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姉からの贈り物

2018年1月29日(月)

出口の見えない寒さが続いています。2月1日はまた雪のマークが
付いており、八王子クラスの新年会も予定されているので、先週の
ような大雪にならないよう、祈っているところです。

その大雪が降った22日の夜、姉にメールした時に、「フリースの
ハーフ毛布を巻き付けてパソコンに向かっています」と書きましたら、
翌朝、「私はこんなサイズの電気毛布(ひざ掛けより大きいと思う)を、
昼間は膝の上に掛けて机に向かって、夜はお布団の足元に載せて
寝ています」とのメールが届き、可愛い電気毛布の写真が添付されて
いました。

「あっ、これいいな」と思って見ていたら、姉から電話がかかって来て、
プレゼントしてくれるとのこと。楽しみに待っていました。

48年ぶりの寒さを記録したという25日の夜に届きました。早速箱を
開けてスイッチON。お腹から足元までポッカポカ。

テーブルの上での作業を終えてから、台所を片づけて、寝る準備を
するのに(膝の体操も欠かせませんし)、1時間半位かかりますので、
その間、寝室に持って行って布団の間に挟んでおきました。これまでは、
生協の宅配で買った「ゆたぽん」(電子レンジで温めて使う湯たんぽの
ような物)を入れておりましたが、こちらのほうが広範囲に温まっている
のでベッドに入った時快適です。布団の間から抜いて上から掛ければ
一日の終わり。次の朝まで布団の上からでも足元がほんわかとして
います。

まだ一週間も経たないのですが、もうこれは手放せません。今日も
座って仕事をしている間、私の身体を温め続けてくれました。この
タイミングで、「ハーフブランケット」(箱にそう書いてありました)を
プレゼントしてくれた姉に感謝です。

     DSCF3363.jpg
     これがそのブランケット。もちろん今もここに座って
     膝に掛け、パソコンに向かっています。
 

陽明文庫講座

2018年1月27日(土)

日本列島上空の寒気は今日も居座ったままで、月曜日に降り積もった
雪もまだ至る所に残っています。

でも今日はそんな寒さにもめげず、東京メトロ「東高円寺」駅から徒歩
5分程の所にある「セシオン杉並」で開催された「陽明文庫講座」に
参加してまいりました。

12月に「伊勢物語」の特別展示を見に行った「国文学研究資料館」に
置かれていたパンフレットでこの講座を知り、その時一緒に出掛けて
いた友人たちと、三人で申し込みをしました。会場に着いてみると、
枕草子の会にご参加下さっている方を中心に、溝の口クラス方が
7人お見えになっていました。

今年は、あの有名な藤原道長の歌、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の
欠けたることもなしと思へば」が詠まれてからちょうど千年、ということで、
それに因んだ道長に関する講演内容が組まれており、パンフレットを見た
途端、これはぜひ聴いておきたいと思ったのです。

「陽明文庫」は、京都にある近衛家伝来の文化遺産を保管している資料館
ですが、藤原道長の自筆日記「御堂関白記」(国宝)を収蔵していますので、
今回の講座も「御堂関白記」を中心に、大津透・池田尚隆・名和修の三先生が、
興味深い講演をしてくださいました。

今から千年ほど前の貴族社会において絶大な権力を誇った道長という人は、
1970年代頃までは、外戚の立場を利用して政治を私物化した人物、という
マイナスイメージが先行していましたが、近年は、そんな道長像を変えて行こう
とする傾向にあり、今日の先生方のお話も、その動きに沿ったものでした。

大津先生は、道長は決して独裁政治を行ったわけではなく、公卿の合議制を
重んじていたことを、「御堂関白記」などの資料を見ながら分かり易く説明して
くださいました。池田先生からは、「紫式部日記」の中の道長は、物語文学に
対しての理解者・後援者であったこと、「栄花物語」に書かれた道長像は、
仏教に深く帰依していた姿を伝える資料となっていることなど、教えて頂き
ました。また「御堂関白記」には家族に関する記述も多く、道長が政治一辺倒
の人間ではなく、温かい人間性も持っていた人だったと、これまで私の頭の
引き出しには入っていなかったお話も伺えました。名和先生は「御堂関白記」の
記述の仕方の特色についてのお話でしたので、次に「御堂関白記」を目にする
機会があればぜひ参考にしたい、と思いながら聴いていました。

