<

![endif]-->

fc2ブログ

包丁を研ぐ

2021年5月30日(日)

買って間もない包丁は怖いくらいによく切れますが、しばらくすると
スパッと切れる感覚が遠のいてゆき、そのうちトマトを切ろうとしても、
皮のところで一度止まってしまうようになります。

もう7、8年前になるでしょうか、NHKの「ためしてガッテン」という番組
で、小型シャープナーで研いだ後、濡らしたサンドペーパーで仕上げ
をする方法が紹介されて、これは便利と、ずっとこのやり方で研いで
きました。それでもやはり直ぐに切れ味が落ちるので、きちんとした
砥石で研ぐのが良いのだろうと思いつつ、ハードルが高くて、敬遠
していました。

そうしましたら先日、生協の宅配のカタログの中に、初心者でも楽に
扱えそうな砥石が出ており、思い切って購入しました。

丁寧な研ぎ方のマニュアルと、砥石と包丁の間の安定した角度を保つ
ためのホルダーがセットされており、マニュアル通りに進めて行ったら、
案外簡単に研ぐことが出来ました。ただ、私は左利きなので、工程を
逆にしなければならず、マニュアルを行ったり来たりするのが、面倒と
言えば面倒でしたが・・・。

       砥石
     野菜にサクサクっと包丁が通るようになり、
     快適です。初心者でも失敗しないのは、
     このホルダーのおかげかな、と思います。
     ちょっとしたアイデアが効いていますね。


「おぼしなして」の「なし」の持つ意味

2021年5月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第10回・通算57回 №2)

またまた余談からですが、皆さまは今日が何の日かご存知ですか?

実は5月27日は「百人一首の日」なのです。どうして5月27日なのか、
といいますと、「小倉百人一首」を撰した藤原定家の遺した『明月記』
の文暦2年(1235年)5月27日の条に、息子・為家の妻の父である
宇都宮蓮生(頼綱)の求めに応じて、定家が選んで色紙に書写した
百首(「百人秀歌」)が、小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子(ふすま)に
貼られた、と書かれているからなのです。

はい、話を本題の『源氏物語』に戻します。

第10帖「賢木」の後半、雲林院から戻った源氏は、いつまでも拗ねて
藤壺のもとに寄り着かないのも、却って周囲に不審感を抱かせるかも
しれない、と思い、東宮に会いにいらした藤壺が宮中から退出なさる日
にお迎えに行きました。

東宮御所に参上する前に、源氏は異母兄の朱雀帝のもとに立ち寄り、
互いに懐かしく語り合って、ひと時を過ごします。

帝は、尚侍(朧月夜)が自分の寵愛を受けながら、今も密かに源氏と通じ、
朧月夜の素振りからもそれを感じ取っておられるのですが、「いや、源氏と
朧月夜の仲は、今に始まったことでもなく以前から続いているのだし、この
二人なら、心を通い合わせるのもお似合いであろうよ」と、強いてお思いに
なり
、お咎めにはならないのでした。

表題の「おぼしなして」(強いてお思いになり)の「なし」は、この「強いて」
の部分にあたります。

「なし」は「なす(為す)」の連用形で、意識的にそのようにする時に使われ
ます。

朱雀帝も、本心としては源氏を責めたい気持ちでいっぱいなはずです。
でも、優しく、穏やかな性格なので、そうした自分の思いを悲しいまでの
理屈で抑え込もうとなさっているのです。。

ここが「おぼして」ではなく「おぼしなして」となっているところに、読者は
朱雀帝の複雑な屈折した思いを汲み取って読むべきでありましょう。

本文の詳しい内容は、先に書きました「賢木の巻・全文訳(15)」を
ご覧くださいませ⇨⇨こちらから


第10帖「賢木」の全文訳(15)

2021年5月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第10回・通算57回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、160頁・9行目~165頁・14行目までを
読みましたが、今日の全文訳は、5/10に書いた前半部分(⇨⇨こちらから
に続く後半部分(163頁・5行目~165頁・14行目)となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


紫の上は、しばらくの間に美しくご成長なさった感じがして、そんな紫の上が
ひどくしんみりとして、源氏の君との仲がどうなるのだろうと案じている様子が、
痛々しくも、愛しくも思われなさるので、自分のけしからぬ心のあれこれと思い
乱れるのがはっきりと素振りに現れるのであろうか、紫の上が「色かはる」と、
源氏の君の心変わりを歌に詠んでいたのも可憐に思われて、源氏の君は、
いつもよりもこまやかに話しかけなさるのでした。

