあり、そこでも「月かな」となっていて、
おそらく「月かな」のほうがオリジナルではないかと思われます。
ただ、出典の「新古今和歌集」で「月影」となっているため、テキストの
「光琳カルタで読む 百人一首ハンドブック」は、「月影」を採用し、
光琳カルタも「月かげ」と書かれています。
「月かな」ですと、「月」が完全に雲に隠れてしまい、「ああ、何とかもう一度
雲の中から出て来て欲しい」という願望が強く感じられますが、「月影」と
なると、「影」=「光」ですから、月の光が雲に遮られてしまった状態、つまり、
薄雲を通して月を感じることが出来る状態、ということができましょう。光は
失っているものの、その雲の辺りはうっすらと白くなっていて、新古今集時代
の情趣からすれば、こちらのほうがよさそうです。ただ、歌本来の意味を
考えれば、やはり「月かな」のほうでしょうか。
続いて「今日の一首」です。
今日は57番の「紫式部」から60番の「小式部内侍」までを取り上げました。
四首共全部が女流歌人の歌になるのは今回だけで、お姫様札が並び、
「光琳かるた」も一際綺麗な日となりました。
この辺りは、どの歌もご紹介したいところなのですが、「I Love 源氏物語」と
ブログのタイトルもつけているのですから、やっぱり「紫式部」は外せません。
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影
(五十七番 紫式部)

