忘年会ランチ&第53帖「手習」まで読了
2019年11月30日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第168回)
雲一つない冬晴れの青空が広がりました。気温は低目でも陽溜まりは
暖かく、気持ちの良い一日でした。
今回で168回目を迎えた淵野辺クラス、丸14年が経ったことになります。
そして今日で第53帖「手習」を読了。残るは最後の一帖「夢浮橋」だけと
なりました。あと2回でゴールに達する予定です。
例会に先立ち、いつものように幹事さんの企画で、このクラス最後の
忘年会ランチをいただきました。お店は、2017年の「お花見ランチ」と
同じ場所(その記事は→こちら)で、町田市野津田の住宅街にある
隠れ家的フレンチレストラン「シェ・シミズ」。
我々10人で貸し切りになってしまう、オーナーシェフが一人ですべてを
切り盛りしているこじんまりとしたレストランですが、それだけに、味も
品質も滅多にない上等なもので、抜群のコスパを誇っています。
今日までがお店の10周年記念メニューでお食事が提供されていて、
さらにコスパがUPしておりました。唯一の難点は場所が不便なことです。
それでも再訪したいと思うレストランです。
このあと供されたオニオングラタンスープも、メインディッシュの
ロブスターも、デザートのクリームブリュレも、どれも絶品でしたが、
こんなに綺麗に盛り付けられたサラダって普通はないと思い、
今回はこの写真にしました。極少量のドレッシングでいただくので、
厳選された野菜の美味しさを堪能しました。
長いお付き合いとなった「五十四帖の会」のお仲間たち。
美味しくて楽しいランチも何度ご一緒したことでしょう。
例会はいつもよりも2時間近く開始が遅れましたが、それでも会場利用が
可能な17時ギリギリまで時間を使って、第53帖「手習」を読み終えました。
浮舟の失踪から一年、死んだと思い一周忌の法要まで営んだ薫が、浮舟
の生存を知り、再会実現のために動き出す、というところで、「手習」の巻は
幕を閉じます。そこに至るまでにも、あれこれと書きたいことはあるのですが、
もうこんなに長くなってしまったので、それは別のクラスで読んだ時に、追々
紹介していきたいと思います。
雲一つない冬晴れの青空が広がりました。気温は低目でも陽溜まりは
暖かく、気持ちの良い一日でした。
今回で168回目を迎えた淵野辺クラス、丸14年が経ったことになります。
そして今日で第53帖「手習」を読了。残るは最後の一帖「夢浮橋」だけと
なりました。あと2回でゴールに達する予定です。
例会に先立ち、いつものように幹事さんの企画で、このクラス最後の
忘年会ランチをいただきました。お店は、2017年の「お花見ランチ」と
同じ場所(その記事は→こちら)で、町田市野津田の住宅街にある
隠れ家的フレンチレストラン「シェ・シミズ」。
我々10人で貸し切りになってしまう、オーナーシェフが一人ですべてを
切り盛りしているこじんまりとしたレストランですが、それだけに、味も
品質も滅多にない上等なもので、抜群のコスパを誇っています。
今日までがお店の10周年記念メニューでお食事が提供されていて、
さらにコスパがUPしておりました。唯一の難点は場所が不便なことです。
それでも再訪したいと思うレストランです。
このあと供されたオニオングラタンスープも、メインディッシュの
ロブスターも、デザートのクリームブリュレも、どれも絶品でしたが、
こんなに綺麗に盛り付けられたサラダって普通はないと思い、
今回はこの写真にしました。極少量のドレッシングでいただくので、
厳選された野菜の美味しさを堪能しました。
長いお付き合いとなった「五十四帖の会」のお仲間たち。
美味しくて楽しいランチも何度ご一緒したことでしょう。
例会はいつもよりも2時間近く開始が遅れましたが、それでも会場利用が
可能な17時ギリギリまで時間を使って、第53帖「手習」を読み終えました。
浮舟の失踪から一年、死んだと思い一周忌の法要まで営んだ薫が、浮舟
の生存を知り、再会実現のために動き出す、というところで、「手習」の巻は
幕を閉じます。そこに至るまでにも、あれこれと書きたいことはあるのですが、
もうこんなに長くなってしまったので、それは別のクラスで読んだ時に、追々
紹介していきたいと思います。
絶妙な心理描写
2019年11月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第44回・№2)
11月11日の記事の最後に、御息所が、自分が生霊となっていると
気づき苦悩する姿と、源氏が御息所を見舞おうかどうか、と迷う姿が、
絶妙な心理描写で綴られている場面を、第4木曜日のほうで紹介します、
と予告しておきましたので、今日はその場面についてです。
既に前回読んだところで、葵の上に憑りついている執念深い物の怪が
自分の生霊ではないかという噂が立っていることを六条御息所は気に
病み、実際うとうととして見る夢の中で、美しい姫君に暴力を加えている
己の姿を見ることもあって、そのような悪評が立つことにいたたまれない
思いをしておりました。でも、これはまだ夢の中での話。自分の中で「私が
現実にそんなことするわけがない」と、打ち消すことも出来る段階だったと