山の土産にと持たせなさった紅葉を、お庭の物と比べてご覧になると、特に深く
染めた露の心も見過ごし難く、ご無沙汰のもどかしさも体裁が悪い程お感じに
なるので、ただ通り一遍のご挨拶のようにして藤壺に差し上げなさいました。

王命婦のもとへの手紙には、「参内なさったのを、珍しいことと承るにつけて、
東宮との間もご無沙汰になってしまいましたので、気になっておりましたが、
仏道修行もお勤めしようなどと思い立ちました日数を、途中で打ち切るのも
不本意ではないかと思い、幾日も経ってしまいました。紅葉は一人で賞翫
いたしますには、夜の錦の心地がいたしますので、良い折を見て、中宮さま
にご覧に入れてください」などと書いてありました。

本当に素晴らしい枝々なので、藤壺のお目が留まると、例によって、小さな
恋文が結び付けてありました。女房たちが控えているので、藤壺はお顔の
色も変わって、相変わらずこのような自分への懸想が続いておられるのが、
ひどく疎ましく、惜しいことに思慮深くていらっしゃる方が、不用意にこのような
ことを時折なさるのを、女房たちも変だと気付くであろうよ、と不快に思われて
、瓶に挿させて、廂の間の柱のもとに押しやらせなさいました。

一通りの要件のあれこれ、東宮に関わることなどは、源氏の君を頼りにして
いるふうに、堅苦しいお返事だけを藤壺は差し上げなさるので、源氏の君は
「なんと利口に、どこまでも自分につれなくなさることか」と、恨めしくご覧に
なりますが、何事につけ、いつもお世話申し上げて来たこととて、ここであまり
よそよそしくすると、世間の人が「おかしい」と、見咎めでもしたら困るとお思い
になって、藤壺が宮中から退出なさるはずの日に参内なさいました。

先ず朱雀帝の御前に参上なさると、帝はちょうどのんびりと過ごしておられる
折だったので、源氏の君は、昔や今のお話を申し上げなさいます。

帝は、御容貌も、桐壺院にとてもよく似ておられて、また一段と優美な雰囲気が
加わって、お優しくもの柔らかでいらっしゃいます。お互いにしみじみと懐かしく
ご覧になっておられました。尚侍の君(朧月夜)のことも、なお源氏の君との仲が
絶えていないようにお聞きになっており、それらしい様子にお気づきになることも
ありますが、いや何、今に始まったことならともかく、前から続いていることなの
だから、そんなふうに心を通わせているのも、不似合とは言えない二人の仲で
あることよ、と朱雀帝はご自身を納得させてお咎めにならないのでした。

四方山話をして、学問の道で不案内にお思いになっていることなどを、源氏の君に
お尋ねになって、また色恋に関する歌の話などもお互いになさったついでに、あの
斎宮の伊勢下向の日、その容貌が可愛らしくていらっしゃったことなどを、帝が
お話になったので、源氏の君も打ち解けて、野宮での六条御息所とのしみじみと
した別れの朝のことなども、すっかりお話になってしまわれたのでした。


雲隠れにしスーパームーン

2021年5月26日(水)

1ヶ月前の「ピンクムーン」の時に、ブロ友さんが教えて
くださった今夜の「スーパームーン&皆既月食」。

忘れてはいけないと、カレンダーにもしっかり書き込んで
楽しみに待っていました。

天気予報でも☀マークだし、日暮れと共にワクワクしながら
何度も東南のベランダに出て空を見上げましたが、影も形も
見えません。どこかにうっすらと見えるのでは?と目を凝らし
ても、雲に透けた姿さえ、望むことは叶いませんでした。

そのうち雲の途切れることがあるかもしれない、と、諦めの
悪い私は10分間隔くらいでベランダへ。月食の時間になっても、
まさに「雲のいづこに月宿るらん」で、The end となりました。


久々の晴天

2021年5月23日(日)

この辺りはまだ梅雨に入っていませんので、「梅雨の晴れ間」と
いう表現は適切ではありませんが、ずっとぐずついたお天気が
続いていたので、感覚としては「梅雨の晴れ間」の一日でした。

布団を干し、シーツを洗い、部屋干しだった洗濯物もベランダに
出しました。燦燦と降り注ぐ日の光を浴びて、布団からは湿気が
抜け、洗濯物はカラカラに。取り込む時、手に伝わってくる温かさ
が心地よく、お日さまって有難いなぁ、と思いました。

    青空と神社の木立
      散歩の途中立ち寄った神社で。
    緑に包まれた木立の上も雲一つない青空。
   

差別意識の甚だしさ

2021年5月21日(金) オンライン『枕草子』(第10回 通算第51回)