(ようやくめぐり逢えた、と思うか思わないかのうちに、雲に隠れて
しまった夜半の月、その月のように、幼なじみのあなたも、ほんの
ちょっと逢っただけで、すぐにお帰りになってしまわれたことですよ。)
あれっ?この歌おかしいんじゃない?とお思いの方もいらっしゃるはず。
普通は歌の五句目が「夜半の月かな」になっているからです。
この歌は「紫式部集」の巻頭歌でもあり、そこでも「月かな」となっていて、
おそらく「月かな」のほうがオリジナルではないかと思われます。
ただ、出典の「新古今和歌集」で「月影」となっているため、テキストの
「光琳カルタで読む 百人一首ハンドブック」は、「月影」を採用し、
光琳カルタも「月かげ」と書かれています。
「月かな」ですと、「月」が完全に雲に隠れてしまい、「ああ、何とかもう一度
雲の中から出て来て欲しい」という願望が強く感じられますが、「月影」と
なると、「影」=「光」ですから、月の光が雲に遮られてしまった状態、つまり、
薄雲を通して月を感じることが出来る状態、ということができましょう。光は
失っているものの、その雲の辺りはうっすらと白くなっていて、新古今集時代
の情趣からすれば、こちらのほうがよさそうです。ただ、歌本来の意味を
考えれば、やはり「月かな」のほうでしょうか。
ラジオの収録
2016年1月13日(水) 湘南台「百人一首」(第16回・・・その①)
地元のFM放送「レディオ湘南」(FM83.1)では、「ハミングふじさわ」という
藤沢市広報番組枠があり、毎週木曜日・金曜日に「サークル紹介」の
コーナーが設けられているとのことで、今回、湘南台の「古典を読む会」が
その取材を受けました。
例会の終了後、レポーターの若い女性が見えて、講師の私から始まり、
代表の方、会員の皆さまと、インタビューが続きました。
トップバッターでしたし、緊張して、胸がパクパクしている音まで録音されて
しまうのではないかと思われましたが、何とか質問には答えました。
また、3月になりましたら、改めてご案内いたしますが、3月3日(木)・4日(金)
の2回に分けて放送される予定です。3日は私と会員の方の話、4日は代表の方と
別の会員の方の話で、放送時間は午前10時~と、午後7時~(再放送)。ほんの
数分のようですが・・・。
藤沢FM放送が受信できなくても、パソコンやスマホから「サイマルラジオ」
(インターネットラジオ)で聴けるとのことです。→ http://www.radioshonan.co.jp
続けて「今日の一首」を書こうと思いましたが、長くなりすぎるので、その②として
別記事にいたします。
地元のFM放送「レディオ湘南」(FM83.1)では、「ハミングふじさわ」という
藤沢市広報番組枠があり、毎週木曜日・金曜日に「サークル紹介」の
コーナーが設けられているとのことで、今回、湘南台の「古典を読む会」が
その取材を受けました。
例会の終了後、レポーターの若い女性が見えて、講師の私から始まり、
代表の方、会員の皆さまと、インタビューが続きました。
トップバッターでしたし、緊張して、胸がパクパクしている音まで録音されて
しまうのではないかと思われましたが、何とか質問には答えました。
また、3月になりましたら、改めてご案内いたしますが、3月3日(木)・4日(金)
の2回に分けて放送される予定です。3日は私と会員の方の話、4日は代表の方と
別の会員の方の話で、放送時間は午前10時~と、午後7時~(再放送)。ほんの
数分のようですが・・・。
藤沢FM放送が受信できなくても、パソコンやスマホから「サイマルラジオ」
(インターネットラジオ)で聴けるとのことです。→ http://www.radioshonan.co.jp
続けて「今日の一首」を書こうと思いましたが、長くなりすぎるので、その②として
別記事にいたします。
運命の皮肉
2016年1月12日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合48回 通算98回)
この冬初めて最高気温が10度を下回る寒中らしい寒さとなりました。
これが普通なのでしょうが、これまでの暖冬に慣れた身には応えます。
高座渋谷のクラスは、今日から第29帖「行幸」に入りました。
玉鬘をヒロインとする、源氏36歳の六条院の一年を描いた最後の巻と
なりますが、ここでは、源氏の玉鬘への思いが進退窮まったところから
始まります。
玉鬘を尚侍として出仕させ、帝の寵愛を受けるようになってしまえば、もう
源氏の手の届かないところへ行ってしまうことになりますが、もし、そのような
ことが起こらず、女官としてのみお仕えするのであれば、六条院に里下がり
した折を見て、自分のものにするのも可能だと、源氏は目論んでいました。
いずれにせよ、玉鬘が出仕を承知しなければ事は前に進みません。
12月に、冷泉帝の大原野への行幸があり、源氏はこの時とばかり、玉鬘にも
行列の見物をさせました。
案の定、玉鬘の目に映った帝のお姿は「なずらひきこゆべき人なし」(比べる
ことが出来る人などいなかった)でした。父の内大臣も、源氏でさえ、帝以上
ではないと、玉鬘には思え、「この方に女官としてお仕えするなら、仕事も
やりがいがあるだろう」と、気持ちが傾いたのでした。
右大将はと言えば、「色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし」(色が黒くって
髭だらけ、という印象で、とてもこの人は好きになれないわ」と玉鬘には思え
ました。後世の読者が、「髭黒」と呼んでいるのも、この記述によるものです。
でも、玉鬘は一番嫌だ、と思った髭黒と、後に結ばれます。運命は皮肉にも、
源氏も、玉鬘自身も望んでいなかった方向へと動いて行くことになるのです。
この冬初めて最高気温が10度を下回る寒中らしい寒さとなりました。
これが普通なのでしょうが、これまでの暖冬に慣れた身には応えます。
高座渋谷のクラスは、今日から第29帖「行幸」に入りました。
玉鬘をヒロインとする、源氏36歳の六条院の一年を描いた最後の巻と
なりますが、ここでは、源氏の玉鬘への思いが進退窮まったところから
始まります。
玉鬘を尚侍として出仕させ、帝の寵愛を受けるようになってしまえば、もう
源氏の手の届かないところへ行ってしまうことになりますが、もし、そのような
ことが起こらず、女官としてのみお仕えするのであれば、六条院に里下がり
した折を見て、自分のものにするのも可能だと、源氏は目論んでいました。
いずれにせよ、玉鬘が出仕を承知しなければ事は前に進みません。
12月に、冷泉帝の大原野への行幸があり、源氏はこの時とばかり、玉鬘にも
行列の見物をさせました。
案の定、玉鬘の目に映った帝のお姿は「なずらひきこゆべき人なし」(比べる
ことが出来る人などいなかった)でした。父の内大臣も、源氏でさえ、帝以上
ではないと、玉鬘には思え、「この方に女官としてお仕えするなら、仕事も
やりがいがあるだろう」と、気持ちが傾いたのでした。
右大将はと言えば、「色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし」(色が黒くって
髭だらけ、という印象で、とてもこの人は好きになれないわ」と玉鬘には思え
ました。後世の読者が、「髭黒」と呼んでいるのも、この記述によるものです。
でも、玉鬘は一番嫌だ、と思った髭黒と、後に結ばれます。運命は皮肉にも、
源氏も、玉鬘自身も望んでいなかった方向へと動いて行くことになるのです。
新年会(2)
2016年1月8日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第91回)
今日あたりから寒くなるとのことでしたが、やはり暖冬なのでしょうか、
この冬は10度を下回ることがないので、まだ、さほど堪える寒さでは
ありません。ただ、このところ、ずっと雨が降っていないので、空気の
乾燥が気になります。
溝の口の「源氏物語を読む会」も、今日は楽しい新年会付きの例会と
なりました。
自由が丘駅から徒歩10分程度の、住宅街の中にある一軒家レストラン
「カフェ・ド・イシス」で、新春らしいランチをいただきました。
お店の佇まいも、名前も、フレンチレストランそのものですが、否、
お料理は京風の和食で、先付、お椀に続いて供されたのが、下記の
上品なお料理の数々でした。どれからお箸をつけたらよいのか迷うような
ワクワク感もたっぷりでしたが、期待を裏切るお味は一つもありません
でした。