堅過ぎず、くだけ過ぎず、寒さの中を出掛けただけの甲斐のある講演会でした。
ただ、会場は暖房が殆ど利いておらず、身体がどんどん冷えて来て、休憩後は、
ダウンのコートを着て、マフラーを膝に掛けて拝聴しました。暖房の効き過ぎも
困りますが、もうちょっと暖かければ有難かったですね。


運命の出会い

2018年1月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第22回・№2)

昭和45年以来の大寒波襲来とのことで、今朝はこの辺りの関東平野部
でも、氷点下となる寒さでしたが、それでも月曜日の大雪に比べれば、
何の心配もなく外出できるのが、有難かったです。

肩の痛みも、即効性のある注射をして貰ったおかげで、あんなに痛かった
のが一晩で激減、今は普通の五十肩と同じ位で、まだ肩よりも上に左腕を
上げるのは辛いのですが、右手で左肘を持ちあげないと歯も磨けない、と
いうような状況からは脱出しました。

今回の講読会は、源氏がいよいよ生涯の伴侶となる若紫(のちの紫の上)と
運命的な出会いをする場面を読みました。おそらく「源氏物語」の中では、
「桐壺」の巻の冒頭文と並んで、一番教科書などにもよく採られているところ
でしょう。

源氏が瘧病の祈祷を受けるために訪れた北山で、夕暮れに惟光と二人だけで
下方に見えていた僧都の僧坊のもとに行き、垣間見をします。

四十過ぎの品の良い尼君が、大儀そうな様子でお経を読んでいるところに、
十歳位の女の子が走り出て来ます。その子は「あまた見えつる子どもに似る
べうもあらず、いみじくおひさき見えて、うつくしげなる容貌なり」(大勢いる他の
女の子たちとは比べものにならない、成人した暁の美貌が窺われる、可愛らしい
容貌です)と、源氏の目に映りました。

尼君に「何事ですか」と問われると、「犬君(女童の名前)が伏籠の中に飼っていた
雀の子を逃がしちゃったの」と言って、泣いてこすった顔が真っ赤になっています。

「どうしてそんなに子供っぽいの。もう私の命も長くないのに、何とも思わないで
雀の子を追いかけていらっしゃるなんて。こちらへいらっしゃい」と尼君に諭されて
膝まずいた少女のかわいらしさから源氏は目が離せず、涙がこぼれ落ちます。

それというのも、この少女が単に際立った美少女だったからではありません。
「限りなく心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれる」(この上なく心深く
お慕い申し上げている人に、とてもよく似ている)という理由があったからなのです。
「限りなく心を尽くしきこゆる人」とは、もちろん「藤壷」のことを指しています。

次回読むところで、この少女が実は藤壷の姪に当たることがわかり、ここから、
「紫のゆかり」の話が始まって行くのです。

衝撃的な若紫との運命の出会いは、こうした偶然によって生まれましたが、
「桐壺」の巻からずっと源氏の心に潜み続けて来た「藤壷思慕」が、具体的な
形で浮上してきます。どんなに深く心を寄せたところで、藤壺は父帝の妃、
自分の義母でもあり、決して手に入れることの叶わぬ相手です。初めて見た
この少女の中にその憧れの人を見い出した源氏は、「かの人の御かはりに、
明け暮れのなぐさめにも見ばやと思ふ心、深うつきぬ」(あの人〈藤壺〉の
代わりとして、明け暮れの慰めにこの少女をずっと見ていたい、という
気持ちが、深く根差した)となったのです。