関東はまだ梅雨入りとはなっていませんが、ここ数日、雨模様の日が
続いています。特に今日は、風も強く、結局買い物にも出ず、完全な
巣ごもりデーとなってしまいました。

オンライン『枕草子』は第290段~第294段までを読みました。

現代社会では、「差別的発言」をすると「ヘイトスピーチ」として、逆に
非難の的になるかと思いますが、平安時代は、貴族という特権階級と
一般庶民の間は完全に分断されており、第290段、第291段、第294段
は、いずれも作者・清少納言の差別意識が露骨に記されている段です。

第290段では、自分が好んでノートに書きつけているような歌を、下賤な
者が口ずさんでいたりすると、「いと心憂けれ」(すごくガッカリしちゃう)
と言い、第291段では、語彙も少ない下賤な者に褒められても、却って
値打ちを落とすことになるだろうから、貶されるほうがまだまし、とまで
言っています。

どちらも、貴族階級と庶民とでは、同じ感受性を有しているわけはない、
という前提に立っており、今ならこんな発言を当たり前のようにする作者
のほうが、異様な感じがしますし、もし実際にこんな人がいたら、SNSで
忽ち拡散、炎上するに違いありません。

ただこの感覚、清少納言特有のものではなく、貴族階級に共通した感覚
だったことが、第294段を読むとわかります。

粗末な家に住む下賤な男が、隣接する秣(まぐさ/馬の餌)小屋の火災の
延焼で、妻と共に着の身着のまま焼け出され困り果てている、と訴えて
きます。その場にいたのは、隆円(中宮定子の弟)の乳母、定子の妹の
御匣殿、清少納言ら女房たち、ですが、誰も心から同情する様子を見せて
いません。御匣殿も、その男の話しぶりを「いみじう笑ひたまふ」(たいそう
お笑いになる)のでした。

男が文盲であるのをいいことに、清少納言はからかいの歌を紙に書いて
隆円の乳母に「これを渡してやってください」と言います。周りの女房たちは
笑い転げ、乳母も勿体ぶって男に渡します。文字の読めない男は、何かが
戴けるのだと勘違いします。随分と酷いやり方ですよね。

皆で中宮さまのもとに参上し、乳母が事の顛末を話すと、また女房たちは
大笑いをし、それに対する中宮さまの取られた態度―「『など、かくもの狂
ほしからむ』と、笑はせたまふ」(「どうしてあなたたちはそんなはしたない
ことをしてバカ騒ぎをするの」と言ってお笑いになりました)―を記して、
この段を閉じています。

中宮さまの笑いは、下賤な男を対象にしたものではなく、女房たちの行為を
咎めながらそのいたずらを面白がられたのでありましょうが、やはり中宮さま
の中にも、下層階級の者の災難を憐れむ姿勢は窺えません。この場にいる
人たちは誰一人として、下賤な男を自分たちと同じ人間として見ていない
ことがわかります。

更に言うなら、特権階級の貴族にも、上流、中流、下流の差別が存在し、
『源氏物語』には、その身分差から生じる悲哀が嫌という程書かれています。


大失敗!「シフォンケーキ」

2021年5月17日(月)

お菓子作りがとても上手なご近所のお友達から、先日ふんわりとした
美味しいシフォンケーキを頂戴しました。

もう何年もシフォンケーキを作っていない私も、久々にチャレンジしたくなり、
レシピを教えて欲しい、とお願いしたところ、同時進行で作るYouTubeを
見ながら作った、とのこと。

そのサイトにアクセスして、材料を確認し、本日挑戦しました・・・ですが、
大失敗です。ふんわりどころか、殆ど膨らみのない、「これはどう見ても
パウンドケーキじゃないの?」という代物となって焼き上がったのです。

強力粉を買おうと思ったけど、1㎏単位の物しかなく、パンも焼かないし、
こんなに買っても使わないなぁ、と思い、薄力粉のみにしたからかな?
ではないと思います。これまでシフォンケーキに強力粉を使ったことは
ないけど、もっとちゃんと膨らんでいましたから。

そもそもYouTubeの同時進行、というのは、お友達のような作り慣れた
方でないと、初心者にはとても大変な作業でした。余程手際よく作って
行かないと置いて行かれます。何度も戻って見ながら、で、疲れました。
私のようなたまにしかお菓子作りをしない者には、やはり紙に書いた
レシピのほうが向いているようです。

    シフォンケーキ
    冷凍しておいて、パウンドケーキの出来損ない
    を食べている、 と思いながら当分の間、朝の
    カフェ・オ・レのお伴にします(笑)


薫の好みは痩身の女性?