皆さまも、無粋な講読会など止めて、このまま自由が丘を散歩して
帰りたい、とお思いだったのでは?
でも、第4月曜日との足並みを揃えるためにも、止めるわけには
まいりません。通常は13:30からですが、今回は14:30スタートと
なり、終わりは30分延長して16:30まで、お付き合い頂きました。
今月から第32帖「梅枝」に入り、第一部のフィナーレも近づいて
きました。
この巻では、源氏が、ただ一人の実の娘である明石の姫君の、
東宮への入内準備を入念にする様子が描かれて行きます。
お嫁入り道具の一つとして用意されるものに「お香」がありますが、
源氏は女君たちに薫香の調合を依頼し、ご自身も秘技を尽くして
調合なさるのでした。
そのお香の中に「黒方」が出て来ますので、講読に先立ち、手持ちの
「黒方」の空薫きをしました。今日はあまり上手に薫けなかったので、
また別の機会に、楽しんで頂ければ、と思っております。
今日あたりから寒くなるとのことでしたが、やはり暖冬なのでしょうか、
この冬は10度を下回ることがないので、まだ、さほど堪える寒さでは
ありません。ただ、このところ、ずっと雨が降っていないので、空気の
乾燥が気になります。
溝の口の「源氏物語を読む会」も、今日は楽しい新年会付きの例会と
なりました。
自由が丘駅から徒歩10分程度の、住宅街の中にある一軒家レストラン
「カフェ・ド・イシス」で、新春らしいランチをいただきました。
お店の佇まいも、名前も、フレンチレストランそのものですが、否、
お料理は京風の和食で、先付、お椀に続いて供されたのが、下記の
上品なお料理の数々でした。どれからお箸をつけたらよいのか迷うような
ワクワク感もたっぷりでしたが、期待を裏切るお味は一つもありません
でした。

皆さまも、無粋な講読会など止めて、このまま自由が丘を散歩して
帰りたい、とお思いだったのでは?
でも、第4月曜日との足並みを揃えるためにも、止めるわけには
まいりません。通常は13:30からですが、今回は14:30スタートと
なり、終わりは30分延長して16:30まで、お付き合い頂きました。
今月から第32帖「梅枝」に入り、第一部のフィナーレも近づいて
きました。
この巻では、源氏が、ただ一人の実の娘である明石の姫君の、
東宮への入内準備を入念にする様子が描かれて行きます。
お嫁入り道具の一つとして用意されるものに「お香」がありますが、
源氏は女君たちに薫香の調合を依頼し、ご自身も秘技を尽くして
調合なさるのでした。
そのお香の中に「黒方」が出て来ますので、講読に先立ち、手持ちの
「黒方」の空薫きをしました。今日はあまり上手に薫けなかったので、
また別の機会に、楽しんで頂ければ、と思っております。
新年会(1)
2016年1月7日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第119回)
今日から仕事始めです。
八王子クラスの例会は、通常13:00から16:00までですが、毎年1月だけは
午後から新年会のため、10:00から12:00までの講読会となります。
今回から第40帖「御法」に入りました。
光源氏の最愛の妻・紫の上は病篤く、出家を願うのですが、彼女への愛執を
断つことの出来ない源氏はそれを許すことが出来ません。「御法」の巻の前半は、
余命いくばくもない紫の上の哀感が、何とも切なく綴られています。
クライマックスの後半は次回です。
午後はお楽しみの新年会となりました。
昨年はお茶屋さんで八王子の芸者さんと遊ぶという、生まれて初めての貴重な
体験をさせて頂きましたが、今年は、京王八王子駅近くの老舗フレンチレストラン
「シーン」で、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。お魚料理とお肉料理、どちらも
ソースのお味がとっても良く、熱々の焼き立てパンのおかわりが出来たのも、
嬉しかったです。コストパフォーマンスも上々と感じました。
デザートの出る頃から、各自の近況報告となりました。皆さまから続々と出てくる
体力強化に励んでおられるお話に、「このままではチトまずい!」と、思い知らされ、
「せめてラジオ体操くらい毎日やろう」と、私なりの目標を立てました。
座席を決めるに当たって、折り鶴が用意され、同じ折り鶴が置いてある場所に座る
ように、との幹事さんの粋な計らいがありました。その鶴たちの写真を撮りましたので、
ご覧ください。

今日から仕事始めです。
八王子クラスの例会は、通常13:00から16:00までですが、毎年1月だけは
午後から新年会のため、10:00から12:00までの講読会となります。
今回から第40帖「御法」に入りました。
光源氏の最愛の妻・紫の上は病篤く、出家を願うのですが、彼女への愛執を
断つことの出来ない源氏はそれを許すことが出来ません。「御法」の巻の前半は、
余命いくばくもない紫の上の哀感が、何とも切なく綴られています。
クライマックスの後半は次回です。
午後はお楽しみの新年会となりました。
昨年はお茶屋さんで八王子の芸者さんと遊ぶという、生まれて初めての貴重な
体験をさせて頂きましたが、今年は、京王八王子駅近くの老舗フレンチレストラン
「シーン」で、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。お魚料理とお肉料理、どちらも
ソースのお味がとっても良く、熱々の焼き立てパンのおかわりが出来たのも、
嬉しかったです。コストパフォーマンスも上々と感じました。
デザートの出る頃から、各自の近況報告となりました。皆さまから続々と出てくる
体力強化に励んでおられるお話に、「このままではチトまずい!」と、思い知らされ、
「せめてラジオ体操くらい毎日やろう」と、私なりの目標を立てました。
座席を決めるに当たって、折り鶴が用意され、同じ折り鶴が置いてある場所に座る
ように、との幹事さんの粋な計らいがありました。その鶴たちの写真を撮りましたので、
ご覧ください。

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