考えられます。
ところが、今回のところで、御息所はそれを否定できない事実を自ら悟る
ことになります。髪や着物に染みついた芥子の匂いが、いくら洗っても、
着替えても取れないのです。芥子は物の怪調伏の祈祷の際に、護摩に
焚いて使われるものでした。やはり魂がさ迷い出て葵の上に憑りついた
のか、と思うと、誰にも相談できることでもないので、ますます追い詰め
られて気が変になっていくようでした。
気位も品位も人一倍高い方だけに、そんな自分が許せないし、他人の
思惑を考えると、辛くて苦しくて堪らなかったはずです。その心理を
芥子の匂いという媒体を使って、100%効果的に描写して見せた作者
の筆力は「見事といふも世の常なり」(見事と言うのもありきたりの表現
になってしまう)ですよね。
一方、御息所の生霊を目の当たりにしてしまった源氏も悩んでいます。
このままずっと御息所の許を訪れないというのも心苦しく、かと言って、
間近で逢えば、疎ましく感じられるに違いない。結果、源氏は御息所に
手紙だけを差し上げた、とあります。
普通、源氏の立場なら、もう二度と御息所には関わりたくない、と思う
はずなのに、そうではないのです。何故か?それを読者に推測させる
ところがこの作者の凄さ。おそらく源氏は、御息所が生霊にまでなって
しまった原因が自分にあることを知っていて後ろめたさを感じていたから
だと思います。
行間に書かれた絶妙な心理描写、「源氏物語」の醍醐味ここにあり、と
いったところでしょうか。
ストーリーを通してお読みになるには、先に書きました「葵の全文訳(8)」
をご覧ください。
11月11日の記事の最後に、御息所が、自分が生霊となっていると
気づき苦悩する姿と、源氏が御息所を見舞おうかどうか、と迷う姿が、
絶妙な心理描写で綴られている場面を、第4木曜日のほうで紹介します、
と予告しておきましたので、今日はその場面についてです。
既に前回読んだところで、葵の上に憑りついている執念深い物の怪が
自分の生霊ではないかという噂が立っていることを六条御息所は気に
病み、実際うとうととして見る夢の中で、美しい姫君に暴力を加えている
己の姿を見ることもあって、そのような悪評が立つことにいたたまれない
思いをしておりました。でも、これはまだ夢の中での話。自分の中で「私が
現実にそんなことするわけがない」と、打ち消すことも出来る段階だったと
考えられます。
ところが、今回のところで、御息所はそれを否定できない事実を自ら悟る
ことになります。髪や着物に染みついた芥子の匂いが、いくら洗っても、
着替えても取れないのです。芥子は物の怪調伏の祈祷の際に、護摩に
焚いて使われるものでした。やはり魂がさ迷い出て葵の上に憑りついた
のか、と思うと、誰にも相談できることでもないので、ますます追い詰め
られて気が変になっていくようでした。
気位も品位も人一倍高い方だけに、そんな自分が許せないし、他人の
思惑を考えると、辛くて苦しくて堪らなかったはずです。その心理を
芥子の匂いという媒体を使って、100%効果的に描写して見せた作者
の筆力は「見事といふも世の常なり」(見事と言うのもありきたりの表現
になってしまう)ですよね。
一方、御息所の生霊を目の当たりにしてしまった源氏も悩んでいます。
このままずっと御息所の許を訪れないというのも心苦しく、かと言って、
間近で逢えば、疎ましく感じられるに違いない。結果、源氏は御息所に
手紙だけを差し上げた、とあります。
普通、源氏の立場なら、もう二度と御息所には関わりたくない、と思う
はずなのに、そうではないのです。何故か?それを読者に推測させる
ところがこの作者の凄さ。おそらく源氏は、御息所が生霊にまでなって
しまった原因が自分にあることを知っていて後ろめたさを感じていたから
だと思います。
行間に書かれた絶妙な心理描写、「源氏物語」の醍醐味ここにあり、と
いったところでしょうか。
ストーリーを通してお読みになるには、先に書きました「葵の全文訳(8)」
をご覧ください。
第9帖「葵」の全文訳(8)
2019年11月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第44回・№1)
こちらのクラスも、第2月曜日のクラスと同様、第9帖「葵」のクライマックス
にあたる84頁・11行目~92頁・2行目迄を読みました。その後半部分の
(88頁・7行目~92頁・2行目)の全文訳です。前半は→こちらをご覧下さい。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
あの御息所は、このようなご様子を耳になさるにつけても、心穏やかでは
ありません。前にはたいそう危ないという噂だったのに、安産とはまあ、と、
ふとお思いになるのでした。
妙なことに、自分が自分ではないような気分を思い辿ってごらんになると、
お召し物などにも、ただ芥子の匂いが染みついているその不審さに、髪を
洗い、お召し物もお着替えなどなさって、お試しになりましたが、相変わらず
芥子の匂いがするばかりでした。自分のことでさえ疎ましいことだと思われる
のに、ましてや他人がどのように思い、言うであろうかなどと、人に相談できる