「紫の上」の物語は、このように「形代(かたしろ)」(=身代わり)として出発
して行くことになります。

この垣間見の場面は、源氏の目を通して読者にも伝えられる、言わば源氏の
目がテレビカメラのような役割を果たしているので、私たちも何か映像化された
ものを見ているような感覚で読めるところです。もう一度この名場面を、各自が
ドラマを見ているように思い浮かべながら、お読み頂ければ、と存じます。

先に全文訳を書きましたので、ご参照くださいませ。


第五帖「若紫」の全文訳(3)

2018年1月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第22回・№1)

こちらのクラスも「若紫」の巻に入って二回目、第2月曜日のクラスと
同じ、184頁・10行目~193頁・1行目迄を読みました。前半部分は
1/8に書きましたので、今日は後半部分(189頁・1行目~193頁・1行目)
の全文訳となります。 (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

日もたいそう長い頃とて、退屈なので、夕暮れの深く霞が立ち込めている
のに紛れて、源氏の君はその小柴垣のもとへとお出かけになりました。
ほかの供人たちはお帰しになって、惟光と二人だけで中を覗きなさると、
ちょうどこの西面に持仏を安置申し上げてお勤めをしている尼がおりました。
簾を少し上げて、花をお供えしているようです。中の柱に寄りかかって座り、
脇息の上にお経を置いて、とてもだるそうに読んでいる尼君は、普通の
身分の人とも思えません。四十過ぎ位で、たいそう色白で痩せているけれど、
頬のあたりがふっくらとしていて、目元の辺りや、尼削ぎにした毛先なども、
かえって長いよりもこの上なく当世風な感じがするなぁと、しみじみとご覧に
なります。

小奇麗な女房が二人ほど、他には女童が出入りして遊んでいます。その中で、
十歳くらいかと思われる、白い袿に山吹襲のしなやかな表着を着て、走って来た
女の子は、大勢見えている他の女の子たちとはくらべものにならないほど、
成長した暁の美貌が推し量られる、可愛らし気な容貌でありました。髪は扇を
広げたようにゆらゆらとして、顔は泣いてこすり、真っ赤になって立っています。

「何事ですか。女童とけんかなさったのですか」と言って、尼君が見上げた顔に
少し似ている所があるので、源氏の君はこの尼君の子どもであろうとご覧に
なりました。「雀の子を犬君が逃がしちゃったの。伏籠の中にちゃんと入れて
おいたのに」と言って、とても残念に思っています。ここに座っていた女房の
一人が「いつものように、あのうっかり者が、こんなことをしてお叱りを受けるとは、
本当にこまったことですわ。雀の子はどこへ行ってしまったのでしょうね。とても
かわいらしくだんだんとなって来ていたのに。烏などが見つけたら大変だわ」と
言って、立って行きました。髪がゆったりと長くて、感じのよさそうな人でした。
「少納言の乳母」と、人が呼んでいるようなので、この女の子のお世話役なので
ありましょう。

尼君が「なんとまあ、幼稚なこと。聞き分けも無くていらっしゃることですね。
私がこのように、もう今日か明日かと思われる命だというのに、何ともお思いに
ならないで、雀を追いかけていらっしゃるなんて。生き物を捕まえるのは罪作りな
ことだといつも申し上げているのに、情けないこと」と言って、「こちらへ」と言うと、
少女は尼君の前に膝まずきました。

頬のあたりがとても愛らしく、眉の辺りはほんのりとして、あどけなく掻き上げた
額の様子、髪の生え際がたいそう可愛らしいのです。これから大人になって行く
様子を見ていたい人だなぁ、と、源氏の君はじっと見つめていらっしゃいます。
それというのも、この上なく心からお慕い申し上げている方(藤壺)に、とてもよく
似ているので、目が離せないのだなぁ、と思うにつけても、涙がこぼれ落ちるの
でした。