2021年5月14日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第11回・通算151回)

緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の適用地域の拡大が、
今日決定となりました。これで収束へと向かうことに期待したいと
思いますが、あっという間に従来株を席巻してしまった英国株に
続き、インド株もポツポツと発見されており、その道のりはなかなか
険しそうです。

第47帖「総角」を読んでいる溝の口「源氏の会」のオンラインクラス
ですが、中の君と結ばれて三日目、薫に後押しされて、やっとの
思いで匂宮は宇治へとやって来られました。これで二人の結婚は
成立ということになるので、宇治では老女房たちも大喜びして、
似合いもしない派手な着物を着て、化粧をして、年老いたみっとも
なさなどお構いなしに振舞っています。

そんな中で一人醒めているのが大君です。あの老女房たちよりは
今はまだましだろうが、自分も鏡を見れば「痩せ痩せになりもてゆく」
(痩せ細ってゆくばかり)と、薫がこの上なく立派なだけに、この先、
いっそう衰えてゆくであろう我が身を気に病んで恐れています。

でも薫は、顔を合わせたこともない相手ではありません。大君の姿を
しっかりと見ており、その上で痩せ細った大君を他の誰よりも魅力的
だと感じているのです。

確かに当時は今と違い、痩せているのは貧相に見えたのでしょうか、
玉鬘の美貌を、「酸漿などいふめるやうにふくらかにて」(ほおずき
などと言うもののようにふっくらとして)と称えており、ふっくらとして
いるほうを良しとしていたことが窺えます。ただ、そこはやはり個人
の好みの問題だと思います。薫は総じて痩身の女性が好みだった
気がします。

少し先のことになりますが、第49帖「宿木」の最後の場面で、偶然
宇治に来合わせた浮舟を、薫が垣間見ます。「頭つき様体細やかに
あてなるほどは、いとよくもの思ひ出でられぬべし」(頭の恰好や
身体つきが、ほっそりとして上品なところが、とてもよく亡き大君を
思い出させるのであろう)と、ほっそりとした大君の印象を、大切に
抱き続けてきたからこそ、浮舟の容姿に惹かれているのがわかり
ます。

薫はいろんな意味で、王朝貴族の男性としては異色な存在と言える
でしょうね。


神をも畏れぬ源氏の恋路

2021年5月10日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第10回・通算57回・№2)

コロナのワクチン接種が一般の高齢者にも開始され、メールでも、
オンライン講座でも、そのことが話題になります。自治体によって
対応が様々なので、現在の皆さまの状況も実に様々です。

既に1回目の接種が済んでいるという人、2回目までの予約が
終わった人、予約しようとしたけど出来なかったという人、接種券は
届いているけれどまだ予約が始まっていない人、接種券すらまだ
届いていない人、全員高齢者です。1ヶ月位先には加速することに
期待するしかありませんね。ちなみに私は「接種券すらまだ届いて
いない人」です。

と、これはまたまた余談でした。

『源氏物語』第10帖「賢木」の続きとなります。

藤壺に拒まれ、拗ねて自邸に引き籠っていた源氏ですが、所在なく、
秋の紫野の紅葉にも心惹かれ、雲林院にしばらく滞在して、仏道の
お勤めに励みました。とは言っても、一筋というわけではありません。
紫の上と歌の遣り取りをし(これは許容範囲ですよね)、次には朝顔
の斎院に恋文を贈ります。

雲林院と斎院御所は同じ紫野にあり、この場面は、「吹き交ふ風も
近きほどにて」という風情ある書き出しで始まります。

昔なら結婚も可能な立場でしたが、今は斎院となって神に仕える身
の朝顔に、「昔を取り戻せるものなら取り返したい」と恋情を訴える
源氏に、朝顔は、「昔どうだったっておっしゃるの。今はなおさら覚え
のないことで」と、すげない返事をしますが、源氏はその達筆な手紙に、
年と共に美しくなっているであろう朝顔を思い、心が騒ぐのでした。

作者は、そんな源氏に対して「恐ろしや」(神をも畏れぬ恐ろしいことよ)
と書いています。続けて、去年の野宮での六条御息所との別れを思い
出して、不思議と神にお仕えしておられる場所ばかりだ、と、神様を
恨めしく思っている源氏を、「御癖の見苦しきぞかし」(憚り多い恋に
惹かれる源氏のお心癖は見苦しうございますわね)と「ぞかし」で念を
押し、強く批判しています。