ことではないので、一人で思い嘆いておられると、ますます平静でない状態が
募って行くのでした。
源氏の君は、葵の上のご安産に気持ちも少しほっとなさって、呆れ果てたあの
時の問わず語りも、嫌なことだったと思い出されなどしながらも、御息所の許を
訪れずにたいそう日が経ってしまうのも心苦しく、かと言ってまた間近でお逢い
すれば、どうであろうか、きっと嫌に感じられるであろうから、それでは却って
御息所にとってお気の毒だと、あれこれお考えになって、御息所にはお手紙
だけを差し上げなさいました。
ひどくお患いになった葵の上の産後の余病が油断ならず、誰もがご心配に
なっているので、源氏の君もごもっともだと思い、外出もなさいません。葵の上
は相変わらずとてもお具合が悪そうにばかりしておられるので、源氏の君は
まだ普段のように対面なさってもおりません。
若君がたいそう不吉な感じがするほど可愛らしく見えなさるご様子なのを、
源氏の君が今から、特別大切にお世話なさることは一通りではありません。
思いが叶った心地がして、左大臣も嬉しく有難いと思い申し上げなさるにつけ、
ただ葵の上のお具合がすっかりお治りにならないのを、気掛かりにはお思い
でしたが、あれほど重篤だったのだから後を引いているのだろう、とお考えに
なり、どうしてそんなに心配ばかりしておいでになれましたでしょうか。
若君(夕霧)のお目元の可愛らしさなどが、東宮(のちの冷泉帝)にとてもよく
似ておられるのをご覧になるにつけても、東宮のことが真っ先に恋しく思い
出されなさるので、我慢できなくて、宮中に参内なさろうとして、「宮中などにも
あまりにも長く参内しておりませんので、気掛かりで、今日あなたのご出産後
初めて出掛けますが、その前に少しお側近くでお話したいものです。そうした
対面がないのは、あまりにも水臭いよそよそしさではありませんか」と、源氏の
君が恨み申し上げなさるので、葵の上の女房たちも、「ほんに仰せの通り、
もう一途に気取ってばかりいて良い間柄でもございませんから、ひどくおやつれ
になったとは申せ、物越しでのご対面などであってよいものでしょうか」と言って、
葵の上が寝ておられる所に、源氏の君の御座所をお側近くご用意したので、
源氏の君は几帳の中に入ってお話かけたりなさいます。
葵の上はお返事を時々申し上げなさるものの、やはりたいそう弱々しげです。
けれど、もうすっかり駄目だと思い申し上げていた時のご様子を思い出されると、
夢のような気がして、予断を許さなかった時のことなどを葵の上にお話なさるに
つけても、あの全く息も絶えたようでいらしたのが、急に様子が変わって、細々と
おっしゃったことなどを思い出されると辛いので、「いやどうも、お話申し上げたい
ことは山ほどございますが、まだひどくだるそうでいらっしゃるので」と言って、
「お薬湯を召し上がれ」などということまでもお世話なさるので、いつこんなことを
覚えられたのかしら、と女房たちは感心申し上げておりました。
とても美しい人が、ひどく衰弱しやつれて、生きているのか死んでいるのかも
分からないような状態で横たわっておられる様子は、とても可憐で痛々しい感じ
がします。髪が乱れた一筋もなく、はらはらとかかっている枕の辺りは、またと
無い程までに美しく見えるので、長年この方のどこに不足があると思っていた
のだろう、と不思議な程に葵の上に目が引かれ、源氏の君はじっとご覧になって
いるのでした。
「院の御所などにお伺いして、早々に退出してまいりましょう。このようにして、
あなたと隔てなく対面出来ますれば嬉しいのですが、母宮がお側について
おられるのに、私が居ては気が利かないかと、遠慮して過ごして来たのも辛い
ので、やはり段々と元気をお出しになって、いつものお部屋へお戻りください。
あまり子供っぽく振舞っておられるので、それが一つには、このようにいつまでも
よくなられないのですよ」などと言い置かれて、たいそう美しくお着飾りになって
出て行かれるのを、葵の上はいつもよりじっと目を留めて見送って横になって
おられました。
秋の司召があるはずの日で、左大臣も参内なさるので、ご子息たちも査定に
期待なさるところがあって、左大臣のお側をお離れにならず、皆引き続いて
お出ましになりました。
こちらのクラスも、第2月曜日のクラスと同様、第9帖「葵」のクライマックス
にあたる84頁・11行目~92頁・2行目迄を読みました。その後半部分の
(88頁・7行目~92頁・2行目)の全文訳です。前半は→こちらをご覧下さい。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
あの御息所は、このようなご様子を耳になさるにつけても、心穏やかでは
ありません。前にはたいそう危ないという噂だったのに、安産とはまあ、と、
ふとお思いになるのでした。
妙なことに、自分が自分ではないような気分を思い辿ってごらんになると、
お召し物などにも、ただ芥子の匂いが染みついているその不審さに、髪を
洗い、お召し物もお着替えなどなさって、お試しになりましたが、相変わらず
芥子の匂いがするばかりでした。自分のことでさえ疎ましいことだと思われる
のに、ましてや他人がどのように思い、言うであろうかなどと、人に相談できる
ことではないので、一人で思い嘆いておられると、ますます平静でない状態が