尼君は、少女の髪をかき撫でながら、「梳かすこともおいやがりになりますけど、
綺麗な御髪でいらっしゃること。本当に子供っぽくっていらっしゃるのが、何とも 
心配でなりません。これくらいのお歳になれば、さほどこんなふうではない人も
ありますのに。亡くなった姫君(若紫の母)が、十歳位でお父様に先立たれ
なさった時は、もうちゃんと物事をわきまえておいででしたよ。たった今、私が
あなたを残して死んでしまったら、どうやって生きて行かれるおつもりなのでしょう」
と言って、ひどく泣くのをご覧になるにつけても、源氏の君は、わけもなく悲しく
おなりになります。少女は幼心にも、さすがに尼君をじっと見つめ、伏目になって
うつむくと、こぼれかかった髪がつやつやとすばらしく見えました。

「生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき」(これから先、
どのように成長して行くかもわからないこの子を残して、私は死ぬに死ねない
思いがいたします)

と、尼君がお詠みになりますと、もう一人そこに座っていた女房が、「本当に」と
言って泣いて、
 
「初草の生ひ行く末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ」(姫君のこれから
もまだわからないうちに、どうして先立たれることなどお考えなのでしょう。もっと
気持ちを強くお持ち頂かないと)

と、返歌申し上げている時に、僧都があちらからやって来て、「こちらは外から
丸見えでございましょう。今日に限って端近なところにおいでだったのですね。
この上の聖の僧坊に、源氏の中将が、瘧病の祈祷の為にお出でになっておられる
ことを、たった今、聞きつけました。とてもお忍びでいらしたので、存じ上げなくて、
ここに居りながら、お見舞いにもお伺いしませんでした」とおっしゃるので、女房が、
「まあ大変。ひどく見苦しいところを誰かに見られてしまったかしら」と言って、
簾を下してしまいました。

「世間で評判の高い光源氏を、このような機会に拝見なさったらいかがですか。
俗世を捨てた法師の心地にも、実にこの世の憂いを忘れ、寿命が延びるような
お美しい君のご様子です。さて、ご挨拶を申し上げましょう」と言って、僧都の立つ
音がしたので、源氏の君はお帰りになりました。

「しみじみと心惹かれる人を見たものだなあ。こんなことがあるから、この好色な
連中は、こうした忍び歩きばかりをして、よく予想外の人を見つけるのだったんだな。
たまに出かけただけでも、このような思いがけないことがあるものだよ」と、面白く
お思いになります。「それにしても、随分と可愛い子供だったなあ。どういう素性の
人なんだろう。あのお方の身代わりとして、ずっと慰めに見ていたいものだ」と思う
気持ちが、源氏の君の心に深く刻まれたのでした。


石灰の沈着による激痛!

2018年1月23日(火) 

昨日の雪の名残が至る所で見られたものの、空は青空、気温も
10度まで上がり、この時期としては過ごし易い一日となりました。

土曜日の朝から、「あっ、腕が上がらない」という、いわゆる五十肩
(私なら六十肩?)のような症状が出て、それでも、土曜日はさほど
不自由を感じることもなかったのですが、日曜、月曜、そして今日、
正確に言うとこの我慢できないほどの激痛を感じるようになったのは
昨夜からで、横になっても左腕をどこに置けば痛みが楽になるだろう、
とあれこれ試してみても、どうにも上手くおさまりませんでした。

左手の可動範囲もどんどん狭まって来て、今朝は顔を洗うのも、
着替えをするのも容易ではなく、普段なら2、3分で出来る身支度が、
10分以上も掛かってしまう有様でした。

ここまで酷くなると整形外科のお世話にならざるを得ないのですが、
先生は私の顔を見るなり、「膝を見ましょうか?」。その膝は秋以降、
まずまずの状態を保っています。「いえ先生、今日は肩が痛くて、
左手が自由に動きません」と言いました。レントゲンを撮った結果、
石灰が沈着して、それが痛みの原因だと分かりました。

一番有効性が高いという肩への痛み止めの注射を受け、鎮痛剤の
服用もするようにと言われて、今日の所は終了しました。

これで、今日よりは明日、明日よりは明後日、と回復して行って欲しい
ですねぇ。


2018・新年会(その4)