また、斎院という立場にありながら、そう素っ気なくも出来ずにお返事を
する朝顔に対しても「すこしあいなきことなりかし」(少しいただけないこと
でしたよ)と、ここでも「かし」を使って、読者に「困った二人ですねぇ」と語り
かけています。

神をも畏れぬ恋に、「私は共感してはおりませんのよ」という姿勢を示す
ことで読者に言い訳してみせるところは、やはりこの作者の巧妙な手口
というべきでしょう。

詳しくは、先に記した第10帖「賢木」全文訳(14)をお読みいただければ、
と存じます⇨⇨こちらから


第10帖「賢木」の全文訳(14)

2021年5月10日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第10回・通算57回・№1)

「紫の会」のオンライン講座も10回目となりました。

今回は、160頁・9行目~165頁・14行目までを読みましたが、今日の
全文訳はその前半部分(160頁・9行目~163頁・4行目)です。後半は
5/27に書きたいと思います。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


吹き通う風も近い程の所なので、源氏の君は朝顔の斎院にもお便りを
差し上げなさいました。女房の中将の君には、
「こうして旅の空に、物思いから身も心もさまよい出たのを、おわかりに
なるはずもないでしょうよ。」
など、恨み言をお書きになって、斎院宛には、
「かけまくはかしこけれどもそのかみの秋おもほゆる木綿襷かな(口に
するのも畏れ多いことですが、あの秋が思い出される木綿襷である
ことよ)昔を今に取り戻したくともあなたが斎院となられてその甲斐も無く、
それでも取り返せるもののように思われまして」
と、馴れ馴れし気に、浅緑色の唐紙に書き、榊に木綿を付けるなど、
神々しく仕立てて差し上げなさいます。お返事は、中将からは、
「この斎院御所では取り紛れることもなくて、これまでのことを思い出す
所在なさに任せて、あなたさまのことをあれこれとお偲び申し上げており
ますが、それも今となっては甲斐がないだけのことでして」
と、少し念入りに言葉多く書いてありました。朝顔の斎院のは、木綿の
片端に、
「そのかみやいかがはありし木綿襷心にかけてしのぶらむゆゑ(その昔
にどうだったとおっしゃるのですか、あなたが心に掛けて偲ぶとおっしゃる
事の仔細は)近い世にはなおさらでございます」
と書かれておりました。ご筆跡は繊細ではありませんが、巧みで、草仮名
なども上手くなったものだなあ、ましてや朝顔自身も年と共に美しくなって
おられることであろう、と、想像するにつけても心が騒ぐとは、神をも畏れぬ
恐ろしいことでございますよ。ああ、去年の今頃のことだったよ、と、野宮
での御息所との逢瀬の切なかったことなどを思い出されて、不思議と同じ
ようなものだと、神を恨めしくお思いになる源氏の君のお心癖は、見苦しう
ございますわね。

源氏の君が是非にとお望みになれば、ご結婚も可能だったはずの今迄は、
のんびりとお過ごしになられて、今となって、悔しいと思っておられるような
のも、妙なご性分ですよね。朝顔の斎院も、並々ではない源氏の君の
お気持ちはよく存じておられるので、時たまの源氏の君へのお返事などは、
余りすげなくはお扱いになれないようでした。これも斎院のお振舞いとして
は、少しいただけないことでしたよ。

源氏の君が、天台六十巻の経典をお読みになり、不審な箇所を僧に解釈
などさせてご逗留になっているのを、この山寺(雲林院)にとっては大した
光明を自分たちの勤行の力で出現させ申したとして、仏への面目が経つと、
身分の低い僧たちまでが喜び合っておりました。

ひっそりとこの世の無常を思い続けなさるにつけ、都に帰ることもおっくうに
なってしまいそうですが、紫の上のことをお考えになると、それが出家の
妨げとなっているので、長くもご滞在になれず、雲林院には誦経のための
お布施を盛大にお納めになったのでした。しかるべき者には皆、身分の
上下のすべての僧たちはもとより、その辺りの木こりにまで物を与え、
尊い功徳となることのすべてを尽くしてお帰りになりました。

源氏の君をお見送り申し上げると言って、あちらこちらに、みすぼらしい
柴刈り人たちも集まり座って、涙を流しながら、源氏の君を拝見しており
ました。黒い牛車の中で、喪服に身をやつしておられるので、お姿は
はっきりとは見えませんが、微かに窺えるご様子を、この世にまたとない
と思い申し上げていたようでございます。


訪問者カウンター