募って行くのでした。
源氏の君は、葵の上のご安産に気持ちも少しほっとなさって、呆れ果てたあの
時の問わず語りも、嫌なことだったと思い出されなどしながらも、御息所の許を
訪れずにたいそう日が経ってしまうのも心苦しく、かと言ってまた間近でお逢い
すれば、どうであろうか、きっと嫌に感じられるであろうから、それでは却って
御息所にとってお気の毒だと、あれこれお考えになって、御息所にはお手紙
だけを差し上げなさいました。
ひどくお患いになった葵の上の産後の余病が油断ならず、誰もがご心配に
なっているので、源氏の君もごもっともだと思い、外出もなさいません。葵の上
は相変わらずとてもお具合が悪そうにばかりしておられるので、源氏の君は
まだ普段のように対面なさってもおりません。
若君がたいそう不吉な感じがするほど可愛らしく見えなさるご様子なのを、
源氏の君が今から、特別大切にお世話なさることは一通りではありません。
思いが叶った心地がして、左大臣も嬉しく有難いと思い申し上げなさるにつけ、
ただ葵の上のお具合がすっかりお治りにならないのを、気掛かりにはお思い
でしたが、あれほど重篤だったのだから後を引いているのだろう、とお考えに
なり、どうしてそんなに心配ばかりしておいでになれましたでしょうか。
若君(夕霧)のお目元の可愛らしさなどが、東宮(のちの冷泉帝)にとてもよく
似ておられるのをご覧になるにつけても、東宮のことが真っ先に恋しく思い
出されなさるので、我慢できなくて、宮中に参内なさろうとして、「宮中などにも
あまりにも長く参内しておりませんので、気掛かりで、今日あなたのご出産後
初めて出掛けますが、その前に少しお側近くでお話したいものです。そうした
対面がないのは、あまりにも水臭いよそよそしさではありませんか」と、源氏の
君が恨み申し上げなさるので、葵の上の女房たちも、「ほんに仰せの通り、
もう一途に気取ってばかりいて良い間柄でもございませんから、ひどくおやつれ
になったとは申せ、物越しでのご対面などであってよいものでしょうか」と言って、
葵の上が寝ておられる所に、源氏の君の御座所をお側近くご用意したので、
源氏の君は几帳の中に入ってお話かけたりなさいます。
葵の上はお返事を時々申し上げなさるものの、やはりたいそう弱々しげです。
けれど、もうすっかり駄目だと思い申し上げていた時のご様子を思い出されると、
夢のような気がして、予断を許さなかった時のことなどを葵の上にお話なさるに
つけても、あの全く息も絶えたようでいらしたのが、急に様子が変わって、細々と
おっしゃったことなどを思い出されると辛いので、「いやどうも、お話申し上げたい
ことは山ほどございますが、まだひどくだるそうでいらっしゃるので」と言って、
「お薬湯を召し上がれ」などということまでもお世話なさるので、いつこんなことを
覚えられたのかしら、と女房たちは感心申し上げておりました。
とても美しい人が、ひどく衰弱しやつれて、生きているのか死んでいるのかも
分からないような状態で横たわっておられる様子は、とても可憐で痛々しい感じ
がします。髪が乱れた一筋もなく、はらはらとかかっている枕の辺りは、またと
無い程までに美しく見えるので、長年この方のどこに不足があると思っていた
のだろう、と不思議な程に葵の上に目が引かれ、源氏の君はじっとご覧になって
いるのでした。
「院の御所などにお伺いして、早々に退出してまいりましょう。このようにして、
あなたと隔てなく対面出来ますれば嬉しいのですが、母宮がお側について
おられるのに、私が居ては気が利かないかと、遠慮して過ごして来たのも辛い
ので、やはり段々と元気をお出しになって、いつものお部屋へお戻りください。
あまり子供っぽく振舞っておられるので、それが一つには、このようにいつまでも
よくなられないのですよ」などと言い置かれて、たいそう美しくお着飾りになって
出て行かれるのを、葵の上はいつもよりじっと目を留めて見送って横になって
おられました。
秋の司召があるはずの日で、左大臣も参内なさるので、ご子息たちも査定に
期待なさるところがあって、左大臣のお側をお離れにならず、皆引き続いて
お出ましになりました。
「書道展」と「連綿体験ワークショップ」
2019年11月26日(火)
朝からしとしとと冷たい雨が降っていましたが、今日は友人の教え子の
書家の方の、「心に効く源氏物語~紫式部からのメッセージ~」と題した
書道展と、それに付随して開催された「連綿体験ワークショップ」に参加
するため、仙川にある白百合女子大学の図書館まで行ってまいりました。
「源氏物語」を「美のバイブル」とおっしゃる鷹野理芳先生が、「源氏物語」
五十四帖から一帖ずつ、言葉、歌、場面から受け取ったメッセージを、かな
書道で表現されたもので、今回は「桐壺」から「花散里」までが展示されて
いました。
どの作品も「紫式部からのメッセージ」が、鑑賞者の心にも直に伝わってくる
書で、白い扇に書かれた夕顔の歌や、古臭い紙に昔の書風で、散らし書き
もせず上下等しく揃えて書かれた末摘花からの手紙などは、実際にこんな
ふうに(フィクションの中でのことを「実際に」というのもおかしいかもしれま
せんが)書かれていたのではないかと、見入ってしまいました。