2018年1月22日(月) 溝の口「湖月会」(第115回)

いやはや大変な日になりました。何年かに一度という大雪です。

一昨日から代表の方も「最悪の場合は新年会を来月に延期」
との案までお考えくださっていましたが、まあ、お昼頃は雪が
降り始める時間なので、新年会は大丈夫でしょう、ということに
なり、予定通り、11:30に二子玉川の「高島屋」6Fレストラン街
にある「梅の花」に集合しました。

ここは去年と同じ会場ですが、半個室で、美味しいお豆腐料理が
いただけるお店です。12日の「とうふ屋・うかい」もそうでしたが、
お豆腐中心のお料理でも、お喋りに興じながら、次々に供される
お料理に舌鼓を打っていると、いつの間にかお腹はいっぱいに
なっているのです。

    DSCF3357.jpg
      これは最初にテーブルに出ていたお料理。
    手前「ローストビーフ」と「絹ごし豆腐 白子添え」
    奥は「合鴨の治部煮」

     DSCF3361.jpg
     去年も素敵な卓上用のお針箱を頂戴しましたが、
     今年も代表の方から、手作りのカルトナージュの
     作品をお年玉として頂戴しました。
     私が戴いた印鑑ケース。

   DSCF3358.jpg
     今日も満腹笑顔が広がる記念写真となりました


外へ出ると、もう雪がだいぶ積り始めていました。二子玉川駅から
電車で溝の口まで移動して、早めに終われるようにと、開始予定の
14:00よりも少し前にスタートしました。

まずは「柏木」の巻の最後の部分。12日のブログでもご紹介した
「源氏物語」一番の泣ける場面、夕霧が致仕大臣のもとを訪れる
ところや、この先の話に繋がって行く夕霧の一条の宮へのしばしば
の訪問が書かれたところを読み、ラストは、故人となった柏木を
すべての人が惜しみ、そうした大人たちの思いとは無関係にすくすく
と成長して行く薫の「秋つかたになれば、この君は、ゐざりなど。」
(秋になると、この若君は、ハイハイなどを・・・。)という姿を映し出して
この巻が幕を下ろすところまでを読みました。

作者が柏木に心を寄せて描き切ったことで、「柏木」の巻は読者の
心にも響く、格調高いエレジーとなっています。

ここまで終わったところで、外はと言えば、もう見渡す限り、降り
積もった雪に覆われていて、東京23区にも「大雪警報」が出ている
とのこと。次回2月の例会を30分早めての開始ということにして、
「横笛」には入らず、15:30で閉会にしました。

溝の口駅に着くと、電車はすでに10分程の遅れが出ていて、ホーム
には人がいっぱい。入って来た電車に、後ろからの人に押される形で
乗ったものの、朝のラッシュ時よりもすごい混みようで、鷺沼までは
完全に身動きが取れませんでした。それでも、電車がゆっくり走って
いるだけで、何事も無く帰宅出来ました。

一番遠くの、千葉の稻毛から普段でも2時間かけていらっしゃって
いる方が気掛かりでしたが、無事にお帰りになったとのご連絡を頂き、
安心いたしました。

今年のこの新年会も、後々の語り草になろうかと思います。


父と子の違い

2018年1月20日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第145回)

1月も早、2/3が経過しました。

このクラスは最も進んでいるクラスですので、今日は第49帖「宿木」の
中盤から後半に入る辺りを読みました。

匂宮の不在時に中の君の許へと出かけた薫は、御簾の下から中の君
の袖を捉え、添い臥すような形で一夜を過ごしましたが、結局は何もない
まま帰宅しました。その最大の理由は、中の君が懐妊の印の腹帯を
つけておられることに気付いたからでした。