続いて行われた「連綿体験ワークショップ」では、墨を磨るところから始まり、
筆の持ち方、仮名文字の成り立ちなどを教えていただいて、「あなかしこ」と
短冊と栞に書きました。
普段筆を持つことなどないので、緊張もし、とてもさらさらとはまいりません。
でも、手に力を入れず、大きく動かすほうが字ものびやかになる、ということ
も分かり、これはもう少し勉強したいな、という気持ちになりました。
鷹野先生に私の通える場所で、仮名文字一字一字の成り立ちから指導して
いただけるのなら、師事したいと思います。
続けてお書きになっているとのことですので、第二回目、三回目が楽しみです。
外は既に真っ暗になっていましたが、雨も止んで幾分寒さも和らいだ中を、
誘ってくれた友人に感謝しながら、仙川駅へと向かったのでした。
折から美しい紅葉に彩られた白百合女子大のキャンパス
朝からしとしとと冷たい雨が降っていましたが、今日は友人の教え子の
書家の方の、「心に効く源氏物語~紫式部からのメッセージ~」と題した
書道展と、それに付随して開催された「連綿体験ワークショップ」に参加
するため、仙川にある白百合女子大学の図書館まで行ってまいりました。
「源氏物語」を「美のバイブル」とおっしゃる鷹野理芳先生が、「源氏物語」
五十四帖から一帖ずつ、言葉、歌、場面から受け取ったメッセージを、かな
書道で表現されたもので、今回は「桐壺」から「花散里」までが展示されて
いました。
どの作品も「紫式部からのメッセージ」が、鑑賞者の心にも直に伝わってくる
書で、白い扇に書かれた夕顔の歌や、古臭い紙に昔の書風で、散らし書き
もせず上下等しく揃えて書かれた末摘花からの手紙などは、実際にこんな
ふうに(フィクションの中でのことを「実際に」というのもおかしいかもしれま
せんが)書かれていたのではないかと、見入ってしまいました。
続いて行われた「連綿体験ワークショップ」では、墨を磨るところから始まり、
筆の持ち方、仮名文字の成り立ちなどを教えていただいて、「あなかしこ」と
短冊と栞に書きました。
普段筆を持つことなどないので、緊張もし、とてもさらさらとはまいりません。
でも、手に力を入れず、大きく動かすほうが字ものびやかになる、ということ
も分かり、これはもう少し勉強したいな、という気持ちになりました。
鷹野先生に私の通える場所で、仮名文字一字一字の成り立ちから指導して
いただけるのなら、師事したいと思います。
続けてお書きになっているとのことですので、第二回目、三回目が楽しみです。
外は既に真っ暗になっていましたが、雨も止んで幾分寒さも和らいだ中を、
誘ってくれた友人に感謝しながら、仙川駅へと向かったのでした。
折から美しい紅葉に彩られた白百合女子大のキャンパス
岩根の松
2019年11月25日(月) 溝の口「湖月会」(第137回)
この一週間は気温の乱高下が続いています。「古典の日」フォーラムに
参加した火曜日は、ちょっと動くと汗ばむほどの陽気。金曜日、土曜日は
一日中冷たい雨が降って寒く、今日はまた昼間はコートが要らない位の
暖かさでした。明日は一気に気温が下がって冬の寒さになるとのこと。
体調管理も難しいです。
このクラスも第2金曜日のクラス同様、今回で「宇治十帖」最初の巻である
第45帖「橋姫」を読み終えました。
終盤、薫は弁という、今は八の宮家の女房となっている、実父・柏木の
乳母子から、自分の出生にまつわる話を聞き、これまでずっと抱き続けて
来た疑念がようやく明らかになりました。薄々感づいていたものの流石に
その日、京へ帰っても宮中に出仕する気にもなれないのでした。
弁が薫に手渡した柏木のこの世での最後の手紙には、次の歌が記されて
いました。
「命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生ひ末」(命があれば、
密かに我が子と見ることも出来ましょうに。誰にも知られず岩根に残した
松の成長していく姿を)
もちろんここで柏木が「岩根の松」に譬えているのは薫です。
偶然にも同じ頃、源氏も薫を「岩根の松」に譬えた歌を詠んでいます。
こちらは、出家した女三の宮に向かって浴びせた嫌味な一首です。
「誰が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松はこたへむ」(昔、一体
誰が種を蒔いたのかと人が訊いたなら、岩根の松は何と答えるのでしょうか)
これらからして、薫の呼称は「岩根の松」でも良かったのでは?と言いましたら、
皆さまの反応は「いやぁ、それはちょっと~」でした。身体から発する芳香に
よって付けられた「薫」のほうが、馴染んでいることもありましょうが、確かに
すっきりとした綺麗な呼称ですね。
この一週間は気温の乱高下が続いています。「古典の日」フォーラムに
参加した火曜日は、ちょっと動くと汗ばむほどの陽気。金曜日、土曜日は
一日中冷たい雨が降って寒く、今日はまた昼間はコートが要らない位の
暖かさでした。明日は一気に気温が下がって冬の寒さになるとのこと。
体調管理も難しいです。
このクラスも第2金曜日のクラス同様、今回で「宇治十帖」最初の巻である
第45帖「橋姫」を読み終えました。
終盤、薫は弁という、今は八の宮家の女房となっている、実父・柏木の
乳母子から、自分の出生にまつわる話を聞き、これまでずっと抱き続けて
来た疑念がようやく明らかになりました。薄々感づいていたものの流石に
その日、京へ帰っても宮中に出仕する気にもなれないのでした。
弁が薫に手渡した柏木のこの世での最後の手紙には、次の歌が記されて
いました。
「命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生ひ末」(命があれば、
密かに我が子と見ることも出来ましょうに。誰にも知られず岩根に残した
松の成長していく姿を)
もちろんここで柏木が「岩根の松」に譬えているのは薫です。
偶然にも同じ頃、源氏も薫を「岩根の松」に譬えた歌を詠んでいます。
こちらは、出家した女三の宮に向かって浴びせた嫌味な一首です。
「誰が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松はこたへむ」(昔、一体
誰が種を蒔いたのかと人が訊いたなら、岩根の松は何と答えるのでしょうか)
これらからして、薫の呼称は「岩根の松」でも良かったのでは?と言いましたら、
皆さまの反応は「いやぁ、それはちょっと~」でした。身体から発する芳香に
よって付けられた「薫」のほうが、馴染んでいることもありましょうが、確かに
すっきりとした綺麗な呼称ですね。
薫の正妻「女二の宮」
2019年11月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第219回)
講読会を終えて、日が落ちかかった外に出ると、風がとても冷たく
感じられました。コートを着て歩くと汗ばむ程だった昨日に比べ、
一足飛びに冬がすぐそこまでやって来た気がします。
湘南台クラスは第49帖「宿木」の終盤に入りました。
薫は26歳という若さで権大納言に昇進し、裳着(女子の成人式)を
済ませたばかりの16歳の女二の宮と結婚しました。
薫の実父・柏木の正妻も女二の宮でした。こちらは朱雀院の第二皇女
で、薫の正妻は今上帝の第二皇女です。共に夫の目は妻以外の女性
に向けられており、二人の女二の宮の結婚は幸せとは言い難いもの
です。
柏木は結婚後も、意中にあるのは女三の宮ただ一人でした。一方薫
の心には今なお忘れられない亡き大君がいて、しかも今はその妹で
ある中の君に心を奪われています。この先も、浮舟が登場し、また薫の
永遠の憧れの女性・女一の宮(女二の宮の異母姉)と比較されもして、
女二の宮は決して薫の愛を得ることのないまま物語は終わっています。
おそらく女二の宮が暮らしに困ることなど、この先も皆無でありましょう。
でも、一人の女性としてこれではあまりにもお気の毒、と思うのが、また
人情というものではないでしょうか。
「山路の露」という、「源氏物語」の成立から200年位後に書かれた
「宇治十帖」の続編があります。さほどその後の話が進展することも
ない続編ですが、女二の宮が薫の子を懐妊しています。おそらく、
「山路の露」の作者(世尊寺伊行か、その娘の建礼門院右京大夫と
言われている)も、この不幸な結婚生活を送っている女二の宮に同情
して、何かしらの幸せを与えて差し上げよう、と考えた上でのことでは
ないかと、私は思うのです。
講読会を終えて、日が落ちかかった外に出ると、風がとても冷たく
感じられました。コートを着て歩くと汗ばむ程だった昨日に比べ、
一足飛びに冬がすぐそこまでやって来た気がします。
湘南台クラスは第49帖「宿木」の終盤に入りました。
薫は26歳という若さで権大納言に昇進し、裳着(女子の成人式)を
済ませたばかりの16歳の女二の宮と結婚しました。
薫の実父・柏木の正妻も女二の宮でした。こちらは朱雀院の第二皇女
で、薫の正妻は今上帝の第二皇女です。共に夫の目は妻以外の女性
に向けられており、二人の女二の宮の結婚は幸せとは言い難いもの
です。
柏木は結婚後も、意中にあるのは女三の宮ただ一人でした。一方薫
の心には今なお忘れられない亡き大君がいて、しかも今はその妹で
ある中の君に心を奪われています。この先も、浮舟が登場し、また薫の
永遠の憧れの女性・女一の宮(女二の宮の異母姉)と比較されもして、
女二の宮は決して薫の愛を得ることのないまま物語は終わっています。
おそらく女二の宮が暮らしに困ることなど、この先も皆無でありましょう。
でも、一人の女性としてこれではあまりにもお気の毒、と思うのが、また
人情というものではないでしょうか。
「山路の露」という、「源氏物語」の成立から200年位後に書かれた
「宇治十帖」の続編があります。さほどその後の話が進展することも
ない続編ですが、女二の宮が薫の子を懐妊しています。おそらく、
「山路の露」の作者(世尊寺伊行か、その娘の建礼門院右京大夫と
言われている)も、この不幸な結婚生活を送っている女二の宮に同情
して、何かしらの幸せを与えて差し上げよう、と考えた上でのことでは
ないかと、私は思うのです。
古典の日10周年記念フォーラムin東京2019
2019年11月19日(火)
「源氏物語千年紀」の2008年11月1日に京都で記念式典が行われ、
「古典の日」宣言が読み上げられました。それから4年後に11月1日
を「古典の日」とする法律が制定され、毎年「古典」に関するイベント
が開催されています。