それにしても、あの状況で何の手出しもしなかった自分はどこまで
間抜けなんだろう、と薫は後悔していますが、また、一時的な激情に
身を委ねて恋の刹那に溺れたところで、その後も、気安く逢うことなど
とても出来ないことだし、こそこそと人目を忍んで逢うのも気苦労が多く、
中の君も二人の間でどんなに思い悩まれることだろう、と、冷静な分析も
怠ってはいません。

ここが実父・柏木とは違うところです。柏木は一時的な激情に身を委ねて
恋の刹那に溺れてしまいました。そして、それが己の身の破滅を招くこと
となりました。

翌朝、薫は中の君へ手紙を贈りますが、誰かに見られたとしても構わない
ように、体裁も立文(私的な恋文は結び文にする)にして、歌も、
「いたづらに分けつる道の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな」
(むなしく踏み分けてまいりました道の草には、露がしとどに置いて
おりましたので、昔のことが思い出される秋の空でありますことよ)
と、人の目に触れても怪しまれないように詠まれていました。

この「昔」というのは、二人が宇治で一夜を共にしたことを言っている
のですが、他人が読んでもわからないことです。柏木は、はっきりと
柏木だとわかる書き方で女三宮に贈った手紙を源氏に見つけられ、
これで万事休す、でした。

二条院に戻られた匂宮が、薫と中の君の仲を疑い、証拠となる手紙
などはないかと、それとなく探したけれども見つからなかった、という
のとは対照的です。

父と子、似ている所もありますが、こうした違いがあります。無論、
相手の女性である女三宮と中の君の聡明さにも大きな差はありますが、
父・柏木が、相手の女性をも巻き込んで悲劇的な結末を迎えたのに
対し、薫の自制心は、中の君の幸せを守ることにも繋がったのです。


外と内とのギャップ

2018年1月19日(金) 溝の口「枕草子」(第16回)

出掛ける前に、たまプラーザ駅での人身事故で、鷺沼~あざみ野間が
運転見合わせになっているとの情報を、本日ご参加の方からメールで
教えていただき、振り替え輸送覚悟で駅まで行ったら、丁度このあとの
電車から全線運転再開とのアナウンスがあって、新年最初の枕草子の
講読会に遅刻せずに済みました(ヤレヤレ)。

今日は、比較的長い日記的章段二つ(第78段と第79段)を読みました。

第78段は、前段に引き続き、藤原斉信(ただのぶ)との交流が中心と
なっている段で、ここには「絵に描き、物語のめでたきことにいひたる、
これにこそは」(絵に描いたり、物語の中でカッコイイ男として書かれて
いる男性って、まさしくこの人のことだわ)という、斉信の男っぷりの
良さが書き綴られています。

対して、応対している自分は、と言えば、いい歳をしたオバサン女房で、
髪も「うるわしくこぼれかかりて」(綺麗で肩などにこぼれかかっている)
というのには程遠い、うねりが出たウイッグを付けているみっともなさ。
中宮さまが喪中(前年に父・関白道隆が亡くなっている)とあって、
女房たちも皆、地味なグレーっぽい色の着物を着ていますし、今は
中宮さまの御前ではないので、唐衣に裳、というきちんとした格好も
していません。

で、斉信がお帰りになった後、作者はこんな風に考えました。

外から見ている人は、「この斉信さまのお相手をしている御簾の内の
女房は、きっと美人なんだろうなぁ」と、思うに違いないわ。逆に部屋の
奥から見てる人は、私のこのひどい後姿に、まさか外に居る男性が、
絵や物語に描かれているような素敵な人、だなんて思ってもみないで
しょうね、と。

清少納言独特の観察眼の鋭さにユーモアも加わって、二人の対面シーン
の面白さを際立たせる作者の感想です。


2018・新年会(その3)

2018年1月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算197回、統合51回)