京都での催しに出掛けるのはなかなか難しく、これまでは東京での
国文学研究資料館主催の講演会に出掛けることが多かったのですが、
今年は京都に本部のある「古典の日推進委員会」と実践女子大学が
連携協定を結び、表題のイベントが、東京渋谷にある実践女子大学
の渋谷キャンパスで開催され、講読会のお仲間と参加して参りました。
今日の講演会は、「五感で楽しむ『源氏物語』」というタイトルのもと、
雅楽師の東儀秀樹氏、京都の香老舗松栄堂のご主人・畑正高氏、
「染司よしおか」六代目の吉岡更紗さんのお三人が、それぞれの
専門分野の雅楽、お香、染め物について、興味深い実演やお話を
してくださいました。
古典文学に関する専門的なお話ではなく、伝統文化を理解する上で
役立つことを、とても分かり易くお話していただけたので、あっという間
の3時間でした。
笙や篳篥の美しい音色、会場に漂っていた薫物の香り、化学染料を
一切使わない染め物の気が遠くなるような作業の映像。日本の伝統
文化を大切にしたい、という思いを新たにしながら、まだ余韻の残る
会場を後にしたのでした。
帰り際に実践女子学園のキャンパスでご一緒した皆さまと。
会場では他にも何人かの方とお会いしました。
「源氏物語千年紀」の2008年11月1日に京都で記念式典が行われ、
「古典の日」宣言が読み上げられました。それから4年後に11月1日
を「古典の日」とする法律が制定され、毎年「古典」に関するイベント
が開催されています。
京都での催しに出掛けるのはなかなか難しく、これまでは東京での
国文学研究資料館主催の講演会に出掛けることが多かったのですが、
今年は京都に本部のある「古典の日推進委員会」と実践女子大学が
連携協定を結び、表題のイベントが、東京渋谷にある実践女子大学
の渋谷キャンパスで開催され、講読会のお仲間と参加して参りました。
今日の講演会は、「五感で楽しむ『源氏物語』」というタイトルのもと、
雅楽師の東儀秀樹氏、京都の香老舗松栄堂のご主人・畑正高氏、
「染司よしおか」六代目の吉岡更紗さんのお三人が、それぞれの
専門分野の雅楽、お香、染め物について、興味深い実演やお話を
してくださいました。
古典文学に関する専門的なお話ではなく、伝統文化を理解する上で
役立つことを、とても分かり易くお話していただけたので、あっという間
の3時間でした。
笙や篳篥の美しい音色、会場に漂っていた薫物の香り、化学染料を
一切使わない染め物の気が遠くなるような作業の映像。日本の伝統
文化を大切にしたい、という思いを新たにしながら、まだ余韻の残る
会場を後にしたのでした。
帰り際に実践女子学園のキャンパスでご一緒した皆さまと。
会場では他にも何人かの方とお会いしました。
鮮烈な印象
2019年11月15日(金) 溝の口「枕草子」(第38回)
今日の「枕草子」は、第207段~第219段までを読みました。
先月のブログでは、新緑の頃、清少納言が牛車に乗って山里を
散策する様子を記した、第206段の最後の2行をご紹介しました。
牛車の車輪におしつぶされた蓬が車輪にくっついて、乗っている
作者の顔近くに廻って来ると、蓬の香りがふわーっと伝わってくる
のを「をかし」(素敵だわ)、と捉えている鋭い感性と表現力が、
卓越した一文でした(こちらからどうぞ→「この感性!」)。
今回読んだ第215段は、全体で2行しかない短い章段ですが、やはり
そこには作者・清少納言の天賦の才が遺憾無く発揮されています。
「月のいと明きに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などの割れたる
やうに、水の散りたるこそ、をかしけれ」(月が煌煌と照って明るい中を、
牛車に乗って川を渡ると、牛が歩むにつれて、水晶が割れ砕けたかの
ように、水が飛び散っているのが、すごく素敵!)
他に明りがないだけに、月明りの照らすものはいっそう美しく見えたと
思われますが、月光を受けて輝く水しぶきを、水晶の砕け散る姿に
譬えた形容の妙が、古来この一文を名文と言わしめている所以で
ありましょう。動的な美が鮮烈な印象を与えます。
第206段では嗅覚、この段では視覚。そうした五感に感じたものを
逃さず鋭く描写しているところも、「枕草子」の大きな魅力ですね。
今日の「枕草子」は、第207段~第219段までを読みました。
先月のブログでは、新緑の頃、清少納言が牛車に乗って山里を
散策する様子を記した、第206段の最後の2行をご紹介しました。
牛車の車輪におしつぶされた蓬が車輪にくっついて、乗っている
作者の顔近くに廻って来ると、蓬の香りがふわーっと伝わってくる
のを「をかし」(素敵だわ)、と捉えている鋭い感性と表現力が、
卓越した一文でした(こちらからどうぞ→「この感性!」)。
今回読んだ第215段は、全体で2行しかない短い章段ですが、やはり
そこには作者・清少納言の天賦の才が遺憾無く発揮されています。
「月のいと明きに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などの割れたる
やうに、水の散りたるこそ、をかしけれ」(月が煌煌と照って明るい中を、
牛車に乗って川を渡ると、牛が歩むにつれて、水晶が割れ砕けたかの
ように、水が飛び散っているのが、すごく素敵!)
他に明りがないだけに、月明りの照らすものはいっそう美しく見えたと
思われますが、月光を受けて輝く水しぶきを、水晶の砕け散る姿に
譬えた形容の妙が、古来この一文を名文と言わしめている所以で
ありましょう。動的な美が鮮烈な印象を与えます。
第206段では嗅覚、この段では視覚。そうした五感に感じたものを
逃さず鋭く描写しているところも、「枕草子」の大きな魅力ですね。
物の怪の正体
2019年11月11日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第44回・№2)
先程の全文訳のところでも書きましたが、今回読みました箇所が、
第9帖「葵」のクライマックスです。
名だたる験者が祈祷しても、決して憑坐(よりまし)に駆り移されず、
葵の上に憑りついたまま離れることのない物の怪が、ついに正体を
現します。
「少し祈祷をゆるめてください。源氏の君にお話したいことがあります」
と、葵の上の口を借りて願い出た物の怪。女房たちは、源氏を葵の上
の傍らに招じ入れました。
普段の冷たい雰囲気は無く、とても辛くてだるそうな眼差しでじっと源氏
を見つめ、涙を流す葵の上。源氏は、これはご両親や自分との今生の
別れを惜しんでおられるのか、と思い、葵の上を慰めますが、返って来た
言葉は、意外なものでした。「しばらく祈祷を止めて私を楽にしてください、
とお願いしようと思いまして。葵の上に憑りつこうだなんて少しも思っては
いないのに、物思いをしていると、本当に魂は我が身からさまよい出て
しまうのだったのですね」と、源氏に親し気に話しかけ歌を詠むのでした。
「嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」(嘆き悲しみ、
空にさまよっている私の魂を、あなたが繋ぎとめてください、下前の褄を
結んで)
その声、雰囲気が葵の上ではなく、まさしく六条御息所であることに、
源氏は激しく動揺します。
「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」(そうおっしゃるが、
誰とも分からない。しかとお名乗りなさい)と、源氏が言うと、物の怪は
もう御息所に間違いない様子を見せたのでした。
この源氏の言葉には、心のどこかで御息所ではない、と答えてくれる祈り
にも似た気持ちが込められていたことと思われます。その期待を打ち
砕かれ、源氏は「あさましとは世の常なり」(呆れ果てた、などと言うのでは
ありきたりの表現になってしまう)ほどのショックを受けました。
源氏と話せたことで物の怪の声は静まり、葵の上は無事に男児(のちの夕霧)
を出産しました。
ここまでが本日の前半部分となります。詳しくは「第9帖「葵」の全文訳(7)」を
お読みいただければ、と存じます。
後半は御息所が、自分が生霊となっていると気づき苦悩する姿と、源氏が
御息所を見舞おうかどうか、と迷う姿が、絶妙な心理描写で綴られている
場面からですが、そこは第4木曜日のクラスのほうで読んだ時に、ご紹介
いたしましょう。
先程の全文訳のところでも書きましたが、今回読みました箇所が、
第9帖「葵」のクライマックスです。
名だたる験者が祈祷しても、決して憑坐(よりまし)に駆り移されず、
葵の上に憑りついたまま離れることのない物の怪が、ついに正体を
現します。
「少し祈祷をゆるめてください。源氏の君にお話したいことがあります」
と、葵の上の口を借りて願い出た物の怪。女房たちは、源氏を葵の上
の傍らに招じ入れました。
普段の冷たい雰囲気は無く、とても辛くてだるそうな眼差しでじっと源氏
を見つめ、涙を流す葵の上。源氏は、これはご両親や自分との今生の
別れを惜しんでおられるのか、と思い、葵の上を慰めますが、返って来た
言葉は、意外なものでした。「しばらく祈祷を止めて私を楽にしてください、
とお願いしようと思いまして。葵の上に憑りつこうだなんて少しも思っては
いないのに、物思いをしていると、本当に魂は我が身からさまよい出て
しまうのだったのですね」と、源氏に親し気に話しかけ歌を詠むのでした。
「嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」(嘆き悲しみ、
空にさまよっている私の魂を、あなたが繋ぎとめてください、下前の褄を
結んで)
その声、雰囲気が葵の上ではなく、まさしく六条御息所であることに、
源氏は激しく動揺します。
「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」(そうおっしゃるが、
誰とも分からない。しかとお名乗りなさい)と、源氏が言うと、物の怪は
もう御息所に間違いない様子を見せたのでした。
この源氏の言葉には、心のどこかで御息所ではない、と答えてくれる祈り
にも似た気持ちが込められていたことと思われます。その期待を打ち
砕かれ、源氏は「あさましとは世の常なり」(呆れ果てた、などと言うのでは
ありきたりの表現になってしまう)ほどのショックを受けました。
源氏と話せたことで物の怪の声は静まり、葵の上は無事に男児(のちの夕霧)
を出産しました。
ここまでが本日の前半部分となります。詳しくは「第9帖「葵」の全文訳(7)」を
お読みいただければ、と存じます。
後半は御息所が、自分が生霊となっていると気づき苦悩する姿と、源氏が
御息所を見舞おうかどうか、と迷う姿が、絶妙な心理描写で綴られている
場面からですが、そこは第4木曜日のクラスのほうで読んだ時に、ご紹介
いたしましょう。
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