1月の例会は楽しい新年会が続きますが、今日は湘南台クラス。
このクラスの新年会はもうずっと同じお店で、六会日大前駅近くの
「やよい鮨」です。

    DSCF3354.jpg
  去年の写真とほとんど同じですが、年に一度の楽しみです

    DSCF3355.jpg
    美味しいお寿司でお腹いっぱい!笑顔が広がります

例会が終わる頃には雨になるかもしれない、と思い、折りたたみ傘を
入れて行きましたが、新年会を終えて外に出ると、もう本格的な雨に
なっていました。

湘南台に戻って、いつもより10分遅れで例会を開始。

第46帖「椎本」に入って三回目。前回の講読箇所で八の宮が亡くなり、
今回は、残されて悲嘆にくれる姫君たちと、それを慰めようとする薫や
匂宮との交流が、静かに語られているところを読みました。

ここで、薫に出生の秘密を打ち明けた弁という女房の素性が明らかに
なります。

弁の母親は薫の実父・柏木の乳母でした。父親は左中弁を務めた人物で、
姫君たちの母方の祖母と姉弟の関係、つまり、八の宮の北の方(姫君たち
の母)と弁は従姉妹だということがわかります。

柏木と、母親が相次いで亡くなった後、弁は半ば騙されるような形で、男に
薩摩の国まで伴われ、10年余を過ごした後、京に戻って来ました。既に
お仕えした致仕大臣家とは疎遠になっており、遠縁にあたる八の宮家に、
姫君たちのお世話役のような形でご奉公することになった、とあります。

弁は薫に出生の秘密を打ち明ける、という重大な役割を果たした後も、
薫と大君、中の君と匂宮、薫と浮舟を取り持つという、宇治十帖における
最も中心的な働きを担う女房として位置づけられています。

主人公たちの結びつきの蔭に弁あり。姫君たちの運命の鍵は女房たちに
握られていた、と言っても過言ではないこの時代、弁という一女房からも
目を逸らさず読み進めて行きたいですね。

  

映画「新世紀、パリ・オペラ座」

2018年1月16日(火)

年末から気になっていたドキュメンタリー映画「新世紀、パリ・オペラ座」、
同じ趣味の友人への年賀状に、チラッと書きましたら、年明けに、「私も
昨年末から新聞切り抜いてズーッと気にしていた」とのメールが届きました。

それなら、と、お互いの日程調整をして(と言っても、私のほうは変更不可
の予定ばかりで、彼女のほうに日程変更をして貰ったのですが)、今日、
実現の運びとなりました。

この手の映画の上映館は、きまって渋谷・文化村の「ル・シネマ」です。
ですから、我々も、「いつもと同じ、いつものコースで」となります。
先ずは「ル・シネマ」のロビーで待ち合わせて、映画のチケットを買い、
エスカレーターで東急本店のレストラン街にある「タントタント」へ。

前にも書きましたが、ここで食べたパスタには一度も外れ無し。今日の
「ズワイガニと九条ネギと蕪のパスタ」も、美味しかったです!!
これまで知らなかったのだけど、レストランの入り口に「映画の半券提示で
サービスが受けられます」との表示があり、訊くと、スパークリングワインか
葡萄ジュースがサービスになるとのこと。アルコールに弱い二人ですので、
葡萄ジュースをいただきましたが、ワイングラスに入っていて、気分的には
赤ワイン。甘くないのでパスタにもよく合いました。

食事をして、そこからエスカレーターで降りるだけで映画館、というのが、
またこのコースのいいところ。

映画は、去年の8月9日に見た「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」が、
舞台に立つダンサーたちを中心としたドキュメンタリーであったのに対し、
今回の「新世紀、パリ・オペラ座」は、350年以上の伝統ある「パリ・オペラ座」
の様々な立場の人が、様々な問題に直面しながら、今の「パリ・オペラ座」に
求められるものと向かい合って行こうとする姿が映像化されており、興味本位
ではない、舞台芸術の世界の中で生きている人々の人間ドラマとなっている
作品でした。

経営陣の苦悩から、舞台や客席を清掃したり、オペラで使われたカツラを
手入れする様子などまでもが映し出され、「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」
とはまた違った「パリ・オペラ座」の舞台裏を見せて貰える秀作だと思いました。


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